隠された心 前編





2月13日の土曜日。
第壱中学校に定められた半日の授業が終了した放課後。
今日の授業で使用した教科書を整えて帰宅の準備をしながら、シンジはここしばらくずっと続いている憂鬱感から溜息を溢れ出させてしまった。

「なんや、センセ。辛気くさいの〜。どないしたんや。色男が台無しやで」
「そうだぜ。学校じゃあ今日は駄目だったかも知れないけど、俺達と違ってシンジは明日が本番じゃないか。いいよなぁ、あてがある奴は」

シンジの溜息を見逃さず、羨望ともやっかみともつかない事を言いながらトウジとケンスケがシンジに絡んで来る。
それも何時もの事だったのだが、今日のシンジにとっては余り有りがたく無い物だった。
普段ならば、ここに転校して来て始めて出来た友人と言える存在とのやり取りに、ほんの少しの迷惑さを感じつつもそのやり取りを楽しむのだが。

「……そんな事ないよ」

いつも道理不愉快な物を押し隠し、困ったような微笑みをシンジは浮かべた。
シンジの内情に必要以上に頓着しない二人は、自分達の言いたい事だけを吐露していく。

「隠す事あらへんって!」
「そうだぞ!まあ、惣流の性格からいってかなりの博打になるとは思うが、俺の読みでは十中八九用意していると見たね!」

トウジは親しげにシンジと肩を組み、ケンスケは怪しく光らせた眼鏡を押し上げた。
シンジの気鬱はケンスケの口から出た同居人の名前に更に深くなる。
それに気付かれないように笑顔を張り付け、いつも道理控え目に訂正した。

「…アスカはそんなんじゃないよ」

しかし、シンジの否定をこの二人が取り合ってくれた事などほとんど無い。

「またまた〜。何でも無い訳あらへんやろ〜!?」
「そうだぞ!碇。あの惣流が名前で呼ばせる男子はお前だけなんだぞ!?」
「それは、僕とアスカは同じエヴァのパイロットだから、同僚みたいな物だし……」
「そうだとしてもさ、あの惣流がただの同僚に名前呼ばせると思うか!?綾波はどうなんだよ」
「それは…」
「それにさ、もう一緒に住む必要は無いんだろ!?なのにお前との同居を続けているこの不思議!これをどう見るよ!?」

シンジはケンスケに自分も感じた事のある疑問を矢継ぎ早に指摘され、戸惑いつつも振り払った事のある期待が浮かび上がりかけた。
しかし、即座にその考えを否定する。

「それは、僕と一緒に居れば自分で家事をする必要無いからだよ、きっと」

同じような質問を投げかけられた時に返しているお決まりの台詞をケンスケに返す。
そこまではいつも道理の型に嵌まったやり取りと言って良かった。

「そうか〜?俺にはそうは思えないけどね。灯台本暗し。知らぬは本人ばかりなりってね!」
「え!?」

考えもしてみなかった指摘を受けて動揺したシンジを更に混乱させるように、トウジが正反対の意見を述べて混ぜっ返した。

「まぁまぁ。惣流の一番近くにおるセンセが違う言うてんねん。ほんまに違うんやろ?」
「そうか〜?そうは思えないけどね」
「わいは綾波方が怪しい思うねん」
「…まあ、否定はしないけどな。それにしても」
「「イヤ〜ンな感じぃ〜!!」」

ここしばらく、バレンタインが近づくにつれてからかわれまくったネタで更にからかわれ、シンジは深く深く溜息をついた。
どうせ聞いてはくれないんだろうけどと思いつつ、シンジはいつものようにいつもと同じ台詞を呟いた。

「綾波はもっとそんなんじゃないよ……」

案の定、自分達二人だけで盛り上がり、シンジの言葉を聞いてもいないケンスケとトウジを困ったような顔で眺めていた時、不機嫌そうな甲高い声が響き渡った。

「何がそんなんじゃないのよ!」

ちょうど自分の背中に突き刺さるようなその声音に、シンジの身体が固くなり、さして大きくもない心臓が縮み上がった。

「ア、アスカ……」

声の持ち主の名前を呼びながらをおそるおそる振り返る。
そこにはシンジの予想道理、不機嫌を絵に書いたように肩を怒らせ、両手を腰に当ててシンジを睥睨する惣流・アスカ・ラングレーその人がいた。

