Lady And Sky
〜second air
Act1: 彼女ノトナリ
高校の中庭の北のベンチ。
そこは彼女の指定席だった。
金色の髪。青い瞳。日本人離れした色彩に加え、整った目鼻立ちは日本人の美意識にも非常に訴えるものがあった。
憧憬のまなざしの生徒たちは、彼女がクォーターであることを聞いて納得することしばしばである。
なるほど、だから名前の響きだって可憐なのか。
彼らは異口同音に胸中で呟く。
惣流・アスカ・ラングレー。
…どちらかというと勇ましい名前だと思うのだが、夢見る彼らにとって意味を成さない。
甘い響きを、それぞれが胸の内に抱える彼女の鏡像に反射させているのは間違いない。
なのにタチが悪いことに、その鏡像より美しいのだ、現実の彼女は。
今日も昼休みそうそうベンチに腰を下ろし、優雅にカバーを掛けた本を広げている。
これで読んでいる本がボードレールやリルケの詩集ならともかく、『九州ラーメン紀行』だったりする。
彼女の嗜好や性格は目に見えるわけではないし、ましてや本のタイトルや内容まで余人に見えない以上、なんとも絵になる光景だ。
ゆえに、男子生徒らの憧憬は益々濃くなっていくのだが、それは全て新入生に限った話に留まる。
在校生は知っている。
入学してから三ヶ月も経てば、どんな鈍感な新入生だって気づくことになる。
惣流・アスカ・ラングレーは誰の告白も受けつけたりしない。
彼氏なんていないと公言して憚らない。
そんな彼女の側に唯一存在する少年。
やがて憧憬の視線は『疑念』に代わり、『茫然』へと推移し、『諦観』で落着する。
彼女らが高校生活を送って来た二年間がそうだった。
しかし、三年目にして、ようやく微妙な変化が加わることになる。
もっともこれは当事者の二人に限ったことになるが。
今から語るのは、そのお話。
「ねえ、シンジ。お昼のことなんだけど…」
「え? どうかした?」
自席でシャープペン片手に振り仰いでくる少年に、アスカはなぜか言いよどむ。
そして、非常に珍しいことに、
「…やっぱ、何でもないわ」
との歯切れの悪い言葉を置いていってしまう。
後に残されたのは彼女の背中に首を捻るシンジである。
どうしたんだろう? なにか機嫌を損ねることでもしたかなあ?
結局、教室を出て行くまでアスカを見送ってから、シンジは委員長こと洞木ヒカリに声をかけた。
「ねえ、洞木さん。アスカ、どうかしたの?」
親友と公言して憚らないアスカとヒカリである。質問する相手としてはまさに正鵠。
とりあえず、分からないことがあったら委員長へ。
クラス内の不文律は、ことアスカに関してはプライベートにも適用されるのだ。
もちろん、ヒカリもその件に関してはシンジにしか答えないが。
シンジの幾度となく訊き慣れた質問に、ヒカリはじーっと見つめてきた。
臆するというよりきょとんとしてしまうシンジに、委員長は、彼女にしては珍しく遠回しな表現を用いた。
「アスカはね、優しくなったのよ。今の碇くんなら、分かるでしょう?」
「はあ…?」
予期せぬ返答に、シンジは首を捻らざるを得ない。
優しくなった?
相変わらず家では僕を平気で蹴飛ばすし、家事だって一切しないしなあ…。
卑近なレベルで考えてしまったのは、まあ仕方のないことだろう。
以前ほど理不尽な叱責を受けることがなくなったのは、果たして優しさに分類されるものだろうか。
いや、それは単に自分の対処能力が上がっただけのような気がする…。
このとき、シンジ自身に作用した力は、太陽を直視する行為に等しい。
あまりの眩しさだけに全体の印象が決定されてしまい、細かい変化に気づきづらい。
その太陽と身近に暮らしているのだから尚更だ。
それにしても、どう考えても先ほどのアスカの態度と委員長の答えが繋がらない。
「えーと、よく意味が分からないんだけど…」
恐る恐る言うシンジ対し、ヒカリが浮かべた表情は、ただの苦笑と呼ぶには複雑過ぎた。
だからといって、本当に鈍感ねぇ碇くん、などとたしなめないのが彼女の良いところ。
結局、「お昼休みに、中庭をこっそり見てみるといいわ」と教えてくれた。
とりあえず礼を述べるシンジの耳に、ヒカリの心の声はもちろん届かなかった。
全く、不器用なんだから、二人とも…。
そしてお昼休み。
いつものように弁当を食べ終えたアスカは、早々に教室を後にする。
行き先は、中庭のいつもの場所だろう。
いくらシンジでもそれくらいの動向は把握している。
じゅうぶん時間を置いてから教室を出て一階まで下り、こっそり中庭を覗いてみた。
北側のベンチに……いた。
アスカは優雅に足を組み、膝の上に本を広げている。
特に変わった様子は見受けられない。いつもの彼女だ。
一体、委員長は何を言いたかったんだろう?
