本物は誰? 第九話

作者:でらさん












全てが極秘の内に進められた計画。
ネルフ本部内にあっても、この計画を知る人間は十人にも満たず、実質的なNo.3の地位に在るミサトすら
知らない。
それほどの秘密にした理由は、当然ある。
この計画の中心的人物である、ショウヘイの存在を表に出さないためだ。正確には、ショウヘイの正体を・・
である。

今日、秘密裏に集められた技術部のスタッフとオペレーター達。彼らは今、初号機の出撃に向けての準備に
追われている。
彼らには最高度の箝口令が敷かれ、この作戦が終わった後も、当分は監視対象となる。それは、技術部の
全てを仕切るこの人も例外ではない。


「半信半疑だったけど、こうなると、信じるしかないわね。
平行宇宙が、実在してたなんて・・」


初号機から送られてくる膨大なデータを検証する、赤木リツコ(技術部統括責任者)は、今エントリープラグ内
にいる少年が別世界のシンジだと納得せざるを得ない。
初号機は問題なくシンクロし、今までにない安定状態であると、各種のデータが証明している。こんなに安定し、
且つ高シンクロ状態の初号機など、リツコは知らない。これなら、S2機関も完璧にコントロールできそうだ。

ゲンドウからショウヘイなる少年を紹介され、その正体を知らされた時、正直言ってリツコは、ゲンドウが正気
を失ったのかと思った。平行宇宙の存在だけでも信じがたいのに、別の時系列を生きたシンジが目の前に
いるなど、リツコの科学者としての矜持が許さなかった。ショウヘイが顔を変えたり様々な特殊能力を見せて
も、そんな物はマジックの類に違いないと、一笑に付したのだ。
だが、こうやってデジタル化されたデータを目の前に晒されれば、事実と認めるしかない。シンジが今、アスカ
と一緒にトレーニングルームで汗を流しているのは確認している。今初号機とシンクロしているのは、そのシ
ンジである筈がない。


「事実は事実として認めるしかありませんよ、博士」


「冷静なのね、マヤは」


リツコは、助手のマヤが意外にも冷静な姿勢でいることに、少し驚いた。
優秀だが精神的に未熟なところがある彼女は、その未熟さ故に、必要以上な潔癖さを持っていた。異性と付
き合った経験もなく、性行為など彼女にとっては未知の世界。そんな無垢なマヤを、リツコが女に変えた。
変えたけども・・
彼女は自分から離れてしまった。巣立ちする雛鳥のように。
寂しくないと言えば嘘になる。好奇心が先に立った関係ではあったが、マヤを愛していたのは事実なのだから。
ただリツコは、一人だけを愛して満足する人間ではない。それだけは、どうしようもない。

最近の彼女は、どことなく機嫌がいい。噂によると、かなり年下の少年と付き合っているとか・・・
噂の真偽は不明だが、彼女の機嫌の良さを考えれば、恋をしているのは間違いないようだ。意外な冷静さの
原因かとも思う。


「そうですか?
でも、面白いと思いませんか?自分の別の可能性が存在するなんて」


「私は私よ。もう一人の自分がいても、同じ顔した別人にしか思えないわ」


同じ顔した別人。
マヤは、ショウヘイと全く同じことを言ったリツコに一瞬顔を向けたが、すぐに端末へ顔を戻す。
そこには、見慣れたショウヘイの姿とは違う、シンジの顔をした彼がいた。彼は今、シンジのお古のプラグスー
ツを着て、瞑想するかのように目を瞑っている。これから戦いへ赴く彼にキスの一つでもして送り出したいが、
それは無理。


(いってらっしゃい)


画面越しにそっと彼の頭を撫でたマヤは、気を取り直し、仕事に戻るのだった。








どうしようもない焦り。
手の届くところにあるのに、手が出せない焦燥感。
シンジは今、挫折感にも似た感情に苛まれつつあった。


(とんでもない警戒ぶりだ。関係者に近づくのは、厳しいな)


