本物は誰? 第三話

作者:でらさん














抽象的な意味ではなく、現実として血の海と化したジオフロント。
威容を誇ったネルフ本部も瓦礫の山となり、もはや動く物とてない。

血の海を創出した主たる原因は、今や単なる肉塊となった量産型エヴァンゲリオン九機・・・そして、嘗て初号機と
共に戦っていた零号機と弐号機も、原形をとどめないほどに破壊されている。
計十一のエヴァを破壊し、ネルフ本部をも破壊し尽くしたのは、血の海に膝を突いて座る初号機。

計画的に心を圧迫され続けた初号機パイロット碇シンジは、最後の使者を待つこともなく、その精神を破綻させた。
ネルフにとって・・いや、この世界にとって不運だったのは、彼がその時、初号機内においてシンクロ試験の最中で
あった事だ。


『サードの心理グラフに異常を確認、シンクロをカット。動力も全て・・・初号機が、こちらの制御を受け付けません!
暴走です!』


『精神安定剤はいつもより多いのに・・・何故なの!』


『S2機関が解放されます!
赤木博士、ここから退』


狂気に足を踏み入れたシンジがまずしたことは、ネルフ本部の破壊。
覚醒し、S2機関を解放した初号機は、ATフィールドの爆発的な膨張で本部を内部から崩壊させた。
職員達は、司令のゲンドウも含めてほぼ全滅。同じくシンクロ試験の最中であった零号機と弐号機だけが、パイロット
共々、やっと脱出に成功したくらいだ。

そんな中、奇跡的に生き残ったある職員が何とか動く非常用回線を使ってゼーレに救援を要請。
ゼーレは狂ったシナリオを正常に戻すため、完成したばかりの量産型エヴァンゲリオン九機全てをジオフロントに派遣。
ATフィールドを無効化するロンギヌスの槍をも装備する圧倒的な戦力の投入で、事態は簡単に収拾出来るはずであった。
しかし・・・


『ギィエェェェェェェェ!』


は虫類を思わせる頭部を持つ量産型は、断末魔の悲鳴と共に次々と虐殺されていく。S2機関を搭載し、自己再生能力を
持つが故に装甲も無い量産型は、再生など不可能なほどに体を引き裂かれる。ロンギヌスの槍など、神に匹敵する力を持
って覚醒した初号機の前では、単なる棒きれに過ぎなかった。
初号機は吹き出る血に歓喜するかのように、恐怖で逃げ回る獲物を捕らえては解体していく。

そしてジオフロントが量産型の血と肉で満たされたその時、残ったのは零号機と弐号機。
それぞれに搭乗するレイとアスカは、ネルフからシンジにあてがわれた女達。シンジの心を崩壊一歩手前で維持するた
めの安全装置の一つ。
洗脳された彼女達は、疑うこともなく、下された使命に殉じてシンジの女になっていると周囲からは思われていた。
しかし彼女達はとっくに洗脳から解放されていて、シンジを心から愛していたのだ。


『レイ、アタシ達でアイツを止められると思う?』


『無理でもやるしかないわ。
碇君の心の奥底の理性に、わたし達が少しでも残っていたら・・
その可能性に賭けるしかないわね』


『アイツが正気に戻っても、アイツは大量虐殺の罪で死刑よ。数千人のネルフ本部職員を殺したんだから。
それでもいいの?』


『エヴァ三機あれば、世界征服も可能よ。
どんなことをしても、碇君を死刑になんかさせない』


『あははははは!世界征服か、それもいいわね。アンタにしては上出来の答えだわ。
・・・行くわよ!』


可能性に賭けた彼女達の願いは狂ったシンジに砕かれ、零号機は瞬時に沈黙。そして弐号機も目を潰され、右手を破壊
され、頭の半分も失い、虫の息。
今までにない高シンクロで弐号機と一体化していたアスカは、もうこれまでとエントリープラグをイージェクトして最期の時
を待った。
高シンクロの悪影響で弐号機と感覚を共有していたアスカの右手はダランとして動かないし、目も見えない。おまけに頭
部を破壊された影響で意識も遠くなってくる。もう、何も出来ることはない。死ぬ前に、外の空気が吸いたかった。


