ママは何でも知っている

                          リンカ


ここに或る一連のレポートを記す事にしようと思う。
作成にはMAGIシステムを通した音声録音の携帯型レコーダーを使用する。
作成期間がどれだけ掛かるかは現時点では全くの不明。
それはまさしく神のみぞ知る、と言いたい所だが、実際の所は私が観察対象にどれほどの
忍耐力を発揮出来るかにかかっている。
観察対象は2人の男女。
コードネームは“シンジ君”と“アスカ”である。
コードネームらしくないが、気にしない事にしよう。
さて、本レポートは当該2名の観察対象の関係を考察するものであるが、
あくまで観察が主となっていることに留意されたい。その意味では観察記録と言った方がいいだろうか。
観察者は私自身と、そして幾人かの協力者である。
レポートは観察者の主観による観察時の状況と、それに対するレポート作成者である私の分析から
構成される事になる。
なお、このレポート作成はごく個人的な動機によるものであり、公的な属性は一切帯びない。

こほん……では、早速……ああ、アイちゃんが泣いてるわ。あの泣き方はおしめかしら?

少し席を外すとする。




……さて、先の録音から3時間が経過した。……中々母親って大変だわ。

こほん、それはともかく、今日の録音は残念ながらこれで中止とする。次回予定は未定。
ああっ、また目を覚ましたのね。では、次回からはいよいよ……アイちゃん引っ張らないで。
ママは今お仕事中なのって言っても分からないわね。
よいしょ。日に日に重たくなってくるわ。母は強しね。その内ちからこぶでも出来そう。

ばうっあうー。
ガガ……ベチャ……。

ちょっと、食べないで!

……次回からは本題に入る今日はこれでお終いさっアイちゃんネンネしましょ!



◆◆◆◆◆◆



さて、第2回の録音に入ろう。

何と前回から3ヶ月の時間が経過した。中々に前途多難である。
では、前回録音した通り、本題に入ろうかと思う。

因みにこの記録に使用するレコーダーは3号機だ。……初号と弐号はアイちゃんにより破壊された。

こほん。では、まず観察時の情景から入るとする。その後幾ばくかの分析を加えたい。
なお会話部分の再現はMAGIを使用して非常にドラマティックに仕上がっている。
良い仕事したわ。

それでは、某日、観察対象が私の家に訪問して来た時の事だ……。


◆◆


「お邪魔しまーす!」

「お邪魔します」

「こら、バカシンジ。アンタはお邪魔しますじゃないでしょうが!」

「そ、そうだったね……」

私の家にシンジ君とアスカが訪ねてきた。
時間はまだ午前中だ。今日は休日なので学校はない。
相も変わらず2人一緒で仲の良い事だ。

私が玄関まで出迎えた所、2人は改めて挨拶をして靴を脱ぎ家に上がった。
その様子を見るに、アスカは別に靴を脱ぎ散らかしはしないが、
基本的に脱いだそのままだ。
それに対しシンジ君は脱いだ靴を綺麗に揃える礼儀の良さを発揮した。
しかもアスカの靴まで揃えてあげている。
アスカは私の横を通り抜けそのまま我が家のリビングへと歩いていった。
シンジ君が靴を揃え終わり私の方に向いた。

「あの、た、ただいま……リツコ義母さん」

「え、ええ、その、おかえりなさい……シンジ君」

何とも照れる瞬間だ。

シンジ君と私は義理の親子関係だ。
すなわち彼の実父と私が婚姻関係にあるということになるのだが。
良い子だわ、シンジ君。
しみじみとそう思う。
現在シンジ君とアスカは2人暮しだ。
保護者役であった女は非常識な親心を発揮して2人との同居を解消してしまった。
その際、その保護者の女が所有していたマンションの部屋を2人に譲ろうと
考えていたらしいのだが、シンジ君の父親に具申した所、
彼が2人の為に新しい住居を用意してしまった。
そしてそこでシンジ君とアスカの新生活が始まったという訳だ。
なお、父親や私との同居は、新婚家庭の邪魔をしたくないとシンジ君から断わってきた。
新婚……何て甘美な響きなのかしら……。

こほん。少し話がずれてしまった。
では続きを。

私とシンジ君が心持ち俯いて向かい合って立っていると、
腕の中の娘が身を捩ってシンジ君に手を伸ばした。

「あうー、あだ、に、ちゃ」

「はいはい、アイ。元気だったかい?」

シンジ君が微笑んで、アイの伸ばしたその小さな手を取って顔を覗き込んだ。
それにアイは喜んで足をバタバタとさせる。
うん、アイちゃん。ちょっと暴れ過ぎよ。ママのお腹蹴らないで。