白髪の生えた初老の男に変装して街の雑踏に紛れ込み、ネルフの監視から身を潜めるシンジは、非常事態
体勢に入ったネルフの警戒ぶりに、気が滅入りそう。
関係者に何とか接触し、ショウヘイなる人物の人となりや経歴なども調べたいのだが、ヒカリと接触した先日
の一件で、それは危険と分かった。
自分の存在は、すでに、この世界のネルフの知るところとなり、警戒されている。普通に考えれば、平行宇宙
の存在など夢物語。この世界のシンジと同じ顔した人間に、ネルフが不審の目を向けるのは当然だろう。
そのような状況で、不覚にも素顔を晒した自分の愚かさを責めるしかない。
だが、いくら自分を責めても状況は変わらない。

この窮地から脱する手段も無いわけではない。
一番簡単なのが、父を殺した仇の追跡と復讐を諦め、元の世界に帰ること。
あまり考えたくはないが、あらゆる意味で、これが一番いい選択と言える。自分の帰りを待つアスカは喜ぶし、
元世界のネルフにも負担をかけずに済む。父を殺したシンジは当然喜ぶし、この世界のネルフとて、余計な
雑事に神経を使う必要がなくなる。はっきり言って、自分の他には誰も困らない。自分が復讐を断念すれば、
全ては丸く収まるのだ。


(だけど、僕は・・)


死ぬ間際の父が復讐など考えるなと言った意味を、シンジは何となく理解し始めていた。復讐に必要とする
労力は、周囲の協力も含めて莫大なエネルギーとなる。その代償は・・
己の自己満足だけ。関係ない人間から観れば、実にバカバカしい行為に過ぎない。
しかし、それでもシンジは、復讐を成し遂げたいと思う。不幸な境遇に生きた、もう一人の自分を不憫と思うも、
父を殺した行為を許せるものではない。
あの優しかった父を、殺される理由のなかった父を自分から奪った奴。
どうしても彼を・・


(殺したい。何としても)


迷いを捨て、決意を新たにしたシンジの目に、ショッピングセンタービルに入ろうとする、この世界のアスカと
シンジが映った。







自分達自らが囮になる。
それが、ミサトに外出を求めたアスカの言い分だった。
実のところ、それは半分真実で半分は口実。本部に缶詰となってシンジともスキンシップを愉しめず、ストレス
を溜めていたアスカは、とにかく外へ出たかったのだ。
それでもネルフの一員としての立場を、アスカは忘れていない。外出中も、周囲への警戒を怠ることはない。
ミサトに見せて貰った記録映像は、まさに非現実の世界。アスカも戦闘技術には自信を持つが、あれは、技術
とかそんなレベルではない。拳銃の弾を避け、車をも振り切る脚力など、まるで漫画だ。そんな人間に襲われ
たら、自分は一瞬で捕らわれるか死んでしまうだろう。それなりの覚悟はしている。
シンジにも事情は話し、万が一どちらか、或いは両人共襲われた場合、一人を見捨ててでも生き延びようと話
し合った。
もっとも、実際そのような事態に陥った場合、シンジが自分を見捨てるとは思えないが。それは、自分自身にも
言える。シンジを盾に逃げる自分など、アスカは想像すらできない。


「僕、ちょっとトイレね。
さっきの喫茶店で、飲み過ぎたみたいでさ」


二人が、とある婦人服売り場に入り、アスカが品物を物色し始めて数分経った頃、シンジがアスカに尿意を訴
えて、耳元に囁いた。
アスカも、トイレにまで付いていくほどスキンシップは求めない。ここで服を物色しながら待つことにした。


「アタシは、ここで待ってるわ。急ぐこともないわよ」


「ああ、分かった」


アスカから足早に離れたシンジは、トイレを示す案内表示を見つけると、更に足を速める。実は、相当の我慢
をしていたシンジである。此処へ入る前から尿意はあったのだが、効きすぎるくらい効いている冷房が
引き金になったようだ。
それでもアスカへ気兼ねして、なかなか言い出せなかった。互いに体の隅々まで知り、心の内をさらけ出し合
っても、遠慮する部分はある。


(ふ〜、やっと、すっきりしたよ。一時は、どうなることかと・・・
ただ者じゃないな、あの人)


シンジが出す物を出してすっきりしたその時、紺のスラックスに白いシャツという初老の男が、一番奥にある
個室のドアを開けて出てきた。
背は中背だし体つきは、ごく普通。目つきに鋭い物があるわけでもない。
しかし、その男の所作には、どこか一般人とは違うものが見て取れる。ハッキリとは言えないが、訓練された
人間独特の動きが感じられるのだ。
ネルフで、そのような人間を見慣れているシンジは、それが何となく分かる。
・・・と、その男は、ズボンのチャックを閉めて手洗い場へ向かおうとするシンジに声をかけてきた。