『アスカ!何で、こんな事に・・』


覚悟を決めたアスカの耳に飛び込んできたのは、正気に戻ったシンジの声。そして、懐かしい温もりと匂い。
彼も、初号機を降りてここに来てくれたようだ。


『僕が・・僕がやったのか』


『ふふ、良かったじゃない・・アンタを苦しめた連中は、みんな死んだわ。
アンタの父親も、ミサトも、リツコも』


『アスカ・・・僕は』


『ねえ、シンジ。
アタシ達、何で、こんな世界に生まれたんだろうね』


『喋っちゃダメだ!すぐ病院に連れて行くから!』


『いいのよ、もう。アタシは、もうダメ・・・それくらい分かるわ。
それより聞いて』


涙の止まらないシンジは、ただ頷く事しかできない。


『こんな救いのない世界より、もっと幸せな世界に生まれたかったね。
アンタとアタシは幼馴染みでさ、レイがアンタの親戚かなんかで・・
アタシにはちゃんとした両親が・・いて、ア・ンタの父・・・親・・も』


『アスカ!!』


突然事切れたアスカを抱きしめるシンジは、ただひたすら泣き続ける。体中の水分を流しし尽くすかのように。
こんな悲劇的な結末を自分が導いてしまった。
苦しみしか与えてくれない大人達に負けず、何があってもレイを含めた三人で生き抜こうと誓ったのに・・
事も在ろうに、自分が二人を殺してしまった。


『僕が、殺した・・
いやだ・・いやだよ、こんなのいやだ』


そして、シンジの中で、最後の一線が音を立てて崩壊した。


『あああああああああああ!!』





「あああああああああああ!!」


ベッドから跳ね起きたショウヘイは、枕元の時計で時間を確認・・午前四時を少し廻ったところ。
まだ早いが、寝汗も酷いし、寝直すのも性に合わないので起きることにする。とりあえず、風呂に入りたい。
ショウヘイは風呂場に向かうと、壁に取り付けられた風呂のコントロールパネルを操作して、湯船に湯を満たす。溜まるまで時
間があるのでショウヘイは台所に入り、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、それを持ったままダイニングの椅子に座った。


「アレを思い出すなんて、最悪だ」


全てが終わり、全てが始まったあの時。
アスカの死が引き金となって、シンジの心は決定的に崩壊。シンジと完全シンクロしていた初号機は内蔵するエネルギーの
全てを放出。ジオフロントは凶暴な爆発の光に包まれた。
それは破壊されたネルフ本部の最深層部に封印されていたリリスとアダムをも刺激、誘発し、爆発は日本列島はおろか地球
そのものをも呑み込んで、この世界での地球は宇宙から消え去った。

シンジは、爆発の衝撃・・或いは初号機内に存在していた母ユイの力添えなのか、気が付けば、自分はまた中学の制服姿で
第三新東京市の、とある公園にいた。
夢でも見ているのかと思いつつ少し街をぶらついてみると、街は全くの無傷で、自分の知る街とは、どこか雰囲気も違う。
少し冷静になろうと、とりあえず公園に戻り体を休めていたシンジは、決定的な光景を目の当たりにする。


『ちょ、ちょっと、シンジ!こんなとこに引っ張り込んで、何するつもりよ』


『キスだけだよ』


『ホントに?』


『ホントだって』


人気のない公園の片隅でじゃれ合うのは、死んだはずのアスカと、自分そっくりな・・いや、それは自分だった。
紛れもない自分が、アスカと仲睦まじくじゃれ合っている。
異常な現実を目撃したシンジは、咄嗟に身を隠してその場から立ち去った。

今自分のいる世界が、自分の生まれ育った世界とは違うのだと理解したのは、数日経ってからのこと。
情報を得るために接触したこの世界の大人達は誰も優しくて、使徒戦も問題なく順調に終えていた。しかもここのシンジは、ア
スカと普通に結ばれた恋人同士で、レイを始めとするみんなが幸せに暮らしている。

自分達が幸せに暮らす世界が存在した・・・

シンジは誰もいない夜の公園で、これで思い残すこともなく死ねると、道で拾った安全カミソリを手首に当てた。
これで楽になれる。レイとアスカの元へ行けると、カミソリに力を込めたとき・・


『そこまでだ。
死ぬなら、君の正体を明かしてからにしてもらおう。
シンジ君そっくりの顔を持つ君は、どこの誰だ?』


シンジは、高圧的な台詞と共に頭に銃を突きつけられた。ネルフ周辺をうろつくサードチルドレンそっくりな不審人物として、自
分はマークされていたらしい。
それはそれで当然だし、シンジにはすでに生きる気力もなかった。


