「シンジ・・・お前には第2新東京に行ってもらう・・・」





この男が普段発する何ら感情の無い冷たい声とは違う。

珍しく『感情』のある声。

しかしそれは『苦痛』『苦渋』と言った類の物で、決して我が子に対する親愛の言葉ではない。





「理由は聞かせてもらえるんだろうね?」





予想と反して随分と冷静な受け答えをするシンジ。

父親が始めて見せた『苦しみ』、今まで息子である自分に何も明かさなかった、何を考えているのか、何をしようとしているのか・・・その父親ゲンドウが始めて自身の心中を声に出した。

そして態度にも・・・いつもサングラス越しに冷たい視線を放っていたゲンドウが、サングラスを外しまるで謝る様にシンジの足下に視線を落としている。

そんな父親にシンジは初めて親近感を覚えていた。





「日本政府がエヴァパイロットの身柄を欲している

・・・NERVの存続と引き換えにな・・・

・・・要するに人質だ・・・シンジ」




サードインパクトと呼ばれる異変の僅か二日後の事だった。




シアワセノカタチ

第五話 「別離のとき」
THE TIME OF BI・E・RA

ハマチュウさん作






「・・・僕だけですよね・・・」



驚愕したり憤慨する事もなく、それでいて真剣な表情のシンジ。



「そうだ・・・君だけだ・・・しかし意外に冷静だな、シンジ君」



ゲンドウの傍らに立っていた冬月副指令の言葉。
エヴァパイロットとして散々利用した挙句、今回は人質として政府に差し出す自分たちの行為に度し難いものを感じていた彼はゲンドウ共々、シンジに糾弾される事を覚悟していたのだった。
シンジの冷静な態度に意外なものを感じたのだろう。


「えぇ、NERV存続・・・いや・・・ミンナの安全の為ですから仕方ないですよ

それに僕が行けばアスカはココに居ても良いんでしょ?

その為なら僕は何処にでも行きますし・・・なんでもします・・・

その代わり・・・条件があります」



考え込むようなシンジに、すぐさま合の手を入れる冬月。



「何かね?シンジ君遠慮せずに言ってみたまえ」




「では・・・アスカの・・・

セカンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレーの身の絶対の安全

これを保証してください

・・・身体的だけではなくメンタル面のケアも宜しくお願いします・・・」



冷静なシンジの冷たく・・・そして熱い声。

ハッキリとした受け答え、そして積極的な会話、シンジらしからぬ行動・・・

理由はこれだった。

アスカを・・・大切な人を守る為ならなんでもする・・・それが今のシンジの生きる理由。

そしてそれは、シンジを突き動かす・・・シンジの心の奥底から力が涌き出る・・・。





「了解した・・・シンジ君・・・今となってはアスカ君が妊娠したのも逆に僥倖だな

身重な彼女の『人権』、陳腐な言葉だがこれを守ると言う事ならば十分な理由になる」


冬月の老練な答え。
たとえ政府に対しても妊娠中の女性しかも未成年と言う理由があれば拒否できるとの考え。


「理由・・・口実の間違いだろう・・・」


何時ぞやの逆の言葉を口にするゲンドウ。
こちらは、もしその様な命令が日本政府より下れば、攻撃の口実となるとの辛辣な考え。




一拍を置いてシンジが喋る。


「一応聞いておきたいんだけど・・・期間はどれぐらいかな・・・父さん?」


今の彼にとって時間はなにより貴重だった。
なにせやらなければいけない事は山ほどある。
アスカの傷を癒したい。
付き合いを深めてアスカを理解したい、自分を理解してもらいたい。
妊娠中の不安定な状態を心身ともに支えたい。
出産後も同様。
そして将来設計、アスカと子供の為、安定した将来の為に勉強もしたい。
etc、etc・・・

無気力に生きてきた反動の様にシンジの頭の中にはやるべき事が次々と浮かんできていた。
そして彼を突き動かそうともしていた。


「半年だ・・・シンジ・・・」


苦渋の表情のゲンドウ。


「そう・・・結構長いね・・・」


少しだけその睫を伏せるシンジ。


「すまん・・・シンジ・・・いかなる犠牲を払っても半年でお前を連れ戻す・・・」


こんどはその細い眉をしかめるシンジ。


「父さん・・・又血を流すつもり?」


いつも通りの感情の無い声で呟くゲンドウ。


「・・・綺麗事だけではすまんよ・・・」



「・・・許さないよっ!そんな事は僕が許さない!・・・

サードインパクト・・・折角再び人の形を取り戻したのに、又人の心を捨てる気?

ネルフの人も戦自の人も第三の人も・・・あんなに沢山死んだ悲しみをもう忘れたの?

それとも死んでも、又皆生き返るとでも思ってるの?

そんな事はもうしないし、できないよ!?

