一万二千年後の覚書

by リンカ

   ∞.夢幻

とある長閑な村。
人口は数百人ほどだろうその小さな村の、割合に大きな屋敷の一室。
1人の人間がベッドに横たわり、魘されている。
厭な汗をビッショリと掻き、眉は苦しげに顰められて歯を食い縛り、
時折何かを拒む様に首を左右に振ってうわ言とも呻き声ともつかぬ音をその口から漏らしている。
シーツを握り締める手はその白い薄布を引き千切らんばかりに力が篭められ
身を捩り体に掛けられた毛布が彼の体に絡みついている。
突如その人間は大きく息を吸い、背を弓の様に反り返らせた。
目が見開かれる。
喘ぐ様に開かれたその口の、深淵から迸る絶叫。
大気も部屋の壁も調度もその人間自身も何もかも、
何もかもを切り裂いてしまうようなその叫びが収まると
その部屋にはただ安らかな寝息のみが密やかに響くだけで、
まるで先の有様が夢幻であるかのような穏やかさだった。


それは夢物語。




   1.前奏曲

音色が響いている。
ここはとある村の、演舞台と呼ばれる場所。
擂り鉢状になったその底には舞台が備えられていて、斜面には席が設けられ、
グルリとその舞台を囲っている。
正確には丁度舞台の円の4分の1程は壁となっていて、奥に部屋が、岸壁に
穿たれるようにして作られている。
役者や奏者が使う為の部屋だ。
今舞台の中央で楽器を奏でているのは少年だ。
目を閉じ、己の生み出す調べに身を任せ、ただ無心に奏で続けている。
少年が持つ楽器は、少年の体と同じ程もある大きな物で、幾本かの弦が張られており、
それを弓で擦って音を出している。
波が引くように少年の旋律は終息していき、そして余韻を残して静寂が辺りを包んだ。
ゆっくりと少年が目を開ける。
正面と左右に迫る観客席には誰も居ない。
この日少年は、一月後の村の祭事の為の曲目を練習していたのだ。
といっても少年が演奏するのは、儀式が終わった後の余興のひとつとしてだ。
己の身の内で燻る陶酔の余韻に少年が身を任せていると、
爆ぜるような、それでいて優しく静かな拍手の音が唐突に聞こえてき た。
少年は誰も居ないとばかり思っていたので、少々驚いてその手を打ち合わせる音の出所を探る。
と、探るまでもなく、その密かな観客は知れた。
舞台の上の少年の方に歩み寄ってきたからだ。
拍手をしている観客は抑え切れない様に口元を綻ばせて少年のすぐ傍までやって来て、
そして漸く手を打ち合わせるのを止めて口を開いた。
「とても素敵でしたわ。うっとりと聞き惚れてしまいました。
本当に貴方の奏でる旋律は何て素晴らしい・・・まるで夢の中のよう・・・。ねえ、ジーン?」
その観客―女性のようだ―の賛辞の言葉に少年は苦笑して後頭部を軽く掻くような仕草をする。
「大袈裟ですよ。勿論褒めてもらえるのは光栄ですけど。
そんな大層なものじゃないです。それから・・・」
「ウフフ、何かしら?」
「僕のことをジーンと呼ぶのは止めてくださいと再三言っているのに・・・。
誰も聞いてくれないんですから」
「まあ。それではジンというように伸ばさないほうがいいかしら。それともシン?ジュシー?ジェーン?」
「ジェーンは絶対駄目です!もう、どうして普通に呼んでくれないんですか」
「フフ、ごめんなさい。貴方の名前は耳慣れない音で、この近辺の者には呼びにくいのよ。
それに親愛を込めて愛称で呼んでいるのだけれど、お嫌かしら?」
女性は微笑みながらも多少困ったような顔をし、
それを見た少年は諦めた様に笑顔を返した。
「それより、良いんですか。こんな所に・・・」
そう言いかけて少年は辺りを見廻す。他に人の気配の無いことを確認して言葉を続ける。
「こんな所にお1人で。またメリン師に大目玉を食らいますよ。
この前もこっそり抜け出して騒ぎになったばかりでしょう。マリエル様」
少年の言葉に女性は唇を突き出し、子供のような仕草をして反論する。
「良いの。今日はこっそり抜け出したのではなくて、お忍びで来たんですから。
それにジーン?貴方こそ私のことはエリーと呼んで下さいと何度もお願いしましたのに。
いつも聞いて下さらないんだから」
「・・・すみません。お忍びでも誰か随人はどうしたんですか」
「あら、ちゃんと付いて来てますわ?今はこの村の何処かに居ると思いますけど」
そう言ってニコリと笑った女性に少年は呆れた顔をする。
要するに途中で撒いてきたのだ。
「・・・貴女はそう奔放なことが出来るご身分ではないでしょう。
院の御老方の寿命も縮まりますよ。貴女は・・・」
少年の言葉の途中でこの女性―マリエル―は突然少年に背を向ける。
「どうしました?」
「ねえ、ジーン。散歩しましょう。木々も色付いてきたし、私、貴方と一緒に散歩がしてみたいですわ」
そう言って少年の方に顔だけ振り返り、ニコリと笑んで、そのままスタスタと歩いて行ってしまう。
少年は慌てて楽器をケースに収め、それを奥部屋に仕舞ってから
小走りに追い掛けて行った。



