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第17回の記録に入ろうかと思う。

今回は、これまでにも幾度かあったように私以外の観察者の協力を得ている。
協力者は青葉シゲル、観察対象の知人の1人だ。

あ、どうも。よろしくっす。

では早速入ろうかしら? いい、青葉君?

はい、いいっすよ、赤木博士。あの時の状況を説明すればいいんすよね。

……ええ、そうよ。では始めてもらおうかしら。

んじゃ早速。
あー、あれは俺が勤務の合い間の休憩時間にマヤちゃんとちょいといい雰囲気に……。

ちょっと待ってもらえるかしら、青葉君。

えっ、な、何か拙かったですか?

あのね、一応これはレポートという事になっているのよ。
だから口述とはいえ、砕け過ぎないでもらえるかしら。

あ、そうっすね。いや、そうですね。
じゃあ……では、こほん、ゴホッゴホッ!
あー、あ〜、ハァ〜ン♪
あめんぼあかいなあかさたなーっ!

ちょっとうるさいわよ!誰が発声練習しろって言ったのよ!
……いいから始めなさい。別に貴方じゃなくてマヤに頼んでもいいのよ?

い、痛い……すんませんでした。
それでは青葉シゲル、報告に入らせて頂きます。


◆◆


「あ、ね、ねえ、青葉さん。あれってシンジ君とアスカちゃんじゃない?」

マヤちゃんがふと一点を見やって小声で私に話しかけた。
ちょうど勤務の合い間の休憩時間が彼女と重なり、何か飲みながら会話でも楽しもうと
カフェテリアに2人して来ていた時だった。
そして束の間の休息を穏やかに楽しんでいた所で、彼女は不意に私の顔から視線を外して
私の後方を窺いながらひっそりといった様子でそう口を開いたのだ。
彼女の目線の動きに従って私もさりげなくそちらを振り返ってみた。
すると、そこには確かに彼女が言った通りの2人組みが歩いているのが見えた。
だがどうも様子がおかしい。
先を歩くのはアスカちゃんで、肩を怒らせながら前のめりになるようにして早足で歩いており、
それをシンジ君が困惑した風に追いかけている。
何かとシンジ君がアスカちゃんに話しかけているようだが、少女の方は聞く耳を持っていないらしい。
そのまま振り返ったままでいるのも目立つと思い、私は体を再び元に戻して、
興味津々といった風情で頬を赤らめている目の前の女性に声を掛ける事にした。

「なあ、マヤちゃん。あの2人、また喧嘩したのかな」

「……」

彼女はのめり込むと周りが見えなくなる性癖がある。

「マヤちゃん? おーい、答えてくれー」

「うふふ」

彼女は恋愛談義が大好物だ。

「マヤちゃん? ……俺と結婚してくれ」

「……えっ!?」


かくして私は彼女に結婚を申し込む事に成功……いたっ!
え? 余計な解説は要らない? でもサイドストーリーがあった方が話に奥行きが。
いや、すみません。もうしません。本当に申し訳有りませんでした。

いい事、今度余計な事付け加えたら結婚式の仲人引き受けるの止めるわよ?

ええ? そりゃないっすよ。俺が司令を説得するのにどんな覚悟を持って臨んだか……。

結局私とシンジ君が説得したじゃないのよ。何言ってるの。いいから続けなさい。

はいはい、了解致しましたよ、仲人の奥方様。では、報告を続けさせて頂きます。


「……えっ!?」

今度はどうにか反応を返してくれ、彼女は頬を赤らめたまま喜び半分疑い半分といった表情で
私の顔を見つめてきた。
私としてはこの場に限って言えば別に本気だった訳ではないので、悪戯が成功したかのような
ニンマリとした笑顔を寄越してやると、彼女は頬を膨らませながらテーブルの下で
思いきり私の足を踏みつけた。何も捻る事はないだろうとは、とても言えなかった。
それはともかく、マヤちゃんの注意を引き戻す事に成功したので、改めて話に入る事にした。

