一万二千年後の覚書

by リンカ

   2.発端

村の診療所。
「良いようですね。取り敢えず薬は今日でお終いです」
眼鏡を掛けた柔和な顔つきの男が少年に向かってそう言った。
少年が酷く魘された次の日から彼に薬を―ほんの気休め程度であったが―処方していたのだが、
少年はその後落ちついているし、薬はもう必要無いと判断した。
「ありがとう、先生。今日は先生の所にもう一つ用事があるんだ」
「なんです?」
「その、演奏の時に着る衣装を見て欲しいんだ。先生にも」
照れ臭そうにそう言った少年にタルクは微笑み掛けて立ち上がった。
「では、離れに行きましょうか。その衣装は持ってきてるんですか?」
タルクの問い掛けに頷いた少年を伴って、彼は白衣を脱ぎ離れへと歩いて行った。
診療所に隣接する離れはタルクの住居となっている。
診療所の入り口に現在離れに居りますとの札を掛けて、タルクが家の中に入ると
少年が衣装に身を包んでいた。
ゆったりしたローブのようなものに肩から掛けられたこの地域独特の紋様の織り込まれた長布、
そしてそれと同じ紋様の帯を腰に巻き、そこに装飾が提げられている。
革に細工が彫り込まれたサンダルに、頭を覆うこれもまた同じ紋様の大きなバンダナを着けている。
「どうかな、先生。僕はここの人達と毛色が違うから、あんまり似合わないかな」
不安げに少年が問い掛けるが、タルクはニッコリ笑って彼に言った。
「良く似合ってますよ。貴方は線は細いですけど背もありますし、確りした体つきですしね。
色合いも悪くない。それ、ジェーンが編んでくれたんですか?」
「うん。ジェーンさんと、あと何人かがね。初めての衣装だからって良いものを作ってくれたみたい。
僕にはちょっと良く分からないけど、大事に着ろって念を押されたよ」
そう言って2人は笑い合う。
ジェーンというのは少年が世話になっている屋敷の侍女だ。
愛称にジェーンは絶対に嫌だと言ったのはこれが理由だ。
この辺りではジェーンと言うのは女性名なのだ。



夕刻、診療所の前。
少年が、衣装を綺麗に畳んで仕舞ったバッグを片手に提げ、タルクに暇を告げている。
少年が屋敷に帰る為歩き出すと、タルクは不意に彼を呼び止めた。
「・・・シンジ君」
愛称では無い呼び掛けに少年が振り返る。
「何、先生?」
「いや・・・ここでの生活は楽しいですか」
少年は何故突然そんなことを聞かれるのかと怪訝な顔をしたが、正直にその質問に答えた。
少年の肯定の返事にタルクは更に質問をする。
「貴方はマリエル様をどう思います」
「?良い方だと思うけど。楽しいし、優しい人だし。ちょっと困った人でもあるけどね。
でもそれがどうかしたの、先生」
「もし・・・いえ、ちょっと聞いてみただけです。気を付けてお帰りなさい」
少年がそれに笑って返事をすると、何処からともなく猫が駆けて来て、
少年に跳び付いて彼の肩によじ登った。
「あれ、シリン。迎えに来てくれたのかい?よし、じゃ、帰ろうか。それじゃ、先生」
「ええ、シンジ君」
そうして少年が肩に猫を乗せて歩き去って行くのを見送りながら、
タルクはポツリと呟いた。
「・・・皮肉なものですね。果たしてどうなるのか」



その日の夜。
村の人々は轟音と振動を突如感じた。
人々が家の外に飛び出して見ると、真っ赤な業火と、それに浮かび上がる巨大な影を
目の当たりにした。
混乱に陥る村人は、それでも何とか避難しようと動き出し、その中に当然この少年もいた。
「村長、これは一体・・・?あれは何なの?」
その疑問に村長と呼ばれた少年の保護者は答えず、まずは避難が先だと促した。
村の外れに皆散らばり、少年もまた、多くの村人と共にある避難所へと向かった。
「先生!」
そこでタルクの姿を見つけ、少年は彼に駆け寄る。
「どうやら、ヒュルデと何処かの軍の小競り合いが飛び火した様ですね」
「そんな・・・村には何の関係も無いのに」
「あれは大型機動兵器部隊です。彼らにかかれば村のひとつふたつあっという間に
戦場として潰してしまいますよ。ですが、何故こんなに突然・・・」
「・・・・・」
村を焼く炎の明かりに巨大な兵器の姿が禍禍しく浮かび上がっている。
人々がその様子を怯えながら見守っていると、どうやら目標を外したらしい攻撃が
近くに着弾した。
沸き上がる悲鳴や鳴き声の中で、少年は足元が揺れるのを感じ、次の瞬間
彼の足元の地面に亀裂が入り、そしてそれは広がって少年を飲み込んだ。
「シンジ君!」
タルクが駆け寄るが、既に少年は裂け目に消えてしまった。
村人達が更に遠くへ逃げようとする中で、タルクは1人漆黒の裂け目の奥を覗き込んでいた。
余りに不覚だった、とタルクは唇を噛み締める。
彼が覗き込む大地の裂け目からぼんやりと光が漏れ、彼の顔を下から照らす。
彼は地の底から光が漏れたことに何の驚きも抱いていない。
彼は、彼だけは、この地面の下に何があるのか知っていたからだ。