「あんたねぇ!一体いつまで人を待たせんのよ!今日は早く帰って買い物に付き合いなさいって言ってあったでしょ!?何グズグズしてんのよ、このグズ!ノロマ!」
「い、今行こうとしてた所だよ!」

アスカの物言いにカチンときたシンジが咄嗟に言い返す。
しかし、こうした口論でシンジがアスカに勝てた試しはなかった。

「男が言い訳するなんてサイッテー。そもそもあんた、男の癖に約束してる女を待たせるなんて何様のつもり?それもこのアタシをエスコートさせてあ げるって言ってんのよ?待たせないように真っ先にアタシの所に来るのが礼儀ってものでしょ!?黙ってないで何とか言ったらどう?」

矢継ぎ早に紡ぎ出されるアスカの言葉に、シンジは目眩を覚えた。
そして、僕が何か言い返せば、それに倍してアスカは言い返し、更にはその機会も隙も与えてはくれないくせに!と内心憤る。
しかし直ぐにこれまでの経験からシンジの心を諦めが支配し、どうせ勝てないのならばと、アスカの機嫌を取ることを選択し、実行した。
シンジは俯き加減になり謝罪を述べる。

「ゴメン、アスカ」

その途端アスカの青い瞳がきらめき、複雑な感情の発露を見せた。

「あんたねぇ!何謝ってるのかちゃんと分かってるの!?」

アスカはシンジの謝罪が何故か気に障ったようで、つい先程とは明らかに目の色を変えてシンジを厳しく追及する。
まさかアスカからそのような追及が来るとも予想していなかったシンジは焦り、落ち着いて物事を考えられなくなった。
シンジとアスカのやり取りはいつもこのようなパターンばかりだった。
シンジが良かれと思って選択した行動が、アスカの予想もつかない反発に繋がる。
それでいて、シンジにどこか根底の方でアスカとの繋がりを感じさせるような、そんな複雑で奇妙な思いを抱かされるようなやり取りばかりだった。
故にシンジは、自分のアスカに対する感情を上手く捉える事ができた試しはない。
外見的には申し分のない、男子生徒の憧れその物のような、そんな少女と自分だけが親しく(?)会話を交わせる事に、ほんの少しだけ優越感を味わっているのはシンジは自分でも認めていた。
性格には大分問題があるのは一も二も無く賛成するが。

「わ、分かってるよ!」

アスカの言っていることなど本当は全く見当もつかなかったが、このような状態で冷静さを装ってみせるにはシンジはまだまだ未熟者だった。
案の定、アスカの反発を招く。

「どうだか!分かってるって言うなら、何をどう分かってるのかこのアタシに説明してみなさいよ!どうせ説明なんか出来ないくせに!!」

その言葉は図星だからこそ、シンジの癪に障った。
何も分かっていないだろう自分がアスカに馬鹿にされ、何故かシンジはムキになってアスカに言い返した。
頭ではアスカの言い分が正しいと判断していたが、感情がそれを認めたくはなかった。

「ア、アスカこそ何が分かってるって言うんだよ!」
「決まってるじゃない!アンタが分かって無い事ばっかりよ!少なくとも、アタシの方がアンタの考えている事について詳しく説明してあげられるわ ね!悔しかったらアンタが分かってるって言った事、一から十までここで説明してみなさいよ!どうせ口から出任せ言ったに違いないんだから!」

そこまで言われたシンジは純粋に怒りを感じ始める。
感じた思いそのままを、隠すことなくアスカへとぶつけて行く。

「な、なんでアスカにそこまで言われなくちゃならないんだよ!」
「あんた、ばかぁ?あんたがアタシを待たせるから悪いんじゃないの!!」

その言葉を聞いた途端、シンジにはアスカの理屈がさっぱり理解できず、目を白黒させて沈黙してしまった。
きっかけはそうだったかもしれないが、どことなく論点がずれているような気がする。
しかし、それをアスカに指摘してアスカを言い負かせる事が出来る程シンジはその事を理解してはおらず、またその術も身に付けてはいなかった。
と、その時。
存在を忘れられていた二人組がニヤニヤとしながらシンジとアスカの会話に混ざり込んできた。

