一万二千年後の覚書

by リンカ

   13.レディ・グレイ

小型旅客飛行船内。
アスカが客席のシートに着いて窓の外を眺めていた。
この飛行船はカントールから隣国へと飛んでいる。東の隣国だ。
ボンヤリと、青い空と白い雲を眺める。更にその下に緑の大地が垣間見える。
後20分で隣国の飛行船発着場に到着するとアナウンスが入った。
アスカは微かに自分の姿を映し出す窓ガラスにそっと指先を触れさせた。


「・・・何処かで会えるかしら・・・」






アスカの乗る飛行船が発着場に到着し、彼女は取り敢えず市街地に向かう事にした。
宿も探さなくてはならない。発着場から延びる軌道車両に乗って市街中心部を目指した。
市街に着き、料金が安く、一応のサービスの行き届いたホテルを見つけ、
早速部屋に入った。街を見て廻る前に行動を決めなくてはならない。
肩に斜めに掛けていた大きなバッグを下ろしてベッドに投げ、中から携帯端末を取り出した。
ベッドの上に胡座を掻いて陣取り、足の上に端末を置いて操作を始める。
まずはこの国と周辺の状況を検索した。
現在この国は政権は一応安定しているが、隣のアスカ達の国が長年不安定な状況にある為、
常にその不安に晒されている。このところの状況の悪化につれ、この国へ脱出してくる
人間もいるようだ。経済的には余り規模が大きくなく国土も狭い国である為、
相対的に見れば脱出して入ってくる人間は少ないが、それでもこの国を圧迫し始めていた。
その中で、近年急進的な勢力が政財界で発言力を伸ばしているという話題があった。
今だ現政権の優位を覆す程ではないが、何処からか支援を受けているのではないか、
とも言われている、と。
周囲の他の国も大体規模としてはこの国と同じくらいで、ただ非常に治安の悪い無法地帯も
中にはあったりするので、移動する際不用意に入り込むと無用のトラブルに巻き込まれる危険があった。
アスカは顔の前に垂れてきた髪を掻き上げて、次の作業に取り掛かった。
移動するのに一々旅客機関を使っていたのでは能率的でない。何か足を得る必要があった。
その手の情報を幾つか検索してみる。理想はちゃんとした、その気になれば寝泊りも出来るような
車両が望ましいのだが、値と機動性を考えると、バイクというのが妥当だった。
幾つかのバイクや車に目星を付けて、店を確認する。ここで注文して届けてもらっても良いのだが、
自分の目で確認して買った方が良さそうだった。
アスカは下を向いて凝った首を回し、次にドロイドの情報を検索し始めた。
何も知らない土地を移動するのなら、どうしても自分1人よりもオペレーターが付いた方が良い。
案外値の張る品録を確認して行く。しかしすぐに彼女は髪をワシワシと掻き毟って検索を止めた。
足を調達してから選んだ方が良さそうだと判断したのだ。
アスカは視線を宙に泳がせた。
そして室内を見回して行く。どこででも似たような調度品。しかし何かがやはり違う。
窓の外を見れば見慣れない広告板が目に入った。それがやはり見知らぬ土地を認識させる。
胡散臭い男性モデルの、やけくそのような笑顔。白ペンキのような歯。趣味の悪い全体の配色。
何やら手に持った商品と思われる物。


「・・・品がないわ。アイツだったら・・」


無意識に言葉を出し、途中で何を口走る所だったか唐突に気付いて、
アスカは大声を上げて頭を掻き毟った。そのまま脚を振り上げてベッドに引っ繰り返った。
彼女のすらりとした、しかし張り詰めた獰猛な脚がバタバタと宙を掻く。

「あ〜!も〜!何なのよう!何でまたアンタが出てくんのよ!勝手に人の頭 ん中に出てこないでよ!
・・・・・もう、アタシどうしちゃったのよ。こんなのアタシじゃないわ。
今はこんなこと考えてる場合じゃないのよ。知らなきゃいけないことがあるんだから。
もう、アタシこんなおバカちゃんじゃない筈よ!よし!仕切り直し!」