首を捻り、それでも覗き続けるシンジである。
そのまま10分ほど過ぎたろうか。
麗らかな中庭の光景に、変化が生じた。
ぎこちない動きの男子生徒が、北のベンチに向かって歩いている。まだ真新しい制服から新入生だと見て取れた。
ギクシャクとした足取りが、一旦アスカの方を向いて、右に逸れた。
そこから左右に数歩ほど移動を繰り返す。まるで逡巡そのままの足取り。
ようやく意を決したらしく、男子生徒がアスカの前で足を止めた。
ベンチを正面から覗く位置にシンジはいたので、生徒の顔は見えない。
代わりにアスカの表情はよく見えた。
声をかけられたのだろう。アスカの上げられた顔。
読書を中断させられて怒ってはいなかった。素っ気ない風でもなかった。
むしろ、そこに普段の彼女らしからぬ表情を見いだし、シンジは衝撃さえ覚えた。
アスカが…困っている?
アスカの浮かべた表情は困惑と表現するのが最も適切だろう。
しかしながら、その複雑な内訳までシンジには看取しえなかった。
ただ驚きの表情を浮かべて、困ったような笑みを作るアスカを眺めるのみである。
距離があるので、会話までは聞こえない。
でも、男子生徒の肩が露骨に上下したのは分かった。
続いてアスカの取った行動には、シンジは本気で我が目を疑ってしまう。
なんと彼女はベンチから立ち上がり、軽く金髪を下げたのだ。
しばらく立ったまま向かい合った二人だったが、結局男子生徒は小走りでアスカの前から去ってしまっていた。
軽くため息を漏らしベンチに腰を下ろすアスカに、シンジの驚きは未だ冷めやらない。
あの、他人に頭を下げるのが何より嫌いなアスカが!?
その希有な光景が、昼休みの残り時間にもう数回繰り返されたことにより、とうとうシンジも開いた口が塞がらなくなる。
一体全体、どうしたんだろう、アスカ……。
放課後、マンションに帰還してからも、アスカの表情を注視してしまう。
昼休みの光景が脳裏に焼き付いていたのもあるが、それにも増してアスカは憔悴しているように見えた。
まるで自慢の金髪もくすんでいるよう。
どうしたの? と直截的に質問をするほどシンジも馬鹿ではない。同時に度胸もない。
ゆえに彼に出来る気づかいは、食後に黙ってダージリンティーを淹れて持って行く程度である。
「ありがと」
短く礼を言って手ずからカップを受け取ったアスカだったが、一口だけ啜ってテーブルの上に置いてしまう。
その様子を心配そうに一瞥してから、背を向けて夕食の後かたづけを再開するシンジ。
下ろし金を洗う途中、思わず指を擦り落としそうになる。
文字通り、背中に突き刺さるような視線に振り返れば、そこには青い瞳。
「どうしたの?」
と訊ねるより早く、ブルーアイズが鋭く尖る。
思わず震え上がるシンジに、ふっと表情と視線を弛めて、アスカは口を開いた。
「シンジ、明日から、お昼付き合いなさいよ」
何気ない口調に反して、シンジは平静でいられない。
「ええええと、どどどどどうしてかな? かな? かな?」
「…なんでアンタがそんなにドモるのよ?」
不可思議な視線に晒され、必死で取り繕うシンジだったが失敗。更に地雷を踏みまくる。
「いや、そんな深い意味はないよ、うん。キミが困ってるなんて全然思ってないし中庭なんか見てもいないし…」
「!!」
アスカの頬にさっと朱が差す。立ち上がり、赤い唇が攻撃的な形を作る。
瞬間的に自らの生命の危機を認識したシンジ。
