Irregular ver.3 中編

作者:でらさん
















猛烈な嘔吐感と共に目を覚ましたゲンドウは、違和感にも襲われた。
自分の知らない匂いのする布団。ユイの物ともキョウコの物とも違う匂い。
だが、全く知らない匂いではない。


「ま、まさか!」


ゲンドウは嘔吐感も忘れ、布団を跳ね上げて飛び起きると、周りの状況を確認。
六畳ほどの和室はがらんとして何もなく、枕元に灯りがあるだけ。色気も何もない、ただの空き部屋のようだ。
なぜ自分がここにいるのか、ゲンドウにはさっぱり。ナオコと飲んだバーからの記憶がない。
布団からも、ナオコの使う香水の匂いがする。更に、自分は下着一枚。
ゲンドウの頭に最悪の状況がよぎった。こんな事がキョウコにばれたら、即離婚だ。


「・・・なんてことだ」


「あら、起きたのね」


と、障子を開けて顔を見せたのはナオコ。
何の変哲もない白いエプロンを着けて微笑むその姿は、ごく普通の主婦。世界に冠たる学者とは思えない。
厳密に言えば、独身の彼女は主婦では無いのだが。

ともかくも、昨晩の記憶が消えているゲンドウとしては、バーからの状況が知りたい。
自分はそんなにだらしない男ではないつもりだが、泥酔したとなると自信が無くなる。
それに、ナオコとは学生時代にも同じような事があった。その時は・・・


「は、博士、私は一体・・」


「安心して。
あなたはここで寝ただけ。他は、何もしてないわ。
何なら、保安部の人間に確認してもらってもいいわよ。あなた運ぶのに、保安部の人間使ったから」


「あの時とは違う訳か・・」


「ふふ、残念だった?」


「ば、馬鹿なことは言わんでくれ。あの時とは状況が違う」


「そうよね。
あの時のあなたは誰とも付き合ってなくて、女も知らなかったわ」


「・・・昔の話だ」


二十数年も昔・・
学生だったゲンドウはコンパで酔いつぶれ、現在と同じようにナオコのアパートに転がり込んだ。
違う点は、彼らはそこで一線を越えてしまったこと。
互いに酔っていて、ほとんど勢いで関係に至ったわけだが、二人は酔いの醒めた後三日くらいの間、部屋に籠もって
爛れた生活を送っていた。

普通なら、そこで付き合いが始まりそうなもの。
事実、ゲンドウはその後も度々ナオコの部屋に泊まっている。
しかし運命とは皮肉なもので、英才を持って知られていたナオコは大学の推薦でアメリカの高名な工科大に留学。関
係は自然消滅した。
ゲンドウがユイと出会ったのは、ナオコが留学している最中である。

半年の留学を終えてナオコが帰国したとき、既にゲンドウとユイの関係は確定されていて、ナオコの入り込む余地は
なかった。
以後ナオコは、ゲンドウの良き理解者として彼の側にいる。
女としての葛藤はあったに違いないが、ゲンドウはそれを考えない事にしていた。いや、考えられなかった。
ナオコを裏切ったという気持ちが、常にゲンドウの心を圧迫していたから。

”待っている”とゲンドウは言わなかったし、ナオコも”待っていて”とは言わなかった。
留学中も、手紙はおろか電話一つしていない。
今から思えば、ナオコは待っていたのかもしれない・・・自分からの連絡を。


「昔話はいいわ。
とにかく、お薬持ってきてあげるから。
それ飲んでお風呂入って、ご飯食べてから出勤なさい。
ネルフのトップなら、シャンとしないと」


「色々と済みません」


「いいのよ。古い馴染みだもの」


そう言って背を見せるナオコの後ろ姿に、ゲンドウは母の記憶を重ねる。
早くに死んでしまった母の思い出は少ないが、その後ろ姿だけはなぜか鮮明に覚えていた。
もしナオコと付き合っていたら、自分はもっと穏やかな人間になれただろうか・・