脚がピンと伸びて天を突き、そして勢い良く起き上がった。
腹の上で持っていた端末を再び開き、暫しディスプレイを睨みながら指をコツコツと弾く。
どうしてあの少年のことがこんなに気になるのだろう。確かに間一髪という所で命を助けてもらった。
やはりそれが理由なのだろうか。
アスカはあの醜悪な獣の上に広がる鮮明な青空を思い出した。ああ、自分は死ぬ。そう思ったのだ。
思ったが、死ななかった。助けられたからだ。
その体験をどう整理していいのかアスカには分からなかった。
ただ、その後あの繊細そうな男に対して一定の信頼のようなものが生まれたのは確かだ。
だがしかし、今自分がこうして家族も友も捨て国を飛び出してきたのは、
シンジを追う為では断じてない、と彼女は思う。
今動かなければいけない、何としてもそれをしなくてはならないと、
どうしようもない程の衝動に突き動かされたからだ。“何か”を自分は知らなくてはならない、と。
シンジはそれを認識させるきっかけだったかも知れないが、別に自分は彼を求めている訳ではないのだ。
アスカは知らず知らず、端末の上に指を白くなるくらい強く押しつけていた。
自分の中の訳の分からないもやもやとした感情を計りかね、アスカは段々といらいらし始めてきた。
確かに彼とどこかで再会できればとも思う。だが絶対に探したりなんかしない。
それは自分の目的ではないはずなのだから。きっと。
彼女は大きく溜息を吐き、シャツのポケットをまさぐってゴムを取り出して髪を括った。


「まったく、何だってのよ。アタシを疲れさせないで。・・・バカシンジ」

アスカの指がひらめき、銃器の品録が表示される。
アスカは現在護身用にレーザーナイフと小型のレーザーブラスターを持っているが、
それはあくまで護身用の物だ。特に掌サイズのブラスターはどうしたって威力不足だった。
撃っても精々直径1センチ程の穴を空けるくらいだ。貫通には優れても頼りない。
重火器は不便だが、せめてもう少し機能の優れた物が欲しかった。
品録を下に流して行きながら、良さそうな物を探して行く。
大したものがないなと思いながら、
アスカの指が迷うように端末の上を動いた。
銃器を見るのを止め、今度は取引する事の出来るライドアームの一覧と取り扱う店が表示される。


「・・・・・高い。ママの遺してくれた遺産が手付かずであるから、何とか買えない事もないけど・・・。
でも・・・旧式が殆どだわ。装備も最低限。それに買うとなったらトレーラーか何か必要になるわね。
ずっとライドアームを飛ばしてたんじゃ、目立ってしょうがないわ。疲れるし。
いざってときこれがあると便利なんだけど・・・アイツも・・・機体持ってたわね。
でも・・・。・・・やっぱ駄目ね。幾らお金はあるって言ったって、殆ど全額使っちゃう事になるし。
やめやめ、やっぱ止めた」


アスカはライドアームの情報の表示を消して、天井を睨んだ。
母―本当の母―はアスカにかなりの遺産を遺してくれた。
勘当されて以後、アスカと母は2人で暮らしていたのだが、別段高給な仕事をしていたわけでもなく、
何故あれほどの財産があったのか、アスカは知らない。
母の実家の事も知らない。父は資産家だった―少なくともそういう記憶がある。アスカは
勘当されて以後、父の事を調べようとはしなかった。だから、何となく豊かな暮らしをしていた
ような記憶が朧げにあるだけだ―が、勘当した妻と子にそれほど財産を持たせていたのだろうか、と
今更疑問に思った。
そういえば母が父を非難するのを見た事がない、と彼女は思い至った。
アスカはベッドの上に座り、その表情を悲しく歪める。
何か事情があって、母と自分を捨てたのだろうか。母はそれを納得済みだったのだろうか。
母は本当に詰まらない事故で死んでしまった。
人とはこれほど呆気無く死ぬものかと、戦場に出て以後は殊更にそれが悲しく思い出された。
体に穴が空いて尚生き残る人間もいれば、頭を打っただけで死ぬ人間もいる。
父が今どうしているのか、アスカは知らない。生きているのかどうかさえ知らないのだ。
もはや父に対する愛情も無ければ、憎悪もまた等しく無いアスカであったが、
願わくは生きていて欲しいと、自分でも理解出来ない想いが胸の中に広がった。






