act.4
西暦二〇一六年・・・
加持は最近、あの頃の自分の考え、行動がおかしなものに思えてきた。
ただ、オーバー・ザ・レインボーでアスカが初めて示した同年代の少年への関心が妙に嬉し
く、久しぶりに会ったミサトとその話題で盛り上がったことは、何かの契機になったかもしれな
い。己の感情のままに笑ったのは、数年ぶりだったから。
セカンドインパクトとその後の混乱で、自分は家族全てを失った。
混乱の中でも暫く一緒だった弟は、ひもじさに耐えかねて他人の食料に手を付け、報復とし
て殺された。弟を殺したのは、近所でも人の良さで知られた老人。そんな老人でも、食料の
ためには命がけにならざるを得ないほどの地獄。そんな時代だった。
優しい母と朗らかな父の元、笑顔の絶えなかった家族。そして平穏な生活。それらを一瞬に
して奪ったセカンドインパクトの真相を知りたいと思ったのは、必然だろう。
だが、その目標は、ミサトとの出会いで変わっていく。
セカンドインパクトの勃発点である南極にいた、葛城調査隊の生き残り。しかも、調査隊責任
者である葛城博士の一人娘。真相の一端を知るであろうその彼女と同じ大学、同期として席
を同じくしたのは、神が自分に与えてくれた好機と感じたものだ。
秀麗な外見を持ち、さっぱりした性格の彼女に関心を持つ男は多く、近づくのは苦労したが、
一旦接触を持つと、意外にも意気投合。すぐに男女の関係にまで発展。進展する関係と共に、
ミサトからセカンドインパクトの情報を引き出すという当初の目的は、頭の隅に追いやられて
いく。
付き合いが深くなっていくほどに知る、ミサトの心に沈む哀しみ。セカンドインパクトで失語症
を煩い、無為に過ごした数年の時を取り戻そうとでも言うようなミサトの明るさの裏には、自
分と同じセカンドインパクトへの憎悪があった。
気が付けば、自分の目的はミサトをセカンドインパクトの呪縛から解き放つことに変わっていた。
実の娘と人形の区別もできないほど心を病んだ母。その母が首を吊った現場を目の当たりに
したアスカ。
愛しい母が目前で消失し、父から捨てられたと思いこんでいるシンジ。
思えば、彼らは似ている。自分達に。
ただ彼らの場合、曲がることなく、一筋に互いを求めた。
恐らく、出会いの時点で全ては決まっていたのだろう。あの出会いが、全ての発端とも言える。
「しかし、レイも諦めが悪いな。
端で視てる分には、面白いんだが」
ひとまず回想を終えた加持は、欠けはじめた月を見てレイを連想したのか、何とはなしに呟く。
今日は、自分のマンションにミサトを招いての食事会。メインの食事は終わり、今はベランダで
軽いジュースを飲みながらミサトとくつろいでいる。
食事会といっても結婚式の打ち合わせを兼ねてもいるので、雰囲気も何もない普通の夕食だっ
た。二人で子供のようにじゃれ合いながら作った料理は、お世辞にも良い出来とは言い難い
代物ではあったが、精神的には満たされた二人である。
レイも、今は普通に料理をするそうだ。
綾波レイも、この一年で変わった人物の一人。彼女の場合、変化の度合いが大きいのでイン
パクトも強い。
シンジが本部に着任するまでは、必要以外喋らず、表情もほとんど変えない薄幸の少女を地
でいくキャラだったのだが、今はアスカ以上の騒がしい少女と成り果てている。
変わった彼女を好意的に見る者、昔を懐かしがる者、評価は様々だが、変わった原因につい
ては異論がない。
シンジへの想い。
一途なその想いが、原因の全て。
ただ、一途すぎて周りの失笑を買うことが多々ある。それが、最近のレイ。
「まだ一五才よ、あの子達。あれが普通なんじゃないの?
