碇シンジは、覚醒と睡眠の狭間という至福の時間を味わっていた。
本日は日曜日。
万年家政夫、早起き王子の異名をとる彼にも、休日というものはある。
同居人兼保護者たるミサトも出張で留守だし、エヴァの定期実験もない。
したがって、早起きする理由はなーんにもない。
彼自身も先日の内からやること全てを片付けて準備万端。
張り切って、よーし、明日は思いっきり朝寝するぞ、とばかりに昨晩布団に潜りこんだのも、珍しく深夜番組なんぞを堪能したあと。
それでもいつものクセで、朝六時にふと目が覚めかけたが、朝寝していいことを思い出すと、軽く笑みを浮かべてまたぞろ夢の世界へ。
ああ、幸せだなあ・・・・。
しかし、それも長くは続かなかった。
スパーンと勢いよく彼の私室の襖が開け放たれる。
続いて、異常に元気の良い声が響き渡った。
「ねえっ、シンジ!! お腹すいた!!」
Lady And Sky
Act2:あるいはこれも平凡な休日?
ケタタマシイ声と共に部屋へ進入してきたのは、いわずもがな同居人である惣流アスカ・ラングレー嬢であった。
普段は起こしても起きないくせに、休日の朝は例外的に早起きになる。
まるで小学生並みの子供だ。
これじゃ、セカンドチルドレンじゃなくて、サンデー・モーニング・チルドレンだよ・・・。
埒もないことをぼんやりと考えつつ、それでもシンジは徹底抗戦の構え。
身体をくの字に曲げ、タオルケットを頭から被り、必死で睡魔にすがり付く。
「む」
アスカも少年の意図を読みとったのか、次なる手段を模索、施行する。
「シンジ〜!! おきろ〜!!」
ゲシゲシゲシ!!
蹴りと大声の二段攻撃を敢行。
しかし悲しいかな、はたまた喜ぶべきかな、彼女自身のウエイトの軽さが災いしていた。
タオル越しで身を丸めているシンジには、たいしてダメージは与えられない。
「むむむ・・・・」
大声を出すのにもつかれてアスカは黙り込む。
一方シンジは急に静かになったので、「あ、諦めたかな?」などと淡い期待を胸に、夢の世界へと滑空していく。
ところがアスカは諦めてはいなかった。
むしろ彼女が諦めるはずはなかった。
形のいい顎に細い指を当てて思案することしばし、シンジの勉強机から椅子を引っ張り出す。
鼻歌交じりにその椅子をシンジのベッドの正面に据えると、彼女はおもむろにそれを踏み台にして宙に舞った。
「とおおおりゃあ!!」
そのまま空中で身体を捻るように回転させる。それは、対イスラフェル戦の動きを彷彿させた。
狭い室内での空中キリモミ大回転。
彼女の運動神経こそ称えるべきかな。
アスカの細身の身体は十分な遠心力を得て、ベッドで眠る少年の上に―――――――。
「げぇふうっっ!!?」
シンジは悶絶した。
位置的に、丁度油断して弛緩していた横っ腹付近に、アスカの身体が降ってきたのである。
さすがにこの攻撃は効く。
アスカはスクっと立ち上がると、痛みのあまりピクリともしないタオルケットの中身に首を捻る。
「・・・まだ起きないの? しょうがないなあ、今度はジャンピング・ニードロップでも・・・」
「あああ、起きます、起きますよ、もう・・・・」
とうとうシンジは白旗を揚げた。
全身から不機嫌オーラを放出しつつ、もぞもぞとベッドから這い出す。
理不尽すぎる攻撃に文句の一つでもいってやろうかと思えば、加害者たる少女は歓声のようなものを一つ残して室内から消えている。
怒りをぶつける先も見出せず、かつ、物にあたるようなこともしない彼は、結局黙って部屋を出る。
キッチンへの行きがけにリビングを横目で見れば、当の少女はTVの前でくつろいでいた。
溜め息をつきながらシンジはキッチンでエプロンをつけると、冷蔵庫から卵を取り出す。
熟練の手つきで三つの卵をボウルへと割ると、菜箸でかき回した。
まだ腫れぼったい瞼を懸命に開きながら、溶き卵とシロップを混ぜた液体の中に厚切りパンを二枚漬け込む。
パンに染み込ませてる間に、冷蔵庫の野菜室からレタスとトマトを取り出し、切り分け、盛り付ける。
更にオレンジジュースをコップに注ぎ、トレイの上にフォークと並べた。
