Lady And Sky
Act1:彼女のアルバイト 後編
アスカは、とりあえず、赤ん坊が寝てることを確認すると、かって知ったるなんとやらで洞木家の冷蔵庫を漁る。
ペットボトルのミルクティーを発見。勝手に飲んで一息つく。
現在の洞木家は、父親は県外へ単身赴任。妹たちは揃いも揃って全寮制の学校に入学してしまったため、ほとんどヒカリの一人暮らしである。
それでも広すぎる3LDKは十分に掃除が行き届いていた。
リビングのソファーにひっくりかえり、適当にそこらにあった雑誌に手を伸ばす。
いきなりTVもつけたりせず、かつ赤ん坊が見える位置に座るあたり、とりあえずバイトは全うする気らしい。
ものの30分も経たず、雑誌は読み飽きてしまった。
手持ち無沙汰で、宙を見上げる。
キャミソールの隙間から覗くお腹がキューッとなった。
壁かけ時計を見る。
時刻は1時ちょっと過ぎ。
考えてみれば、出掛けのウヤムヤでお昼を食べてない。
さすがのヒカリも昼食まで作っていってはくれない。
かといって、買い物に出かけるのも論外だ。
さーて、どうしましょうかねぇ・・・・。
ダイエットにはとんと無縁なアスカは良く食べる。
むしろ、『三食きちんと食べるのが美容の秘訣!!』 などと広言して周囲のヒンシュクを買うこともしばしばである。
これもひとえに同居人の少年の涙ぐましい努力の産物なのだが、彼女は気づいてるのかどうか。
そうだ、デリバリーを頼もう!!
早速ソファーから立ちあがると、キッチンのカウンターにあった電話帳のページを捲る。
適当なピザ屋にあたりをつけ、番号をプッシュしたとき。
背後から、けたたましい泣き声が上がった。
碇シンジは溜め息をつく。
フォークでパスタを一口運んでは飲み下す。
そこでまた溜め息。
アスカが見てたら『鬱陶しいわね!!』と怒鳴られること請け合いだ。
なんとも生気のない視線を宙に漂わせ、コップからお茶を一口。
そこで深ーい溜め息をまたついて、陰気な食事を進めていくのだ。
これは、別に彼が恋などを患っているわけではもちろんない。
彼が思い煩っているのは、今夜のメニューである。
ああ、どうしよう。アスカが持っていったお金が、今晩の材料費だったのにな・・・。
しかも、ただの材料費だけではない。この先、一週間にも及ぶ食費でもある。
いくら彼の料理のレパートリーが広かろうと、先立つものがなければどうしようもない。
そのような重大事項ゆえ、彼は深く深く悩んでいるのである。
まっこと主夫の鑑とでもいうべきだろう。
とても17歳の少年とは思えない。いろいろな意味で。
一応作ったアスカの分の料理にラップをかけ、自分の使った食器を洗いながら、シンジはなお考えつづける。
加持さんの畑に、まだスイカが残ってたかな・・・・?
彼の脳裏に妖しいスイカ料理のレシピの数々が展開されたとき―――。
キッチンのテーブルに置いてある携帯電話が激しく振動した。
慌ててエプロンで手を拭きながらとると、アスカからだった。
受話のボタンを押す寸前、嫌な予感がした。
一瞬の躊躇。
しかし彼はボタンを押した。
アスカ絡みで嫌な予感がしなかったためしなどないことを、思い出したからだ。
ほぼ同時に響く大音声。
『おそぉぉぉーーーーーいぃ!! 着信したなら即座に出なさいよ!! 携帯の意味、わかってんの!?』
第一声からして理不尽だ。
シンジも心得たもので、携帯から十分距離を取っていたりするが。
「で、どうしたの?」
半分顔をしかめながら、シンジはあらためて携帯を持ち直す。
『いい? いまからヒカリの家に来なさい!! 大至急!! 30分以内!! 時間厳守よ!? いいわね!?』
「はあ!? ちょ、ちょっとまってよ!!」
『なによ!?』
「い、いや、いきなり、そんなこといわれても・・・」
『あんたバカぁ!? このあたしがドキドキするほど大ピンチなのよ!? 即座に駆けつけるのがあんたの役目でしょーが!』
「・・・・・・・」
束の間、絶句するシンジであったが、今日の彼には反撃材料があった。
「いくら駆けつけたくとも、ぜんぜんお金がないんですけども?」
「そんなの!!・・・・・なんとかしなさいよ!」
電話の向こうのアスカの声が跳ね上がり、右肩下がりで低くなった。