「あ・・」


「どうしたの?」


ふり返った彼女は母ではない。女のナオコだ。


「い、いや、リッちゃんは、どうしたのかと思ってな。
もう、出勤したのかね?」


「それがね、帰ってこないのよ。携帯も出ないし・・
まあ、保安部から連絡もないから、どっかで酔いつぶれてるだけだと思うんだけど」


「彼女も、普通の若い娘だったか」


「たまにはいいですわよ。これも社会勉強のうち。
さ、あなたは、もう少し寝てなさい」


ゲンドウは再び布団に寝ころぶと、復活してきた嘔吐感・・そして頭痛と格闘を始める。
その頭からは、子供達のことがすっかり抜け落ちていた。




ちなみにリツコ嬢はというと・・


第三新東京市 某所・・


「・・・ここどこ?」


「お目覚めですか?リツコさん」


「あなたは・・え〜と」


「マヤです。伊吹マヤ。お忘れですか?」


自分を覗き込むショーヘアの可愛らしい顔は確かに見覚えがある。昨晩、料亭で意気投合した政府の官僚だ。
あの後ゲンドウから小遣いを貰い、彼女とホストクラブに行ったまでは覚えている。
でもそこからが思い出せない。記憶を失うまで飲んだのは初めて。


「そ、そんなことないわ。大丈夫よ」


「よかった♪」


「ちょ、ちょっと、伊吹さん」


何を思ったのか、マヤが抱きついてきた。しかも裸だ。
リツコは慌てながらも周りに目を移すと、妙に派手な内装の部屋で、寝ているベッドも巨大。恐らくというか確実に、ここ
は恋人達がお泊まりに使用する宿泊施設。
そういった経験のないリツコだが、知識だけはある。間違いない。

と言うことは・・・
考えたくない答えが頭に浮かんだリツコは、抱きつくマヤもそのままに毛布をはぎ取った。


「きゃっ!リツコさんたら、エッチなんだから」


やはり、自分も裸。
しかもベッドには染みが幾つもあり、昨晩何が行われたかは考えなくても分かる。
初めての相手が女とは、リツコも自分が情けない。


「どうかしたんですか?」


マヤが体を離して正面から見つめてくる。
歳に似合わない幼い顔は、可愛いの一言。だが、さらけ出された彼女の体は顔と反比例するかのように淫ら。
女の自分が欲情してしまいそうなほど・・・
リツコの中で、何かが弾けた。


「ふふふふふ・・
今日は、愉しみましょ」


「あ、あん・・仕事が」


「休んじゃいなさい」


新しい自分に目覚めたリツコは、歯止めが利かないようだ。






ゲンドウもキョウコもいない新婚のような生活を満喫したアスカは、その余韻を引きずるかのような甘い空気を纏わせて
登校したはいいが、すぐに早引けしてしまった。
担任には体調不良を理由にし、友人達にもそう言ってあるけども、シンジには仮病が分かっただろう。
ピルを飲む自分の周期は安定しているし、その時にも軽く済む。授業を受けられないほど重かったのは、シンジと関係を
持つ以前の話・・中学時代中頃にまで遡る。
大体、それが訪れるのはまだ先。

早引けしたアスカが向かったのはネルフ。その保安部・・警備を担当する部署。
ここには、アスカの親しい知り合いがいる。
葛城ミサトという女性で、若くして課長を務めるエリート。戦略自衛隊にも出向し、戦自への転職を熱心に誘われたという
程の戦闘のプロでもある。
ゲンドウやキョウコの師である故葛城博士の一人娘とあって、幼い頃から何かと接触のあった女性だ。
現在は、恋人がドイツに出張中で気分が落ち込み気味の様子。
本人は意地を張っていて、決して口にはしないが、同じ女としてアスカには分かる。


