目を覚ますとアタシはいつも使っているふかふかのベッドの上にいた。
お気に入りの白と淡いピンクの水玉模様のお布団。
ドイツに帰ってきてすぐにママが買ってきてくれた、お気に入りのお布団。

その中にいると、ママの腕に包まれているかのような心地よさにもう一度瞼を閉じそうになる。

が、ふと横に視線を移すと椅子に座ったまま睡魔に飲み込まれてしまったママ。

「アタシ、あのまま寝ちゃったのかしら…?」

時計を見ると午後3時。
ママに仕事を休ませてしまった。

「主婦失格ね。」

自嘲気味に笑う。




なんとなく窓の外の景色を見ながら、
ここがドイツで、アタシとママの家であることを再確認する。

「なにホッとしてるのかしら…。」

寝てる間にママが日本に勝手に連れてきてるなんてことあるはずがない。
でも、ここがドイツであることが今のアタシにはとても重要らしい。

安心したからか
突然のどの渇きをおぼえて、アタシはキッチンへ向かおうとする。

「??」

動けない。

右手がママの手でしっかりと握られている。


もう一度ママを見る。



「…涙の跡…。
バカね。泣きながら眠ったら起きた時に目が腫れて大変なのに。」

アタシは小さく笑いながら左手でママの涙をぬぐったあと、
右手を固定しているママの手の甲に重ねた。


「そうね、このままじゃだめよね。
なにかから逃げるなんて、惣流アスカ・ラングレーらしくないわ。」



私は決心した。
もう一度エヴァ2号機に乗ると。








「アスカ、本当にいいの?」

ベッドの脇で眠っていたママが目を覚ますと同時にアタシはアタシの決意をママに伝えた。
やっぱり、ママの目は腫れぼったい。

「うん、もう一度エヴァに乗る。
乗って、あのときのことを確かめる。」

「確かめる?」

「そう。
エヴァから逃げ続ける限り、
アイツのあの時の気持ちも理解できないと思う。
だから、乗って確かめる。」

「アスカ…ママはアスカが何を言ってるのかはわからないけれど、
何かに向かって踏み出そうとしてるのはわかるわ。
そして、それを応援してる。

それに、あなたがあなた以外の人の気持ちを理解しようとしていることが
ママはとてもうれしい。できる限りバックアップさせてもらうわ。」

「え…だって、起動実験、日本でやるんでしょ?」

「その点なら大丈夫。エヴァ2号機はもともとドイツが所有してたものだから、
前々から所有権を主張してたの。パイロットがこちらにいるとなれば、
この主張も通りやすくなるわ。」

「ホントに?
…よかった。…アタシ、日本に行くことに結構不安を感じてたから。
なんだ、そうだったんだ。

エヴァに乗るだけのことくらいなら朝飯前だわ!!!」


「くすくす…アスカ、その調子よ。
それでこそ、ママの自慢の娘。」


アタシとママはにっこりとほほ笑みあった。
ほほ笑みながら、心に何か引っかかるものがあった。




それが何なのかは後で知ることになる。










ママに『もう一度エヴァに乗る』と言ってから早1か月。
アタシはエヴァに乗るための訓練メニューをこなしていた。

今日はモニターを使ってのシュミレーション。

場所はネルフドイツ支部。

あの後、使徒が来ることもなくなり、事実上ネルフの存在意義はなくなったのだけれど、
事後処理やなんやかんやでこの組織は存続してる。

最近ではMAGIを各国に大々的に売りこんで、かなりの成果を上げているらしい。
この組織、営業活動もできたのね…。

そして、ドイツ支部の技術部長がママだ。


エヴァ2号機の起動実験にアタシが参加するという話が持ち上がった時、
ママは日本本部を痛烈に批判したそうだ。

表向きはエヴァ2号機の平和利用に対する懸念と抗議だったそうだが、
内容は完全に『アスカを2号機に乗せるなんて無理に決まってんでしょ。』的なものだったらしい。

それがなぜ、アタシを説得する側にまわったのか詳しいことはわからないけれど、
ママも色々と思うところがあったのだろう。



今ではそれでよかったと思ってる。



ただ…
いくら久しぶりにエヴァに乗ることになるとはいえ、
こんなに基礎訓練をしなくちゃいけないのか疑問だわ。

シュミレーションなんかちまちまやるより、とっととエヴァに乗った方が早いわよ。
それに今回は前みたいに使徒をやっつけるわけじゃないもの。

…まぁ、まだ少し怖いのは怖いけど…。


本日10度目の荷物移送の訓練―平和利用のうちの重要任務が危険地域からの人や荷物の運搬らしいのよ―を終えたアタシは、
正直うんざりしながらシュミレーションルームを出た。

必要あるのかないのか一応着ていたプラグスーツを着替えるべく更衣室へ向かう。

もうすぐ更衣室、あ、技術部だ。ママいるかしら…。



「だからそこは譲れないと言っているでしょ!!」

突然大きな怒鳴り声。ママだ。
技術部なんて部署にいるくせに、普段はかなりぼーっとした人。
怒鳴り声なんて珍しい…。
ううん、一緒に暮らしてるアタシでさえ、そんなママ見たことがない。


「しかし、これ以上時間がかかれば実験方法そのものの見直しも検討しなければいけません。」

不安定な発音のドイツ語で反論してる男の人。
日本人かしら?


