本物は誰? 第十話

作者:でらさん













己の見込み違いが招いた危機。心のどこかで、自分にはあり得ないと思っていた事態。
長いとは言えないこれまでの人生で、失敗という失敗はなかった。
物心付いた頃から利発さで知られ、父からも周囲からも期待され、それを裏切らずにこれまで
生きてきた。
使徒戦も問題なく戦い抜き、アスカという最高のパートナーと知り合い、彼女に群がる男達を
押しのけ、彼女と結ばれた。
敢えて失敗を挙げるとすれば、ショウヘイを信用したこと・・
それで、父を失った。
そんな自分が、初めて経験する状況。味方は、誰一人いない。


<君の選択肢は限られてる。司令の用意した逃げ道を使うか、次元転移で自分の世界へ帰る
かだ。
無理は、しない方がいい。君が本気でそこからここに来ようと思えば可能だけど、死人が山ほど
出るからね。保安部の警備は、温くないよ>


電話口から聞こえる声は、いつになく饒舌で、しかも軽い。この世界は、彼にとって居心地がいい
のだろう。
それが、余計にシンジを苛立たせる。


「お前を身近にしながら、僕が逃げると思うか?」


<へ〜、犠牲を厭わないと?自分の復讐のために、何の関係もない人間を巻き込む?
面白い冗談だ。君に、できはしない>


「誰も殺さず、突破してみせる」


<相変わらずの甘ちゃんだな。話し合いで何でも解決できると信じてる脳天気な連中と同じだよ、
君は>


「殺せば済むと考えてる、お前よりマシだ」


<世の中ってものを教えてやるよ。ここへ来ることができればね>


回線の切れた受話器をゲンドウに返したシンジは、ゲンドウに一礼すると、無言で司令室を辞した。
彼は、どうあってもショウヘイとケリを付けたいらしい。

ゲンドウは、受け取った受話器のキーを操作して内線に繋ぐと、保安部長を呼び出す。そして、エヴァ
のケージから初号機パイロット以外の職員を全て退出させるよう、命令を発した。二人が全力でぶつ
かれば、能力が未知数なだけに、どのような被害が出るか分からない。
更にゲンドウは、命令を一つ付け加える。


「今、司令室から出て行った不審人物に対しては、適当に相手をしておけ。無理はするな。警報もいらん。
ただ、ロストしなければいい。私の端末に、随時報告をくれ」


受話器を机上に置いたゲンドウは、椅子に体重を預け、天井を仰いだ。背もたれの部材が軋み、スプ
リングが僅かに悲鳴を上げる。

ショウヘイにすれば、今ゲンドウの発した命令は背信行為に近い。敵に塩を送ったと受け取られても
仕方ない。
だがゲンドウは、ショウヘイが対等の条件での対決を望んでいると思っている。
彼は、口ほどに非情ではない。ショウヘイと接してきたゲンドウは、最近、そう考えるようになった。
いくら違う世界で違う環境に育ったとはいえ、シンジはシンジ。今出て行ったシンジも、この世界のシンジ
も、ショウヘイと名乗るシンジも、基は同じ人間。そのシンジが非情になりきれるわけがない。ショウヘイ
が歪んでしまったのは、一重に環境のせいなのだ。


「まだ、私を憎んでいるのか・・
なあ、シンジよ」


ゲンドウの口から漏れ出たのは、実の息子を求める父の声。
ショウヘイとは、それなりの交流もあり、人となりも分かってきたが、肝腎な実の息子とは、相変わらず
巧くいっていない。皮肉なものだ。
自分のしてきた事を考えれば、無愛想な息子に強く出られないのは事実。しかし、自分から折れるの
も癪に障る。シンジが付き合っているアスカを介して、なんとかならないかとも思うが、人間として彼女
も苦手な部類に入る。彼女の性格は、結婚後のユイと非常に似ているから。


「シンジが彼女と結婚するとなると、少々、問題だな」


事態の緊迫を余所に、ゲンドウの妄想は、広がっていった。








もう一人の自分に遭遇するという漫画のような体験をしたシンジは、保安部の一室で簡単な取り調べ
を受けた後、ミサトの執務室でアスカと再会していた。
心配そうな顔したアスカを見たら、シンジも少し落ち着いた。もう一人の自分と本部へ来るまでの間は、
緊張の余り、生きてる心地がしなかったから。