そうして私とシンジ君と、私の腕の中のアイはリビングへと向かった。
リビングではアスカが既にソファーに座って寛いでいる。
私達がリビングへ姿を現すと、彼女は一瞬シンジ君の方を不満そうに睨んで顔を逸らした。
アスカはシンジ君を待っていたのだ。
自分でスタスタと歩いていっておきながらこの態度はどうかとも思うが、
反面何ともいじらしいとも言える。
その後お茶とお菓子を用意して4人で寛ぐ事となった。
この日はシンジ君の父、すなわち私の夫は在宅していない。冬月氏と何処かへ出かけてしまったのだ。
ソファーにはシンジ君とアスカが並んで座っている。
2人の間隔は人半人分ほど空いていた。
それぞれ気に入りのお菓子を選びながら紅茶を口に運び、楽しく会話している。
私もそれに加わり、そして我が娘は私の隣でクッションに埋もれている。
熱い紅茶に手を出されては堪らないからだ。
2人の近況なども話題に上るが、さして色気のある話はない。
2人暮しの状況も、シンジ君もアスカも口を揃えてただの同居だと言って憚らない。
保護者の女のお節介も今の所は実を結んでないようだ。
暫しの穏やかな時間を過ごしている中で、不意に我が娘が声を上げた。
いや、声自体は始終上げているのだが、何かを訴え始めたのだ。
私がそれに応えて、クッションの海で泳いでいた娘を覗き込むと
彼女はテーブルに向かって手を伸ばして涎を垂らしながら何やら訴えている。

「どうしたの? ひょっとしてお菓子が食べてみたいのかしら」

そう言って私が娘の口元にケーキを持って行くと、彼女は口を噤んでイヤイヤと首を振る。
何種類か試してみたのだが、どれも気に入らないようだ。
そしてやはりテーブルに向かって手を伸ばす。
私やシンジ君達がそれを見て一体どうしたいのかと思案していると、
不意にひとつの答えが浮かび上がった。

「ひょっとしてシンジ君の食べてるのが良いのかしら?」

確かに娘はシンジ君の方に向かって手を伸ばしている。
しかし私がシンジ君が食べていたものと同じものを差し出すと、やはり彼女はそれを拒否した。
それを見てシンジ君が口を開いた。

「じゃあこっちに来たいのかな? リツコ義母さん、アイ貸してみて」

シンジ君の言葉に私が娘を抱き上げて彼に渡し、彼が膝の上でアイを抱く。
それに横のアスカが不機嫌そうな顔をしたのに、私は気付いた。
というより、これは毎度の事なのだ。彼女は何と赤子のアイにさえ嫉妬する。
この時もアスカは不満そうな顔をしながら、しかしそれを表に出す事はなく、
何も言わずに座っていた。アイはシンジ君の妹だというのに、やはりそれでも悔しいのだろうか。
シンジ君が膝の上のアイを覗き込みながら、自分が食べていたものを彼女の口元に持っていった。
アスカがそれにピクリと反応した。
シンジ君の隣で紅茶のカップとソーサーをカタカタいわせながら手に取り、カップを口元に運ぶ。
アイは嬉しそうな顔をしてシンジ君が差し出したお菓子にかぶりついた。
そのまま涎塗れでボロボロと零しながら口をお菓子にくっ付けてモムモム動かしている。
シンジ君はそれを見て優しそうに笑っていたが、
隣の少女ははっきり言って鬼のような形相をしていた。

この日はそのままシンジ君とアスカは泊まっていった。
こういう事はしばしばある。気を遣って別々に暮らすとはいえ、やはり家族。
なるべくは時間を共にしたい。そこでシンジ君が訪ねて来てくれるのだ。
因みにシンジ君達の家と私の家は共に一軒家なのだが、数軒分くらいしか離れていない。
彼の父、つまり私の夫の仕業だ。
それはともかく、この日はシンジ君とアスカは泊まっていった訳だが、
その間のアスカの態度ときたら、とんでもなくシンジ君に甘えていた。
ただし、甘えるといっても甘い事をするのではない。我侭を言うのだ。
それはもうシンジ君に哀れを催すほど。
もう我が家はアスカにとっても勝手知ったる場所なので、それほど遠慮はしない。
流石にシンジ君の父がいる時はそれなりに気は遣うが、私にはそれもない。
という訳で、シンジ君はあのティータイム以降アスカにビッチリ張り付かれて
なんのかんのと注文やら文句やら、もう大変だった。


◆◆


……さて、状況についてはここまでにして、ここから幾らかの分析を加えてみよう。

まず、シンジ君とアスカは2人暮しをしていて、それを2人は揃って同居と呼び習わしている訳 だが
ここに2人の内心の相違が見られる。
シンジ君にとってはどうなのか、それはひとまず置いておくとして、
アスカはどうなのか。
彼女が同居と口にする時、その表情と声音には何とも複雑な逡巡や焦燥、
心痛や虚勢などが隠しようもなく含まれている。

