秘密 act.3


    作者:でらさん















    西暦二〇一六年・・・


    ヒカリは、ごく当たり前に夫婦然とした雰囲気を醸し出すアスカとシンジを遠目に見て、羨まし
    いと思うと同時に軽く溜息を漏らした。
    机を向かい合わせに並べ、アスカお手製の弁当を二人して愉しそうに食する様は、見事なま
    でに絵になっている。特にいちゃつくわけではなく普通に食事しているだけなのだが、落ち着
    いた空気が二人を包み、冷やかすことすらできない。


    (大人よね、碇君は。
    アスカもそうだけどさ)


    嘆息したヒカリの目は二人から離れ、自分の思い人、鈴原トウジへと向かい、そこでしばし固
    定される。
    彼は今、ヒカリの作った弁当を食べながら友人のケンスケと何やら盛り上がっている。お世辞
    にも上品とは言えない彼らのことだ、下世話な話題なのだろう。
    ヒカリはトウジに品を求めているわけではない。彼には彼の良いところがあり、自分はそういっ
    た彼を好きになった。シンジは落ち着いていて何事にもそつはないが、面白みに欠ける人間で
    あることは確か。アスカにシンジを好きになった理由を問いただしたことはないけども、ヒカリの
    好みではないのだ。
    ただ、こうして比べてみると、トウジももう少し落ち着いていいのでないかと思う。あと数ヶ月で
    高校生になるのに、進歩がないというか何も考えてないというか・・・


    「いつまで経っても、あのままなのかな」


    「は?」


    ぼそっと呟いたヒカリに反応した友人の一人は、ヒカリの視線を追い、言葉の意味を理解する。
    机を寄せて共に弁当を食べていた他の二人も、ちらとトウジの方を見て納得。食事に戻った。


    「ああ、鈴原ね。
    あいつは、あんなもんじゃないの?結婚すると苦労するわよ、ヒカリ。
    相田の方が、意外といい旦那になったりするんじゃない」


    「かもね」


    「・・・え?」


    友人は軽い冗談のつもりだったのだが、予想外もしないヒカリの反応に、言葉に詰まる。
    ケンスケは善人で知られているが、女子へのアピールという点では評価が落ちる。友人として
    付き合う分にはいいけども、それ以上ではないといったところ。さっぱりした性格で冗談も巧い
    トウジの方が、女子の受けはいいくらい。


    「やだ、なに真剣な顔してるのよ。真面目に取らないで」


    「そ、そうよね、冗談よね」


    あたふたした友人の台詞で話は終わり、あとはどうでもいいような雑談で昼休みは過ぎた。










    若い体は瑞々しく、軽くて、思い通りに動く。
    が、当然ながら力強さには欠ける。
    シンジは、こちらに転位してから当初は感覚のずれに戸惑っていた。向こうでの一〇年では肉
    体労働が多かったので体もそれなりに鍛えられ、多少の重量物など平気なくらいの体力はあっ
    た。転位したての頃、ろくに運動もしてなかった体の貧弱さを、自分でも情けないと思ったものだ。
    二の腕は細く、筋肉は申し訳程度にしか付いていない。胸板も薄く、とにかく全体的に弱々しい。
    体の頑健さはエヴァの操縦にあまり関係ないけども、これで使徒戦を戦ったとは信じられなかった。
    そこでシンジは、通常の訓練とは別にウェイトトレーニングを開始。それはあまり激しいものでは
    なく、ミサトを始めとする周囲が着目するほどのものでもなかった。目立たないよう、不信感を持
    たれないように体を鍛えるのは、思いのほか苦労している。
    その苦労のおかげか、一年以上を経過した今、鍛錬の成果は体の変化に現れ、人に見せても恥
    ずかしくない程度に筋肉は付いたようだ。


    「これが、恥ずかしくない程度ね」


    ネルフ医療部に所属するシンジかかりつけの医師、中島フミオは、定期の身体検査に訪れたシン
    ジの上半身を見て、嘆息した。無駄な脂肪がなく、浮き出た筋肉の筋は適度な深さで美しいくらい。
    ボクサー並とは言わないまでも、それに近い鍛えられかた。最近、腹を始めとする体の各所に脂肪
    が付き、弛んだ体を何とかしなければと焦っている中島にすれば、この若さ溢れる体が羨ましい。
    しかもこの若者は、こんな素晴らしい体を”恥ずかしくない程度”でしかないと言い切ったのだ。


    「どうかしました?先生」


    「いや、独り言だよ。最近、色々とあって、疲れ気味なんだ」


    「そういえば、この前、お子さんの運動会でしたよね」


    中島とは付き合いが長いので、シンジは彼の家族構成とかも知っている。運動会のことも、前の
    検査の雑談時に聞いていた。中島は小学三年生になる一人娘を溺愛しており、父兄参加のリレー
    競技で娘に晴れ姿を見せたいと張り切っていたのだ。