「ですので、お客様ですと此方のバイクが宜しいかと。ああ、勿論これはバイクでしたらの話でして、
スカイカーでしたら、こういったものもありますが」


壮年の店員が、様々なバイクや車が展示してあるフロアで、アスカに向かってカタログの表示された
ディスプレイを見せながら説明している。


「スカイカーねぇ・・・」

「ええ、小型ですから小回りも利きますし。値段もさほどお高くは」

「ボックスタイプはないの?」

「そうなりますと、多少お高くなりますが・・・それに幾分サイズも増しま すし」

「ふぅん・・・」


アスカが展示してあるスカイカーを眺めた。
エアバイクとさほど変わらないが、多少横に大きく、シートに2人並んで座れる車型をしている。
ただ、天井はついてないので、1人で乗るならバイクもそんなに変わらない。


「やっぱバイクにしようかしら・・・」

「お荷物などは余りないのですか?それにドロイドはこれから選ばれるとい う事でしたが、
オートドライブをお使いになる時は安定の面でスカイカーの方が宜しいかと思いますよ」


あくまで丁寧に、そして親切にアスカに話し掛ける男に、アスカは苦笑いした。


「確かに。んじゃ、スカイカーにしようかしら。さっき良さそうなのがあったわね」

「此方で御座いますね。ではこれで宜しいでしょうか?」

「そうするわ。で、ドロイドなんだけど・・・」

「ああ、そうで御座いましたね。うちでも一応扱っているのですが、お客様 のお話ですと、
ここではなく、専門に扱う場所で御求めになられた方が宜しいかと思いますが」


アスカは思案する様に顎に指を当て、口を尖らせて唸った。


「そうかしら。オペレートロイドも結構高いのよねぇ・・・」


無論ライドアームなどに比べれば格段に安いが、いくら金があるといっても
当てのある旅ではないので、彼女としては出来るだけ節約したかった。
少女らしいそのアスカの様に、壮年の域に達しているこの店員は目を細める。


「主任、あそこ紹介してあげたらどうです?」


他の店員が彼に声を掛けた。主任と呼ばれた壮年の男が随分と懇切に少女の相手をしていた為
そう言ってみたのだ。あそことは、主任の知り合いの所だ。


「ううん?でもあそこはこんな可愛らしいお嬢さまには向かないだろう」

「別に悪辣なことをする訳じゃないでしょう、あの人も。掘り出し物が見つ かるかもしれませんよ?」


店員同士が話すのに、アスカは困ったような顔をする。


「あの・・・何の話を」

「ああ、これは失礼。いや、ちょっと変わった場所を知っているもので。
でも、お客様には余りお向きではないかと」

「どんなとこなの?」

「はぁ、その、ジャンク屋です」


申し訳無さそうに男は言った。


「・・・ジャンク?」


アスカはこの壮年の男を見る。
綺麗に撫で付けられたグレーの髪に、きちんと着こなされたスーツ。
何処ぞの屋敷の執事のようにも見えるこの物腰丁寧な男が言った言葉にアスカは耳を疑った。


「いや、あそこは素晴らしい場所ですよ、お客様。ジャンクだなんてとんでもない。
置いてあるものは遺跡埋蔵品から最新アーキテクチャまで。“運が良ければ”とても良い物が見つかります」