「ほぉ〜?惣流はセンセの事を詳しゅう説明できるんかいな〜」
「いや〜んな感じぃ〜!惣流がねぇ〜」
「な!えっ!あ、あんた達には関係無いでしょ!!」

突然の乱入者にほんの一瞬アスカは顔を赤らめかけたが、幸いな事にそれは誰にも気付かれる事はなかった。

「関係無い事あらへんがな。わいらの友情はかた〜い絆で結ばれとんねん」
「御安くないねぇ〜、碇〜。俺達の仲だろ!?黙ってるなんて酷いじゃないか」
「えぇ!?」

二人に後ろから圧し掛かられるように肩を組まれ、突然自分にまで飛び火した追及にシンジは更に混乱する。
ふと、アスカが耐え兼ねたように肩を震わせているのが目に入り、シンジははっと青ざめ、身を固くした。
シンジの肩を組んでいたトウジとケンスケは、シンジのそんな変化を敏感に察知する。
悪い予感に駆られて視線を向けると、そこには鬼もかくやといった風情のアスカがいた。
事態を把握したトウジとケンスケの表情も変わる。

「あんたたちねぇ〜!!」

アスカが我慢の限界を越え、身の程知らずのバカ二人に対して攻撃を開始しようとした時。
彼らの片割れを糾弾するもう一つの声があがった。

「す〜ず〜は〜ら〜!!」
「げっ!イインチョ…」

聞き覚えのある声にアスカは怒りを爆発させるタイミングを逃してきょとんとし、教室の入り口で待っていた筈の友人の名前を呟いた。

「ヒカリ?」

しかしアスカの友人である洞木ヒカリはアスカの呟きには取り合わず、ジャージ姿の少年につっかかっていく。

「あんたまた馬鹿やってたのね!?いつもいつも言ってるじゃない!あんまり世話焼かせないでって!」
「な!わ、わいが頼んだ事やないやんか!なんでいつもわいにだけ絡むねん!」
「えっ、そ、それは…。わ!私が委員長だからよ!私には義務があるの!!」

友人の微妙な感情を知るアスカは溜息を一つ吐き、面白げにニヤニヤしている相田ケンスケと、訳もわからずぽけっとしているシンジに詰め寄り、小声で命令した。

「あんた達、行くわよ!」
「え!?」

咄嗟に事情を理解出来なかったシンジとは別に、簡単に事情を察したケンスケがアスカの提案に乗る。

「そうだな。馬に蹴られるのはゴメンだしな」
「分かればいいのよ」

どこか満足気にアスカは頷き、まごまごしているシンジを急かした。

「ほら、シンジ!行くわよ!」

ヒカリとトウジの掛け合いの邪魔にならぬよう、極端にシンジに寄り添いながら声を潜めた来たアスカに、シンジの心臓は音を立てて跳ねあがった。

「え!?で、でもトウジと委員長が…」
「あんた、ばかぁ!?少しは相田の奴を見習いなさいよっ!!」

アスカに釣られて声を潜めて返したシンジに、アスカは綺麗な弧を描く眉を潜めて囁いた。
アスカの言い様にびっくりしたシンジは、まじまじとアスカとケンスケを見比べてしまった。
普段散々扱き下ろしているはずのケンスケを認めるような発言をしたアスカが信じられなかった。

「じゃ、お先に。またな、シンジ」

首振り人形のように自分とアスカを見比べるシンジに苦笑しながらケンスケは音を立てず静かに帰路につく。
ふとシンジの雰囲気からシンジが考えていることを察したアスカが、こめかみに血管を浮かび上がらせ、シンジの耳を引っ張りあげて強引に教室の入り口まで移動し始めた。

「いててててて!痛いよアスカ!!何するんだよ!」

アスカの暴挙に耐え兼ねたシンジは思わず声をあげ、立ち止まってアスカの腕を振り払ってしまった。
アスカの突然の理不尽な暴力に、シンジはいい加減腹を立てていた。
怒りを露にするシンジに、アスカは諦めの表情を浮かべて天井を仰ぎ、気を取り直したようにシンジに対して眦を釣り上げた。

