一万二千年後の覚書

by リンカ

   14.チャイ・ラッテ

グレイの邸宅、その中のとある部屋。
テーブルと椅子。壁際のソファー。花瓶に生けられた花。壁に掛けられた絵画。
大きな鏡。
アスカは部屋を見回して、グレイの顔を怪訝な表情で見やった。


「ふふ、分からないという顔をしているわね、アスカ嬢」


グレイが楽しそうに言った。
この日はアスカがここを訪れて2日目だった。
漸くオペレートロイドを見せてくれると言うので、こうしてこの部屋に案内されて来たのだが、
何の変哲も無い只の部屋に彼女は戸惑ってこの家の主の顔を見た。


「ええと、レディ。ここで見せてくれるの?」

「ふふ。ちょっと違うわね。この部屋は入り口」

「入り口?」

「そう。地下工房への、ね。さ、アスカ嬢。どこがその入り口だと思う?」


アスカはそう訊かれて部屋をグルリと見回した。
どこと言われても本当に只の部屋だ。何も変な所は無い。


「ふむ。貴女なら分からなければまず動く筈よ。遠慮は要らないわ、調べて御覧なさい」

「そうね・・・普通は壁か床。見た所どちらも別におかしい所はないけれ ど。
・・・カーペットも継ぎ目はない・・・壁は・・・ちょっと分からないわね。
絵の裏は?・・・はずれ。何処かスイッチでも・・・」


アスカが部屋の方々に手を触れながら調べて行く。
鏡の前で立ち止まった。そっと手を伸ばす。


「!!」


アスカの手は鏡の中に埋まっていた。手首まで入れても何の抵抗も無い。


「・・・見つけたわ、レディ?」

「ふふ、そのようね。鏡の国へ旅立ちましょうか?」


グレイの促しにアスカは鏡の中に体を滑り込ませていった。





「結構降りるのね・・・」


アスカがポツリと呟いた。
彼女はグレイと共に下降するエレベーターの中にいた。
鏡の中に入ると小部屋があり、更にそこから階段を降りて、今度はエレベーターがあった。
それに乗り込みこうして下に降りているのだが、もうかなり地下に潜った筈だ。


「そうね。地下工房はかなり深度があるから。でもマントルに近付いたりはしないから安心して」

「マントルって・・・。でもレディ、何でこんな地下にそんなもの造った の?
この屋敷の敷地はかなりあるじゃない。別に庭や森の中にだって」


アスカがグレイを見て問い掛けると、彼女は意味ありげに微笑んだ。


「造ったんじゃないの。初めからあったのよ」

「・・・初めから・・・?」

「そう。偉大なる先達の遺産。地下遺跡よ。私の屋敷の地下にそれがある の。
私の何代か前のおじいちゃんが見つけたらしいわ。数千年前のものよ」


アスカは余りの話に目を見開いた。


「数千年?そんなもの使えるの?もうボロボロに朽ちてるんじゃないの?」

「うっふふ、確かにそのままは使えないわ。実際かなり改修を施してある し、機械類なんかも
そのままじゃ作動しない。というか、まず当時の技術を知らなければ改修も難しいのよ」

「ということは・・・じゃあ、レディはそれが出来るの?」

「その通りよ、アスカ嬢。古代の遺産を触るのに比べたら最新スカイカーな んてちょちょいのちょい、ね」


顎を上げて胸を張ったグレイにアスカは目を見張る。
自分は国を出て早々とんでもない人物に出会ったのかも知れないと彼女は思った。






「・・・すごく広いのね。工房っていうからごみごみした部屋なのかと思ってたけど・・・」


アスカが工房を見回して口を開いた。正確には工房の一区画を。


「そうね。地下工房という呼び名もおじいちゃんが勝手に付けたものだし。
実際は何らかの研究施設、或いは生産施設、と言って良いわ。入れない所もあるから
気を付けてね。それから言うまでも無いと思うけど、不用意に辺りを触らないで。
別に自爆スイッチとかは無いけど」


