おとぎの帝国 中編 フック
    作者:でらさん














    男は、自分が誇りだった。
    海賊の中の海賊、世界の海を制覇した、二人といない男。
    誰もが自分の名を聞いただけで震え上がり、自分の船を見ただけで遁走する。
    部下も英傑揃いで、誰からも、いかような組織からも制約を受けない男は、実質的に世界の頂点に在った。
    が、全ては、ある少年の登場と共に暗転していく。


    『右手はもらったぞ、フック!
    こんなものは、ワニにくわせてやる!はははははははは!』


    右手の手首から先を失った激痛と、年端もいかない少年から受けた屈辱が、全ての始まり。
    多くの友と信頼する部下達が次々と死んでいく戦いの中、いつしか男は、世界そのものへ疑問を持つに至った。


    『一切は、喜劇だ』










    メカニカルな外装からは想像もつかない雅な内装。中世ヨーロッパの王宮とまではいかないものの、それに近
    い煌びやかな造りに、レイチェルに案内されたアスカは素直に感心した。
    感心はしたが、まだ夢か現か判断はできかねる。ネヴァーランドとは、あくまで想像の産物。ましてや、妖精や
    永遠の少年など存在するはずがない。


    「うん、よく似合ってる。
    まるで、お姫様みたいよ」


    レイチェルは、謁見用の正装へ着替えの終わったアスカを見て、手放しの褒めよう。アスカも、鏡に映る自分
    を見て満更ではない。頭部のインターフェイスを取ってアップに纏めた髪の毛と、宝石を散りばめた各種アク
    セサリーを品良く付けたその姿は、薄化粧したこともあって自分でも数瞬見とれてしまったほど。着替えを担当
    した五人の女官は、そうとうにセンスがいいようだ。
    が、迎えに来たレイチェルは、明らかに自分とは違う質の品を纏っているように見える。生まれながらの血筋が
    成せる業だろうか。同じようなドレス、アクセサリー、化粧なのに。
    ちなみに、シンジは別室で着替え中。


    「本物のお姫様は、レイチェルでしょ?」


    艇内に案内されて数時間経ち、これが夢とか現とかは別にして、アスカは大体の事情を呑み込んでいる。
    ピーター・パンは現在、ある国の皇帝の地位にあるらしい。この島は、かつてピーターが拠点としていた島で、
    今は帝国の中心近くにある。
    帝国がどの程度の国でどのくらい繁栄しているのか分からないが、このような巨大な飛行船を建造できる国
    力は持っているということ。少なくとも小国ではない。父が皇帝となれば、子のレイチェルは、当然ながらお姫
    様。古式ゆかしい言葉を使うなら、皇女、または内親王殿下といったところ。皇位継承権がどうなっているか
    までは、さすがに分からないが。


    「まあ、そうなんだけど・・・
    あまり好きじゃないから、姫様とか殿下とか言われるの。
    島で、みんなと好きなことして暮らす方が愉しいわ」


    レイチェルの笑顔が一瞬陰り、アスカには花が萎んだように見える。気分がその場の空気をも変えてしまう
    ような影響力を、この少女は持っている。父親から受け継いだ業か。


    「あそこでは、本当に時間が進まないのよ。だから、子供は子供のままでいられるわ」


    「レイチェルは、ずっと子供でいたいの?」


    「それは分からないわ。好きな人ができれば、結婚して子供も産みたいもの。
    アスカは、好きな人いないの?」


    「いるけど、結婚したいとかそんなんじゃ」


    「彼と結婚したくないの?
    シンジって優しそうだけど、普段は違うのかしら」


    「な、なんで、そこでシンジが出てくるのよ」


    アスカは、前から憧れていた加持リョウジのことを言ったつもりだが、レイチェルはシンジと受け取ったようだ。
    シンジをそういった対象で見たことはないし意識したつもりもないアスカではあったが、なぜか動揺してしまう。
    顔が熱い。この分ではおそらく、顔が赤くなっているだろう。レイチェルは、照れ隠しと思うに違いない。その予
    想通り、レイチェルがからかうような笑みを浮かべながら言った。