「あの2人、また喧嘩したのかな」

「そうみたいね。今回は何が原因なのかしら? まあ、大体想像はつくんだけど」

「大方アスカちゃんがいつもの如く嫉妬を燃え上がらせたんだろうけどさ。でもシンジ君は多分……」

「間違いなく、気づいてないんでしょうね」

「というか無実だろ、シンジ君は」

「いつもの如く、ね。まあ、アスカちゃんの気持ちも分からないでもないけど」

「そうかなぁ? 確かにシンジ君は少々鈍過ぎるけど、心配しなくても浮気なんてしないぜ?」

私がそう言って彼女を見やると、マヤちゃんは笑って首を振った。

「そうじゃなくて。ただ面白くないだけなのよ。シンジ君がチヤホヤされるのが。それが誤解でもね。
自分だけを見てて欲しいのよ、いつでも」

「シンジ君は限りなくそれを満たしてると思うけどねぇ」

顎を撫でつつ私がそう呟くと、マヤちゃんは意味ありげに私を見て、それからふっと笑いを零した。

「何?」

「ううん、まあ、シンジ君がそれを満たしてるっていうのは否定しないけど、
でも決定的な所が欠けてるんだもの。アスカちゃんには確信が持てないのよ」

「なるほどねぇ。決定的……。確かにあの2人、恋人同士じゃないもんな、本人達の言によると」

そう言って、再び私はシンジ君とアスカちゃんの方をさりげなく窺った。
肩越しから聞こえてきた、そうね、というマヤちゃんの声がどこか寂しそうに聞こえたのは
この時は気のせいだと思った。
私達が観察していると、アスカちゃんは益々興奮してシンジ君に何やら言い募っており、
シンジ君がそれに必死に答えている様子が見て取れた。
ある程度距離が離れていたので、残念ながら会話の内容は聞き取れなかったが、
その内にアスカちゃんの様子が悲痛なものに変わって行き、そしてシンジ君が彼女の手を取って
じっと彼女を見つめながら何かを語り掛ける姿が見えた。
この頃になると私もすっかりこの覗きにも似た行為に熱中してしまっており、
またマヤちゃんも固唾を飲んで若い2人を見守っているようだった。
シンジ君が何をあの少女に言ったのかは分からない。
だがひょっとすると、マヤちゃんが先程語った“決定的”な何かを口にしたのかも知れない。
次の瞬間、私は息を飲んだ。思わず拳を握り締め、やった! と心の中で快哉を叫んだ。
テーブルの向かいに座るマヤちゃんの息を飲む音も聞こえた。
それは決定的瞬間だった。
ほんの一瞬の出来事だったのだ。
シンジ君の言葉を聞いたのであろうアスカちゃんが彼と両手を握り合ったまま、
バッと勢いよくテーブルの上に体を乗り出して彼に口付けをした。
刹那唇を重ねただけで、すぐにアスカちゃんは椅子に腰を戻してしまった。
シンジ君の表情は私達の位置からは殆ど見えないのだが、アスカちゃんの方はよく見える。
彼女はその燃え立つような髪の色に負けないほど肌を染めており、もぞもぞと照れ臭そうにしながらも
しかしそれでも相変わらずシンジ君と握り合った手は放そうとはせずに彼を見つめていた。
そのまま見つめ合う初々しい2人の様子を見続けていたいという欲求は当然の如くあったのだが、
生憎と私もマヤちゃんも休憩時間の終わりが迫っていた。
そうして、私達2人は何とも胸がほこほこと温かくなるような、
不思議と幸せな気分でその場を立ち去る事にした。
仕事場に戻る道すがら、マヤちゃんが私に話しかけてきた。

「ねえ、青葉さん。ほんとに良かったわねぇ、あの2人」

「ああ、そうだな。俺なんか思わず叫びそうになっちまったよ。なんつうか、こう……ほんと嬉しくてさ」

「ふふ、そうね」

「良かったよなぁ、2人とも。まあ、会話内容は聞いちゃいないんだけど」

「でも、あれなら間違いないでしょ? シンジ君はどうやら言えたようね?」

「決定的って奴かい? 何て言ったんだろうな」

ポケットに手を突っ込んで私が横を歩く彼女を見やると、
その数年来の同僚の女性は私が今までに見た事もないような表情を見せた。

「……マヤちゃん?」

「青葉さんなら何て言います?」

「あ? 俺ならそうだなぁ……ちょっと思いつかないなぁ……。どうもこういうのは苦手なんだよ。
皆からはそうは見られないんだけどさ。この髪のせいかな、やっぱり」

少し考えて、結局思い浮かばずにマヤちゃんを見やると、
彼女はこう言い捨てて、私を置いて自分の部署に歩き去っていった。

「私ならさっきの言葉で構いませんよ」


◆◆


さて、今回の事例はこれまで。ではこれから……。

ちょ、ちょっと、赤木博士。

何よ? 問題でもあるのかしら?

いや、あの、まだ続きが……。

ああ、またの機会にね。

え、あの……。

またの機会にね?

……はい。……うう、俺とマヤちゃんのスウィートメモリーが。

さ、では無粋であるのは分かっているが分析に入ろうかと思う。
今回の事例は非常に貴重なものである。その場に偶然行き合わせた青葉シゲルと伊吹マヤには
この情報を提供してもらい大変に感謝している。

そりゃそうっすよ。この2年くらいずっとシンジ君とアスカちゃんの仲が
ネルフでの一番の関心事だったんすから。皆マジで喜んでますよ。

そうね、青葉君。でもね。

え、なんすか?

口を挟むのなら口調に気を付けてくれるかしら?

う……、青葉一尉、了解しました。

あら、その一尉とかそういうの、久し振りに聞いたわ。

そうですね、赤木博士は休職中ですからね。復帰はまだですか?

