一万二千年後の覚書

by リンカ

   11.ファントム

キャルバート達の国から南に海を挟んで大陸がある。
ウィッシュはその大陸に挟まれた地中海に面した州で、レゾリューション号は
その地中海の地下を通り抜けて南の大陸に滑り出した。
彼らが現在飛んでいる国はベルーカと呼ばれ、彼らの国とは違い、紛争などは起こっていない
平和な国だ。―少なくとも平和に見える国だ。
彼らはそのまま近くの大きな飛行船舶発着場のあるゴバという都市を目指した。
一先ずそこで情報を集めようと決めたのだ。


ゴバに到着すると、早速情報収集に動き出した。
戦艦は一応人員を残して発着場に泊めてある。こうした場所はきちんと信頼の
置ける管理を行うことが運営の条件だ。
彼らはネットワークから情報を検索すると共に、市街で幾つかのグループに別れ、情報を集める事にした。
無論ゼーレの名を出してあからさまに探る事は危険なので、基本的には
それとなく関わりのありそうな情報が無いか調べるのだ。


シンジはトーツェンと組んでゴバの街の市の区画を歩いていた。
トーツェンが街を歩きながらキョロキョロと辺りを見廻す。


「どうしたんです、そんなにキョロキョロして。怪しまれる行動は駄目ですよ」

「いや・・・わい自分の国から出たことなかったから、珍しゅうてな。たかが狭い海挟んだだけで
結構違うもんやなぁ」


トーツェンが情けないような顔をして後頭部をガシガシと掻く。


「まあ、あの国みたいに割にカッチリしてるとこでは、国の外には余り出ませんからね。
あそこの場合は州が、ですけど。連邦自体は緩やかでもやはり国家としてひとつで成り立っている。
僕もこの大陸に来るのは初めてですけど、ここの各国は随分と緩い国家形成になってたはずですよ」

「ほぉん・・・行き来も自由なんか?」

「ええ、基本的には自由です。手続も簡単だったり、そもそも無かったり。
ただ問題を起こせばその地で厳しく罰せられますよ。どこの人間だろうと」

「ほうか・・・色々あるんやな・・・あれ何やろ?」


トーツェンが道の先の人だかりを指す。
何やら人が椅子に座っていたり、湯気のようなものが立っていたりしている。


「あれは・・・屋台かな?この辺りだと多分山羊か何かの香草焼きでも売ってるんでしょう。
持ち歩くか、周りのテーブルについて食べるんですよ。まあ、簡易な食堂ですね」

「へえ・・・道端でそんなんするんか。坊主、人が集まるトコには情報も集まるよな?」


トーツェンがシンジを見てニヤッと笑った。
シンジも彼に微笑みを返す。
気取らないこの男は気持ちが良い。


「行きましょうか。噂話でも世間話でも、何か聞けるでしょうから」


トーツェンとシンジが屋台で適当な物を注文し、席につく。
シンジは辺りを見廻した。
賑やかな市だ。争いも無く、皆其々の生活に日々生きている。
平和で、活気があり、そこそこに豊かで。
この世界を不穏な影が覆っているなど思いもしないだろう。
自分達の世界が長きに渡りそれに操られ、それに抵抗して来たなどとは。
トーツェンが肉料理を頬張りながら周りの人間と話をしている。軽い世間話だ。
何処から来た、何が旨い、北は紛争が、今年は麦の出来が良い、この国は平和で、
しかし最近南がゴタゴタと、と話は取り留めも無く交わされる。
シンジの肩の上でシリンが尾を揺らめかせた。




戦艦内、作戦室に街に出ていた人間を中心に集まっている。この日の報告をするのだ。


「皆の話を総合すると、こうだな。つまり、何も分からない」


キャルバートが皆を見渡して口を開いた。


「ベルーカは安定している。最近の話題としては・・・北の国家の紛争、今年の農作物の出来具合、
経済がやや上向き、3年前から就任した大統領の選挙がそろそろある・・・細々した事件・・・事故、
・・・この大陸の南の方が最近落ち着いてない」


