碇シンジは幼少の頃、父親に捨てられた。真偽の程はさて置き、彼自身はそう感じていた。

それが及ぼしたトラウマかニグレドか、彼は十四歳のある事件の直前まで奇妙な経験を幾度も遭遇した。

 それは、おそらく自分の側に立つ淡い紫色の鬼が呼び込んだ結果とも言える。

 あまりに浮世離れしたそれを、幼い彼は漠然と自分だけに見える物だと確信した。

自分以外には誰にもそれは見えない。だが、確実にそこにいる。自分の側に立つそれを彼はほぼ毎日観察し、

やがてある結論に達した。

 これは自分なのだ。自分自身なのだ。自分の心が生み出した、意志あるヴィジョンなのだ。



 小学校の担任は彼の保護者に言った。


 彼は誰とも親しくなろうとしません。無視しているわけではありません。敵対心を抱いているわけでもありません。

 ただ、彼は誰とも友達になろうとしないのです。



 叔母は言った。



 私共にもまるで理解できません。そういう性格・・・と言ってしまえばそれまでですが、父親がアレですし・・・。



 彼は誰とも友達になれるとは思っていなかった。

 何故なら誰も鬼を見ることが出来ないからだ。真実を共有出来ない者とは、心を通い合わせる事は出来ない。

 

 小学二年生



 彼は当時、何も期待していなかった。





















































(E)SaGa−性& minus;


1:漫画家ト友達にナロウ
written by 羊の棺


























































 最初の事件は、彼の住む家の隣に引っ越してきた青年だった。

 当時、碇シンジは小学三年で、一年前と変わらず友達は一人もいなかった。

 イジメにあっているわけではなかった。級友は概ね好意的に彼をみていた。

 だが、誰も彼と親しくはなかった。

 

 学校の帰り道、あと数メートルで自宅という所でシンジは立ち止まった。

 自宅の隣に引越業者のトラックが停まっていた。トラックの中から家具を出し、家の中へ運び込んでいく。

 随分な量だ。業者は6,7人いた。だが、それでも追いつかないらしく、一人だけ服装の違う青年がいた。

 彼がおそらく、依頼主で、仕方なくそれを手伝っている様に見えた。

 シンジは普段なら自分には関係ない事と割り切り、無視していたはずだが、今回ばかりは何故か違った。

 普段のシンジからは考えられないセリフを言っていた。



 「なにか、手伝いましょうか?」



 その言葉に反応したのは依頼主の青年だった。奇妙な形のヘアバンドをしており、それが汗でしっとりしていた。

 ぶかぶかのズボンと、きちっとアイロン掛かったワイシャツを着ていた。

 青年は声のした方に振り向いたが、予想した声の主は視線の少々下にいた。



 「君は、ここらへんの子かね?」



 青年は手に持っていたダンボールを地面に置きながら言った。



 「隣に住んでいる碇シンジです。」



 シンジは自分でも驚いていた。初対面の人間と自分が話している事もそうだが、何より自分から話しかけたことに

驚いていた。

 

 「ふむ。」



 青年は大仰に頷いてから、



 「では頼むとしよう。このダンボールを玄関から入ってすぐ右の部屋へ運んでくれたまえ。

 大げさなダンボールにいれてはあるが、中身は大した事ない。君でも運べるはずだ。」

 「はい。」



 シンジはランドセルを塀にたてかけ、そのダンボールを持ち上げた。

 軽いと青年は言っていたものの、やはり小学生には少々荷が重かったが、シンジは不便な視界に悪戦苦闘

しながらも、部屋に運び、既に運び込まれていたダンボールの上にそれを置いた。

 部屋から出ようとすると、新しいダンボールを持った先ほどの青年が入ってきた。

 シンジは進路を譲り、再びトラックの元へ戻った。

 