が、予想に反してアスカは一言も発さず、穏やかに椅子に腰を下ろしていた。
思わず胸をなで下ろすシンジだったが、
「…まあ、知っているなら話は早いわね…」
まるで地底を這いずるマグマのようなアスカの声。
胸をなで下ろすのは全然早かったと心の中で泣きながら、シンジは彼女に命じられるまま対面の席へ座る。
上目使いで青い瞳に見つめられ、おどおどしながら見つめ返す。
「仕方…ないわよね。いい加減しんどいし…」
呟いて、アスカは前髪をかき上げる。その言葉に、自分を納得させるような響きがあったのだが、もちろんシンジに気づける余裕はない。
ガクガクブルブルなシンジに対し、アスカは語る。
惣流・アスカ・ラングレーがモテるのは何も今に始まったことではない。
日本人離れしたルックスとプロポーションは今なお磨きがかかり、高校に進学してからもそれは変わることはなかった。
四年前、日本の中学に転入して以来、下足箱に溢れるラブレターとのお付き合いは続いている。
ただし、四月からの三ヶ月間に限って。
それは新入生が現実を思い知るまでのドリームタイム。
甘い夢を見る権利は誰にでもある。
擬態という言葉は不適当かも知れないが、アスカの外見に大半の一年生は憧れを抱くのだ。
そのまま胸に秘め埋もれさせる者も少なくないが、淡い恋心に昇華させる者の方が圧倒的に多い。
よりお近づきに…と考え、迂遠かつ純粋な想いはアスカの下足箱に溢れることになる。
更にそのような中でも、より積極的にアプローチを試みようとする勇気ある者だっている。
それが本日の中庭での光景だ。
では、なぜアスカは困惑した表情を浮かべたのか?
去年までの彼女だったら歯牙にもかけず、非礼な告白にはそれこそ手厳しく一蹴したものである。
苛烈さは瞬く間に広がり、多くの新入生が強制的に夢を覚まさせられ、苦い現実を思い知った。
見た目が美しいからといって性格も準ずるわけではない、と。
アスカ自身はむしろ「断る手間が省けたわ」と高笑いしていたものだ。もっともしばらく告白やラブレターはあったらしいが。
そんな彼女が今年になって態度を変化させている。
どうして? と首をかしげるシンジに、アスカはボソボソと説明した。
「一年生が顔真っ赤して必死で告白してくるでしょ? なんか可愛くてさ。素っ気なく断るのも…ねえ」
シンジは目を丸くした。そしてようやく合点がいった。委員長とのアドバイスとも結びつく。
アスカは優しくなった。
文字通りそうであり、目下の人間の心が分かるようになってきたのだ。
向けられる純粋な想いを感じ取れるようになり、無下に扱えなくなっていたのだ。
それが母性本能の発露なのか、二つ年下という年齢差のなせる業なのかどうか、はたまた彼女の精神的な成長の発露なのか、シンジには分からない。
なにせ、自分はこれっぽちも優しくして貰った記憶がないから。
慌ててシンジは首を振り、脱線しそうになった思考を軌道修正する。
「で、僕は何をするといいいの?」
どことなく声が弾んでしまうのは、アスカの新しい一面に喜びを覚えているからだろうか。
何となく決まりが悪そうな顔で同居人の顔を見たアスカは、そっぽを向いてこういった。
「…アンタに、彼氏になって欲しいのよ」
「………え?」
「で、お昼休みの間、一緒に座っていれば、さすがに告白しようなんて考える子も減るでしょ?…ちょっと! 聞いているの!?」
半分以上シンジは聞いていなかった。
カレシ? カレシ?
僕が、カレシ?
