「こおおの、ぶわかたれぇぇぇっ!!」

今日も葛城家のキッチンに、元気なアスカの声がこだまする。

毎度毎度のことなので、保護者であるはずのミサトも見物にまわり、決して制止はしない。

ビール片手に、あら、今のフライパンはいい角度で入ったわねん、などとツマミ代わりに品評する始末。

しかしながら、アスカの攻撃を喰らった少年のほうはいつもと様子が違った。

どんな攻撃を受けても最長三分で蘇生するはずのシンジは、五分を過ぎても床に伏せたまま微動だにしない。

「・・・シンジ?」

さすがに加害者のアスカも疑問に思う。

「ん〜?」

ノコノコ近づいていったミサトが、床に転がったままの被保護者の頬を叩く。

「ありゃ、白目剥いてるわ」

「・・・・って、マジ? 救急車? どーすんのよ、これ!?」



























Lady And Sky






Act6:君はアムネジア


作者:三只さん



























「外傷はたんこぶ程度。CTスキャンも脳波も異常なし」

ネルフ直下の病院で、ファイル片手にリツコは断言する。

その報告を聞き、どうにか胸を撫で下ろすアスカとミサト。

二人を冷やかな視線で両断して、リツコは音も高くファイルを閉じた。

「だからといって、あなたたちは加減ってもの知らないの? いくらなんでもフライパンで殴る普通?」

バツの悪そうな表情でうつむくアスカ。

一方ミサトはブルンブルン首を振る。

「あ、あたしはやってないわよ、そんなの?」

「見ていて止めなきゃ同罪よ。それ以前に、あなた、保護者でしょう?」

リツコの呆れと怒りの入り交じった声に、さすがにミサトも黙り込む。

「・・・で、そんな暴挙に出た原因はなんなの?」

新しい煙草に火を付けながらリツコは訊ねた。

アスカとミサトは顔を見合わせ、結局アスカが答える。

その返答に、赤木リツコ博士はファイルを放り投げた。それこそ天井まで放り投げて、怒鳴る寸前の声で目前の二人を糾弾する。

「お風呂のお湯がぬるかったから、ですってぇっ?! あなたたち、いちいちそんな事でシンジくんを苛めてるの?」

「う・・・」

反論できないアスカに対し、ミサトは堂々と胸を張る。

「あたしはシンジくんを苛めてないもん!!」

「・・・・あなたねぇ・・・」

ヒクつくコメカミを押さえながらリツコ。

「これは、さっさとシンジくんを別居させたほうがいいかしら?」

「それは困るわよ!!」

亜高速の速さでアスカが反論する。

「シンジがいなくなったら、誰がご飯つくって、お風呂して、掃除して、洗濯してくれるわけっ!?」

「・・・・・・・・・」

リツコが処置なしとばかりに横に視線を逸らせば、隣のミサトも熱心に頷いている。

これは問題だ。おおいに問題だ。ことは人命に関わる。

強権を発動させてでもシンジの生活環境の改革をこころみなければ、とリツコが口を開きかけたとき。

卓上の機械音が割り込んできた。

言葉を飲み込み、受話器を受け取ったリツコの耳にナースの声が響く。

『患者が意識を取り戻しました』

受話器を肩に当て、リツコは目前の生活不適合者ーズに視線を送る。

「シンジくんが意識を取り戻したって」

あからさまに明るくなる二人の顔にまたまた呆れていると、受話器からくぐもった声が続いている。

『意識は取り戻しましたが、しかし・・・・・』































「きおくそおしつぅ!?」

シンジの病室で異口同音に叫んだ二人は、直後それぞれ感想を呟く。

「・・・なんか、前も似たようなシチュエーションなかったっけ・・・?」

「ぬわんてぇベタな・・・・」

そんな二人プラス金髪博士を眺めてきょとんとしているのがシンジだ。

ベッド上の彼は頭に一応の包帯を巻いている以外、怪我をしている印象はさっぱりない。

「あの・・・・」

おずおずと口を開くシンジ。

「あなたがたは、僕とどういう関係なんですか・・・・?」

そこでどよめく同居人二人組。

「うそ!? ほんと記憶喪失?」

「へー、ほんとに第一声はそれなのか・・・・」

どうにもこうにもあまりの緊迫感のなさに、額に血管を浮かべたリツコは二人を病室の外に引きずり出した。

閑散とした廊下で、リツコ博士による厳重注意が施される。

「いい!? シンジくんに間違った記憶を刷り込んじゃだめよ?」

顔を見合わせるアスカとミサト。

「刷り込みって?」

アスカが訊ねる。

「つまり、卵からかえった雛が、最初に見たモノを親と思いこむ、アレよ」

「へ□。刷り込みできるんだ・・・・」

感心しているアスカの傍らに、ミサトの姿がない。

反射的に病室のドアをあけたリツコの目前で、ミサトによるとんでもない刷り込みが行われていた。

「ああっ、シンちゃん!! 若くて美人で気だてのいいママよっ!!」

ボーゼンとするシンジの両手を握って熱弁を振るうミサトの襟首を、リツコはひっつかむ。

「ミサト・・・・!!」

「あ、あははははは、冗談だってジョーク、ジョーク。アメリケエンジョーク」

廊下へ放り出すと、今度はアスカの姿がない。

「あんたはね、成績優秀、容姿は・・・まあまあだけどさ、歌って踊れるスーパーヒーローなのよ?」

「アスカっ!!」

リツコの白衣が翻り、アスカもご退場。

病室のドアを後ろ手に閉ざし、荒い息を整えるリツコである。

まったく、あの二人はいったいなにを考えているの・・・・?