 しばらくして、殆どの荷物を運び込み、ようやく一段落ついた。青年は出前で蕎麦を人数分注文し、

ペットボトルのお茶を業者の人間達に配った。その内一つをシンジにも渡した。



 「ご苦労だったね。君のお陰で随分楽になったよ。」



 青年はアスファルトの上であぐらをかいて、肩で息をしているシンジの隣に座った。



 「今蕎麦を頼んだところだ。君も食べていきなさい。」



 「そんな、僕、そんなつもりで・・・」



 シンジは、自分が意地汚い事をしてしまったような気がした。



 「良いんだよ。君が見返りを求めていたかどうかはどうでも良い。ただ、私が君に助けてもらった礼をするだけだ。」



 青年はペットボトルを傾け、喉を鳴らした。



 「何人でこっちに引っ越してきたんですか?」



 シンジは他愛ない好奇心で聞いた。



 「家族の事かな?いないよ。一人暮らしだよ。」



 「一人暮らしですか?こんな大きな家なのに、寂しくないですか?」



 「寂しくないよ。普段は人が何人か来るからね。」



 「お友達ですか?」



 「いや、戦友だね。」



 「せんゆう?」



 「まぁ、一緒に仕事する仲間だよ。」



 どんな仕事なんだろう、とシンジは思った。それを見越したのか、青年は言った。



 「実はね・・・、友達に言ったらダメだよ?僕は漫画家なんだ。」



 「漫画?」



 「ああ、ダークハーフの少年って漫画を描いてるんだ。」



 「!!」



 シンジはその漫画の事を知っていた。知っているだけではなかった、大ファンであった。

 

 「あ、あの、ひょっとして、岸 六輔先生ですか!?」



 「あ、知ってた?嬉しいね。誰にも言っちゃ駄目だよ。君だから言ったんだ。」




 「だ、誰にも言いません!」友達いませんから、と続きそうになったが、それは言うべきではないとシンジは思った。



 ダークハーフの少年は、奇妙な構図と台詞、そして予測の出来ない展開が人気の漫画だった。



 ここ数年で、人気が沸騰し、数多くの読者を魅了するビックコミックだ。



 「あ、あの!」



 「?何だい?」



 「さ、サインください!」



 「サイン?ひょっとしてファン?」



 「は、はい!」



 「ふむ、それは良い。波長が合うのかもしれない。」



 岸は、口元を微かに吊り上げた。



 「はちょう?」

 

 「いや、何でもないよ。良いよ、サインくらい。片づけがある程度終わったら何枚でも書いてあげるよ。」



 岸がそう言うとほぼ同時に蕎麦屋の出前がやってきた。







 結局、その日サインは貰えなかった。職業柄、荷物が多いため、仕事場を整理するだけでも日はどっぷり暮れていた。



 「君は帰りなさい。親御さんが心配するよ。いくら隣だからってあまり遅くなるのは良い事ではない。」



 シンジは、親、という言葉を聞いて若干複雑ではあったが、岸の好意に甘え、その日は帰った。

 いくら遅くに帰ってきても、その家の住人は何も言わない。シンジに対して、何も感じていない。

 それが分かっているシンジは、建前で『ただいま』とは言ったものの、住人は何も返事を返さなかった。

 自室に戻り、ランドセルをベッドの上に放り投げた。

 机に座り、やがて睡魔が襲ってきたので、シンジは風呂にも入らず、そのままベッドに潜り込み、深い眠りについた。







 次の日、学校からの帰宅途中、偶然、岸と出会った。どうやらスーパーへ買い物に行っていたらしく、袋をさげていた。

 

 「やぁ、シンジくん。昨日はありがとう。」



 「あ、こんにちは岸先生。」



 「今帰りかい?」



 「はい。」



 「ふむ、この後何か予定はあるかな?」



 「いえ、無いです。」



 「それならうちに遊びに来ないかね?昨日のお礼に仕事場を見学させてあげよう。」



 「ほんとですか!?」



 「君さえよければ。」



 シンジに断る理由はなかった。それよりも、漫画家の仕事場を見学できるという悦びの方が遥かに大きかった。



 

 そこは思っていた以上に綺麗だった。本はきっちりと並べられ、机の上にはチリ一つ落ちていない。

 アシスタントが座る机も同様で、綺麗に整頓されていた。壁には岸の作品の原画が飾られていた。

 

