本物は誰? 第四話

作者:でらさん













この国では珍しくなった、シトシトと降る冷たい雨。
気温も低めで、薄着では寒いくらい。事実、シンジの大事な姫君は、出かける前にドイツより持参した衣装
ケースから、ちょっとした上着を引っ張り出している。

こんな天気では、いかに彼でも雨を避けて自分の寝床にいるのではないかと考えていたシンジは、目的の
地に着いて自分の予測が外れた事を知った。
彼は、いつものように主人の傍で凛として座っている・・・墓標となった、碇ゲンドウの傍で。

寺の気遣いだろうか・・
地面に突き立てられた棒きれに縛った大きめの傘が、彼を雨から護っていた。
彼はシンジの存在に気付くと、僅かに尻尾を振って歓迎の意を示す。
が、それは、知り合いに対する儀礼的な物に見える。少なくとも、シンジには、そう見えた。


「お前は、本当に父さんが好きだったんだね・・・ポチ」


ポチと呼ばれた雑種の中型犬は、シンジを見上げ、少し首をかしげた。

たれた耳と長い体毛が洋犬の特徴を物語ってはいるが、明らかに複数の血が混じっていると思われる外見
を持つ彼・・ポチは、ゲンドウがどこからか拾ってきた犬。
拾った時点ですでに成犬だったのだがゲンドウにはよく慣れ、また頭も良い犬だった。
ゲンドウが死んでからは冬月が引き取ったのだが、彼は冬月には慣れず、すぐに逃げ出してしまった。逃げ
出した先は、ゲンドウの遺骨が眠っている寺の墓地。
以来ポチは、ゲンドウの墓の前で暮らしている。餌や寝る場所などは寺が与えているため、健康面で問題が
生じることはないだろう。


「シンジ、時間がないわ」


「ああ、分かってる」


隣のアスカに促されたシンジは傘を彼女に一時預け、こぢんまりとした墓石に手を合わせる。アスカは、そん
なシンジを神妙な顔で見守っていた。

激動の時代を生き抜き、国連を牛耳るネルフ総司令という地位に在ったにもかかわらず、その墓は実に質素。
ごく普通の墓石が、ごく普通に積み上げられているだけ。こんなところにも、決して権力に溺れることのなかっ
たゲンドウの人柄が偲ばれる。
それだけに、そのような父を殺した犯人にシンジは憤りを禁じ得ない。しかもそれは、もう一人の自分。


「父さん・・
僕は、あなたの言いつけに逆らってます。
あなたは、復讐などするなと仰いました。でも、僕はあいつを許せません。
例え僕と同じ人間であっても、絶対に許さない」


ある日突然現れた、別世界の自分。
加持が保護した彼は暗い影を背負っていて、警戒心と憎悪の塊だった。
でもアスカやレイを見る目は哀しみに満ち、彼は彼女達と距離を取って直接話をしようとはしない。

彼がいたという世界の話は、加持から間接的に聞いた。何もかもが巧く収まったこの世界と対局に位置するよう
な世界であったらしい。
補完計画の道具として機械的に扱われ、救いの手を差し伸べてくれる人間は皆無。父からも拒絶されていた。
数少ない心の支えであったのが、彼に与えられた女達・・アスカとレイだったという。

シンジは、そんなもう一人の自分を不憫に思い、歪んでしまった心を何とかしようと努力した。
アスカ、レイ、加持、ミサト、リツコも・・・そして父までもが、彼に人の優しさと暖かさを知って貰おうと彼に接触。
その甲斐あってか、彼も徐々に心を開き始めたと思われたとき・・
それは起こった。

司令室で血だまりに沈む父。
シンジがゲンドウを発見したとき、ゲンドウは体に数発の銃弾を受けており、既に手遅れだった。


『誰がこんな事を!すぐに人を!』


『ま、待て・・誰も呼んでは・・いかん』


『何を言ってるんだ、父さん・・・まさか!』


父の言葉で、シンジは誰が父を撃ったのかを知る。
司令室に気軽に入れる人間で、しかも護身用の銃の携帯を許されている人間。そして、父に恨みを持つ人間・・・
もう一人の自分・・奴しかいない。