グレイの言葉に、手近な見慣れない物に手を伸ばしていたアスカは慌てて手を引っ込めた。


「あっはは・・・触ってないわよ?・・・自爆?」

「ふふ。ええ、そうよ。それは取り除いたから」


グレイがうふふと微笑んでアスカに背を向けた。


「へえ、そう・・・ええっ!?取り除いたって、あったの、自爆スイッチ?」


穏やかでないグレイの言葉に驚愕して問いかけたが、彼女はスタスタと歩いて行ってしまう。


「ちょ、ちょっと、レディ!どっち行くのよ。ああん、置いてかないでぇ」


アスカが慌てて、しかし体を縮込ませて慎重に、グレイを小走りに追って行く。


「いらっしゃい、アスカ嬢。私が回収して改修したアーキテクチャが置いてある場所に案内してあげる」

「ちょっとぉ、洒落を言ってる場合じゃないでしょ。自爆って何よう。ホン トにあったの?」

「だから取り除いたって言ったでしょう。大丈夫よ。それと韻を踏んだと 言って頂戴」

「ホントに大丈夫なの?まさか爆弾そのものは残ってるなんて言わないわよ ね・・・言わないわよね?ね?」


アスカが不安げにしつこく確認する。
ただでさえ閉塞感のある地下遺跡―実際は閉塞感など感じる事もないほど広く様々なエリアがあるが、
エレベーターでかなり降りてきたという自覚があるのでそう感じてしまう―が神経を圧迫するのだ。
その上こんな地下で埋もれて死ぬのは御免だった。しかも旅立ってまだ3日目なのだ。


「大丈夫よ、アスカ嬢は心配性ね。ちゃんと爆破装置はバラして転用したから」

「転用って何よう〜」


グレイは後ろでコソコソと追い掛けてくるアスカの様子にクスクスと笑いが込み上げてくる。
ああ、何て可愛らしいのかしら。本当に娘がいたならばどんなにか毎日楽しかったことだろうか!
彼女はアスカに見えないように満面の笑みを浮かべていた。
この子の3人目の母親というのも悪くないかも知れない。
そんなことを彼女は考えていた。
ねえ、認めてくれる、カレンさん、この子の本当のお母さん?
私この年で母親になりたいと願うなんて思ってもみなかったわ。だってもう55歳なのよ?
しかも男も知らないっていうのに。おかしいったらないわね。
あの憎い男に心を捧げてからひたすらここで機械相手に過ごしてきたのに。
ジャスミンは何て言うかしら。きっとニッコリ微笑むのね。
あの娘にはこの30数年ずっと私の愚痴に付き合って貰っちゃったわ。
本当良く出来た娘。私の親友。あの娘がいなくちゃ私はとっくに駄目になってた。
・・・この子は認めてくれるかしら?でもこの子はすぐに旅立ってしまう。
それでもいつか私の所にも顔を見せに帰ってきて欲しいわ。それくらいは心に留めて欲しい。
その為にも少しだけ頑張ってみようかと、
彼女の笑みは深くなり、その眼差しは優しげに細められた。


「ねえ、レディ。ここ、安全よね?」

アスカが不安げに前を歩く女の服の背をクイクイと引っ張っている。
そんな少女の様子にグレイは声を立てて笑ってしまった。



地下工房のとある広い区画に実に様々な機械が所狭しと置かれていた。
アスカはそれを呆然と眺めた。


「どう?この区画が私が使えるように直した機械類を収めてある場所の内の1つよ」


グレイがアスカに向き直って、誇らしげに言った。


「1つ?だってレディ、ここかなり広いわよ。こんな部屋がまだあるの?」

「ええ、あるわ。ここは私が改修した遺跡埋蔵品の内、小型の部類に入るも のを収めてあるの。
他にも大型のものは別にあるし、危険な兵器類なんかも別にしてあるわ。
勿論、機械類以外もあるのだけど。
それから、時代ごとにも分類してあるの。だからこの部屋は大体4〜2千年前のものね。
時代が変わるとまるで違う技術というのも中にはあるから。
というわけで、アスカ嬢。貴女が捜してるようなドロイドもこの部屋にあるわ」

「というわけでって言われても・・・そんな古いの使えるの?」


アスカが自慢げな女科学者の言葉に、胡散臭げに近くの機械を覗き込んだ。


「あらあら、アスカ嬢には認識を改めてもらう必要がありそうね?
・・・貴女、この地下工房、どうやって造られたと思う?」


グレイがそう言うのを聞いて、アスカは顔を上げて彼女を見た。


「どうって、詳しくは分からないけど・・・岩盤を刳り抜いて、基礎を張って・・・別に不可能じゃないでしょ?」

「ま、そうね、困難ではあるけど。ではこれならどう?
上のヒュール市。あれと同じ面積で、しかも深さが10キロはある階層構造の地下都市。
完璧な自立した生活圏。想像つく?」

