シンジ・・・・つらいよ・・・



ダメだよ、最後までしなきゃ・・・・・



うう・・・。こんなツライなんて、思わなかったわ・・・・



白磁の頬を、珠のような涙がつたってこぼれる。



もう少し・・・



ほら、もう少し・・・・




最後の一振り。



少女の顔は涙でグショグショだ。



しかし、その表情の中にも、ほのかな歓喜が伺えるのは気のせいだろうか?




これで、これで、おしまいなのね? できるのね?



・・・・・いやいやいや、これからが本番なんだよ?





















Lady And Sky


Act3: 美味しいカレーの作り方

作者:三只さん














「はああああ・・・・。ほんと、玉ねぎ切ると、涙でるのね」

タオルで顔中を拭いながら、アスカはしみじみと述懐した。

家事はしない、反省しない、気にしない、のサンナイ女王の面目躍如の発言である。

では、そんな彼女がなぜに料理をしているのか?

「じゃ、あとはシンジにバトンタッチね♪」

軽やかな足取りでキッチンを出て行こうとしたところで、肩をむんずと掴まれる。

「ダメです」

シンジの目つきは険しい。

「なんで?」

アスカも反論する。「あたしの分担は終わりでしょ?」

少年の口から嘆息がもれる。続いて、彼はキッチンの天井を見上げた。

それから、あらためて同居人たる少女を見やる。

流れにすれば、下を向いて、上を見て、前。

「えーと。まず、美味しいものを食べたい!! といったのは、誰かな?」

「はーい」

元気いっぱいに白い腕が突き上げられる。

「まあ、あんたの作るものはたいてい美味しいし、まずかったらぶっとばすだけだけどね」

と、誉めてるのかなんなのか判らないコメントも付ける。

「・・・では、次の質問です。料理を作るにあたって、必要なものは?」

腕組みしつつ、シンジ、第二問。

「えーと、技術と愛情かな、きゃは♪」

「・・・・アスカ、わざとやってるでしょ?」

シンジのこめかみに微かに青筋が立つ。

だんっ!! とテーブルが叩かれ、蒼い瞳の前に、数枚の紙が提示された。

ちなみにその紙片の表題は、請求書と領収書が半々。

「料理を作るのに必要なのは、まず材料!!」

珍しく、非常に珍しく強気のシンジ。

「そして、食材は、お金がなきゃ買えないの!! わかる?」

一方、これまた超絶的に珍しいことに、タジタジとなるアスカがいた。

「ほら、そこを何とかシンジの熟練の腕で・・・・」

スルドイ叱責の視線をうけて、語尾が尻すぼみになる。

なぜにこのような珍妙きわまりない光景が生じたのであろうか。

簡潔に説明すれば以下のようになる。





万年金欠少女ことアスカは、クレジットカード、もしくはツケで買い物をすることを覚えた



当然、それらの請求書は、住所であるコンフォートマンションへ



支払いを迫られるも、保護者は出張中で不在



シンジ、小遣いを提供するも追いつかず、食費まで提供するはめに




わかる方にはこの一連の流れの中に生じた激しい葛藤が感じ取れることだろう。


で、請求がきた三日前から、家主不在の葛城家では貧弱極まりない食事が続いている。

最初の一日こそ特売のインスタントラーメンでしのいでいたが、二日目もカップめんと非常食のカンヅメのカップリング。

三日目の今日、アスカは悲鳴をあげた。

美味しいものが食べたい!! と。

アスカに対する罰も込めて、あえて粗食を貫いていたシンジだったが、彼もいい加減辟易していた。

というわけで、アスカが手伝う、という条件つきで料理を作ることとなった。

メニューは、王道にしてアレンジのしがいがあり、かつ安くあげることもできるカレーである。

「とにかく、いい? 美味しいカレーを作るには、玉ねぎを炒めなきゃなんないんだよ」

「なんだ、炒めるくらいするわよ」

フライパンを受け取り、火にかざすアスカ。

油をしく、というか、ぶちまけて、早速炒め始める。最大火力で。

「わあっ、まったまった!!」

「なによ?」

「そんな強火じゃこげちゃうでしょ!?」

「はやく炒まっていいじゃない」

アスカの手からフライパンを取り上げ、シンジは今日何度目かわからない溜め息をつく。

「玉ねぎは、飴色になるまで、ゆっくり炒めるんだよ。これが美味しいカレーを作るコツなんだから」

「へ〜」

説明しながらシンジは中火に火力を設定し、あらためてフライパンをかざす。

そしてフライ返しでゆっくりと玉ねぎを揺すってみせる。

「わかった? じゃあ、アスカ、代わって」

「はいはい」

