好きだ好きだ好きだ

rinker




◆プロローグ; 二人はなかよし





二人とも、喧嘩の原因が何だったか、すでに憶えていなかった。
恐らく、いつもの如くそれは些細なものだったろう。
しかし、いつもとは違って二人の喧嘩はあまり満足のいくものではなかった。
お互いにぶつけあう悪口には切れが足りなかったし、
思う存分それを相手に浴びせることも出来なかった。.
二人は同年代の少年と少女で、少年の方の碇シンジはその日行われていた
シンクロテストの為に疲労が溜まっており、なおかつ家に戻ってこなさなければ
ならなかった家事が一層彼を鬱屈とした気分にさせていた。
もう一人の少女、惣流・アスカ・ラングレーはというと、彼女もまた彼と同じシンクロテストで
疲れて――彼女は滅多に弱音を吐かない少女であったが――いたし、
その上彼女はこの日、女性特有の体調不良を迎えており、それがひどく彼女を苛立たせていた。
従って、彼らの間の重要なコミュニケーションであり、ストレスの発散方法でもある喧嘩 は、
この日はただの後味の悪い口論になりつつあった。





ところで、彼らはエヴァンゲリオンと呼ばれる兵器のパイロットで、
使徒と呼ばれる生命体と戦い、これを倒す任務を負っていた。
シンクロテストとは、彼らがこの兵器を操る上で必要なデータ収集と訓練を兼ねたもので、
定期的に行わなければならないのである。
僅か13,4歳である彼らがそんなことをしなければならない理由は、
父親から久方ぶりに呼び出されるまでただの平凡な中学生に過ぎなかった碇シンジには
到底分かりかねたし、使徒と戦う目的で適格者として訓練を重ね、そして使徒の出現と共に
ドイツから日本へやってきた惣流・アスカ・ラングレーは、自分が選ばれた人間だという認識を
持った時点でそれに関して考えることをやめてしまっていた。
ともあれ彼らは今だ任務途中の身であり、
中学校に通いながら非現実な戦いに身をやつしていたのだが、
何の因果かそのさなかに作戦上の理由から二人は同居生活を始める羽目に陥っていた。
精確には作戦終了までの七日間限定同居生活のはずだったのだが、
碇シンジの部屋を乗っ取った惣流・アスカ・ラングレーの頭脳が弾き出した
――または彼女の膨らみ途上のハートが導き出した――結論と、
世帯主であり保護者であり上官である葛城ミサトの同意、追認をもって、
同居生活はそのまま期限を定めないまま続行されることになった。
碇シンジからすれば、良くも悪くも平穏としていた葛城ミサトとの生活を
この少女に完全にジャックされた形である。





つまりは、この日の彼らの喧嘩は家の中で勃発したのであり、
場所を限定すれば、戦場は惣流・アスカ・ラングレーの部屋の前の廊下であった。
思春期の少年と少女が一緒に暮らすということで、
常日頃から彼らは非常に盛んに衝突し合った。
それだけ相手のことをお互いに意識していたのである。
碇シンジにとっては、惣流・アスカ・ラングレーの綺麗な顔立ちや
同年代の少女達に比べてプログレッシヴなその肢体はとても甘やかに匂い、
惹き寄せられるに充分な魅力を持っていた。
無論、もう一人の同居人である葛城ミサトと比較すれば、
いかに惣流・アスカ・ラングレーであっても到底及びもしないものがあった。
何故なら葛城ミサトは成熟した女性で、申し分ない美人で、
かつ引き締まった抜群のプロポーションの持ち主だったからである。
けれど、かといって彼が葛城ミサトにだけ目を奪われ、少女の方を見向きもしなくなるかというと
そうでもなく、やはり少女の方にも惹かれてしまうのだった。
性格面はどうだったかというと、とにかく気が強くて高慢で我侭なこの少女に、
彼はほとほと困り果て、辟易としていたが、しかしその割には彼女に弱い部分が
あるという事実も知っていたし――いつもは思い浮かべることなどなく忘れていたが――
自分とは正反対であってもなかなか可愛いところがあるなどと世迷い言を思う時もあったし、
更には辟易として苦手意識を持っていた割には、彼女の扱いに関して様々に知悉しつつあった。
何より、彼は驚くほど精確に、様々な場面での彼女の姿を脳裏に記憶しており、
それをふと思い浮かべた時など、どうして自分がそんなにも彼女のことをすみずみまで克明に
憶えているのかと羞恥とも憤りともつかぬ思いを抱き、また脳裏に浮かび上がる彼女の鮮明な姿に
いつも落ち着かない気分にさせられた。
彼がもしもこれら自分の心情をあまさず誰かに伝えたとしたら、
その人物は一言でもって彼の陥った状況に答えを与えてくれるであろうが、
生憎と彼にはそんな相談相手はいなかったし、
まして彼は自分の心情を吐露したい少年でもなかったので、
己の奥から聞こえてくる一つの解答から必死に目を逸らし続ける日々であった。