フライパンでバターを溶かし、パンを焼き上げて盛り付ければ、立派な朝食の出来上がり。
「これで良し、と」
流れるような動きで全ての作業を終えたシンジは、リビングへと声をかける。
「アスカ〜、ご飯できたよ〜」
「こっちで食べるから、もってきて〜」
と、ありがたいお返事が返ってきた。
渋面をぶら下げてトレイをもっていってやるが、アスカはTVに見入ったまま振り向きもしない。
「あの、ご飯・・・」
「そこに置いといて」
特撮番組から目を離さずアスカは指示する。
どうやら、ご飯さえ作ってくれたらどうでもいいらしい。
さすがのシンジもムカッ腹が立ってくる。
まったく、アスカの辞書の中には、朝ご飯=僕に作ってもらうもの、になってるんだろうなあ。
昼ご飯=僕の作ったお弁当、だろうし、夕食=僕が作るものorミサトさんに奢ってもらうもの、なんだ、きっと。
むろん、そのような自虐的な思考をしたところで、彼の心が癒されることは決してなかった。
当然、TVを見て笑い声を上げる少女が彼をねぎらうなど、夢のまた夢だろう。
しかし。
つと、フレンチトーストをくわえたままの金髪が翻る。
アスカはにっこりと微笑み、シンジに対する丁重な謝辞を―――やはりするわけもなく。
ほのかな淡い期待は、極めて現実的すぎる台詞で粉砕された。
「今日はいい天気よ。布団でも干したら?」
「・・・・・・・・」
微妙に不機嫌という珍妙な表情でシンジがベランダへでれば、なるほど、雲ひとつない青空である。
サード・インパクトのその後、全てが起きる以前に戻ったはいいが、セカンド・インパクトの地軸の傾きまで戻ってしまった。
結果、日本は四季を取り戻し、現在に至る。
季節の移りかわりを堪能できるのは有難いけれど、出生2000年前後の世代は戸惑うことが多い。
本来なら普通のことなのだろうが、まず、気候の変化に戸惑う。
湿気は増えるし、雪は降る。
雨と晴れの境界がより曖昧になり、曇天が増えた。
碇シンジという少年にとってもこれらの影響は看過しうるものではなかった。
気候の変化は、したり顔で、彼の家事を脅かすようなったのである。
ぶっちゃけていえば、洗濯ものを干すタイミングが、以前より遥かにシビアになったのだ。
現在は秋。
晴れたかとおもえば急に曇りだし、雨も降る。
洗濯ものを室内に退避させ、リビングへ干しておけば、アスカに邪魔だと怒鳴られるオマケ付だ。
むろん、葛城家に乾燥機などというものは無い。
よって、このような快晴は、シンジにとって僥倖ともいうべきものだった。
さっそくいそいそと自室にとって返し、布団を担いできてベランダに広げる。
アスカの布団は、既に一番いい位置をガッチリキープしていた。
ついで、シンジはミサトの私室へ向かう。
床に散乱したものを踏みつけないように、ミサトの布団も引っ張りだしてきて干してやる。
布団を干しおえて、よしとばかりに手を払う。
そのまま自身の姿を再確認して、シンジは愕然とした。
彼はまだパジャマ姿だった。二度寝するために。
ところが、布団はたったいま干したあと。
・・・・・・・・・・・・・・・。
諦めて、シンジは本格的に起きることにした。
ラフな格好に着替えると、着ていたパジャマは洗濯機へ。
他の洗濯物も詰め込みスイッチオン。
洗ってるあいだに、自分も食事をすることする。
またフレンチトーストを作るのも面倒臭いので、パンに直接バターを塗りたくり、フライパンで焼く。
焦げ目がついたバタートーストを頬張り、野菜ジュースで流し込む。
食べ終わるころには、アスカも食事を済ませている。
ちなみに、彼女に使った食器をキッチンまで運んでくるというシュショウな心がけはない。
無言で食器を回収、洗物を済ます。
洗濯機は脱水に差し掛かっていた。終わるまでまだ間はある。
リビングへとって返すと、シンジは掃除もすることにした。
掃除機を引っ張り出してきて、アスカに声をかける。
「ほら、掃除するよ?」
「あ、はいはい」
そういって、アスカはTVのリモコン片手に立ち上がった。
そしてリビングのテーブルの上にあぐらをかいた。
シンジも、もはやいちいち注意する気も起きない。