ふと顔をあげると、脅えたような、困っているようなシンジと視線があう。

リツコはにっこり微笑んで、

「大丈夫。さっきの二人のは、タワゴトだから気にしないで」

シンジのベッドの足下に近づき、腰を降ろした。

「えっ・・と。あなたのお名前はリツコさん・・・ですよね」

シンジは困惑気味におそるおそる口にした。

「ええ、そうよ」

にこやかに肯定するリツコ。

「そして、あなたの名前は碇シンジ・・くんなのよ? 分かる?」

「はい、それはなんとか・・・・」

シンジも頷いて、ぎこちなく微笑む。

その無邪気な笑顔を見て、リツコの理性が揺らいだ。

似ている。あたしの愛したあの人に。

それは当然ね、あの人の息子だもの・・・・・。

さらなる悪魔がリツコの魔性にささやきかけた。

この病室という名の密室。そして、二人きりというシチュエーション。

・・・あの人に似ていて、あの人より若い。

我知らずリツコは口元のよだれを拭う。

まさにその時こそが、リツコの科学者の理性が、女の魔性にすり替わった瞬間だった。

「あ、あなたはね、あたしと恋人・・・いえ、むしろ夫婦なのよっ!! だから、愛し合いましょう!!」

とたんに破壊される病室のドア。

飛び込んできたアスカとミサトが叫ぶ。

「あんたが一番タチ悪いわっ!!」


















「・・・なによ、二人とも?」

赤木博士ラボの中でコーヒーを啜りながらリツコは問う。

同じくコーヒーを啜りながらジト眼のアスカとミサト。

先ほどのはショック療法だ、とついさっき説明を受けたばかりだが、信用していないのは火を見るより明らかだ。

「とりあえず、アスカはシンジくんを連れて学校に行きなさい」

無言の抗議を圧殺してリツコは席を立つ。

伸びをしながら時計をのぞき込んで続けた。

「いまからならまだ午前の授業に間に合うわ。普通の環境に身を置いたほうがシンジくんの記憶も早く戻ると思うの」

「学校□?」

さも面倒臭そうにアスカも立ち上がる。

「今日は休みたいわ。夕べはシンジにつきっきりだったし」

「思いっきり待合室で爆睡してたじゃない・・・」

ミサトのツッコミにもメゲず、アスカは欠伸して見せた。

「まあ、別に休むならそれでも構わないけど・・・・」

リツコは眼鏡だけを光らせて、アスカとミサトを睨め付ける。

「シンジくんの記憶が戻らないと、日常生活に支障を来すのはあなたたちじゃなくて?」

「う」

確かに困る。大いに困る。

今夜のツマミがツマミが・・・と騒ぎ出したミサトを尻目に、アスカは渋々シンジを学校に連れて行くことを了承した。
















のらりくらりとして学校につくと、アスカの意図したとおり、ちょうどお昼休みだった。

「きおくそおしつうぅ!?」

居合わせたクラスメートが異口同音に叫ぶ。

面白いくらい先刻のアスカとミサトの反応に似ている。

なぜか静まり返る教室は、シンジの言葉を待っている。

「・・・あの、僕はどういった人だったんでしょうか・・?」

歓声が教室を揺るがす。

「おおぅ! 本物だ、本物の記憶喪失だ!!」

「本当にそういう台詞いうのねっ!!」

「これは貴重だ!! 写真に撮らなきゃ!!」

無責任な声が飛び交う。

戸惑うシンジに、まず自称シンジの親友の一人が近づいた。

「おう、シンジィ!! おまえ、相方のワイのこと忘れてしまったんか!?」

「あ、あいかた・・・・?」

「そうやっ!! おまえとワイは、『ザ・ジャージーズ』というお笑いユニットを組んどったんや・・・!!」

「じゃ、じゃーじーず!?」

信じられないとでもいう風に声を上げるシンジへ、トウジがすがりつく。