「グズグズしてさっさとこないアンタが悪いんでしょ!?」

その声の大きさはいつものアスカの物と同じだった。
不意にシンジは教室が静まり返っているのに気付く。
視線を感じて振り返ると、トウジと委員長が黙りこくって自分達を見詰めているのに気が付いた。
何か、してはならない事をしでかしたようなばつの悪い思いに襲われ、シンジは軽く後退ってしまう。
ヒカリとトウジが何か言うよりも一瞬早く、シンジの手を取ったアスカが声高に宣言する。

「という訳で!!アタシ達、先に帰るわ!じゃあ、ヒカリ!後、がんばんなさいよ!」
「え!?ち、ちょっと待ってアスカ!?」
「ち、ちょい待てぇ!われ何企んでんねん!」

真っ赤になったヒカリとトウジの姿にシンジはおぼろ気ながらなんとなく事情を察し始めた。
アスカは真っ赤になって狼狽える二人を全く取り合わない。

「人聞き悪いわねぇ。アタシ達は用事があるから先に帰るだけよ?そうそう、ジャージ。ちゃんとヒカリを家までエスコートするのよ?女の子を一人で家に帰すなんて男の風上にも置けない恥よ?分かったわね!」
「「な!!」」
「じゃ〜ね〜!」

しっかりとトウジに申し付けたアスカは、絶句する二人に満面の笑みを浮かべてウインクを返した。
そしてシンジの手を引っ張って教室を後にする。
シンジもアスカにリードされながら、トウジに対してへらりと情けない笑みを浮かべて同じように教室を後にした。
置き去りにした二人が教室の中から喚いているような気がしたが、シンジは後ろめたい物を感じつつも気付かなかった事にすることにした。
(ゴメン、トウジ…)
シンジは心の中で非常に身の置き所がなく困っているだろう友人に謝罪した。

「……ねぇ、アスカ?」

教室を出てから、無言でシンジの手を引いて昇降口を目指すアスカに、シンジはアスカの柔らかい手に包まれている自分の手とアスカの手を見比べながら話しかける。

「何よ?」

振り向きもせず直ぐ様返されたアスカの不機嫌な声に、アスカの柔らかい手の感触に真っ赤になりながらも手を離してくれないかと言うに言えず、シンジは困りつつも気になっていた事を思い切って聞いてみた。

「あ、あのさ?もしかして、さっきのって、その…。そういう事…なの?」

アスカはピタリ、と歩を止めると振り向き、シンジの目を見据えて尋ね返した。

「そういう事ってどういう意味?」
「えっと、その…」

シンジは自分の事ではないと言うのに顔が赤くなるのが分かった。
未だにアスカと繋がれている自分の左手に意識が集中する。

「あのさ、トウジと委員長を二人きりにさせようって事…でいい、のかな?」

自分の考えに自信が持てず、自信なさげに語尾が消え行くシンジに、アスカは左手を腰に当てて溜息を吐いて肯定した。

「そうよ。ついでに言えば、今日早く帰るって言っておいたのもその為よ」
「え、えぇ!?そうなの!?」
「そうよ!!買い物に行きたかったのも本当だけど。だけど、そんな事言うって事は鈍いあんたでもあの二人の事は分かったんでしょう?」
「う、うん…」

シンジには、トウジと委員長の事情とやらがいまいち理解仕切れてはいなかったが、アスカの雰囲気に言い出せず相槌を打った。

「だから、アタシがヒカリの為にあんたに声かけといてあげたのよ。今日が土曜日でも、あんたが遊びに行かないって言って早く帰れば、相田の奴はあ んたと違ってそういう事に気が回る奴だし、ヒカリさえ勇気を出せれば自然とヒカリとジャージを二人きりにしてくれるはずだったのに……」

はぁと溜息を吐くアスカに、シンジは申し訳ない思いをしながら、そういう事情なら最初から説明しててくれればいいのに、と思った。
しかしアスカはそんなシンジの不満を斟酌する事なく己が感じたシンジの不満点をさらにあげ続ける。