『殺すなら殺して下さい。僕にはもう、生きる理由がない』


『おいおい、子供らしくない台詞だな。
保安部が怪しい奴を見つけたんで連行するって言うから、どんな奴かと思って来てみれば・・』


『何です?加持さん』


『・・・何で、俺の名を知ってる?』


それは、加持リョウジ。
前の世界では女に目が無く、アスカやレイをも狙っていた最低の男。
しかしここでは、かなりまともな人間のようだった。腹を空かせたシンジに飯を食わせてくれ、保安部にも内緒で自分の部屋に
匿ってもくれた。
違う世界から来たというシンジの言葉にも真面目に耳を貸し、死を望むシンジを叱咤して、生きる気力を注ぎ込んでくれたのだ。
その男に出会わなかったら、自分は、ショウヘイとしてここにいないだろう。


「ここも、居心地は良いな」


すでに幾つ目か忘れたこの世界も、初めて移行したあの世界に似ている。
ほとんどの人々は優しいし、まともだ。この世界の自分も、まともと言えるだろう。状況が許せば、暫く腰を落ち着けてもいい。
ヒカリに接近したのも、腰を落ち着けるための布石。家庭的な彼女となら、巧くやっていけると思う。

アスカもそうだが、レイに接近するのは色々な意味で危険。もしここにも敵が現れたら、アスカとレイは真っ先にマークされる。
それに、辛い思い出のある彼女達の顔を近くから見続けるのは苦痛だ。彼女達は、遠くから見ているだけでいい。


「奴は来るかな・・
来るな。奴は、僕を許しはしない」


ショウヘイの言う”奴”とは、初めて移行した世界のシンジ。ショウヘイは激情に逆らえず、その世界のゲンドウを殺した。
ゲンドウに落ち度があったわけでも、ショウヘイに何かしようとしたわけでもない。そこのゲンドウは優しく、父としての慈愛に満
ち、ショウヘイにすら愛情を注ごうとした。
しかしショウヘイはそれを信じられず、ひょんなきっかけから、ゲンドウを殺してしまったのだ。
それを知ったそこのシンジは激昂してショウヘイを追いつめるが、ショウヘイは初めて身に付けた特殊能力(次元移動)を使い、
別の世界に移る事で切り抜けた。

ところが、次元移動に巻き込まれたもう一人のシンジも共に転移。彼も又、ショウヘイと同じ能力を身に付けたのである。
以来、復讐鬼と化した別のシンジにショウヘイは追われている。
基本的に同じ人間というのが状況を悪くしていて、実力行使に訴えても全然決着が着かない。
どちらかが諦めるまで、次元を股にかけた鬼ごっこは続くだろう。


「でも、僕は死なない。いや死ねない。
アスカ・・君の理想郷を見つけるまで、僕は死なないよ」


アスカが最期に語った平穏な世界。
エヴァもネルフも無い世界で幸せに暮らす自分達。そんな世界を、一目見るだけでいい。
生きる気力を取り戻したのは、アスカの望んだ世界を探すという目的を見出したから。
その世界を見つけたら・・・


「後は、どうとでもするがいいさ・・・碇シンジ」







第壱中学 昼休み A棟校舎屋上・・


このところヒカリの様子がおかしい。
屋上に張られた背の高いネットフェンス越しにヒカリと共に校庭を見下ろすアスカは、隣のヒカリに視線をやり彼女の様子を窺う。

アスカは、トウジに弁当を持ってこなくなったヒカリに今日こそは理由を聞こうと、二人きりになる機会を作った。
自分の考えすぎで、単なる痴話喧嘩の最中なら、それでいい。
でも最近は、トウジと共に歩く彼女の姿を見たことがない。喧嘩にしても、何か変だ。


「折り入って話って、何なの?アスカ」


「最近、鈴原にお弁当作ってあげてないそうだけど・・
派手な喧嘩でもしたの?そうだとしたら、早く仲直りしてくれない?
シンジがパンの買い出しに付き合わされて、一緒にお弁当食べられないのよね」