キャルバートが言葉を落として皆を見る。


「その南、やけど。どうも胡散臭いな」

「ほう?」

「大陸の南の方のある国家が最近急激に産業やら軍事やらで力を付けとるらしい」

「そのようだな。同様の話は何組か聞いている」

「で、どうもどっかから援助を受けとるようやと。最近国外・・・この大陸全体に手を伸ばしそうや、と」


キャルバートが報告者を見やった。


「ふん?具体的には?」

「この大陸は幾つも国家があるけど、元々全部ひっくるめて1つの国みたいなもんや。
人の移動も割合自由で、皆移動する。せやけどその件の国が異彩を放ってきたらしい。
軍事的にも・・・どうも兵器やらそんなもんを大陸外から供給されとるゆう噂やし、
部隊そのものがどっかからやって来て駐留しとるゆう話もある。ま、これは眉唾やけど。
企業も、大陸中に少しずつ地盤を固めて・・・大陸各地に件の国の拠点が出来つつある、と」

「企業?企業が国の出先になってるのか?」

「・・・政府と直接関係があるんかは分からんけど、大陸の経済でその国の幾つかの企業が勢力を
伸ばしとるらしい。つまり併せればその国が経済的に優位に立ちつつあると」

「・・・・・」

「豊か、貧しい、ゆうんは当然地域によって差がある。せやけどこの大陸は基本的にバランスを
保つ事で上手く成り立ってきた。それを急激に崩すんは不自然やな」


キャルバートが話を聞いて顎を上げる。
手で顎を撫でながら何やら思案して、口を開いた。


「軍事的に力を蓄えて、その上で経済的に支配する、か?」

「・・・せやけどありえんことやないな。覇権を狙うゆうんも人や国家の性やろ」


別の仲間が口を開いた。幾人かが賛同する様に頷いている。


「援助ゆうんも・・・協力関係を大陸外に求めたかて不思議やないやろ。
大陸ひとつで安定しとるちゅうけど、それは閉塞しとる、と言う事も出来る」

「・・・やはりゼーレが見えてこんな」


キャルバートが静かに言った。
ゼーレの影など片鱗も窺えない。しかしあのゲリラの男によれば世界を覆うと、そう言っていた。
キャルバートが皆を見回す。


「だが、確かに怪しい。俺達の国の事を考えると、な。ネット上ではどうだ?」


キャルバートの問い掛けに、仲間の1人が答えた。


「・・・同様の噂はあります。批判も不審も。しかし、ゼーレはやはり表には現れない。
賛同する・・・というか恭順する国も出始めたようですが」

「抵抗勢力は」

「あります。組織として確固としてはいませんが、確かにあります。しかしその国の姿勢に対する
抵抗であっても、ゼーレへの抵抗かどうかは分からない。近付いてゼーレの名を出した途端
実はゼーレと繋がっていた、ということも否定できませんね。我等の国のように。
ゼーレへの抵抗組織が表に現れず、地下に潜んでいる事もあり得ます。
・・・情報が足りませんね。どう動くにしたって」

「・・・ハッキングは?」

「幾つかの情報センターやら政府、軍に潜りましたが・・・これと言って」


キャルバートが報告を聞いて唸り声を上げ、頭を掻き毟った。


「・・・なっかなか、手強そうだな。ハッキング、企業も潜れ。件の国だけじゃなくな。気を付けてやれよ。
今も仲間が街へ出ているが、そちらも難しそうだな。・・・誰かエージェントと接触が出来ないかな」

「・・・危険やけどな。信用出来るかどうかが。ダブルスパイやられたら堪らんで」


トーツェンが腕を組んで面白くなさそうに言った。


「そうですな・・・取り敢えずはもう数日動いてみましょ。それでええですか、艦長?」

「ん。そうだな。物資補給の件も当たっといてくれ。今は必要ないが、な。
じゃあ、今日はここまでだ。・・・それと、やっぱ“艦長”って良いな」


キャルバートがニタニタしながら言うと、作戦室に笑いが溢れた。







「で、何でお前までおるんや、ミリィ」


翌日のゴバ市街。トーツェンが隣に並んだエミリアを見下ろしながら話し掛けた。


「何でてうちかて仲間やないの。仕事するのは当然やろ。昨日は居残りやったから
今日は出たの。それだけや」


つんと澄ましてエミリアが答える。


「ふふ、まあ、いいじゃないですか、トーツェンさん。でも・・・腕は放して欲しいんですけど」

「そうやで、ミリィ。どう考えたっておかしいやろ」


2人が困った様に彼女を見た。彼女はシンジとトーツェンの間に入っている。
つまり彼女を真ん中に並んでいるのだが、彼女の両腕はがっしりと左右の2人の腕に組まれていた。