「しかもあんた、せっかくあの二人に気付かれないように二人きりにしてあげるチャンスになったのに、それも見事に潰してくれるしさ!」

きっと睨み付けられたシンジはカチンとくる。

「何だよ!あれはアスカが悪いんだろ!?」
「何言ってんのよ!あんたの察しが悪いのがそもそもの原因なんじゃない!気付きなさいよね!子供じゃないんだし!!」
「何だよ!いつも僕を子供扱いするのはアスカの方じゃないか!」
「そうよ!だって子供なんだもの!」
「じゃあ、子供じゃないとか言うなよな!!」
「あんた、ばかぁ?14にもなって子供のままでいるつもり!?」
「そういう事言ってるんじゃないだろ!?」

いつの間にかいつものように喧嘩腰になって言い合っていた二人に、涼やかな声がかけられた。

「碇君」

さして大きくもない声は、その硬質な響きで感情的になっていた二人の意識に割り込んだ。
アスカとシンジはその声の方へ振り向く。
そこには神秘的な青い髪のアルビノの少女がいた。

「あ、綾波!?」
「これ」

アスカと言い合っていた所を見られ、ばつの悪い思いをしていたシンジに、レイは綺麗に包装された正方形の箱を差し出した。
それを目にしたアスカの表情が険しくなり、シンジの手を握っていた手に力が込められた。

「え、えっと?」

シンジは差し出されているものが何であるのかを理解していたが、受け取って良いものか否か激しく逡巡した。
心情的にはとても嬉しく、直ぐにでも受けとりたかったのだが、左手に感じる圧力と隣から発されるオーラが受けとれば命はないと、シンジに感じさせていた。
冷や汗を浮かべながら困ったように笑うシンジに、レイはなおも差し出してくる。

「明日、バレンタインデーだから」
「う、うん…」

端的に説明するレイに、シンジはどうしたものか助けを求めてアスカに視線を向ける。
いつの間にか繋いだ手を軸に肩をならべていたアスカとシンジは、その為に至近距離で目を見交わす羽目になってしまった。
アスカと目が合った途端、シンジは突然気恥ずかしくなり、アスカから咄嗟に顔を背けてしまう。
自分の差し出したチョコを受け取りもせず、アスカと二人、赤くなって顔を背けたシンジをレイは不審に思った。
そしてその赤く透き通る瞳でシンジの様子をマジマジと観察し始める。
レイの感情を写さない赤い瞳がある一点に止められる。
そのまま淡々と事実のみを述べた。

「弐号機パイロットと手を繋いでいるのね」
「「えぇ!?」」

その声にはっとなった二人は、咄嗟に繋いだままになっていたお互いの手に視線をやり、繋がれた手を伝ってお互いにまた顔を見合わせた。
その途端同じように同じタイミングで赤くなった二人は、慌てて繋いでいたお互いの手を離す。
アスカが照れ隠しにシンジに怒鳴った。

「ちょっとあんた!気付いてたんだったらさっさと離しなさいよね!」
「な、何だよ!僕の手を握って来たのはアスカのほうだろ!?」

真っ赤になったシンジが負けじと声を張り上げた。

「な、な、何ですって!?あ、あ、あれはあんたがグズグズしてたのが原因なんじゃないの!察しなさいよ、バカ!!」
「そんな事言われてもわかんない物はわかんないよ!!」

レイはシンジにチョコレートを差し出したまま、自分を忘れて口喧嘩を始めたシンジに淡々と声をかけ続けた。

「碇君。これ、受け取って」
「えぇ?何!綾波!!」

アスカと口喧嘩している勢いで、普段より荒い語調のまま、シンジは反射的に返してしまっていた。
だが、相手が諍いに全く関係のないレイだと言う事がわかった途端、はっとして大人しくなる。

「これ。受け取って貰えないと赤木博士の指示が遂行できない」
「え?」

少々ぶすくれた面白くない表情でそれを眺めていたアスカだったが、レイのその言葉に思わず怪訝な顔をして問いかけていた。

「ちょっと、ファースト。リツコの指示ってどういう事よ?」

アスカの疑問はシンジも抱いた疑問だった。

「パイロット同士の連携の為。私は指示に従っただけ」

淡々とアスカの問いにレイは答えた。
シンジは、レイのその答えに期待に高鳴っていた鼓動が急速に萎んで行くのを感じていた。
アスカはこめかみを押さえ、どこかしら苛々と足踏みをしていた。
そして、堪り兼ねたようにレイに向かって口を開く。