若い店員が近付いてきて口を挟んだ。


「セドリック!失礼だろう。口を慎みなさい」

「す、すいません、主任。でも・・・」


若い店員が叱責されて身を縮込ませながらも主任と呼ばれた男を見た。


「そんなに珍しい物でもあるの?」


アスカが問うと、セドリックと呼ばれた男が目を輝かせたが、主任の一睨みで口を噤んだ。


「・・・まあ、珍しい品があるのは確かで御座いますが、少々主人が変わり者でして。
行かれてもお気を悪くなさるかも知れませんよ?」

「ふぅん・・・行ってみようかしら。見るだけでも。急ぐ訳でもないし」

「・・・でしたら場所をお教えしましょう。別に危険な場所ではないので、 そこは御安心下さい。
では此方のアドレスと・・・私からの紹介だと伝えれば無碍には扱われますまい。
ボルボの紹介だ、と仰いなさい。それで相手をしてくれる筈です」

「そう。分かったわ」

「2時間ほどで購入されたスカイカーの手配が整いますので。此方に引き取 りにいらして下さい」

「うん。ありがとう、主任さん」


アスカが店を出て行くのを、主任とセドリックが見送って言った。


「可愛い娘でしたねぇ、主任」

「何を言っているんだ、お前は。しかし気を悪くしなければいいのだが」

「幼馴染に信用がないんですねぇ、主任。それにジャンク屋ってのはかなり 語弊がありますけどねぇ。
俺なんか前に40世紀前の工作ドロイドこっそり見せてもらって大興奮でしたよ。
ちゃんと手直しして動くんです。あれは凄かったなぁ」


セドリックが顎を撫でて遠い目をする。
それを横目で見た後、主任がアスカの去っていった方を見つめて溜息を吐いた。


「だから心配なんだ。どんな品を進めるものやら。気に入ったらお構いなしな代わり、
気に入らなかったら放り出すかとんでもない粗悪品を掴ませるかするからな」







「ここで・・・合ってるのよね・・・。ジャンク屋って・・・儲かるのかし ら・・・」


アスカは郊外にある大きな屋敷の門の前で所在なげに佇んでいた。
少し離れた所に―門から屋敷玄関まで少し距離がある―大きく佇む屋敷を彼女は見つめた。
綺麗な、趣味の良い屋敷だ。建物の周りには大きく庭や森が広がっており、かなりの敷地がある。
アスカはインターフォンを押した。


「どちら様でしょうか」


無機質な合成音がアスカに尋ねた。


「あのぅ、此方にジャンクショップがあると・・・聞いたんですけど・・・」

「お間違いでは?此方は只の個人の邸宅ですが」


合成音がにべも無く言う。
アスカはそれに、一体何なのよと思いながらも、主任に言われた事を試してみる事にした。


「あの、ボルボさんの紹介で伺ったんですけど・・・」

「・・・少々お待ちを。主人に伺いを立てますので」


そう言ったきり、インターフォンから音声が途絶えた。
アスカがじりじりと突っ立ったまま待ち続けていると、再び合成音がした。


「門を開けますので、屋敷の玄関までおこし下さい。では・・・」


ガシャンと音がして門が開いた。
アスカは一寸戸惑ったが、意を決して中に足を踏み入れる。
屋敷の玄関の目の前まで来て、大きな扉を見上げた。

「・・・ジャンク・・・ショップ・・・なのよ、ね」

「お待たせ致しました」


アスカがポツリと呟くと、不意に声がし、ドアが開いた。


「主人がお会いになられます。どうぞ中へ・・・」


アスカは目を疑った。先の合成音の主だった。
しかし先程の合成音と確かに同じ声だが、どう見ても扉から姿を覗かせたモノは人間に見えた。
声ももはや合成音と分かるものではなく、普通の声だ。
精巧なヒューマノイド型アンドロイドは禁止されているはずだ。大昔にヒューマノイド型が関わる大戦があった。
アスカは呆然とした後、単に声を機械に通して細工したのだと結論した。別に造作も無い。
うろたえた自分を馬鹿馬鹿しく思いながら、アスカは屋敷へ足を踏み入れた。