『あれは、哀しい子だ。親の情はおろか、人の情というものを知らん。
私の命で少しでもあの子の心が癒されるのなら、私は、それでいい』


『父さんはそれでよくても、僕は許さない!』


『復讐など、くだらん事は考えるな。
私の死などすぐに忘れて、アスカ君と幸せに暮らせ』


『父さんの死を、どうやって忘れろって言うんだよ。
たった一人の父さんじゃないか』


『ふっ・・
いつか、別れの時は来るものだ。それが少し早いだけ・・だ。
ポチを・・・頼・・む』


『父さん!』


父の全てが好きだったわけではない。反発して喧嘩し、殴られたことも一度や二度ではない。
しかし、父はいつも自分を見守っていてくれた。

そんな大切な肉親を殺した人間が許せるほど、シンジは出来た人間ではなかった。
ゲンドウの最期を看取ったシンジはすぐさま保安部に通報して、もう一人の自分を捕らえるよう要請。約一時間後、
彼の居場所が特定され、シンジもその場に急行・・彼と対峙した。
そして・・・


『なんだ?空間が歪んでるのか?
まずい、奴が消える!』


壁を背にした彼の周囲が水面のように揺らいだかと思うと、彼の姿が徐々に薄くなっていく。周りで待機していた数
人の保安部員は何が起こったか理解出来ず、立ちすくむだけ。
が、シンジは彼を取り押さえようと、咄嗟に飛びついた。
そして二人のシンジは、そのまま別の世界へと転移した。

その後、巻き込まれた方のシンジは、かなりの苦労を強いられている。
転移した世界では当然の如く不審人物としてネルフから追われる身となり、父の敵を捜す余裕など無かった。味方
してくれそうな人間を見つけて頼りにしようとしたのだが、その世界の大人達は大半が冷たく、加持などは自分を襲
おうとまでした。
それでもリツコの助手である伊吹マヤが何とか話を聞いてくれ、当面の間、自室に保護してくれることにもなって彼
女の部屋に入ったら・・
なんとそこには、自分の追っていた人間・・もう一人の自分が銃を構えて待っていた。
どんな手段を使ったのか分からないが、マヤを籠絡した彼は、マヤを使って自分を誘い込んだのだ。


『自分を殺すのは気分悪いけど、また付いてこられたら厄介だからね』


拳銃を向けられたシンジは、歯ぎしりしながら平和だった自分の世界を思い起こした・・優しい人達とアスカを。
そして願う。”まだ死にたくない”と。
すると、自分の周りの空気が・・いや空間が、あの時のように歪みだす。


『くそ!こいつも、僕と同じ力を!』


気を失う寸前に聞いたその台詞が、シンジに希望を与えてくれた。自分も次元を超える能力を手に入れた。
その事実の持つ意味は大きい。


「また来るよ、父さん」


シンジは墓石に向かい、誓うように台詞を吐き出した。

激しい脈動を繰り返す高位の次元空間を通過する次元移動には、タイミングが重要な要素の一つとなる。そのタイミ
ングが迫っている。
波打つ空間が凪のような状態になった時に移動すると、目的とする世界へほぼ間違いなく行ける。
次元探査にはエヴァ初号機とダイレクトに繋げられたMAGIが使用され、初号機が機体内部に発生させた極小の
ディラックの海を通じて高次の世界を探査する。目的地を探し特定するのは、シンジの役目・・と言うか、次元移動能
力を持つシンジにしか出来ない。
移動自体は、シンジの能力を持ってすればいつでも可能ではあるのだが、どこの世界に放り出されるかは分からない。
ただ、元の世界にはいつでも帰ってくることが可能。次元移動の法則をここまで知るにも、苦労させられた。リツコを始
めとするネルフ技術部スタッフが力を貸してくれなければ、不可能であっただろう。


「今度こそ・・」


「殺すの?自分を」


「・・・多分」


「アンタに人は殺せないわ。アタシには分かる」


いかに憎しみに取り憑かれたとはいえ、シンジに人殺しは出来ないとアスカは確信している。
しかも相手は別の時系列に生きた自分で、筆舌に尽くしがたい世を生きていたと聞いている。優しいシンジが、こん
な人間を哀れと思わない筈はない。


「奴は別だよ」


「絶対、無理ね」


「・・・やるさ、必ず」


自分を見上げたポチの顔が、アスカと同じように無理だと言っている・・
シンジには、なぜかそう思えた。







『ワイも、何となく分かってはいたんや』


思い切って別れを切り出したヒカリにトウジは驚きもせず、淡々とした調子だった。
”ごめんなさい”を繰り返すヒカリをなじるわけでもなく、トウジは


『こんな事になってもうたが、ワイらは、これからも友達や。そうやな?委員長』


いつもと同じ笑顔と声で、ヒカリの肩を叩いた。
そこに、別れに付き物とされる涙も修羅場もなく、ただ不思議なまでの爽やかさがあった。
ヒカリはここで気付く・・自分は、こういう空気を創り出すトウジに惹かれたのだと。
しかし、自分はもう引き返せないところにまで来てしまった。


