秘密 act.5

    作者:でらさん















    『でも僕は、もう一度会いたいと思った。
    その時の気持ちは、本当だと思うから』


    互いに拒絶し合ったはずのアスカと、彼は会いたいと言った。
    いや、はっきりアスカとは言わなかったけども、レイは、そう受け取った。
    彼、碇シンジと溶け合った時は歓喜に打ち震えたものの、その刻は短く、すぐに終わりが訪れる。
    シンジは、辛苦の待つ現世への帰還を希望したのだ。


    『ありがとう、綾波』


    笑顔で去ったシンジは、最後まで自分の名を呼んでくれなかった。
    結局、自分は親しい友人以上ではなかったのか。
    あんなに想ったのに、優しくしてくれたのに、彼のために命まで賭けたのに・・・
    彼が会いたいと言ったアスカは、彼に対して何をしたのか。
    好意を抱いているのは、確かに分かった。
    それが恋や愛とは理解できなかったけども、彼女がシンジに特別な何かを向けていることは理解できた。
    でも、彼女とシンジが仲睦まじくしているところを、レイは見たことがない。
    二人は毎日のように言い争い、反目し合い、アスカがシンジを小突くことも珍しくなかった。
    シンジがディラックの海に沈んだ時でさえ、彼女はシンジを責めるばかり。彼女の挑発が原因だというの
    に。
    アスカが実際に何を考えていたのか、心の奥底に何があるのか、レイは知らない。彼女は補完世界にお
    いても他人と溶け合うのを嫌い、僅かの例外を除いて他人を寄せ付けなかったから。
    だから、知りたいと思った。
    誰にも干渉されない世界に置かれた彼女が、シンジとどう接するのかを。

    アスカとシンジは自らの意思で現世世界を望み、二人はアダムとイブの如く、肉体を持って現世に復活。
    サードインパクト直前の記憶が影響したのか、アスカはプラグスーツを着用。左目と右手には包帯を巻い
    ていた。シンジは学校に通うときの服で、二人は湖畔に隣り合わせで仰臥する格好で目覚めている。
    レイはというと、補完世界から離れ、次元を隔てた異世界から彼らを視ていた。
    リリスと魂を共有したことで超常の力を持ったレイだが、人としても不完全な中途半端な存在となり、簡単
    には現世へ復帰できない身の上となっている。よって、実体を持たない精神体として二人の行く末を視て
    いくことにしたのだった。
    補完への過程で一時的に高次の存在と一体化したレイは、補完のシステムを把握していた。
    人が自らの意思で現世を望めば、溶け合ったLCLから個を取り戻して復活できることになっている。
    それが、高次の存在。いわゆる神が設定した進化の過程での猶予期間。進化は強制でなく、選択する権
    利も在るということ。
    が、それは期間限定。現世時間の数日で、その特典期間は終了する。
    そして人類は、アスカとシンジを除いて進化を選択。補完世界は現世と完全に切り離され、現世は通常の
    姿を取り戻したのだ。


    (少しは落ち着いたようね、二人とも)


    レイは、徒歩で市街へ向かうアスカとシンジを、一〇メートルほどの真上から視ている。
    次元そのものがずれているため彼らから自分が見えることはないものの、視線が合うとどうも気になる。よっ
    て、後ろか頭上に位置を取ることにしているのだ。


    (セカンドは何故、碇君と一緒にいるの?)


    レイには、アスカの行動と心理が理解できない。
    数日前に目覚めたとき、彼女はシンジに首を絞められている。
    正確には、馬乗りになって首を絞めようとしても出来ないシンジを下から眺めていただけなのだが。
    アスカなら、思いっきり突き飛ばして逆に首を絞めることくらいはするだろう。レイの知るアスカとは、そうい
    う人間だったはず。
    ところが彼女は、シンジの頬に手を添えるだけで何もしなかった。”気持ち悪い”という言葉を発したものの、
    それは単に肉体的な問題であったようで、彼女は数分後に嘔吐している。
    そして今は、多少ぎこちないながらシンジと会話し、行動を共にする。
    アスカの思考は、相変わらず不可解。
    補完世界では、汚い言葉で罵り合っていたというのに。
    シンジの心理も、不可解と言えなくもない。あれほど拒否されてもアスカを望むとは。


