本物は誰? 第十一話

作者:でらさん














背後から銃声が聞こえた瞬間、アスカは、自らの体を床に投げ出していた。
うつ伏せの姿勢のまま滑る体と、放り投げられた紙袋から散らばる菓子の数々。
制服の胸の部分からスカートにかけて床の汚れが付くものの、アスカは、そんなことを気にせず、
すぐに立ち上がって全力で逃げた。
幸いにも、体のどこからも銃撃された痛みを感じない。弾が外れたか、自分を狙ったのではない
かのどちらか。
アスカとしては、自分を狙ったのではないと思いたい。
あの二人の正体が何者であろうと、シンジの姿形をした少年に撃たれたと考えたくないのだ。


(それにしても・・
一体、なんなのよ!これは!)


ろくに息継ぎをしないまま全力で駆けるアスカの脚は、自分の知るシンジがいるであろうトレーニ
ングルームへと向かっていた。
アスカは、報告は二の次にしても、一刻も早く安心したかったのだ。
シンジの優しい声を聞いて。








シンジとショウヘイの持つ特殊能力の一つは、コンクリートさえ素手で破壊する、強化された肉体。
それは、普通の拳銃弾ならば跳ね返すほどの強度を持つ。
保安部員が所持していた拳銃も戦自に採用されている物と同型ではあるが、威力としては普通の
部類。特筆すべき殺傷能力があるわけではない。
にもかかわらず、アスカを庇ったショウヘイの脇腹からは血が・・
撃った本人が、一番当惑している。


「な、なんで・・
拳銃の弾くらい、どうってことないだろうに」


「ち、力のほとんどを、あ、脚に集中した・・んだよ。
でなきゃ、弾に追いつけるか」


脇腹を左手で押さえるショウヘイは、苦痛に顔を歪ませながらもシンジに鋭い目を向けてくる。
肉体の強化を脚部に集中させ、音速以上の速度で飛ぶ拳銃弾に追いついて進路を塞ぐとは、無茶
をしたものだ。
またシンジは、そんなことが可能であったのかと身震いした。理屈は分かるものの、自分が同じこと
をできるとは言い切れない。考えたことも試したこともないのだから。


「その技を僕との戦いに使えば、簡単に勝てたろうに」


ショウヘイが腕一本に倍の力を集中させれば、力の集中法を知らない自分の防御を簡単に突き破っ
ただろう。それで勝負はついたはずだ。


「力のコントロール・・
し、知らなかったのか、お前は」


ショウヘイは、苦痛の中にも、愕然とした表情を隠さない。
そう・・
ショウヘイは、そのくらいの事はシンジも知っていると思いこみ、確認すらしていない。
それはシンジにとって幸運であり、ショウヘイにとっては不運だった。


「ああ、知らなかったよ。今の今までね。
君の読み違えだな。奸計に長けた、君らしくないミスだ」


「・・・君の勝ちだ。
さあ、殺せ」


「・・・・」


シンジは、ただ無言で、手にした拳銃をショウヘイに向けた。
全ての終わりが、近づいている。








「シンジ!」


トレーニングルームでシンジを見つけたアスカは、全力疾走のまま彼に接近し・・


「な、なんだよ、アスカ!」


ダイブするように飛びついた。
シンジは、よろけながらもアスカの体重を支えきり、床に転がることはない。以前のシンジなら、アスカ
と共に床に転倒していたはず。訓練は、着実に彼の体を鍛えている。


「アンタ、本物のシンジよね?」


「は?」


自分の首に顔を埋めるアスカの頭が目の前にあり、慣れた髪の毛の匂いがシンジの鼻を刺激して
官能的な気分が沸き上がってくる。
しかしシンジは、そんなことを考えている場合ではないと思い直し、アスカの体に手を回して、やんわり
と彼女を引き離した。彼女をよくよく見ると、制服の前面が床を引きづったように汚れている。何かあった
ようだが、怪我はしていない。
その様子を見たシンジの頭に浮かんだのは、アスカが職員の誰かに襲われたのではないかという疑念。
ネルフも善人ばかりの集団ではない。アスカやレイに邪な視線を注ぐ連中も多いと聞いている。そんな
連中の一人が、隙を狙ってアスカを襲ったのかもしれない。ネルフの職員なら、重要人物であるエヴァ
パイロットを襲えば、どんな処分を受けるか分かりそうなものだが、異常な性癖に取り憑かれた人間は、
時として常識では考えられない行動に出ることがある。アスカは、襲われたショックで思考が混乱してい
ると考えた方がよさそうだ。


