一万二千年後の覚書

by リンカ

   3.邂逅

薄暗い森の中。
シンジが森を抜ける為、歩みを進めている。
日の光は小高い木々に遮られ、鬱蒼と生い茂る低木や草がジメジメと湿気を含んで、
シンジの服はあちこちが濡れ、草の染みが付き、枝に引っ掛けて破れていた。
「はぁ、はぁ、こっちでいいんだよね、シリン。参ったな、こんなに森が続くとは思ってなかった。
・・・何処か大きな倒木か、岩場でもあったら其処で休もうか」
シンジの言葉にシリンは腰のバッグから顔を突き出して、にゃん、と鳴いた。
顔に掛かった植物の雫を拭って、シンジは再び歩き始めた。


それから更に暫く時間が経過する。
シンジは地面から大きく突き出した岩を見つけた。
漸くまともに座って休憩が出来そうだとシンジは疲労で重たくなった体を引き摺り
その岩場へと近づいて行った。
近づいてみれば、其処は大岩の一帯の地面が岩肌となっており、
休むには丁度良い場所であるようだった。少なくとも汚れない。
漸く到達して、大岩に手を掛ける。ひんやりとした硬く冷たい感触にそっと溜息を吐き、
腰を下ろそうとした。
「動くな!」
背後から唐突に声がした。
その声にシンジは動きを止め、更に手を頭の後ろで組めとの声に、ゆっくりと両手を持ち上げる。
そしてゆっくりと振り向けと命令され、彼はジリジリと足を動かして体を背後の命令者へと向ける。
「動いたら撃つわよ。そのままじっとしてなさい」
銃を構えた女性。いや、少女。恐らくはシンジと同じくらいの歳だろう。
シンジよりも5、6メートル離れたやや高い所に立って、彼を睨みつけている。
「僕は・・」
「勝手に喋んじゃないわよ!こちらの質問にだけ答えなさい」
シンジが釈明しようとすると、少女は声を尖らせて威嚇する。
不遜な娘だ、と何処かで声がした。
「アンタ何者」
「近隣の村の住人・・・だった」
少女の眉がピクリと動く。
「この森の出口は」
「僕も今探してる。取り敢えずあっちへ真っ直ぐ」
「近くに街は」
「ごめん、余り詳しくないんだ。でも森を抜ければ2、3集落があったはずだよ」
済まなさそうに答えるシンジに、優位に立っている筈の命令者は不思議そうな顔をする。
「・・・アンタ食料や水は」
「持ってない。いや、確か携帯食が少し」
シンジが正直に質問に答えるのを聞いて、少女は益々おかしな顔をして、
それからシンジのバッグを見る。
背に背負った大きなバッグに腰に付けた小さなバッグ。
「随分荷物を持ってるみたいだけど、ハイキングって訳じゃなさそうね。何が入ってるの」
その問いにシンジは苦笑して答えた。
「僕の大事なもの、かな・・・」
シンジの様子に怪訝な顔をしながらも、少女はバッグを投げて寄越せと命令した。
シンジの顔が強張る。
少女がもう一度、バッグを投げて寄越せと言った時、声がした。
「不遜な娘だ」
少女はそれに警戒して体中を緊張させる。
辺りを見廻すが、姿は見えない。
ザワザワと葉擦れの音が、ただしているだけだ。
少女が己の心臓の煩い音に動揺しながら、額から頬を伝う汗の気持ち悪さを感じ、
そして、再び視界の端に留めていたシンジに焦点を合わせた。
その瞬間、シンジの体を紫紺の閃光が駆け抜けた。
いや、そう見えた。
少女が体をビクリとさせ、銃を構え直した時、シンジの左の肩口に先程彼女の視界を掠めたのと同じ、
紫紺の生き物が取り付いていた。
「・・・猫?」
「我が主に銃を突き付けるに飽き足らず、追剥ぎまでするか。身の程知らずの小娘が!」
少女はその声に硬直する。
眼前の光景を脳が受け入れなかった。
猫―シリンは牙を剥き出して少女を睨み付けている。
するりとシンジの首の後ろを伝い、シリンは今度はシンジの頭の後ろで組まれたその右腕に止まり、
再び少女に向かって“喋った”。
「貴様軍属のようだが、無抵抗、丸腰の人間から略奪せよと習ったのか」
「な、な、そんな・・・」
少女は益々混乱する。
どう見ても只の猫が人語を話し、あまつさえ軍だの何だのと知識も有しているのだ。
しかも今彼女はその猫に非難されている。
「ド、ドロイド・・・?」
少女の呟きにシリンはシャッと鋭く鳴いて、少女を睨んだ。
「この上、我が父母まで愚弄するか。何処までも礼儀知らずめ。貴様のような・・」
「もう良いよ、シリン」
「シンジ・・・。でも貴方は・・・」
尚も何か言いたげなシリンに、シンジは、良いんだと言って、肩に下りてきた彼女に軽く頬擦りをした。
逆立っていたシリンの毛並みがいつもの優美なものへと落ち付いていく。
余りの事態に銃を構えるのも忘れて下げられていた腕に、少女はハッと気付き、
慌てて構え直すが、銃口を向けられて尚ただ穏やかにシンジは彼女を見詰めて言った。