 「うわぁ!イメージと違う!もっと汚いのかと思ってた!あ、すいません・・・」



 興奮しすぎて、つい本音が出てしまったが、岸は笑っていた。



 「引っ越してきたばかりだからね。そのうち嫌って程汚くなるよ。」



 「そうなんですか?」



 「仕事が一段落すれば片付けるけど、掃除する暇が無いからね。案外夢の無い商売だよ、漫画家は。」



 岸は机に座り、引き出しから色紙を取り出した。



 「約束のサイン、今から書くけど何か希望はあるかな?」



 「希望?」



 「書いてほしいキャラクターとか。」



 「!じゃ、じゃあ・・・」







 出された紅茶とクッキーを食べながらシンジは岸の話を聞いていた。



 「さっき夢のない商売って言ったけど、僕の場合、夢がないと話が描けないんだ。」



  僕の場合、寝る時に見る夢がアイデアのマテリアなんだ。そこから僕は話を作っていくんだ。



  そういう作り方をしていくと、段々人の夢にも興味を持つようになるんだ。」



 「例えば、僕が見る夢とかですか?」 



 「ああ。だけど、夢ってしばらく時間がたつと曖昧なものになってしまう。曖昧なものを



  人の口から聞くと、僕の頭の中では更に曖昧なモノになってしまう。」



 「・・・」



 「だから僕は常々思っていた。人の夢を一緒に見られたらって・・・」



 「・・・ふぁ・・・」



 「・・・眠いかい?」



 「あ・・、すいま・・せん・・・。突然、眠く・・・」



 「ソファーで横になると良いよ。退屈な話をしてしまったね。」



 「は・・い、す・・・いま・・・せ・・・・ん・・」



 シンジはソファーに横たわり、そのまま眠りに入ってしまった。



 岸は、シンジが完全に寝たことを確認すると、手を付けていない自分の紅茶を窓から捨てた。



 









 泣いている。子どもが泣いている。



 あれは、どこかでみた光景・・・



 いつ、どこでだったか、鮮明に覚えている筈なのに、今ではどこかぼやけて見える・・・



 あれは・・・、泣いているアノ子は、ぼく・・・



 僕を置いて、どこかへ言っちゃうのは、おとうさん・・・



 そう、これは、僕の記憶



 



 『何故泣いている?』



 小さい僕の側に立つ鬼が言った。



 『えっぐ、おとうさん・・・、ぼくのこと・・・うぅぅ・・、嫌いになっちゃったぁ・・・うあぁぁん・・・』



 『父に嫌われたのが悲しいのか?それとも独りが寂しいのか?』



 『えっえっ・・・どっちもぉ・・・うぅぅぅ・・・』



 『そうか。ならば、私だけでも側にいてあげよう。お前がどんなに孤独でも、私はお前の側にいよう。』



 『うぅっ・・・ありがと・・・、君は・・・誰?』



 『私はお前。お前の心。』







 そう、この日から僕は彼と一緒に生きている。だけど、なんで今になってこんな光景を・・・







 「すごい!!」



 誰かが叫んだ。僕は驚いて声のした方を見た。そこには岸先生が立っていて、昔の僕たちを見ていた。



 「なんて素晴らしい!シンジくん!君はやはり素晴らしい!」



 岸は僕の方を向いて言った。



 「せ、先生・・・、これは・・・?」



 「まさか君も僕と同じような能力を持っていたとはね!つくづく君とは波長が合う!」



 「先生・・・?」



 「君の側に立つ彼!あの淡い色とは裏腹な鎧の様な身体!まさに主人公クラスだ!」



 「先生・・!?」



 「最高のネタだよ!君は最高だ!」



 「先生!!?」



 「・・・・」



 先生は突然黙り込んだ。俯いたまま、小刻みに震えている。



 笑っている・・・



 「ここはね、君の夢の中さ。」



 「僕の、夢?」



 「そして、同時に僕の夢でもある。」



 「??」



 「君と似たようなもんさ。君の側には守人がいるように、僕にもいるのさ。」



 「!」



 「僕はこの能力にこう名付けた!僕を幸せに導いてくれるこの能力に!



  ドリームシアター!!それが名だッ!!」



 先生が叫ぶと同時に先生の側にそれが現れた。一昔前の特撮の敵役みたいに能面な顔にサングラスをかけていて、

 体格のいいプロレスラーみたいなヴィジョンだ。胸の位置にぽっかりとソフトボール程の穴が開いていて、

 貫通していた。身体全体は蛇の皮みたいだった。



 「ドリームシアターは他人の夢の中に潜り込みそれに参加する事が出来る。今まさにやっているようにね。



  そして干渉する!その夢を自分の夢にすることで!」



 先生が出したドリームシアターが僕を掴んだ。あまりにスピードに何も反応出来なかった。



 「さぁ!君の夢をもっと見せてくれ!君の過去は確かに辛いかもしれないが、僕の作品に反映されるんだ!