「落ち着くんだ、アスカ。僕が、ケンスケに見える?」


「なに言ってんの?アンタ」


今度は、アスカが唖然とする番。
以前のボケぶりは影を潜めてきたシンジも、時たまやらかしてくれる。今も、何か重大な勘違いをしてい
るようだ。


「とにかく、落ち着こう。
襲われたのはショックだろうけど、犯人は捕まえなきゃ」


「落ち着くのは、アンタよ!
アタシはね、アンタと同じ顔した奴に後ろから拳銃で撃たれたの!」


「そこまで動転してるなんて・・
よっぽど、恐い目に遭ったんだね」


シンジは、アスカを再度抱きしめ、慰めようとする。気の強いアスカが、わけの分からない言動を繰り
返すほど気を動転させていると思ったからだ。
だがアスカにしてみれば、シンジの方がどうかしている。


「離しなさいよ、バカシンジ!ミサトに報告するわ!」


「だから、もうちょっと落ち着いてからで・・・」


突っ込むアスカとボケるシンジの夫婦漫才は、暫く続いた。






事を秘密裏に収めようとした結果の悲劇。
机上の端末に送られてくるリアルタイムの映像で経過を見守っていたゲンドウは、警報を出させなかった
自分の非を責め、保安部に早急なケージの制圧を命じた。
ケージに向かうアスカを制止しなかった保安部にも問題はあるものの、自分の命令に不備があったのも
事実。
いずれにしろ、最悪の事態は回避しなければならない。異世界のシンジがショウヘイを殺せるとは思えな
いが、激情に取り憑かれた人間の行動は、予想できない。何かの拍子で拳銃の引き金を引いてしまう可
能性もある。


「ん?」


ゲンドウは、画面に映るショウヘイの周囲が陽炎のように揺らぐのを見る。そしてショウヘイの姿が、徐々
に薄くなっていく。


「次元移動か」


拳銃を向けているシンジは微動だにせず、ショウヘイが消えゆくのを、ただ見ているだけ。とりあえず、最
悪の事態は避けられたようだ。
だがショウヘイは、この世界から消える。怪我を負ったまま。


「生き延びてくれればいいが」


画面では、ショウヘイが完全に消えたと同時にケージへ突入した保安部隊が、シンジを取り囲んで武装
解除を求めている。
異世界のシンジは抵抗もせず、素直に拳銃を部隊の責任者に渡した。
ゲンドウは、異常な状況から脱する安堵感と、何故か若干の侘びしさを感じていた。ショウヘイの存在は、
ゲンドウに少なくない影響を与えていたのだ。
劣悪な状況の中でも必死に生きようと藻掻いた挙げ句、自分が最悪の事態を引き起こしてしまった業を
背負ったショウヘイ。
ゲンドウには、彼が不憫でならない。


「分かった」


保安部の取調室へ連行するという報告を受けたゲンドウは、報告を了承する。
あとは、どうするか・・・
ゲンドウには、これといった考えが浮かばない。







自分を背後から撃った少年。
彼が、目の前にいる。
しかし、その顔は、大好きなシンジと瓜二つ。
アスカは、自分と視線を合わせられない少年を見据えつつも、複雑な思いをもてあます。
当てるつもりはなかったと、彼は言った。牽制のつもりだったとも。
異世界のシンジと主張する彼の言葉は信じたいけども、怪我こそなかったものの、現実に撃たれた本人
としては簡単に納得できるものではない。消えたショウヘイが庇ってくれなかったら、死んでいたかもしれ
ないのだ。
決して広いとは言えない取調室で、アスカは隣に座るシンジの手を握りながら、強ばった表情を崩さない。
それは、隣のシンジも同じ。アスカが変質者に襲われたのではないと分かったときはホッとしたが、本当
に背後から銃撃されたと分かったときは、シンジの顔から血の気が引いた。しかも彼女を撃ったのは、異
世界のシンジを自称する自分そっくりの少年。いかに異世界の自分とはいえ、自分がアスカを撃つなど
信じられない。
同席するミサトは、そんな二人のように特別な拘りはない。異世界のシンジに興味津々といったところ。
ゲンドウに取り調べを命じられたときも、なぜ自分がという疑問より好奇心が先行していた。その好奇心
が、アスカとシンジを同席させるという行為に現れている。


「あなたは、平行宇宙から来たシンジ君。
で、消えた方が、更に別の世界のシンジ君で、顔を変える能力を使って変装し、ショウヘイと名乗って暮
らしてたですって?
漫画でも、なかなかない話ね」