    「二人でいる時なんか、すごく自然よ。隠そうとしても隠せるものじゃないわ。
    パパとママ見てるみたい」


    「だから」


    「あ、時間だ。
    ママは時間にうるさいのよ。さ、行きましょ」


    肘の上まで覆う絹の手袋に包まれた手をレイチェルに取られたアスカが、更に抗議の声を挙げようとしたその
    時、ドンと、遠くで何かが弾けたかぶつかったような音がした。同時に、部屋全体が振動で僅かに軋んだ。それ
    は本当に僅かで一瞬ではあったけども、異常を報せるには充分だった。何者かの攻撃に違いない。振り返った
    レイチェルの顔にはもう、先程の和やかさはなかった。


    「アスカは、ここにいて」


    言うなり部屋を飛び出したレイチェルは、わらわらと集まってきた女官やら兵達に大声で指示を出し、幾人かの
    兵を伴って何処へと走り去っていった。彼女の一連の言動は、明らかに訓練された人間のそれ。彼女が、ただ
    のプリンセスではないことの証に思える。


    ド、ドン!


    護衛に残った三人の兵に促されたアスカが部屋に戻ろうとしたその時、二度目の衝撃が。今度は、かなり大き
    い。空気の震えたのが分かった。
    怒号の入り交じった喧噪が一層大きくなり、機関砲の発砲音らしき音も聞こえてくる。現場の混乱ぶりが窺える。
    帝国の領域内、しかも皇帝の座乗艦が攻撃を受けるなど、あり得ない事態。それが起こってしまった。警備責
    任者は、汚名をそそごうと必死だろう。
    が、事態は思わぬ方向へと動いていた。
    およそ一時間後、アスカはレイチェルからシンジの拉致を告げられる。
    ボロ切れのように破れたドレス、顔から上半身に浴びた、黒く変色しつつある返り血。そして、手にした太刀から
    滴り落ちる血を拭おうともしないままにレイチェルは言った。


    「ごめんなさい、アスカ。シンジが、連れていかれたわ。
    フックに」


    フック。
    冷酷非道な悪の海賊。
    アスカは、神に祈る心境がどのような物であるか、初めて知った。










    わけの分からないまま巨大な空飛ぶ船に入り、アスカと違う部屋に案内されたら、今度は着替えと称して、メイ
    ドらしき格好をした若い女性数人がよってたかって服を着せてくる。さすがにプラグスーツは自分で脱ぎ、用意
    された下着も自分で着けたけども、あとは彼女達のなすがままだった。
    そして、あらかた着替えが終わったところで、今度は何者かの襲撃。爆弾か何かで窓を吹き飛ばした襲撃者
    達は部屋に入ると、気を失っているメイド達には目もくれず、シンジだけを自分達の乗ってきた飛行機に押し
    込んだ。窓の外に滞空していたのは、二機。それぞれ小型で、遊覧機のようなスライトリー号とは違い、いか
    にも速度の出そうなジェット機のような形態をしていた。
    爆発の衝撃で意識が朦朧としていたシンジの目は、その後に展開された、襲撃者達とレイチェルの戦闘を夢
    を見るような感覚で捉えていた。
    襲撃者達は、屈強な体躯を持つ男と思われる人間六人。みな全身をプロテクター付きの黒い戦闘服で包んで
    おり、頭部もゴーグル付きのヘルメットに完全に覆われていたため、性別すら分からない。ただ、一人だけ黒い
    巻き毛の長髪がヘルメットから出ていたのが印象的。
    武装は、近代的な外見そのものの自動小銃や拳銃、手榴弾など。お伽の国とは場違いな出で立ち、そして
    武器。
    だが戦闘そのものは近代的と言い難く、そして信じられないほどに凄惨で血生臭い。体つきには不釣り合いに
    大きく長く湾曲した太刀(なんと、日本刀)を振るうレイチェルは、小銃を乱射する襲撃者達をあざ笑うように飛び、
    重力などないように天井と壁を駆け回る。そして躊躇無く敵を斬り伏せていった。
    室内は、血が池のように床に溜まり人間の形を失った肉塊が転がる地獄と化していく。残る襲撃者は一人とな
    り、彼の命も幾ばくかと思われた時・・・