    (人の心は、不思議なものね)


    レイは歩き続ける二人を見続けながら、これから二人が直面するだろう苦労を予想し、それを見守ることし
    かできない自分を哀れんだ。









    目を見開くといった言葉を、これほど実感したときはない。
    レイは今、真新しいベッドの上で絡み合う二つの裸身を見下ろしている。


    (生殖行為って、そんなに気持ちいいのかしら)


    かつては、家族連れや夫婦連れ、若いカップル等で賑わった家具展示場で、陽も眩しい昼間にもかかわら
    ず交わる二人。その二人を宙から見下ろすレイは、声を挙げ、息を荒くし、汗を流し、体を紅潮させる二人
    が不思議でならない。
    セックスは知識として知ってはいるし、人間にとって必要な行為であるということも分かっている。
    でも、それが具体的にどういう感覚をもたらすものなのかレイには分からない。

    一週間ほど前、二人はついに一線を越え、男女の関係となった。以後二人は、何かに憑かれたように行為
    にのめり込んでいる。
    世界の終わりから半年あまりが経ち、二人は多くの失敗を経験しながらもサバイバル生活に順応していた。
    サバイバルといっても物資は豊富だし、保存の利く食料は、まだ山ほどある。最終決戦時にN2弾頭搭載の
    ミサイルが第三新東京市に直撃はしたが流石に小型の弾頭が使用されたらしく、市郊外の被害はそれほど
    でもない、よって、住む場所にも困らない。
    そんなわけで二人は、とりあえずここに腰を据えて他の生存者を捜している状況。
    が、当然ながら成果はなく、二人は徐々に現実を認識しつつあった。
    心に浸食する絶望感を忘れようとするが如く互いを求め合い、飢えた獣のように体を求め合ったのは、愛
    情というより一種の逃避かもしれない。
    これまで二人を視てきたレイは、彼らの心情を多少なりとも理解できるようになっていた。
    一見、粗雑とも思えるアスカの言動は愛情の裏返しであって、真にシンジを嫌っているのではないこと。そ
    してそれは、ずっと前から変わっていないことも。
    つまりアスカは、相当前からシンジへ好意を抱いていたということ。
    シンジについては言うまでもない。彼が異性として意識していたのは、ミサトとアスカ。特にアスカは、特別
    な存在だった。
    シンジにとって自分は、母の面影を追う対象でしかない。姉や妹のようなものだと思う。
    彼が自分をどう思おうと、自分はシンジが好き。アスカのように、彼に愛されたい。彼に抱かれれば、肉欲も
    理解できると思う。


    (無理矢理にでも補完世界を壊してしまえばよかったかしら。
    そうすれば、碇君と・・・)


    あの時の自分には、その力があったし、選択肢の一つとして存在した。
    レイの決断一つで、世界は何事もなかったように復活したことだろう。時間軸にまで干渉する至高存在の力
    は絶大だ。その存在と僅かながら一体化したレイは、シンジの意志を無視して自分の思い通りに世界を構築
    することも出来た。
    が、あの時は、シンジの意志を優先した。全ては、後の祭りだ。


    (でも、世界を思い通りに出来たとしても、私は大切な何かを失っていたかもしれない。
    それが何か、分からないけど)


    一人目の自分は、そういった思考を持つ前に死んでしまった。
    二人目の自分は、あと一歩で、それが何か分かるはずだった。
    三人目の自分、つまり今の自分は、感覚的に分かるものの言葉には出来ない。


    (成長しているのね、私も。
    少し、遅いけど)


    その時、行為を一時終え、揃って大の字になった二人がこちらを見上げた視線とレイの視線がぶつかる。
    次の瞬間、レイは粘液と精液で濡れ光るシンジの股間を見て赤面・・・した気がした。
    向こうからこちらが見えるはずがない。
    だがレイは、逃げるようにその場から消えるのだった。

