本物は誰? 第二話

作者:でらさん












洞木ヒカリが、シンジと共に教室に入って来たアスカを目にしたとき、彼女に何かがあったと直感した。
説明しろと言われても巧く言えないけども、アスカは昨日までの彼女とは明らかに違う。
吹っ切れたというか、落ち着いたというか・・
ともかく自然なのだ。

シンジと何かあったのかと彼にも目を移して見るが、彼の方は至って普通に見える。
でも、やっぱりシンジ関係としか思えない。
他の人間はともかく、ヒカリは二人の関係が友人などという間柄ではないと考えていた。あの戦いの最中
から、アスカが最も気にしていた人間はシンジだ。彼女がシンジ以外の男を選択するなど、考えられない。
それ故にヒカリは・・・


「おはよ、ヒカリ。
どうしたの?人の顔、じっと見て」


「べ、別に何でもないのよ。
最近、ちょっと疲れ気味でさ」


いつの間にか、アスカの顔に視線が集中していたようだ。ヒカリは、咄嗟にどうでもいい話題で切り抜ける。
最近、疲れているのは事実だし。
その疲れのせいか、朝風呂にでも入ったのだろうアスカから香るボディシャンプーの匂いが、鼻に少々き
つく感じる。


「ただでさえヒカリは忙しいのに、鈴原のリハビリに付き合ったりするからよ。
タマには突き放すのもいいんじゃない?」


「突き放すなんて、そんな事・・」


現在ヒカリが付き合っている同級生の鈴原トウジは、一年ほど前、戦闘中に負った怪我のリハビリ中。
左足を付け根付近から切断するという大怪我であったのだが、ネルフの持つバイオテクノロジーは、足そ
のものを再生するという夢のような治療を可能にした。
とはいえ運動機能までが完全に回復したわけではないので、トウジはネルフ医療部に通ってリハビリに
励んでいるのだ。
トウジ自身の意欲もあって最近は大分回復し、松葉杖無しでも歩けるようにまでなった。走るのはまだ無
理だが、この調子なら、後少しでそれも可能になるだろう。


「今はお弁当どころか、鈴原の家で晩ご飯とかも作ってあげてるんでしょ?」


「ご飯は、毎日じゃないわよ。
週末とか、リハビリが早く終わった時とか・・」


「自分の家の事もあるんだから、そこまですることないのに。
鈴原も、ろくに礼も言わないとか聞いたわよ。硬派がどうのこうのって、ほざいてるらしいじゃない」


「そんな事ないわ。家に来て、お父さんにもちゃんと挨拶してるのよ。
トウジは自分からそういうこと言わないから、みんな知らないだけよ」


「へ〜、あの鈴原がね・・」


アスカが感心するのを見たヒカリは、少し意地悪がしたくなった。
付き合っている男を揶揄されれば、面白かろう筈がない。


「そういうアスカは、碇君と進展でもあったの?
随分と機嫌良いみたいだけど」


「ふふ・・分かる?」


アスカの困った顔を期待していたヒカリにすれば、彼女の余裕はちょっと意外。
でも親友の幸せは、嬉しくもある。ヒカリは、思考を、からかいモードからシリアスモードに切り替えた。


「やっぱりね・・
キスくらいした?」


「ここじゃノーコメント。
後で教えてあげる」


意味ありげに微笑んだ彼女の反応から考えて、キスどころの話ではないとヒカリは察した。生々しい現実に、
ヒカリは自分の心臓が高鳴るのを自覚する。

トウジとは、まだ何もない。手すら握ってこないのでは、キスなど論外。ましてや体の関係など、自分には夢
の世界だ。
リハビリで肩を貸したりして体の接触はあるのに、それ以上に発展しないのは、自分に女としての魅力がな
いのかとヒカリは考えてしまう。
彼のいる知り合いは、ほぼみんなキスくらい経験済みで、それ以上に進んでいるのも何人かいる。彼氏と同
居しているアスカは例外としても、自分だけ取り残された気分だ。


「何だよ、ケンスケ。トイレくらい、一人で行けばいいだろ?」


と、シンジがケンスケに引っ張られるようにしてヒカリの前を通り過ぎる。
彼から匂い立つアスカと同じボディシャンプーの匂いが、ヒカリにあらためて現実を教えてくれた。一緒に風呂
に入ったとは限らないのだが、ヒカリは、そう確信している。