ある屋敷の一室。数人の大人の男女が椅子に座り、話をしている。
「昨日も起きましたな。これで何度目か・・・」
「痛ましいこと。原因は分からないんですの、タルク先生?」
「残念ながら。しかし恐らくは彼が失った・・・」
先生と呼ばれた男が頭を振って答える。
「あの子がここに来て2年近くになるが、初めは大層驚かされましたな。
あんなにも悲痛な様子で魘されて・・・しかし普段は本当に穏やかな子なのに」
「記憶・・・何とか戻せんものかのう。それとも余程の酷い過去なんじゃろうか。
この村の者は皆あの子が気に入っておるのに・・・。助けてやりたいが」
「やはり覚えていなかったのでしょう?昨夜のこと」
「ええ、彼は自分が魘されていたことも覚えていません。
夢も覚えていないと・・・。催眠も効果がありませんでしたので、こうなると・・・」
「・・・やはりバルカークへ・・」
部屋に集っていた中の長老格が言いかけた所で、
ノックと共に侍女が部屋へ入ってきた。
「失礼致します。院の方がお見えに」
「何じゃ?」
「はぁ、その、今此方に教母様がいらしていると・・・」
「・・・お通ししろ」
侍女が礼をして客人を招き入れる。
入ってきた客人は鍛えられた体躯をした男で、心底困り果てたような風情で皆の前までやって来る。
「お邪魔をして申し訳ありません」
「またですかな」
「はあ、今もう1人が探し回っている所ですが、こちらにもお話をしておこうと・・・」
その大きな体一杯に疲労を溜め込んだようなその男に皆は失笑する。
「ふぉっふぉっふぉっ、相変わらず元気な姫様じゃて」
「でも皆に好かれた良い御方ですわ」
男がそんな悠長な、と困った顔をしていると、この屋敷の主人が言った。
「分かりました。こちらも人を遣りましょう。
ですが、行き先は一つだと思いますがね」
そう言って顎鬚をしごいて皆を見渡せば、一層笑いが零れた。
「その“行き先”が何処に“いる”か分からないから困っているのです!
・・・あの方にはもう少し御自分の御立場を分かって頂きたい。
老師など心労で倒れそうになっているというのに。全く・・・」
客人の男はそうぼやいて、差し出された茶を飲み干した。