彼女も気づいているはずだ。自分がシンジの財布を強奪したことを。
「まあ、僕も、きみと同じくらいしかお金はもらってないしね・・・・」
アスカが反論できないでいるところに追い討ちをかける。
ささやかな精神的優位を堪能するシンジ。
しかしその代償は、あまりにも強烈なものとなる。
受話器越しのアスカが切ってきた次のカード。
『・・・・したくせに』
「は? 聞こえないよ?」
『あたしの裸を見て××××したくせに!!!!』
「・・・・・・・・・・・・・!!」
あまりのショックに、シンジは電話を落としてしまう。
持ち主の手からこぼれ落ちた携帯電話から、更なる声が連射し、少年のガラスのハートに襲いかかる。
『マウントポジションから、あたしの首をしめようともしてくれたわね!!』
『あれ以来、人間不信なのよねー!!』
『ああ、汚されちゃったんだ、あたし・・・・・』
『誰かさんのせいで・・・・・・』
語尾にはわざとエコーがかけられてたりする。
しばしの茫然自失から脱すると、シンジは遥か下方から彼を糾弾する携帯電話を即行で拾い上げ、叫んだ。
「ただいまから全力で行かせていただきますぅ!!!」
ほとんど涙声だ。
『うむ。よろしい』
あくまで横柄な口調でアスカがいい、通話は切れた。
切れる寸前、向こう側でなにかの泣き声が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。
どちらにしろ拒否権はなくなった。なにがまってようが、急いで駆けつけなければならない。
シンジはキッチンを飛び出す。
実は、あせりと羞恥とがない混ぜになった思考のなかで、ほのかに喜びに似た部分もあった。
アスカがあんなことをいうなんて・・・・・。もしかして昔したこと許してくれてるのかなぁ?
これで、よし。
アスカは自らの携帯を切る。
・・・・いくら呼びつけるとはいえ、ちょっと冗談で紛らわすにはヘビーなネタを使ってしまったのだろうか。
いやいや、そんなことはないはずだ・・・・。
しかし、今の彼女には、その件について逡巡する暇は与えられていなかった。
もっとヘビーな現実が、今、彼女の片手の中にいる。
名前もわからない赤ん坊は、アスカが電話をかけている間こそ小康状態を保っていたが、切る寸前に、また爆発するように泣き始めた。
「ああ、もう、泣かないでよ・・・!!」
彼女の明敏すぎる頭脳は、早くもこのバイトを引き受けたことを後悔していた。
でも、バイト代、基本給5000円+友人手当て3000円は、今の自分には美味しすぎる。
ゆえに、先ほどのシンジへの電話である。
アスカにとって、同居人たる少年は、個人資産であり、大切な労働力であった。
つまり、彼の存在全てが自分のモノ、なのだ。
ゆえに、酷使するのにためらう必要はない。
そう思われている少年にとっての不幸は、上記の意味のなかに色っぽい属性が、極めて希薄なことである――――。
それはさておき、アスカも奔走した。
いくらなんでも、シンジが来るまで泣かせておくわけにもいかない。
「えーと、お腹へったの? たしか、ヒカリの残していったメモ、メモ・・・・」
リビングをひっくり返す勢いで、メモを探す。ようやく見つけ出すと、
「ミルクは哺乳瓶に大さじ3杯。お湯は人肌に・・・か」
右手に泣きじゃくる赤ん坊、左手にはメモ帳をひっつかんで、アスカはキッチンへと走る。
誓って明言しておくが、彼女も狼狽していたためであろう。
キッチンの入り口の段差に足を取られて、前方に盛大に転んだ。
「わっ!!」
とっさに赤ん坊を優先したのは賞賛ものだ。代償に、彼女は端整すぎる鼻を強かにキッチンの床にぶち当てる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・いった〜」
涙に滲む顔を上げ、両手で差し上げる形となった赤ん坊を見上げる。
無邪気なきょとんとした瞳が、蒼い瞳を覗き込む。
次の瞬間、赤ん坊はキャッキャッと笑い出していた。
「泣いてたんじゃないの、もう・・・」
アスカは苦笑するしかない。
立ち上がり、赤ん坊を抱えなおす。
さて、シンジが来るまでもつのだろうか?