「で、ソイツは、今どこで何やってんの?逃がしたなんて冗談は、聞かないわよ」


冷えたお茶のペットボトルを持ったアスカは、パイプ椅子に座り、短い丈のスカートから伸びる細く長い
脚を誇示するように組んでいる。その艶めかしさは、中学生のものではない。それが、隣に座るシンジ
との関係に依るものなのは、疑いのないところだ。
ミサトは、自分とは異質の艶を放つアスカの若さを羨ましいと思いつつ、彼女の問いに応えた。


「司令室で、司令と交渉中のはずよ」


「何よ、それ。得体の知れない人間と司令を二人きりにして大丈夫なの?」


いくら人質を取られたとはいえ、不審人物の要求をそのまま受け容れるなど、どうかしている。しかも
ネルフ総司令の社会的地位は、一国の指導者と同等か、それ以上とされているのだ。誰の判断か知
らないが、アスカには理解できない。


「司令の命令だから、仕方ないわ。
当然、室内は常時モニターしてるけど」


「それにしても、相手は、あの化け物みたいなやつよ。いつ態度を豹変させるか、分からないわ」


「随分、司令を気遣うのね。将来への布石?」


ゲンドウを気遣うアスカが、ミサトには奇異に映る。
アスカとゲンドウは、シンジ以上に接触が少なく、挨拶もろくにしたことがない。公的な集まり以外では、
まず顔も合わせないのだ。使徒戦の最中でも、ゲンドウはアスカに対して非情とも思える態度に終始した。
そのゲンドウにアスカが気を遣うなど、どうにも変だ。
ただシンジと結婚する場合、舅となるゲンドウの関係が良好であれば好都合なのは確か。その布石と
考えれば、納得出来ないこともない。十五の少女が結婚を考えるのは、あまり一般的とは言えないが。


「組織のトップを気遣うのは、当然でしょ?
まあ、先を見てるのも確かだけどさ」


ミサトとアスカの会話に、シンジはどうも入り込めない。内容が今一掴めないし、自分が口出ししては
いけない気もする。
が、自分だけ黙り込んでいるのも面白くないので、ちょっとだけ口を出してみた。


「二人とも、何の話してるんだよ」


「将来の家族関係について、色々とね」


「何だよ、それ」


シンジは、父とアスカが将来どのような関係で関わるのか、まるで理解していない。中学生の彼にとって、
結婚など対岸の火事にもならない遠い未来の話なのだから、それは責められまい。
たとえ、パートナーのアスカが現実として考えていたとしてもだ。








自信に満ちた顔。見下ろされる不快感。
初号機の背から半分突き出た、エントリープラグにかけられた乗り入れ用の梯子。その最上部に立つ彼
に、シンジは、今までにない畏怖を感じた。
自分と僅かに雰囲気は異なるが、彼は同じ人間。環境の違う世界で生きただけ。それなのに、なぜ自分
達は憎み合い、殺し合うのか・・
自分が彼を赦せば、それで全ては終わる。たった一瞬の判断でいい。
だが、それができない。


「久しぶりだね。
その様子からすると、ろくに抵抗されなかったのか。
裏切られたかな、僕は」


ゲンドウは協力すると約束した。
にも関わらず、彼は僅かに息を乱している他に異常は見当たらない。
保安要員が手を抜いたか、ゲンドウが手を出すなと命令したのか・・・
いずれにしろ、現実は現実。受け容れるしかない。このような事態も予想の範囲内ではあったし。
いかに別世界の人間とはいえ、シンジはシンジ。非情以外の何者でもなかった実父ならともかく、自分
にも愛情の欠片を示すここのゲンドウならば、息子を死地に送り出すとは考えにくい。


「・・・・」


「どうした?挨拶くらい、してくれたっていいだろ?」


「お前に語る言葉は、もうない」


「父親を殺した仇とは、挨拶もできないってことか」


「当然だ!」


シンと静まりかえったケージ内に、シンジの怒声が響く。激昂しそうになる己を抑えつつも、シンジの語気
は自然と荒くなってしまう。
優しかった父、尊敬してやまなかった父。誰からも頼られ慕われていた父に、殺される理由などなかった。
それを、目の前の少年が殺してしまった。
彼に、どんな事情があろうと関係ない。彼の命を持ってして償わせなければ、納得できない。


