1988年 11月 掘っている
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2月頃、コンテナヤード跡地の使用を大阪鉄道管理局に頼みに行ったら、「難しい」と言われてあきらめていた。
ところが数日後電話があって、「3月末ならいい」と言う。 JRへの転換直前、管理機構が解体して「空白の2週間」が生じるのだ。
地面にじかに生コンを貼り付けるとは乱暴なことをしたものだが、それ以外考えられなくて、後先考えずやってしまった。
許可を出した組織が消えてしまったこと、標的の厚さがわずか6センチだったことで、撤去をまぬがれたのは何とも幸運であった。
1988年 12月 サーカスが来た。