「ちょっと、いいかな?君と、少し話がしたいんだが」


「は?」


にこやかに話しかけてくる、その態度。そして、何かを含むような視線。
ここで、シンジの頭に閃く物があった。駅とかショッピングセンターの男子トイレで、こんな経験は、何度かある。
それは・・


「ぼ、僕はノーマルだから、勘弁して下さい」


「・・・え?」


「だから、男には興味ないんです。よく、そっちの人に間違われますけど」


同性愛嗜好の男に声をかけられるのは、シンジにとって珍しい事ではない。
シンジは、この男性も、そっちの人間だと思ったのだ。訓練された人間と判断したのは、見込み違いだったようだ。
しかし事態は、そんなシンジの予測の外にあった。


「勘違いしてるのは、君の方だ。
僕は別に、君を襲おうとしてるわけじゃない。ただ、話をしたいだけだ」


「そ、そう」


「まだ疑ってるな。
じゃあ、これなら信じてくれる?」


台詞の途中で男の声が変わり、外見と合わなくなる。そして、顔がゴム細工のように変化し出した。
変化し始めた顔は数秒で整った形を形成し、それは、シンジを驚かすに充分なインパクトを与えてくれる。
なんと、自分の顔そのもの。


「あなたは、一体・・」


「君自身だよ。碇シンジ君」


ミサトが見せてくれた資料にあった、変装を得意とする不審人物。そして、アスカの言った人間離れした少年。
目の前にいるのは、その当人だろう。
だとすれば、自分の命運は尽きたと諦めるしかない。男の目的が何か知らないが、自分は、ただで済むはず
がない。
シンジは、為す術もなく沈黙する。他に出来ることがない。
ただ、絶対的危機の中にあるのは確実なのに、恐怖は感じない。同じ顔をした人間が、自分に残虐なマネな
どすまいといった楽観的な考えが、頭の隅にあるのかもしれない。


「そう、緊張しないでほしいな。
僕の事を何て説明されてるのか知らないけど、僕は、悪逆非道のワルじゃないよ」


「き、君の目的は、何だ?何のために、僕に変装する?」


「これは変装じゃない。素顔さ。
僕は、別の可能性を生きた君自身だ」


「平行宇宙ってこと?冗談だろ?」


まだ中学生のシンジとて、平行宇宙くらいは知っている。同じ時間軸を持った別の宇宙。違う可能性を生きる
自分達の存在は、SFや漫画の題材としては面白い。だが、それ以上ではない。あまりに非現実的。


「どうも、話が進まないな。
仕方ない。一緒にネルフへ行こうか」


「一緒にって・・」


「悪いけど、君に盾になってもらう。
いいですね!?保安部のみなさん!」


異世界のシンジは、シンジをガードする保安要員へよく聞こえるように声を張り上げた。
シンジの服に縫いつけられた極小集音マイクの存在に、異世界のシンジは当初から気付いていた。気付いた
上でシンジに接触し、彼を媒介としてゲンドウとの接触を図ったのだ。一発逆転を狙うなら、ゲンドウとの話し
合いがベスト。
そしてそれは、とりあえず成功した。







ネルフ本部 司令室・・


姿を現した不審人物が自分との会見を望んでいると保安部から報告があったとき、ゲンドウは厄介事がまた
増えたと思い、頭を抱えたくなった。
報告には、シンジが二人映った写真が添付されていた。ゲンドウでも、どちらが本物のシンジか見分けが付
かない。ショウヘイが素顔に戻ったときは、どこかしら影のある顔なので区別はつくのだが、今回の場合は、
まず無理だろうと思う・・・
いや、実際に観て、無理と確信した。
現在、目の前に立つ少年は、瓜二つなどと言う言葉では物足りないくらい息子と酷似している。口を開かなけ
れば・・
で、あるが。


「手荒な手段を、お許し下さい。
こうでもしなければ、あなたと話もできないと思いまして」


このシンジは、一言で言うなら隙がない。台詞の言い回しから所作まで、文句の付けようがないのだ。実の
息子を理想的に育て上げれば、このようになるという見本みたいなもの。この世界のシンジは元より、ショウ
ヘイと、あまりに違う。
このシンジは、本当に理想のように育ったのだろうと思う。その世界の自分も、理想を絵に描いたような父で
あったに違いない。
自分で言うのも何だが、そんな自分は、どうも想像しがたい。