村の一角、森の中。
散策道のようなものが作られていて、そこを2人の男女が歩いている。
女性が手を腰の後ろで緩く組んで、胸を心持ち張るようにしながら
ジグザグと踊るような足取りで歩き、その後を少年がゆっくりとついて行く。
女性は頭上の見事に色付いた木々を見上げたり、周囲を見廻したりしながら、
囀る様に感嘆の声を上げ、少年に楽しそうに語り掛ける。
少年もそれに笑い掛けて言葉を返す。
そうして2人は歩いていた。
「ねえ、ジーン?貴方はここでの秋は3度目でしたよね?」
「ええ。ここに来た頃、丁度その盛りでしたからね。
先生の医院の窓からの眺めが余りに綺麗で、いつも飽きもせず外を眺めていました」
「あれから2年になるんですね。もう此方にもすっかり慣れて・・・本当に良かったわ」
「・・・ありがとうございます」
「・・・まだ過去を取り戻せないのかしら?」
「はい。でも・・・」
少年が立ち止まり、辺りの景色に目を凝らす。
「でも?」
「でも、このままでも良いかとも、最近思うんです。村の人たちも皆良くしてくれるし。
ここでの生活も、ここの人達も、僕は好きです。だから・・・」
「・・・そう」
女性―マリエルは少年の言葉に目を伏せて、それから再び歩き始めた。
「もうすぐ牧場が見えてきますわ。行きましょう、ジーン」
「はい、マリエル様」
その少年の答えにマリエルは少年に見えないように、微かに眉を顰める。
いつもエリーという名で呼んで欲しいと言っているのに、この少年はそうしようとはしない。
散々しつこく強請って漸く呼んでくれるくらいだ。
マリエルと呼ばれる度に、それは私の名ではないと心が痛みを訴えた。
最も、他の人間も彼女をエリーと呼ぶ者は殆ど居ないのだが、
彼女は、この少年には自分の本当の名で呼んで欲しかった。
2年前に現れて以来、彼女が何かと足繁く訪ねているこの少年には。
マリエルが考えていると、並んで歩く少年が突然驚いたような声を上げた。
何事かと振り向けば、少年の肩口に小さな猫が纏わりついている。
彼の掌にもどうにか乗れるくらいの小さな猫だが、子猫のような丸い体ではなく、
ほっそりとした成獣と分かる体をしておリ、体の長さと同じくらいある細長い尾を持っている。
この猫は少年が2年前村の入り口で倒れていた時、一緒にいた猫だ。
深夜、この猫の鳴き声で村人は少年を発見し、結果彼は命を取り留めた。
紫紺の優美な毛並みを持つこの小さな生き物は、少年と過去を繋ぐ唯一の手掛かりで、
少年は自分の名と、この猫の名だけ覚えていた。
少年の肩に立ち、頬擦りしたり尾で擽ったりしている猫に、マリエルは話し掛けた。
「どうしたの、シリン。貴女今までどこにいたの?」
すると猫は、な〜、と鳴き、マリエルとは反対側の肩から少年の首の後ろを伝って
彼女に跳び付いた。
慌ててマリエルが受け止めると、少年が苦笑して自分の腰に括り付けているバッグに
手を当てて言った。
「この中に居て貰ってたんですけど、さっき目を覚ましたみたいです。
退屈してたから遊んでくれって」
「まあ。あんな狭い所にいたらそれは退屈よね。これから牧場に行くのよ。
貴女も一緒に行きましょう?ミルクも貰えるかもしれないわ」
マリエルがそういうと、猫は再び鳴いて彼女の肩に止まり、尾を揺ら揺らと揺らす。
「不思議な子ね。言葉が分かっているみたいですわ。
でもこんな美しい種類の猫は皆知らないと言うのだけど、やはり貴方の生国で産する種類の猫なのかしら」
マリエルが少年を見て言った。
少年もこの地方の人間とは容貌が異なる。彼の名も。
皆が彼を愛称で呼ぶのは彼の名を上手く発音出来ないからだ。
上手く発音出来ないと言うよりは、その音を転がした口元に微妙に違和感が残るからだ、
と言った方が良いだろうか。だから呼び易い様に、また、この少年に親愛を篭めて愛称で呼ぶのだ。
「さあ、それは何とも。でも、こいつは僕の相棒ですよ。それで十分です」
少年が、おいで、と腕を差し出すと、猫はそれに跳び付いてそのままスルスルとよじ登って
少年の頭の上にしがみ付いてしまった。
それを見てマリエルが、まあ、と目を丸くして、クスクスと笑った。
猫の尾がユラリユラリと揺れる。
牧場が見えてきた。