相手が相手だから、レイが道化に見えるけどさ」
「道化か・・・
道化になるような娘じゃないんだがな、レイは」
アスカ以上の美形と評価する人間も多いレイは、普通なら追いかけるより追いかけられる立
場の少女。事実、彼女の通う学校、ネルフ、その他諸々の場で彼女に接近しようとする輩は
多い。非公式のファンクラブまで存在するくらい。
彼女が交際相手を募集しようものなら、ちょっとした混乱を引き起こすかもしれない。
「ま、何年かすれば、レイも落ち着くわよ。
アスカとだって、シンジ君以外のことじゃ仲良いし」
「それが、俺にはよく分からん。
恋敵と友達になれるもんなのか?女ってのは」
「普通は、無理ね。
長年付き合った親友でも、男を巡った争いになったら一瞬で崩壊するのが女の友情よ。
稀に恋敵同士ができちゃう場合があるけど本当に稀だし、アスカとレイじゃね・・・」
「だよな。
あいつらは、何から何まで普通じゃないってことか。
今の若い連中の考えてることは、半分も理解できんよ」
「そんな台詞吐く歳でもないでしょ、あんた。
父親になるんだから、しっかりして」
「努力は、するがね」
こんな感じで、自分とミサトは歳を重ねていくのだろうか。
一〇年後も二〇年後も、今と変わらぬ調子で会話する自分達を想像した加持は、それが自
分達らしいと思う。変に老成した自分もミサトも、どうもイメージできないし。
アスカとシンジは、普通に老成しそうだ。
外泊をミサトに咎められても、しれっと流す余裕、または押しの強さ、そして厚顔ぶりは、その
現れとも言えそう。
アスカの外泊でミサトも退職を考え直したそうだし、彼らからは、まだ目を離せそうにない。シ
ンジに対する疑惑も、完全に払拭したわけではないし。
「少し早いが、そろそろ寝るか。
明日は、新人研修で講義しなきゃならないんだ」
「随分と早い研修ね。
大体、何であんたが講師なわけ?研修の講義なんて、総務の仕事じゃない」
「暇な人間を選んだんだろ。
ま、可愛い娘がいたら目の保養になるから、俺にとっちゃ、むしろ大歓迎だが」
「式挙げる前に浮気?いい度胸してんのね」
「観賞用だ、観賞用。
花は、美しさを愛でて愉しむものさ」
「身近な花を愛でなさいよ」
「どこに花があるんだ?」
返事の代わりに頭を一発軽く叩かれた加持は、僅かに笑みを浮かべながら、スタスタと部屋
に戻るミサトの後を追いかけるのだった。
「ふう・・
気持ちのいい朝だねえ」
玄関の掃除を終えた河田ヤスコは、箒を持ったまま外に出ると、草木の匂いが薫る朝の空気
を一息吸って、空を見上げた。輝く純白の雲と、絵の具のように鮮やかな青が目に眩しい。
掃除は専門業者が行うので管理業務にはないが、これはヤスコの日課であって、趣味みたい
なもの。
女子寮の管理人というのは、基本的に暇な時間が多い。前の職とは、かなり違う。しかも、今
の方が倍くらいの稼ぎがある。世の不条理と言えば、そうかもしれないが。
三年にも渡って勤めた、個人経営の弁当屋。
経営者兼コックの主人が、若いながらいい腕で人柄も良かったためか、弁当屋はなかなかに
繁盛して、パートに過ぎなかったヤスコも相場以上の給与を得ていた。中年を過ぎようとしてい
る女一人が生きて行くには充分以上の収入があり、家庭もなく、資格もキャリアもない身にして
は恵まれていると思ったものだ。
が、そんな生活も、独身だった主人の結婚によって、あっさりと終わりを告げる。
主人も相手の女性も変わらずに働いてくれと言ってくれたのだが、いくら繁盛していても個人経
営の店にそれほどの余裕はないことをヤスコは知っていた。自分が残ったら、確実に経営は厳
しくなる。店を広げるかして事業を拡張すれば別だが、職人肌の主人にその気はなく、伴侶と
なった女性も慎重な性格。それに、仲睦まじい若い二人を見て、自分の居場所はないとヤスコ
は悟ってもいた。
辞めたあと、自分のようなくたびれた女に新たな職があるだろうかと途方に暮れていた丁度そ
の時、なんとネルフ本部から電話が。女子寮の管理人が都合で退職したので、ヤスコを雇い
たいというオファーだった。
ネルフにコネなどあるはずのないヤスコは質の悪い悪戯か詐欺だと思い相手にしなかったが、
自宅アパートへネルフの制服を着た白髪の紳士が、ガードを引き連れて来訪。その紳士は弁
当屋の常連で、名を冬月。弁当屋を訪れる時は、よれた私服が常であったので、彼がネルフ
本部副司令の名刺を差し出したときは、本当に心臓が止まるかと思った。