掃除機の駆動音に対抗するように、TVのボリュームも上げられる。
ひとときの喧騒とともに掃除は終了。
キッチンへ移動するためリビングを出るシンジだったが、アスカはまだテーブルの上にあぐらをかいたまま。
ちなみに今の彼女の格好は、超大胆なカットアウトジーンズと黒いタンクトップという艶姿だ。
はしたない、と注意しても聞きやしない。
逆に、出かけるわけじゃないからいいでしょ!!とか、挙句、スケベだなんだとやり返されるのがオチだから、シンジも見て見みぬふり。
掃除機を片付け、洗濯物も干す。
なんだかんだでようやく落ち着いたのは、10時を少しをまわったころ。
「ふう」
結局いつもどおりのサイクルになってしまう。
朝寝という壮大かつ贅沢なプランは達成できなかった。
先日夜更かししたのだから、必然的に眠くなる。
リビングに腰を下ろし、アクビをしながら瞼の上から目を揉んでいると、TVに飽きたらしいアスカが声をかけてきた。
「ねえ、シンジ、暇なんだけど」
「そんなの知らないよ・・・。天気もいいんだし、外へ遊びにでも行って来たら? 僕は家でゴロゴロするからさ」
「ふん、ツレないわねぇ」
呆れたような溜め息をつくと、アスカはシンジへ向かって手を差し出す。
「・・・何? 」
「外行って来るから、お小遣いちょうだい♪」
「・・・・・ずっと家にいなさい」
「なによ、それは? じゃあ、どうしろってのよ!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
机に突っ伏すシンジである。
気持ちは痛いほどわかる。
そのまま机に顔を伏せていると、アスカがなにやらガチャガチャさせている。
「シンジ、遊ぼ」
言葉だけならなんとも刺激的なことを想起させるが、実際の内容にアダルトな意味は一ミリグラムも含まれていない。
これは額面どおりの台詞である。
その証拠に、彼女が抱えているのは家庭用TVゲームのコントローラーだ。
お気に入りの最新格闘ゲームは、すでに機械にセット済みだったりする。
シンジは渋々付き合わざるをえない。ここまでされた時点で、彼に拒否権はないのだから。
小一時間ほどゲームを続け、結果はアスカ嬢の圧勝。
さすがに第三東京市で五指に入る、と豪語するだけのことはある。
これは、ゲームセンターで目立ちたい、という彼女の強烈な自己顕示欲と、いかに少額のお金で長く遊ぶか、というセコイ了見が両立した末の成果だった。
ご満悦のアスカに対し、シンジは冷や汗を拭う。
どうにか今回も凌ぐことができた。
アスカと対戦格闘ゲームをすると、弱すぎれば『下手くそ!!』と罵倒されるし、勝ったら勝ったで不機嫌になる。
かといって、ワザと負けたりすれば怒り狂うわけで、全く、彼女のゲーム相手は期末試験より難しい。
では、どうするのが最適か、というと、僅差での勝利、もしくは圧倒的不利からの一発逆転。
これらが、アスカの一番好むところであることを、シンジは経験則から熟知していた。
そのようなシチュエーションをお膳立てするのは、生半可な腕ではおぼつかない。
であるからにして、シンジ自身のゲームの腕前は、なんとアスカを凌駕するまでになっている。
これはいわばご機嫌取りの産物であるわけだから、いささか情けない。
アスカが急病で欠場せざるを得ないゲーム大会に代打で出場、あっさり優勝したことは、彼女には永遠の秘密である。
上機嫌で、奇跡的なことに自分でゲーム機を片付けているアスカを尻目に、シンジは昼食の準備を開始。
お湯をたっぷり沸かし、パスタを茹でる。
朝食はパン、昼食はパスタ、夕食はご飯が葛城家の食事パターンだ。
キッチンで、今度はちゃんと差し向かいにすわり、二人は食事を摂る。
ペペロンチーノを食べながら、アスカは取り留めもないことをよく話す。
これは、最高に機嫌が良い証拠だ。
シンジも話をあわせる。
この時間が、唯一、アスカを普通の女の子として見られる貴重な時間である。
遠目に眺める分には、彼女は完璧だ。
しかしながら、極めて身近で彼女の性格を熟知してしまうと、どうにも全体評価は混乱してしまう。