牧場。
山羊のような家畜が放牧された、その柵の所で、牧童と若い女が話している。
牧童に何かを頼む様に必死に話していた女だったが、森の中から出てきた人影に
目を丸くし、次いで大きな溜息を吐いて頭を振った。
その様に牧童は苦笑して慰めている。
森から出てきた2人の人間が彼女達の所に歩いてきた。
「まあ、見つかってしまいましたわ。ご苦労様、ヘレン」
暢気に女に声を掛けるマリエルの横で、少年が恐縮してヘレンと呼ばれた女に謝っている。
「全く、労ってくれるくらいなら、始めから世話を掛けさせないで下さい。
ペーターが最近めっきり髪が薄くなってきたと零していましたよ」
ヘレンのその言葉に牧童が噴出す。
「笑い事じゃないんですがね。御老方も日々心労でよろめいております。
この間などミッダ師がフラフラと足を踏み外して危うく池で溺死する所でした」
彼女が言っている池とは深さが大人の脛の中程くらいしかない庭園に設えられた池だ。
「あれは私の所為なのかしら。ミッダ師は蝶を追い掛けて池に飛び込んだと聞きましたけど?」
マリエルが頬に指を当てて首を傾げる様に、今度は牧童だけでなく少年まで笑い出す。
「貴方までなんです、ジーン。最近は院の中に貴方を閉じ込めておく場所を作ってしまおうと
御歴々が仰って、目下審議中ですよ」
ヘレンの言葉にマリエルが、まあ素敵、と手を組み合わせて目を輝かせ、
少年は、そんなぁ、と情けない声を上げた。
マリエルがこの少年の元に足繁く通っており、元々じっとしていなかったというのに
少年が現れて以降は格段に彼女が抜け出す回数が増えていることは皆周知のことである。
「くっく、覚悟を決めた方が良さそうだなぁ、ジーンよ。何、院での生活は案外快適かもしれんぞ?」
牧童が少年をからかう言葉を掛ければ、マリエルがそれに頷いて同意している。
その様子を見てへレンがマリエルに釘を刺す。
「しかし、それよりも教母様がきちんと御自分の立場を自覚して頂ければ済む話なのです。
もう小さな子供では無いのですから、おいたは程々になさって下さい。
さもないとその内腰紐を括り付けて生活して頂く様になりますよ。
こちらも審議中です。勿論のこと」
ヘレンが顎を上げてマリエルの方を見下ろしながら言う。
それにマリエルは首を竦めるが、牧童と少年は笑いを堪えている。
このヘレンと言う女は、本人は大真面目なのだがどうにもその言葉の端々にユーモアがあり、
マリエルにとってはお気に入りの従者だった。
本当なら友と呼びたい所だが、彼女達は主従の関係である為それは叶わない。
しかし、この教母と呼ばれるマリエルにとって最も気安く話が出来る人間の内の1人だった。
「とにかく、見つけたからにはもう逃がしませんよ。
まあ、折角牧場にいらした様ですから、暫し時間をあげます。済んだら私と来て下さいね。
ペーターも今頃村の長老方に泣き付いているでしょうから」
そう言って彼女は牧童達が休憩する為に設えてある四阿へと歩いて行った。




村のある屋敷の一室。
ペーターという名のマリエルの随人が屋敷を辞去してから、ここに集っていた人々は
再び深刻な面持ちで元の話に戻った。
「どうするね。やはりバルカーク市に連れて行くか?あそこならば・・・」
「しかし、あそこで治療が叶うとは限りますまい。一体如何程掛かるかも分からんし・・・
それに下手をすれば・・・」
そう言った人物は不安そうに先生と呼ばれた男を窺った。
「・・・そうですね。確かにあそこに連れて行けば何か分かるかもしれない。
ですが、そのまま彼の身柄を奪われることも有り得る。被験体として。
残念ながらあそこに知人はいませんし、やはり不安ですね」
男の言葉に皆はざわめく。
「生活する分には問題はなさそうじゃ。今までの所はな。この2年で起きた回数もそう多くはない。
10に満たん。このまま平穏に暮らすことも叶うのではないかのぅ」
「そうですわ。健康にも然して障りは無いようだし。別に窶れたり不自由がある訳でも・・・」
皆が件の人物をこのままここに留め置き見守るよう話をしているのを眺め、
先生と呼ばれる男が口を開いた。
「何故今こうして焦っているのです。・・・彼が16になるからですか?」
16歳とは言ってもあくまで推定だが、この秋に件の人物は16歳になるとされていた。
彼の言葉に皆は黙りこくる。
「・・・どういうおつもりなのです?まさか誰かと婚姻を?」
黙り込んだ皆の中からこの屋敷の主人が口を開いてそれに答えた。
「教母様はあの子が来てから随分と執心だ。だがあの子が誰かと婚姻を交わせば
それも収まろう。その方が教母様の為であり、・・・そしてあの子の為だ」
「彼が院に囚われることが見るに忍びないと?」
「あの子にあんな場所は似合わん」
「・・・同意であれば?」
「それを貴方が言われるか、タルク先生」
「しかし、誰かと婚姻を結ばせることも同じなのではないですか?」
「だから、婚約だけだ。・・・差し当たってはな」
「しかし・・・いえ、勿論皆様方が彼を想って言っているのは分かるのですが・・・。
マリエル様とていつまでも今のままとは限らないでしょう」
「私達はあの子に幸せになって欲しいのだ。過去にどんな目に遭ったのかは分からん。
本人さえ憶えておられぬ程に酷いものなのかもしれん。だからこそああして夢の間に叫びを上げるのか。
だがあの子は良い子だ。私達は皆息子の様に思っている。
だから、院に連れて行かれることは避けたいのだ」
「マリエル様の望みを潰しても、ですか」
主人はその言葉に項垂れて顔を手で覆う。
「正直我らにも良く分からん。あの御方の顔が曇る所は見たくはない。
しかし、あの子には院での生活は親しめまい。教母様の夫としての生活は。
あそこは特殊な場所だ。悪い所などと言うつもりはないが、やはり・・・」
「・・・まあ、良いでしょう。一先ずその話はここまでにしましょう。結局は当人の意思ですけどね」
「そうじゃな・・・」
ノックの音がして侍女が部屋に入ってきて、件の人物の帰宅を告げた。