更に、もう一人の自称親友も参入した。

「シンジぃ!? 僕を忘れたのか、無二の親友でもあるこの僕を!?」

「・・・え、えーと、君は?」

「僕は相田ケンスケだ!! 君とお金を出し合ってF1カメラを購入しようとする朋友だ!!」

「えふわんっ・・・?」

困惑しきりのシンジを助けたのは、クラスの良心、洞木ヒカリだった。

「でたらめ教えるんじゃないわよ、二人とも!! ごめんね、碇くん・・・」

トウジとケンスケの耳を引っ張って、シンジから引きはがす。

ほかの面子も興味はあれど遠巻きにするだけだ。

ブルーアイズを光らせる金髪の少女をさしおいて彼にちょっかいを出そうと考えるアホウはそうそういない。

いや。

一人だけいた。

青い髪の少女がさりげなくシンジに近づいて、囁くようにいった。

「あなたは、わたしのお兄さん・・・・」

いっておいてポッと頬を赤らめる少女、綾波レイ。

「おお、妹萌えで攻めるか!? 綾波もやるのおっ!!」

無責任にはやし立てるトウジの顔面に裏拳をかましておいて、アスカはレイに詰め寄った。

「ファースト!! ふざけたこといってんじゃないわよ・・・!?」

胸ぐらを掴み上げてギリギリと絞めるが、レイは平然と薄く笑っている。

怒りより気味悪さが勝ったらしく、アスカはレイを投げ捨てると、返す手でシンジを引っ張りながらいった。

「ヒカリ!! どうにもここじゃ思い出せないみたいだから、ちょっと別のとこでも行ってくるわ!!」

「ええ。先生には適当にいっておくわね」

半ばシンジを引きずるように教室を出て行ったアスカを見送っていると、鼻血を吹きながらトウジが立ち上がって側にきた。

「なあ、イインチョ? 惣流のヤツ、あーはいってたけど、ありゃ体のいいサボリちゃうか?」

「・・・・あ」












「どう? やっぱりだめ?」

「・・・うん。なんかおぼろげに覚えているような気はするんだけど」

ブラブラと街中を歩きながらシンジとアスカは会話を交わす。

ま、あっさり記憶が戻るとは思っていないけどね。

軽くスキップを踏んでアスカは考える。

出来れば早く記憶が戻って欲しいけど・・・・。

シュショウな思考と裏腹に、頬が邪悪な笑みを浮かべる。

先ほどの登校は無駄ではなかった。

むしろ、アスカに貴重な示唆を与えてくれたのだ。

まっさらなシンジをオモチャに出来る貴重なチャンス。

二人で歩いているいま、邪魔するものはいない。独占状態だ。

「仕方ないわ。あたしが今から、昔のあんたの立ち振る舞いを全部教えてあげる。そーゆー風に振る舞っていれば、なんか思い出せるかもしれないでしょ?」

「うん、そうだね。おねがいするよ、惣流・・・さん?」

「アスカでいいわよ」

「え、と、アスカ・・・さん」

金髪の少女は足を止め振り返り、肩を怒らせる。

「いいから、呼びすてにするの!!」

「は、はいっ!!」

その剣幕に思わず胸を張り敬礼するシンジ。

「それと、常に胸張って歩きなさい。あと、自分を呼ぶときは、“オレ” よ?」

「わ、わかった」

相変わらずはいはい言うことを聞くのはシャクに触るが、まあ良しとしよう。

これからタップリ改善、もとい遊んであげるわ、ふっふっふっふ・・・・・。

含み笑いを洩らす少女を不思議そうに眺めるシンジである。

まったく知らぬがホトケだ。

「・・・で、アスカ、オレはこれからどうすれば?」

全くの不意のシンジの発言に、思わずアスカは足を止める。

「もう一回!!」

「え・・・? あ、オレはこれからどうすれば? っていったんだけど」

アスカは感動に打ち震える。

新鮮だ。はっきりいって新鮮だ。

あの情けないシンジが、どうにも男らしく見えるではないか!!