「学校をサボって遊びに来るなんて、不良になったわねアスカも。
キョウコさんが知ったら泣くわよ」


ミサトは冷蔵庫からジュースを一本取り出して椅子に座るアスカに渡し、自分は煙草を一本口にくわえ、火を付けようとし
てやめた。
煙草を嫌うアスカに配慮したのだ。仕方ないので、自分も冷蔵庫からショート缶のコーヒーを出して椅子に座る。
ブラックなら、煙草の代わりになる。

現在、この執務室には自分とアスカの他に事務を担当する部下が一人いるだけ。
その部下も、自分のデスクから少々離れている。話を聞かれる事はないだろう。


「人聞きの悪いこと言わないで。ちゃんと届けは出したわ」


「仮病は、正統な理由にならないわよ」


「ミサトだって、学生時代はよくやったって言ったじゃない。
自分は良くて、他人はダメなの?」


アスカの言うように、自分も高校生の時は仮病を使ってよくサボった。
成績さえ良ければ何をやってもいいと勘違いしていた時期で、生意気盛りだった自分が恥ずかしい。
ミサトは缶のプルトップを引いてコーヒーを一口含むと、自分の負けを認めた。


「・・・わたしの負けね。
用件は何?」


「昨日の夜から今朝まで、ネルフで変わった事ってない?」


「何かあったとしても、部外者のあなたに話す事は出来ないわ。
それくらい、分かるでしょ?」


「何も機密を探ろうってんじゃないの。
面白い話とかないかと思ってさ。保安部って、幹部の警護もやるじゃない?
不倫の現場に鉢合わせしちゃったとか、結構あるんじゃないの?」


「ああ、そういう事か。それなら・・」


そのような事なら、機密にすることもない。
ミサトも好きな話だし、実際、そのような情報が上がってくる事もある。
そのような場合、形の上では部下に口止めはするものの、箝口令は敷かないし。


「総務の部長がゲイバーで男の子をテイクアウトしたとか、その奥さんが近所の中学生を引っ張り込んだとか興味深い話
はたくさんあるけど、昨晩のトップ記事はこれね」


ミサトは自分の端末を操作すると、モニターに一枚の画像を映し出した。
そこには、お泊まり施設に若い女性二人が連れ立って入ろうとする姿が、はっきりと映っている。ショートヘアの女性は知らな
いが、もう一人はアスカにも見覚えがある。たしか・・


「・・・リツコさん?」


「そうよ。赤木ナオコ博士の愛娘にしてネルフ期待の星。ほんでもって、わたしの親友。
こっちの趣味があるとは、わたしも初めて知ったけど。
お相手は科学省のエリート役人で、二人ともまだホテルから出てないわ。お愉しみ中ってことよ」


「昼間っから、よくやるわ・・
それも面白いんだけど、まだ無い?」


「無い事もないけど・・」


「もったいぶらないでよ」


「所長がバーで飲み過ぎて泥酔。赤木博士の自宅に運び込まれたわ。
わたしの部下も呼び出されて、搬送を手伝ったんだって。
あなた達のところにも連絡はいったはずよ」


アスカ達の家には、ナオコから電話した。それは、部下が確認している。
アスカが知らないはずはないのだが・・


「アタシは、そんなありきたりの話が聞きたいんじゃないわ。
二人の間には、何もなかったの?」


「昔はともかく、今は何もないはずよ。
所長は、あなたのお母さんと再婚したばかりだし、二人ともいい歳した大人なんだから、いくら酔っていても馬鹿なことしな
いわよ」


「昔は・・って、どういうこと?」


「わたしも多くは知らないわ。
ただ、死んだあなたのお父さんやユイさんをも含めたあの五人には、色々あったらしいの。
わたしのお父さんも、よく相談を受けてたらしいから。
でもわたしのお父さんも死んじゃったし、本人達に聞くしかないんだけどね」


母達の青春時代の恋模様など、アスカは知りたいと思わない。それはすでに終わった事だ。
それよりも、今の自分がどう幸せになるかの方が大事。
とはいえ、この話はゲンドウの外泊と併せれば使える。

