アタシはあの後、アイツから逃げるようにドイツに帰った。
それから一度もアイツとは連絡を取っていない。

気にならないと言ったらウソになる。
ううん…むしろ気になってると思う。








あれから5年が過ぎ去ったというのに
アタシはあのとき…
赤い海のほとりに2人でいたあの日から
時間が止まってしまったように身動きが取れずにいた。











赤い海のほとりで


by クロメ








「ママ〜、朝ごはんできてるわよ。
冷めないうちに早く食べて。」

「ん〜…。」

「ちょっと、ママ、また寝ちゃったの。
早くしないと遅刻するわよ。
今日はお天気がいいからシーツも洗いたいのよ。
ほら、起きて。」

「んん〜…もうちょっと…」


アタシは今、ママと2人で暮らしている。
ママと言っても、血のつながりはなくて、
もう死んでしまったパパと再婚した2番目のママ。

仕事はできるけど、それ以外のことがからっきしダメなママに代わって
アタシが家事全般を取り仕切っている。

日本にいた時にはこんな自分、全く想像していなかった。

掃除や洗濯、食事の支度なんて、暇な人間がやればいいと思っていたし、
エリートでエヴァパイロットのエースであるアタシがやる必要なんてないとも思ってた。

だからアイツがやるのが当然と思ってた…。


そんな風に考えていたから、アイツがご飯を作っても掃除をしても 感謝なんて一度もしたことなかったと思う。

それどころか、事あるごとにアイツを罵倒した。
お風呂の温度のことで文句を言ったこともあったし、
夕食のおかずが気に入らなければ作りなおさせたりした。


我ながらすごい傲慢だわ…。


それなのに、アイツいっつも困ったようなすねたような顔で
「…ごめん。」って。

でも、嫌いじゃなかったのよね、あの顔。
だって…。








「…アスカ?」

…!!!

「なに?ママやっと起きたの?」

…びっくりした!!アタシ完全にあの頃…日本にいた頃に気持が持ってかれてたわ。



「朝ごはんはここに置いてあるのを食べていいのかしら。」

ようやく起きてきたママが指差した先には、チーズトーストとスクランブルエッグ、サラダのワンプレート。
我が家の朝食の定番メニュー。

「どうぞ。召し上がれ。今スープをあたためるわ。
今日はママの好きな野菜たっぷりのコンソメスープよ。」

そう言いながらコンロに火をつける。


「うわ、今日もおいしそっ♪いただきま〜す。」

もぐもぐ…



「ねぇアスカ。」

「ん?」

口にサラダを頬張り、もごもごしながらママは続けた。





「あなたもう一度エヴァに乗る気はない?」




ママの唐突な言葉に頭の中が真っ白になった。
かろうじて「…え…?」と言葉のようなものを発することができたものの、
本当に声になっていたのかよくわからない。

…もう一度、エヴァに…?
アタシが…?


「実は、極秘にエヴァ2号機が再建されているの。
もう使徒が来ることはないけれど、有事の際に活用できるんじゃないかって。
5年前とは違って、平和的な利用を考えているのだけど、
問題はパイロットなのよ。」

「あなたも知っての通り、エヴァは誰が乗っても起動するというものではないわ。
現存するエヴァは2号機と量産機3体。
はじめはパイロットのいらない量産機を活用する案が出て、量産機の修理が優先された。
そして、起動実験が行われたのだけれど…、
ダミープラグが全く反応しなかったらしいの。」


量産機…。
あのとき、9体の量産機を相手にしたアタシは、
ズタズタに引き裂かれた。
文字通り、腕を割かれ、内臓を取りだされて…。


「ううっっ!!」
突然猛烈な吐き気をもよおしたアタシは今朝食べた物をすべて嘔吐した。
幸いにもキッチンに立っていたため、それらを周囲にぶちまけることなくシンクに納めることができたけれど、
吐き気はおさまる気配がない。



「アスカ…アスカ、ごめんなさい。嫌なことを思い出させて…。」

「ううっ、だったらなんでこんな話をするの?
もう一度エヴァに乗るだなんて、そんな…。」

「アスカがエヴァに乗ったことでとても恐ろしい思いをしたことは知ってる。
でも、その恐怖を乗り越えないことには、次のステップへすすむことができないんじゃない?」

…どくん…。

…どくん、どくん、どくん…。

突然、アタシの心臓が勝手に走り始めた。




なんとなく気づいてた。

あれから5年の間、日本にいた頃のことを思い出すことがあっても、それは
アイツやミサト、ヒカリたちと楽しく笑い合っていた日々のことばかり。

なにがきっかけだったかはもうはっきりと憶えていないけれど、
アイツとミサトとの同居生活がうまくいかなくなって、アタシのシンクロ率もどんどん下がって、

そう、なにもかもぐちゃぐちゃになって、気づいたら赤い海のほとりにアイツと2人でいた…。


思い出したくない、アタシにとって美しくない、暗い暗い過去。


アタシはその過去にふたをした。
日本から…アイツから逃げてドイツに帰ることで、アタシはこの思い出したくない過去にふたをしたの。


だって、怖かったんだもの。


量産機との戦いはもちろんだけど、
赤い海でアイツがアタシにしたこと…。


アイツはアタシを殺そうとした。



きっとアイツはアタシのことを憎んでる。
殺したいほど憎んでるんだわ。




…でも、
泣いてた…。

アタシの顔にぼたぼたと大きな涙の粒をこぼして…。


あれはなんだったの?



…どくん


…どくん、どくん、どくん…。




この日、アタシは久しぶりにあの日のことを振り返った衝撃に耐えられなかったのか、
そのまま意識を失った。



第2話へつづく




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