アスカのぎこちない手つきに眉をしかめながらも、シンジは他の材料の準備に取り掛かる。

カレーに入れる肉は、100グラム58円の牛スジ肉だ。

安い分、そのまま茹でただけではとても食べられないが、じっくり煮込むと美味しい。

ただ、下処理もそれなりにかかる。

丁寧にスジを切断、肉を分けていくシンジの傍らで、アスカはフライパンを扱う。

炒める。

ひたすら炒める。

「・・・・なんか、ぜんぜん飴色になんないんだけど?」

「ああ、飴色になるまで、1時間半くらいかかるから」

「却下!! 時間の無駄よ!!」

アスカは全力でフライ返しを放り投げる。

即座に空中でフライ返しをキャッチするシンジ。

驚くアスカにわざとゆっくりと返しながら、少年の目はすわっている。

「だ・め!!」

いつになく強気である。しかも、奇妙な迫力まである。

「・・・・う。わ、わかったわよ」

半ば機械的にうなずき、機械的に作業を再開するアスカ。

逆らいがたいオーラに気圧されながら、黙々と作業を続けること一時間半。

終始無言で自分の作業を続けていたシンジから、尊大ともとれる態度でOKのサインがでる。

フライパンの中で、およそ1/5以下に体積を減らした玉ねぎを見下ろし、アスカは溜め息と伸びを同時に行うという器用なことをしてのけた。

やっと作業が終わった安堵からか、ようやく彼女持ち前の軽口も復活する。

「いやー、やっぱ、こーゆー地味な作業は、あたし向きじゃないわよねぇ?」

「だったら、肉でもさばいてみる? ああ、君の場合、肉をさばく以前に、牛を捕獲してくるほうが得意か」

「・・・・・・!!!」

反論しようとして、結局アスカは言葉を飲み込む。

繰り返すが、今日のシンジには本当に妙な迫力があるのだ。

どうにもとことん分が悪い。

「それにしても、ずいぶん少なくなるのね、玉ねぎ。なんか損した気分・・・」

息苦しさを覚え、アスカは強引に話題を変える。

「そりゃそうだけどね。ちょっと食べてみる?」

シンジがスプーンを渡してくる。

ややためらいながら、アスカはスプーンでドロドロになった玉ねぎを口に運んだ。

「・・・・あまーい!! これほんとに玉ねぎ!?」

掛け値なしの驚愕の声に、ようやくシンジの表情も緩む。

「どう? びっくりしたでしょ? 料理は手間をかけるだけで、いろんな味を生み出すんだよ・・・って、そんなに食べちゃだめだよ!!」

スプーンを頬張るアスカを慌ててフライパンから遠ざける。

「うう、もう一口・・・・」

スプーンをくわえたまま恨みがましい視線を注いでくるアスカを牽制する。

「あーあー・・・」

炒められた玉ねぎの1/4が消失していた。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。

「とにかく!!」

自分自身を鼓舞するように大きめの声を出し、シンジは残った玉ねぎを、鍋へと移動させた。

更に、下処理したスジ肉も投入する。

「水、入れる?」

アスカがミネラル・ウォーターを引っ張りだしてくる。

対して、シンジは不敵に笑った。

「ここで、秘密兵器の登場です」

ごそごそと、キッチンのサイドボードを漁った彼は、一本の赤ワインを引っ張り出してきた。

奇跡的に手付かずの一本は、安い安い輸入ワイン。

ビール党のミサトが手を出すほどの味でもないわけで。

「・・・そんな安物、どうすんの?」

訝しげな表情になるアスカに、シンジは抜詮しながら片目をつぶって見せた。

「安物で十分なのさ。要は使い方だよ」

ドボドボと鍋の中に1/3ほど注ぐ。そして火にかけた。

「そっか。牛肉とワインは相性バッチリだもんね」

「そゆこと」

感心しきりのアスカを尻目に、シンジは買い置きの棚を捜索する。

ほどなく、業務用の大きな固形カレーの箱を引っ張りだす。

不意にその表情が歪んだ。

「あれ?」

箱から中身を出してシンジは首をひねる。

「おかしいな?  まだルウは半分は残っていたと思ったのに」

黒茶色の固まりは、彼の予想の半分に目減りしていた。

「アスカ、知らない?」

「あたしが知ってるわけないでしょ!?」

「そりゃそうか・・・」

腕組みする少年の肩越しに、黒茶の固まりを眺めるアスカであったが、不意にその両眼は細められた。

「シンジ・・・・」

「ん?」

「あのさ、ミサト、出張へ行く前の夜遅くに、一人で晩酌してたわよね・・・?」

「みたいだね。僕は早く寝ちゃったから、よくわかんないけど」

「・・・あのとき、ミサトがツマミ代わりに齧ってたの、それにそっくりなんだけど・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