    「はっ!」


    目覚めたシンジは、大小取り混ぜた無数のパイプが這う天井を見て、ここが元の世界でもダーリング号でもない
    と確信。あらためて室内と自分の身の回りを見回す。
    服は、上着はないものの、他は着替えさせられたときのまま。体に痛みはなく、乱暴に扱われたようなことはな
    いようだ。
    狭い室内は無機質で、天井は元より床もダークグレーの金属。ベッドの他には粗末な椅子が一つ。テーブルも
    ない。天井には、配管の隙間にとってつけたような電球状の照明器具。見た感じでは、蛍光灯のような感じだ。
    部屋の隅には冷蔵庫のような物があり、小さなモーター音が聞こえる。何か入っているのは確かだろう。しかし、
    見も知らぬ物をやたらといじるのは危険だとの判断が働き、シンジはベッドから動かない。
    一通り見て感じて、これからどうするかとシンジが首をひねり始めた頃、ドアが開かれ、一人の男がずかずかと
    部屋に入ってきた。そして唯一の椅子に手をかけ、それをベッド脇に寄せるとどっかと座った。


    「ちょうど、起きる頃だと思ってな」


    言葉には重みがあり、どこか安心できる声色でもあった。
    映画でしか見たことのない、長い巻き毛に結った髪の毛。それは豊かで艶やかであり、また清潔な上にきちん
    と整えられている。痩せた顔は浅黒く灼けていて、鋭い眼光が異様に目立つ。が、不思議と恐怖は感じない。
    顔に髭の類はなく、無精髭すらない。 洋画で見る、日焼けした中年の白人男性 といった感じ。
    特徴的なのは、服。シンジがこれまで見てきた、この世界の標準的な服装ではない。自分達の世界での軍服
    に近い。チャコールグレーの野戦服といった趣。靴も、編み上げのブーツだ。
    最も目立つ特徴は、その右腕。手首から先がなく、そこには、大きな磨き上げられたフックが手首の代わりに
    付けられている。


    「乱暴な手段を用いたことを、まずは詫びたい。
    君の命を奪うつもりは全くなかった。これだけは信じてくれ」


    自分が怪我もなくこうして無事に生きていることで、男の言葉は信用できると思う。待遇がいいかどうかは、また
    別だが。
    それよりもシンジは、レイチェルが気にかかる。この巻き毛には、覚えがある。襲撃の場にいた男の一人だ。
    この男を追いつめつつあったレイチェルだが、あの状態から男が逃げおおせたとなると、レイチェルも無事では
    済まなかっただろう。


    「レイチェルは、どうなりました?」


    「プリンセスには、丁重にお帰り願った。
    君の乗った飛行艇に爆弾を仕掛けてあると、はったりをかましてな。
    危ない賭けだった。彼女が有無を言わさず私を襲っていたら、ここに私はいなかっただろうよ」


    「なぜ、僕を?
    え〜と・・」


    「私は、フック。ジェイムズ・フックだ」


    「・・・フック船長?海賊の?」


    「昔の話だ。
    今は、レジスタンスを率いる一軍の将だよ」


    シンジも、ピーター・パンの話は、おぼろげながら覚えている。海賊のフック船長は、ピーターの宿敵。冷酷で残
    虐な最強の海賊だったはずだ。


    「レジスタンスって・・・
    第一、あなたは」


    「ワニに喰われて死んだはず・・・か?」


    「ええ、まあ」


    「ジェイムス・マシュー・バリーの書いた物語では、確かにそうだな。
    だが、私は今こうしてここにいる。これが現実だよ」


    「どうも、事情がよく分かりません。
    あなた方は、何もかも知っているようですが」


    シンジには、分からないことだらけ。
    アスカは、ここがピーター・パンの世界、ネヴァーランドだと言ったが、いくらアスカの言うことでもにわかには
    信じがたい。ピーター・パンがどうという以前に、別世界へ放り込まれたなど、信じろと言う方が無理。確かに
    ここ数時間に体験した出来事は自分の常識からかけはなれているが、エヴァンゲリオンや使徒なども、普通
    の感覚で捉えきれるものではない。今この状況と比べても、大した違いはない。世界のどこかにこんな人々が
    いても不思議ではないとさえ思えるのだ。