「僕の実の父親は、世界を道連れにしてまで妻との再会を夢見る異常者だった。
十四歳の女の子を洗脳して娼婦としてあてがい、血を分けた息子すら道具以上の扱いはしなかったよ。
周りの人間も、そんな親父に盲従してた。赤木博士なんて、僕を精神薬のモルモットとして使った」


「お前の身の上話なんか、聞き飽きた。
だから、なんだと言うんだ!自分を哀れに思え、赦せとでも言うのか!?」


「今、君が僕に向けている憎悪は、僕が実の父親に向けていた憎悪と同じものだ。
復讐に取り憑かれた、狂気と紙一重の憎悪」


「・・・それが、どうした」


シンジは、体に気を漲らせながら彼を見返す。

自分の行動が正気の沙汰ではないという事実は、理解しているつもり。
元の世界のネルフとて、慈善団体ではない。エヴァを動かし、MAGIを使えば莫大な経費がかかるし、
人が動いても経費はかかる。リツコを始めとする職員達の理解と協力がなければ、自分は今、ここに立って
はいない。技術部は実験という名目で予算を計上し、経理との折衝に苦労していると聞いたことがある。
だからこそ、今日この場で復讐を完遂させる。いや、させなくてはならない。自分を支えてくれた人達の
苦労に報いるために。

・・と、自分を見下ろすシンジが梯子を下りながら左手首から大きめの腕時計のような物を外し、床に降り
立つと、目の前に掲げて見せた。シンジの知識にはない装備が、不安を喚起する。


「これが何だか、分かるか?」


「?」


「僕の生体反応を限りなくゼロにしてくれる装置だ。君が僕の位置を探れなかったのは、この装置のおかげさ」


「そういうことか・・
誰に作らせたんだ?」


「君に教えるつもりはない。
それに、これは必要なくなった」


シンジは装置を掌中に掴むと、そのまま握り潰す。煎餅をかみ砕くような破砕音が、静まりかえったケージ内
に響いて消えた。
そして再び掌が開かれたとき、プラスチックや金属の欠片が床にパラパラと落ちる。彼の体も、肉弾戦に備
えて強化されたようだ。


「君は、ここで死ぬからだ」


「えらい自信だな。
僕達の力が、ほとんど変わらないのを忘れたのか」


「いつまでも一緒と思うなよ。今日でケリを付ける」


「望むところだ」


「始める前に、最後のチャンスをあげよう。
引く気はないか?」


「くどい!!」


互いに最後と決めた戦いは、長引く戦いではない。数分の内・・十分もかからずに決着がつく。
少なくとも、復讐する側のシンジは、そう考えていた。それが、強化された肉体を維持する限界でもあるからだ。
条件は、向こうも同じ。ならば、互いの体力切れを待って体が通常の状態に戻った時の隙を狙う。
そのために、ここへ来るまでの間、保安職員の一人から拳銃を一丁奪い、隠し持っている。自分も相手も、
ATフィールドのような物理障壁を展開する能力を持ち合わせてはいるものの、使用時には精神的肉体的な
消耗が激しい。よって、肉体強化で体力を消耗した後では展開の反応も鈍るだろう。

まともにやり合っては勝てない。
負けはしないが、勝つことも不可能に近い。
それが、これまで、もう一人の自分と戦ってきたシンジの学んだ現実。正攻法で勝てないとなれば、詭道に頼
るしかない。それが卑怯と言われる手段であってもだ。

ところが、シンジにとっては苦痛に近い決意を持って考えた戦術も徒労に終わろうとしていた。
予想したとおり、体術での戦いは一進一退を繰り返し、勝負はつかなかった。しかし、自分の体力が尽き通常
の状態に戻ったにもかかわらず、ショウヘイに変化はない。
焦りと恐怖で、シンジの全身に脂汗がどっと吹き出す。


「そ、そんな、ばかな」


「何か作戦があったようだけど、無駄だったな。
これが、この世界に転移して得た、僕の新しい能力。肉体の強化に時間制限がなくなったんだ。肉弾戦では、
僕に勝てないよ」