  光栄だろう!?」



 「うぁ・・・」



 頭の中に何かが入り込んでくる感触がした。酷く痛む。頭がぱんぱんになって破裂しそうだ。



 「や・・めて・・・先生・・・い、たい、よぉ・・・」



 「しばらくの辛抱だ。」



 「う・・・・・あぁ・・・・あ、ああ、アアァ・・・!」



 



 呼べ







 「痛い・・・」





 

 私の名を







 「た、すけてえ・・・」







 呼ぶんだ!!私はそれに応えよう!!







 「マーダードールッ!!」






 
 そうだ!







 「これが!君の能力か!気に入ったよ!」



 僕を掴んでいたドリームシアターの手を引っぺがし、彼は僕の側に立った。

 いつも見慣れた姿だった。一昔前はやったロボットみたいなフォルムと、頭部から生えた角。口元に見える牙が今日は特に鋭く見えた。

 

 「だがしかし、まずいな、まだコイツの能力がはっきりとわかっていない。下手に攻撃すると、いくら制御下の夢とはいえ危険だ・・・。」



 「先生・・・!貴方って人は!」


 僕は先生を睨んだ。だが、先生は笑っている。まるで、実験動物の経過を嬉々してみている科学者みたいに。


 「仕方ない!君には少々酷だがこれも僕の漫画のためだ!!!」



 突然、シンジの周りに黒い壁が出現した。それも四方にだ。

 前も後ろも横も縦も、全てが黒い壁に閉ざされた。



 「何をするつもりです!?」



 シンジはマーダードールに命じ、その壁を殴った。金属の扉に弾丸を放った様な音が空間に反響したが、壁はびくともしない。



 『その壁は君自身の闇だ。そして、これも君自身の闇だ。』
 


 「僕の闇・・!?」



 壁の中から一人の男が現れた。黒い服を着た、懐かしい、その男。



 「と、とうさん・・・」



 「シンジ。」 



  碇ゲンドウが立っていた。



 「ち、違う・・・」



 これは父さんじゃない!

 先生が見せる幻覚だ。僕の心の隙間に入り込んで見せてる偶像だ。



 「シンジ、私が何故、お前を置いて去ったか・・・わかるか?」



 耳を傾けちゃ駄目だ!先生は父さんの声で僕を混乱させようとしてるんだ!



 「大切な息子を、何故置き去りにしたか・・・」



 これは父さんじゃない!僕の心が魅せる誘惑だ!



 「お前は、ユイにそっくりなのだ・・・」



 ・・・ユイ?・・・かあ、さん・・・?



 「ユイが死んで、私はお前を見ることが日に日に辛くなった・・・」



 「・・・・・・・」



 「お前を見る勇気のない私は、お前を親類へ預け、遠くへ逃げた。だが、お前が私たちの息子である事は消せない現実・・・」



 父さんは僕が嫌いになったんじゃなかったの・・・?僕が邪魔じゃなかったの?



 違う!これは先生が見せる幻惑だ!



 違う!これは事実だ!僕自身が封印していたあの時の記憶!



 ・・・あの時・・・?



 「お・・・と・・う、さ・・ん・・・・」



 「だから・・・」



 あの日、僕を置いて去って行くお父さんは、泣いてた・・・



 でも、僕はお父さんを許せなかった。僕を置き去りにしちゃうお父さんが許せなかった。



 幼く、ワガママな僕は、記憶を改変してしまったんだ・・・。お父さんを、悪者にすることで、自分を正当化したんだ・・・。



 「おとうさん・・・・」



 「だから・・・」



 お父さんは微笑んだ。そして、僕の頭に手を置いた。無骨な手だけど、とても暖かい。



 「お前を殺してしまおう」



 ・・・何を言ってルのオトウサン・・・



 







 父さんの暖かい両手が僕の首を締め付ける。

 息が出来ない。くるしい、どうして、父さん・・・



 何がなんだかわからない。これは本当の記憶?それとも先生が見せる幻覚?

 どっち?わからない。

 僕の心は深く沈んでいた。もう、どうだって良い。

 父さんに拒絶された。もう、死んだって・・・良い・・・。



 本当に?



 僕が死んだって、誰も、泣いてはくれない・・・



 本当に?



 誰も、僕を理解しようとしてくれない・・・



 君は理解しようとした?