お願いだからもう辞めて・・・平和的に行こうよ・・・

誰もが・・・皆が幸せになる権利はあるよ・・・それを潰しちゃ駄目だ・・・」



LCLの中、母親の意思を受け継いだシンジだった。




(大きくなったな・・・それに強くなった・・・)




自分の息子を眩しそうに見るゲンドウ。
面影だけではなく、強さ優しさまでユイに似てきたと感じてしまう。
今度は息子の為に修羅となる決意を持っていたゲンドウは、すぐさま諭される。
LCLの中でユイに出会ったのが影響しているのかもしれない。


「シンジ・・判った・・・では三年我慢してくれ・・・

誰の血も流さずお前を連れ戻して見せる」



今度は感情のこもった・・・厳しくも優しい父親の声。
そして同様に厳しく・・・優しい視線をシンジに投げかけるゲンドウ。
シンジも同様、胸を張り男の表情で受け止める。
長年の親子の軋轢があっと言う間に溶融する・・・親子が男と男として分り合えた瞬間であった。



「それで出発はいつ?」



「2時間後だ」





「えっ〜!!!」





感動的な雰囲気を一瞬にして打ち消すシンジの素っ頓狂な叫び声。

先ほどまでの落ちついたシンジが、うってかわってアタフタしている。

両足は今にも走り出しそう。



「あの・・・その・・・どうしよう?・・・ええっと・・・でも・・・アレ・・・コレ・・・」



「どっ・・・どうしたっ!シンジっ!」



ゲンドウが慌てて席を立つ、LCLに溶けて人が変わってしまったのか・・・
間抜けな雰囲気に流される事を覚えたらしい。



「アスカになんて言ったらイイかな?・・・付き合い始めるって約束したのに

2時間後にはイキナリ遠距離恋愛だなんてなんて言い訳したら良いんだろう・・・」



強くなったと思ったらやっぱり尻に敷かれているシンジ。
アスカが怖いのか!?言い訳を父親に相談しなくても良いだろうに・・・。



「うむ・・・そうだな・・・冬月・・・どうすればイイ?」



さすがに不得意分野の質問に困るゲンドウ。
冬月に縋る。



「碇・・・あれを使え・・・」



「あぁ・・・あれか・・・うむ・・・適役だな・・・」



と巨大な机の引出しを開けると、奥に閉まってあった小さな箱を取り出すゲンドウ。



「これを使え・・・シンジ・・・」



手渡された小箱を開けるシンジ。
それは小さな・・・見た目にも高価でない事がわかる・・・どちらかと言うと安物の指輪。



「これは?」



「ユイの・・・形見だ・・・」



「・・・母さんの・・・これが・・・」



「うむ・・・そうだ・・・セカンドに婚約指輪として渡せ・・・」



はっと口をあけるシンジ。
ゲンドウの言葉が一瞬理解できない。
よく考えれば女の子を妊娠させた事に糾弾も非難も無く、突然のこの言葉。
責任を取れ・・・いや責任を果たせ!とゲンドウの顔が言っているように思えた。



「父さん・・・ありがとう・・・ありがたく使わせてもらうよ・・・」



思わず涙するシンジ。
こんな時、口数の少ないゲンドウの言葉は心に染み入る。



「問題無い・・・シンジ行け・・・もうお前に用は無い

それをもってセカンドの所へ速く行けっ!」




涙が溢れる目を手でこすりながら頷くシンジ。
踵を返して早足に出入り口に向う。



そして扉の前で振りかえったシンジ。



「・・・ありがとう・・・」



そう言い残してシンジは司令室から消えた。




残されたのは二人の男。
闇と沈黙が支配する部屋。



「碇・・・お前の息子は見事な男に育ったな・・・」



「・・・そのようです・・・冬月先生・・・」



二人ともシンジの煌くような笑顔に当てられてそう言うのが精一杯だった。
むろん笑顔の下の深い男の決意も見逃してはいない。



「お前も男らしく女性関係・・・清算した方が良いのではないか?」



「そうですね・・・では・・・冬月先生・・・後を頼みます・・・」



そう言って司令専用のエレベーターで下層に降りて行こうとするゲンドウ。



「過去にケリをつけるか・・・」



冬月の独り言に近い言葉。



「いえ・・・もう過去にはケリを付けました、未来を作りに行きます・・・」



そう言って消えたゲンドウ。



一人残された冬月は再び呟く。



「ふっ・・・ようやくユイ君の死を現実と受け入れたか・・・」









―――1時間後、二組の男女の婚約が決定した。

一組目は言うまでも無く碇シンジ、惣流アスカラングレー。

二組目が碇ゲンドウ、赤木リツコ。



この1時間の間になにがあったのか?MAGIの監視システムがカットされていたために不明である。




―――そしてさらに1時間後、シンジは旅立った。

戦略自衛隊差し迎えのVTOLに乗って・・・。

その彼の左頬には少女のサイズと思われる手形、そして首筋には虫刺されの様な痣が大量にあり出迎えの戦自隊員及び政府特使を驚かせたという。

向かうは第2新東京。

日本政府の本拠地だった。





つづく

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