外と内の仮面に差がありすぎるのだ。
もっとも、これはアスカだけに限ったことではなく、人間全般に適用されるかもしれないが・・・。
どっちにしろ、シンジにしてみれば、アスカとの同居は、ミサトが二人に増えたのと大差はなかったりする。
ある意味、自立性に問題が多いため、ミサト以上にやっかいなのだ。
それでも。
アスカを邪険にできない自分の心象を、どう解釈すべきだろう。
邪険にすれば鉄拳制裁があるのはもちろんだし、過去に色々と負い目はある。
なのに、一緒にいるのは、たぶん・・・・・。
正直なところ、シンジは彼女に対する自分の心象を自己分析するのが怖い。
アスカが食事を終え、リビングに行ってしまってからも、シンジは考える。
一度、頭に浮かぶと気になってしょうがない。
普段、あまり考えないようにしている疑問だから尚更だ。
食器を片付けながらリビングを窺うと、アスカはカーペットに寝転がりながら、TV番組にケラケラ声を上げていた。
もちろん長い剥き出しの足はそのままで、瑞々しい太ももの辺りを小指でカリコリ掻いてたりする。
・・・・だんだん、ミサトさんに似てきたなあ・・・・。
声に出さず、シンジは呟いた。
それが良いことなのか、悪いことなのか、彼には判断できなかった。
「シンジ!! 」
不意にアスカは声を出す。
叱責のように聞こえたため、思わず身をすくめるシンジに向かって、プチ・ミサトは続ける。
「布団、そろそろ取り込んだほうがいいかなあ? 」
「あ、ああ、そうだね」
なぜか動悸を早くしているシンジに首を捻りつつ、アスカは立ち上がる。
二人でならんで布団を取り込む。
「わー、ふかふか♪ 」
取り込んだ布団をさっそくリビングへ広げて、アスカは寝転んだ。
その光景に苦笑しつつ、シンジはミサトの布団を片付ける。
ミサトの部屋から戻ってくると、アスカはお昼寝を開始していた。
「・・・・ちょっと、アスカ、勘弁してよ」
シンジは思わず情けない声を洩らしてしまう。
アスカが昼寝しようがなにをしようが、この際どうでもいい。
問題は、彼女の身体に掛けられてるもの――――すなわち自分の布団だ。
「アスカ、返してよ・・・・」
と、布団を引っ張るが、
「ダメ、寒い」
「そんな、僕だって、昼寝したいのに・・・・!!」
しばらくひっぱたり押したりしていたが、どうにもアスカは離さない。
シンジはふくれっつらで私室に戻り宿題をすることにする。
怒りで眠気は飛んでしまっている。
まったく、自分勝手にもほどがあるよ。
ぶちぶちいいながら机に向かうシンジであるが、集中できるわけはない。
それでも二時間ほど椅子に座ってたが、彼はとうとう鉛筆をほうり投げた。
頭をバリバリと掻き毟る。
そうだ、ハーブティーでも飲んで気を落ち着けよう。
キッチンへ行ってお湯を沸かす。
幸いまだ残っていた葉をポットに放り込み、お湯を注いで数分待つ。
葉が開くにつれ、芳醇な香りがキッチンに立ち込めた。
安物だけどお気に入りのティーカップに注ぎ、シンジは香りを楽しむ。
ん〜、いい匂い。僕って、お茶の入れ方上手いよね。
自画自賛の腕前を堪能していると、リビングからもぞもぞとした人の気配。
「・・・・シンジ〜おやつ〜」
髪は寝乱れたまま、寝ぼけまなこのお姫さまのご登場。
無視してシンジはお茶をすする。瞼を軽く閉じて陶酔の表情。
すると、カップごとお茶を引っ手繰られた。
んくんくんく、と細い咽喉が動いて、殆んど一息で飲み干される。
「ああ、もったいない・・・」
シンジに溜め息をつく間も与えず、
「お代り!!」
とアスカは高らかに宣言しておいて、そのくせ自分でティーポットから残ったお茶を勝手に注いでいる。
シンジはさっさとテーブルより退避。
冷蔵庫の奥に作り置きしておいた、手製のヨーグルトゼリーを引っ張り出す。
困ったことにこのお姫さまは、市販のオヤツを受け付けない。
買い食いするにしてもポリシーがあるようで、店頭販売、作りたてのお菓子しか買わないときている。
そりゃあ、小遣いも足りなくなるだろう。
たちまち小皿に取り分けたゼリーを平らげたアスカ嬢は、またしても、