「何で?ええやないの、これくらい。今までラス―ン市とかそこらしか出歩いた事なかったから
こういうのって楽しいわぁ」


エミリアがシンジ達にしがみ付いたまま跳ねるような足取りで歩く。
トーツェンが妹のピョコピョコ跳ねる頭を見下ろしながら、空いた手でガシガシと頭を掻いた。


「まあ・・・それは分からんでもないけど・・・仕事言わんかったか、お前。目的違っとるやろ・・・。
第一!何でショッピングモールやねん!こない雑踏歩いとっても何も分からんやろうが!」

「まま、ええですやないの、お兄様?可愛い妹の為やと思って。それにこういうとこにも
思わぬ発見があるかも知れへんやないの?」


エミリアがトーツェンの腕に頭を摺り寄せる。


「ええい、こしょばいがな。擦り寄るのは止め。で、その思わぬ発見がさっきのクレープかいな。
大体腕組む必然性がないやろ。そういうのはな、大人になってきちんとした相手と・・・」

「ええやん、腕くらい組んだかて。大体お兄ぃはうちにばっかりそういう事言って、自分はからきし
駄目なんやから。ホンマにうちが誰か相手見つけたらどうするん?
なあ、シンジはん。シンジはんもそう思わはるよね」


エミリアがトーツェンの腕に頭を凭せ掛けたままシンジの方を横目で見た。
僕に言われても困ると思いながらも、シンジはとりあえず腕が塞がっている弊害を諭す事にした。
これではソードも抜けないし、動きが取れない。


「はは、えっと、僕はちょっとそういうのは・・・。
でも、腕にくっ付いていられるといざと言う時に動きが取れないんですけど」

「んもう、シンジはんもいけずなんやから。そない野暮言うてるとせっかくの男前が台無しや。
シンジはんもお兄ぃもうちの胸当たって気持ち良いやろ?」


エミリアがトーツェンを見上げると、彼は妹の頭を小突いた。


「ドアホ。何生意気言うてんねん。大体妹の胸に興奮する兄貴がおってたまるか」

「痛ぁ・・・もう、若は興奮しとったで?」


彼女が小突かれて兄の方からシンジの方へ体を寄せ換えた。


「アホ言うな。やっぱ大将には一度痛い目見てもらおうかいな。
全く、おなごの胸鷲掴みにするやなんて何考えとんねん」

「はは、何も考えてないんじゃないですか?それより、そろそろ座って休みましょうか。
あそこに入りません?」


そう言ってシンジがあるカフェを指差す。
それを見てエミリアが歓声を上げて腕を放して駆けて行った。
エミリアの少女めいたその様子にトーツェンとシンジが顔を見合わせて苦笑し、
不意に表情を改めた。


「RX、あれ、例の企業系列か?」


トーツェンがシンジの肩の横辺りにふわふわと浮遊していたドロイドに尋ねた。


「そのようです。大陸各国の主要都市に拠点を築く企業の系列ですね」


ドロイドが合成音を発してトーツェンに答える。


「・・・純粋に利潤追求目的か、それとも・・・」


シンジが眉を寄せながら口を開いた。
単なる利潤を上げる為の店舗かも知れないが、
あるいは何らかの拠点として使われているのかも知れないのだ。


「ま、入っても表向きは分からんやろ。可能性は否定できんけど、こないなモールでは細工も
難しいな。少なくとも大掛かりな仕掛けはな。取り敢えず危険はないやろ。わい等も行こ」