つと、アスカはシンジの横に並んでみる。

普段猫背気味の彼であるが、胸を張って背筋を伸ばせばアスカより拳一個分ほど身長は高い。

思わずシンジの腕を抱え込んでしまう。

「あ・・・、なにするんだよ、アスカ?」

「いいから、いいから♪」

腕を組んだ二人は街をそぞろ歩く。

小物屋を冷やかし、ブティックで試着して、クレープを食べた。

シンジを連れて歩いたことのない、いつものアスカのショッピングコース。

困惑しきりのシンジをひっぱり回しておいて、訊ねる。

「なんか思い出した?」

思い出せるわけがない。

苦笑して首を振る少年を眩しそうに見上げる。

はっきりいって、一連の行動、彼女の自己満足以外の何物でもない。

それでも嬉しそうにクレープを頬張るアスカである。

つられてシンジも微笑んだ。

傍目にも、いい感じのカップルに見えるデパートの屋上。

「君たち高校生でしょ? こんな時間になにしてるの!?」

全くの第三者の声に、シンジとアスカは思わずそちらを振り向く。

眼鏡をかけた表情の険しい中年の女性が、こちらを睨んでいる。

「まだお昼過ぎでしょう? 学校は終わってないハズよ」

ツカツカとこちらに近づいてきて、むんずとシンジとアスカの腕を掴む。

そして、自らは補導員だと名乗った。

「ここいらの高校で、創立記念日なところはないわ。もちろん今日は休日じゃないわね」

補導員自身はトドメを刺したつもりだったのだろうが、金髪の少女は煩わしそうに手をもぎ離した。

抵抗する気!? と身構える補導員に、アスカは自分の携帯を操作して手渡す。

「保護者よ」

拍子抜けたしたように携帯を受け取った補導員は、耳に当てながら二人を詰め所のほうに誘導しようとした。

通話が始まったらしく、補導員が足を止める。

最初は居丈高なイヤミたっぷりの口調だったが、やがて狼狽、ついで眼鏡の顔が青ざめた。

その表情を意地悪く観察するアスカ。

ふんふん、ミサトのヤツ、うまくやってくれてるみたいね・・・・。

まもなく、顔面蒼白、全身硬直した補導員が、バカ丁寧にアスカに携帯を返してよこす。

「すみません、失礼しましたっ!!」

鷹揚にアスカが頷くと、逃げるように行ってしまう。

改めて携帯を持ち直して、アスカは耳に当てた。

「ありがとね、ミサト」

『・・・まあ、いいけどね』

受話器の向こうの保護者の声は呆れている。

「で、なんていってやったの、あのオバさんに?」

アスカは弾む声で訊ねた。

『んー、あんたたちが国連指定のスーパーVIPってことを解りやすく教えてあげただけ』

「・・・あ、そ」

ミサトの説明能力に疑問がないわけではないが、深く追求しないことにする。

「とりあえず、シンジの記憶はまだ戻らないから、もーちょっとうろついてみるわ」

『へいへい。ま、ほどほどにね□。それと・・・』

ミサトの声にからかいの成分が混じる。

『デートするにしても、補導されるようなマネはしちゃダメよ□?』

「・・・!! 誰がデートなんかっ・・・・!!」

言いかけて、アスカは言葉を継げなくなった。

そう、シンジと二人でブラブラしているこの状況、デート以外のなんだというのだ?

さっさと通話をきって携帯をポケットに乱暴に押し込む。

「どうかした?」

「う、うん? なんでもないなんでもない。さ、行きましょ!!」

デパートから連れ出して、人気のない公園まで歩く。

食べ残しのクレープをゴミ箱にすて一息ついていると、唐突にシンジに訊かれた。

「ねえ、アスカ? 君とオレは、その・・・どういう関係なんだい?」

「え・・・・」

「まさか、ただの知り合い、なんてことはないよね?」

ただの同居人、と答えようとしていたアスカは完全に機先を制されてしまった。

言い淀んでいると、それをどう解釈したものか、シンジが嬉しそうに口を開く。

「そうだよね、ただの知り合いなわけないよね!! こうしてオレの記憶を取り戻すために色々助けてくれているわけだし」

そういってにっこり笑う。

屈託のない笑顔に、アスカの中でなにかがきゅんと音を立てる。

なぜか高鳴る胸を押さえながら、アスカは努めて冷静な声を出した。出そうとした。

「あは、あは、あははは・・・あったり前でしょ? 一緒に住んでいるわけだし」

「一緒に住んでるの、オレたち!?」

墓穴も墓穴、大墓穴を掘ってしまい狼狽するアスカに、シンジも驚きのあまり硬直してしまったらしい。

しまった、と舌打ちをしている暇はない。なんとか丸く収める説明はないかと、ボーゼンとする少年の前でアスカは頭脳をフル回転させる。

一緒に住んでいるなら、兄姉とかいう説明はどうだろう?