村の一角。マリエルと随人達の逗留先の一室。
夕食も終わり、夜も更けた刻限。
「どうなさりたいのですか。教母様」
ヘレンの問い掛けにマリエルは俯いていた顔を上げて答えた。
「何度も言ったはずですよ。私はあの人を連れて行きたいと」
「・・・貴方の夫として、ですか」
「そうよ。いけないの?」
「・・・何故です。何故そこまで。畏れながら申し上げますが、あの方のことは諦めなさい。
叶わぬ恋を追い掛けて良い御身分では無いのですよ、貴女は。
あの方を連れ帰ることがどういうことか良く分かっておられる筈です。私は賛成しかねます」
ペーターが窘める様に言うと、マリエルは勢い良く立ち上がり叫んだ。
「何故です!私があの人を想うことがいけないとでも言うのですか!
私は教母に、マリエルになりましたが、それでも自分の意思を捨てた訳ではありません!」
「マリエル様、声を抑えて下さい。家の者がいぶかしみます」
ペーターの宥める声にマリエルは腰を下ろして再び俯く。
その様子にヘレンとペーターは顔を見合わせ、ヘレンが口を開いた。
「“エリー”。貴女の想いだけではどうこうなるものでは無いのです。
貴女の夫として迎えられるということがどういうことなのか、貴女は良く分かっている筈です。
身を持って知っている筈ですよ、貴女は。ジーンにそれを味あわせるおつもりなのですか。
別に彼の身元が不明だからと疎んでいる訳ではありません。
院の者も彼には好意を持っております。しかし貴女はジーンに説明できるのですか。
院に入ればどうなるのか。貴女とジーンとの間に生まれるやも知れぬ子がどうなるのか。
・・・そもそも彼はどう思っているのでしょうね、貴女のことを」
「・・・・・」
俯いたまま震えているマリエルにヘレンは更に言葉を続けた。
「エリー、本当に叶うと思っているのですか。幸せになれると?
ジーンを院に引き込んで、彼と安らかに過ごせると?
エリー、顔をお上げなさい。貴女にはその覚悟がお有りですか?」
マリエルは顔を上げ、彼女を覗き込むヘレンの目を見詰める。
そして震える唇から声が零れた。
「私は・・・幸せになりたい。あの人と・・・一緒に生きたい。
あの人と結ばれることが私の幸せなの。その為ならどんなことだって 怖れない。
あの人は強い人だわ。説明すればきっと受け止めてくれる」
「・・・貴女を愛してくれるかどうかは?」
「・・・だからずっとあの人の所に会いに行ってたんじゃない。
少なくとも好意は持ってくれているわ。他に恋仲の娘がいる訳ではないし・・・このまま・・・」
「失った過去にその“誰か”がいたとしたら?そうしたらどうするのです」
「彼はこのまま思い出さなくても良いと言っていたわ。ならば私が彼の想い人に・・・。
それに新しい想いが過去のものに劣ると何故言えるの」
ヘレンはマリエルの視線から目を逸らさず、それを聞く。
彼女の意思は固いようだと判断してペーターの方を見ると、彼はヘレンの視線に諦めた様に首肯した。
ヘレンはもう一度マリエルの目を見て、言った。
「宜しいでしょう。御歴々もこうなることは予見しておりました。
ですが一つだけ、申し上げねばならないことが有ります。
貴女の不安を煽りたい訳ではないのですが貴女は知っておくべきでしょう。
彼はもうじき16歳となります。婚姻を結ぶことの出来る年齢です。
彼の保護者連はこのまま彼が只人として生きることを望んでおります。
・・・つまり、彼に誰かと婚姻を結ばせる可能性があると言うことです」
その言葉にマリエルは目を見開いて顔を青褪めさせる。
「無論、この地では完全に当人同士の合意でなければ婚姻は結べません。
家や組織がそれを取り決めることは認めていません、我らの教義に従い、ね。
しかし可能性はあるということです。内心を覗くことは只人には出来ませんし、
彼が己の意思に則り伴侶を受け入れることも有り得るのです。
彼が欲しいなら早く、確実に、彼の心を手に入れることです」
その言葉を聞いて、マリエルの顔には決意の色が広がる。
彼女は窓の外に見える夜空に架かる月を見上げた。
「応援してもらえるかしら、ヘレン、ペーター?」
「こうなっては致し方ないですな。ですがこのペーター、色恋はちょっと・・・」
「誰も貴公に大して期待などしてはおりません、ペーター。
しかし、教母様。帰って報告をしたら何と言われるでしょうね。
全く貴女は昔から頑固な方で。もう何人心労で施療院送りにしたとお思いです。
御蔭でコーダ博士の身の休まる時がないのですよ。本来貴女を診るお方なのに。
すっかり頭痛と胃痛の専門家になってしまわれた」
ヘレンの言葉にペーターがくつくつと笑いを漏らす。
「もうじき祭りの為に慌しくなります。貴女も彼の元を訪れることの出来るのは
祭りが終わるまではあと1、2度でしょう。なるべく時間を無駄にしないことです」
マリエルが結っていた髪を解いて、彼女の腰まで届くその長い髪が鮮やかに流れた。
それは艶やかな銀光を反射した。
彼女が月を見上げるその瞳は血のような紅い色を帯びている。
かつては栗色だった、それら教母の証。
マリエルが柔らかい光を放つ月を見上げながらポツリと呟いた。
「どうか私の想いを受け入れて、ジーン・・・“シンジ”」


















