秘密 act.6

    作者:でらさん













    明らかに見下した態度。
    自分をただの子供だと侮り、己の優位を信じて疑わないにやけた顔。
    背はシンジより頭一つ分高いし、その顔も確かに秀麗と言える。しかも冷たい麗しさではなく、
    人としての温かみさえ感じられる。事実として、一般的な評価は、そうなのだろう。普通の女な
    ら、まず好印象を抱くと思う。
    アスカの言っていた、斉藤という男。シンジは今、その男とネルフ内にある休憩所の一つで対
    峙している。周りには、シンジと斉藤以外、誰もいない。
    平職員への警告など、ミサトか加持に頼めばそれで事は済むのだが、血気に逸る若さという
    ものを周囲にアピールする必要があるとアスカは強硬に主張。で、勢いに負けたシンジは、
    通常訓練のあと、斉藤を呼びだしたのだ。正直なところ、シンジは、あまり気が進まない。 安っ
    ぽいドラマのようで。
    この男についても、詳しくは知らない。知りたいとも思わない。一五才の少女に本気でモーショ
    ンかける男と知り合いになりたいとは思わないし。
    ただ相対した印象からして、異性関係での失敗はあまりないものと判断している。アスカに対
    する積極的な姿勢も、その自信から来る物だと思った。
    が、大人びているとはいえ、アスカはまだ一五歳の中学生。大人が手を出す対象ではない。
    犯罪の領域にある。シンジはそこを突き、斉藤に翻意を促した。あくまで冷静に。


    「歳を考えたら、いかがです?」


    斉藤は、恋愛は自由だとか子供は口を出すなとか怒声を挙げて抗弁したけども、結局は捨て
    台詞を残してシンジの前から去った。
    彼とて、子供ではない。職場における自分の立場とか社会的信用が危うくなると、今更ながら
    気付いたのだろう。
    公開組織となって幾分緩やかになったネルフの体制だが、特務機関であることには変わりはな
    い。斉藤がいかに優秀で、技術部にとって有用な人材であっても、組織の害になると判断されれ
    ば一言の元に排除される。ネルフの技術情報を知る職員を、ネルフが簡単に放逐する筈はない。
    最悪の場合、事故、もしくは病気を装って存在を消されることもあり得るのだ。
    斉藤がそこまで頭の回る男でなく、ただ本能に従う男であったなら、シンジは最後の手段、ネル
    フ総司令であるゲンドウの息子という立場を使って対処する予定だった。父の威光を笠に着る
    馬鹿息子のような事はしたくなかったので、斉藤が早々に引いてくれたのは幸いだ。


    「リツコさんかミサトさんが、気を利かせてくれたかな」


    ボソッと呟いたシンジは、アスカが待つであろう出口ゲートへ向かって歩き出す。
    アスカへちょっかいを出す斉藤のことは、ネルフ内でもそこそこの噂になっていたので、噂を耳に
    入れたリツコかミサトが斉藤へ警告を発した可能性はある。あとで、さりげなく確認しておいた方
    がいいだろう。あの二人は、いずれネルフの最高幹部かそれに近い地位を手に入れるはず。将来
    のことを考えて良好な人間関係を維持するためには、色々と気遣いが必要だ。何気ない言葉や行
    動で信頼関係が崩壊するのは、珍しいケースではない。前世の自分やアスカが、まさにそうだった。
    他人のことを知ろうとせず、自分の殻に閉じこもって、最後には破綻した。
    お互い、未熟な心を抱えた一四才だったのだからと自分を慰めたこともあったが、そんなものは
    理由にならないと、今は言い切る事が出来る。あと一歩の勇気、或いは決断力さえあれば・・・


    「シンちゃん!」


    溌剌とした声と共に肩を叩かれたシンジが反射で後ろを振り向くと、私服に着替えたレイがすぐ
    後ろでニッコリ微笑んで立っている。性格の激変と共に愛用するようになったミニのワンピースが、
    よく似合っていて眩しい。女性らしくふっくらとしてきた体を象徴するような肉感的な太股は、アス
    カより官能的かもしれない。