「どうぞこちらへ。私は執事のジャスミンです」


たおやかに笑って、そのジャスミンと名乗った女性は歩き出し、アスカもそれについて行く。


「あの、ここ本当にジャンクショップ・・・なんですか?」


アスカの問いにジャスミンは上品に笑い声を立てた。


「ここは単なる個人の住居です。まあ、変わり者で収集物を人に譲る事もありますが」

「はぁ・・・」


そうしている内に、アスカは1つの部屋に案内された。
アンティークで整えられている趣味の良い部屋の、そのソファーに、
上品な女性が腰掛けていた。年は4、50代といったところだろうか。


「初めまして。お名前を伺ってもよろしいかしら、お嬢さん?」


女性が口を開いた。


「アスカ・・・です。初めまして」

「ボルボの紹介があったと?」

「あの、はい・・・」

「いないの?」


女性がアスカに問い掛ける。


「へ?」

「ボルボは一緒に来ていないのかしら、アスカ嬢」

「はあ、その、主任さんならお店にいると思いますけど・・・」


アスカの答えに女性は目を丸くし、そして笑った。


「お客にここを紹介したの?珍しい事。良いわ、アスカ嬢。私の名はグレイよ」


グレイと名乗った女性は上品に微笑んで、アスカに席を勧めた。




アスカがソファーに体を埋めてぐったりとしている。
勧められてソファーに座ってからが大変だった。
グレイは彼女に様々なことを話し掛け、何しろその話題が非常に多岐に渡り、錯綜し、
にもかかわらず巧みに話を運ぶものだから、今やアスカは粗方旅をする事になった経緯を
白状させられていた。
ジャスミンが静かに部屋に入ってきた。4度目の紅茶を淹れ直して来たのだ。


「どうぞ、レディ。アスカ様も」

「あら、ありがとう、ジャスミン。ねえ、アスカ嬢。ジャスミンの淹れる紅 茶は美味しいでしょう?」


グレイが些かも疲れた様子も無くアスカに笑い掛けた。
アスカはそれに応えて力無く笑う。


「うふふ、少しお疲れになったようね。でも、これで大体分かったわ」


そう言って湯気が上がる紅茶を口に運ぶグレイをアスカは見詰めた。


「ふふ、分からないという顔をしているわね。私はね、気に入った人間しか相手にしないの。
貴女は合格よ。まあ、ボルボが紹介をした人なら大抵は大丈夫なのだけど」


アスカは良い香りのする紅茶に口を付けた。


「あの、主任さんとどういう・・・」

「ああ・・・そうね。・・・恋人になり損ねた関係、と言えばいいかしら」


グレイはそう言って静かに紅茶を飲む。


「私を捨ててさっさと結婚してしまったのよ。憎い男」


言い捨てて、しかしその表情にも声音にも少しもボルボに対する憎悪はない。
アスカがどう反応して良いものやら計りかねていると、ジャスミンが口を挟んだ。


「そう言ってしまわれると、ボルボ様に悪いでしょう。貴女は消息不明になっていたのですから」

「私は帰ってきたわ?」

「消息が途絶えて以後7年もの間、貴女を待ち続けた男性は尊敬に値すると 思いますが」

「もう1年待つべきだったのよ。そうすれば私は帰って来たのに」


アスカはグレイとジャスミンの応酬を見詰める。
話していることは良く分からないが、2人は話の内容に反して楽しそうに表情を緩めている。
グレイが困ったような表情をしているアスカに気付いて、紅茶のカップをテーブルに下ろした。