ミサトは腕を胸の前で組み、脚を交差させるように組んで、机を挟んで対面に座るシンジを見る。
一見、確かにシンジそのもの。一卵性双生児のよう。
しかし、よくよく見ると、このシンジは、部屋の隅でアスカと状況を見守っているシンジより幾分大人びた
雰囲気が感じられる。事実、彼の発した声は、落ち着いたものだった。


「司令に確認したんでしょ?ミサトさん」


「したわ。
ショウヘイ君と接触したと思われる人間に手を広げて調査もしたわよ」


「結果は?ミサト」


ミサトの後ろから、アスカが急かすように口を出した。彼女も、真相が気になるようだ。
特に、顔を合わせ、会話も交わしたショウヘイが別世界のシンジだったとなると、気味のいいものでは
ないだろう。


「事実と認めざるを得ないわね。とても信じがたいけど」


結論から言えば、調査の必要はなかった。ゲンドウはあっさりと認めたし、保安部からも、かなりの量の
情報がもたらされたからだ。
保安部は、ショウヘイがネルフに接触を求めてきた時から彼をトレースし続けていた。そればかりでは
なく、当初は捕縛まで試みている。それは失敗したものの、尾行などであらかたの行動は把握していた。
ミサトが少なからず驚いたのは、ショウヘイの女関係。
アスカの親友、洞木ヒカリ。そして、リツコの助手、伊吹マヤも彼と関係していた。ヒカリはほとんど通
い妻と化していて、マヤは、ショウヘイの正体を知っていた節がある。今は保安部がマヤから事情を
聞いているところなので、その辺の詳細は、すぐに明らかになるだろう。
いずれにしろ、女をモノにするショウヘイ(シンジ)の手管は大したもの。この世界のシンジにも、その
手の才能があるのかもしれない。世界が違うとはいえ、同じ人間。可能性は高い。思えば、あのアスカ
がシンジにぞっこんなのも、ある意味不思議だ。ミサトにはよく分からないが、碇シンジという男には、
女を惹きつける何かがあるのだろう。


「事実と認めてくれるなら、僕を釈放してくれませんか。
僕にも都合がある」


「帰るつもりなら、今すぐにでも帰ることができるはずよ。
司令が、そう言ってたわ」


「それは可能ですが、ホテルに残してきた荷物もあります。忘れ物すると、アスカに怒られるんですよ。
それに、僕は償いをしなければならない。ここのアスカと僕にね」


ミサトの言う通り、自分の世界へ転移しようと思えば、今すぐにでも可能。別の世界へ転移したショウ
ヘイを、今すぐ追いたいと思う。
重傷の傷さえ簡単に治癒してしまう強力な自己治癒能力を有する彼ならば、今頃、傷自体は塞がって
いるはず。あとは、体力の回復を待ちさえすればいい。ゲームは振り出しに戻ってしまうわけだ。
シンジとしては、ショウヘイの体力が回復する前に彼を発見し、今度こそは・・・
だが、焦りからとはいえ、この世界のアスカを背後から撃ってしまった罪悪感がシンジの心にストップ
をかけていた。
部屋の隅でアスカの手を握ってパイプ椅子に座るこの世界のシンジは、厳しい目で自分を見ている。
アスカ自身は複雑な視線であるものの、彼女を正視できない。どうしても、元の世界で自分を待つアス
カを思い出してしまう。こんな不快な気分のまま帰るのは嫌だ。自分のためにも、すっきりしたい。


「償いたって、アンタに何ができるの?」


我慢できないように椅子を立ったアスカがミサトの横に立ち、両腕を腰に据えて、異世界のシンジを
見下ろす。アスカを追いかけるように椅子を立ったシンジも彼女の後ろにつき、もう一人の自分を見下
ろした。


「僕にできることなら、なんでも」


「じゃあ、アンタ達が次元を超えてまで殺し合う理由が知りたいわ。
アタシのシンジは時たま切れるけど、人殺しなんてとてもできない人間よ。同じシンジのアンタ達が、
なんでそこまで憎み合うわけ?」


「それは・・・」


説明は一時間近くにも及び、全てを聞いた、アスカ、シンジ、ミサトの三人は、あまりに悲惨な話の
内容に、暫く絶句した。








傷を快復させるための一時凌ぎ。
無垢なままに自分を受け容れてくれたヒカリや、全てを知って尚、自分を理解しようとしてくれた
マヤに未練はあったが、それよりも生命の保持をショウヘイは優先した。
今まで渡り歩いた世界の中で一番やすらぎを感じ、居心地の良かった世界。
次元を飛び越えた以上、あそこへは二度と戻れないだろう。平行宇宙をランダムに移動はできる
が、それを自分の意志でコントロールできたことはない。生まれ育った世界に戻ろうと考えたこと
もない。嫌な思い出ばかりの世界を懐かしむつもりはないのだ。(結果的に、それはショウヘイの
命を救っている。彼の世界の地球は、すでに存在していない)

