目論見 第二話

    作者:でらさん















    ミサトと甘美な性の悦楽に酔った時間は、今から思うと、そう長い時間ではなかった。実際は二ヶ月
    がいいところだろう。
    初めて知った女体は、まだ中学生のシンジにとって麻薬に等しい快楽で、それまで彼の頭を悩ませ
    ていた事のほとんどがどうでもよくなっていった。今から思うと、何故あそこまで父の愛情を求めてい
    たのか不思議にさえ感じる。今は、会えば挨拶くらいするものの、それ以上の感情はない。
    対人関係も似たようなもので、人が自分をどう思っていようが大して気にならないし、自分が悪くもな
    いのに謝ったりしない。それで摩擦も生じたりするけども、それさえも人間関係の一つとして考えられ
    るようになったのだ。
    だが、自分の人間性そのものを変えた甘美な生活はミサトが繰り返し言っていた通りドイツからの訪
    問者が原因となって終わり、シンジの日常は普通の中学生のそれへ戻っていた。ひょっとしたら関係
    は密かに続くかもしれないと淡い期待を抱いていたのだが、ミサトはすっかり態度を変え、口にすらし
    ない。淫らな関係などなかったかのようだ。大人の女とは、ここまでドライになれるのかと変に感心し
    たシンジである。
    その代わり、今のシンジの隣にはミサトとは別の女性・・
    いや少女が常に陣取るようになり、別の意味で慌ただしい日々となっている。
    その少女とは、加持と共にドイツから訪れたセカンドチルドレン。惣流・アスカ・ラングレー。


    「なんで、僕がアスカの鞄持たなきゃいけないんだよ。
    鞄くらい、自分で持てばいいじゃないか」


    「アタシ達、同居してんのよ。いわばパートナーじゃない。
    男女のパートナーの場合、男が荷物持つのは当然よ」


    「僕より力あるくせに・・」


    「なんですって!」


    「い、いや、なんでもない」


    「逃げるな!
    だいたい、アタシのファーストキス奪った責任がアンタにはあるのよ!
    鞄くらい、なによ!」


    「ア、アスカ、声が大きいよ」


    「とことん逃げるつもりね。いいわ、分かったわ。
    じゃあ言うけど、昨日はキスどころか、アタシの大事な」


    「わ〜〜〜!!」


    周りに人がいるにもかかわらずシンジが大声でアスカを制し、彼女の手を取って学校の方角へ走り
    去る。よほど恥ずかしいらしい。
    実は、シンジが狼狽えるほど恥ずかしい話ではない。アスカがドイツから持参して愛用していた残り
    少ないシャンプーを、昨日、シンジが誤って使ってしまった。ただ、それだけのこと。
    とはいえ、周りから見ればバカップルの鬱陶しい光景に過ぎない。それは、シンジの友人であるこ
    の二人にとっても例外ではない。


    「何を朝から騒いどるんじゃ、あいつら。
    また夫婦喧嘩かいな」


    「いつものことさ。ほっとけ、ほっとけ」


    トウジとケンスケは、転校当初とは人が変わったように騒ぎを繰り返すようになったシンジを、羨望と
    も憐れみともつかない複雑な顔で見送り、ゆっくりと学校へ向かうのだった。




    しばらく走ってからアスカの手を握っている事に気づき、すぐに手を離したシンジは、突然手を握った
    ことでアスカが怒っていないだろうかと、足を止めて彼女の様子を横目でそっとうかがう。
    しかし、アスカにこれといった変化はない。
    それどころか


    「なに?」


    「その・・
    怒ってないからさ」


    「鞄のことなら、もういいわ。
    言ってみただけだし」


    「そうじゃなくて」


    「ぐだぐた言ってないで、急ぎましょ。
    ほら!」


    「う、うん」


    今度はアスカがシンジの手を取り、歩き始めた。
    すでに第壱中の正門が近く、登校する生徒が一番多くなる時間帯でもある。決して少なくはない周り
    の生徒達から好奇の視線に晒されるシンジは、恥ずかしいことこの上ない。
    とはいえ、強引にふりほどくとアスカの機嫌を損ねるだろう。その場合は、更なる好奇の視線がシン
    ジを襲う。実際はどうあれ、今現在のアスカとシンジは第壱中においてカップルと認識されている。そ
    の二人が喧嘩となれば、先ほどのトウジとケンスケのように夫婦喧嘩と冷やかされるのだ。


    (僕は悪い気しないけど、アスカは、どう思ってるのかな・・・
    キスとか手を繋ぐくらい、ドイツじゃどうってことないだろうし)