いやいや、文字通りこんなに毛色の違う兄姉はいないだろう。腹違い、なんて説明したら、更にややこしいことになりそうだ。

やっぱり前言を翻す? 

でも、なんかカッコワルイし、おまけにどういう経緯で同居しているのか、という説明も面倒くさい。

そもそもがエヴァ絡みのことであるからして、信じてもらえる自信がない。

じゃあ・・・・彼女?

アスカは思わず自分のホッペタを叩く。どういうわけか叩く前から熱かった。

これは・・・・まずい。とにかくまずい。

第一に、シンジの記憶が戻ったときこう明言してしまっていては、気まずい。

それに、彼女、恋人同士では、同居ではなく同棲である。

根本的に、あたしとアイツは恋人同士でも、なんでも・・・・。

際限なく加速、加熱していくアスカの思考、もとい妄想。

そしてとうとうバーストした。

公園内の手近にあったオブジェを抱え上げると、砂場に思い切り放り投げた。

「とりゃあああっ!!」

盛大に砂しぶきを上げる動物らしいオブジェを見て、さすがにシンジも我に帰った。他に観客がいなかったのは幸運である。

「ど、どうしたの、アスカ?」

肩で息をする少女に話しかける。

アスカは振り向くと、とびっきりの笑顔でいった。

いっそ、おもいっきり突飛なことをいってやれ。うんとバカバカしいことを。

あとで冗談だと笑いとばせるくらいのを。

「あんたと、あたしは・・・・・婚約者なの」

「フィ、フィアンセ・・・・・?」

「そう。だから将来にむけて、一緒に住んでいるわけ」

「・・・・・・・・・」

顔を真っ赤にして言葉を飲み込むシンジを眺める。

何考えてんだろ、シンジのやつ? まあいいや、ジョークになるよう補強しておこう。

「だけどね、あんた、婚約者のあたしにまだ婚約指輪買ってくれてないの。だから今から買いにいきましょ?」

ほとんど脊椎反射の趣きでシンジはコクコク頷いた。

アスカの目論見はこうである。

宝石店にでもいって、思い切り高い指輪を注文するのだ。当然キャッシュの一括払いを迫る。

しかし、シンジも自分と同じ金欠のハズである。なにせ、成人するまでミサトに給与口座を封印されているのだから。

支払いできず狼狽するシンジへ、「ああ、あんたダメねえ、それじゃ結婚できないわ」とかなんとかいって、一番安いアクセサリーでも買わせるのだ。

これなら、もしシンジの記憶が戻っても、笑い話にする自信がある。

・・・・それに、シンジと一緒に住み始めてこのかた、一度もアクセサリーの類をプレゼントされたことないわけだから、ちょうどいいだろう。

というわけでさっそくジュエリーショップへ向かう二人。

だが店に入る以前にアスカの目論見はもろくも瓦解した。

「ほら、まず、お金降ろしてきてよ」

店へ行く前に立ち寄ったATM。

「あ、ああ・・・。でも、暗証番号・・・・」

「あんたのことだから、絶対生年月日よ」

誕生日を教えてやって、ATMの中にシンジを押しやる。

こりゃ、店にいくまでもないかなあ、と待つことしばし、封筒を抱えてシンジが戻ってきた。

「ほら、大丈夫だったでしょ?」

彼の右手にもった封筒をひょいとのぞき込んで、アスカは唖然とした。

分厚い封筒の中には、お札がギッシリ。冗談抜きで百枚以上ありそうだ。

「これくらいで足りるかな?」

「え、ええ、そうね・・・・・・」

ひょうたんから駒、というか、嘘からでたまこと、というか、口は災いのもと、というか。

って、アイツこんなに貯金してたのぉ!?