そう言って彼等も店に入って席につき、注文をした。
注文したものが届き、彼等は休憩しながら雑談する。


「ああっ。足が疲れてもうた。うふふ、こんな風に街歩くの久し振りやわぁ。
賑やかでええトコやね、ここ」

「ホンマお気楽やなぁ、ミリィは。せやけど確かに久し振りやな、こんなの。
お前も友達と遊ぶなんてここ2年くらいはずっと減っとったやろ。ガッコも辞めてしもうたし」


トーツェンがエミリアに心配そうに話し掛けた。まだまだ遊びたい年頃だ。


「そうやね。ま、学校は辞めてもお兄ぃ等と居られれば良かったんやけど。
皆どないしとんのやろ。・・・お母はんも・・・一緒に来れば良かったのに」

「・・・そうやな」


トーツェンがエミリアの頭を軽く撫でた。


「もう、そうやって子供扱いして。シンジはんはどうしとったんです?うち等のとこに来る前は。
あの国のお人やないんでしょ?」


エミリアがコーヒーを口に運ぶシンジに尋ねた。
シンジは僅かに迷うような顔をし、テーブルに乗ったシリンがゆったりと尻尾を揺らめかせた。
トーツェンがその様子を見て妹を窘める。


「・・・まあ、ええやないか、ミリィ。坊主はわい等の仲間や。それでええ やろ」

「ああ、ごめんなさい。シンジはんも色々あるんやもんね・・・。
でも、お兄ぃ、ええ加減坊主ぅ言うんは止めたら?」

「カカ、そういやそうやな。すっかり呼び慣れてしもうたわ。せやった ら・・・シン坊でええか?」


トーツェンがアイスティーを口に運びながらシンジに言うと、
シンジはニコリと微笑んで承諾しようとしたのだが、その前にエミリアが非難の声を上げた。


「もう、お兄ぃは。それやったら変わらんやろ。大体こないな素敵なお人に そんなん似合わんわ」


ケーキを突付きながら兄に訴えるエミリアに、トーツェンは苦笑して頬杖をついて彼女を見る。
シンジも彼等を見て、内心苦笑しながらシリンに視線を送ると、彼女は横目でシンジを見た後、
目を閉じて尾の先をヒラヒラと振った。
シンジはこのように気安く迎えられる事に慣れていない。
あの村での記憶を失っていた2年間も今思い起こしてみればそうだったが、
何とも胸が温まるような、締め付けられるような、複雑な思いがした。


「えらい気に入り様やなぁ、ミリィ」

「うちの周りにはがさつな人しかおらんかったんやもん。それに比べたらシンジはんは雲泥の差や。
お兄ぃももうちょっとシンジはんを見習い。若やってもう落ち着かんったらないんやから」


エミリアが切り取ったケーキを口に含んでモムモムとやってトーツェンを軽く睨む。


「くく、ま、否定はできんが。大将もな、もう少しおなごに遠慮ちゅうもんをして貰わんとな」

「そうそう。乙女のおっぱいを何やと思うてるんやって。実っとるとかゆうたんよ、あの馬鹿若」


エミリアがそう言って自分の胸を押さえてふにふにと手を動かしている。
それを見てシンジがあの時の様子を思い出して苦笑し、トーツェンが噴出した。


「ゴホッ、ミリィ・・・その手ぇ止め。にしてもホンマあのアホ大将は・・・。お前もあっけらかんとしすぎや。
ええおなごは恥じらいちゅうもんを持っとるもんやで」

「はいなはいな。ま、若はその場でぶん殴ってやったけど」


エミリアがフォークをギュッと握り込んで言った。


「ふふ、キャルバートさん、歯が折れてましたよ?」

「ああ、知っとります。アジトの外で歯ぁ投げよったから」


エミリアがフォークをヒラヒラさせてそう言うと、トーツェンが爆笑した。


「お兄ぃ、声が大きい。でもシンジはん。若は殴ったけどシンジはんなら、うち構わへんのよ?」


そう言ってエミリアは自分の発達中の胸を寄せ上げながらシンジの方に身を摺り寄せた。
この国は北の大陸よりも暖かいので、シャツの下から彼女の胸の形が浮き上がって見える。