「連れションは友情の証なんだぜ。付き合えよ」


「誰が言ったんだよ、そんなこと・・」


ヒカリの複雑な心中を知るよしもない二人は、そのまま教室から出て行く。
二人を見送ったアスカは、溜息一つ付いて、ボソッと呟いた。


「ったく、男の会話って下品ね」


「そ、そうね」


言葉とは裏腹に、シンジを見送るアスカの目は、官能に潤んでいる。
あれは、雄を求める雌の目だ。

ヒカリは、自分もあのような目をするときが来るのだろうかと、人知れず体を奮わせた。





ネルフ本部 司令室・・


「私なら、とりあえず連行して調べるがな。
敵対組織が送り込んできたのかも、もしくは精神的に不安定な人間がシンジ君のふりをしているのかもしれん。
今の整形技術を持ってすれば他人の顔をコピーするなど容易いし、彼がいたという別世界の話も信じがたい。
第一、平行宇宙など眉唾物だよ。信じる方がどうかしとる。
目の前で顔を変えて見せただと?そんなものは、少々マジックを囓った人間なら、いくらでも実演して見せるだ
ろうよ」


冬月は一気に捲し立てると、いつもの茶ではなく、湯飲みに水差しから水を注いで飲み干した。顔にも苦渋の
色が濃い。

もう一人のシンジについてゲンドウから説明を受けた冬月は、そのあまりに非現実的な話に頭を抱え、ろくに疑
いもせず部屋まで用意したゲンドウに呆れた。
ネルフには敵が多い。どんな手を使って揺さぶりをかけてくるかも分からない。
今回の件は、息子に弱いゲンドウのウィークポイントを突いた敵対組織が仕組んだと考えるのが一番妥当だ。
少なくとも、冬月はそう見る。平行宇宙の実在など、信じる気は毛頭無い。


「何が言いたい、冬月」


「お前は甘いということだ。
今からでも遅くはない。その少年を即刻連行して背後関係を」


「やろうとしたのだがな」


「何だと?」


「少年が寝ている間に睡眠ガスで体の自由を奪い、所持品から体組織まで全て調べようとした。
しかし・・・」


「どうしたのだ?」


「少年にガスは効かなかった。
知らずに彼を医療部へ運ぼうとした保安部の職員四人が、病院送りになったよ」


ゲンドウも特務機関の長である。ただ少年の言いなりになっていたわけではない。
少年を信用したと見せかけ、油断を誘って仕掛けたのだ。
しかし、皮膚からすら体内に浸透する最新の催眠ガスが少年には効かず、細菌戦装備に身を固めた保安部の
人間四人は、瞬く間に叩きのめされてしまった。
いかに重装備だったとはいえ、相手は少年である。各種格闘技を習得し、日々訓練も怠らない屈強の男達四人
が十五歳の少年に歯が立たなかったのは異常と言っていい。
催眠ガスの件と考え併せても、少年が普通の人間でない事は確かだ。


「しかし、成果はあった」


「正体が判明したのか?」


「いや、少年が危険人物と分かったよ。
催眠ガスは効かず、屈強の男四人を瞬時に叩きのめす化け物だ。外見はアテにならん。迂闊に手は出せん」


「せめて、目的くらい分からんのか。
得体の知れない人間をネルフ内に置くなど、危険すぎる」


「普通に生活出来れば、それでいいそうだ。
それさえ邪魔しなければ何もしないと、薄笑いを浮かべながら奴は言ったよ。
今回の件も、丁度良い運動になったとか嘯いてたな」


「結局、その少年を信用するのか、お前は」


「現在、諜報部に背後関係を調べさせている。調査結果が出るまで、暫く様子を見る事にするよ。
監視は当然付けるが、それ以上の事は、今のところ控えた方がいいだろう。
いざともなれば、狙撃という手もある」


ゲンドウがまともに事態を把握している事実に冬月は安心し、また、正体不明の少年に不気味さを感じた。
ひょっとしたら、本当に平行宇宙から次元を超えて来たのかもしれないとも一瞬考える。
・・が、それは冬月の学者としての矜持が否定する。


(何らかの方法で体をサイボーグ化し、洗脳まで施したと考えられるな。ゼーレなら、やりそうな事だ。
問題は、ここに送り込んできた目的だが・・・ただの嫌がらせでもあるまいに)








一人きりで家への道を歩くヒカリは、一人歩きがこんなに味気ない物だと、あらためて知った。
今日はなぜかトウジのリハビリに付き合う気にはなれなかったヒカリは、家の用事があるとトウジに言って、一人
で家路に着いている。
その結果、今の状況がある。

授業中に自分の端末へ送られてきたアスカからのメールは、ヒカリにとって予想の内であったにしても、ショック
には違いなかった。
アスカは、既にシンジとそういった関係にある。
それ自体には驚かない・・と言うより、二人の置かれた状況を考えれば、自然の成り行きかとも思う。
ただ・・
手すら握ろうとしない自分の彼氏トウジと、アスカを抱いたシンジの違いにショックを受けたのだ。
自分が大切にされていると考える事も出来るが、女としての魅力がないと考えることも可能なのだから。