軽く昇天しそうなシンジの意識は、アスカの声によって無理矢理引き戻される。
「ご、ごごごご誤解しないでよっ!! フリでいいんだから、フリでっ! むしろフリよ、フリっっ!!」
叫ぶ彼女の両頬は真っ赤っか。
すると、途端に冷めるシンジがいる。
「そう…だよね、フリだよね、やっぱり」
弱々しく微笑んでくる少年に対し、アスカはこれまた力一杯断言してしまった。
「あったり前でしょ! アンタなんか、このあたしに全然釣り合わないんだからさあ!!」
あろうことかトドメを刺してから、アスカは足音も高くキッチンを出て行ってしまう。
残されたシンジは、一人さめざめと泣きながら後かたづけを続行するのだった。
悲しさを紛らわすためスイッチを入れた防水仕様のラジオから流れ出したのは、折しも『暗い日曜日』。
原曲であるから歌詞は理解できないけれど、四分音符と二分音符の繰り返しの不安をかき立てる旋律に、彼の心は更に下降していく。
だから、金髪の同居人の部屋から、ドスンバタンと盛大にモノをぶちまける音がしたのにも気づかない。
当然、『何やってんのよ、あたしわっ!!』という魂の絶叫も聞こえなかった。
…まったく乙女心は複雑なのである。
明けて翌日。
昼食を済ませたアスカとシンジは連れだって中庭まで降りていった。
今から疑似カップルを演じるわけだが、まるで戦争に赴くような雰囲気だ。
お互いに不本意そうな表情を浮かべているのが非常に印象的である。
「さあ、行くわよ」
それでもアスカはシンジを促す。
「う、うん…」
彼女の後に付いて歩きながら、シンジは今朝の会話を思い出す。
せっかくだから、本日の登校途中、色々と聞いてみたのだ。
どうして中庭に出るようになったのか。
アスカは答える。
『中庭で告白を受けた方が、ラブレターの数が結果的に減るのよ。呼び出しに応じなくてもいいしね』
本来は、分散策の一環だったらしい。
どうせ、そんな騒ぎは三ヶ月で沈静化する。だからといって、その期間のお昼休みのたび、呼び出されたりするのも面倒くさい。
『一年と二年の時はそうだったんだけどね…』
ため息をつきながらいうアスカに、半ば無理矢理シンジは協力を確約させられた。
なんか彼女の自業自得な気もしないでもなかったが、賢明な彼は黙っていた。
むしろ、
『…アンタにも責任があるんだからね!?』
などと小声で言われたときは本気で困惑したほどである。
どうして? と聞き返しても、アスカはしまったという顔つきで明後日の方を向き、結局昼休みのさっきまで口を聞いてくれなかった。
中庭に入った途端、もの凄い数の視線が刺さってくるのが分かった。
チラと横目で見れば、驚いた新入生たちの顔が伺える。
そりゃあ驚くだろうなあ。こんな冴えない僕がアスカの彼氏を演じるんだから…。
さっそく自虐モード全開のシンジに頓着せず、アスカは勢いよくベンチに腰を下ろす。
その隣におずおずと腰を下ろすシンジ。
横を向き、一瞬アスカは目を剥いた。しかし、口に出しては何も言わない。
ツンと前を向き腕を組む。これが彼女の意地だ。
一方シンジはオロオロしてしまう。どうやら彼女の気に障ったらしい。でも何が?
だからといって訊ねるのは更に間抜けである。
仕方ないから黙って前を向いた。
ところが今度は新入生たちの形容不能な視線と正面からぶつかってしまう。
このような自分に向けられる無言の意志にとことん弱いシンジである。慌てて顔を伏せ身を縮こまらせる。
おまけに、『こんな中でアスカは平然と出来るんだ、すごいな…』などと明らかに方向性の違う感心までしてしまう始末。
ひたすら膝の上で拳を握ったり開いたりを繰り返す。そして時折隣のアスカに視線を向ける。
もう10分も経ったろうか? 中庭に動きはない。
カップルに…見られているのかなあ…?