「へっ?」

「うふふ、うちのこと好きにしてもええんよ?」

「いや、あの、そう言われても困るんですけど・・・」


悪戯っぽく笑い掛ける彼女にシンジは体を引いて仰け反り、シリンが尾で顔を覆って頭を振る。


「はいはいはいはい。そこまでそこまで。ほら、離れ離れ」


トーツェンが冷めた声で早口に言って妹の腰を掴んでヒョイと持ち上げ、シンジから離して椅子に降ろした。


「もう、お兄ぃは。子供みたいに持ち上げんといて」


エミリアがくすぐったい感触と想いに口を尖らせてトーツェンを睨む。


「アホ言うな。わいから見たらミリィは小さいわ。それとあんまこないなこと軽軽しく言うもんやあらへんで。
自分の言うたこと良う想像してみ。全く、兄ちゃんはこないはしたない子に育てた覚えはないで」


そう呆れた様に言ったトーツェンを見て、エミリアは視線を宙にさ迷わせ、
それから首から額まで真っ赤に染めた。


「う、う、う・・・気を付けます・・・」


縮こまる妹にトーツェンは、一体何を想像したのやらと苦笑してグラスを口につけてシンジを見、
それに応えてシンジも困ったように視線を返した。
シンジにとっては彼等の仲の良さが羨ましかった。
血を分けたその想いというものはシンジには分からない。


「仲良いんですね、2人とも」

「んん、まあ、兄妹やしな。こいつも大きくなったもんやけど、まだまだやな。
・・・シンジは兄弟とかいてへんのか。ああ、シンジ呼ぶけどそれでええよな」

「ええ、構いませんよ。兄弟は・・・いないです。多分」


シンジの表情にトーツェンが眉をピクリとさせるが、ただ静かに、ほうか、とだけ言った。


「僕は・・・肉親というのが良く分からなくて・・・6歳の時にある場所に引き取られましたので。
それ以来肉親の事は分からないんです」

「ほうか。その猫は昔から一緒なんか」

「ええ、彼女・・・シリンはそこに引き取られて以来僕の親友です。シリン とはいつも一緒ですよ」


シンジが微笑んでシリンに手を差し出すと、彼女はその手に尾を絡めた。
トーツェンがその情景に微かに唇の端を上げた。





夜。停泊しているレゾリューション号艦内。
キャルバートが琥珀色の液体の入ったグラスを高々と掲げて、ダイニングフロアに集まる皆に宣言した。


「皆!ウィッシュを出て俺達は活動を開始した訳だが、遊び心ってもんを忘れちゃいかん!
今日は、“希望の土竜”レゾリューション号が太陽の下で飛び立った事と!
俺達がこの広大な世界に船出した事を祝って!祝杯をあげる!
今宵は宴だ!カントールの将軍さんからも極上の酒が届いてる!杯は持ったか!
それじゃ、俺達仲間に!」


キャルバートがグラスを一層掲げて大声で呼び掛けると、皆から一斉に割れるような声が上がり、
フロア中を歓声が満たした。


「因みに16歳のシンジとエミリア!お前達も飲んで良いぞ!トーツェンの教育兄馬鹿なんか放っとけ!
艦長権限で俺が許すから今日だけは酔っ払っちまえ!」


レゾリューション号“艦長”がそう陽気に叫んで杯を一気に乾すと、
また、わっと歓声が上がって笑い声が満ちた。
キャルバートの周りには彼の仲間が群がり、次々に杯を乾し、また満たし、彼と笑い合って話している。
この場に立っている事に自然と綻ぶ自分の顔を自覚しながらそれを見て、
シンジが軽い酒の満たされたグラスに口を付ける。
隣のトーツェンがキャルバートの暴言に苦笑してシンジを見た。


「ま、今日はええやろ。ほな、シンジ。改めて乾杯や」


そう言ってシンジに向かってグラスを挙げる。シンジもそれに応えて彼のグラスと打ち合わせた。
キンと軽い音が響く。
2人は笑いあって視線を交わせ、そのままグラスに口を付ける。
酒を口に含んでシンジの顔が幾分強張り、トーツェンも強いアルコールの刺激に口元を引き締めた。
お互い視線を合わせたまま目元や唇に笑いが零れる。抑えきれない様にそれは広がり、
トーツェンは歯をニッと剥き出して相好を崩し、シンジもくつくつと笑い声を零した。何だか可笑しくて堪らない。
そのまま声を上げて笑いグラスを乾したトーツェンの横から甲高い声がした。