激しく動揺しているアスカを、今度はシンジが引きずるように連れて行く。

ジュエリーショップの煌びやか光景を見ても、アスカの動揺は治まらない。

「ねえ、これなんか、どう?」

「ええ、ええそうね・・・」

泳ぐ目で値札を見れば、9500.000円也。

さらに驚いてると、シンジがあっさり店員へと声をかける。

「すみません、この指輪をください」

「ちょ、ちょっと待って・・・!!」

慌てて止めるアスカである。

「え? ダメなの?」

「あ、そ、そう、デザインがちょっと、ね。あ、あはははは」

「じゃあ、どれがいい? それとも、店員さんに見立ててもらおうか?」

「い、いいわよ、自分で決めるから」

というわけで、悩んだ末、アスカが選んだのはシンプルなシルバーリングだった。

しかも値段は20.000円。

結局、ここだけは当初の目論見通りなわけである。

まさか本当に馬鹿高い指輪を買おうとしてくれるとは思わなかった・・・。

包み紙を抱えながら店を出ても、まだ動悸が治まらない。

「本当にそれでいいの・・・?」

背後からついてくるシンジの声。

「いいのいいの、これくらいでちょうどいいわよ」

激しく手を振ってしまう自分が不思議だ。まったくどうかしている。

「そう」

またしてもにっこり笑うシンジに胸がジャンプした。

そして、自分だけ調子が狂っているのかと思ったら、どっこいシンジも様子が違う。

「ほら、行こう!!」

なんと、アスカをエスコートして歩き出した。

こちらもどういうわけか素直に手を引かれるアスカである。

メインストリートに分け入ると、夕方の人で混み合っている。

すれ違う人の視線が集まるのが分かる。

道行く男性から視線を注がれるのはいつものことだ。アスカは思う。

でも今日は少し様子が違う。

道行く女性が振り返る。彼女らが見ているのはシンジだ。

手を引かれながら、アスカはほんの少し気分が良くなった。






























さて、どんな楽しい時間にも終わりが来る。

そもそも本来のあり方と違うのだ。修正せねばなるまい。

とりあえず、指輪はもらっておこう。なにかあれば、あとで本人なりお店なりに返すとして。

アスカがそう思ったのはもうすぐ日が暮れるころ。

それにしても、ちょっと惜しいかも。

チラチラとシンジの横顔を盗み見てアスカは考える。

オレ口調の逞しいシンジもなかなか頼り甲斐がある。

かといって、僕口調のネガティブなシンジでなければ、シンジでないような気もする。

・・・・あたしはどっちのシンジが好きなんだろ?

即座にアスカは頭を振る。

今、あたし何を考えた!?

一生懸命頭を振って記憶を抹消していると、シンジが近づいてきた。

「どうしたの、アスカ?」

普段のおどおどした翳りが一切ないもんだから、とてつもなく印象が違う。

そこそこ、いや、かなりカッコイイ。

「い、いいから、そこでちょっとまってて・・・・!!」

いい置いて、アスカは慌てて距離をとる。

街灯がまだついていなくて幸いだ。赤らんだ顔を見られなくて済む。

シンジを路地裏に待たせておいて、アスカは表通りに出た。

ネオンも明るい通りは人々が流れるように歩いている。

適当な相手を見繕って、アスカは声をかけた。

「あの・・・・?」

いかにもガラが悪い連中に近づく。

三人組の中で、腕っ節が強いと自己主張しているように両肩まで剥きだした一人が振り向いた。

「わたし、タチの悪い男に後を付けられているんです。助けていただけませんか?」

精一杯しおらしい演技をして見せると、たちまち残り二人も立ち上がる。

この手の手合いが一番御しやすいのをアスカは承知していた。

あからさまに下卑た笑顔と、見返りを要求する三人組の視線を見送って、アスカ自身もシンジを待たせておいた路地裏へ戻る。

角から顔だけ出して覗けば、シンジが例の三人組に絡まれている最中だ。

・・・やっぱり、ショック療法しかないわね。




シンジをチンピラたちに襲わせる
     
      ↓

ボコボコにされ、シンジは自分のヘナチョコぶりを確認。記憶が戻る。

      ↓
  
そのシンジをあたしが颯爽と助ける

      ↓

シンジ、感謝。いつもの関係が復帰。恩の着せ方によっては、更に立場の強化も可。

       