「あの、すみません」


そんな、とりとめのない思考に沈みながら歩いていたヒカリは、突然後ろから声をかけられた。反射的に振り向く
と、そこには、どことなくシンジに似た自分と同い年くらいか少し上くらいの少年が自分の顔を窺うように佇んでいる。
服はきちんとしているが、糊の利いたスラックスやネクタイまで付けたワイシャツが、とってつけたような印象・・
歳のせいもあり、いかにも着慣れていないといった感じ。
一言で言うと、田舎から出てきたお上りさん。浅黒く焼けた肌と肩から提げた大きなバッグが、その推測に説得力を
与えている。


「はい?わたしに何か?」


「ここに行きたいんですけど、自分が今、どこにいるのかすら分からなくて・・
家から持ってきた地図と全然合わないんです」


声までシンジに似たその少年は、ノートの切れ端に書かれた住所をヒカリに見せた。
ヒカリは、やれやれと言った感じでその紙切れを彼の手からとり、住所を確認する。


「第三新東京市はほとんど造り替えられてるから、前の地図なんてアテにならないの。最新の地図だって、怪しい
ものよ。
で、住所はと・・・」


彼の様子から絶対ナンパなどではないと安心したヒカリは、書かれた住所に目をやり、自分の知る場所かどうか
確認。
自分の知る住所だったら、この田舎者の少年を自ら案内してもいいし、とても知らないような場所であったなら、
分かるところまで案内しようと思う。
普通なら交番でも教えて済ませるところだが、この少年は、なぜか放っておけない。シンジに似ていると言っても
美形の範疇に入るシンジとは比べようもなく、並・・もしくはそれ以下かもしれない。トウジの方が整っているくらいだ。
それでも、この少年には安心できる雰囲気がある。初対面というのに、不思議なものだ。

・・と、住所を見たヒカリは、それがアスカ達の住むミサトのマンションの物であると分かった。
部屋の号数も、アスカ達の部屋だ。


「コンフォート30って・・
それも部屋まで」


「どうしたんですか?何か、この住所におかしいところでも?」


「いえ、これ、わたしの友人の家なんです。
あなた、葛城さんか碇君のご親戚か何か?」


少年の風体からしてアスカの縁者ではないとヒカリは判断し、ミサトかシンジの親戚かもしれないと考えたのだ。
しかし、そのような話は聞いたことがない。シンジは三鷹に親戚がいて、暫くそこに預けられていたそうだが、
そこに同年代の子供がいたとは聞いていない。


「僕は、碇シンジという人と、母方の遠縁にあたるんですよ。
これまで親戚付き合いがなかったから、僕もシンジ君とは今日初めて会うんです。
本当はゲンドウさんだけを訪ねて帰る予定だったんですけど、ゲンドウさんがシンジ君にも会っていけって。
今日は特に用事もないから、家にいるはずだからって言われたんです」


「碇君の親戚か・・
三鷹のご親戚とは違うんですか?」


「ああ、あれは彼のお父さん、ゲンドウさんの方の親戚です。
なんか昔はゴタゴタしてて、うちの方と巧くいってなかったみたいなんですよ。最近は仲直りしたみたいですけど。
でも僕を言付けに寄こすくらいだから、まだわだかまりはあるのかもしれません。
子供の僕には、よく分からない事情です」


「ふ〜ん・・
複雑なのね、碇君の家も」


ろくに親戚もいない自分の家は、煩わしい付き合いが無くてよかったとヒカリは思う。
身内に複雑な事情を抱えた彼と将来結婚するであろうアスカに、同情してしまう。


「あの、道の方は」


考え込むヒカリに、少年がおずおずと言った感じで話しかけてくる。
そういえば、肝腎な用件を忘れていた。


「そっか、そっか、道案内だったわよね。
・・・どうせ暇だし、わたしが案内してあげるわ」


「そんな、悪いですよ。道だけ教えてもらえれば、いいです」


「いいの、いいの。
さ、付いて来て」


「は、はい」


ヒカリの後を付いていく、一見朴訥な少年。
その少年を、数人の人間が入れ替わり立ち替わり、常にマークしている。
そして定期的な報告が上に上げられているのだ。この情報に接する事が出来るのは、保安部長かそれ以上
の立場に在る者だけ。
つまり、ゲンドウと冬月を合わせた三人だけという事になる。