「・・・何それ・・・?」

「貴女の国にある地下遺跡のことよ。今言ったのは最大のものね。恐ろしく 広大な空洞。
そこに築かれた構造物からなる都市。可能かしら、今の技術で?」


アスカはグレイの顔を呆然と見る。
彼女が言ったことは常軌を逸していた。


「現代の科学というものはね、非常にバランスが悪いの。何故だか分かる?
それはね、これまで人が積み上げてきたものが幾度も崩され、再びその上に繰り返し
文明を立て直して来たからなの。繰り返し何度もそんなことがあったの。
今の歴史が正確に遡れるのは精々500年前まで。それ以前は空白が幾つもあるのよ。
もっと遡ると殆ど分からなくなってしまう。
でも、今の私達よりもかなり進んでいた時代が幾度もあったのは確かよ。
もっとも崩されたといってもそれは本当に極めて高い部分の技術や知識だけだけど。
基本的な知識や技術はきちんと受け継がれているわ。
そしてそれがバランスの悪さを生み出してもいるのよ。
ライドアームだとかそういったものも、今の科学者・・・私達が辿る事の出来る科学者が
生み出したものではないわ。それ以前から原型があったの。
過去からの借り物なのよ、元はと言えば。
・・・まあ、とにかく貴女が言ったように古いから使えないという事はないわ。
少なくとも私が改修したものについては」


彼女が言い終わるとアスカは黙り込んでしまった。


「ふふ、まあ、そう難しい顔しないで。とにかく手始めにここから見ていきましょう。
ちゃんと最新型のものもあるから。そちらが良ければそちらにしたって良いんだし、ね?」







「これなんかどうかしら、アスカ嬢。機関を動かしてみましょうか。中々こ れも高性能よ?」


そう言って、グレイは手に持ったドロイド―六面の立方体のような形をしているが、
角は丸い流線型で、柔らかな印象を受ける。大きさは人の頭より小さい―を操作して、
起動させた。ドロイドが微かに唸りを上げて、液晶部が発光する。
グレイが手を放すと、それは静かに浮遊した。


「ビュビュ・・ガガ・・・キュキュービュル・・キュ・音声・・・最適化・・・・・問題なく聞こえますか?」


ドロイドが合成音を出した。


「ええ、ちゃんと聞こえるわ。調子はどう?」

「問題ありません・・・前回の起動は・・・34227時間前・・・」

「あら、随分長く放っておいたのね。ごめんなさい」

「構いません・・・レディ。こちらは・・・私のマスター・・・?」


ドロイドがアスカの方に向いて音声を出した。


「え?アタシは・・・まだ選んでるとこよ。アンタのマスターじゃないわ」

「・・・レディ?状況の説明を要求します」

「この子はアスカよ。今ドロイドを探しているの。ここの工房でね。それで 貴方も起こしてみたという訳。
どうしてこの子がマスターだと思ったの?」

「こちらの・・・アスカ・・・様は、私の記憶に・・・あります」

「・・・どういうこと?貴方はおよそ3千年前の遺跡から発掘されたのよ?
殆ど壊れていた当時の命令プログラムなんかは解析して新しく組み直したけど・・・記憶にあるとは?」

「・・・イメージが、私の中にあります。消えずに残っています。・・・し かし、やはり違う・・・」


ドロイドが感情を感じさせない合成音で、尚悲しげに言った。
アスカは戸惑ってグレイを見た。彼女は口元に手を当てて眉を顰めていた。
一体このドロイドが言っているのはどういう事なんだろう、とアスカは思った。
アタシに似ている誰かにかつて仕えていたのかしら?
アスカは浮遊するその機械が、何故か寂しげに見えた。

「・・・そのイメージの人物は貴方のマスターだったの?」

「分かりません。情報が欠落しています」

「名前は?」

「それも欠落しています」

「貴方は・・・いえ、数千年も歴史が続けば似ている人間なんか幾らでもい るものね。
ましてこのドロイドはその時を渡って今ここにいるのだから。こういう事もあるでしょう」

