本物は誰? 第十二話

作者:でらさん














自分の身にも、あり得たかもしれない。
ショウヘイが経験した悲劇を異世界の自分から聞いたシンジは、一瞬、そう思った。
どこかで何かが狂っていたら、自分もショウヘイのように全てを憎悪するような人間に
なってしまったかもしれないのだ。
アスカと分かり合えていなかったら・・・
それが、最大の恐怖。
そしてそれは、アスカも同様であった。
あの病室で、無意識の内にシンジを受け容れていなければ心の闇からの復活はなく、
今の自分はない。壊れたまま、一生を病室で過ごしていた可能性が高い。それだけに、
復讐に妄執するこのシンジが甘い人間に思える。
父親を殺された事実は確かに悲劇で、同情もする。
だがアスカが聞いた限りでは、なんらかの事情があるように感じる。ショウヘイが憎悪
のままに殺したとは思えないのだ。それは、このシンジも薄々分かっているはずだ。
アスカは、静まりかえった部屋に響くほどの大きめの声で、言葉を発した。


「アンタの話が全て本当と仮定した上で言うわ」


「なにかな?」


「もう、復讐なんてやめるのね。
これ以上追っても、アンタは永久にアイツを殺せない。ムダよ」


「そ、そんなことは」


「どっちの力が上とかそんなんじゃなくて、人間として甘いアンタに人殺しなんて無理っ
てことよ。
アンタ、ろくに苦労なんて知らないでしょ?」


落ち着いた所作で、この世界のシンジより幾分大人びた彼にアスカは、挫折を知らない
人間独特の空気を見た。それは、彼がシンジだからこそ分かったのだと思う。他の人間
だったら気付かないような、微妙なものだから。アスカは、自分の人間を観る眼が、それ
ほどのものではないと自覚している。経験不足を差し引いても、加持リョウジに”抱いて”
とまで迫った自分の過去は、封印したいくらい恥ずかしい事実だ。


「・・・まあ、その通りだけど」


「アンタも、元の世界じゃアタシと付き合ってるみたいだけど、そのままだと愛想尽かされ
るわよ」


「・・・・」


「自覚は、あるようね」


異世界のシンジとて、育ちからくる自分の甘さは認識している。一般に、お坊ちゃんと言
われるような人間であることも確かだろう。自分と付き合うアスカでさえ、そう思っている
かもしれない。ショウヘイと名乗るシンジに振り回されるのは、当然だとも思う。彼が負傷
したのは自分のミスが原因で、勝負に勝ったからではない。
だが、こんな自分をなんとかしようと思っていることも、また事実。アスカに見捨てられる
ような未来は、想像もしたくない。


「そこまで馬鹿じゃないよ、僕は」


「どうかしら」


「分かった、降参するよ。もう、やつは追わない。
これでいいだろ?」


やはり、どの世界でもアスカはアスカ。
彼女の攻撃の前には、全面的な譲歩をせざるを得ない。


「まだダメね」


「僕に何をしろって言うんだ」


「アンタの追ってたシンジ、ここへ連れてきなさい。できるはずよ」


アスカは、ショウヘイがこの世界に巧く溶け込んで生活したところに着目し、ここでショウ
ヘイとして暮らせばいいと考えたのだ。別の理由もあるが、ひとまずそれは置いておく。
彼は自分やレイと距離を取っているし、ヒカリとそれなりの関係にある。ここで暮らしても、
目立ったトラブルは起こらないだろう。


「断れないんだよね?」


「当然」


胸を張って断言したアスカに、異世界のシンジは、再度降伏。まずは自分の世界へ還る
ため、意識を集中する。ショウヘイが転移した世界を特定するためには、MAGIと初号機、
そしてリツコ達の助力が必要だ。
・・・と、意識を集中し始めたシンジは、違和感を感じる。


(・・なんだ?
そうか、そういうことか!)



彼が消えたのは、それから一分も経たない後のことである。









全くと言っていいほど無防備なショウヘイの気配を辿って彼の居場所を特定したシンジは、
簡単にショウヘイを発見。無防備なはずだ。彼はプラグスーツを着たまま、木陰で寝ていた。
脇腹から流れ出た血はすでに黒く変色して固まっており、出血は止まっている。傷口も塞が
っているだろう。
シンジは、ショウヘイを小突いて起こすと、まずは状況の説明から始めた。
ショウヘイは逃げるそぶりも見せず、惚けたようにシンジの話を聞いている。