    それから、日々、成長していく二人。
    シンジは逞しくなり、アスカは穏やかになっていく。
    会話も大人びたものになり、喧嘩の回数も減っていった。
    早々に破綻するかもと思われた二人だけの生活は、八年の月日を越えても続いていた。
    いつの頃からか続く単調な日々の繰り返しで、二人を見守るレイも倦怠感を感じるようになったその時、二人
    は突如として閉じられた世界からの脱出を計画。行動に移る。
    この世界から脱しようなど、レイも考えたことはない。自分が今いる場所は位相空間とも呼ぶべき物で、全く
    別の世界ではない。世界そのものをジャンプすることは、レイにも不可能なのだ。
    アスカの考えたプランは、実にシンプル。
    湖に浮かぶ量産型エヴァのS2機関を暴走させ、ディラックの海を創りだしてそこへダイブしようというもの。シ
    ンプルというか、無謀も甚だしい。レイなら、絶対に乗らないプラン。
    しかし、シンジは乗った。
    平穏に暮らしているように見えても、生死など度外視出来るほど精神的に追いつめられているということだ
    ろうか。
    少なくとも、レイは、そう判断した。
    ならば、自分も計画に加わろう。
    三人共に生を終えるなら、それもいい。
    爆心点なら、位相空間ごとディラックの海に運んでくれるだろう。
    レイは、自分の本当の死を予感し、何故か安堵した。








    レイにしては珍しい混乱。
    高温化したLCLの影響かと思ったが、それは現実だった。

    初号機の壁となり、使徒の加粒子砲を防ぎきったものの、急遽仕立てられた盾は融解し、零号機も粒子の
    嵐と熱線に晒されて中破。
    レイはシンジに助け出され、シンジの腕に抱かれたレイは、朦朧とした意識の中でも幸せを感じたものだ。
    その幸せも、つかの間。
    駆けつけたスタッフにより、レイはネルフへ搬送されている。
    あれからどのくらいの時間が経ったのか分からないが、目を覚ましたレイが病室の天井を確認したその時
    点で問題は起こった。


    (ここは、どこ?)


    頭の中に響く声。
    怪我による幻聴と思ったが、それは再度、問うてくる。


    (ここは、どこなの?)


    「あなた、誰?」


    (私は、綾波レイ)


    「・・・・」


    ここでレイは、またしても迷いを見せた。感情の起伏が極端に少ない彼女にしては、異常とも言っていい。
    それを拒否の意思として受け取ったのか、頭に響く声は言葉を続ける。


    (答えないなら、いいわ。
    記憶を探るから)


    「記憶?」


    脳の中を触手が蠢くような不快な感覚。それが、レイに嘔吐さえ催させる。
    が、レイはそれに耐え、触手を引き剥がそうと意識を集中。封印しているリリスの力を僅かながら解放した。
    使いすぎると体の維持すらままならないが、訳の分からない存在に記憶を探られるよりはマシというもの。
    と、本格的な力の行使の前に、触手の感覚はすーっと消えていく。


    (事情は、分かったわ。私は、時を遡ったようね)


    「そんなこと、出来るわけない」


    人外の存在たるリリスの遺伝子と能力を持つレイとて、時間の超越など不可能。これは使徒の精神汚染と
    レイは判断し、排除しようと再び力を集中させようとする。
    ところが、今度は巧く力が働かない。内なる別の意識にブロックされているようだ。


    (現実として、私はここにいるわ。
    認められないなら、この体をもらうだけ)


    「やめて。
    碇君に会えなくなる」


    (私が巧くやってあげる。
    まだセカンドと会ってない今なら、何とかなるもの)