「なーんね、男2人で見詰め合って!ねね、うちとも乾杯!」


エミリアがトーツェンの横から体を乗り出し、自分のグラスを2人の前に差し出した。
シンジが笑って彼女のグラスに自分のグラスを合わせ、酒を注ぎ直したトーツェンもそれに続ける。


「おう、ミリィ。お前も今日は特別やで?あんま飲み過ぎたらあかんからな」

「はいはい、分かっとりますえ、お兄様。・・・っん〜!これ美味しい!・・・けど何か変な感じやわぁ」


エミリアが杯を半分程空けて手足を縮込ませ、顔をクシャクシャにして可笑しそうに言った。
彼女の酒はアルコールの弱い果実酒だが飲み慣れなければ酔ってしまう。
トーツェンとシンジは彼女のクシャクシャな笑顔に笑い合った。


「おら、一気し過ぎや。食いもんも食えよ。腹が空っぽやと酒が回るからな。シンジもゆっくり飲みや」


そう言ってトーツェンは自分のグラスを再び乾した。


「お兄ぃばっかりガバガバ飲んで。お兄ぃのはどんな味なん?」


言うが早いかエミリアはトーツェンのグラスを持つ手を掴んで勝手に彼の酒に口を付けてしまい、
慌ててトーツェンが彼女を離すが、彼女は僅かに酒を口に含んだまま強張って目をギュッと瞑ってしまった。
呆れてそれを見ていると、漸く飲み下した彼女が涙ぐんでシンジとトーツェンを見た。


「・・・これ・・・何か、痛い・・・」

「この阿呆ミリィが。お前のとは違うんやからキツイに決まっとるやろ。
そこで動かんとき。食いもん取って来たるから」


そう笑って言って、トーツェンは料理が並べてあるテーブルへと歩いて行った。
このダイニングフロアは、戦艦などにありがちな狭苦しくテーブルの詰めてあるような場所ではなく、
広くスペースが取ってあり、テーブルや椅子も無粋な物ではなくリラックスできる空間になっている。
キャルバートからシンジが聞いた所によると、元々そういう設計になっていたということだ。
調度などは当然取り替えてあるが、当時のものも一部そのまま残していたり、壁に飾っていたりしてある。
かつてのこの艦の住人達は何を思っていたのだろう、とシンジは思う。
何を思い、何と戦い、何を守っていたのだろう。
それもあるいは自分が知っていることなのかも知れない。
静かにそう思い、シンジが周りの喧騒を眺めながら酒を口に含んだ。




「ぃよう!最年少コンビ!チビチビやってるか!?うわっはは!」

宴は続き、キャルバートがシンジ達のテーブルにやって来た。
腕を振り大仰に広げながらキャルバートが大笑する。
ほろ酔いといった具合のシンジとエミリアはキャルバートのテンションの高さに呆れて彼を見る。
酒を煽ったキャルバートはエミリアとシンジの間に体を割り込ませて座り、2人の肩に腕を回す。


「がはは、いや、トーツェンも中々粋な提案をしてくれたぜ。そうだよな。
戦うって言ったって、余暇は必要だよなぁ。余裕がなけりゃ生きるのも詰まらんよ」


言いながら片腕を放してテーブルの上のトーツェンが飲んでいた酒のボトルから
自分のグラスに注ぎ、それに口を付けた。
そして彼はエミリアの肩に腕を廻したまま、シンジ達の間で窮屈そうに座って酒を飲む。


「もう、若、狭いから向こう行って。何で一々間に入ってくるん」

「ああん?いいじゃねえかいいじゃねえか。お前等の体温を感じときたかったんだよ。
2人とも大好きだぜ。このフランツ・キャルバートは皆大好きなんだ」


キャルバートが再びシンジの肩に腕を廻して2人を抱き寄せた。


「・・・ふふ、大切な人が沢山いるんですね」


シンジが抱き寄せられたまま微笑んで酒を嘗めた。
キャルバートの体が温かい。想いもまた。


「ああ、一杯いるさ。どうだ、シンジ。この戦いが終わったら俺と一緒に世界を飛び回らないか?
俺は全部にケリをつけたら夢を追い掛けるんだ。人類学者になるんだ。
世界中で色んな人種を見て、その起源を解き明かすんだぞ。この艦で、艦長やってな」