なんにしろ、体を完全に快復させるのが先決。治癒能力を全開にしたことで既に腹の傷は塞がっ
たが、体力の消耗が激しい。異世界のシンジが自分を見つけてこの世界へ転移してくる前に、
この世界に足場を確保しなければならない。
どこか分からないマンションの裏手に出現していたショウヘイは、人目につかないよう用心しな
がら近くの公園に足を運び、通りから死角になるようなベンチを探して座った。そこは、背の高い
密集した生け垣が道路と公園を仕切っている。公園内からも、微妙に配置された木々のせいで
見えづらいはずだ。
公園の時計で時間を確認すると、朝の八時を少し回ったところ。すでに人がかなり動いている時間。
誰にも見つからなかったのは、幸運だった。ショウヘイが着ているのは、左脇腹付近に血痕のつ
いたプラグスーツ。目立つことこの上ない。街中では、あまりに非日常的な格好だから。


(・・・なんだ?)


様々な世界を見てきたショウヘイは、街の空気を読む術を身に付けていた。それは超常能力と
いった類のものではなく、単純に感覚的なもの。
だが、それが外れたことはない。
その感覚が、今、ショウヘイを戸惑わせていた。
この街には、ある種の緊張感というか、棘がない。軍関係の組織が無意識に発する殺気みたい
なものがまるで感じられないのだ。


(まさか・・な)


ショウヘイの頭に一瞬、ここが探し求めていた地なのかとの考えが浮かんだ。
ネルフも使徒もエヴァもない世界。
自分の腕の中で死んだアスカが、弱々しい笑顔で語った世界。
もしここがそうなら、自分の旅は終わる。


「ちょっと、レイ!他人の彼氏に、なにやってんのよ!」


と、聞き慣れた声が、突然、通りから聞こえてくる。ショウヘイは反射的に体を道路側に向け、ベ
ンチの背もたれから頭を半分ほど出し、生け垣の隙間から通りを窺う。
そこには、困ったような顔をしたシンジの両隣で彼の腕をとる二人の少女がいた。二人の少女
とは、言うまでもない。アスカとレイだ。
彼女達は見慣れた第壱中の制服を着て、この世界の自分は、半袖のYシャツに学生ズボン。
ごく普通の中学生に見える。


「わたしはまだ、シンちゃん諦めてないも〜ん」


「アンタは従妹でしょ!近親相姦じゃない!」


「従妹とは結婚できるだもんね〜。
知らなかったの?完璧天才美少女のアスカちゃんは」


「こ、こ、この〜・・・
ちょっと、シンジ!黙ってないで、アンタも何か言いなさいよ!」


どうやらレイは、シンジの従妹らしい。
だが、まだ分からない。ショウヘイは、三人の様子を窺い続ける。


「レ、レイ、僕から、離れた方がいいと思うな」


「いやよ。
シンちゃんてば、幼稚園の頃、わたしをお嫁さんにしてくれるって言ったじゃない。
あれは、嘘なの?」


「そ、そんな昔のことを言われてもだね」


「ほ〜ほほほほほほほ!
過去に縋るなんて、惨めなものね。アタシとシンジは幼馴染みからステップアップして、大人の
関係になったのよ。
その気になれば、アタシはシンジの子供だって産めるんだから」


「アスカ!なに言ってんだよ!」


「ふ、不潔よ!二人とも!」


幼馴染み。
その言葉が、ショウヘイの心に確信めいた重みをもたらす。
そして彼の目が、眩しいほどの金髪が燃えるアスカの頭に固定された。
そこにはあれが・・
彼女が気に入って普段でも付けていた赤いヘッドセットがない。代わりに、長目の赤いリボンが
結びつけられている。


「ア、アスカ・・」


検証しなければ断定はできない。
しかしショウヘイは、この世界にはネルフもエヴァもないと確信した。


「見つけた・・・見つけたよ。君の望んだ世界」


旅の終わりは呆気なく・・
ショウヘイ・・シンジは、体から抜けゆく力を止めもせず、その場へ崩れるようにへたりこんだ。



つづく



寄贈インデックスにもどる

烏賊のホウムにもどる