    アスカのプロフィールを見たとき、既に大卒というそのキャリアに圧倒され、モデルのような容姿とも相
    まって自分とは違う世界の人間だと思った。日本語を流暢に操るとミサトから聞いてはいたものの、価
    値観の違いからパイロット同士の付き合いには苦労すると予想したものだ。
    だが初めて会って話をした彼女は、気さくそのもの。多少自信家なところがあり、言葉遣いが荒いところ
    もあるものの、それは不快を感じるものではない。むしろ、彼女らしさを現しているとも言える。
    加えて、その容姿。
    母が日独ハーフ、父が独系米人というクォーターの彼女は、赤見の強い金髪と蒼い瞳を持つ美少女。
    同僚のレイもとびきり美しいが、アスカのそれはまた違う。レイにはない官能さをも持ち合わせている。
    こんな彼女が同僚となり共に戦うことになったわけだが、当初はぶつかり合うことが多かった。
    プライベートでは気さくな彼女も、こと訓練や実戦となると人が変わったように妥協を知らない人間になる。
    自分のレベルに付いてこれない人間に対し、遠慮ない言葉をぶつけて叱咤するのだ。
    ネルフに来たばかりの頃のシンジなら、そんなアスカに大した反論もせず従うだけであったろう。
    しかし今のシンジは、そうではない。無遠慮な言葉には、それなりの反抗もする。
    このような二人の関係が急速に近づいたのは、アスカがネルフ本部に着任して初めての実戦を経たのち。
    初めての実戦で、分離増殖という特異な特徴を持つ使徒に惨敗した二人は、ミサトの発案した特殊作戦
    のために同居生活を開始。
    彼女と暮らす生活の中でシンジは、彼女の隠れた優しさと秘めた哀しみを知っていった。
    そしてアスカも、彼女に必死に食らいついていこうとするシンジの熱意と人柄を好意的に評価してくれる
    ようになっていた。
    そんな彼女に日々惹かれていく自分を抑えきれなくなったのが、作戦実行日前夜。
    ミサトは関係各所との作戦最終確認のためネルフで徹夜となり、部屋にはアスカと二人きり。
    数日前から意識しあっていて何となく気まずくなった二人は早々に寝ることにし、シンジは自分の部屋。
    アスカはリビングへ。
    その後、何時間かした頃、トイレに起きたシンジがアスカの寝言を聞き、彼女の枕元へ。
    そしてシンジは・・・


    「おはよう、碇君」


    「あ、綾波!」


    アスカとの初めてのキスを思い出し、彼女の唇の感触をも思い出していたシンジは、後ろから突然レイ
    に挨拶され、慌ててしまう。


    「何を驚いているの?」


    「ちょ、ちょっと考え事してたから。
    はははははは・・」


    「アタシに挨拶はないの?ファースト」


    「あら、あなたもいたのね。
    おはよう、セカンドパイロット」


    「白々しいヤツ」


    「あなたが何を言っているか、私には分からないわ。
    じゃあ」


    シンジに対するのとは違い、明らかに素っ気ない態度をアスカへ示したレイは、シンジにのみ意味深な
    笑みを向けて歩いていった。
    その笑みの意味を知るアスカは、レイの背に


    「べ〜っだ!」


    整った顔を思いっきり歪めて舌を出す。


    「なんで綾波に突っかかるんだよ、アスカは」


    シンジは、そんなアスカに及び腰ながらも声をかける。
    彼女達の個人的な確執は、時として訓練時にも勃発し、そのとばっちりがシンジに降りかかってくること
    が多い。事実、昨日の訓練もそれが原因でスケジュールに遅延が生じ、なぜかシンジがミサトに注意を
    受けている。二人に友達になれとは言わないが、もう少し仲良くしてもらいたいもの。
    ところが、アスカの言い分は、また違う。


    「アイツが先に仕掛けてくるからよ」


    「仕掛けるって?」


    「アンタと仲のいいアタシに嫉妬してるのよ。
    分からないの?」


    「えーっと・・・」


    顔を近づけてまで確認を求めてくるアスカに対し、シンジは巧く反論できない。
    このところ、アスカといい雰囲気であることは自覚している。だけども、アスカの本心は分からない。フレンド
    リーな態度が特別な感情によるものなのか、ただの友人としてのものなのか。或いは、同僚としての親近感
    から来るものなのか分からないのだ。
    アスカが自分を好きと断定するのは簡単なものの、独りよがりな勘違いであったら、自分は道化。いや、そ
    れ以下。キスしたとはいえ、あれは事故のようなものだし。第一、キスはあれ一度きり。あの日以降、自分か
    ら求めたこともアスカから求められたこともない。アスカにとっては、からかいのネタ以上ではないのではな
    いかとも思う。
    しかし、この展開は・・・
    シンジの心に、希望の光が満ちてくる。