ショウヘイの余裕の正体を知ったシンジは、どこにも持っていきようのない怒りを歯ぎしりという形で現すが、
それ以上の事はできない。ただ立ちつくすだけ。
自分が新たに得た能力は、まだ分からない。そんな自分にできる事は限られている。死なずに済む唯一の方法。
それは、次元転移で逃げる・・
それしかない。


「・・・く」


「僕の勝ちだ。ここを去らないのなら、死んでもらう」


ショウヘイは殺気を隠さずジリジリとシンジとの間合いを詰めるが、彼にシンジを殺すつもりなどない。今更、人を
殺す行為自体に躊躇いなど感じないけども、彼を殺せば彼の世界のアスカが悲しむ。別世界のアスカといえど、
悲しむ彼女は、想像すらしたくない。


「あれ〜、誰もいないじゃない。
せっかく差し入れ持ってきたのに」


と、ケージの入り口に、辺りをキョロキョロ見回しながらアスカがひょっこり姿を現した。手には茶菓子などが入った
紙袋をぶら下げており、日頃世話になっている整備員達に差し入れを持ってきたらしい。
ミサトとのお喋りに飽きたアスカは、たまには整備担当の職員に挨拶でもしておこうと思い立ち、ネルフ内の売店で
買い物してから、ここに来ている。来るまでの間、ほとんど他の職員と行き会わなかったことに疑問を感じたのだが、
こんなこともあるかと気にはしていなかった。
そしてそんな彼女の視線が、対峙する二人のシンジにぶつかる。


「え?シンジが、二人?」


アスカは、シンジの姿形をした人間が二人いる光景に一瞬頭が混乱し、その場に立ちつくす。
シンジはトレーニングルームに向かったはずで、ここにいるはずはない。とすると・・


「シンジが、三人いるってこと?」


並の判断力を持つ普通の人間なら、ここで混乱するだけだろうが、アスカは幸いにも普通ではなかった。
200を超えるIQを持つ彼女は現実を直視し、自分の知る情報と照らし合わせ、冷静に論理を組み立てる。
ここにいる二人の正体はともかく、シンジの姿形をした人間が三人存在するのは事実。更には、ここの状況も普通
でないと判断した。
職員達の喧噪はなく、閑散とした広大な室内で対峙する二人の少年。彼らの間に和やかな空気はない。明らかに
異常な緊張状態にある。
そして、異常を察したアスカが、ここから逃げようと体を反転したその時、乾いた一発の銃声が室内に響いた。


パン!


焦燥に囚われたシンジの執った非常手段。
それは、偶然現れたアスカを餌として使う危険な賭けでもあった。

シンジは、アスカを狙って撃てばショウヘイが何らかのアクションを起こすだろうと考えた。彼にとってもアスカは
特別な存在。たとえ異世界のアスカであっても、大事に扱うはず。
勿論、当てるつもりなどなかった。射撃の腕にも、それなりの自信はあるし、アスカを庇おうとするショウヘイの隙
を狙うつもりであったのだ。
が、焦りのためか発射するときに銃身がぶれ、狙いが外れたことをシンジは知る。そしてそれが大体どの辺に当
たるかも、経験上分かる。


「まずい!」


この後に起こる最悪の光景が、シンジの脳裏に浮かんだ。
アスカは悲鳴と共にうつ伏せに弾き飛ばされ、床に倒れた彼女の背に血の染みが広がって、体は痙攣を幾度か
繰り返した後に沈黙・・
即ち、死。
自分がアスカを殺すという、最悪の結末。場合によっては、自分が追われる立場となる。
現実を見まいとして、思わず閉じられるシンジの瞼。
ところが、数瞬経ってもアスカの悲鳴は聞こえないし、アスカを撃った自分をなじるショウヘイの怒声も聞こえてこない。
現状を確認しようと、シンジは恐る恐る瞼を開く。


「この・・馬鹿が」


床に倒れていたのはアスカではなく、自分に向かって喋るのも辛そうに悪態を付くショウヘイ。
彼の脇腹からは、血が・・

シンジは、復讐が完遂する時が来たことを知った。


つづく



でらさんから『本物は誰?』の第十話をいただきました。

ついに白シンジと黒シンジ(やや違う)の確執に決着のつく日がきたということでしょうか‥‥。

アスカが傷つかなくって良かったですけど、みんなも幸せになるエンディングだといいですね。

素敵なお話を書いてくださったでらさんにぜひ感想メールをお願いします。

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