    (今日は、白のワンピースか。
    ワンピースにこだわるのは、アスカへの対抗心かな)
    「ああ、綾波。
    綾波も、帰り?」


    「そうなんだけど・・・
    相変わらず、他人行儀ね。
    レイって呼んでって、いつも言ってるじゃない」


    「なんか、照れくさくさ」


    「アスカに禁止されてるんでしょ?」


    「そ、そんなこと、ないよ」


    「どうかしら・・・
    それはともかく、今度の休みって、空いてる?」


    「いや、僕は、その」


    相も変わらずに続くレイのアプローチと解釈したシンジは、どう返答しようか暫し迷う。
    キッパリと断わればいいのは、分かっている。アスカとの平穏な関係を思えば、それがベストで
    あるのは当然だ。
    でも、それがなかなか出来ない。母に似た容姿を持つレイへの苦手意識が、体に染みついてし
    まっているようだ。
    正真正銘の少年ならともかく、中身は二四才の大人なのに情けないとは思うのだが。


    「別にデートの誘いじゃないから、安心して。
    今度の休みに、ヒカリちゃん達と遊園地に行く約束してるんだけど、シンちゃんとアスカも誘おうっ
    て話になってるの。どう?」


    「僕達を誘うなんて、珍しいね」


    「二人でいちゃいちゃするのもいいけど、友達付き合いも大切ってことよ。
    たまには、いいでしょ?」


    レイの言わんとしていることは、充分に理解しているシンジである。
    相田ケンスケ、鈴原トウジ、洞木ヒカリの三人と前世と変わらぬ友達付き合いをしてはいるものの、
    その付き合い方は、微妙に違う。と言うよりは、明らかに一歩引いた付き合い。
    当初はシンジも、彼らになるべく合わせるようにしていた。中学生とは、こんなに子供だったのかと
    思っても、自分の置かれた状況を考え、中学生を演じることに努力していた。
    が、それに慣れることはなく、元々人付き合いに消極的なこともあって、いつしか無理に合わせる
    ことを止めてしまったのだ。
    それはちょうど、アスカとの付き合いを公にした頃と重なっている。周囲は、それを理由として、シ
    ンジが大人への階段を一歩上って落ち着いたと解釈してくれたらしい。
    そんなわけで、ケンスケやトウジと遊びに出かけることはほとんどなくなってしまった。レイは、その
    辺の所を心配してくれているのだと思う。社交的なアスカと違い、シンジに友人は少ない。
    以前はシンジがレイを心配したものだが、今は立場が逆転してしまった。今のレイは、第壱中一番
    の人気者。友人は、男女問わず掃いて捨てるほどいるから。


    (ここまで変わるなんて、予想外だよ)
    「いちゃいちゃって・・・
    アスカとは、普通に付き合ってるつもりだけどな」


    「普通じゃないわ、絶対」


    「そ、そうですか」


    レイに断言されたシンジは、身に覚えがないと思いつつも、とりあえず返事をしておくのだった。










    「アスカ達、OKなのね。良かった。
    ありがとう、綾波さん。相田とトウジには、私から連絡しておくから。
    じゃあ、おやすみ」


    電話を切ったヒカリは、子機を机上に置き、その脇にあるデジタル式の目覚まし時計に目をやる。
    そろそろ、夜の一〇時半を過ぎようというところ。別室のノゾミは、もう寝ているだろう。夜が苦手な妹
    は、寝るのが早い。ヒカリも、すでにパジャマに着替えて、あとは寝るだけ。
    父は、まだ仕事から帰ってこない。もしかしたら、会社にそのまま泊まるかもしれない。母がいないこと
    で負い目を感じているらしい父は、口癖のように、学費は心配するな、必ず大学へ行けと言う。
    その言葉が虚勢や嘘でないと証明するかのように、父は仕事に傾注している。気持ちは本当に嬉しい
    が、ろくに休みも取らない父の体がヒカリは心配だ。
    姉のコダマは、こんな父のことをどう思っているのだろうか。
    大学へ進学してからの姉は、どうも落ち着かない。帰宅が深夜に及ぶことも珍しくない。
    流石に外泊はまだないものの、時間の問題だと思う。今日は、携帯に繋がらないという理由で、鈴木
    と名乗る男性から何回か電話もあったし。
    案の定、コダマはまだ帰ってこない。
    元々、男勝りの性格で家事を不得手としていることから、家のことはヒカリに任せきりだった。そこに不
    満がないと言えば嘘になる。最近はノゾミがよく動いてくれるので、だいぶ楽にはなったのだが。
    ただ、コダマは三姉妹の中でも一番優秀で、この国の最高学府へもすんなり合格するほどの秀才。そ
    のせいか、父もコダマに甘いようだ。