「僕達は君に危害なんか加えないよ。そんなもので脅す必要は無い。
バッグの中身が見たいのなら見せてあげる。食料も要るのなら分けてあげるよ。
だから、落ち付いて」
シンジの余りの言葉に少女は一瞬惚けて、そして激昂した。いや、しようとした所で静止の声が掛かった。
「騒ぐな、娘!」
鋭い声にシンジと少女がシリンを見ると、鼻をヒクヒクとさせ、辺りを頻りに警戒している。
「・・・シリン?」
「・・・囲まれた」
「まさかヒュルデ!?」
少女が銃を持つ手を震わせて言うと、シリンはそれを否定してから彼女に聞いた。
「・・・娘。武器はそれだけか」
「・・・ソードがあるわ」
「貸せ」
有無を言わさないシリンの声に少女は眉を寄せて嘯いた。
「ハッ、冗談じゃ・・」
「やれやれ、礼儀知らずの上、愚鈍と来た。よくもまあ、制服を着ていられるものだ」
「・・・シリン、言い過ぎだよ。彼女にしてみれば・・・」
「シンジ、貴方、徒手空拳の戦いは苦手でしょう。私は戦うことが出来ない。心配なのよ」
シリンは辺りを警戒しながらも、少女に対するのとはまるで違う口調でシンジに語り掛ける。
少女は突然蚊帳の外に置かれる状況に苛立ちながらも、シンジに向かって
レーザーソードのグリップを投げて寄越した。
「アタシを斬れるなんて思わないことね!」
「減らず口を・・・来たぞ!」
シリンが叫びシンジがグリップを受け取ると同時におぞましい咆哮が響き渡った。
森がざわめく。
「シリン!隠れていて!」
シンジが背負っていたバッグを投げ捨てて刃を出しながら相棒に叫び、
それを受けてシリンがシンジから離れていく。
シンジと少女が背中合わせに身構えていると、咆哮と共に何体かの影が踊り掛かってきた。
「ガルドーク!」
少女が驚愕の声を上げる。
ガルドークとは人のような姿をした獣だ。或いは獣のようなヒトと言った方が良いだろうか。
牙を剥き出し踊り掛かる1人に少女は銃を撃ち込む。
正確に頭を撃ち抜かれたそれは脳漿を撒き散らしながら地面に落ちて転がる。
シンジは彼に迫ってきた1人に刃を振り下ろすが、肩を掠っただけでその獣は機敏にかわし、
棍棒のような腕を振り被って来る。シンジはそれを避けずに刃で受けてその腕を切り落とす。
片腕を斬り落とされた獣は髪を振り乱し唾液を撒き散らしながら後ろへ跳び退る。
そこで他のガルドークが恐ろしい跳躍でシンジに跳びかかり、鋭い爪で抉ろうと襲い掛かってくるが
寸での所で身を転がしてかわし、足を切り落とすと同時に
少女の銃撃がその獣の腹と胸を貫いて絶命させた。既に少女は3、4体撃ち殺している。
シンジが起き上がり体勢を立て直して剣を構えると同時に後ろで気配がした。
振り向く間も無く飛び退いて逃げるが、背中に熱を感じる。
地面を踏ん張り、背後の咆哮する獣に向かって足を繰り出して獣の鼻面を蹴り砕いた。
そのまま振り向く体の勢いに、仰け反り鼻腔から血の泡を立てる獣の首を切り落とす。
少女の雄叫びが聞こえた。
覆い被さらんばかりに彼女に迫ってきた3人に向けて銃を乱射している。
血塗れになり崩れ落ちる獣の姿を視界の端に入れながら、
横から聞こえた獰猛な息遣いに飛び退って剣を構え、次の瞬間背後の獣に刃を突き立てた。
穴だらけになるのは堪らんと、少女の所から一息でシンジの背後に跳んで来たのだ。
正面の獣が腰を落としシンジを窺っている。腕を垂らし上体を屈めてシンジを睨むその顔が
突如爆ぜた。真横から少女が狙撃したのだ。
噎せるような血と臓物の臭いの中でシンジと少女の息遣いが響いている。
再びシンジと少女は背中を合わせる。
2人の獣がシンジと少女に迫って来た。
シンジは迫る獣に体を寄せて、一太刀で首を落とした。
少女に迫る獣はジグザグと縦横無尽に跳びながら距離を詰め、疲労している少女の射撃が当たらない。
焦る少女に肉薄し、その可憐な体を引き裂かんと獣が唸りを上げたと同時に少女は驚愕する。
シンジが少女と獣の僅かな隙間に身を割り込ませ、獣を2つに切り裂くと同時に己も獣に吹き飛ばされた。
男に守られたのは初めてだった。
そのままシンジが飛ばされ、少女も倒れ込んだ所で顔の上から雫が垂れた。
見上げてみると、真っ赤な腕の切断面が、咆哮を背景に目に映えた。
赤い腕の更に彼方に青い空が見え隠れしている。
もう駄目かと思う間も無く鋭い爪が襲いかかり、
そしてそれは少女の体から数メートル離れた地面を抉って土埃を立てた。
そのままドウと後ろに倒れた獣の体は2つに分かれ、
遠くの木に紅いレーザーの刃が墓標の如く突き立っていた。
救われたのが二度になった。
シンジを見やれば剣を投げた姿勢のまま少女のことを見詰めている。
血塗れの顔で微笑みかければ、シンジもニコリと笑みを返し、次の瞬間その顔に猫が跳び付いた。