キャルバートが目を輝かせてシンジを見る。
シンジにはキャルバートが眩し過ぎた。シンジはこれまで夢など考えたこともなかった。
今もまだ、そんな事を考える訳にはいかない。未来への希望を抱く事は大切だと
シリンや他の者に言われてきたが、しかし、だからと言って自分の背負うものに思いを馳せれば、
それはあくまで漠然とした希望であって、何か追い求めるものが見つかる訳ではなかった。
いや、少し違うな、とシンジはそこまで考えて自嘲した。背負う、ではない、と。
キャルバートはシンジが何故か切ないような顔をしたことを不思議に思ったが、
不用意に触れるべきでないと思い、今度はエミリアの方を向いた。


「エミリアのことも大好きだぜ。どうだ、俺について来ないか?偉大な人類学者の助手ってのはどうだ。
一緒に世界を回って・・・色んなモン見て・・・ワクワクするだろ」

「面白そうやとは思うけど、うちはうちのしたいことをします。助手ぅやなんてお断り」


エミリアがキャルバートには視線を合わせずグラスを傾ける。


「何だよ、エミリア。つれないじゃないか。俺がこんなに想ってるのに」


そう言ってキャルバートが彼女に顔を寄せるが、エミリアが迷惑そうにその顔を押し退けた。


「もう、若お酒くさい。どんだけ飲んだん。それからうちにあんまりベタベタせんといて。
この手も今ギリギリよ」


そう言ってエミリアが、彼女の胸のすぐ上に来ているキャルバートの手の甲を抓った。
そうそう乙女のおっぱいを触らせてなるものか、と彼女は抓る指先にかなり力を篭めた。


「いてててっ!・・・エミリアでっかくなったよなぁ・・・何かお前、甘くていい匂いすんだよなぁ・・・」


キャルバートが痛む手をプラプラ振りながらも、ボンヤリとそう言って彼女の首筋に顔を寄せ、
それにエミリアが体を捩った所で突然その彼の頭が鷲掴まれた。


「何やっとんや?」


キャルバートが頭をがっしり掴まれて振り返ることも出来ないまま、後ろの男に話し掛けた。


「よう、トーツェン。エミリア、ホントでかくなったよなぁ。昔はあんなチビだったのに。
まあ、今でも背はチビだけど。兄貴としては嬉しいだろ?」


平然と言うキャルバートにエミリアもシンジも呆れてしまう。
2人がトーツェンを窺うと、彼は満面の笑みを張り付けて震えている。


「おお、嬉しい限りや。せやけど問題もあってな」

「ほう?どんな問題だ?俺が解決してやろうか」


言いながら、ちょっと頭が痛いんだけどなトーツェンよ、とキャルバートは暢気に思う。


「中々おもろいこと言うな。問題ちゅうのはな、ミリィに邪まなこと考えてフラフラ近付く奴らがおって
困るちゅうことや」

「そりゃ困ったな。けど花にゃ虫が寄るもんだぜ?」

「ま、否定はせん。要はその“虫”がミリィが選んだ一匹だけならええんや。分かるか、大将」


トーツェンのキャルバートの頭を鷲掴む手が小刻みに震えている。
シンジとエミリアは酒を啜りながらそれを眺めていた。
エミリアとしては兄の想いが嬉しいが、シンジはいつも嫁のことになると煩くなるシリンを思い出し、
テーブルの上に静かに座っているシリンをチラリと見た。
トーツェンの言葉にキャルバートがうむうむと口をへの字にして頷いて―動けなかったので
頷いたつもりで―言った。