    「セカンド?セカンドチルドレン?
    うっ!」


    脳を直接鷲掴みにされたような感覚がレイを襲い、体の自由が一瞬にして奪われた。全身から感覚が失わ
    れていく。
    未来から来たと主張する綾波レイの力は強く、意識が次第に薄れる。
    と同時に、薄れ行く意識に流れ込んでくる別の記憶。
    初めて認識した下界。そこは、コンクリートの壁に囲まれた無機質な部屋。
    妙齢の女性に首を絞められる自分と、再び現れる下界。それは、生と死の狭間で生きる自分の宿命。
    無意識に寄せるゲンドウへの信頼。シンジとの出会いで、次第にそれは薄れていく。
    これは、自分だ。自分の人生そのもの。
    そう思ったレイだが、記憶は更なる展開を見せた。
    ドイツから訪れたセカンドチルドレンは、自分が心寄せていたシンジを奪い去っていく。自分とは正反対の
    明朗快活さが恨めしい。シンジと気軽に会話する彼女が、レイには羨ましかった。
    それなのにセカンドは、シンジを大事にしない。逆に、対使徒戦のスコアと同時にシンクロ率をも上げ続け
    るシンジにセカンドは嫉妬。シンジへの言動は、辛辣さを増していった。
    時期を同じくして、全体の状況は坂道を転げるように暗転していく。
    人々の思惑は入り乱れ、戦渦は拡大し、人的被害も増大する。
    そして訪れる最後の時。
    人は、神に生け贄を捧げるが如く殺し合い、セカンドは一瞬の歓喜から絶望に叩き落とされて死んだ。
    多すぎる死とセカンドの死を目の当たりにしたシンジは精神を破綻させ、それに呼応した自分はリリスの本
    体と融合して補完の儀式を主催。
    斯くして、サードインパクトは発動した。
    人々の魂を一つにして、永遠の安らぎを得ようとする試みは成功したらしい。
    そう・・・
    これは、未来の記憶。これから自分が体験するであろう事象。
    自分は今、その記憶を共有している。
    報われない、哀しい未来を生きた自分。
    でも、体を明け渡すわけにはいかない。
    優しくしてくれるシンジに、また会いたい。
    未来の記憶にはない、今の自分とシンジの関わり、心の触れ合い。
    自分の方が、より人間らしく生きている。負けるはずがない。


    「負け・・な・い」


    気合いもろとも踏みとどまったレイは、逆に敵を呑み込もうとする勢いで力を増幅させる。併せるように力を
    増大させる未来の自分。
    内面世界での戦いは現実世界に影響を与えることなく、静かに進む。
    強固な意思と意思のぶつかり合いは、精神そのものを混濁させ、その内、どちらが本当の自分か自分達で
    も分からないほどに混乱していった。
    その荒れ狂う内面世界は、あるピークを境に突如として収束に向かう。
    そして、現実世界のレイが静かに目を開けた。


    「・・・私は、誰?」


    宙に問いかけるも、当然、応えてくれる者はいない。
    でも、レイ自身には分かる。自分が、何者であるか。


    「決まってるわ。、わたしは、綾波レイ。
    レイちゃんでっす!!」











    「何よ、もう。
    せっかくシンちゃんとの淡い思い出に浸ろうと思ったのに、湿っぽい話、思い出しちゃったわ。
    どうなってんのよ、わたしの記憶は」


    レイは、大袈裟に頭を振って嘆いた。
    現在と未来、二つの意識が融合した結果、今の自分が在る。
    マイナスとマイナスをかけてプラスになるような物だろうか。
    こうまで性格が激変した理屈は、今でも分からない。
    分からないけど、こうなって良かったと思う。
    シンジはアスカに取られてしまい、奪還する目処も立たない。
    でも・・・

    「わたしは生きてる。 こんなにも愉しく!
    最高じゃない!」


    澄んだ空気、真っ青な空、輝くほどに白い雲が、レイを優しく見下ろす。
    そして、道を行く第壱中の生徒達、サラリーマン、OL、その他諸々・・・
    そのほとんどが、レイの笑顔に魅入られたように微笑んでいた。





    act.6

    でらさんから「秘密」のact.5をいただきました。

    久しぶりの更新です。レイの変貌にはこういう理由があったのですね。

    楽しい時間を過ごさせてくれたでらさんに感想メールを書きましょう。

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