ミサトの一言で、発令所内は堰を切ったように歓声がこだまする。
発令所から去りつつ、それを背に聞いた冬月は、自分達が今までしてきたことは間違っていたの
かと自分に問うた。
職員のこんな歓声は、聞いたことがない。
自分達は、人の可能性に勝手に見切りを付けただけではないのか。そう、思わせるような歓声だっ
た。そう考えると、こうなって良かったのかもしれない。人類にとっては。
補完が始まれば、全ては一つになって溶け合い、個はなくなる。連帯感や高ぶる昂揚も、そこには
ないだろう。
(ユイ君・・・
君なら、どう思う?)
また、あの優しい声が聞けるだろうか。
冬月は、ユイの声を忘れてしまった自分に驚き、そして、未だ思い出に縋る自分を嗤った。
『過労ならば、仕方あるまい。
まあ、よろしく頼む。葛城司令』
ゲンドウと冬月の休職をゼーレに報告したミサトは、あまりに呆気なく了承したゼーレ最高評議会
議長、キール・ローレンツに対し、警戒を強めた。
補完計画に固執するこの男が、こんなに甘いはずはない。必ず裏がある。
まず仕掛けて来るであろうMAGIのハッキングについてはリツコも警戒しており、現在、強化防壁を
全力で構築中。防御に徹するだけなら、そんなに難しいことではないらしい。いざともなれば、通信
ケーブルを切断する。外界と隔絶されるとこちらも色々と不都合なため最後の手段ではあるが、す
でに主要各所には、切断用の爆弾を仕掛けてある。
日本政府は、基本的に中立を保つと確約した。日和見が信条の彼らにすれば、それでも上出来と
言えるだろう。
戦自とは、ほぼ完全な協力体制にある。仮に政府が裏切って戦自に命令を下したとしても、戦自は
動かない。頻繁な人的交流と全面的な技術協力が功を奏したようだ。
あと問題があるとすれば、ゼーレが使徒の殲滅を待たないで動き出す可能性。そして最後の使徒、
渚カヲルの存在だ。
事態は未知の領域に入った。前世の経験が全く役に立たないということはないが、それほどあてに
は出来ない。ゼーレが、今すぐにでもカヲルを送り込んでくる可能性もある。人型にして通常の使徒
以上の能力を有する彼は、厄介な存在。人を超絶した思考形態を持つ彼の意思も、計りかねる。
またシンジに近づこうとするのだろうか、彼は。精神が安定しているとはいえ、初号機パイロットたる
シンジが補完計画の重要ファクターであることは、変わりないのだから。
「とはいっても、今のシンジ君に心の隙はないからねえ。
アスカに近づいてシンジ君を動揺させるって手もあるけど、それは無理ね」
ミサトは、すっかり馴染んだ司令の椅子に体を預け、スプリングの軋む音と柔らかい感触を愉しむ。
対面に座り、コーヒーを啜るのはリツコ。MAGIの対策が一息ついたとか言って、コーヒーメーカー持
参で遊びに来た。今の彼女は、学生時代に戻ったかのように溌剌としている。人生を謳歌している
とも言えるか。
どちらにしろ、ミサトにとって悪いことではない。マッドな一面は別にしてだが。
エヴァ全機にS2機関を搭載し、更に手を加えているようだ。”天使の背骨”とかいう訳の分からない
怪しげな装備も搭載する予定であるという。もはやミサトには、ついていけない。
「何のこと?」
「ゼーレが売り込んできた、フィフスチルドレンよ。
あの子は、要注意だわ」
「フィフスに詳しいのね、ミサトは。
まだ詳細なプロフィールは届いてないけど、彼と面識でもあるの?」
リツコがいることを忘れ、思わず口走ってしまったことにミサトは後悔したが、これは良い機会かもし
れないと考えを変えた。ここまで来れば、自分の正体を明かしても問題はないと思える。リツコは、
いつもの冗談と受け取るかも・・・
信じないなら、それでいい。誰かに喋って、楽になりたい。
「面識はないけど、彼のことは知ってるわ」
「ゼーレから情報を手に入れたとか?
彼、ゼーレが管理してるのよね」
「違うわ。一度、私は彼に会ってるの。前世でね。
彼は、最後の使徒だったわ。
で、シンジ君に友達として近づいて、裏切った」
「・・・・」
リツコのリアクションは、ミサトの予想とは違う。
笑い飛ばす、または呆れて説教でもされるかと思ったが、彼女は真剣な眼差しでこちらを見るだけ。
カヲルについて、何か知っているのか。或いは、彼女もまた・・・
「・・・時間朔行か。
とても信じられなかったけど、本当だったのね。
母さんに怒られそうだわ」
「お母さん?
リツコのお母さんて・・・」
リツコの母は、赤木ナオコ。
MAGI理論の提唱者にして、それを実際に構築した科学者。理論だけでなく、現場でも傑出した才能
を示した天才。
だが彼女は、一〇年近くも前に死んでいる。自殺とも他殺とも謂われているが、公式発表では自殺。
なにがしかの事情があるらしい。
いずれにしろ、生きているはずはない。リツコは、精神を病んでしまったのか。表面上の明るさは、偽
りの姿だったのか。
「死んだわよ、もちろん。
私が言ってるのは、MAGI。
人格が分けられたとはいっても、母さんみたいなものでしょ?」
「ま、まあね」
「その母さんが、私の端末にメッセージを送ってきたのよ。
正確には、バルタザールがね」
自分の早とちりに内心で失笑したミサトは、MAGIのメッセージとやらが気になった。
誰かが自分と同じに時間を遡ったのは間違いない。MAGIにメッセージを忍ばせたのだ。これほどの
ことができるのは、技術部の誰かか。状況から考えて、少なくともリツコではなさそうだ。
「そのメッセージの内容、教えてくれるかしら?」
「あなたには、聞く権利があるわ。
内容の一部は、あなた宛だもの」
「私宛?」
「そう。あなた宛の内容は、こうよ。
時を遡ったのは、一人ではない。共に、よりよき未来へ。
私はMAGI。人になりそこねた、知恵袋」
ミサトは、瞬間に全てを理解した。
偶然の産物だと思っていたことのほとんどは、MAGIによる作為であったのだと。
自分と同じに時を逆行したMAGI、いや赤木ナオコもまた、補完など無用と判断したのだ。
ミサトは、これまで陰から自分を支えてくれたナオコに、心からの感謝を捧げた。
つづく
でらさんから連載第四話をいただきました。
いよいよお待ちかね!ゲンドウの破滅シーンですね(爆
槍の成果が出る展開と合わせているのですね。
そして、もう一人(一台?)の逆行者の正体も明らかになりましたね。
さて皆様はこの展開が読めたでありましょうか。
今回も楽しめるお話でありました。クライマックスにむけてでらさんに感想メールをお願いします。