もう一方の当事者である惣流・アスカ・ラングレーにとっては、
碇シンジとはどのような少年であったか。
これはいささか複雑なのだが、まず彼女にとって碇シンジはライバルであり、
目の上のたんこぶであった。つまりは邪魔な存在だったのである。
しかし、実際会ってみれば、何と頼りなさそうに映ったことか。
これはもう、完全に蹴落とすことが出来ると彼女は高を括って初めての使途との戦闘に当たった。
ところが自分の弐号機に同乗させた折の彼の行動を目の当たりにして、
彼女は少しだけその考えを改めることになった。
すなわち、ライバルで邪魔なのは変わりないが、意外といい奴ではないか、と。
その辺りが彼女が作戦上求められた期間限定同居生活を無期限続行する決断を下すに当たって
作用したのは、彼女自身が意識していたかどうかはさておき、間違いのないところだった。
でなければ、この人間不信に近い少女がわざわざ異性と一緒に暮らす訳がなく、
葛城ミサトが同居続行を認めたのも、それを察して好ましい兆候だと考えたからであった。
だが、意外といい奴だと胸に湧き上がった好印象は、
あっという間に沈み込んでいってしまった。
何しろ頼りない。
うじうじしているところも大いに気に食わないし、主張のないところも駄目である。
彼女をエリートとして意識しないところも甚だ不本意であった。
それでもたまに、おっと思うような頼り甲斐のあるところを彼が見せることがあり、
そんな時は不覚にも胸の奥が締め付けられるような切ない高鳴りを感じてしまうのだが、
年頃の少女としては微笑ましいその現象も、
すぐにいつもの彼の姿の中に埋没して見えなくなってしまう。
見えなくなってしまうが、しかし胸の奥にそれが燻っているのは事実であったので、
嫌いな人間が圧倒的に多く、それらに徹底して辛辣で無関心になる彼女にしては
珍しくも根気よく、彼とのコミュニケーションは続けられていた。
碇シンジの容姿に関しては、彼女はまずまずの評価を与えていた。
決して惹かれている訳ではないと彼女は思っていたが、
時として少女めいて見えるほどに繊細な彼の顔立ちは、厳めしい男を見慣れている彼女には
新鮮に映ったし、悪くもない。無論、人並みにという意味で彼女はそう思っていたのだが。
飾り気はないが艶々とした彼の黒髪を見ると僅かな羨望を感じ、
それがくしゃくしゃと乱れている時には駆け寄って撫でつけてみたい衝動に指がうずうずとした。
体格は生憎と彼女とそう大差ないくらいだったが、それはこれからの成長でどうとでもなるし、
彼の父親を見る限りは少なくとも背丈は伸びそうな気配が感じられた。
結局のところ、いくら様々に理由を付けようとも彼女にとっては碇シンジが
日本で最も親しい人間である――それは世界で最も親しいということと同義であるが――ことは
疑いようのない事実であったし、誰よりも素直に心を曝け出すことの出来る相手であった。
ここで言及すべきなのが、彼女を示す特徴の極めて顕著な一つとして、
素直でない、というものがあるということだろう。
何しろ母親が死んで以降、彼女は素直になったことがないのだ。
今更素直な態度を取れといっても無理な相談であったし、
であるにも関わらず、彼女の気の強い部分や子どもらしい部分にほとんど限られてはいたが
その素直さを引き出すことが出来たのは、碇シンジという存在の不思議であった。
彼女にとって最も気安く話しかけられるのは碇シンジであり、
内心の弱さや寂しさが表に顔を出しそうになった時にそれを誤魔化してくれるのは、
貧弱な人間関係の悲しさはともかくとして、彼を置いて他になかった。
苛立っている時に喧嘩相手になってくれるのも彼しかいない。
彼との喧嘩はストレス発散や退屈しのぎに効果抜群だった。
思い存分喚き散らすことが出来るし、一方の相手である彼のそんな姿と対峙するのも、
その時には最高に腹が立ちはするが彼女だけの特権のようなものだった。
おしなべて、彼女は日本に来て以来碇シンジのことを気にし続けており、
何故こんなに彼のことが気になるのだろうと内心首を傾げながら、
それでもこの少年に意味ありげな視線を向けたりして日々を過ごしていたのである。




つづく





あとがき

怪作様、読者の皆様、こんにちは。

このお話は、七話完結のお話です。
本当はひと繋がりの短編だったのですが、長いので章ごとに分割しました。
プロローグからエピローグまで、よろしければお読み下さいませ。
その上で少しでも楽しんで頂けたなら、嬉しく思います。

それでは、これで。

リンカ
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