ヤスコと軽口を交わす馴染みだった冬月は弁当屋の主人から事情を聞き、各方面に手を回し
たところ、偶然にも管理人の職が空いていたとのことだった。全く運がいいとしか思えない。
そんな運に助けられた今の職だが、元々が面倒見のいい方であったので、結構肌に合う。
ネルフは非公開組織ともあって一歩引いて見られることが多いが、勤める人間に大した違い
はない。
若い女性職員を預かる立場のヤスコも、色々と苦労させられている。付き合っている彼を密か
に部屋へ入れようとしたり、酒を飲み過ぎて正体不明で帰ってきたり、夜中に馬鹿騒ぎしたり・・・
良くも悪くも、普通の若い女性達だ。
中には、ちょっと普通でない女性もいたりするのだが。
「女同士で堂々といちゃつくなんて、あたしには全く理解できないけどねえ。
あたしの若い頃もいたけど、出来る限り隠そうとしたもんだよ。まったく、今の若いもんは」
「おはようございます!河田さん!」
唐突に後ろから声をかけられたヤスコが体ごと振り返ると、蒼銀の髪の毛をショートにした少
女がこちらへ小走りに駆けてくる。最近、性格がすっかり朗らかになった綾波レイだ。
ろくに口も開かなかった一年前が嘘のように、彼女は変わった。不健康なほど華奢だった体に
は適度な肉が付き、バストの膨らみ具合も良好で、同性から見ても年齢以上の艶を発してい
る。同年代の少年達には、さぞ目の毒だろう。
「おはよう、レイちゃん。
今日も元気だね」
”これが取り柄ですから!”と言って駆けていくレイの後ろ姿を、ヤスコが見送る。
ここへ来たときは、今にでも倒れてしまいそうなほどに弱々しい印象のあった彼女が、変われ
ば変わるものだ。
恋をすると女は変わるというが、これは良い意味での変化。
お洒落どころか掃除すら知らず、埃の積もった室内を見て仰天したのも過去の話。
司令の一人息子、碇シンジがサードチルドレンとして本部に来てからのレイは、徐々に女の子
らしさを増していった。
碇君がネルフの用事で来るのでお茶の用意をしたいけど、煎れ方も知らない。教えてくれ。
お洒落をして、碇君の気を惹きたい。
お弁当を持っていってあげたら、碇君は喜ぶだろうか。
そんな相談を受けるたび、ヤスコは実の娘にそうするように、優しく一から教えた。
突如現れた恋敵に彼はあっさり奪われ、努力が実を結ばなかったのは残念だが、性格が劇的
に変わったのは素直に嬉しい。本当の娘のように可愛がっていたから。
いつか彼女も、シンジ以外の誰かと燃えるような恋に落ち、結婚するのかもしれない。
その時は、自分も式に出席したいものだ。
末席でもいいから、自分も彼女の幸せを祝したい。
それが駄目なら、会場の外からでもいい。彼女の晴れ姿を、一目だけでも目に焼き付けてお
きたい。
「沙織が生きてたら、今頃は孫抱いてたのかね・・・」
セカンドインパクトで死に別れた娘の顔を久しぶりに思い起こしながら、ヤスコは重くなった
体を引きずるように建物の中へと戻っていく。
若い頃は周囲から褒めそやされるほど秀麗な容姿の持ち主だったヤスコも、今はその面影
すら見いだせないほど変わってしまった。体も肥満気味で、女の魅力からは、ほど遠い。
昔は綺麗に老いたいと思っていたけども、忌まわしきセカンドインパクトが、自分から何もか
も奪い去っていった。
夫、娘、両親、友人、故郷・・・
そして、誇りさえも。
それらを一時的にでも忘れさせてくれた冬月。年甲斐もなく彼に感じたときめきは、ずっと胸
にしまってある。冬月は、自分などが好意を寄せていい紳士ではない。鏡を見るたび、そう思う。
その上、冬月は元学者だと聞く。ろくに学もない自分では、釣り合い以前の問題だ。
「ダイエット、してみるかね」
ふと漏らした言葉に、ヤスコは自分で驚いて立ち止まる。
そしてすぐに、自分を嗤った。
「なに考えてんだろうね、あたしゃ。
まだ惚ける歳じゃないんだけどねえ」
自分にもまだ女の欠片が残っていたことに驚きつつ、もはや手遅れの段階に入っていること
にもヤスコは気付く。
二回ほど頭を振ったヤスコは、何事もなかったかのように、管理人室への道を急いだ。
気持ちのいい空気に、体が溶け込みそうだ。
レイは、独りで歩く学校への道のりを、いつしか愉しむようになっていた。
朝の空気を清々しいと感じるようになったのは、いつからだろうか。
レイは、よく覚えていない。
何気ない日常の中に幸せを感じるようになるまでの自分は、ただ生きているだけの人形。リリ
