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研究会報告:グローバリゼーション研究会

はじめに

この間、反米左派政権や中道左派政権の誕生が相次いでいるラテンアメリカ諸国。日本のメディアでは、カリスマ的な指導者の動向や政府の政策が報じられ、人々の営みはその中に集約されているかに見える。ところが、政権と民衆運動には等式で結べない関係が存在するという。国家の社会政策に回収されない、民衆の自律的な運動はいかなるものか。それは、現代の日本にとってどんな意味を持つのか。アルゼンチンの事例報告を受けて考える。

「アルゼンチンの息吹」に触れる

広く荒涼とした大地を貫く一本の道路。その道路を目指して、封鎖のために駆けていく群衆。やがてやってくる石油輸送トラックの行く手をさえぎり、政府に補助金や仕事を要求するのだ。アルゼンチン・コルドバの大学で10ヵ月の交換留学を終え、帰国された藤井枝里さん(上智大学イスパニア語学科在学中)をお招きしての報告会で「ピケテロス」と呼ばれる直接行動の映像を見せていただいた。まるで三里塚じゃないか。空間を制圧する民衆の力を映像から感じながらそう思った。しかし、これは現在の出来事なのである。経済的危機の深刻さこそ違え、同じく新自由主義政策に苦しむ状況にありながら、なぜ彼の地では「蜂起」で、この国では「自殺」なのか? と考え込んでしまった。

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アソシ研のグローバリゼーション研究会では、一昨年から数回連続で中南米事情をテーマに学習したが、そのときアルゼンチンは私の担当だった。たまたま、その少し前にNHK・BSで放送された「アルゼンチンの活動家 ラウル・カステルスの闘い」(彼は首都ブエノスアイレスのピケテロス運動の活動家)という番組を見て、「アルゼンチンで2001年に起きた民衆蜂起について知りたい」と口を滑らせたらお鉢が回ってきたのだった。

調べ始めて後悔した。アルゼンチン、しかも旅行やタンゴではなく社会運動となると、とにかく資料が少ない。結局アソシ研で集めてもらった雑誌・新聞・ウェブからのコピーと、手持ちの『闘争の最小回路−南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(廣瀬純、人文書院)を頼りにレジュメを作成した(ちなみに、その後、藤井さんと廣瀬さんは『人民新聞』紙上で対談することになる)。地球の裏側という地理的な意味だけでなく「アルゼンチンは遠い」というのが、その時の実感だった。

それから半年ほどして、藤井さんの現地からの報告が「アルゼンチンの息吹」と題して『人民新聞』に連載され始めた。これがさきにあったら、と思った。資料を拾い読みするだけでは現地の“空気”が読めず、実感をともなったイメージを持てないままだったからだ。現役大学生がみずみずしい感性で、現地の運動に肌で接しながらの8回にわたる連載は、メモ用紙に書き飛ばした断片が散らかったままになっているような知識に具体的なイメージの肉付けを与えてくれた。

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今回の報告会は「ピケテロス」「労働者の自主管理運動」「農民運動」の三つのテーマについて、まずDVDを見ながら藤井さんの解説を聞き、その後、それぞれが自分の関心のあるテーマを一つ選び、3グループに分かれてのフリートークというかたちで行われた。

運動の紹介の前に2001年にいたる過程を簡単に振り返っておく。76年から続いてきた軍事独裁政権(3万人を超える行方不明者を出したといわれる)は経済的危機をマルビーナス戦争(1982年)で突破しようとするが敗北。83年には民政に移管した。ところが80年代末からさらに経済が悪化。5000%近いハイパーインフレに見舞われる。そこで89年に登場したのが親米のメネム大統領だった。彼は「IMFの優等生」と言われ、公共事業の民営化、大量失業の容認など、徹底した新自由主義政策を推し進めた。1ドル=1ペソ固定相場制の導入でインフレを収束させたが、この奇跡的な経済回復の影で国内産業は決定的な打撃を受け、90年代後半には対外債務の増加、資本の海外への逃避に歯止めが利かなくなる。2001年にいたってデラルア大統領はデフォルト(債務不履行)を宣言。預金封鎖措置に抗議して起った同年12月19〜20日の民衆蜂起に対して戒厳令発令という事態となった。つまり、新自由主義政策の徹底性ゆえに、それがもたらすもの、そしてそれへの対抗を考える上で、日本よりはるかに「先進国」なのである。