ぼーっとシンジは宙を見上げる。ひどくいい天気だ。
このまま、何も起きず時間だけが過ぎていくと思われたとき。
「あっ、あの!!」
不意にわき起こったかのような声に、思わずシンジは全身を振るわせてしまう。
声の主は彼の斜め前、つまりアスカの正面に立っていた。
真新しい制服。あどけない雰囲気の童顔の少年。
いわゆる新入生であり、有り体にいえばアスカの弱いタイプの男の子だった。
「そ、惣流さん、初めまして!!」
裏返りそうな声を出す。
曖昧に微笑むアスカに対し、新入生は更に声を上ずらせていた。
「え、えーと、ぼ、ぼく、高校にきて、こんな綺麗な人がいるんだなーって…」
聞いているだけで歯が浮きそうな讃辞が並べられたが、彼の必死な雰囲気は滑稽さに直結しなかった。
むしろ初々しく、健気とさえ思える空気の中、とうとう最後の言葉が紡がれる。
「だ、だから、その、ぼ、僕とお付き合いを…」
困惑気味な笑顔で、アスカはその告白を受け止めた。
一つ軽く息を吐くと、頭のてっぺんまで真っ赤になったんじゃないかと思える新入生から視線を逸らし、彼女が見たのは隣の疑似彼氏。
シンジにはなぜか怒ったような表情を見せ、アスカは彼の襟首をひっつかむ。
そのまま、まるで猫の子を掴むみたいに、シンジを首根っこごと自分の前に持ってきた。
「ごめんねー。実はあたし、付き合えないの…」
あっけらかんと新入生の前にシンジの顔を突き出す。
「!?」
新入生の両眼は見開かれるのをシンジは見た。童顔同士が見つめ合う。
「…そういうことだから」
間抜け極まりない返答をし、シンジは片手を上げて軽く笑って見せた。
首筋に彼女の指が食い込んできていたが、笑顔笑顔。
信じられないものを見た、という顔つきで、新入生はソロソロと後ずさり。
泣きそうな顔を伏せ、きびすを返し行ってしまう。
…これで良かったんだよね?
微かに胸に痛みを覚えながら見送るシンジだったが、掴まれた首を180度回転させられた。
必然的になお首筋に指を食い込ませたままのアスカと顔をつきあわせることになる。
アスカは、怒っていた。微笑みながら、怒っていた。
「…こういうことになるのイヤだから、アンタに頼んだんでしょーが!! この役立たず!!」
「……ええっ!?」
笑顔を貼り付けたままの低い怒声に、シンジは混乱してしまう。
だって、結果的に撃退に成功したじゃないか。
そう声を細めて答えれば、更にギリギリと首筋を締め上げられた。
「アンタばかぁっ!? 告白されるのが面倒くさくてイヤなのよ! 告白されてから彼氏の真似されてもしょうがないじゃない!!」
「え? え?」
「あくまで彼氏のフリなの! あたしはアンタのことを彼氏だなんて紹介しないんだから!!」
つまりは、彼氏に見せかけて相手に勝手に誤解して貰う、ということだろう。
絶対に、彼氏であるなんて言質はとらせない。
なんともアスカらしい意地の張り方というか、線の引き方というか。
やっとシンジも納得がいく。馬鹿みたいにコクコク頷くと、ようやくアスカは解放してくれた。
「まったく…」
ブツブツいってベンチに座り直し腕を組むアスカに対し、シンジは全く面目ない。
とりあえず痛む首筋をさすりながら考える。
うーん、もっと彼氏に見えるフリをしないと。…でも、どうやって? フリだけだもん、難しいよなあ…。
思案は、アスカの低くイラだった声で破られた。
「だから、なんでそんなに離れて座るのよ!! そもそもがそんなだから、誤解して貰えないのよっ!!」
そこでようやくシンジも気づく。
自分が、同じベンチといえど、アスカから大分離れた位置に腰を下ろしていることに。
それでもなお躊躇うような風体のシンジである。
無理もない。普段から『いくら一緒に住んでるからって、学校で慣れ慣れしくしたら殺すわよ?』と脅されているのだ。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、アスカは自分の隣のスペースを軽く手で叩くことで誘導した。
仕方なく、おずおずという感じで移動するシンジ。
いざ近づいて腰を降ろすと、不意にアスカの香りに気づく。肘と肘がぶつかってしまいそうなくらいの密着感。
心拍数が上がるのをシンジは意識した。なぜか息苦しい。頭の奥が熱くなる。
なんでだろう。普段は一緒に暮らしてさえいるのに。
隣のアスカを見る。何か言ってくれればいいのに、軽く顔を伏せ、表情が伺えない。
結果、ますます喘ぐシンジである。数を増してささってくる視線も、まるで呼吸器を魚類に退化させるような効果をもたらす。
雰囲気に耐えられなくなり、少しだけ距離と置こうと腰を浮かしかけたシンジだったが、鋭いアスカの声で制された。
「離れちゃダメっ!!」
なお顔は伏せられたままだ。まだ怒っているのだろうか。
仕方なく、シンジは従う。
そのまま無言でベンチに座り続ける二人。
おそらく、カップルに見えてはいるだろう。それにしても、この気まずさは一体何に由縁するものなのか。
考えるシンジだったが、次のアスカの言葉が些細な懸念を全て吹き飛ばしてしまった。
「…彼氏らしいこと、してみなさいよ」
その言葉に、思わず右手で胸を押さえ込んでしまうシンジ。心臓が熱くなっているのが分かった。
カ、カ、カレシらしいことっていわれても…。
その、肩を抱く、とか…?