先程の岩場から離れた場所にある水場。
血臭の漂うあの場所から逃れてきて、漸く身を休める場所が見つかった。
少女はペタンと座り込んで、血で背中が張りついたシャツを難儀しながら脱ごうとしている少年を
ぼんやりと見詰めている。
襲撃を退けた後、更に他の獣を引き寄せるのを避ける為にすぐさま移動しなければならなかった。
あの濃い血臭が漂う場所から離れれば、返り血を浴びた自分達から目を逸らせることが出来る。
出来るだけ静かに素早く森を駆け抜け、漸うこの場所に辿りついた。
そして顔にこびり付いた血を水で拭いながら少女は少年の行動を思い出していた。
顔に飛び付いた猫を一頻り安心させた後、すぐにあの場所を離れるという段になって、
少年は花を求めた。
見捨てていくという選択が浮かばぬまま、ジリジリとしながらその様子を見ていると、
木の根元に生えた何と言うことの無い雑草のような花を幾らか摘み取り、
それを一輪ずつ何体かの獣の亡骸の上にそっと置いた。
手まで合わせて祈っておいて、やっと少女と共に駆け出して言うには、
本当なら埋葬してあげたいが時間が無い、せめて花でも供えて供養としようと、そう淋しげに言うのだ。
今、こうして人心地ついてあの獣の返り血を拭いながら、あの時の少年の顔と言葉を思い出す。
まるで人間に対するかのような少年の行動と感傷に眉を顰めた。
アレは獣だ。ヒトのような形をしているがヒトでは無い。言葉も何も通じない獰猛な捕食者だ。
少年に銃を突き付けた所から思い返して見て、つくづく奇妙なヤツだと呆れてみた。
漸く少年がシャツを脱ぎ、血を拭ってから少女の近くに腰を下ろした。
そちらを見やれば少年が話し掛けてきた。
「さて、バッグの中が見たいんだっけ。ああ、食料も要るんだったかな」
シンジが微笑みながら少女に言う。
それに少女は口をポカンと開け、それから彼女が少年に言った言葉を今ここで
果たそうとしているのだと気付いた。
一体何なんだと思っていると、シンジが背を向けてバッグを漁り始める。
その背中に4本の赤い線が走っているのに気付いた。
「ア、アンタ怪我してんじゃないの!」
「えっ?ああ、皮膚をちょっと切られただけだよ。大丈夫」
そう言って気にした風も無いシンジに呆れて、少女は思案する。
そこで、毛繕いをしていたシリンが駆け寄ってきてシンジに言った。
「シンジ、我慢しすぎるのは貴方の悪い癖よ。確かに深くは無いけど、せめて消毒と縛るくらいしなさい」
「ええっと、そうだな。でも綺麗な布が無いよ。ねえ、シリン。消毒薬は入れてたっけ?」
「確か腰のバッグの内ポケットの1つに入ってたと思うけど。うん・・・。あら、あったわ」
話しながらシリンがバッグの中に潜り込んでゴソゴソとボトルを引っ張り出した。
「じゃ、掛けてくれる?」
「先に洗いなさいな。本当に自分のことには大雑把なんだから」
そう優しい声でシンジに話し掛ける猫を睨みながら―彼女に対するのとは余りに違うし、
何だか面白くないのだ―少女はシンジに先程から思案していた言葉を掛けた。
「アンタ、そっち向いたまま目を瞑ってなさい」
えっ、と振り返ったシンジに、良いからアタシの方を見るんじゃないわよ!と言いつけて、
彼女はジャケットを脱ぎ始めた。
ごめんっ、とシンジは慌てて顔を背け、目を硬く瞑った。
そして、ジャケットの下のアンダースーツも脱いで、それを引き裂く。
「ほう、只の礼儀知らずかと思えば・・・」