「ああ、ごめんなさい、アスカ嬢。貴女には分からない話ね。
私が若い頃はね、世界各地の遺跡巡りをしたりして良く旅に出ていたの。
それである時私は旅先で故郷に連絡が取れなくなってしまって、8年近くたってこの場所に戻って来たの。
そうしたら、愛しの男は私を見限って別の女と結婚していたという訳。
あのロマンスグレーに惑わされては駄目よ。とんでもない男なのだから」


グレイが悪戯っぽく言うと、アスカは主任の紳士的な様子を思い出して苦笑いする。
しかし7年も待てば大したものだと思うのだが、とアスカが考えていると、
ジャスミンが笑い含みに言った。


「何の約束もしていない、恋人でもなかったただの幼馴染の女性を当時19歳の若々しい男性が
7年も待っていたのですよ?貴女はむしろあの方に感謝すべきです。そこまで想っていてくれた事に」


アスカはその言葉にグレイの顔を見た。
彼女はジャスミンの言葉に優しく微笑んでいる。


「勿論分かっているわ。だから私はこうして永遠の愛を誓ってここに1人でいるの。
たまに訪れるあの男を何より楽しみにしながら。でもすっかり年を取ってしまったわ。
あとどれだけ続けられるかしらね。いいこと、アスカ嬢。絶対に確信のある想いもね、
タイミングを逸してしまうと叶えられない事もあるの。貴女は駄目よ、私みたいな事になっては」


年齢の割に―グレイは55歳だ―皺の目立たない、美しい顔に優しげな表情を浮かべて、
彼女は遥か年下の少女を見詰めた。
かつての自分に何処となく似ている、と彼女は思った。だからボルボがここを紹介したのだろうか。
グレイはこの数時間アスカと話して、俄然彼女の事が気に入ってしまった。
娘がいたなら、と一瞬胸を切なさが掠めた。
だがそれももはや叶う筈もない。グレイが愛したのは唯1人の男で、
その男には妻子がいる。そして妻子を裏切るような男ではないのだ。
グレイは男と肌を重ねた事がない。
実の所、連絡が取れなくなって8年の間に、もう彼の事は半ば諦めていたのだ。
しかし他に想う男性が出来る訳でもなく彼への想いを引き摺りながら、ようやく帰ってきてみれば、
なんと1年前まで愛する男は恋人でもない自分を待ち続けていたのだ、と聞いた。
8年ぶりに顔を合わせた愛しい幼馴染の、その表情を見て、グレイは心を決めた。
一生この男を愛し続ける、と。
誓いは今だ破られていない。



アスカが遠慮しながら口を開いた。


「あの、そろそろ・・・お店の方に車を取りに行かなきゃいけないし・・・」


そもそもここにはドロイドを探しにやって来たのだが、もう時間が経ち過ぎた。
その言葉にグレイは、ああ、と声を上げてジャスミンを見た。


「ジャスミン?」

「後5分で此方に配送して貰えるそうです」

「え?あの・・・」


アスカが予想外のことに腰を浮かせた。


「来るのは誰?」

「セドリック様です」

「まあっ、ボルボったら。逃げたわね。まあ、良いわ。あの子も私のお気に 入りだから」


グレイが可笑しそうに笑った。


「あのグレイさん・・・」


アスカが口を開こうとしたが、ジャスミンが先に言葉を出した。


「アスカ様が購入されたスカイカーはとうに手配出来ていましたし、
レディとのお話が長くなってしまいそうでしたので、此方に配送をお願いしていたんです。
御心配なく。配達料はレディが支払いますので」