「分かるぜ、親友よ。つまりは俺はいいんだろ?」

「生憎やけどな、親友よ。今んとこお前はシンジに負け負けや」


そう無造作に言い放って、トーツェンはそのままキャルバートの頭を掴んだまま
無理矢理引っ張って彼と2人でシンジ達の向かいに腰を下ろした。


「ちょっと人が別んとこで話しとる隙に何エロオヤジみたいなことやっとんや」


トーツェンがキャルバートの頭を軽く押すように小突く。


「俺はシンジに負け負けかぁ。でもシンジはうぶも良いとこだぜ。もう胸揉んだのか?」


キャルバートがにやけて言うと、彼の顔面にエミリアの拳が入り、後頭部に彼女の兄の肘が入った。


「フガッ!い、痛えな!シンジも笑ってんじゃねえよ」

「こんド阿呆が。そないなこと言うてるとミリィに愛想尽かされるで」

「ホンマそうやわ。今の若に比べたらシンジはんの方が万倍ましやわ。少しは見習い」


トーツェンとエミリアが冷たく言い捨てると、キャルバートはいじけて酒を煽った。


「ふふ、キャルバートさん。これも余暇ですか?」


シンジが可笑しそうに笑ってキャルバートに問い掛ける。
それにキャルバートは意を得たりとばかりにニヤリと笑った。


「おうよ。やっぱシンジは分かってんな。全く、楽しい人生じゃないか。
数百年前のこの艦の住人達もここでこうして飯食ったり馬鹿騒ぎしたりして、笑い合ってたんだぜ。
・・・そうさ、想像してみろよ。見えるか?大昔の空の男や女の姿が」


キャルバートが陶然と言う。
その焦点を定かに見通せない眼差しで彼が過去の人間達に思いを馳せる様子を、
シンジ達は黙って見詰める。
キャルバートがぼんやりとしたままグラスを口元に持って行き、酒で舌を湿らせた。
そして徐に立ち上がる。


「おい、皆!乾杯する項目を1つ追加だ!この艦を造ってこの艦で空を駆けた勇敢で陽気な
空の男と女達に!皆見えるか!?そこにも、あそこにも!不羈の魂が、先人達が見えるだろう!?
偉大なるレゾリューション号の住人だった者達に、乾杯だ!!」


酒が零れるのも構わず、キャルバートは腕を振り上げ皆に向かって叫んだ。
その顔は興奮の為か酒の為か紅潮し、その眼差しは夢見心地に潤んでいる。
一瞬フロア中は静まり返り、皆が彼らの艦長に視線を吸い寄せられた。
キャルバートは全員の視線に晒され、もう一度グラスをゆっくりと掲げて、乾杯、と静かに言った。
次の瞬間フロアの空気が震えた。そうして皆口々に乾杯と言い合って、笑顔で酒を交わす。
キャルバートが酒を飲み乾して、ふらりと歩き出した。


「親父よ・・・見てるか・・・?俺の仲間がこんなにいる。俺達は仲間と一緒に空を飛んで世界を廻る。
あんたも仲間の1人だぜ・・・?俺達は皆あんたのことを想ってる。
親父・・・見ててくれよ・・・。あんたの仲間が・・・俺の仲間が・・・何を成し遂げるのか・・・。
・・・トーツェン、エミリア。シンジ」


数歩歩いてキャルバートは立ち止まってシンジ達を呼んだ。


「・・・何や、フランツ」


キャルバートが酒が僅かに底に残ったグラスを持った手をのろのろと挙げた。
そしてシンジ達に背を向けたまま、言った。


「カール・キャルバートに、俺の親父に・・・乾杯してくれ・・・」


トーツェンが黙って静かにグラスを掲げた。エミリアとシンジもそれに倣う。


「カールの旦那に。お前の偉大な父親に」


そう言ってグラスを空けた。
それに応えた後、キャルバートはだらりと腕を下ろして、フラフラと歩いて行った。
シンジはその背を見送る。しかしシンジには彼の心を慮ることは出来ても理解は出来ない。
宴が始まった時からテーブルに乗ってシンジの傍にいたシリンが己の主をそっと見た。


「・・・先人・・・父親・・・か。僕には・・・良く分からないよ」


呟きは楽しげで明るい喧騒に掻き消された。




12へつづく



リンカさんから十一話をいただきました。

シンジの過去がすこし出てきましたね。

記憶がない‥‥謎に包まれているようであります。

さて、そろそろ次回からもうすこしLASな展開が期待できるでしょうか。

素敵なお話をおくってくださったリンカさんにぜひ感想メールをお願いします。

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