「…ファースト。一応、確認しておくわ。バレンタインデーの説明は受けたのね?」
「ええ。日本では親しい男女がお互いの気持ちを確かめあう日だと説明を受けたわ」
「……それだけ?」
「これはエヴァパイロット同士の連携を円滑にする為の作戦行動だとも言われたわ」

淡々と述べるレイに、アスカはどこか苛立った面持ちで言葉を繋げた。

「あんたはそれに疑問も持たずにただ従っただけだとでも言うの!?」
「ええ」

アスカは、レイのはっきりとした肯定の言葉に呆気に取られて沈黙した。
黙ってそのやり取りを聞いていたシンジは、段々と居たたまれなくなってきて口を開いた。

「も、もう良いよ、綾波。そういう事ならありがたく受け取るよ。その、ありがとう…」
「どういたしまして」

シンジはレイからチョコを受け取りながら、何だか泣きたくなるような気がしていた。
差し出された時は嬉しかった筈のレイのチョコが急に色褪せ、とても重い物のように感じられていた。

「じゃ、私、行くから。さよなら」
「あ、う、うん。またね、綾波…」

張り付いたような笑顔を見せ、シンジは去り行くレイに挨拶を返す。
どことなく、口を開き難い沈黙が残された二人の間に落ちていた。

「え、えーっと。ファーストって変わってる子だから、あんまり気にしない方が良いわよ!って、あんたの方があたしよりファーストの事知ってるわよね……」

沈黙に耐え兼ねたアスカが、シンジを励まそうとしたが、余りにも落胆しているシンジにアスカの励ましの声も萎みがちになっていってしまった。
暫くそのまま、居心地の悪い空気に耐えながら、どんよりと落ち込んでしまっているシンジを心配そうに眺めていたアスカだったが、シンジの余りの暗さに堪忍袋の緒を切らす。

「あーっもう!!シンジ!!!!」
「は、は、はいっ!」

シンジは突然近くで張り上げられた怒声に飛び上がって返事をした。

「さっさと帰って出掛けるわよ!!いつまでもウジウジしてんじゃないわよバカシンジ!!!!」
「そ、そんな言い方しなくても良いだろ!?」

シンジはアスカの剣幕にむしゃくしゃした感情を刺激されて同じように怒鳴り返した。
アスカは勢いを落とすことなく更にシンジに怒鳴りつける。

「まがりなりにもあの女があんたなんかにショコラ渡したんだって言ってんのよ!あの調子じゃあの女からあんたがショコラ貰えるなんて奇跡みたいなもんじゃないの!物は考えようよ!これくらい、自分で気付きなさいよね!!バカ!」

そう吐き捨て、つん、とシンジから顔を逸らしてサクサクと昇降口へと歩き始めるアスカを、シンジは呆然と眺めていた。
アスカの白い肌が微かに桃色に染まっているように感じ、何故かシンジはアスカから視線を逸らし難かった。
窓から入り込む日差しに照らされて煌めくアスカの髪の輝きが、アスカその物を表しているように感じ、シンジはその様にぽかんと見入ってしまっていた。
と、不意にその輝きが風に靡くように乱され、大きく揺れ動いた。

「いつまで呆けてんのよバカシンジ!ぼけっとしてないでさっさと来なさいよ!帰って出掛けるって言ってるでしょう!?グズグズしないでよね!遅れたらあんたのせいよ!!」

アスカはシンジにそう言い捨てると、プイっとそっぽを向くように前を見据えてまた歩き出す。
アスカの背中で跳ねるように揺れる赤みがかった金髪がシンジを鼓舞しているように思えた。
一跳ねする毎にシンジについて来いと誘いかける。

「ま、待ってよ、アスカ!」

シンジは釣られるようにアスカに声をかけると、たった今感じたばかりの重苦しい気分を忘れたかのような明るい表情で、先に進んで行くアスカの背中を追い始めた。

中編へ続く

烏賊してるペエジに初めましてのGURDENさんから投稿作品をいただきました。
ちょっと発表が遅れてしまいましたが、バレンタインものです。遅れてしまったけどエヴァ世界ではずっと夏だからいいですよね?(やや違

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