    「この際だから、はっきり言っておくわ。
    浮気は、絶対に許さないわよ。一切の例外は、なし。分かったわね?」


    「それって、どういう」


    「アタシに言わせる気?」


    「・・・いえ、分かりました」


    外面では落ち着きを装い、当然のような応えを返したシンジではあるけども、心臓の動機は速まり体中が
    歓喜に溢れていた。
    アスカの明確な意思表示が、今まさにシンジへ叩き付けられたのだ。それは、ミサトと初めて同衾したとき
    と同じような興奮状態。顔も赤くなっているだろうが、どうでもいい。
    シンジは、アスカの手を握る手に僅かながら力を込め、自分の彼女となった少女の体温と感触を必死で覚
    えようとする。いつ、この関係が終わってもいいように。










    一ヶ月後・・・


    今日の訓練も終わり、シャワーも浴びて帰るだけのアスカは今、ミサトの執務室の前にいる。ミサトにどうし
    ても聞いておきたいことがあるのだ。そのため、いつもは一緒に帰るシンジには用事ができたと言って先に
    帰ってもらった。

    なし崩し的に付き合いが始まってから約一ヶ月、何度もシンジとキスしたのだが、彼は慣れているような感
    じがする。また、すぐに体を求められるかとも思っていたのだが、それもない。性急に迫られるよりマシとは
    いうものの、胸すら触ろうとしないシンジは、自分に女としての魅力を感じないのだろうかと不安にもなる。
    大事にされていると言われればそれまでだし、それとなく相談したヒカリにもそのように言われた。でもアス
    カは、どうも釈然としない。
    アメリカで生まれドイツで育った自分でも、恋人同士が交わすディープなキスは初めて。日常生活ではキスの
    習慣がない日本人。しかもシンジの歳で慣れているとなると、そこに特殊な事情があると思っていい。更に推
    理を働かせれば、シンジの身近な女でそれなりの経験を持つ女といったら、かなり限られる。というか、怪しい
    のはミサト以外に考えられない。レイもシンジに関心を持っているが、二人がそのような関係になっていたなら、
    自分とシンジは現在のような関係になっていないだろう。
    二九歳の女と一四歳の少年の関係は一般的ではないものの、あり得ないことではない。それが証拠に、自分
    が加持に熱を上げていた頃、加持に抱かれたいと思った事がある。もし、その時期に加持が求めてきたら、
    自分は喜んで体を差し出したはずだ。
    状況証拠は幾つかある。ミサトとシンジは、数ヶ月の間、二人きりで暮らしているし、ミサトは女としての魅力を
    持ち合わせている。年頃の少年なら、それなりに意識するのは当然。何らかの理由でミサトが誘えば、まず
    拒否しないだろう。シンジが強引に迫った、または犯したという仮定も成り立つが、ミサトの練度の高さやシン
    ジの性格を考えれば、それは現実的でない。


    「ミサトは加持さんとより戻したみたいだから、シンジとはもう何もないと思うけど・・
    なんかイヤよ。ミサトからはっきり聞かないと、気が済まないわ」


    シンジがミサトと関係していたことが事実であるにせよ、今更シンジと別れられない。もう、そんなところにまで
    想いは深まっている。
    自分がこれほど人を好きになるとは思わなかったし、執着心というか独占欲が強いのも意外に思う。
    それともそれは、相手がシンジだからだろうか・・・
    アスカには、自分の心がよく分からない。


    「なんにしても、ミサトから聞き出すわ。
    それで、これは終わりよ」


    ミサトから何を聞こうと、それを全て受け入れ、乗り越えてみせる。
    アスカは強固な決意を固め、ドア横にあるスリットへIDカードを差し込むのだった。
    今のアスカの頭は、シンジとの関係に関することにほとんどの精力を注いでいる。
    母の死を間近で見たトラウマなど、もはや彼女の頭にはない。







    つづく

    でらさんから新連載第二話をいただきました。

    おお、シンジ君が変わっている。
    そうですね。体験直後とか自分が変わったと思うものですからね。うむ。

    アスカも何か微妙な変化があるようですね。シンジが案外大人だったりとかして焦った気持ちからでしょうか。
    気になるという感情から、本当の関係に進展しそうですね。周囲の視線はすでにそう見ていますが。

    よかよかなお話でありました。読後にはでらさんに感想メールをお願いします。

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