アスカはシンジ君に恋をしている。
これは疑いのない事実であり、否定する者は皆無だ。
いや、ただ1人、それを否定するとしたらシンジ君だろう。
というより、彼はアスカの想いに気付いていないのだ。
彼女があの戦いのいつ頃からそれを抱き始めたのかは定かではないが、
しかしもはや隠しようもなくそれを抱えている。
だというのにシンジ君は気付かない。
これは何故だろうか。
シンジ君が鈍感ボケボケ大王だから、と言ってしまうのは簡単だが、
それは事実でありながらしかし全てではない。

シンジ君は愛情に恵まれなかった。好意というものに恵まれてこなかった。
故に彼はそうした感情を取り零してしまうのだ。
捉えきれないのだ、彼の中で。
今では随分とそれも改善してきたが、どういう訳かこと恋愛面には一向にその改善が及ばず
結果、共に暮らしている少女の自分に対する熱烈な愛情に気付いていない。
それゆえにアスカは同居と嘯きながら溜息を漏らす事となるのだ。

では、シンジ君はアスカの事をどう思っているのか。
この世にも鈍感な少年が何とも思っていないのかというと、それはそうでもない。
何とも思っていないどころか、この世でアスカが一番大事と内心では思っているだろう。
そう、内心では、なのだ。
元よりシンジ君は他人とのコミュニケーションが不得手だ。
とりわけ女の子など彼にとっては未知の生物だろう。
だがその中でアスカだけは明らかな別格だ。
それは傍目にも分かるものなのだが、
とはいえアスカもまた幼少期より歪な環境で育っており、
なおかつ彼女はその容姿が際立っているために
異性のアプローチと言うものにこの日本に来て以来度々晒されてきた。
よって、シンジ君の密やかな想いにアスカもまた気付いていないという悲劇が起こる。
優しくされているのは分かっているだろう。
自分がシンジ君の特別な存在だという事にも確信があるはずだ。
しかし、それが恋なのか、家族としての感情なのか、そこをアスカは計りかねており、
そしてシンジ君はそれをはっきりと言葉や態度で表そうとはしないのだ。

何ともじれったいと言えばじれったい。
彼らの今の関係を表すに、まさしく彼らがソファーに腰掛けた時に空けた間隔。
人半人分、というものが当て嵌まる。
くっつく事は出来ない。しかし離れたくはない。
手を伸ばせば届く。だが肩が触れ合うほどではない。
もどかしいものだ。

シンジ君が今の状況をどう思っているのか、それを推し量る事は難しい。
彼はアスカほど分かりやすくはないのだ。
しかしどうやら先の戦いの最中の事が引っ掛かっているらしく、
積極的な行動に出る事を怖れている節がある。
また、アスカが傍にいるというだけで満たされているようだ。

アスカの方は言うまでもなく焦燥に苛まれている。
シンジ君の妹であるアイにさえ嫉妬するのだ。
元々独占欲の強い少女であったが、よもや赤子にまで嫉妬するとは初めて見た時は目を疑ったものだ。
だが、アスカも自分から行動に出る事は怖れている。
彼女はシンジ君に拒絶されたら恐らく生きてはいけまい。
あの戦いの後アスカが立ち直ったのはひとえにシンジ君の存在があってこそであった。

お互いが何より大切だというのに何とも不器用な事だ。
この辺りは一度教授しておくべきなのかも知れない。
端から見ていても2人の関係が壊れる事などあり得ないのだが。
シンジ君の父を始め、周りの男性陣などは放っておけと言う。その内良いようになると。
しかし2人暮らしを始めてもう1年以上が経つというのに、キスもしないとは何やら不安だ。
無論キス以上などは現時点では問題外だが、それにしても何かいい手はないものだろうか。

……ああ、アイちゃんが呼んでいる。どうしたのかしら。

今回はここまでにするとしよう。次回予定は未定。
あらっ、アイちゃん。ここまで歩いて来たの? うふふ、あんよ上手ね。
よいしょ。ふふ、私が母親になるなんて想像もしなかったわ。いつかアスカも母親になるのかしら。
義母としては応援しなくちゃね。
ね、アイちゃん?

あう? うだっ、きゃっきゃっ……。

ああ、駄目駄目。これは食べちゃ駄目。

まんまー。

はいはい、ママはここよ。んー、ほっぺたすべすべね、アイちゃん。お散歩行きましょうか。

さて、では第2回録音はこれまで。
本記録がどこまで続くのか、出来ればとっととくっ付いて貰いたいものだ。
2人はいつでもくっ付ける環境にあるのだから。

あう?

あら、アイちゃんには早過ぎる話ね。アイちゃんも大きくなったらいい男を見つけるのよ?
少なくともママが納得して、パパを説得できて、お兄ちゃんに負けないくらい、いい男を。

ぱっぱ? にっちゃ?

そうよ。まあ、そうそういないだろうけど、ね。
さ、では今回はこれでお終い。行きましょ、アイちゃん。



◆◆◆◆◆◆

その2へつづく

寄贈インデックスにもどる

烏賊のホウムにもどる