 ・・・わからない



 じゃあ、死ぬにはまだ早い



 「マーダードールッッ・・・!」



 叫んだ。意識せずに叫んでいた。



 そして、僕の叫びにいつも応えてくれる。



 「マーダードールッ!『裏返せ』ッ!!」



 『オォォォォォン!』



 現れたマーダードールは父さんと、そして僕を囲う壁に拳を叩き込む。



 何発も、数えられない程何発も。



 父の幻影は拉げ、壁は至る所全てが陥没していく。




 やがて壁と、父さんは『裏返って』いく。



 壁は中央に穴が開き、そこから全体に裏返っていく。父さんも同様に裏返っていく。



 「これは・・!?」



 壁に開いた穴から岸先生が顔を覗かせていた。



 「『裏返す』!?どういう事だ!?」



 僕は壁に開いた穴から外に出た。周りの景色は先ほどと変わらず、あの時の記憶だった。



 「これが僕の能力・・・



  『事象を反転させる能力』!」


 『オォォォォォォォォンッ!』

 
 マーダードールが呼応するように叫ぶ。



 「・・・ふんっ!大袈裟に言いやがってッ!忘れちゃいないだろうね!?この夢は僕の制御下にある!」


 先生は再びドリームシアターを展開し、空間を書き換えていく。


 「今!この空間は僕の夢だ!だが!夢を見るのは君だよシンジくん!君に『君のトラウマたっぷりの映像』を見せてやるッ!」


 空間は何処か巨大な研究所へと変貌した。

 幼い僕が、巨大な窓ガラスから巨人を嬉々と眺めていた。

 僕の背後には父と、見慣れぬ女性と初老の男性が立って、その様子を見ていた。

 そう、僕はこの光景を『覚えている』

 母さんが、大好きな母さんが消えてしまう光景を。

 悲しい記憶だ。だけど、僕は忘れるわけにはいかない記憶だ。

 そうだ、僕はこの日誓ったんだ。


 「母さんを、取り戻すって・・・」




 「アッハハッ!!君に万に一つも勝ち目は無いッ!!!」



 「確かに・・・」



 







 「『確かに』夢の中では勝ち目は無いでしょう。でも、外に出れば貴方の能力は僕の敵じゃない!」



 記憶の中の母さんが消えていく。幼い僕はそれが何なのか分からない様子だ。



 「ふんっ!どうやって出るってんだ!?威勢よく啖呵は切ってるが所詮無駄なんだよォ!」


 先生は再びドリームシアターを人型で展開した。だが、僕の方がほんの一手早かった。  



 「『マーダードール』!」



 『オォォォォォォォォオオオオオオオンンンッ!!』



 「『夢を裏返せ』ッ!!」


 
 マーダードールの瞳に光が灯った。
 


 「何だってェーーーーー!!?」



 マーダードールは起動した。地面に渾身の力を込めた拳を叩き込み、そこを陥没させた。

 そして、そこから全てが『反転』を始めた。

 僕たちを包む空間が湾曲を開始し、やがて『現実と裏返り始めた』。


 「そ、そんな!?私の制御下なんだぞ!?こんな勝手が!?ドリームシアターッ!!何をしている!再び夢を再形成するのだァーーーッ!!」 


 「無駄です。醒めない夢なんて無い。


  それに、確かにここは先生の夢だ。でもね、先生。


  僕の夢でもあるんです!だからこんな無理が通る!!