「・・・というわけでね。
僕は、君を連れていかなきゃならない」


「手間の掛かる仕事を仰せつかったもんだな」


ショウヘイは、特定の世界への転移がどれほど手間の掛かるものか知っている。それを知っ
た上での台詞だ。
アスカに叱責されただけで自分への復讐を諦めたシンジに対する皮肉でもあるのだが。


「ところが、そうでもない」


「どういうことだ?」


「あの世界で僕が得た能力ってのが、とても便利な代物でね。
次元移動が自由にできるようになったんだ。もう、初号機やネルフに頼る必要がないのさ」


「・・・なるほど」


考えてみれば、いつもの手段で自分を追ってきたにしては早すぎる。シンジの言うことに嘘
はないと思える。
だが、そんなことは最早どうでもいい。


「さあ、行くぞ。
そう構えるな。もう、お前を殺そうなんて考えてない」


シンジは、動こうとしないショウヘイが、まだ自分を警戒しているのだと思った。
さきほどまで殺し合いをしていた人間を、いきなり信用しろというのも無理だとは思う。思う
けども、ショウヘイを連れて行かなければならない。それが、あの世界のアスカとの約束。
約束など無視して自分の世界で安穏に暮らすのは簡単。彼らに、自分を追う力はない。
しかしそれは、人として許されない行為だと思う。


「勘違いするな。
僕は、ここで死ぬ。構わないでくれ」


腕を取ろうとしたシンジの手を振り払ったショウヘイは、力無く応える。
その眼は遠くを見るように焦点が合わず、気力も感じられない。嘗ての気圧されるほどの
覇気が、全くない。


「冗談は、よせ」


「僕の生きる理由は、もうない。ここが、終着駅ってわけだ」


「終着駅?この世界に、何があるっていうんだ?」


「何もないさ。
ネルフもエヴァも使徒もない。
ただ、平穏な日常がある」


「それが一体・・」


「これが、アスカの望んだ世界そのものなんだ。
幸せに囲まれたお前には、分からないだろうよ。僕達は、こんな小さな幸せが望みだった
んだ。ただ、平穏に暮らしたかった」


アタシ達、何で、こんな世界に生まれたんだろうね


ショウヘイは、アスカが最期に語った台詞の一部を思い出し、そのときの哀しみをも思い
出した。
あのアスカの言葉こそが、全てを代弁していた。
閉塞感と絶望に満ちた世界に生まれた不幸を恨むしかできなかった、短い人生。
人から称賛されなくてもいい。天才と呼ばれなくてもいい。金だって、必要以上に欲しいと
思わない。
ただ、肉親の暖かい愛情や友人達との愉しいとき。好きな人と思いを通わせたりふられたり・・・
そんな、普通の生活が欲しかった。
だが、それを望んだアスカもレイも死んでしまった。目的を達した以上、ショウヘイには生き
る理由がないのだ。


「そうだ。僕には分からない。
だけど、向こうにも君を待っている人間がいるんだ。その人達に対して、君は責任がある」


「・・・ヒカリとマヤさんか」


シンジは、ショウヘイを庇っていたゲンドウやヒカリのことを言ったつもりなのだが、マヤに
ついてはやぶ蛇。マヤとも関係があったとは、初めて知った。生体反応を消す特殊な装置
を作ったのも、おそらくマヤだろう。シンジの頭に、彼らしくない奸計が閃く。


「そういうことだ。
特にマヤさんな、妊娠したそうだ。男として、逃げるわけにはいかないだろ?」


完全な嘘だが、死を覚悟している人間を翻意させるには、これくらいでないと効果がない。
連れ帰ってからのトラブルなど、今は考えている余裕もない。


「僕に、父親になれってのか」


「子供だけ遺して勝手に死ぬなんて、人間としてどうかと思うけどな。
ここで逃げたら、君は、君の憎んだ父親と大して変わらない最低の男だ」


「・・・・」


人間としての良心に訴えたシンジの言葉は、ショウヘイの心に生きる意志を復活させ、彼
はシンジの名を永久に捨てることとなった。
次元を股にかけた追走劇は、これをもって終了した。








「なによ、ショウヘイの顔じゃない。
元の顔、見せなさいよ」


連れ戻せと命令を下した本人は、ショウヘイの顔に変装して現れた少年に不満顔。
どうやら、三人のシンジを見比べてみたいという欲求があったようだ。連れ戻しを要求した
真意は、ショウヘイの処遇云々よりも、くだらないと思われる、こんな理由かもしれない。
だがショウヘイは再三に渡るアスカの要求にも屈せず、ショウヘイの顔を維持。そしてそれ
は、彼がこの世界で生を全うする数十年後まで変わることはなかった。