「ドイツから日本に空輸したときと同じ方法で送ってくれればいいじゃないの。赤木博士には私から説明します。」

「だから、それでは時間も費用もかかりすぎると申しているのです。
パイロットひとりを運ぶ方がどれだけコストダウンできるか…。
今ネルフは株式会社なのです。超法規的組織ではないのですよ。」


…何をもめているのかしら。
騒ぎを聞きつけた他の技術部の人たちも集まってくる。


「あなたたちそうやってアスカをまた苦しめようとしてるんでしょ。
私たちの大事なアスカをこれ以上傷つけられて黙って見てるわけにはいかないわ。
ね、博士。」

ときどきうちに遊びにくるママの部下の人たちだ。
ママを援護してくれてるらしいけど…。

…。


アタシを苦しめる?
何のこと??


「とにかく、起動実験はドイツでやってもらいます。
どうしても日本でやるっていうのであれば協力はできません。」


「協力云々ではないのです。これは本部命令なのですよ、博士。」



ガタッッ




さっきまで手に持っていたはずの携帯が足元に落ちてる。
みんなの視線がアタシに注がれる…。





アタシは思わずその場を逃げ出していた。


















ネルフドイツ支部は市街地からかなり離れた場所にある。
そのため、敷地は広大だ。大きさだけなら本部より大きいかもしれない。

その広大な敷地には、休憩所という名の小さな東屋というかヴィラなような建物があちこちに作られている。
アタシはその中のひとつがお気に入り。
めったに人は来ないし、色とりどりのきれいな花が1年中咲いてる。


まだ日本に行く前、ひとりで訓練していた時もよくここに来ていた。
アタシの気持ちを落ち着かせてくれる場所…。


「ハァ…ハァ…。」

久しぶりに思いっきり走ったアタシは大した距離でもないのにバテバテだ。

「ダメだな〜。やっぱり体がなまってる。
シュミレーションなんかより、体力づくりをした方がいいかもしれないわね。」


「……」


「起動実験、日本でやるんだ…。」


言葉にしてみて再確認する。


ママが断固拒否していたけれど、
支部に本部命令を覆すなんてことはできない。
アタシも長い間ネルフにいたからそれくらいわかる。


1か月、訓練が長いと思っていたのは、
このことでもめてたからだったんだ…。


ママや他のスタッフの人たち、
アタシにそんなこと一言も言わなかった。


ママの部下の人…
『私たちの大事なアスカを…』
って言ってくれてた。



もしかして、アタシ、今までも大切にしてもらってたのかな…。

ひとりで頑張るしかないって思ってただけで、思い込んでただけで、 たくさん助けてもらってたのかな…。


「あ…。」

気付くと頬を熱い雫がつたっていた。













どれくらいそこでそうしていたんだろう。
1分かもしれないし1時間かもしれない。
アタシはお気に入りの場所で泣きじゃくっていた。


はじめは
アタシのことを気にかけてくれている人たちがいるということに対する嬉しさや安心感から。

そのうち、日本に行かなければいけないということへの不安感から。

最後にはもう何だかわからなくなって、ぐしゃぐしゃな状態になってた。



そこへママがやってきた。
探し回っていたのだろう、全身に汗をかいているのがすぐに見て取れる。
息も上がっている。

「アスカ!!!」

「ごめんなさい…っ…アスカっ。一番大事なことを…っ…伝えていなかったわね。
でも、…っ…アスカを日本になんか行かせないわ。
…っ…絶対にドイツで機動実験をする。
ママの目の前で…っ…実験するのよ、アスカ。」

アタシを安心させるように、
ゆっくりと、呼吸を整えながら、やさしいほほ笑みを投げかけてくるママ。

アタシはこの笑顔に弱い。


アタシが日本には行きたくないと言えば、
ママはなんとかしようと必死に本部と交渉するだろう。

ううん、そう言わなくてもママは交渉を続けてくれていた。


ただ、この状況はママにとってとてもやっかいだ。


本部の決定に従わない支部の技術部長。
その気になれば替えなんていくらでも探すことができる。

実際、後釜を狙ってる人間は腐るほどいるだろう。


そして、アタシは知ってる。
ママがこの仕事が大好きなことを。
誇りを持ってこの仕事をしてるってことを。

アタシは、そんなママが好きで、大好きで…。


だから…



「アスカ、泣かないで。
安心していいのよ。大丈夫、アスカはここにいていいの。
大好きよ、アスカ。」

ママはハンカチでアタシの涙をぬぐい、
ぎゅっと抱きしめてくれた。



「ありがとう、ママ。」

ママの腕の中でアタシは小さな子供のような気持ちになる。
いつもママの腕の中ではそう。
ずっとこのまま抱きしめてくれたらいいのにって思う。


「アスカ…」

ママがアタシを呼ぶ声。
これも心地いい。
日本に行く前にはそんな風に感じたことなかった。




「ママ?」

「なあに?」

「アタシ、日本に行っても大丈夫よ。」

「え?アスカ、何言ってるの。
さっきのことなら気にしなくていいの。
きちんとドイツで準備してるんだから。」

「ううん、アタシ日本に行く。
行って、向こうでエヴァに乗る。
大丈夫、向こうにはミサトやリツコもいるし…アイツも…。」

そう、日本に行くことを恐怖に感じている理由、
日本にはアイツがいる…。


アイツは今何をしてるんだろう。
今もネルフにいるんだろうか?


アタシが日本にいたときのようにミサトと暮らしているんだろうか?





アタシが日本に行けば、
アイツがアタシを殺そうとした理由…そのあとに涙をこぼした理由がわかるのだろうか…?






どちらにしても、アタシは日本に行かなければならない。

ママを救うために。
自分と、アイツと向き合うために。





第3話へつづく



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