アスカが考案した作戦は、まさに一石二鳥といえる。

不幸なのは、アスカに乗せられたチンピラ三人組だ。彼女に声をかけられた時点でバッドエンド確定だったのだから。

さて、そろそろ助けにいきましょうかねぇ。

勇んで路地裏に踏み込もうとしたアスカの傍らを、黒い塊が飛んでいく。

「!?」

よくよく見れば、それは例の腕っ節の強そうなチンピラの一人だった。

「あ、アスカ。こいつら、なんか知らないけど、いきなり襲ってきて・・・・」

他の二人を昏倒させて、シンジはいかにも困ったような表情で路地裏にたたずんでいた。

その顔、格好は完全に無傷。

「そ、そう・・・・」

動揺を隠すように、かいてもいない額の汗を拭うアスカ。

そりゃあ、あたしの攻撃に耐えられるようなやつだもの。そこそこ強いのは知ってたけど・・・。

背後の通りが騒がしくなった。

どうやらさきほど吹っ飛ばされたチンピラを、誰かが見つけたらしい。

「・・・とにかく、逃げましょ!!」

「そうだね。面倒なことになりそうだし」

あっさりシンジはうなずき、二人は連れだって逃走する。

もともと運動神経は悪くないアスカである。今日のシンジもリミッターが外れたかのような身体能力を発揮している。

二人はたちまち繁華街の喧噪から遠ざかる。

色々と複合的なうしろめたさもあるものだから、アスカはめいいっぱい走り抜けた。

そして、着いた場所は最悪だった。彼女にとって。

そこは湖が望める展望台。

偶然にも人気はなく、湖畔に映る太陽の残光が最高にロマンティックだ。

ムードに弱い女の子なら、それだけでメロメロになってしまいそうな状況。

こ、これはマズイかも・・・・・。

呼吸を整え、ねぇ、シンジ、場所変えない? と振り向いたせつな、抱きすくめられた。

え・・・・。

汗とシンジの匂い。

視界に映るのは、橙色に染まった彼のシャツ。

「ちょ、ちょっとやめてよ・・・」

もがくけど、なぜか力が入らない。

「ねえ、アスカ」

次の言葉を待っている自分がいる。

「キス・・・したい」

「・・・・・・・・・・・・・!!」

頭が、顔が沸騰する。
 
「ダメよ、ダメダメ!!」

顔を伏せて、どうにかそれだけ言う。

「いいじゃないか。君がいったんだよ? オレたちはフィアンセだって・・・・」

「だけど・・・・・!!」

自業自得ながらも必死で抵抗するアスカであるが、顎に指をかけられ、上を向けられた。ゆっくりとシンジの顔が近づいてくる。

思わず眼を閉じてしまい、アスカはますます顔を真っ赤にする。

なによ、これじゃあたしのほうからキスしてっていってるみたいじゃない!!

顔が近づいてくる気配。

・・・・ちょっとだけなら、いいかな? 初めてじゃないし。むしろ二回目だし。

諦めと嬉しさが彼女の中で錯綜する。

でも、でも・・・・・・・!!