きっかり30分後。
碇シンジは洞木家の玄関のチャイムを押した。
返事はない。返事を返すほどの余裕がないのだろうと判断。勝手に上がりこむ。
「・・・・アスカ〜?」
おそるおそる人の気配がする方向へ、リビングの方向へと向かうと。
「なにやってんのよ!!! 遅すぎよ!!」
いきなりアスカに怒鳴られる。
頭ごなしの恫喝し、主導権を握る。
アスカの常套手段であり、とにかく対シンジとしては抜群の効果を発揮する。
怒鳴りつけられ萎縮しまくるシンジであったが、アスカが抱えているものに気づくと驚愕の表情を浮かべた。
「その子・・・・・、まさかきみの」
「くぅぉの、ウルトラ・スーパー・デラックス・ぶぅわぁぁぁぁかぁぁぁっっっ!!!!!!!!!」
強烈無比な上段回し蹴りが、シンジの延髄にめり込む。
赤ん坊を抱えたまま、見事なバランス感覚である。
「・・・い、いや、その」
どうにか昏倒せず踏みとどまり、シンジは言い訳しようと口を開くが。
「今度、つまんない事いったら、ぶち殺すからね!!」
今のアスカに冗談は通じない。
「これが、ヒカリから頼まれたバイトなのよ」
「はあ・・・・」
「でも、あたし一人の手に負えないから、手伝いなさい!!」
「なんで命令形!?」
シンジは素っ頓狂な声を上げた。
気持ちはわかる。
言い方はあくまで大上段。
そのクセに、自分が引き受けたバイトを手伝えという。
これで素直に手伝うヤツがいるとしたら、よっぽどのお人好しかバカだ。
・・・・・そして、碇シンジは、バカがつくほどお人好しだった。
とりあえず、グズりはじめた赤ん坊をアスカから受け取る。
「・・・ああ、これはおしっこだな、たぶん」
と、お尻のあたりで匂いを嗅ぎ、顔をしかめ、
「アスカ、洞木さんのおいていってくれたメモとかは?」
「ああ、こっちよ」
アスカも素直に案内する。この場合の素直さは、彼女も適材適所を心得ている、と同義語であるが。
赤ん坊をリビングの床に寝せる。
苦心してオムツを外し、更に二人で四苦八苦し、20分ほどかけて、あたらしいオムツをあてなおした。
「・・・・・シンジでも、赤ん坊の世話、分からないこと、あるんだ」
「あたりまえだろ」
シンジも一人っ子である。くわえて、いくら家事の達人と云えども、さすがに育児はしたことがない。
これで、さっぱり清潔。赤ん坊の機嫌も・・・・なおらない。
「う〜ん、こりゃ、お腹が空いてるのかな?」
「あ、さっき作ろうと思って、粉ミルクと哺乳瓶、キッチンにもっていってあるよ?」
「じゃあ、僕が赤ん坊見てるから、アスカ、ミルク作ってきてくれる?」
「OK」
アスカは、キッチンに向かってからきっかり三分後、哺乳瓶をタオルで包みながら戻ってくる。
「はい、ミルク」
「ありがと・・・・って、あちちちち!!」
哺乳瓶は、ちょっと手で持てないくらい熱かった。
「なにやってんだよ、アスカ!! ミルクは人肌の温かさってメモにあったろ!?」
「ああああ、あたしのハートの温度は、いつもこんな熱さなのよ!!」
失敗を認めたくないのかなんなのか、いってる事が無茶苦茶である。
「ふう・・・。じゃあ、僕が作ってくるから、アスカは赤ちゃんを見ててよ」
「ふん!! 最初からそーすりゃいいのに」
「・・・・・・・・」
額に青筋を浮かべながらも、キッチンで黙ってミルクを作るシンジ。健気だ。
じゅうぶんに冷ましてからリビングへもっていくと、早速アスカにひったくられる。
「ほら、飲みなさい!!」
「わーーーっ、そんな乱暴にしないで!!」
無理やりくわえさせようとするアスカを止める
「いいかい? 流し込むんじゃなくて、優しく吸わせるんだよ」
背中と首をささえ、赤ん坊の唇に哺乳瓶の乳首をあてがうと、貪るように飲み始めた。
「やっぱり、お腹すいてたんだー」
シンジの肩越しに、アスカが赤ん坊の顔を覗き込む。
幸せそうにミルクを飲み込むまあるい顔を見ているうちに、自分もお腹が空いてたのを思い出す。
「ねえ、シンジ〜。あたしにもご飯作って〜」
と、シンジの肩に両腕をもたせかける。
「ええ?」
シンジもいい加減げんなりしてきた。
「だって、ここ洞木さんの家だよ?」
「いいから、お腹すいたの〜!!」
ポカポカとシンジの肩を乱打する。挙句に床に転がってジタバタする。