    「だからって、勝手がすぎるわ。
    いくら、お父さんが」


    文句言わないからと言葉を続けようとしたヒカリは、玄関のドアが開く音に気を取られて口をつぐんだ。
    次に、体が自然と玄関へ向かう。何も言わないでドアを開けたなら、父の可能性が高い。姉は、何かと
    騒がしいことが多いから。


    「お帰りなさい、お父さん。ご飯は?」


    すっかり父と思いこんでいたヒカリは、玄関に着くと、そこで再び口を止めた。
    そこにいたのは父ではなく、ちょうどスポーツシューズを脱ぎ終わって玄関へ上がる姉だった。


    「あ、ヒカリ。
    お父さん、まだなの?」


    こちらを見る、自分と似た顔の姉。
    似てはいるけども、髪の毛はショートだし、そばかすもない細身の綺麗な顔。高校時代は毛嫌いさえし
    ていた化粧を覚えたせいか、近頃ぐんと大人っぽくなった。
    豊かな腰に張り付いたジーンズと、ぴっちりしたTシャツから浮き出る体のラインは、コダマがすでに成
    熟した女であることをヒカリに教えてくれる。
    これで彼氏なんていないと言われても、とても信じられるものではない。


    「どうしたのよ、ヒカリ。
    人の顔をジロジロ見て」


    「最近、遅いじゃない。
    お父さんは、毎日、残業で頑張ってるのに。
    お父さんに悪いと思わないの?」


    取り繕うことなく、不満げな顔を隠そうともしないヒカリは、思った事をそのままに言った。
    コダマは意外そうな表情を一瞬浮かべるも、それはすぐに消えている。


    「遊んでるわけじゃないわ」


    「デートが、遊びじゃないっていうの?」


    「デート?
    私が?、誰と?」


    「誰って・・・
    家に電話かけてきた男の人よ。鈴木さんとかいう」


    「バイト先の店長よ、それ。
    携帯の電池が切れてるの気付かなくて、そのままだったのよ。だから、こっちに電話したんじゃない?
    バイトが二人無断欠勤したから、多分それで、慌てて私に電話したんだと思うわ。早く来いと言いたか
    ったんでしょ。
    私が着いたときなんて、みんなパニクってたもん。最近、妙な時間に混むのよねえ」


    「・・・アルバイトしてたの?お姉ちゃん」


    「そうよ。
    自分の食い扶持くらいは稼ごうと思って、第三(第三新東京市)駅前のファミレスでバイトしてんの。
    あのチャラチャラした制服は苦手なんだけど、この辺じゃ一番時給いいのよ、あの店。
    さすがに、お水系みたいには、いかないけどさ」


    予想外の展開にキョトンとしたヒカリは、あらためて電話の様子など思い起こした。
    成る程、考えてみれば、鈴木としか名乗らなかった男性は何か切迫した様子だった。自分の身分を明
    かさなかったのは、店員の家族への儀礼的な挨拶さえ忘れるほどの状況だったということだろう。
    それにしても、姉が勤めるファミレスのウェイトレスは時給が高いことで有名だが、選考基準も厳しいと
    聞いている。当然のごとく競争率も高く、普通に可愛いと謂われるレベルでは採用されないとの噂だ。ヒ
    カリも何度か店に行ったことあるが、ウェイトレス達は確かに美形揃いでスタイルも秀逸だった。高校に
    進学してバイトが解禁になっても、自分では絶対無理だとヒカリが諦めたくらいだ。
    なのに、姉がそこで働いているとは・・・
    世間での姉の評価は、自分が思うより遙かに高いのかもしれない。一度、バイト時の姿を見ておいた方
    がいいかも。