彼の吐息が唇へ触れて・・・・・・。

「やっぱりダメーーーっっ!!!」

アスカはシンジを思い切り突き飛ばした。

彼女の17年間の人生において、怒りで突き飛ばすのならともかく、恥ずかしさのあまりに相手を突き飛ばしたのは初めての経験だった。

だから加減できなかったとしても、誰も彼女を責められまい。

「・・・・・シンジ?」

おそるおそる薄目を開けてみる。

いない。シンジの姿がない。

視線を下げると、地面にぐったりと横になっているシンジの姿があった。

彼の頭の下には、コンクリートのでっぱりがあった。
















「外傷はたんこぶ程度。CTスキャンも脳波も異常なし」

またしてもシンジが搬送された病院で、赤木博士はファイルを閉じる。

「アスカ、あなた、今度はなにしたの・・・?」

金髪の少女はブルンブルン首を振る。

「別にあたしは自分の権利を守っただけ!! 正当防衛よ!! 不可抗力よ!! 業務上過失傷害よッ!!」

「・・・・・・・・どれよ?」

処置なし、といった風にリツコは二人きりの部屋で眼鏡を外した。ちなみのこの場にミサトはいない。

なお顔を真っ赤にしている少女を眺めていると、卓上から機械音が響く。

『患者が意識を取り戻しました』

受話器を肩に当て、リツコは目前の少女に視線を送る。

「シンジくんが意識を取り戻したって」

なぜか複雑な表情になるアスカの顔を不思議に思っていると、受話器からくぐもった声が続いている。

『意識は取り戻しましたが、しかし・・・・・』


















「・・・今までの記憶は戻ったけど、記憶喪失の間のことは思い出せない、ですってぇ!?」

「う、うん・・・・」

アスカの素っ頓狂な声にシンジは答える。いまやいつものおどおどシンジだ。

ベッドの前で金髪の少女は考え込む。

基本的にめでたい。これでいつもどおりなのだから。

しかも、都合の良いことに今日の日中の記憶はない。

はっきりいって完璧だ。

でも・・・・。

ブツブツ呟きながら視線を逸らすアスカを不思議そうにシンジが眺めていると、連絡を受けて駆けつけてきたミサトが飛びついてくる。

「よかった、シンジく□ん!! これで飢えずにすむわ□!!」

「・・・それは切実ね」

リツコの皮肉も、ミサトの歓喜の炎に水をかけるには至らなかったようである。

「さあ、さっそく我が家に帰りましょうか♪」

とミサトがシンジの腕をとって連れていこうとするのを、リツコが慌てて制止する。

「だめよ!! いくら異常がないからといっても、今日ぐらいは入院して様子を見なきゃ・・・!!」

そこで反論したのは、ミサトでもアスカでもなく、シンジだった。

「僕なら大丈夫です。帰りますよ、リツコさん。でないと、洗濯物やら夕飯の仕込みやら、無駄になってしまいますから・・・」

「・・・本当に、いいの?」

「ええ」

リツコはシンジの眼をのぞき込むが、その眼は強制労働者の眼ではなかった。

「シンジくんがそこまでいうなら・・・いいけど」

渋々許可を出すリツコの傍らで、諸手を打って喜ぶミサト。

「あなたたち、もっと自分で家事ができるようになりなさい!!」

リツコがそう怒鳴りつけ、締めくくった。















夜の葛城家。

帰ってきたシンジはせっせと精力的に家事をこなしている。

「しっかし、本当に記憶なくしてたときの記憶はないの、シンジくん?」

ビール片手にミサト。自分で質問しておいて、ああ、ややっこしいわねぇ、なんていっていれば世話はない。

「ええ、ホント、覚えてないんですよ。・・・でも、アスカがずっと近くにいたような・・・?」

その返事に、びっくと肩を振るわせるアスカである。

箸先からサンマの南蛮漬けの塊が卓上にこぼれた。

「どしたの?」

ミサトの訝しげな声に、アスカは勢いでごまかす。

「そ、そうよ、あたしはずっとシンジの側にいて、記憶が戻るよう奔走してあげたのよ!!」

嘘ではない。少なくとも半分以上は本当だ。

「そうだったんだ・・・。ありがとう、アスカ」

お礼をいってくるシンジの微笑みは、今は相手の様子を伺うような感じがする。

我知らずため息をつくアスカに、ミサトが首を捻った。

「でも、そもそも、シンちゃんが記憶なくしたのは、全部アスカのせいよねぇ?」

「・・・そういえばそうですね」

あっさりシンジが同意する。

「・・・・・・・・」

無言でご飯をかき込んだアスカは席を立つ。

「ごちそうさま!!」

「あれ、もういいの?」

訊ねてくるシンジにむかついた。

悪意はないのはわかっているけど、むかつくのだ。

「これ以上食べたらミサトみたいに太っちゃうもん!!」

わざと不機嫌をよそおって、ドスドスと席を立つ。

ちょうどビールを飲んでいたもんだからむせかえるミサトと、シンジの声を背中にキッチンを出た。

「あ、アスカ、あの指輪、返さなくてもいいからね」

「わーってるわよ!!」

首だけ後ろを向いて、歯を剥いて見せる。

そして自室に戻り乱暴にドアを閉めて――――――。

・・・・ちょっと待って? 今、あいつ、指輪っていってなかった!?

アスカは自室のドアを弾き飛ばす勢いで廊下へ飛び出し、キッチンへと駆け戻る。

「シンジっ!! あんた、記憶なくしたなんて嘘でしょ? そもそもいつから記憶戻ってたのよっ!?」

急に飛び込んできたアスカの剣幕に、シンジはビクッと身体を震わせる。

「は、は、は・・・。いや、その・・・」

「デパート行ったとき? 公園行ったとき? それとも展望台で・・・!?」

時間が早ければ早いほど最悪だ。

遅くても、展望台だったら・・・・・やはり最悪の極みだ。

アスカの反論を許さぬオーラに圧倒され、シンジはゆっくりと口を開く。

「じ、実は・・・・・・・・」

その時アスカは気づいた。すぐ隣に興味津々のミサトの顔。

アスカの顔が紅潮する。本日何度目か数え切れない。

「・・・それ以上、しゃべるなーーーーーっ!!」

思わず手近にあった圧力鍋を投げつけてしまう。

狙い違わず、鍋はシンジのコメカミにクリーンヒット。

昏倒したシンジはそのままピクリともしない。

五分ほど経過して、ミサトがノコノコとシンジへ近づく。

「ありゃ、白目剥いてるわ」

「・・・・マジ? 救急車救急車!!」

















ネルフ直下の病院にて。

「きおくそおしつぅ!?」

アスカとミサトの声がまたぞろこだました。















そして話は冒頭に戻る――――――。




















Act7に続く












三只さんから『Lady And Sky』のAct6をいただきました。

記憶喪失、ラブ米ねたの定番ですね。

でたらめを言う周囲の人達も、
らぶらぶになってしまうシンジとアスカも定番ですね(笑)

シンジにとっては災難でした(笑)

なかなか素敵なお話でした。みなさまもぜひ読後の感想メールをお願いします。

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