「お代り!」
とシンジを呼び付ける。
「それぐらいにしといたら? 今日は、七時前には夕食にするよ?」
お茶道具を片付けながらシンジがいうと、さすがにクウォーターの少女も考え込む。
「そうよね、食べ過ぎると、夕ご飯食べられなくなるわよね・・・」
しばらく人さし指をくわえて逡巡していたようだが、結局そのままキッチンを退散してしまう。
誰もいなくなったキッチンで、シンジはエプロンをつけ、米を磨ぐ。二合も炊けば十分だろう。
冷蔵庫の中身は熟知しているが、改めて検分する。
かなりの食材が揃っている。
とりあえず、そこそこ手の込んだものが作れそうだ。
やっぱり、時間があるときは、それなりに手をかけてじっくり作りたい。
葛城家にきて、なかば強制的に押し付けられた家事であったが、もはや料理は趣味となってしまっている。
人間の適応能力は全くもって素晴らしい。
ふと気づき、シンジはアスカの姿を求めてキッチンを出た。
アップビートの音楽がもれて来るリビングへ向かうと、アスカはこちらに背を向けて、長い四肢を盛んに動かしている。
音楽の正体は、彼女がミサトと共同出費で購入した、ダイエット対策のエアロビクスのビデオだった。
どうにも、本日はゴロゴロして食ってばかりで身体を動かしてないことに危惧を抱いたらしい。
「あの、アスカ?」
「ん?」
アスカは、身体を動かし続けながらこちらを向く。
「あのさ、夕食のおかず、なにがいい?」
「そうねえ・・・」
金髪が激しく波打つ。
同時に、薄い布地越しの彼女の胸も大きく揺れて、シンジは慌てて視線を逸らす。
・・・・・もしかしたら、ブラジャーを着けてないんじゃ?
再確認したい欲求を押さえ込み、必死で視線を逸らせてると、アスカは呼吸を弾ませつつ、リクエストを口にした。
「じゃあさ、なんか甘辛いものがいいかな」
「甘辛いものね、はいはい」
シンジは無理やりさりげなさを装ってキッチンへと戻る。
いやはやまったく、無防備というかなんというか・・・・・。
もやもやするものを追い払いながら、シンジは再度冷蔵庫を開ける。
思ったとおり、ミサトのツマミ用のブリのアラに、照り焼き用の切り身もある。
よし、今晩はブリ大根にしよう。
なにげにアスカは醤油味が好きである。
日本人の味覚はアミノ酸で出来ているという。
アスカの身体の四分の三は日本人であるからにして、それは当然かもしれないが、最近とみに日本文化に馴染んできたかのように見える。
いまも、日曜夕方からの長寿お笑い番組を見て、声を立てて笑ってるではないか。
「ねえ、シンジー!! このサイボーグ歌丸って人、これって芸名ー? それとも本物ー?」
「知らないよ、そんなの・・・」
そのまま素直に夕食――――とはならなかった。
ご飯も炊けて、味噌汁もおかずも仕上がろうとしたころ。
「シンジ、お風呂沸いてるー?」
「えー、まだだよ・・・」
いやーな表情になるシンジ。このような悪い予感はたいてい当たる。
「ご飯の前にお風呂入るから、よろしくー♪」
こちらに背を向けたまま、ひらひらと手を振ってアスカはいう。
予感は的中。
『よろしく』の意訳―――しっかりお膳立てして提供しなきゃ殺すわよ。
黙ってシンジは風呂を掃除、お湯を満たす。
出来上がりを告げると、アスカは当然とばかりに悠々と着替えを持って浴室へと消える。
おかげで、食事開始の予定時間は一時間は超過してしまった。
キッチンではなくリビングのテーブルに食器をそろえると、手持ち無沙汰になったシンジは頬杖をついたまま他愛もないバラエテイ番組を眺める。
「あー、いいお湯だった」
背後にほっこりとした気配。
振り返るシンジ。
赤いチェックのパジャマ姿で洗い髪を拭くアスカは、それはそれは色っぽい。
見とれていたのも束の間、シンジの表情はすぐげんなりとなる。
こりゃ、髪乾かしたりしてあと30分はかかるぞ・・・。
TVのリモコンを握り直すと、彼は本格的に番組を吟味し始める。
「あ、その特番、今日やるんだー。よかった、見たかったのよねー」
ちょうど、自分の見たかった番組と、アスカの見たかった番組が一致する。