    「ピーターから聞いてないのか?」


    「聞く前に、あなた方の襲撃がありましたから」


    「そうか。よろしい、私が説明しよう。
    その前に、喉を湿らすか」


    フックは椅子から立ち上がり、部屋の隅にある冷蔵庫らしき箱の蓋を開け、そこから大小二本の瓶を取り出す。
    そして右手のフックで器用に栓を抜き、小ぶりな方の一本をシンジに手渡すと、自分は椅子に戻って一口飲
    んだ。
    手渡された瓶を見たシンジは、ラベルにOrangeとの文字を見つけたので、安心して栓を開ける。それでも恐る
    恐る口を付けたシンジは、その味が、島で食べた果物と同じ味であることに気付いた。これならいけると、半分
    くらいを一気に飲み下す。
    そうこうしている内に、フックの話が始まった。


    「この星がいつからネヴァーランドと呼ばれ、どのくらいの歴史があるのか、誰にも分からない。数千年生きて
    いるとされる妖精王でも、知らないそうだ」


    実のところ、フックもこの世界で生まれたわけではない。元は、イギリスのとある有力貴族の跡継ぎだった。ジェ
    イムズは本名だが、姓は違う。
    とある休日、フックは大学の友人数人と小舟で海に漕ぎ出した。単なる遊びで、どこに行こうと決めていたわけ
    ではない。ところが、いくらも沖へ出ない内に急速に悪化した天候と海流の変化で、フック達は遭難。どこか分
    からない島の海岸でフックの意識が戻ったとき、既にそこはネヴァーランドであった。
    フックはすぐに友人達を捜したが彼らは見つからず、逆に猛獣や蛮族に襲われる始末。それらからなんとか逃
    げ切ったフックは、水の補給のため偶然島に立ち寄った海賊船に見習いとして乗せて貰い、海賊としての人生
    が始まっている。
    貴族の生まれながら、元々こういった適性があったのか肌に合うのかは不明ながらもフックは海賊としてのし上
    がり、いつしかネヴァーランドでも有数の海賊と言われるまでに名を挙げていた。そして始まった最後のつぶし
    合いでフックは勝ち残り、最強の称号を手に入れたのだ。
    程なくして現れた、超絶的な能力を持った少年、ピーター。
    彼との戦いは、頂点を極め暇を持て余していたフックにとって、喜びそのものだった。
    だが戦いが長引くにつれ、喜びは焦燥と怒り、恐怖へと転じていく。
    何をどうしても彼に勝てない。どんな策略を巡らそうが、物量で圧そうが、あの少年は常に自分を見下ろしている。
    それでもフックは、この世界が好きだった。文明レベルは中世以上ではなく、機械は一定以上に進歩せず、人々
    は素朴なままに生きている。この世界へ流されたことに今は感謝し、ピーターに殺されても、ここで死ねるなら本
    望とさえ思っていた。


    「それを根本から変えたのが、ピーター・・
    いや、彼の連れてきたウェンディだ。彼女は機械文明をこの世界に導入して、世界の変革を図ったのだよ。結果、
    魔法と融合した科学は驚異的な進歩を遂げた。本家たる、君らの世界を凌ぐほどにな」


    ピーターとこの地に腰を据える覚悟を決めたウェンディは、世界の詳細を知るにつれて憤りを深くしていった。
    この世界にも国家なり自治組織は存在し、戦争も経済も存在した。庶民、貴族、富める者、貧しき者、それらの存
    在もウェンディのいた世界と大差ない。根本的な違いは、絶望にも似た閉塞感が下層住民の間に蔓延していたこと。
    階級間の流動性は皆無に近く、下層階級に生まれた者は、余程の才気か魔法能力を持つ以外に社会的成功を
    叶えることは難しい。
    伝染病が流行ったとしても彼らの多くは魔法術師を頼り、普通の医者に頼ることは少ない。現実として、魔法術師
    は病気を治す事が出来た。ただ高額な対価を要求するのが普通だったため、中流以下の人々はバタバタと死ん
    でいく。よって、人口の大部分を占める彼らの大量死は、人口が一定以上に増えない理由の一つだった。
    それは他の分野でも大方同じで、特殊な能力を持った魔法術師達が知識階級を形成してそれを独占し、知識を
    一般から隔離していたのである。それは致し方ない面もあった。魔法を使える人間はごく一部、人口の一パーセ
    ント以下に過ぎず、魔法術の特殊性もあって、一般に開放しても普通の人間にはほとんど意味のない代物であった
    からだ。
    ウェンディは、そこに自分の世界の文物を投入することで劇的な変化を起こそうと考えた。
    魔法に頼らない純粋な科学と、機械類の数々。それらは当初、魔法術師達の抵抗や住民の不信感もあって評判
    は今ひとつだったが、ピーターの宣伝で機械の便利さが噂で広がり、ある時期を境として一気に広がり始めた。
    こうなると、あとは勢いで流れていく。科学に興味を示した一部の魔法術師達は、自分達の持っていた理論との
    摺り合わせや融合が可能と分かると、新しい理論を構築し、それを基に画期的な発明を次々と成し遂げるように
    なる。 現在のネヴァーランドで一般的な動力源、縮退炉の基礎理論を構築したのは、かつて異端扱いされた魔法
    術師のグループであった。