ナオコとゲンドウにどのような触れ合いがあったのかは、想像するしかない。
アスカは物心付いたときから度々ナオコと会っているが、彼女は優しく、それでいて活発な女性だった。
ゲンドウを弟のように扱い、自分の両親やユイまでもが彼女を姉のように慕っていたのを覚えている。
そこから女としての情欲に満ちた姿をイメージするのは難しい。
でも、ナオコとて女。
男に抱かれる悦びを知る女に違いはない。


「ますます怪しいわね、おじ様。
歳相応の分別持ってるなら、アタシのママを口説くこともなかったんじゃない?
ただの女好きなんじゃないの?」



「アスカ、声が大きいわ。
それに、仮にもお父さんよ。そんなことを言うものじゃないわ」


「へいへい、ごめんなさい」


アスカが声をボリュームを上げたのは、理由がある。
少し離れたデスクで、ミサトの部下が聞き耳を立てていたのを知っていたからだ。
ミサトも口止めはするだろうが、すぐに噂は広まるだろう。
”所長は女好き”という噂が。


「じゃあ、この話は終わり。
他に面白い話って無い?」


「う〜ん、機密スレスレなんだけど・・
国連査察官を秘密接待した話、聞く?」


「聞く聞く!」


機密の規定も、段々緩くなっていくようだ。






家路に着くゲンドウの足取りは重い。
またあの緊張の中に身を投じるのかと思うと、気が滅入ってくる。
酒と、その後のゴタゴタで僅かの間忘れることが出来たが、現実は刻々と近づいてくる。
だが、それももうすぐ終わる。
息子達との別居が決まれば、このストレスに満ちた生活ともおさらばだ。
キョウコの同意も得たし、その後の甘い生活を思うと、少し勇気が湧いてきた。


「帰ったぞ」


家に上がってダイニングに入ったゲンドウを待っていたのは、いつも通りの冷たい空気。ついさっきまで談笑していたであ
ろうアスカとシンジは、ピタッとその口を閉じてしまった。
テーブルの上に目を移すと、自分の分の食事は用意してある。
鞄を床に置き無言で席に着いたゲンドウは、皿に張られたラップを外しながら、務めて明るい声で二人に話しかけた。


「実は、キョウコさんと相談してな。
父さん達、隣に引っ越す事にした。この部屋は、お前達の自由に使っていい。
金は、月一で二人の口座に振り込む。充分とは言えないだろうが、足りない分はアルバイトでもして、やりくりしてくれ」


いきなりうち解けはしないだろうが、ゲンドウは多少の反応を期待していた。
二人にとって悪い話ではない。世間一般の常識から考えれば、破格の待遇と言っていいだろう。
一六、七の子供に親が同棲を認めようと言うのだ。しかも金の援助もある。
しかし・・・


「そんな小手先の譲歩で、僕達が喜ぶとでも思ったの?父さん」


シンジはニコリともしない。アスカはいうと・・・同じだ。


「こ、小手先とはなんだ!
同棲だぞ、同棲!何でも、お前達の好き放題なんだぞ!」


「でも同棲は同棲だ。結婚できるわけじゃない」


「拒否するというのか」


「いえ、お話は、お受けします。おじ様」


妙に穏やかなアスカの顔は気になるが、その台詞で話は一応纏まったとゲンドウは理解した。
話が決まってしまえばこちらのもの。すぐに関係部署へ連絡を入れ、引っ越しに取りかかりたい。
ようやく苦しみから解放されると思うと、自然とゲンドウの頬が緩んだ。


「いやあ、アスカ君の作った料理は美味い!最高だ!
幾らでも飯が進むぞ!ははははははははははははは!」



白けた空気の中、一人盛り上がるゲンドウは、すぐ後に待ち受ける騒動をまだ知らない。





後編へ続きます




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