司令室・・


「偶然を装い、シンジ君のクラスメートに接触・・・か。
元パイロットの少年と親しい少女とのことだが・・やつの目的は女か?」


冬月は保安部からの報告を読むと、椅子に座るゲンドウの表情を窺う。
何か言いたげな冬月に、ゲンドウが反応した。


「言いたい事は、はっきり言ったらどうだ、冬月」


「やはりお前の息子かと、信じたくなったよ。
女好きは、血のなせる業だな」


「な、何を証拠にそんな事を」


「言って欲しいなら、全てぶちまけてやる。いいのか?」


「・・・・・」


色々と脛に傷を持つ、ゲンドウであった。







少年を引き連れてアスカ達の住むマンション前まで来たヒカリは、ふり返って少年と向き合うと、自分より少
しだけ高い彼の顔を見上げた。
田舎者丸出しの彼は、ヒカリの母性本能を刺激するようだ。


「さっ、着いたわ。ここよ。後は、分かるでしょ?
でも、ここはちゃんとした身分証明が無いと入れないわよ。チェック厳しいんだから・・大丈夫?」


「ゲンドウさんから貰ったカードがありますから、多分、それで大丈夫だと思います。
本当に、ありがとうございました」


「そう、それならいいわ。
じゃ、わたしはこれで」


「あの!」


ヒカリが僅かな躊躇いの後に背を向けようとしたとき、少年が声をかけてきた。あまりに慌てていたのか緊張
のためか知らないが、裏返った声がおかしい。


「なに?」


「シンジ君に挨拶するだけで、すぐ帰ってきますから・・その、その後にお茶でも」


「あら、わたしをナンパしようって言うの?
意外に手が早いのね」


「ち、違います!道を案内してくれたお礼としてですね」


必死で抗弁する彼に、ヒカリの頬は思わず緩む。
ヒカリとしても、彼がそんなつもりでないことは充分承知の上。彼をからかっただけだ。


「いいわよ、お茶くらい。
でも、問題が一つあるのよね」


「問題・・ですか?」


「そう、重大な問題。
わたし、まだあなたの名前も知らないんだけど」


「あ!」


碇ショウヘイと名乗った少年に惹かれる自分にヒカリは戸惑い、トウジへの不義理を恥ずかしく思う。
・・・が、ショウヘイという人間をもっと知りたい。
ヒカリは、その気持ちを誤魔化す事が出来なかった。






「アンタにあんな親戚がいたなんて初耳よ。
何で、今まで黙ってたの?」


ショウヘイが僅かばかりの挨拶だけで帰った後、アスカはリビングでシンジに詰め寄った。
知らない人間から、いきなり親戚ですと言われても戸惑うだけ。事前に情報が欲しかった。
シンジとは、これから長い付き合いになる。親戚付き合いも考えなくてはならない。
それに、自分に隠し事はしてもらいたくない。

昨晩、久しぶりに体を合わせてから、アスカはシンジとの関係を急速に濃密な物へと変えつつあった。
今までのような、付かず離れずの中途半端はしないと決めたのだ。


「僕だって初耳だよ。
母さんの方の親戚とは、全然付き合い無かったしさ」


「なら、いいけど。
でも日本て、親戚同士の付き合いがウェットなんでしょ?
仲直りしたって言うなら、これから大変よね。アタシも、覚悟決めなくちゃ」


「何で、アスカが覚悟決めるんだよ」


「アンタと結婚すれば、アタシの親戚にもなるじゃない」


「・・・結婚?何年後の話だよ、それ」


「アンタが十八になれば可能だから、後三年もないわよ。近い将来だわ。
身近な現実ってやつね」


「結婚か・・」


遠い将来の夢だった結婚。
それが現実として目の前にあると分かったシンジは、自分がそんな責任が負えるのか、自信がない。
でもアスカが言うのなら、結婚は既定路線にあると考えた方がいい。覚悟を決めなくてはいけないのは、アス
カではなく自分だ。


「先の話はともかく、晩ご飯の用意しようか?」


(むう、誤魔化したわね・・まあ、今日のところは勘弁してあげるか)
「ミサト、今日も帰ってこないんでしょ?二人分でいいわよね」


互いをパートナーと認め、平穏な生活を続けるアスカとシンジ。
二人の安定した関係とは裏腹に、周りの人間関係は、徐々に変化しつつあった。




第三新東京市内 とある喫茶店・・


「僕の我が儘に付き合わせてしまって申し訳ありませんでした、洞木さん。
でも第三新東京市で、いい思い出が出来ましたよ。もう会うこともないでしょうけど、僕は」


「もう、会えないの?」


「・・・え?」


「また、会わない?」


自分の中からトウジの存在が急速に薄くなってゆく・・
ヒカリは、その事実を冷静に受け止めていた。




つづく

でらさんから「本物は誰?」の第二話をいただきました。

ぱられるシンジはヒカリに近付いていってますね‥‥これも運命なのでしょうか。

今後の展開も気になるところです。果して何が飛び出すやら(笑)

素敵なお話をくださったでらさんにぜひ感想メールをおねがいします。

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