ショウヘイは、このあと碇家の戸籍に正式に組み入れられ、ゲンドウの遠縁、碇ショウヘイ
として第三新東京市で暮らすこととなる。
高校にもアスカやシンジと共に進学し、大学をも卒業してネルフに就職。保安部門に配置
された彼は、後に副司令にまで出世している。付き合いを続けたヒカリとは、大学卒業後
に結婚。男女二人の子供を授かり、多少のトラブルはあったものの、生涯をヒカリと共に暮
らしたということだ。
実はマヤとも生涯を通じて関係は続き、一生を独身で通した彼女との間には、男子一人が
生まれている。ヒカリはマヤの存在に気付きつつ、彼女を敵視することも嫉妬することもな
かった。その理由については誰も知らない。当事者達にしか分からない理由だろう。
ただ、思春期に入ったヒカリの長女とマヤの息子が急接近したときの三人は、かなり慌て
たようである。
その辺の事情は、後に語られるかもしれない。

ともかくも、ショウヘイはシンジの名を捨て、ショウヘイとして生きる。そう決まった。
保安部の取り調べでも彼を庇い続けたマヤは、嬉しいの一言。一通り騒ぎが収まった一週
間ほどあと、自分の部屋を訪ねてきたショウヘイを、彼女は玄関で抱きしめている。


「あ、あの、マヤさん」


「戻ってきてくれて、嬉しいわ」


「に、妊娠のことなんですけど」


「妊娠?誰が?」


「えっと・・・」


キョトンとするマヤを見たショウヘイは、この時点で初めて自分が騙されたことを知った。
しかし、何もかもがすでに遅い。自分はここで生きるしかないと腹をくくる、ショウヘイであった。

そして、その翌日。
アスカから連絡を受けたらしいヒカリがアパートに訪ねてきた。
彼女の顔は厳しいながらも、どこか嬉しそうでもあり、またソワソワしている。リビングの床に
座って話しながらも、どこか落ち着かないように体を小刻みに動かしている。


「また、どっかで遊んでたわね?
全然、連絡つかなかったじゃない。どこで遊んでたのよ」


「と、友達のところでさ。
そいつ、一人暮らしで寂しがってたから、何人かで押し掛けて遊んでたんだ」


「呆れた・・
これから、あなたの生活は、わたしがきっちり管理するわ。当分、予備校以外の外出は禁止よ。
いいわね?」


「・・・はい」


この直後に行われた激しい肉体労働については、投稿規定やヒカリ嬢の名誉もあるので、自主規制。
責任感の強いヒカリが、翌日、翌々日も学校を休んだことで、ご想像いだきたい。

そして、騒動の中心から外れていた二人は・・


「ヒカリとマヤか・・
将来、トラブル起きそうな予感がするわ」


「先の話だからね。今から考えても仕方ないよ」


芦の湖畔でデートを愉しむ二人は、コテージ風のレストランで食事中。
人混みを嫌うアスカは、ミサトに無理を言って平日に休みを貰った。学校には、ネルフでの用事
と連絡がいっていることだろう。
おかげで、昼時だというのにレストランの客もそれほどではなく、いい席を取れた。


「二股なんて、男の身勝手そのものだわ。
アンタ、大丈夫でしょうね?」


アスカは、ショウヘイについての情報をミサトから根ほり葉ほり聞き出し、マヤとの関係まで聞
き出していた。マヤもヒカリ同様、相当ショウヘイに入れ込んでいるらしい。ヒカリとの関係を知
りながらショウヘイと関係しているようだ。
アスカには信じられない。ショウヘイが二人の女を都合良くあしらっているようにしか思えない。
同一人物のシンジにも、そんな面があるのかと疑ってしまう。


「僕より、アスカの方が心配だよ」


「アタシが?冗談やめてよ」


シンジ以外の男の顔を見るのもイヤ・・・
とまでいかないが、他の男に抱かれる自分など、アスカは想像もできない。精神的にも、彼以外
を好きになるなどあり得ないと言い切れる。


「じゃあさ、僕と素顔に戻ったショウヘイ。で、ショウヘイを追ってた別の世界の僕を完全に見分
けられる?別の世界の僕を好きになっても、浮気には変わりないよ」


「本物は誰?って、こと?」


「そういうこと」


一瞬で判断しろと言われたら、アスカにも自信がない。事実、二度ほど騙されてもいるし。
だが、ここで弱気は見せられない。


「アタシが間違えるはずないわ!
アンタは、髪の毛一本、細胞の一欠片に至るまでアタシのものなんだからね!」


何が彼女にそこまで言わせるのか、当のシンジにも分からない。
だから、頬をひくつかせながら、乾いた笑顔を浮かべるしかない。
それでもシンジは、アスカという少女を好きになったことを後悔しない。彼女以上に自分を理解
し、好きになってくれる人はいないだろうから。