「引っ越ししたなら、電話くらいくれればよかったのに・・
一人じゃ、色々と大変だったでしょ?」


ついこの間、二人で時を過ごした喫茶店で二人はまたも休憩中。
ヒカリはチョコパフェをボチボチと口に運びながら・・ショウヘイは、アイスコーヒーをチビチビとやっている。
会うのはまだ二回目だが、電話やメールで頻繁に連絡を取り合っていた事もあり、あまりギクシャクした感じはない。


「え、ええ、まあ・・
でも洞木さんとは、そんなに親しいわけでもないし、迷惑かなと思って。
分からないことなんかは、ゲンドウさんに聞きましたし」


あの日以来、久しぶりに会ったショウヘイは少し雰囲気が変わっており、街に溶け込んでいるような感じ。服装も全く
違和感が無くラフな恰好で、あか抜けた印象・・朴訥な田舎者というイメージではなくなっていた。
気になったヒカリが、探りを入れてみたら・・
何と、つい最近、第三新東京市に引っ越したという。ヒカリは全然知らなかったし、電話からもそんな様子は窺えなかった。

引っ越したと言っても彼一人だけで、家族は地元。
ショウヘイは、ヒカリより一つ年上の十六歳。高校受験に失敗し、滑り止めも受けていなかったので、そのまま高校に
は通わなかったそうだ。
受験した高校は地元で一番の進学校で、学年トップクラスの成績だったショウヘイは自信満々で試験に挑んだらしい・・・
が、結果は彼の自信を打ち砕き、家族を始めとする周囲の期待をも裏切った。
地元には他に高校もあり、学校を選ばなければ浪人などという立場にはならなかったのだが、変なプライドが邪魔を
したと彼は言った。
それでも大学は目指すそうで、こっちの予備校に通って大検資格検定を通り、大学を受験するのだそうだ。

この時代、あまり一般的ではない事情だが、第三新東京市に越してきたという事実はヒカリにとって朗報。ろくに会え
ないかと思っていたのに、これなら毎日でも会える。アパートの住所を聞いたら、自宅から結構近いし。


「こうやってデートまでする仲なのに、親しい関係じゃないって言うの?」


「え!?デートなんですか?これ」


「あなたね・・」


ヒカリの顔の筋肉が、ピクピクと痙攣しそうになる。ショウヘイは、自分の立場がまるで分かっていない。
まるで、以前のトウジかシンジみたいだ。


「わたし達、携帯の番号、互いに教え合ったでしょ?」


「友達なら、それくらい・・」


あの日、喫茶店を出て別れる前、二人は確かに電話番号の交換をした。しかも・・


「あれから、毎晩電話してたわよね?わたし・・あと、メールも」


「暇なのかなって、思ってた」


電話料金を考えて時間は短いものだったが、ヒカリはほぼ毎日ショウヘイに電話をかけていた。メールの交換も、当然
の如く毎日。
女の子からここまでされれば普通は気付くと、ヒカリは思う。
更には・・


「この恰好、かなり気合い入ってると思わない?」


ヒカリが現在着ているのは、白くて僅かにフリルの付いたミニのワンピース。ミニだけあって太腿はかなり露出しているし、
胸元も腕も露出度は高い。
足下も、少しヒールの付いた白いファションサンダルできめている。露出した足のツメには、薄赤いペディギュアまで・・
厚化粧までする、同年代の、ませた少女並とまでいかないが、ヒカリにしては思い切った方だ。今日の出会いにかける
ヒカリの意気込みも分かろうというもの。


「とても似合ってるよ。デートみたいだ・・・
って、あれ?」


「や〜っと、気付いたようね」


シンジの顔を崩したようなショウヘイの無骨な顔。親戚だけあって似てはいるが、それ以上ではない。
そんな彼が、ヒカリにはなぜかシンジと重なるのだった。






風呂から出たアスカはバスタオル一枚体に巻き付け、別のタオルで軽く髪の毛を拭きながら、シンジのいるリビングに
入った。
そこでは、先に風呂へ入ったシンジがすでにパジャマ姿でくつろいでいる。座椅子にゆったりと座ってテレビをボーっと
眺める姿にアスカは何年後かの新婚生活を重ね、頬を緩ませる。

保護者たるミサトは、今日も帰らない。電話では仕事とか言っていたが、多分、加持の家だろう。
ここのところ月の半分・・いや、それ以上にミサトは自宅に寄りつかなくなった。加持との結婚が秒読み段階に入った証
左とも言えるし、自分達に気を遣っているのかもしれない。
いずれにしろ、アスカにとっては歓迎すべき事態だ。実質、同棲状態なのだから。