1週間後、この村は壊滅した。





2へつづく



あとがき

リンカと申します。皆様こんにちわ。

えー、第1話。きっとお読みになられても何の話やらさっぱり分からなかったことでしょう。

はじめに申しておきますが、このお話はLASです。信じ難いでしょうが。
間違いなくエヴァです。
シンジとアスカのお話です。ラブストーリーです。・・・ちょっと自分で書いて恥ずかしかった、今。

設定など何もかも訳が分からないでしょうが、心配いりません。私も分かってないので。
書きながら考えます。あんまり細かく設定を組むつもりもありませんし。
プロットはゼロです。インスピレーションが武器です。
ネーミングとかもチョー適当です。マリエルって誰よ!?ってなもんですね。
ペーターとかもね、ペタンとか言っちゃいます。・・・イイカモ。

でもちゃんとエンディングは決まっているので、そこまで穴埋めすればいいだけなんです。

頭から長い話の「覚書」ですが、全体もきっと長くなるでしょう。
アスカはすぐ出てくるでしょうが、この先見捨てず読んで下さる方がいらっしゃれば
喜びのダンスを踊ります。・・・ごめん、嘘です。嬉しいのはホント。

何分私はまだ初心者なので、拙いシロモノを晒すことになるかも知れませんが、
宜しく御付き合い頂ければ幸いです。

それでは、長くなりました。
失礼致します。


リンカさんから連載の第一話をいただきました。

なんでしょうか。異世界か遥か未来の地球なのでしょうか。
続きが気になるところですね。

読み終えた後はリンカさんへの感想メールをお願いします。

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