「うふふ、主の意を汲んでくれるなんて良い執事に恵まれたわ。ご苦労様、 ジャスミン」

「あの、でもそれは・・・」


アスカが申し訳なさそうにグレイの顔を見ると、グレイはアスカの方を向いて言った。


「アスカ嬢。貴女うちに泊まりなさい」

「・・・は?」

「旅はなるべくお金を浮かせるものよ。貴女とはもっとお話がしたい し・・・貴女の知りたい事にも
答えられる事もあるかも知れないわ。ああ、そうそう。オペレートロイドも欲しいんだったわね。
そちらも任せてちょうだい。良いものを選んで差し上げるから」


グレイが一気に言ってアスカにニッコリと笑い掛けた。
アスカはどうしたものかと悩む。


「ホテルに荷物は置いてるの?」

「はあ、その、バッグを・・・」

「引き払いなさいな。ジャスミンに手配させるから。この国にいる限りは私 の家に泊まりなさい?」

「いえ・・・でも・・・。・・・分かりました。じゃあ、お世話になりま す」


アスカは結局ここに泊まる事にした。
見知らぬ土地での好意は有り難かったし、グレイの話にも興味があった。
アスカが軽く頭を下げるのに、グレイとジャスミンはニッコリ笑った。



そしてアスカのスカイカーが届いた。
屋敷の玄関の前まで来て貰っているとジャスミンが言って、
アスカとグレイ、ジャスミンはそれを出迎えに行った。
玄関を開けると、セドリックが赤いスカイカーの傍らに立っており、
グレイが彼に声を掛けた。


「こんにちわ、セドリック。横暴な主任に仕事を押しつけられたようね」


彼女の可笑しそうな声に、セドリックは曖昧に笑って答えた。


「いやぁ、主任もちょうどお客がついて忙しかったもので。俺で勘弁して下さい。
で、お客様。此方がお客様が購入なさった品物です。此方の必要事項に入力を」


セドリックがアスカにショップの端末を手渡しながら言う。


「良い機体ね。趣味が良いわ。色もアスカ嬢にピッタリで、スタイルもコンパクトで無駄がない。
相変わらず良いものを薦めるのね、ボルボは」


グレイがアスカのスカイカーの周りをゆっくりと廻りながら、確かめるように言う。

「そうですね。まあ、扱う品はそりゃ色々あるんですけど、主任は自分が納 得したものしか
薦めませんからね。その上でお客様がどれを選ぶかに懸ってるんですが。
此方のお客様は良い目をお持ちの様ですよ。始めはバイクをお求めだったようですが」

「バイク!駄目よ、アスカ嬢。バイクは小回りが利いてスピードも速いけ ど、
長期の旅には向かないわ。どうしたって装備にも限りがあるし、操縦にも気が張るしね。
まあ、これも最小限といった機体だけれど・・・機能は特別には?」

「特別にはないですね。基本設定だけです。まあ、オペレートロイドなんか を載せれば
拡張出来ますけど。装備もこのタイプの基本だけです。
でも、このタイプとしては高性能の機体ですよ。レディの仰る通り趣味も良い。
まあ、レディなら・・・あ、どうも。え・・・と、問題無いようですね。ではお客様。
これでこの機体はお客様のものです。良いドライブを」


セドリックが話している途中でアスカが端末に入力し終わったのに気付き、
それを受け取って確認して言った。


「ええ、どうも。わざわざ悪かったわ、運んでもらって」


アスカがそう言うと、セドリックは笑って構わないと言い、ジャスミンが横から口を開いた。


「セドリック様。配送に掛かった料金に関しては、レディが支払いますので、
そのようにして下さい。ではわざわざここまでご苦労様でした。ボルボ様にも宜しくお伝え下さい」

「ええ、そのように。じゃ、俺は戻ります。またいつか珍しい品でも見せて 下さいね、レディ」

「ふふ、勿論よ、セドリック。あの男を引っ張ってこれたらジャスミンの 作ったパイも
御馳走するわ。では、お仕事頑張りなさい」

「ええ、失礼します」


そう言って、セドリックはアスカのスカイカーを載せてきたトレーラーに乗り込み、帰って行った。
アスカがスカイカーのシートに座って色々と確認をしている。
一先ず足はどうにかなったとアスカは安堵するが、この後、グレイがどういうものを見せて
譲ってくれるのか気になっていた。