こうした状況のなかで国家、政党、官僚等を当てにして問題を「解決」するのではなく、民衆自身が相互に助け合い、協力しあって生きていくためのさまざまなネットワークが動き始める。それは誰にも政治的に代表されることなく、それぞれ地区のアサンブレア(近隣住民評議会)という顔が見える範囲で民衆自身によって合意形成がなされ、水平でゆるやかなネットワークと自律的な生を築くことをめざす性質のものだった。

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今回取り上げたテーマの一つである、経営が破綻した企業での「労働者の自主管理運動」(「回復企業」と呼ばれる)のほか、物々交換ネットワークと共同体単位一括購入を中心とした「交換クラブ(生産者=消費者協同組合)」、そしてこのクラブで使用される無利子の地域通貨「クレジット」などが急速に普及した。この地域通貨コミュニティは世界最大規模といわれるまでに拡大する。またネットワークは農村部にも広がり、家族ぐるみ、地域ぐるみでのアグリビジネスへの対抗が組織されていく。藤井さんによるとアルゼンチンの「農民運動」は、生活そのものが運動という感じで、いわゆる「運動」を探しに行っても見つからないそうである。こうしたさまざまなネットワークは資本主義のグローバリゼーションに対抗して市場からの自律をめざす運動の最も先鋭的な形態を示していると思われた。

「ピケテロス」もこうした民衆の生存を賭けた闘いの一つである。貧困者や失業者の抗議行動集団で、道路の封鎖や工場や商店を占拠する直接行動を主な戦術としている。私は今回の報告会に参加して、この運動をどう考えるのかが一つのポイントではないかと思った。国家による救済からはじかれた人々のやむにやまれぬ必要から生じていることは、これまでに紹介してきた運動と同じだが、この運動は何も「生産」しない。とにかく「生きさせろ!」である。生を無条件に肯定することなしには、この運動は受け入れられない。市場の評価による専制がまかりとおり、消費者として選択するときにだけ「自由」であるような私たちの社会、資本主義者ばかりになってしまった日本では、この運動を肯定的に評価する者はきっと少数派だろう。しかし、そこで賭けられているのは、まさに市場から自律した生であり、さらに人間は交換の対象ではないということの、いま・ここでの実践なのである。

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ネグリが今日のアルゼンチンを「社会的実験室」と呼び、マイケル・ハートとの共著『マルチチュード』で「世界各地の活動家たちは2001年12月以降、革新とインスピレーションの源としてのアルゼンチンに熱い視線を寄せているのである」とまで言っているのは、そこに自律的な政治経済空間を生産し続けるための知恵や技術の宝庫を見ているからだろう。そこでは1871年のパリ・コミューンにマルクスが「ついに発見された政治形態」を見たのと比較しうるような出来事が2001年以降も現在進行形で継続されているように思われる(行ったことはないけれど)。

なお、3月に予定されていたネグリの来日が突然中止された。サミットに備えた入国管理強化のせいだと言われている。賛否はともあれ、グローバリゼーションのもたらす世界の変容について大胆な問題提起を行い、世界的な影響力を持つこの政治哲学者が講演のために来日することを拒むようなセコイ根性で、世界の「様々な困難」を克服して「人類を新しいステージに導く」(ダボス会議における福田首相特別講演より)ことなどできるわけがない。(下村俊彦:関西よつ葉連絡会事務局)


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