  後で楽しみにしておいてくださいね。たっっっぷり虐めてやる・・・!」



 「お、お、落ち着こうシンジくん・・・!その、悪気はなかったんだよ!?」



 「言い訳は後で聞きます。それではお先に・・・」



 僕は先に反転し、夢から出た。



 「ウワァーーーー!嫌だッ!逝きたくないィーーーーー!!」



 全てが反転した。




















































 私の名は岸 六輔。

 
 漫画家で、昨日この街に引っ越してきた。


 三ヶ月前、アルビノの友人から不思議な矢で貫かれ、能力を発現させた。


 友人は太陽アレルギーらしく(と、いっても吸血鬼みたいに日光に当たった瞬間溶けたりはしない)、普段は家から出ないらしい。


 だから、専ら私が彼の所へ遊びに行っていた。


 友人には不思議な魅力があり、出会ってすぐ私は彼と親友になった。


 「人間には無限の可能性がある。俺や君の能力がまさにそれだ。」


 彼はいつもの様に唐突に語り出した。


 「人は皆、私たちの様な力を持っていると?」


 「そう。遺伝的に生まれつき扱える者もいれば、何かの拍子ってのもある。君の場合は俺の能力で目覚めたわけだが。」


 「君の、その『矢』は、人の可能性を引き出す物なのか?」


 「恐らくは。しかし、それだけでは無いような気がするんだ。」


 「と、言うと?」


 「もっと別の意味がある気がする。俺はそれを探してみたいんだ。」


 その話をしてから三日後、彼は突然失踪した。


 家には誰もおらず(彼に家族はいなかった)、人の住んでいた形跡すら無かった。


 何処に行ったのか、連絡すらない。だが、私には奇妙な直感があった。


 彼はおそらくもうこの世にはいないだろう、そういった直感だった。



























 「岸先生・・・貴方って人はまったく・・・!」


 岸六輔の目の前に少年が立っていた。彼の隣に住む少年で、昨日知り合ったばかりだった。


 しかし、怒っている。かなり、怒っている。


 「あ、え、っと・・・、その、シンジくん、えぇ〜〜ッと・・・、ごめんなさい」

  
 六輔はいつのまにか正座していた。あまりの威圧感に、学生時代を思い出していた。


 「ごめんで済む事ですか!?」


 シンジはもの凄い形相で詰め寄ってきた。


 そして、六輔はとうとう本性を曝け出した。


 「うぅぅぅ・・・、ごめんよぉぉぉ〜〜ッつい出来心なんだよぉぉ〜〜〜ッ!」


 シンジはとても驚いていた。当然だろう。六輔は突然泣き出したのだから。


 「これが初犯だよぉぉ〜〜、能力に目覚めたのは最近でェ、人の頭ン中からネタ取ろうとしたのはこれが初めてだよぉぉ〜〜〜ッ」


 彼は今年で24になる。立派に一人立ちして、稼いでいる青年だ。だが、思いっきり泣いている。


 「わかるだろぉぉ!?こんなに売れてる漫画描いてるとプレッシャーが凄いんだよォ!読者が飽きないネタを作ろう作ろうって思う度に気持ちが急いて さぁ!!」


 「だ、だからって先生は・・・その・・・ひどいや!僕の事とっても虐めたし!」


 シンジまで何故か涙目になっていた。


 「シンジくんは今ボクを虐めてるじゃないかぁぁぁ〜〜〜ッ」


 一人称が変わっている。そんで更に大声で泣き出している。


 「うぅぅぅっ!違うよ!先生が悪いんだ!僕はヒガイシャだぞぉ!」


 とうとうシンジまで泣き出した。


 「もうやらないから許してよシンジくんんん〜〜〜っ!」


 「ヤダ!許さないぃぃっ!うぁぁぁああああん〜〜〜っ!!」







 岸六輔は人と接する時、決して自分の素を人に見せる人間ではない。自分が弱虫であると知っているから、それを覆い隠したキャラクターを

 自ら作り出していた。だが、その防壁にも限界があった。

 防壁が崩れた時、それは濁流の様に彼の心を襲った。彼の場合、泣く事は憂さ晴らしであった。

 心を軽くするための処置であった。無論、シンジに対する悪気もあった。



 そして、シンジもまた、人と接する時は自らキャラクターを作り上げていた。

 大人しく、人に本心を見せない。それは、彼と共にある『秘密』があったからだ。

 前述した通り、シンジは『真実を共有出来ない者とは心を通い合わせられない』と信じていた。

 だが、岸六輔は、シンジと真実を共有出来る存在であった。彼に対する怒りもあったが、それ以上に彼は心の何処かで喜びを噛み締めていた。

 シンジは、歳相応には見られない。だが、この時、六輔と一緒に泣いている姿は、まさに気弱な少年として歳相応の姿だった。

 そして、それこそがシンジの本来の姿。

 泣き虫で、臆病で、でも外面は繕っている。

 六輔とシンジは、何処か似ていた。












 今回の事件の犯人である六輔の話によると、彼が泣きながら話した事は事実だった。

 能力に目覚めたのは最近で、それを使って漫画のネタにしようとしたのもこれが初めてだった。

 その最初の被験者が偶然にもシンジだったのだ。

 六輔には当然罪悪感があった。だが、シンジの中を覗いた瞬間、それは吹き飛んでしまった。

 心に傷を負った少年とそれを守る鬼

 それだけで漫画のネタになる。そして、その鬼のヴィジュアルがあまりにも六輔の心に響いた。

 カッコいい!