「・・・アンタ、アタシに見覚えがあるの?」


アスカがドロイドに話し掛けた。


「・・・貴女に良く似た方です。しかし違います。申し訳有りません」

「・・・ねえ、レディ。コイツあのスカイカーとかに接続できる?」

「私が弄ったのよ?勿論出来るわ。確認もするし、大丈夫よ」

「そ。じゃ、アタシ、コイツにする。良い、レディ?」

「良いの?もっと見てから選んでも良いのよ?」

「良いの。登録をして。これからアタシがアンタのマスターよ」


アスカはドロイドを見つめながら答えた。


「・・・そう。分かったわ。じゃ、ちょっと弄るからいらっしゃい」


グレイがそう言って、そのドロイドを手に持っていた端末に繋いで操作を始めた。
ドロイドのボディは鈍い銅色で、それにクリーム色のラインが幾本か入っている。
アスカは唇に指を当てて思案するようにドロイドを眺めていた。


「・・・済んだわ」


グレイがアスカを見る。


「・・・コイツの名前は?」

「私は、CHY−1−WX625KY、です」

「・・・長いわね。・・・ん。アンタの名前は、“チャイ”よ」


ドロイドがそれを聞いて、チャイ、と繰り返した。
グレイが微笑んでアスカに問う。


「どうしてチャイなの?」

「クリーム色のラインが入ってるでしょ。で、アタシが“ダージリン”だか らよ。
“ミルクティー”が良いならそっちにしても良いけど?」


アスカがニンマリと口角を上げて言った。


「うふふ、なるほどね。ミルクティーよりはチャイが良いかもね。
貴方はどちらが良いのかしら?」


グレイがドロイドを横目で見て訊いた。


「・・・“チャイ”で結構です。マスター」

「良し。じゃ、レディ。ついでと言っちゃなんだけど。他に何か見せて貰え るものってあるの?
アタシ携帯火器が欲しいんだけど」

「良いわ。ついてらっしゃい。何でもあるわよ」


グレイが意気揚揚とアスカを先導して歩き始めた。


「あの・・・普通のをお願いね、レディ?」

「うふふ、この私に“普通”なんて言葉を使わないで欲しいわ?」

「ちょ、ちょっと・・・もうっ。チャイ、行くわよ」

「了解、マスター」


グレイの後をアスカが小走りに追って行き、その後をチャイがフワフワとついて行った。






アスカは自室のベッドの上に身を投げ出した。
結局午前中から夕方まで地下にいた。昼食はジャスミンが運んできてくれ、
その時に彼女はグレイにくれぐれもアスカに変なものを薦めるなと釘を刺していた。
そして、その後、地下から漸く戻ってきてから、
譲ったものをグレイが一応点検すると言うので、夕食を挟んで彼女はそれに
掛かりきりになってしまった。
一先ずチャイだけは調整が出来たので連れて行きなさいと言われ、
ジャスミンと話しながら夕食後の時間を過ごしていたアスカは、
入浴を済ませた後チャイを連れて部屋に戻ってきた。
広大な地下工房で様々なものを見せられた為かなり疲労してしまった。
55歳のグレイのバイタリティにアスカは舌を巻いた。
あれで昔よりはずっと大人しくなったのだとジャスミンが言うのにアスカは顔を顰め、
その後彼女が若い頃のグレイと自分が似ていると言ったのに紅茶で噎せ返ってしまった。
アタシはあんな奇天烈ババアじゃないわ、と内心こっそり思いながら、
グレイもジャスミンも温かく優しく迎えてくれて、アスカは本当に嬉しかった。
見知らぬ世界へ、霞のようなものをただ自分の何とない疑念と心の命じるままに追い求め、
愛する人達のもとを飛び出してきてしまった。
柔らかな感触が気持ち良いベッドのシーツに顔を埋め、アスカはうりうりと頭を動かした。
シーツは陽光の香りがした。母の香りでもあり、カレンの香りでもあった。
そのまま暫し心地良い感触と香りを堪能した後、アスカは仰向けに体を転がした。
天蓋付きのベッドって初めて、とアスカはボンヤリと思う。
何だかお姫様かお嬢様みたい、こんなふかふかひろびろベッド、カレンママがいたら
絶対に飛び込んでくるわ、とアスカはその情景を思い浮かべて口を歪めた。
きっと押し合い圧し合いしながらキャアキャア言ってギュウギュウに抱き締められて、
熊パパがそれを見て髭をしごきながら困った顔をするのよ。
アスカは顔を横向けて天蓋から垂れる薄いレースのカーテンを見た。
そっと手を伸ばして纏めてあるそれを解いた。
はらりと広がったレースに、アスカは何となく思った。
お姫様、お嬢様、なんて自分には似合わない。
エキゾチックな物語なんかだと、こんなベッドで安らかに眠っている女の子を
王子様が迎えに来るのだけど。
と、そこまで思い浮かべてアスカはゆるゆると目を見開いて口を開いた。
そして絶叫。