スの遺伝情報を用いて創生された人工生命、補完計画の道具に過ぎなかった。
それを変えたのは、シンジとの出会い。
そして、時を同じくして自分の中に宿った
いや、自分と融合した、もう一つの心。未来の自分。
ヤシマ作戦の後、突如として頭の中に現れた意思は当初、一〇年後の未来から時を遡って来
たと主張。そしてその意思は肉体を欲し、自分を排除しようとした。
が、レイとて、全ての始祖であるアダムと同等の能力を持つリリスの分身。頑強に抵抗して、肉体
を死守。
結果、等しい力のぶつかり合いは、心の融合という意外な結末で終了。レイは、その時点で生ま
れ変わったと言ってもいいだろう。
実際、日々の生活の全てが変わっていった。
楽しいと感じれば笑い、寂しいと感じれば目を伏せ、理不尽に扱われれば怒る。
こんな普通のことを、それまで何故できなかったのかと不思議に思ったくらい。
そして、シンジに恋する自分と、彼の心を掴んだセカンドチルドレンに対する嫉妬。
それを自覚したときレイは、自分の身を振り返り、女の子としてやるべきことが出来ていないこと
に初めて気付く。
だが逆に、自分の容姿にある程度の魅力が備わっていることにも気付いていた。これを磨けば、
セカンドからシンジを奪えるかもしれない。
そう考えたレイは、周りの人々に教えを請い、より女の子らしくなろうと努力を続けている。
周囲もこんなレイに好意的で、様々な形で手を貸してくれる。かつては自分に冷たかったリツコ
まで姉のように接してくれるようになったのは、嬉しい誤算だ。
問題があるとすれば、頭の片隅に在る前世の記憶。それが、たまに心を沈ませてくれる。人格が
融合した際、完全に消えてくれればよかったのだが、不完全な形で残ってしまった。不完全な記
憶というものは、かえって厄介。可能ならば、綺麗さっぱり消し去りたい。
「アスカと碇君のラブを一〇年も視続けたなんて、拷問に近いわ。
前の私って、ストーカーの気でもあったのかしら」
前世の自分は、世界が崩壊してからずっと、実体を持たない精神体としてアスカとシンジを別次
元から見守っていた。
精神体となっても人間としての感情を失っていなかった自分は、シンジへの想いも抱き続けてい
て、アスカへの嫉妬もまた、激しいものがあった。
激しいと言っても殺意ではなく、自分もシンジといちゃつきたいとか、そんな低レベルの嫉妬。そ
の影響が、今の人格に出ているのかもしれない。ぶっちゃけた話、シンジに可愛がって貰いたい、
抱いて欲しいといった気持ちは、とても強い。自分でも恥ずかしいくらいに。
「いいわよね、アスカは。
下手すると、私は一生バージンだわ」
言ってしまってからレイは、足を止め、慌てて周囲をキョロキョロ。自分の傍に誰もいないことを確
認。安堵の溜息を漏らした。そして再び歩き始める。
バージンが恥ずかしいとは思わないし、シンジ以外の男に興味が全く向かないというわけでもない。
しかし子供を産むとなった場合、シンジ以外の選択肢は消えてしまう。半年ほど前、子供を産める
体になったとき、頭に真っ先に浮かんだのはシンジの顔だった。自分の体に埋め込まれたシンジ
の母、ユイの遺伝情報がそうさせるのだろうか。
レイ自身にもよく分からないものの、とにかくシンジが好きという事実だけは動かし難い。
思えば、一目見た瞬間だった。彼に惹かれたのは。
瞬間に、それまで自分を可愛がってくれたゲンドウへの信頼が吹き飛んだと言っても過言ではない。
「う〜ん・・・
我ながら、強烈な一目惚れね。
あの時は、そんな言葉も感情も知らなかったけど」
レイは、初めてシンジと会った時のことを鮮明に覚えている。
人格が融合する過程で、ポツポツと穴が空くように消えゆく記憶。その最中でも、これだけは忘れ
まいと必死に堪えた。
それだけ大切にしている記憶を、レイは久しぶりに頭の倉庫から引き出す。
あの頃は、まだアスカもいなくて、シンジと二人だけの思い出が多い。
その思い出に、レイは暫しの間、意識を移すことにした。
act.5
でらさんから「秘密」のact.4をいただきました。
冬月さんにも年甲斐もなくらぶらなことがあるかとも思われたのですが、そういうことも無いようで。
それよりも、レイが境遇とか状態とか良さそうですね。他の小説とかのように消滅とかそういうことにもならなくて良かったのです。
レイがどういういきさつで変わっていったのか、でらさんに感想メールで続きをお願いしましょう。