    「それならそうと言ってよ。
    変な誤解するところだったじゃない」


    「私が、お父さんの苦労を横目に遊び歩いてると思ったわけ?
    信用ないのね、私って」


    「だってさ」


    「一応、長女よ、私。
    お父さんやヒカリやノゾミの期待裏切るようなことは、絶対しないわ。
    私より、ヒカリの方が危ないんじゃないの?」


    「どういうことよ」


    「今、鈴原君とラブ真っ最中なんでしょ?
    惣流さん達に影響されて、変なことにならなきゃいいけど」


    「へ、へ、へ、変なことって、なによ」


    「あらあ、動揺しちゃって。
    心当たりでもあるの?」


    「あるわけないでしょ!
    キスもしてないわ!」


    「意外に奥手なのね、鈴原君」


    二人が付き合い始めて半年以上経つので、いくらなんでもキスくらいしただろうと思っていたコダマは、
    少々呆れた。
    ヒカリの潔癖さは知っているコダマだったが、実際に付き合いが始まれば、そんなものは簡単に崩れ去
    ると思っていた。中学生とは思えないトウジの自制心にも感心する。
    コダマは享楽主義の信奉者ではないし、フリーセックスを推奨する人間でもない。
    でも、今時の若い娘に結婚まで処女を守れと言うつもりもない。大体、自分もまだ十二分に若い女だ。
    正直なところ、セックスに興味がある。残念なことに、今まで経験はないが。
    ヒカリの年齢ではまだ早いし妹に先を越されるのは姉として悔しいけど、好きな者同士が充分な対策を
    施した上で行為に至るなら、それはそれでいいのではと思う。欲望の赴くまま、勢いで突っ走るのは論外
    としてもだ。


    「早いとこ済ませないと、私が鈴原君いただいちゃうわよ。
    タイプなのよねえ、彼って」


    「お姉ちゃん!」


    「冗談よ、冗談。
    さ〜て、お風呂、お風呂。
    やっぱり、日本人はシャワーよりお風呂よね。お店にも、お風呂付けてくれないかしら」


    風呂に向かう姉の背を見送ったヒカリは、自分の言った言葉をあらためて思い出し、赤面した。
    キスもしてない。
    これは、本当だ。
    何度かそのような雰囲気になったが、結局は双方の遠慮から流れている。
    いや、トウジは明らかにその気だったが、自分が逃げた。キスしてしまうと、キスだけではおさまらないよ
    うな気がして怖かったのだ。
    トウジがキス以上を求めてきたら、拒むことはないと言い切れる。自分でも抑えきれない性への好奇心、
    欲求が怖い。快楽に溺れてしまいそうで、怖い。
    姉の言う通り、アスカ達に影響されているのかもしれない。近頃の自分は、とても淫らだと思う。今は理
    性が勝っているけども、何かの拍子で箍が外れたら・・・


    「わたしは、アスカみたいにならないわ、絶対。
    ならないんだから。
    なるわけない。
    ならない・・・わよね?、わたし」


    知性では、姉でさえ及ばない英才のアスカ。
    そのアスカが、のめり込んで病みつきになるとまで言う快楽。慣れると、快絶のあまり気を失うことも珍
    しくないそうだ。
    自分があと一歩踏み込んでトウジを誘えば、彼は嬉々としてこの体を好きにするだろう。
    でも、何かがヒカリを押し留める。
    トウジが好きなのに、僅かな一歩が踏み込めない。トウジにヴァージンを捧げて悔いはないのかと自分
    に問うと、即答できずに考えてしまうのだ。


    「アスカは、迷わなかったのかしら」


    その辺りの事情は、これまで聞いたことがない。そこまで立ち入った話をするのは気が引けたし、恥ずか
    しくもあったからだ。
    が、今度の休みはじっくり話ができそうだから、アスカに聞いてみようとヒカリは決心した。
    シンジに初めて体を預けたとき、葛藤はなかったのかと。


    「こんな事ばかり考えて、やだわ、もう。
    わたしも、そろそろ寝よ」


    やや紅潮した両頬を掌で軽く叩いたヒカリは、悶々とする心を無理矢理抑え込み、自室へ戻った。
    この迷いが、ヒカリの将来に多大な影響を与えることを、まだ誰も気付いていない。
    そして、その影響に巻き込まれる人物達もまた、己の運命が分岐点に差し掛かっていることを理解してい
    なかった。






    act.7

    でらさんから「秘密」のact.6をいただきました。

    これはまた駄目な男でしたね斉藤とかいう男。まあ(内面が)大人になったシンジ君の敵ではなかったようですが。

    あと、ヒカリの環境にも何か変化がありそうですね。伏線ははってありましたが‥‥。

    楽しい時間を過ごさせてくれたでらさんに感想メールを書きましょう。

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