    「文明の進歩は、悪いことばかりじゃないと思いますけど・・・」


    フックが機械文明を好まないらしいことをなんとなく察したシンジは、遠慮がちに言う。
    が、フックは文明の恩恵をつらつらと並べ始めた。


    「そうだ。
    病は次々と克服され、交通機関の発達によって貿易の活性化と経済の爆発的な成長が始まった。社会資本の充
    実でインフラと教育機関の整備が進むと、今度は人口爆発だ。それが更に成長を促していく。
    ウェンディが起こした小さな波は、巨大な津波となってこの世界を覆い尽くしたのだ。一千万にも満たなかった人口
    は二〇億を超え、貧困も不平等も世界から消えつつある。そしてピーターは、世界に繁栄をもたらした英雄として帝
    国を築いた。ウェンディをこの世界に連れてきたのは、ピーターだからな」


    「あなたは、何が不満なんです?」


    「私がピーターと敵対するのは、不満が原因ではない」


    フックは言葉を切り、大きな息を一つついだ。


    「奴の存在、それ自体が世界にとって危険なのだよ」


    「どういう意味ですか?」


    「ピーターは、この世界を制した後、君達の世界へ侵攻するだろう。
    既に幾つかの案が上奏されているとの情報を、私は掴んでいる」


    「そんな馬鹿な。
    何が目的なんです?領土?資源?」


    シンジには、どうにも分からない。これだけの科学技術を持ち、とくに問題もなさそうな世界が他の世界へ干渉す
    るなど。 ましてやピーターは、平和と正義の象徴だったはず。


    「どちらも、ピーターには何の価値もない。奴はただ、冒険を愉しみたいのだ。
    知を尽くした戦略、駆け引き、同盟、裏切り、そして実際の戦闘。全てが、奴にとって冒険そのものなのだよ。子供
    を脱して妻を娶っても、奴の本質は変わらん。
    奴が数人の仲間と冒険を愉しんでいるぶんには、全く問題はない。だが、世界を巻き込む冒険はご免だ。世界を
    破滅に導くような取り返しの付かない事態に発展したら、どう責任を取るというのだ」


    シンジの脳裏に、血にまみれたレイチェルの姿が浮かんだ。戦いなど縁のない少女と思われたレイチェルが、あれ
    ほどの血を浴びても怯まず、いやむしろそれを愉しんでいる風さえあった。
    ピーターの血を半分引くレイチェルであれだ。ピーター本人が、もっと戦いを好んでも無理はない。
    考えてみれば、目の前にいるフックの右手首を切り落としたのはピーターだ。子供ゆえの無邪気な残酷さとも言え
    るが。


    「私は一〇〇年も奴と戦い、その間に多くを失った。
    それは、奴も同じことだがな。あの頃から変わらずに戦い続けているのは、何人もおらんよ」


    「一〇〇年て・・
    あなた達は、歳を取らないんですか」


    「若さを維持する魔法が、この世界にはある。使う方も使われる方も、かなり限られるがね。
    ピーターもウェンディもレイチェルも、そして私も、外見通りの歳ではない」


    レイチェルが実際に何歳なのか、シンジは考えないことにした。だけども、それなら彼女のあの雰囲気も納得でき
    るというものだ。自分達の数倍生きているなら、当然。