破った布切れを水に浸して絞る少女にシリンが声を出した。
そして、ジャケットだけを再び着込んで、少女がシンジを呼んだ。
「こっち来なさい。自分じゃ上手く洗えないでしょう」
その声に、シンジは逡巡しながらも素直に少女に歩み寄り、水際の彼女に背を向けて座った。
血の固まった傷口に水をかけて、布で拭い、傷口を綺麗にする少女。
粗方綺麗にしてから、シリンの方を見ると、彼女が消毒液のボトルを咥えて近づいてきた。
それを受け取り、少女は、沁みるわよ、と言ってから傷口に掛け、強張る背中の筋肉の動きを見る。
そして、再びアンダースーツを破り、シンジの体に抱き着くように腕を廻して傷に巻きつける。
何でアタシがこんなことを、と思いながらも巻き終えると、シンジからそっと離れた。
「ありがとう。えっと・・・まだ名前聞いてなかったね。僕はシンジ。こっちはシリンだよ。君は?」
「・・・・・エリー」
少女が僅かに言い淀んでから名を名乗る。それにシンジは目を丸くしてから、ニコリと笑って、
ありがとう、エリーさん、と礼を言った。
シンジの言葉にうろたえた少女は、それを誤魔化す様にドカッと座り込むと、早口に言った。
「バッグの中身、見せてくれるんでしょ。何が入ってるの」
「ああ、そうだったね。ちょっと待って」
そう答えてシンジはバッグを持って少女の隣に立ち、バッグの中身を広げ始めた。
中身を出し終えたシンジがそれを寂しそうに見ている。
「綺麗・・・」
少女が感嘆の言葉を零す。
背中のバッグに入っていたのは、シンジの手帳やノート、本、額に入った写真、それに細々したもの。
そして、衣装。シンジが祭りの日に着るはずだったもの。
鮮やかで繊細な紋様が丹念に編み込まれたあの村独特の衣装。
玉と銀で綴られた装飾品。
少女が見惚れていると、シンジがポツリと呟いた。
「これが、大事なもの、だよ。僕が今度着る為に、ジェーンさん達が作ってくれたんだ」
「今度?・・・貴方近隣の村に居たって言ってたわね」
「そう・・・もう村は無い」
シンジの顔を一瞬見上げ、少女は視線を逸らした。
それをシリンが鋭く睨む。
「娘、軍属だな。昨夜ヒュルデと戦闘した部隊の残党か」
「・・・そうよ。正確には援軍に向かう途中で撃ち落された」
「それでかような森をさ迷っていたか。貴様のような・・」
「シリン。いいんだ。彼女が悪い訳じゃない」
シンジが少女を責めようとしたシリンを止めて、腰を下ろし、再びバッグにものを仕舞い出した。
「でもシンジ・・・私は・・・」
「それに悪いというなら、それはむしろ僕だ」
「シンジ!そんなことは無いわ。昨夜のことも・・・あの時だって!」
少女には話が分からない。
ただ彼女の軍がシンジの大切なものを奪ったことは確かなようだった。
「あの・・・アタシ・・・」
少女がシンジに話し掛けようとすると、シンジは微笑んで首を軽く振り、空を見上げた。
「もう、日も暮れる。今日はここで休もう。火を絶やさなければ大丈夫だよ」
「・・・そうね、シンジ。2、3日はあそこの血臭に引き寄せられるでしょうし」
シリンが答えて、シンジと共に木切れを集めに辺りを廻る。
少女が俯いていると、頭上からシンジの声がした。
「エリーさん。君の銃、ブラスターだったよね。威力を絞って火を付けてくれないかな。あそこだよ」
そう言って指差した先には、集めた枝葉が石で囲まれている。
その脇にも掻き集められた木の枝が積まれていた。
「・・・分かったわ」