吐き気と目まいを同時に覚え、シンジは思わずよろめいてしまう。

「ま、まあ、毒ではないからね・・・」

頭痛を覚えつつ、シンジは食卓の上にある財布へと手を伸ばした。

「どっか行くの?」

「ルウを買ってくるよ。だから、アスカはアクを取りながら鍋を見ててよ」

玄関で靴を履きながら指示する。それでも少女は不安そうだ。

「悪? なんか、悪いもんでもでるの、あの鍋?」

「・・・・・・いいや、鍋が焦げたり、もしくはガスの火が消えないようにだけ、みてて」

シンジ自身も一抹の不安を感じつつ、マンションをでた。

















さて、残されたアスカ嬢。

ぐつぐつ煮立つ鍋とにらめっこ。

はーやーく煮えないっかな♪

あれだけ手間をかけたのだ。美味しいに決まっている。

想像しただけでヨダレじゅるじゅるだ。

にしても、ちょっと臭いかな?

たしかに温まったワインと肉のブレンド臭は、空腹にも関わらず不快なものに感じる。

換気扇を回しながら、アスカ考える。

この臭い、どうしたものか。

結論。

赤ワインをもっと増やせば、肉の臭いは消えるはず。

鼻歌交じりに彼女は残った赤ワインを鍋へと投入した。

一滴残らず。

















さて、葛城家台所番シンジくんは。

カレーのルウの買い足しということで、近場のコンビニでも十分なのだが、いやいやここは節約とばかりにスーパーまで足を伸ばした。

特売158円のルウをゲットし、上機嫌でマンションに帰りついた彼は、玄関まで溢れる臭気に慄然とする。

「アスカぁ!?」

キッチンへ駆け込むと。

マスクにサングラス、果ては安全第一と書かれた黄色いヘルメットを被った少女が、サイドボードの陰から鍋を伺いつつ、こうのたもうた。

「シンジ。あのワイン、腐ってたみたい・・・・」
























人間の性質において、『If』という思考がかならず存在する。

すなわち、あの時こうしていれば、別の選択をしていれば――――――――――

後悔と回想に二分されるそれは、大半が前者に帰結する。

そして、それこそが歴史の本質なのである。

むろん、それらを認識しうるのは我々が人間であるためであり、であるからこそ、我々は歴史を学ばなければならない。

将来の後悔を少なくするために―――――。











「・・・・あのさ、耳元でわけわかんないこと朗読しないでくれない?」

シンジは顔をしかめる。

「ええと、励ましたつもりなんだけど・・・?」

『超絶プラス思考・これであなたも利口に見える屁理屈集』というタイトルの本を抱えたままアスカは小さく舌を出した。

愛らしくしおらしい姿という大盤振る舞いなのだが、シンジにはそれを堪能する余裕はない。

目下の彼は、大々的な外科手術を施行していた。

不気味な黒紫色の煮立つ液体は甘渋いというかなんというか、猛烈な臭気を放っている。

まず、カレールウを投入。

まだむせ返るような臭気を発するそれに、牛乳やターメリック、各香辛料をブレンドする。

ようはアスカの後始末である。

別段弁護が必要とは思われないが、シンジも焦っていた。取り分けるとか、稀釈する、ということまで思いもよらぬ。

ましてや捨てるなど論外だ。

「まったく、ワインが腐ってるわけないだろ」

「いやね、ほら、多くすれば美味しくなるかなーって・・・・・・・・ゴメンナサイ」

さすがのアスカも素直に謝る。

どうにか中和に成功したらしく、鍋の中味はカレーらしくなった。

しかしながら、かほりが普通のものとは違う。微妙に違う。いや、おおいに違う。

色だって、どこか赤みがかってる。

「・・・味見してみる?」

額の汗を拭いつつシンジが聞けば、

「あんた、こんなときばかりレディーファーストなんていうんじゃないでしょうね!? 冗談じゃないわよ!!」

と、アスカはにべも無い。

おまけに、もともと君がいけないんじゃないか、というシンジの呟きを圧殺するように提案する。

「そうよ!! ファーストを呼びましょ!! 」

「綾波はベジタリアンだよ・・・・」

「そんなの、肉だけ除けて食べさせりゃいいでしょ!?」

すったもんだの挙句。

「・・・じゃあ、二人同時だよ? 恨みっこなしね」

「わかった。じゃあよそうわ」

キッチンテーブルに並べられた二つの器。

盛り付けられたカレーが、まだ食欲より不安を掻き立てる匂いを放っている。

結局、二人で同時に頬張る、という折衷案に落ち着いた。

