タイトル
HOME過去号51号

アソシ研リレーエッセイ:「空振り三振」の想い出

はじめに

昔々、その昔。かつて所属していたことのある政党の新年旗開きの集会で、県委員会を代表してあいさつをする機会があった。前号のこの欄を読んで、そのことが頭に浮んだ。きっと集会では同じような言葉が繰り返されるだろうと考えて、僕は詩を朗読しようと、中野重治の岩波文庫の詩集を背広のポケットにしのばせて壇上に上ったからだった。中野重治の詩と言えば「雨の降る品川驛」が有名だけれど、その時読んだのは「その人たち」と題した、日本共産党創立25周年記念の夕に読まれたものだった。

「その人たち」

そのいいようもない人々について私は語りたい
党をまわりから支えたひとびと
まわりからといおうか中からといおうか
その人々は心から息子娘を愛していた
子供たちは正しいのだということを理論とは別の手段で信じていた (中略)
やがてはそうなるであろう
しかしなるであろうか
しかしなるであろう (中略)
サヤ豆を育てたことについてかつて風が誇らなかったように
また船を浮かべたことについてかつて水が求めなかったように
その信頼と愛とについて
報いはおろかそれの認められることさえ求めなかった親であった人たち
この親であった人々の墓にどの水を私たちがそそごうか
どのクチナシとヒオオギとを切って来ようか
私は信じる
その人々が今夜ここへ来ていると
その人たちはこういうのである
みなさんよ
わたしたちは無駄には涙を流しませんでした
祝いなさい
して かつて党員でなかった私たちのよろこびが
党員であるあなた方のよりも大きいのです

◆   ◆

会場はグラスを片手に談笑する人々の雑音で騒然としていた。僕の中野重治は、その騒音にかき消されて見向きもされなかったように思う。党員の数を、数として増す活動に明け暮れていたその政党の考え方に、ずっと異和感を抱いていた僕の思いを、不遜にも中野重治をひっぱり出して、それとなく表現しようとした試みは、見事に空振りに終わった。

と、ずっと思っていたのだけれど、最近になって、あの集会に参加していた党の支持者だった人が、「あの中野重治の詩の朗読が良かった」と語っていたことを聞かされた。ヘェー、完全に空振り三振だと思い込んでいたのに、と、ちょっとうれしく感じたものだった。

その政党を離れてから、もう20年以上が経ってしまった。いまだに「組織」というものを組み伏せるすべを身に付けることができないまま、時間ばかりが元気に走り去っていく。中野重治の時代と今は、ずいぶん変ったのかもしれないのだけれど、僕は今でも、この詩にこめられた、人々と組織の関係を大切にしたいと思っている。 (津田道夫:研究所代表)


200×40バナー
©2002 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.