深夜。
不寝番をすると言ったシンジに根負けし、数時間で交代すると言うことに一応してから、
今は少女が火の近くで丸く寝そべって眠っている。
彼女の体の上にはシンジの大切なローブが掛けられていた。
シンジが木の枝を火の中に放り込む。
バチッと爆ぜる音が夜の闇に響いた。
シリンがシンジの膝の上で身動ぎした。
「冷えるね、シリン」
「そうね、もう夜は冷える季節なのね。私は平気だけど。何であれをあの娘に掛けたの」
「寒そうだったから。震えていたもの」
「・・・大切なんじゃなかったの?」
「大切だよ・・・ねえ、シリン。本当はあれも置いてくるべきだった。僕は逃げ出してきたのに、未練がましく
捨てずにここまで持ってきてしまった。あの人達の好意からも背を向けて逃げた臆病者なのに。
それなのに大事なんて、言えた義理じゃないよね」
シンジがそう言って、膝を抱え込む。
シリンがシンジの立てた膝に上って尾で彼の頬を優しく撫でた。
「そんなこと無いわ。貴方の大切だと思う心は本物だもの。あの人達だって貴方を責めたりなんかしない」
「僕の所為で皆死んでいく。僕なんて居ないほうが・・・」
「ああ、シンジ!そんなこと無い。貴方の所為なんかじゃないわ。
・・・“谷”へだって時期が来ればきっと帰還が叶う。暫くの辛抱よ」
「・・・でも僕は追放された。いっそ殺されれば良かったのに。あんなことを引き起こしておいて・・・」
「シンジ・・・」
シリンは口を噤み、彼の膝から飛び降りた。
シンジの前に立ち、そして、跪いた。人間の様に。
シンジがそれを見詰める。
「御身様。御身様が“谷”へいらした時、私は御身様に忠誠を誓約申し上げました。
そして、以来御身様に如何なる時も付き従って参りました。
この誓約は私が死ぬまで決して破られは致しません。しかし・・・」
「シリン・・・」
シンジに語り掛け叩頭したシリンが、顔を上げ、シンジの膝の上に飛び上がった。
「しかし、私が今こうして貴方と居るのは誓約したからだけじゃない。
貴方のことが好きだからよ、シンジ。私は私の心に従って貴方について行くの。
ねえ、シンジ。貴方も心のままにお生きなさい。私はずっと一緒よ」
そう言ってシリンは尾で再びシンジの頬を撫でる。
「・・・泣いてるの、シンジ?」
「うっ、ううぅ、・・・ふふ、そうだね。ありがとう、シリン。僕も君のことが大好きだよ。
君は僕の一番の親友だもの。いつも僕を見守っていてくれる」
「そうよ。私は貴方の従者だけど、親友なの。ね、元気だして」
「ありがとう・・・ごめんね。シリン」
そう言って涙を流して微笑んだシンジの頬を、シリンは尾で撫で、彼の涙を拭う。
「すぐ謝るんだから。泣き虫な所もちっとも治らないわ」
「ごめん・・・あ、ふふっ、そうだね」
「・・・さ、そろそろ交代の時間じゃないの?」
シリンが少女の方に顔を向ける。
「うん・・・でも折角あんな穏やかに眠ってるんだし、僕がやるよ。あと数時間で空も白む」
「全く、お人好しも変わらないわ。でも・・・頂けないわね」
「?・・・何が?」
キョトンとしたシンジに彼女は頭を振る。
もう一度少女に顔を向け、軽く睨んでからシンジの腹の所で丸くなった。
「寝ると良いよ」
「馬鹿言わないで。お腹温めてあげてるの。鼻と耳は利かせてるわ」
そう言った親友の背をそっと撫でて、シンジは枝を炎に投げ込んだ。
バチッと爆ぜる音が響いた。
シリンはそれを聞きながら、やはり頂けないわ、ともう一度思った。

