シンジ編

碇シンジ 作戦課長

written by オサーン

午前6時
「うぅぅ・・・熱あるみたいです・・・ミサトさん・・・」
シンジはいかにも、という様子でミサトに訴えかける。シンジの手には体温計があり そのデジタルの数字は38.5℃を表示していた。
「あら、風邪かしらね?病院行った方がいいかなぁ?」
「病院はいいです・・・今日は部屋で休ませてください・・・」
「しょうがないわね・・・今日も私は仕事があるから、何かあったら電話して」
「はい・・・」
部屋に戻るシンジ。しかしその後のリビングでの会話に彼はしっかり聞き耳を立てていた。

午前7時
「えー!?シンジが病気で、お弁当も何にもないぃぃ!?」
「そうなのよ。やっぱりシンちゃん最近疲れ気味なのかも知れないわね」
「で、どうするのよ?」
「病院には行きたくないみたいだし。部屋で休ませておこうかなって。私も今日はもう仕事に出なきゃいけないのよ」
申し訳なさそうにミサトが言うと、少しの間を置いてアスカがきっぱりと言う。
「アタシも休む!」
「どうせ学校の授業も退屈だし、お弁当もないし、お風呂にも入って行けないんだもん。
今日は自主休校するわっ!」
「そう、シンちゃんの看病をしてくれるってわけね?アスカ」
すると顔を赤くしてアスカは反論する。
「何バカなこと言ってんのよ!大体アイツがどんなになっても知った事じゃないわ!
アタシだってたまには家でゆっくりしたいのよっ!!」
そう真っ赤になりながら怒鳴るアスカをクスリと笑いミサトは
「じゃあ、私は行ってくるから。何かあったら電話してちょうだい」
と言って部屋を出て行った。

午前7時30分
アスカはトーストを焼いていた。普段なら慣れない和食でもおいしそうな朝食が並んでいるはずの食卓は何か物足りなかった。
トーストを2枚食べ終わると彼女は、今日は何もしてくれなかった同居人の部屋の前に立って呼びかけてみた。



「バカシンジ、いる?」
「あ、アスカか。今日はごめん・・・・・」
「謝らなくたっていいわよ。全くバカなんだから・・・今日はアタシも1日家にいるから何かあったら呼びなさいよね!」
「ありがとう・・・」


遡ること13時間前、加持リョウジの執務室
そこには応接用の簡単な机と椅子があり、着席しているのは碇シンジだった。
ポーズは両肘を付き、口の前で手を組んでいる、いつもの彼の父親そっくりだった。
「加持さん・・・・・」
「別にあなたにも害はない・・・むしろあなたにとっても得るものは大きいはずです」
「その辺はわかっていますよね・・・」
抑揚のない話し方で・・・言葉遣いこそ気を使っているが話し方はどこか傲慢だった。
「だからって諜報用の長時間小型カメラを貸せって、それに明日、葛城を引き止めてくれって言うのは・・・」
「あなたに迷惑は掛けませんよ・・・それとも僕の申し出を拒否するんですか?」
彼は学生服の胸ポケットから1枚の写真を取り出す。加持がミサト以外の女性と腕を組んで写っていた。
そして沈黙という交渉のテクニックを絶妙に使っている。
「・・・わかった・・・今持って来るから・・・で、詳しいことは後で電話をくれ」
(血は争えないな・・・全く将来が見えてくるよ・・・)
ロッカーから彼の求めたものを持ち出して彼に渡す。
この交渉はシンジの勝利だった。上目づかいに加持を一瞥してからゆっくりと手を伸ばす。
彼は「ありがとうございます」とは言ったものの、そのあとニヤリと笑って部屋を去った。


午前8時
「アンタさぁ、ご飯は?」
「食べてないよ・・・」
「じゃあ薬も飲めないじゃない。一回出てきて何か食べなさいよ」
シンジが部屋を出るとキッチンに向かってアスカがいた。何か調理をしているようだった。こんな姿を同居人は初めて見たと言っても良かった。
彼女はミルクを温めていた。
そして向き直ると「ま、大したことはなさそうね。」と言い、温めたミルクを大皿に移し替えて冷蔵庫からパンを出した。



「これにパンを浸して食べるのよ。ま、病人食ね。」
彼は大袈裟に驚き、感動した様子で礼を言う。
「まあ、いつもやってもらっているわけだし・・・たまにはしてあげないとね・・・」
と俯きながら、赤い顔をしてボソボソと話した。
ミルクは甘く、わざわざイチゴのジャムが溶いてあった。それにパンを浸して食べていると、アスカは彼に背を向けてこう言った。
「今日はアンタの看病をするわ!未来の旦那様の予行演習よ。ま、ちゃんと感謝するのよ!」