自分の発案にシンジは赤面してしまう。
「…早く!!」
アスカに急かされ、欲望と願望がごちゃ混ぜになり、思考が全然まとまらない。
そんなの僕のキャラに合わないよ…。
言い訳がましい主張は、いわば希望の裏返し。
ようやくシンジは意を決して、空いた左手をそろそろと伸ばす。
顔は正面を向いたまま、アスカに向かって、ゆっくりと。
ビクッとアスカの全身が震えた。
シンジの手が、ゆっくりと握ってくる。温もりが伝わってくる。
これが、シンジの精一杯。
理解して、繋がれた手を握り返すアスカの顔は真っ赤だ。
手を握られたことはもちろんだが、それ以上のことを期待していて拍子抜けしている自分自身が恥ずかしい。
想像していたより心地よい温もりを味わいながら、「このバカ、ほっぺにキスくらいすればいいのに…」などと微かに考えてしまった。
いや、それじゃマズい。キスなんかしたら、まんま恋人みたいに見えてしまうじゃない。
でも、でも、手を握るくらいなら、トモダチでもする…よね? …うん、問題ナシ!!
言い訳じみた思考を脳裏で往復させてしまう自分に腹を立て、甘やかな妄想を打ち消そうとするものだから、顔の赤は益々色を深め、耳まで真っ赤にしてしまう始末。
だけど、少なくとも、ベンチに座り手を握りあう二人の姿は、新入生たちに相応のインパクトとプロパガンダを与えたことは事実。
その証拠に、後日より告白はおろか、ラブレターの数も激減した。
しかしながら、この光景を目撃した在校生の多くは、胸の内に同意見を育むことになった。
特に、碇シンジの悪友を自称する鈴原トウジなどは公言して憚らない。
中庭を見下ろせる窓に面した席で、隣席の相田ケンスケに堂々と言ったものである。
「アイツら、いまさら何やっているんや?」
Act2に続く?
後書きというかなんというか。
これは、まあアニメで言えば第二期シリーズみたいなもんです。
前作のLady And Skyを読んでくだされば、より楽しめるかと。
それでなくても楽しめるように書いているつもりですが。
前作の時間軸は2017〜2018年の間に起こった出来事で構成されてます。
で、本作の時間軸は2019年です。
当然、前作よりシンジもアスカも成長していて、二人とも高校三年生、18歳を迎えることになります。
それにともない、お互いの関係も距離も前シリーズより微妙な変化を帯びることでしょう。
本作は一応4月ですが、これからの続きは2019年ということは確定ですが時期はまちまちです。
つまり、前作と同じスタイルですね。
個人的には、いつ完結させてもいいスタイルだと思って書いてます。
そんな不誠実な心構えでまた連作をはじめたわたしですが、読んで楽しんでいただければ幸いです。
どうかお見捨てなく。
なにより、管理人の怪作さん、これからもお見捨てなきよう…(笑)
三只さんからLady And Skyの続編シリーズの第一作をいただいてしまいました。
三只さん流のLASが読めるのですね。ほのかに甘い世界から甘々の世界への展開が楽しめそうですね。
いよいよ、「恋人」ということになったシンジとアスカの世界が楽しめそうであります。
素敵なお話をいただいた三只さんにぜひ感想メールをお願いします。