こうなってしまうと、赤ん坊よりタチが悪い。
「じゃあ、赤ちゃんもってて」
なお哺乳瓶を貪る赤ん坊をアスカに手渡すと、シンジは洞木家のキッチンへ。
それからしばらくミルクを飲んでいた赤ん坊だったが、不意に口を放すと、一度だけ目をパチクリさせて、瞼を閉じてしまった。
「あれ?」
アスカは赤ん坊の唇に哺乳瓶を押し付けるが、吸い込まれていかない。
「寝ちゃった・・・・かな?」
おそるおそる、リビングの隅に置きっぱなしのベビ−ベッドへと運ぶ。
すうすうという寝息を聞いて、ようやく確信する。
彼女は自らもカーぺットに横になりながら、あらためて赤ん坊を見直した。
信じられないくらい小さな手足。
手首と足首の丸いくびれ。
アスカ自身自覚してないが、その表情はとても優しいものなっていた。
赤ん坊が、というか、子供全般が嫌いだったのは遥か三年前。
自分の母親が本当はずっと自分を見守ってくれていたことを知ってから、その感情は霧散してしまっていた。
赤ん坊て、こんなにフニフニしたものなのね・・・・。
寝ている赤ん坊のホッペなんぞを、指でおそるおそるつつく。
うつ伏せになりながら、アスカは両足を宙でパタパタさせる。
「よくも、苦労させてくれたわね・・・・・?」
目を細め、ほっぺをつつく。
フニフニ。
つつく。
フニフニ。
赤ん坊が身じろぎして、慌てて手を引っ込める。
軽くアクビをして赤ん坊がまた寝入ったのを確認すると、またつつく。
フニフニ。
フニフニ・・・・・・・・・。
洞木家のキッチンにパンは無かった。
米を勝手に使うのも気が引けたので、小麦粉を使いすいとんなんぞを作ってみる。おもったより時間がかかってしまった。
ようやくリビングへ戻ってきたシンジであったが、そこで彼が見たものは、赤ん坊と一緒に寝息を立てているアスカの姿だった。
夕刻。洞木ヒカリは家路を急ぐ。
やはり、アスカのことが、赤ん坊のことが心配だった。
もともと責任感の強い彼女である。
アスカはともかく、赤ん坊は身内なのだ。万が一のことがあったら、従姉妹に言い訳ができない。
かといってアスカに責任を負わせるわけにもいかない。
なにかあれば、それは、彼女にバイトを委託した自分の責任なのだ。
そういうわけで、デートもそこそこに切り上げてきた次第である。
自宅が近づくにつれ、足が早まる。
嫌な予感がした。
声もかけずに玄関を開け、リビングへ飛び込んだ。
そこには、お腹に毛布をかけたアスカが寝転んでいた。
呆れと憤りに顔が歪んだ。
次いで、慌てて視線を巡らしたベビーベッドに赤ん坊の姿はない。
最悪の状況を想起し、顔面蒼白になった彼女の背後から、ノン気な声がかけられた。
「あ、洞木さん。おかえり」
振り返ったヒカリの目前に、赤ん坊を抱いてあやすシンジがいた。
「はあ・・・。今日の一日はなんなんだったのかしらね?」
暮れなずむ川原の土手の道を歩きながら、アスカは脱力した声を出した。
ありていにいえば、今日のバイトは失敗だった。
そもそものバイト代はシンジのもとへ。
上乗せ分の3000円はヒカリへ。
アスカへは1銭も支払われない。
夕方まで昼寝してしまったのだから当然といえば当然だ。
『もう、アスカには頼まないから』
そう顔を引きつらせつつ断言した親友にちょっとだけ胸が痛んだりした。
まあ、このあたしには、あんな地味で繊細なバイトはちょっと無理があったわねー。
では、なんのバイトがピッタリなのか、と問われても困るが、彼女の精神的再建は早い。
少なくとも、シンジから没収した5000円は幾らか残っているわけだし。
「ん〜、いい風〜」
川原を渡ってくる風に金髪をなびかせる。夜の香りがして、少し冷たい。
顎をわずかに逸らし、片足を軽く曲げ、髪を梳き上げた。
部活帰りの中学生や、ジョギングしているおじさんたちの視線が集まるのがわかる。
夕暮れの土手に佇む自分は、さぞ絵になっていることだろう。
・・・・・背後からついてくるものが無ければ。
「アスカ〜、ちょっとまってよ〜」
買い物袋をぶら下げたシンジが、背後から追いかけてくる。
「・・・・・」
アスカはわざと気づかないふりをして、夜と夕方の空の境界線を眺めている。
少女の傍らまでくると、シンジは買い物袋を地面に置き、肩で息をする。
なにもそんなに一度に買わなくても、と思うほど、買い物袋は大きく膨らんでいた。