 その心の躍動は学生の頃、Gigerの作品を見た時と同じものだった。

 その心の躍動は高鳴り、件の経過となってしまったわけだが、事後、当人は反省していた。

 二人でとことん一緒に泣いて、気付けば日は傾いていた。

 

 「す、すまないシンジくん・・・。許してくれと、言う権利はないが、その・・・」


 「先生・・・。僕、怒ってます。」


 シンジは肩を怒らしてそっぽを向いていた。


 「その、許してくれるなら、なんだってする!だから、その、」


 「・・・・・なんでも?」


 「・・!ああ!なんでも良い!」


 六輔はどんな願いでも叶えるつもりだった。それで罪が晴れるわけではないが、それでも贖罪はしなくてはならない。

 そういった心構えだった。しかし、シンジは言った。


 「じゃあ先生!僕と友達になって!」


 「!!?と、ともだち??!」


 自分の考えていた要望とはまるで違う、斜め上から切り込むそれを聞き、六輔は間の抜けた声を出してしまった。 


 「うん!許してあげる!だから友達!」


 「・・・・・・・・」


 絶句した。この少年は、自分を許すと言っているのだ。普通なら許されない。人として超えてはならない領分を自分は超えてしまったのに。


 「僕と友達じゃ、嫌ですか?先生・・・」


 シンジは六輔が黙り込んだのを勘違いし、涙目になった。


 「い、いや!友達になろう!シンジくん!」


 「ホント!?じゃあ友達ですね!」


 ふと考えてみると、シンジと友達になるのは非常に良い事なのかもしれない。

 彼の強さを自分も学ぶべきだと六輔は思った。償いとして友達になるのではない。自分が望んで友達になるのだ。

 六輔は、そう、強く確信した。


 「あぁ、友達だよ・・・」


 六輔は、自然と笑っていた。


 「(友達、か・・・。そういえば僕には今まで友人と呼べる人間は一人しかいなかった・・・。)」


 シンジは笑顔になり、目元の涙を拭った。


 「僕と先生は友達だから、普段はカッコつけてる先生が実は泣き虫だって事は秘密だね!」


 そして、六輔が気にしていた事をさらっと言った。


 「!ちょ、シンジくん!?」


 「だいじょーぶ!秘密だもんね!(ニヤリ)」


 「それは、出来れば、マジで秘密に・・・!」


 狼狽する六輔。


 「だいじょーぶだいじょーぶ(ニヤリ)」


 「いや、その笑顔が信用出来ないんだよ!」


 奇妙な友情が生まれた。


 セカンドインパクトから9年


 闇に生きる老人達が画策する世界に、一筋の希望が生まれた瞬間でもあった。


 碇シンジが14歳になった時、彼は大きな戦いへ巻き込まれる。


 その時彼がどう成長し、どう行動するかはまだわからない。


 それは、これから紡がれる物語。


 これは、それに向かうまでの碇シンジの奇妙な日常を綴ったものである。



















































マーダードール(碇シンジ)

事象を反転させる。簡単に言えば裏と表を逆転させる能力。
規模は事実上、無限ではあるが、大きくなればなるほど本体への負担は大きい。

破壊力『A』スピード『B』精密動作『A』距離『C』成長性『C』

A:超スゴイ B:スゴイ C:人並み D:苦手 E:超苦手


ドリームシアター(岸六輔)

他人の夢に介入する事が出来る。人の夢を操り、その人物の行動も指示出来る。
だが、夢の中でしか展開出来ない能力なので、実社会では展開出来ない。

破壊力『C』スピード『C』精密動作『C』距離『A』成長性『A』






【To Be Continuedー−-‐


羊の棺さまより投稿小説をいただきました。

これはなんというか、「シンジの奇妙な福音」という感じでしょうか‥‥いや奇妙な日常ってあるから、召喚される前までの話なのですね。

今回は序章のような話でしたね。仲間ができたり喧嘩したりする話に、展開していくのでしょうか。いやどういう展開か読めないのですが。

みなさま心して羊の棺さまの次回作をお待ちください。

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