「多少の混乱はあったが、死者も出ていない事だし、まあ、いいだろう。
で、私に話とは何だ?金が欲しいのか?それとも、ゼーレに頭を下げろとでも言うのか?」


「惚けないで下さい。あなたは、知っている筈です。僕の正体と目的をね」


「知らんな。
ネルフを買い被るな。何でも知っているわけではない」


「いや、あなたは知ってる。僕の追う人間を。何のために追ってるかを。
なんで隠すんだ!」


ショウヘイから事情を聞いたゲンドウは、このシンジが何者で、何が目的かも知っている。ショウヘイを仇と
して異世界から追ってきた、三人目のシンジだ。ショウヘイによれば、苦労もろくに知らないお坊ちゃん。
それは、話した感じでなんとなく分かる。基本的に善人でもあるのだろう。

だから・・
だから何なのだと、ゲンドウが自分自身に問いかける。
自分はショウヘイと取引した。ゼーレの殲滅と、ショウヘイの身の安全を。このシンジが善人だろうと何だろ
うと関係ない。自分の取るべき道は、ただ一つ。


「仮に、私がそれを知っていたとして・・
私がそれを喋ったとする。次に君は、どうするね?」


「当然です。
僕は、奴を殺す」


「ならば、喋るわけにはいかんな。
あいつも、私の息子だ。息子を死に追いやるようなマネなど、できんよ」


「自分の身を危険に晒してもですか?あなただけじゃない。この世界のシンジだって」


「君に、そんな非道は無理だ。できない事を口にする物ではない」


ショウヘイと違い、このシンジに非道な行為はできないと、ゲンドウは断言できる。実際、ショウヘイと対峙
したところで、彼を殺せるのかとの疑問もある。まず、無理だろう。


「ここからの逃げ道は、用意してやる。おとなしく、自分の世界へ帰るんだな。
あいつの事は、忘れろ。君には、有り余る幸せがあるはずだ」


「な、なぜ、奴をそれほど・・」


「あいつは、あいつなりに一生懸命生きている。傷ついた心を抱えてな。
もう、不幸はいいだろう」


「僕は、父さんを殺されたんだぞ!」


「君の背負った不幸は、それ一つではないのか?
あいつが幾つの不幸を背負ったか、考えたことはあるかね?」


父を殺したシンジの過去など、全て知っている。どれだけ辛い世界であったかも聞いた。
何もかも巧くいった自分には理解しがたい悲惨な世界。
それを理解できるとは言わないが、彼に同情し、理解しようと努力したことはあった。だが彼は、差し伸
べた手を払いのけたばかりか、慕っていた父を殺した。彼がどんな過去を背負おうと、父とどんなやり取
りがあろうと、自分は彼を許せない。


「それが、何だっていうんだ」


「これが最後だ。ここから逃げるんだ」


ゲンドウの最後通牒と時を同じくして、シンジの体に、あの感覚が蘇る。
もう一人の自分が発する波動。
仇が、近くにいる証。
そして、ゲンドウの使用する赤い専用電話が、音を立てて着信を知らせる。ゲンドウは、それを手にとって
耳に当てた。


「私だ・・・早かったな。・・・・・・・そうか、ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ。
・・・・・分かった。今、代わる」


シンジは、ゲンドウの差し出す電話を、幾分緊張した手で受け取ると、耳に寄せた。
そこから聞こえてきたのは、久方ぶりに聞く、あの声。自分よりも少し低い、あの声だ。


<司令に直談判なんて、やるようになったじゃないか・・・シンジ君>


今までにない余裕を現す声にシンジは、自分の置かれた立場がどういうものであるか、はっきりと理解した。
ここは、全てが敵になりつつある。



つづく



でらさんから『本物は誰?』の第九話をいただきました。

今回はこの世界でもシンジはホモに好まれていることが判明しました……カヲル登場への伏線かしら(違

三人のシンジが勢ぞろいというところですね。
二人の異世界のシンジの思惑は事態をどういう方向に展開させるのでしょうか……。

続きも楽しみですね。読了後にはぜひでらさんに一筆メールを書いて続きもお願いしましょう。