「なに観てんの?」


「最近流行ってるバラエティで・・・」


シンジの後ろから肩越しにひょいと顔を出したアスカにシンジもふり返るが、彼の動きはそこで止まる。
なぜなら・・


「バスタオル落ちてるじゃないか。風邪引くよ」


アスカが腰をかがめた拍子に彼女の体を覆っていたバスタオルが落ちてしまったようで、彼女は全裸。風呂上がりの
体から匂い立つ、石鹸の香りと甘い女の体臭が刺激的でもある。
・・のだが、当の本人は、全く気にしていない。


「なに照れてんのよ。アタシの体なんか、見慣れてるでしょ?」


アスカは自分専用の座椅子を引っ張り、そのままシンジの横に座る。
その際、乾ききっていない髪の毛からシンジに水滴が飛び散って、着たばかりの白いパジャマに染みが幾つか出来た。


「親しき仲にも礼儀ありって諺もあるだろ?せめて下着くらいだね」


「どうせ、すぐ脱ぐんだから、無駄よ。
洗濯物を減らす、一つの知恵ね」


「そんな、身も蓋もない」


「本当のことじゃない。
あー、やだやだ。日本人て、どうしてこう建前に拘るわけ?
ムードだ何だって言ったって、やることは一緒じゃないの。生々しい現実から目を背けちゃいけないわ」


「・・・女の子から、そういう台詞聞くとは思わなかったよ」


シンジもアスカの言う事は分かるが、それは男の意見だと思っていた。
雑誌などでは、女性はムードを大切にし、肉欲が先行する男とは肉体の生理が違うのだという意見が大半。アスカは
アメリカで生まれドイツで育った娘だが、そういった基本的な面は、どこの女の子でも同じだとシンジは考えてアスカ
と接してきたつもり。
故に、彼女が病院から退院して同居が再開されても、馴れ馴れしくするのは避けていた。体の関係まで進んではいた
が、彼女が自分を受け容れてくれたとは限らないし。
あの時は、何もかもが異常な状態にあった。普通の生活に戻れば、自分とアスカの関係も以前の関係に戻ってしまう
のではないかとの恐れがシンジの中にあったのだ。
それをアスカに問い出す勇気もなくて、シンジは悶々としていた。

しかし、それは杞憂に過ぎなかった。
アスカも、自分を求めていた。それを、あの日に確認した。


「男はセックスの話題を軽く口に出来て、女に出来ないってのは偏見よ。
性欲だって、ちゃんとあるんだから」


「わ、分かったからさ」


「あ〜!アタシが特別だって目をしてるわ、アンタ!
冗談じゃないわ、ヒカリだって・・・
そうだ!


「どうしたんだよ、いきなり」


話の途中で、アスカが突然何かを思い出したように固まる。
全裸の上、首にタオルを掛けてリビングの座椅子に座るその姿は、どこか変。


「ヒカリって言えば、ヒカリの新しい彼、とんでもないヤツよ!」


友人のトウジとヒカリが最近別れたという話は、シンジも聞いていた。何の問題もなかったように見えた二人が別れる
とは意外だったが、何も語ろうとしないトウジに理由を聞くのも憚れ、シンジはただ、現実を受け容れるだけであった。
ヒカリから事情を聞いているであろうアスカも多くは語らず、ヒカリに新しい思い人が出来たらしいという話だけは、聞
いている。
相手については、初めて聞く話。シンジも想像するしかない。
で、とりあえず頭に浮かんだのが・・


「とんでないって言うと・・・ヤンキーとか?」


「そんな、普通の話じゃないわよ!」


「じゃあ、学校の先生とか」


「Hな漫画の読み過ぎ!」


「何で、そんなのアスカが知ってんだよ・・
それなら、加持さん?」


「アタシと同じこと言わないで」


「まさか!父さんじゃ!」


「惜しい!」


「・・・え?」


父のゲンドウが”惜しい”と言われ、シンジの頭に浮かんだのは、副司令の冬月。
冬月とヒカリが談笑しながら並んで歩く様を一瞬想像したシンジは、そのあまりにアンバランスでシュールな光景に、
気を失いそうになる。

更にこの後、ヒカリの新しい彼が、この前訪ねてきた親戚のショウヘイだと聞かされたシンジは、訳の分からない人間
関係の広がりに頭を抱えるのであった。




つづく


でらさんから『本物は誰?』第四話をいただきました。

第三のシンジ登場ですね。

いい世界のシンジは本編には適応力が無いのかもしれません。
大変な思いをしていたようですな。

続きも楽しみになる展開ですね。

シンジ増殖でますます飛ばしているでらさんに、続きをお願いする感想メールを出しましょう〜。