    「身の上話はこれくらいにして、本題に入ろう、イカリ・シンジ君」


    「本題・・・ですか」


    「あれほどの危険と損害を省みずに君を連れだしたのは、それなりの理由がある。
    でなければ、あんな無茶はせんよ」


    「そ、そうですよね」


    「そう緊張せんでもいい。何も、とって喰おうというわけではない。
    着いてきたまえ」


    「は、はい」


    立ち上がったフックに遅れまいと、シンジはベッドから降りて、傍に置いてあった靴を履く。靴といっても半長の
    ブーツだったので、慣れていないシンジはきちんと履くまで数分かかってしまった。
    その間フックは、怒りもせずにドア付近で悠然と待っている。その姿から悪名高い海賊を見出すことは、とても
    無理なように思えた。









    どのくらい歩いたか分からない。ただ、一回だけ乗ったエレベーターでかなり下に降りたので、この船の下部へ
    向かっているのは確かなようだ。
    そう、ここは船の中。ダーリング号のように空を飛ぶ船だとのことだが、あれほどは大きくないらしい。内部の
    様式も、ダーリング号のように洗練されてはいない。アスカと初めて出会った、オーバー・ザ・レインボーの艦
    内のように無骨そのもの。まるで軍艦のようだ。


    (レジスタンスの将軍が乗ってるなら、ここは軍艦か。
    そういえばアスカ、怪我とかしてないかな。僕のことなんか、あんまり心配してないだろうけど)


    同僚だし、同居もしているので全く気にかけていないということはないだろうが、親身になって心配しているは
    ずはない。
    彼女は非情ではなく、むしろ情の厚い方だろう。身近に接してきたおかげか、彼女のそういった意外な面をシ
    ンジは目にしていた。が、それが自分に向くことはないことも、シンジはまた知っていた。彼女が好きだという
    加持リョウジを見れば分かる。自分は、あのような男にはなれない。大人だとか子供だとかいう以前の問題で
    タイプがまるで違う。


    「入るぞ、婆さん」


    「誰が婆さんだい!」


    誰も近寄らないような閑散とした一角にある扉。フックは、それを断りの言葉もそこそこに開けた。それに対す
    る返答は、明らかに歳を経たと思われる女性の声。しかも上品ではない。シンジは、とりあえずドアの傍で待機
    することにする。 何やら薬品の匂いが漏れてくるので、医療関係の部署のようだ。


    「相変わらず、世辞ってもんを知らないねえ、お前は。
    若造だったお前を、何回助けてやったと思ってるんだい、ったく」


    「三〇〇超えてる人間に、レディなんて言えるかよ」


    「その気になれば、一八にだってなれるよ、あたしゃ。
    あんたは、身をもって知ってるはずだよ。女を教えてやったのは、このあたしだろうが」


    「昔の話は、やめてくれ。
    今日は、客人を連れてきたんだ。ほら」


    フックに促され、シンジは部屋の中に一歩足を踏み入れた。
    薬品と何種類ものハーブが混ざった何とも言えない強い匂いが、鼻を突く。部屋の外でも薄々感じてはいた
    が、これは強烈。
    部屋は薄暗く、壁から天井から全て、干した草や変色した書物、わけの分からない動物や魚の干物がぶら下
    がっている。どこかで見たような部屋。魔女の部屋のイメージで使われる様式そのものだ。
    そしてその中心にいたのは、想像していた皺だらけの老女ではなく、赤い髪の毛をショートにした妙齢の女性。
    なぜか研究員のような白衣を羽織ったその女は、こちらを向いて妖艶な笑みを浮かべた。


    「ほ〜、これは、これは。
    異世界のアダム。お待ち申しておりました」


    血のように赤い口紅を塗った厚めの唇から出た声は、先ほどまでの嗄れた声ではなく、官能的な女の声。
    更に、レイと同じ赤い瞳。
    怪しく光る瞳に、シンジは得体の知れない恐怖を感じた。





    後編 ピーターとウェンディ

    でらさんから『おとぎの帝国』いただきました。まずは前編と中編の公開であります。
    いきなりピーターパンとはシンジもアスカも驚いたことでありましょう。
    続きもいただいておりますので、皆様もわくわくてかてかとお待ちください。

    寄贈インデックスにもどる

    烏賊のホウムにもどる