裂け目に落ちた少年は、一瞬の浮遊感の後、着水した。
ぬらぬらと体を撫でていく水の感触を感じ、少年は水中にいると悟って
足を蹴って泡の上がっていく方向に体を浮き上がらせた。
顔を水面に出し、取り敢えず一定方向に泳いで行く。
真っ暗な上、服とバッグの所為で泳ぎにくいことこの上なかったが、何とか岸と思われる所に手をついた。
地中湖だろうかと思いながら体を水から引き上げ、唐突に違和感に気付く。
手をついた地面が、真ッ平らなのだ。まるで人工物の様に。
少年は立ち上がり、辺りを見廻すが、暗闇で殆ど見えない。
中腰になって手を動かしながらそろそろと歩いて行くと、壁と思われるものに手が触れ、
それを触りながら立ち上がると、突然閃光が襲った。
その衝撃で少年は尻餅をつき、しばらくして漸く目が慣れた彼は信じ難いものを目の当たりにした。
少年がいたのは完全に人工の巨大な地下室で、
そして、その中央に巨大な人型のものが鎮座していた。
「こ、これは・・・外の兵器と同じもの・・・?何でこんなものが地面の下に・・・」
その人型の兵器の胸元辺りにタラップが備え付けられている。
少年は恐る恐るとそこに上ると、胸部が開かれ、奥に操縦席と思しきものが見えた。
吸い寄せられる様にその中に入っていき、開かれた胸部が再び閉まる。
そして巨人は躍動した。





次の日の朝。
村があった場所に一体の巨人が聳え立っている。
辺りのものは爆風に吹き飛ばされたかのように崩され薙ぎ倒され、
兵器群の残骸が散らばっている。
そしてその巨人の足元に呆然と立つ少年。
彼が身動ぎもせずそこにいると、幾人かが駆け寄ってきた。
「・・・シンジ君!」
タルクが少年に呼び掛ける。
のろのろと自分に呼び掛けたタルクに視線を合わせ、そして少年は口を開こうとしたが、
唇の隙間からはヒューヒューとただ空気の漏れる音がするだけで言葉にならない。
「・・・貴方がこの兵器を・・・。一体・・・」
「・・・せ、せ、先・・生。む、む、村の・・・皆・・は・・・?」
漸く少年が言葉を発した。
「・・・100人も残っていません。ですが貴方の所為ではありませんよ。
逃げ遅れたり、或いは避難先で連中の戦闘に巻き込まれて亡くなった方が殆どです」
「ジーン、お前一体・・・?どうしてお前がこんなものを動かせるんだ」
タルクと一緒にやって来た村人が少年に問うと、少年は悲しげな顔をして
掠れた声でそれに答えた。
「お、思い・・出した、んだ。僕は・・・これに乗っていた。そして・・・もう乗らないと誓ったのに。
ぼ、僕は・・・ここには居られない・・・留まることは、で、出来ない」
「どういうことだ、ジーン。お前が悪い訳じゃないんだぞ。むしろ、お前の御蔭で俺達は!」
村人の1人が興奮した様子で少年を詰問する。彼もまた少年を気に入ってよく面倒を見ていた。
それをタルクが押し止める。
「まあ、待って下さい。どういうことなのか説明出来ますか、シンジ君?ゆっくりで良いですから」
その言葉に少年は首を振り、踵を返す。
「この2年間のことは、・・・感謝、しています。でも、もう・・・」
「何故だ!誰にもお前を責めさせやしない!」
「僕は・・・駄目なんだ。僕は・・・ま、また・・・」
「・・・また?」
そう問い掛けるが、それきり少年は口を噤み、歩き去って行ってしまった。
それをただ見送る村人は歯を食い縛り、一方的に去って行った少年の言葉を
胸の中で繰り返す。
「先生。ジーンは一体・・・。あいつの言ってたのはどういうことなんでしょう。それに・・・」
そう言って佇んでいる巨大な兵器を見上げる。
10メートル程のそれは他の兵器群よりも若干大きく、そして少年はこれを駆り、
兵器群を何体か打ち倒した後、残りのそれらを一気にバラバラに吹き飛ばした。人の居ない村もろとも。
「・・・とにかく、生き残った人達を纏めて何処かへ逃れなければ」
「ああ。でもジーンも放っとく訳には。ジーン、守ってくれたんじゃないのか・・・?
それにこのデカブツも・・・」
「そうですね・・・」
紫紺の装甲に鎧われた巨人が朝日の中、悠然と聳えていた。