そう言いつつもキッチンに向かっている彼女は真っ赤に染まっていた。
「う、うん・・・・・」
朝食を終え、彼は部屋に戻るとベッドに横になった。もちろんタヌキ寝入りである。
すぐに体温計を温めていた脇の下近くのカイロを引きはがしてベッドと布団の間に挟み込んだ。

程なくしてアスカも部屋に入ってきた。彼女は殊勝な事に洗面器にタオルを持参していた。
さらに一度出た後に何冊かの本を持ってきた。
ここに居座るらしい。シンジは作戦を考え始めた。
「うーん、額は熱くないわね・・・」と言いながらシンジの額に手をあててアスカが言う。
シンジは二重の意味でドキッとしていたがそれをやりすごした。そしてアスカはタオルを絞って彼の額に乗せる。そして持ってきた本を読み始めた。

彼は少し眠ってしまったようだったが、目を覚まして薄眼を開けて周りを確認した。
時刻は10時30分、アスカは彼の机で本を読み続けていた。
ふと何かしてやろうと案が浮かんだ。
「1、アスカ・・・アスカ・・・」
苦しそうに呻いてみせる。
「シンジ!?どうしたの!?」 ここで沈黙した後にさらに彼は続ける・・・
「み、水・・・」
「水ね。ちょっと待ってて」
アスカは急いで部屋を出てコップに水を持ってきた。そしてシンジの前まで来るとはたと気が付く。口の広いコップではこぼしてしまうではないか?このままこぼさずに水を飲ませるのは難しい。
ストローを使えば良かったのだが、苦しそうなシンジの声を聞いて彼女は完全に冷静さを失っていた。
彼女はある決意をし、ゴクリと息を呑んだ。



そして自らの口に水を含み、シンジの顔を少し横に向け、迷いなく自らの口を彼の口に密着させたのだった。そのまま口移しで水を飲ませはじめた。飲ませ終わると彼女は口の中に残っていた水を飲み干し、彼が落ち着いたのを確認して部屋を出た。
シンジもこの行動にはびっくりした。途中まで薄眼で見ていた。まさか・・・と思っていたが彼女の顔が近づいて来た時は思わず目を閉じた。その分だけ唇の感覚が鮮明だった。

彼は彼女の足音が近づいてくるのを確認し再び目を閉じた。目を閉じたものの彼は多少の笑みを隠せなかった。そしてさらに驚くべきことがあった。アスカが机を離れ椅子をこちらに持って来て彼の横に座っている。


それから30分程後、彼にはまた悪戯心が湧いてきた。今度は何にしようか・・・・・
「アスカ・・・・・アスカぁ・・・・・」
「シンジ、どうしたの!?」
心配して本を置き彼に手を掛けようとする。その手をシンジは握った。アスカは自分の近くに引き寄せて両手で優しく包み込む。
「シンジ・・・・・」
その手は柔らかく温かかった。アスカは少し赤くなりながらもそれを受け入れてやさしい笑顔を彼に向けた。

やがて、彼はまた眠ってしまった。そして気が付くと手は彼女の手を握ったままであり、彼女も居眠りをしていた。時計を見ると3時に近かった。彼女はお昼も食べずここにいてくれたらしかった。
仮病の彼はさすがにいたたまれなくなり、それにアスカに優しく看病してもらうという目的も予想以上の成果を上げ完遂していた。
それよりも大事な事は・・・アスカが自分の事を大切に思っているということを今日の彼女の行動で確信できたことである。
「僕に優しくしてくれた・・・・・」
それにあの水の口移しのキスは諜報用の特殊カメラに記録されているはずだ。誰に見せたいわけでもないが・・・・・一生ものの宝物だよ!!きっと・・・・・

彼は起きだしてアスカに声をかけた。彼女がなかなか目を覚まさないのと寝ぼけているようだったので身体を支えて自分のベッドに寝かせた。
気持ち良さそうに彼女は眠っていた。そして無意識のうちにアスカは笑顔を見せていた。

彼は夕食の準備を始めた。今日は僕の人生で最高の日だったかも知れないと思いながら、鼻歌交じりで料理を始めた。アスカが起きだしてきたのは夕方だった。
「あら?アンタ、もういいの?」
と寝起きで言った彼女に
「ありがとう。もう大丈夫だよ。アスカが看病してくれたおかげだよ」
と言うと
「バーカ」と抑揚なく、何もなかったように一言言って洗面所に向かって行った。
この日のアスカは彼に対し、いつもの高圧的な態度をとることはなかった。


翌日、シンジは加持の執務室で、頼んだ時とはまるで正反対に加持に対して頭を下げ、礼を述べていた。そして、記録の一部分の映像に関して補正と複製を依頼していた。使う事があるとしたら・・・この物的証拠は今後の彼女に対しロンギヌスの槍のように最終兵器になるはずだ。


碇シンジの作戦は見事に成功を収めた。




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