それまでは良かったが、その後の彼女の行動は不可解なものだった。
いきなりシンジの目前に背を向けて座り込むと、彼にヘアーブラシとドライヤーを手渡したのである。
「はい」
「・・・はい?」
「だから、はい」
「・・・・・え、え?」
「もう、ニブチンねぇ。髪を乾かして梳いてちょうだい、ってことよ」
「はあ!?」
「このあたしの髪をいじれるなんて、光栄と思いなさいよ?」
いやいや、そういう問題ではないんだけど。
結局シンジは言葉を飲み込む。
気が付けば、黙々とアスカの髪にドライヤーをあててる始末。
「あんたもさ、女の子の髪のいじり方くらい覚えといて損はないわよ〜?」
鼻歌をうたうアスカに対し、無言でシンジは彼女のいい匂いがする髪を梳る。
損はしないかもしれないけど、将来的に役に立つとはおもえないよなあ。美容師になるわけじゃないし。
本日、何度目かも知れぬ言葉を飲み込む。もはやお腹いっぱいだ。
おかげで、ようやく夕食が開始されても、食欲がいまいち沸かない。
単にお腹が空き過ぎただけかも知れないけれど。
対照的にアスカはよく食べた。
シンジが残したぶんにも遠慮なく箸を伸ばし、綺麗に平らげる。
「ふう、食べた、食べた♪ ごちそーさま」
ごろんと横になり、けぷっと息を洩らす。
パジャマの一番下のボタンが外れていて、可愛らしいおへそが覗いていた。
あれだけ食べて、ぜんぜんお腹が出てないなんて、どういう構造になってるんだろ?
純粋人体構造学的な興味だけを抱えたまま、シンジは食器を片付けた。
洗い物を済ませ、リビングへ戻ると、アスカはまだ横になったままだ。
「そんなとこで横なってると、風邪引くよー」
一応、声だけかけて、シンジは自分も風呂に入る事にする。
髪を洗い、髭もあたり、歯磨きも済ませさっぱりして出てくると、まだリビングは騒がしい。
TVも電灯もつけっ放し。当然アスカも寝転んだままだ。
「まったく・・・・」
TVのスイッチを消し、アスカに声をかける。
「ほら、寝るなら、自分のベッドへ戻って」
身じろぎしないので、肩を揺さぶる。
「ほら、アスカ、起きなよ・・・」
するとアスカは眩しそうに目を細め、口をもごもごさせると、甘えた声を出した。
「・・・んー、部屋まで連れてって」
「どうやって?」
するするとアスカの両腕が首に巻きついて来る。
薄目をあけてニンマリ微笑むお嬢さま。
シンジは溜め息一つ、アスカを抱え上げる。いわゆるお姫さま抱っこだ。
まあ、意外と軽いのが救いではある。
長い金髪が絡まないよう、慎重な手つきでアスカをベッドまで運ぶ。
優しく彼女の身体を布団へ横たえると、タオルケットを掛け、枕をきちんと直してから、シンジは部屋を出た。
伸びをしながらリビングへ行き、電灯を消す。
アクビをかみ殺して自分の部屋へ戻ると、シンジは電灯もつけずベッドへと潜り込んだ。
いつもどおりに目覚ましをセットして、改めて布団を被る。
なんか疲れたなあ。休日なのに。
瞼を閉じて、今日一日を反芻する。
とりあえず、とくに印象に残るような出来事はなかったはずだ。
まあ、いつもどおりといえばいつもどおりなんだろうけど。
にしても、明日から学校だなあ。
明日のお弁当のおかず、なにしよう・・・・。
そんなことを考えているうちに、はやくも頭がぼんやりしてきた。
今日は、睡魔の訪れがいつもより早い。
逆らう理由もないので、シンジはその誘惑に身を委ねた。
彼は、たちまち深い眠りへと吸い込まれていった・・・・。
その直後、金髪の同居人の私室から響いてきた微かな怒声と何かを投げる音、ぶつかる音。
『あの根性ナシッ!! 甲斐性ナシッ!! ニブチンっ!! おおぶぁかぁっ!!!!!』
それがシンジの耳に届くことは、もちろんなかった。
END (
ACT3に続く?)
三只さんから『Lady And Sky』第2話をいただきました。
うーむ、シンジは良くこんな生活に耐えられるものです(笑)
シンジ残酷日記かと思いました(大袈裟)
アスカももう少し素直にやさしくなればいいのですがねぇ(不可能)
素晴らしいお話を書いてくださった三只さんに是非感想をお願いします。