少女が耳を欹てていたことに、彼女は気付いていた。
微かに息を飲んだことも、ごめんなさい、と口の中で呟いたことも。



次の日。
「ああ、やっと森を抜けた」
「そうね。結局あれから何事も無くて良かったわ」
シンジのほっとしたような声に少女が答えた。
シンジの頭の上に乗ったシリンが辺りを見廻して、彼に話し掛ける。
「シンジ、あちらがどうやらクジェール方面ね。行きましょう。確か少し行くと小さな集落があったわ」
シリンがその方向を尾で指し示す。
「そうだね。それじゃ・・・」
シンジが少女の方を見ると、彼女はあっ、と声を上げた。
「アタシは反対方向に行くわ。ベースに戻らないと。ここでお別れね」
「そっか、なら・・・あ、そうだ。これ返すよ」
そう言ってシンジは少女にソードのグリップを差し出す。
ずっと彼がベルトのホルダーに提げていたのだ。
「いいわ、アンタにあげる。武器がなきゃいざって時身を守れないでしょ。
あれだけ使えるんだから持つだけ持ってなさい。アタシは銃があるし、もう戻るだけだから」
「えーと・・・でも」
「いいから!アンタにやるって言ってんだから黙って受け取りなさい!」
「は、はい!・・・あ、じゃあ代わりにこれあげる」
シンジは少女の声に背筋を伸ばして返事したかと思うと、背のバッグを下ろしてゴソゴソと手を突っ込んだ。
そして、はいこれ、と手渡され、少女が受け取ったのは、綺麗な装飾の1つだった。
「え・・・でもアンタこれ・・・」
「いいよ。剣と交換ってことで。役に立つものじゃなくて悪いけど」
でも、と少女が呟いて手の上のものを見る。
玉と銀で綴られ、そして緻密で美しい細工が施された銀の飾りが付いている。
「腰帯とかに提げる物なんだ。君だったら・・・あ、ごめん。軍服につけてもしょうがないか」
シンジが頭を掻くのを見て、少女が口を開く。
「でも、大事な物なんじゃなかったの」
「うん、まあ、まだあるし。あげたいって思ったから。だからいいんだ」
少女がもう一度手の上のものを見る。そして、緩く握った。
「あ、ありがとう。・・・それと、その・・・」
「何?」
少女は飾りを握った手を胸の上に置きながら視線をさ迷わせる。
それを見てシリンが牙を剥き出した。
「何かあるなら、さっさと言わんか。よもや気に入らんとでも言いはしまいな」
「・・・シリン。駄目だよ、そんな風に言ったら。で、どうしたの、エリーさん」
少女は尚も逡巡していたが、意を決したのかシンジの目を見詰める。
その途中で睨む猫の眼光に怯んだ様だが、何とか口を開いた。
「それと・・・昨日の襲撃で助けてくれて、ありがとう。・・・あの、不寝番も」
「ああ、うん。こっちも助けてもらったし。別に気にしなくて良いよ」
「気にしろ」
「シリンッ!」
シリンがそっぽを向いた。
「その・・・それから・・・」
「ん?」
シンジが優しく微笑み掛けた。
「それから、ご、ごめんなさい。・・・アタシ、貴方の村を」
「・・・うん、まあ、軍にいるならこういうこともあるよ。君は戦闘に参加していないし・・・
村を消したのは・・・僕だ」
シンジの言葉に少女は目を見開く。消したのがこの少年とはどういうことか。
「だから・・・君がそれで何かを思うなら、僕はどうこう言わないよ」
「・・・うん」
項垂れてしまった少女にシンジは困った顔をして言った。
「あの、エリーさん・・・」
「アスカ」
「ヘッ?」
シンジが目を丸くすると、少女が顔を上げてもう一度言った。
「アタシの名前はアスカよ」
「え、じゃあ、エリーっていうのは」
「・・・ごめんなさい。それも騙していたわ。エリーっていうのはアタシの昔飼ってた狐の名前よ」
「ああ、そうなんだ・・・いや、別に偽名のことはいいよ、エ・・アスカさん」
「アスカ」
少女が腰に手を当ててシンジを上目遣いに―シンジの方が優に15センチは高い―睨んだ。
「・・・えっと」
シンジが口篭もるのを見て、シリンが溜息を吐いた。
「“さん”は要らないそうよ」
「あ、そう・・・えっと、じゃあ・・・ア、アスカ」
少女はそれを聞いて満足げに口角を上げ、それからやや寂しげにもう一度礼と謝罪を口にした。