少年が失意に包まれ村を立ち去った、その数時間前。
カリヒトと呼ばれる都市。
「何ですって!あの村が戦場に?そんな・・・今すぐ戻ります!」
使者が報告に訪れ、それを聞いたマリエルは体中から血の気が引いた。
己の想い人が暮らす村の、そしてその想い人の危機に彼女は椅子を蹴倒すような勢いで
立ち上がり、従者に帰還を告げるが、従者は冷静に―苦吟を込めて―答える。
「帰ってなんとするのです。貴女が駆け付けた所で新たに混乱を生じるだけです。
それにここからあの村までどれだけ掛かると思うのですか」
「ジーンの身に何かあるかも知れないという時にそんなこと!
そうだ、私の“ダリア”はっ!?」
「なりません!たった1機でどうにかなるとお思いですか。それにあれは軍の小競り合いなどで
使って良いものではありません。第一、院に戻ってそれからダリアで出ても4時間は掛かります。
とても間に合いは・・・」
「私は後悔したくないの!!」
叫ぶマリエルの姿を見据え、今まで黙していたヘレンが立ち上がり口を開いた。
「急ぎましょう、教母様」
「ヘレン!?」
従者の1人が声を上げるが、それを無視してヘレンは出立の準備を整えた。
マリエルがヘレンと共に宿泊していた部屋を走って出ていく。
「恩に着るわ、ヘレン」
「最大速度で院まで飛ばします。ダリアは起動準備を整えておくよう連絡しておきましょう。
ですが、それなりの覚悟はしておいて下さい。・・・いいわね、エリ−」
「・・・分かった」


その後、彼女達は素晴らしい早さで村まで到着した。
だが既にそこにはただ荒野が広がるだけだった。
「そんな・・・ジーン・・・」
「この様は一体・・・。教母様、村人を探しましょう。ひょっとしたらジーンも・・・」
声も無く泣き崩れ大地に伏したマリエルを抱き起こし、ヘレンは避難所の場所を
思い出しながら、院から共に急行した者達に指示を出す。
結果村人は見つかったが、少年は既に立ち去ったということを知らされた。

「何故・・・貴方は何処へ行ったの。私・・・、“シンジ”・・・」




破壊された村から暫く歩いた所にある森の中。
少年が力無く歩みを進めている。
と、少年の腰のバッグから猫が顔を出し、彼の肩までスルスルとよじ登った。
にゃー、と鳴いた猫に少年は手を添えて彼女を撫で、語り掛けた。
「ごめんよ、シリン。あれほど誓っていたのに、またやってしまった。
また僕は・・・。何でなのかなぁ・・・?僕は・・・どうしたらいいんだろう・・・」
少年の言葉に猫は彼の耳朶を軽く噛んだ。
その痛みに少年は首を竦める。
それから彼の頬をさわさわと撫でる彼女の尾の動きに
少年は涙を溢れさせた。
「ふふ、ごめん。幾つになっても頼りない御主人だよね。君だけだよ、厭きずに僕と居てくれるのは。
・・・いや、僕は・・・逃げ出したんだね。君を連れて。また、逃げ出した。
ピアが見たら凄く怒るだろうなぁ。あんな・・・良い村だったのに、良い人達だったのに」
そう言ったきり少年が黙ると、シリンは彼の頬に顔を摺り寄せて、彼女も彼の涙に濡れた。
シンジはシリンの体に柔らかく手を添え、軽く頬を擦り付ける。

そうして、シンジと、シリンは森の暗がりの中へと消えていった。




3へつづく


寄贈インデックスにもどる

烏賊のホウムにもどる