やたらとテーブルセッティングに時間をかけ、二人は食卓へとつく。

「・・・・では」

「いただきます・・・」

ここまできて躊躇するほど、二人とも往生際は悪くない。

一対のスプーンが閃く。

熱い液体と交じり合ったご飯が、それぞれの口の中へと解き放たれた。

「・・・・・・!!!」

「・・・・・・・!!?」

もぐもぐ、ごっくん。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・?」

二人とも、無言で視線を交わしあい、また一口。

ゆっくりと咀嚼して、二人は申し合わせたように首をひねる。

「これは・・・・・」

「はっきりと不味い、ってわけじゃないけど、食べれるわよね・・・」

「おいしいってわけでもないしなあ」

「微妙だわね・・・・」

「微妙だよ、これは・・」

口に含んだ風味は、酸味というかなんというか、ワインの味の残滓が強烈である。

味は甘くて渋みがあり、もちろん辛い。

だが、決して食べられなくないほど不味くはないのだ。

珍妙な表情をうかべ、二人が黙々と夕食を進めていると、玄関の開く音と調子っぱずれの歌声が同時に響いてきた。

「・・・・むっすっめさん、よーくきーけよ、ヒゲ男にゃほぉーれーるなよ〜♪・・・・」

『助かった!!』

二人は口に出さず内心で異口同音に絶叫していた。

争うようにミサトを出迎える二人。

「ただいま〜。あ、シンジくん、遅れてごめんね、これ今月の生活費・・・・」

ミサトがいい終わらぬうちに、シンジは保護者の手からお金の入った封筒を奪い取り、かわりにアスカの領収書を押しつけている。

領収書の束に首を捻ってると、今度はアスカが抱きついてきた。

「わーい、ミサトだあ!!」

「な、なによ、どうしたっての・・・?」

戸惑いながらも、あら、あたしが留守にして二人ともやっぱり寂しかったのねん、とミサトは内心満更でもない様子。

「ねえねえ、ミサト!! あたし、ミサトのためにカレー作ったんだよ!! 食べて食べて!!」

アスカの口から出任せに、シンジは思わずのけぞる。でも、否定しなかった以上、彼も同罪だろう。

「あら、アスカが作ってくれたの〜?」

その自称製作者に腕を掴まれキッチンに誘導されつつ、ミサトの顔にも不安の色が掠める。

自慢じゃないが、互いの料理の腕は同レベルだと思っているのだから。

旅装をとくのもそこそこに、ミサトはキッチンの椅子に座らされた。

「さ、さ、食べて食べて♪」

アスカに急かされて、流石にミサトも鈍感ではないから、不審に気づく。

さりげなく視線をシンジに向けて事情を窺おうとするが、寸前アスカの肘鉄をミゾオチに受け、彼は床で悶絶している最中だ。

それでも、ややためらった挙句、スプーンを口に放り込んだのは、彼女なりの年長者としてのプライドの現れだろうか。

・・・・もぐもぐ、ごっくん。

・・・・・・・。

アスカとシンジの注視するなか、ミサトは絶叫していた。

それも賞賛の声だった。

「おいし〜い〜〜〜〜っっ!!!!! ほんとにコレ、アスカが作ったの!?」

保護者の賞賛に、被保護者の少女は満面の笑顔の裏でガッツポーズを決めていた。

このケッタイなカレーの片付く目途がついたのだ。喜ぶまいことか。

一方、非保護者の少年は、自己嫌悪に打ちひしがれていた。

ああ、とうとう僕は『ミサトさんの口にしか合わない料理』を作ってしまった・・・・。

そんな彼の葛藤に関わらず、このミサト専用カレーは、翌朝には完全に消費、殲滅された。














以上が、シンジの家事人生においてに唯一の黒星であり、アスカ唯一の大金星である。

むろん、これで彼の価値が下落することはなかったが。

ただ、これまた唯一の弊害が生じた。

その後、『得意料理はなに?』と訪ねられたアスカは、自身満々で『玉ねぎを飴色になるまで炒めて、牛肉と赤ワインでじっくり煮込んだカレー』と公言して幅憚らなくなったことである。

そのたびにシンジは軽い頭痛に襲われるのだった。



















END Act4に続く?


三只さんから『Lady And Sky』第3話をいただきました。

最初、これはいったいナニかと思ってしまいましたよ(笑)

カレーだったとは・・・

それにしても・・・アスカの料理の腕前がミサ徒レベルだなんて、先が思いやられますねぇ・・・アスカのことだから気合入れて努力すれば向上しそうですけど。

素晴らしいお話を書いてくださった三只さんに是非感想をお願いします。