「いやー!!きゃー!!」


叫びを上げてバタバタとベッドの上で暴れ、ふかふかの大きな枕を引っ掴んでベッドの外に
放り投げた。そのまま顔をシーツに埋めて頭を抱えた。
何だか親友のブリン並の妄想をしてしまった!と彼女は自分を絞め殺したくなってきた。
と、声がした。


「マスター、何か異常事態でしょうか。枕が飛んできて私に激突しました」


腹立たしいくらいに冷静な合成音に、アスカがキッとそちらを睨むと、
チャイがフワフワと浮かんでいた。
部屋の隅には枕が転がっていた。
暫し無機質なチャイと、少女アスカは見つめ合い―チャイには一応正面がある―
そして、アスカは盛大に溜息を吐いて顔をベッドに落とした。


「マスター?危険はないのですか?」

「ないわ。ないない、オールオーケー。あるとしたらアタシの頭ん中よ」


アスカが手をヒラヒラ振って答えた。


「動作不良ですか?脳組織の機能不全、神経シナプスの・・」

「違うったら。ただアタシの頭の中に黒髪のボヤヤン男が勝手に陣地設営し ちゃったのよ・・・」


ベッドに顔を埋めたまま、彼女はくぐもった声でチャイの言葉を遮って言った。


「・・・寄生虫ですか?」

「違うわよ!!勝手にアイツを虫にすんじゃないわよ!
・・・もう大丈夫だったら。ちょっと考え事をしただけ。ホントそれだけよ」


アスカが顔をガバリと上げ、チャイのとんでもない言葉を否定した後、
バフッと顔をベッドに落として再び手を振った。


「問題はないのですね」

「ないわよう。アンタも休止モードに入って良いわよ」

「分かりました、マスター。・・・1つだけ宜しいですか?」

「あによう」

「この体勢のまま睡眠を取られますと、窒息死する可能性が48%です」

「・・・・・」

「・・・・・体勢を変換なさることをお奨めします」


アスカが顔を上げた。赤ん坊ではあるまいし、窒息なぞそうそうしないのだが、
チャイはあくまで真面目に健気に、そして無機質に、ふわふわと浮いていた。


「・・・アンタひょっとして張り切ってる?」

「・・・その質問は理解できません」


僅かにボディを揺らして、ビュッと微かな音を立てたこの古代の住人に、
アスカは可笑しさが込み上げてきた。


「アンタ可笑しな奴ねえ・・・」


アスカは笑い含みに言いながら、ベッドから降りて枕を拾いに行った。
その彼女を視線で―あくまで彼の正面を基本にして―追いながら、チャイはボディを旋回させて言った。


「“可笑しさ”という性質は私には存在しません」

「そりゃそうよ。この可笑しさはアタシがアンタに感じたものなんだから。
これはアタシの中にある可笑しさよ」


アスカが枕を掴んでベッドに戻ってきた。
再びチャイは旋回する。


「理解できません。では何故“私が可笑しい”のでしょう」

「アンタの行動にアタシの中で可笑しさという感情が惹起されたの。
つまりアンタの行動はアタシにそれを想起させる外形を取ったもので、
すなわちアタシはそれに可笑しさを感じた。
アタシにとってアンタは可笑しい奴なのよ。分かった、チャイ?」

「主観による観察対象の・・」

「ああ、ああ、小難しい事はもう良いわ。それより折角だから話でもしま しょ」


そう言いながら、アスカはベッドに勢い良く飛び乗って、胡座を掻いた。


「話?それは命令ですか?」

「別に、命令じゃないわ。ただ会話をしようって言ってるの」

「・・・・・」

「カンヴァセーションよ。簡単な事じゃない。口はあるでしょ」

「私に口は・・」

「ああもう、言葉の綾よ。そうね、アンタの記憶なんか聞きたいわ?」

「・・・分かりました。しかし記録は殆ど破損して欠落しているのです」


チャイがボディを揺らした。


「構わないわ。正確な記録の開示をしろって言ってるんじゃないんだから」

「・・・では」


その後暫く、アスカのベッドでは楽しげな少女の声と、
無機質な合成音が聞こえていた。




15へつづく


リンカさんから十四話をいただきました。

読み終えたあとにはリンカさんへの感想メールをお願いします。

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