少女が遠ざかって行く。
「・・・やっぱり頂けないわ」
シリンが少女の小さな後姿を見てポツリと言った。
シンジはそれに不思議な顔をしてから、僕らも行こう、と彼女の背を撫でた。
「・・・大体貴方は少々迂闊過ぎるわ、シンジ」
歩くシンジの肩の上でシリンが話す。
「迂闊って何が?」
「色々よ。“谷”とは違うんだから、接し方というものがあるということ」
「?」
分からないと書いてあるシンジの頬を尾で突付いた。
「もう、くすぐったい」
「嫁様選びも楽じゃないわ」
「何言ってるのさ。今までだって別に・・・」
シンジが彼女の言葉に呆れて声を出した。
「あら、私は何時如何なる時も目を光らせておりましてよ?貴方が記憶を失っていたこの2年は
ニャアとしか言わなかったけど、ね。もう大変だったんだから」
シリンがツンと背を反らして言うと、シンジは大仰にため息を吐いてから、前を見据えて言った。
「・・・これからどうしよう」
「・・・貴方次第よ。アレは置いてきてしまったし。私は反対はしないけど、本当に良かったの?
・・・反対はしないけど、手元に置いておくべきだとは思うわ」
「アレも、“アレ”と同じだ」
「・・・そうかも・・・知れないわね」
シリンが沈んだような声音でシンジの言葉に答えた。
2人は暫くそのまま口を開かず歩く。
と、呼び声がした。
「・・・シンジ、聞こえた?」
「うん、今のは・・・」
シリンが一点を見詰め、尾で指した。
ホバートレーラーが近づいて来、運転席の窓から首を突き出して手を振っている人物が見える。
シンジも手を振り返した。その顔はやや曇っていて、辛そうであったが。
その大型のトレーラーがシンジのすぐ脇で止まる。
「・・・シンジ君。無事な様だね」
「タルク先生・・・」

トレーラーに積まれていたのは、シンジが駆り、村を兵器ごと吹き飛ばした巨人だった。




4へつづく



あとがき

リンカです。皆様こんにちわ。

えー、このお話はいくつかのものからインスパイアされたものですが、
気付かれた方もいらっしゃるかもしれません。
興を殺がれたと仰る方がいらっしゃったら、誠に申し訳有りませんが、
あくまでエヴァですので。

シンジと少女が中々激しく戦っておりますが、必殺技とか間違っても飛び出したりしません。
基本的に只の人です。
それと、このお話は別にバトルものでもありません。かっこいいシンジとか期待しないで。

猫が喋ったのは、まあ・・・許して下さい。シンジ良い友達出来て良かったね!
ま、その内どういうことなのか書くかもしれません。

では、次回からも読んで下さる奇特な方がいらっしゃれば、大変嬉しく思います。

これで失礼。




4へつづく


リンカさんから連載の第二話&第三話をいただきました。
シンジの記憶が甦ったようではありますが、まだまだ謎が多いですね。
アスカも登場したけど、面識が無いみたいだし‥‥。
読み終えた後はリンカさんに感想をお願いします。

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