ええ、そうね。まだ娘が目が離せないしね。私も傍にいたいし。ま、その話は後にしましょう。
とりあえずはこの録音を済ませるわよ。

りょ〜かい。

こほん、では、続けるとしよう。
本事例では観察対象、シンジ君とアスカの関係に大いなる変化をもたらす決定的瞬間が見受けられた。
これまで2人は長い間付かず離れずで周りをやきもきさせ、また当人達、とりわけアスカにとっても
長くもどかしい時間が続いていた訳だが、とうとうそれに変化が現れた。

生憎と会話内容までは捉えられなかったのだが、しかし恐らくはシンジ君がアスカに対して何らかの
意思表示をしてみせたと思われ、それに感極まったアスカが観察者をして思わず快哉を上げさせる
所であった口付けという行為に及んだと思われる。

シンジ君の言葉に対するアスカちゃんの返答という訳ですね。

そうね。その際にアスカがシンジ君に対して言葉にして答えを返したかどうかは不明ではあるが、
しかし彼女の行動と態度がそれを代弁して余りあるものであっただろう。
ただ、ここでひとつの懸念が浮かび上がる。

シンジ君が果たしてそれを汲み取る事が出来るかという事ですね。

その通り。彼は並の人間よりもそうした機微に疎い為にはっきりとした言葉で伝えなければ
理解出来ないという可能性があるのだ。だが、それも杞憂で終わるというのが大方の見方である。
何故なら口付けをした後の2人を僅かの間ではあったが引き続き観察していた青葉・伊吹両名によれば
観察対象2人を取り巻く雰囲気は総じて意思の通い合ったとても好ましい様子であったという事だ。

あれは素晴らしいひとつの絵画でしたよ。
まさしく完璧でした。
アスカちゃんはこれまでになく魅力に溢れ、
繋がれた両手には2人の想いが疑いようもなく込められていました。

あら、中々語るわね。
ところで私がひとつ指摘したいのは、この2人の関係の変化が
シンジ君の意思表示によってもたらされたという点だ。
この点は今後の2人の関係を考える上で非常に意義があったと見るべきであろう。

アスカちゃんとしては嬉しいでしょうね。そう、言ってみれば……。

決定的な態度を示したという訳ね。
アスカは常に不安に怯えてきた。いつシンジ君を失うかも知れないという不安に。
それはシンジ君とて同様であっただろうが、自覚の度合いから言えばアスカの方がより大きいと言える。
また彼女の性質上、所有欲というものが強い為、これによってシンジ君が自分のものであるという
確信を得ると共に、また逆説的に自分が彼にいかに包まれていたのか自覚できるだろう。

気が強いですからね。征服欲とか所有欲とか強いんですかね。
マヤちゃんはそれは母性の強さにも繋がるって言ってましたけど。

それもひとつの考え方ね。
庇護しようとしながらも自分も相手に包まれ安心できる。理想的ね。

俺とマヤちゃんも理想的ですよ?

ふふ、どうしてもそれを喋りたいみたいね。いいでしょ、じゃあ、ここまでにしましょうか。

あ、それじゃ今度は俺とマヤちゃんのストーリーを。

はいはい、慌てるんじゃないわよ、聞いてあげるから。ただし録音は無しよ。

無しっすか。

そ、無し。ところでマヤはまだ来ないのかしら。

ああ、どうしても片付けなくちゃいけない仕事があるからって。でもそろそろ来る筈ですよ。

そう。じゃあ暫くは私とアイが聞き手になってあげる。紅茶でいいかしら?

あれ、コーヒーじゃないんですか?

最近はね。まあ、コーヒーも飲むんだけど。で、どっち?

紅茶をお願いします。
お、アイちゃん、何かこないだ会った時より大きくなったなぁ。

あー、ばー、あぉーば。

はは、もうちょいですね。大葉みたいだ。

あら、青葉君の事憶えてたのね。えらいわ、アイちゃん。
このくらいの時期なら日々大きくなっていくわよ。成長がはっきりと分かるのよ。感慨深いわ。

すごいっすねぇ。赤木博士もすっかり母親ですね。その髪を初めて見た時は仰天しましたけど。

まあ、もう染める必要はなくなったからね。で、マヤの話もそこら辺の事じゃないの?

へ?

あら、違うの?てっきり後何ヶ月かしたらマヤのお腹が膨れ上がるのかと思ってたけど。

え? そ、ちょ、は?

何が言いたいの? アイの方がまともに喋るわよ、今の貴方に比べたら。

ちょ、ちょっと待って下さいよ? 俺、何も聞いてないですよ? それマヤちゃんが言ったんですか?

さあ?まあ、マヤが来たら分かるでしょ。さ、話がしたいんでしょ?
紅茶淹れるまでアイを見ててくれるかしら。ちょうどお昼寝から起きちゃったみたいだし。

はあ……了解です。……いや、了解とか言ってる場合じゃ……。

あら、いけない。録音しっぱなしだったわ。
第17回録音はこれで終了。次回予定は未定だが、今後の2人の動きが気になる所だ。

まんまー、だっこー。

ん? アイちゃん、少しの間青葉のお兄さんに遊んでもらいなさい。ね?

あおーばっ?

そうだよ、アイちゃん。よっと。人見知りしませんね。

そうなのよね。それは助かるんだけど、知らない人間について行くんじゃないかってちょっと不安だわ。

はは、まだ目が離せないって事ですね。じゃ、俺達は向こう行ってますから。

ええ、お願いね。あっと、こっちも切らなきゃ。
第17回はこれでお終い。今回は有意義だったわ。



◆◆◆◆◆◆

その3へつづく
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