どちらにしろ、買出しをしなければならなかったから、とシンジの弁。
アスカもシブシブ付き合った次第である。
「ちょっと気になることがあるんだけど?」
「・・・なに?」
ぜーぜー言ってるシンジにアスカは尋ねる。
「あんた、どうやってヒカリん家まで来たの?」
「そりゃ、タクシーで・・・・」
げし。
「どわああああっっ!?」
土手下へと蹴り落とされる。
ごろごろと転がり草塗れになるシンジ。
「・・・・なにするんだよっ!!」
怒鳴りながら斜面を這い上がってくるシンジに対して、
「あんた、お金ないって、いってたわよね!? そのタクシー代はどこから捻出したのよ!?」
アスカは更なる大声で怒鳴りつけた。
「そ、それは・・・・」
別に非があるわけではないのに言葉につまるシンジ。
「あたしをたばかったわねぇ!?」
斜面をあがりきったシンジに更なる蹴りを見舞おうとしたアスカであったが――――。
すんぜん、シンジが草で足を滑らした。
必然的に標的を見失ったアスカの足は空を切る。
「あれ!?」
バランスを崩したアスカは、つま先から宙に泳ぐ。
「なんで避けるのよ!!」というとんでもない台詞とともに、土手の急斜面を滑空していく彼女の肢体に、シンジが飛びついた。
抱き合う形になった二人は、ごろごろと土手下まで転がる。
土手の裾に群生する、丈の長い草の中に埋もれる二人。
しばらく、抱き合ったまま、二人はピクリともしない。
先に身じろぎしたのは、シンジの方だった。
「・・・・大丈夫? 怪我はない?」
「・・・・・・・」
アスカは無言でシンジを見上げる。
形的には、まったくシンジがアスカを組み伏せるようになっていた。
なぜか、アスカは声が出せなくなってしまった。
先ほどまでの怒りがはじけ飛ぶ。
草いきれとシンジの汗の匂い。
年頃の男の子に組み敷かれているという事実がより明確になる。
唐突すぎる状況の変化と、いまの自分の立場を認識した衝撃に茫然とする。
光の速さでこの立場から派生しうる事態を想定したとき、なぜか彼女は逆に動けなくなってしまっていた。
彼女の頬が微かに赤くなる。あたりが薄暗くなっていたのが幸いだった。
シンジの顔が動く。
不覚にも、身体がビクッと奮えた。
その首が、前にふられ・・・。
「その・・・ごめん。タクシー代は、その、マンション中の小銭をかき集めたんだ」
アスカはきょとんとした表情を浮かべてしまう。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・どうしたの?」
黙っていたからだろうか。シンジも首をひねる。
拍子抜けしたわけではない。そんなことあるもんか。
そもそも、いったいなにを期待してたのよ、あたしは!!
「いつまで、あたしを押し倒してるわけっ!?」
突き飛ばすように、シンジをどける。
「ああああ、ごっ、ごめん!!!」
薄闇の中でも、彼の顔が赤くなったのがわかった。
まったく・・・。
草を払いながら起き上がる。
土手を上がれば、あたりはもうほとんど夜だ。
シンジも後をついてくる。
「あ」
短い声を上げて、シンジが傍まできた。
「髪の毛に草が絡まっている。ちょっと動かないで」
仕方がないから、とってもらう。髪を触らせるくらい、今日のいろいろのサービスということにしておこう。
よって、先ほどのあれは、純然たる事故であり、あたしの感じたことは錯覚なのだ!!
「ほら、とれた」
草が三、四本、シンジの指につままれていた。
「ん、ありがと」
まったく唐突に、彼の指が、自分の顎にかけられた。
え?
心拍数を跳ね上げがる。
なぜか、彼女はさからわなかった。
顎を上に向けられた。さらに右へと捻られ・・・・。
「ほら、アスカ、一番星」
空いた手で、空の一角を指差してシンジはいう。
彼はもう一回、土手下に蹴り落とされた。
END
(Act2へ
続く?)
三只さんからの『Lady And Sky』後編です。
結局バイト代はシンジのもとに。
まぁ実際に働いたのはシンジですからな(笑)
食事代が無くならなくて良かったのです。
シンジとアスカの絡み合い(謎)も、甘すぎずに良かったですね。
感想メールを出せば続きを書いてくださるかもしれません。是非感想を出しましょう〜。