「ああ、そういう事か」


ヒカリは、納得したというようにアスカを一瞥すると、すぐに校庭へ視線を戻した。そこに変な気負いも怒りも感じない。
ヒカリは、至って平静を保っている。


「まだはっきりと話し合ったわけじゃないんだけど、トウジと別れようと思ってるの、わたし」


「どうしたのよ、いきなり」


ヒカリがトウジと別れるなど、アスカには思いもよらない。
どちらかと言えば、ヒカリの方が積極的だったように思えたし。


「前から、心に引っかかってはいたんだ。わたしは本当にトウジが好きなのかって、考えることが多かったわ。
それでもトウジの傍にいることで、彼を好きなんだって、自分を言い聞かせてた。
でも、何か違うのよね。トウジも、それは感じてるみたい。だから、わたしに手を出してこないのよ」


「そんな事ないわ。
ヒカリは大切にされてるだけよ。あのバカは、妙に真面目なとこあるから」


「わたしもそう考えた事はあるんだけど、それは違うわ。
アスカが羨ましい」


「え?」


「好きな人と一緒に暮らしてて、しかも彼は、心身共に満足させてくれるでしょ?」


アスカも、ヒカリの言わんとすることは分かる。この歳で恋人と住居を共にするなど、普通では考えられない。
でも自分達には、それなりの事情があった。とても一言では言えない事情が。


「アタシ達の場合は、色々とあったから・・」


「事情は何となく分かるわ。それでもわたしは、アスカが羨ましいの。
それにさ、トウジが下級生の女の子から告白されてるとこ、わたし見ちゃったんだ」


「はあ?」


「トウジははっきりと断ってたけど、わたしと別れれば、その子は喜ぶでしょうね。
悔しいけど、わたしより可愛かったし、その娘」


少し前の話だが・・
トウジと待ち合わせしていた時間に何分か遅れたヒカリは、校内の待ち合わせ場所でトウジが可愛らしい下級生の女の子から
想いを告げられている場面を目撃していた。
トウジは、そのさっぱりした性格からか、下級生にかなりの人気がある。ヒカリもそれは承知していたし、自分の彼がもてるとい
うのは、どことなく誇らしい気もしていた。
でもその女の子は、自分より可愛いとはっきり言えるほどの美形。トウジも男だ。そんな可愛い女の子に迫られれば、気も移る
だろう。
ヒカリには、その女の子とトウジを取り合う気力も勝つ自信もない。ショウヘイと出会う前だったら、どんな努力も厭わずにトウジ
を自分に繋ぎ止めようとしただろうが・・
ショウヘイとの出会いが、ヒカリの考えを決定的に変えていた。何だかんだ理由は付けたが、ほとんどの理由は、ショウヘイへ
の想いだ。


「で、まだ理由はあるのよ」


「まさか、他に好きな人が現れたって言うの?」


「大当たり」


「ひょっとして、アタシの知ってる男?」


「ごく身近な人よ」


ヒカリの言うごく身近な人と言ってアスカが思いつく人物は限られている・・・が、とてもその人物とヒカリの結びつきがアスカに
は連想できない。
少なくとも、トウジの方がマシと思える。


「・・・ヒカリ、人の好みにはケチ付けないつもりだけど、ソイツだけはやめた方がいいわ。
ヒカリなら、もっといい男掴めるわよ」


「別にいいじゃない。
そりゃ、碇君みたいに格好良くないけど、とっても良い人なのよ」


「それでも、相田だけは止めた方がいいって。
基本的には善人だし、気も廻る奴だけど、ヒカリには合わないと思うのよね」


「・・・相田?」


ヒカリには、アスカの言葉が理解できない。
何で自分が相田に想いを寄せなければならないのか。
確かに友人として付き合うには良い人間だが、異性として意識する相手ではない。


「そうよ、相田でしょ?」


「相田は、良い友達よ。でもそれ以上じゃないわ」


「じゃあ・・・日向さんか青葉さん?」


「誰?その人達」


「まさか!加持さんとか!」


「おじさん趣味は無いんだけど、わたし」


「大穴で、冬月副司令!」


「全然、知らないわよ!そんな人!
大体、何よそれ!競馬の予想じゃないのよ!」



アスカの無意識なボケはともかく、ヒカリはもう、トウジへの想いを失っていた。
今のヒカリの頭にあるのは、ショウヘイとの再会、それのみである。




つづく


でらさんから、『本物は誰?』第三話をいただきました。

暗い暗い過去があったのですね。弾罪系のエヴァ小説ではよくある設定ですが‥‥。

第3のシンジとの確執、ヒカリとの関係など、今後の展開が気になるところです。

すてきなお話を書いてくださったでらさんに感想メールをお願いします。

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