「もう、それでいいよ、それで」


「あ〜、アタシをバカにしてるわね。
大体、アンタはね・・・」


夫婦漫才が癖になったようだ。








父がいないという一点を除き、全てが平穏に戻った、自分の世界。
リツコに迷惑をかけることもなくなり、初号機の使用などを原因とするネルフ内部で燻っていた事
務方の不満も、すでに消えた。
シンジは、アスカやレイと共にネルフの幹部候補生として特別な地位を与えられ、その地位に見
合った能力を身に付けるため、様々な訓練が施されることだろう。それは、通常の学園生活と平
行して進められる予定。
挫折を知らないシンジの人生には、更なる明るい未来が待っているのだ。
だが、シンジに浮かれた様子は全くない。


「変わったわ、アンタ」


訓練後、風呂に入った後の一時。
休憩所で冷えたお茶を飲むアスカは、空いた手で、まだ乾ききらない髪の毛を手で梳きながら、
自分を見詰めるシンジに顔を向けた。
復讐に見切りを付け還ってきて以来、シンジは変わった。
優秀ながらも、どこかに甘さがあった以前のシンジとは、明らかに違っている。一皮むけたという感じ。


「そうかな。
あんまり、自覚ないけど」


「向こうのアタシに説教されたのが、そうとう堪えたんじゃない?」


「・・・否定はしないよ」


事の次第を聞いたアスカは、どこの自分でも考えることに大差はないと感心している。
シンジには、いずれ一言言わなければと思っていた。何だかんだ言ってお坊ちゃん育ちのシンジには、
どうしても育ちの良さからくる甘さが見え隠れしていたからだ。それを原因として別れるとまでいかな
いまでも、二人の関係に深刻な問題をもたらしたかもしれない。
今回の事件は、ゲンドウを失う代わりにシンジの成長という大きな収穫があったとアスカは結論している。
長い目で見れば、ネルフにとって益は大きいはず。


「元気出して。今夜は、誰にも邪魔されない夜なのよ。
そんなんじゃ、ホントに浮気しちゃうわよ、アタシ」


「そりゃ、困る。
すぐに帰ろう」


「ちょ、ちょっと、シンジってば。
まだ、髪の毛乾いてないわよ」


この夜が、運命の一夜となることを、二人はまだ知らない。
二人の人生設計を根本から変えなくてはならなくなる重大事件の勃発点。それが、この夜。

この日から約二ヶ月後、アスカの妊娠が発覚し、ネルフは新たな騒動に巻き込まれるのであった。









無限とも思えるくらい、見渡す限りに林立する白い十字架の群れと、蒼く澄み渡る空のコントラスト。
ここは、セカンドインパクトとその後の動乱で死んだ人々を弔う、巨大な共同墓地。
この国の習慣ならば石材を使用するのが一般的なのだが、あまりの数に石材の供給が追いつかず
材木による十字架で、墓地としての体裁を整えている。
その片隅に、彼はいた。真新しい、二つの十字架の前に。


「アスカ、綾波・・
僕は、ここで生きることにしたよ。死ねない僕は、卑怯者なのかな」


半袖の白いYシャツに黒の学生ズボン姿の少年が、それぞれの十字架の前に、持ってきた花束を
一つずつ置く。
片一方には、A。もう片方には、Rという文字しか刻まれていない。


「君の望んだ世界が見つかったよ、アスカ。
たまに行ってみようと思うんだ。僕にも、自由の翼が手に入ったからね」


そこまで言うと、少年は俯き、彼の目から涙が一筋二筋と零れ出る。


「君に・・見せたかった」


少年の膝が崩れ、彼は十字架の前で顔を覆い、泣き伏す。
そこに、ネルフを手玉に取り、ゼーレを叩き潰した際物の姿はない。
ただ、哀しみに暮れる少年がそこにいる。
その少年を慰めるかのように、涼やかな風が墓地のあちこちに添えられた花束の花弁を巻き上げ、舞い
散らせた。

ショウヘイがシンジに戻るのは、毎年、この一日だけ。
この日だけは、ヒカリもマヤも、彼の子供達も・・
誰一人として、彼の行動に干渉できなかったという。





でらさんから「本物は誰?」第十一話&最終十二話をいただきました。

結局皆が満足するような結末にいたったのですね‥‥。

良かったですね。

連載完了お疲れさまなでらさまにぜひ、感想メールを出してみましょう!

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