「どう、アスカ嬢。気に入ったものが買えたかしら」

「ええ、そうですね。取り敢えず移動の問題はこれで解消ですね。これなら 飛行船にも載せられるし」

「そのようね。でも、1つだけ。良いかしら?」

「・・・何です、グレイさん」


アスカがスカイカーの脇でアスカを見下ろしているグレイを見上げた。


「これ、弄っても良い?」

「・・・は?」

「改造しても良いかしら、と訊いたの」


アスカはグレイの目を見詰めた。マジだ、あれはマジの目だわ、と思った。


「あの、グレイさん・・・別に改造は・・・これで十分なんですけど・・・」

「まあまあ、遠慮は要らないわ。私に掛かればこの機体は世界最高のスカイカーになれるわよ?」

「いや、別にそんなこと求めてないんですけど・・・」

「駄目よ、アスカ嬢。良い女は常に最高の機体に乗っているものよ?」


グレイが駄目駄目、と首を振りながら訴えている。
一体何の理屈だ、とアスカが心底困った顔をしてジャスミンを見ると、
彼女が助け舟を出してくれた。


「レディ、アスカ様がお困りです。ホテルの方も片付けなければいけませんし、
一先ずその話は置いておきなさいませ。では、アスカ様。逗留先のホテルの名前と場所を
お教え願えますか?お荷物の方も私が持って参りますので」

「あ、それじゃこれ馴らすのにアタシ自分で行ってきます。済ませたら戻っ てきますから」


アスカはそう言って、そのままエンジンを始動させた。


「そうですか。では、アスカ様。いってらっしゃいませ。レディもアスカ様を困らせない様に」


ジャスミンがニッコリと笑って言った言葉にアスカは固まった。
今何か変なこと言われたわ、と思考を巡らせていると、アスカの横から声がした。


「では、アスカ嬢。参りましょうか」


アスカはガバリと振り返る。
当然のようにそこにはグレイが座っていた。


「ちょ、ちょっとグレイさん?あの、何でそこに」

「当然でしょ。私もこの機体の具合を確かめたいの。まあ、サイドシートに初めて座ったのが
例の少年ではないのは勘弁してもらおうかしら」

「な、何言ってるんですか!別にアタシは・・」

「ほら、アスカ嬢。早く行かないと日が暮れてしまうわ。ジャスミン、ご飯の用意お願いね?」

「いってらっしゃいませ。寄り道は程々に」

「あ〜もう!それじゃ行きますよ!」


アスカはグレイを降ろす事は諦めて、出発する事にした。
この後、隣のグレイのお喋りに走行中ずっと付き合わされ疲れ果てたアスカであった。





走り去ったスカイカーを見送り、ジャスミンが微笑みながらひとり口を開いた。


「うふふ、あんな楽しそうなレディは久し振りだわ。アスカ様は何処となくレディのお若い頃に
似ていらっしゃる。特に瞳が。レディも昔はああして輝いていた。
今はもうすっかり穏やかになってしまわれたけれど、昔はもっと激しい人だった。
・・・36年前、あの国に入ってしまわれたのはレディにも不幸だったのかしら。
その御蔭で私はレディに出会い、ここにいるのだけど。出会いとは不思議なものね」


ジャスミンが静かに微笑んでグレイと出会った遠い昔を思い出していた。
彼女の穏やかな微笑は美しく、そして年の頃は20そこそこにしか見えない若い女性のものだった。




14へつづく


リンカさんから十三話をいただきました。

シンジをおいかけてきたアスカ。

旅の途中で親切な人にあえてよかったですね。でも、いつまでこういう幸運なめぐりあわせが続くか気になるところではあります。

読み終えたあとにはリンカさんへの感想メールをお願いします。

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