    「あれは、まいったよ。
    これでも学生時代は陸上やってたんだが、体がすっかり鈍って動かないし息も上がるしで、娘にい
    いとこ見せられなくてね。付け焼き刃のトレーニングじゃ、やっぱり駄目だな」


    「僕も、先生くらいの歳になったら同じこと言ってますよ、多分」


    「はは・・
    世辞を言ったところで、何も出ないぞ、シンジ君。
    ・・・よし、今回も異常なし。ご苦労さん。細君も、ちょうどご到着だ」


    中島が問診の終了を告げたちょうどその時、出入り口のドア付近にアスカが姿を見せた。看護婦
    達とはすでに顔見知りだし、アスカがシンジを迎えに来ること自体普通なので、処置中であっても
    出入りは自由にさせてもらっている。
    今日は、帰りに外食の約束をしている。よってアスカは、中学の制服てはなくて私服。外食といっ
    ても普通の焼き肉屋なので、格好はジーンズにシャツというラフなもの。髪の毛は、後ろに一本で
    まとめてある。


    「からかわないで下さいよ、先生。まだ、そんな歳じゃないですから」


    「すぐに現実が追いつくさ。ほら、行った、行った」


    急き立てる中島に合わせるかのように、周りにいた数人の看護婦達も笑顔でシンジとアスカを見
    送る。
    急がされたので、Yシャツに袖を通しながらもボタンを歩きながら填めているシンジを見たアスカは、
    彼を手で制止。ボタンを填めようと、シャツに手を伸ばす。


    「もう、だらしないのね」


    「今、終わったばかりなんだ。仕方ないだろ」


    ボタンを填めるアスカの姿は、私服のせいもあってか初々しい若妻に見える。処置室が、一気に甘
    い空気で満たされたような感覚に包まれ、中島も看護婦達も、ただボーっと二人に見入ってしまう。


    「それでは先生、亭主がお世話になりました」


    二人が出ていったあと、処置室には暫く余韻が残り、みんなどこか言動がぎこちなかった。





    焼き肉でアルコール類がないのは、二人にとって辛い状況。
    しかし法律上はまだ未成年であり、外見もまだ大人とは言い難い二人が堂々とビールとか酎ハイを
    注文するわけにはいかない。よって二人は、低アルコール飲料を飲んでいる。見た目だけなら、雰囲
    気は出るし。


    「どうも最近、うざい奴が多いわ。
    しつこいったら、ありゃしない」


    「学校?それともネルフ?」


    「両方よ。
    あ、それ、ちょうだい」


    焼けた肉をシンジに取ってもらったアスカは、まだ熱いそれに何度か息を吹きかけてから口に入れた。
    そんな様も、すっかり堂に入っている。金髪碧眼の彼女が箸を器用に使い、焼き肉を美味しそうに食
    する様が珍しいのか、他の客達の視線がちらちらと向けられている。中には、アスカへのあからさま
    な欲望を隠さない視線もある。隙あらば獲物を補食しようとでもいうような、肉食獣の視線だ。
    が、その肉食獣達の欲望が成就することは絶対にない。アスカとシンジのガード体勢は現在も継続
    中で、二人がおかしな連中に絡まれても即座に対応が可能。今も、客に偽装した保安員が様子を窺っ
    ているところ。


    「特にネルフの奴がしつこいわね。技術部の、斉藤って男。
    今日なんか、堂々とデートに誘ってきたわ」


    「色々な意味で、勇気のある人だね」


    「なんであそこまで自信持てるのか、不思議よ。
    声をかけ続ければ、いずれアタシが根を上げて付き合うとでも思ってんのかしら」


    「狙いは、それだろうね」


    「・・・他人事だと思ってない?アンタ」


    「まさか。
    心配してるよ、僕は。アスカを他の男に取られるなんて、とても我慢できないよ」


    「なら、もう少し怒るなり嫉妬するなりして」


    「そいつを殺したら、アスカは満足する?」


    「なんでアンタは、そう極端なのよ。二、三発、ぶん殴ってくれればいいわ。
    日本には、ほら、ん〜、なんて言ったっけ・・・
    そうだ!ヤキイレって習慣があるじゃない。アレよ!」


    「・・・・」


    「アンタ、アタシをバカだと思ってない?」


    「そ、そんなことないって。
    技術部の斉藤って人だね。分かったよ」


    シンジは、ぎこちない笑みを浮かべながら残った最後の肉を網に載せた。肉は、これで最後。これを
    食べたら、お開きだ。
    一連の会話は、自分達が会話まで記録されていると分かった上で話している。二人が特に疑われて
    いるわけではなく、監視が始まった当初からの方針がそのまま継続されているため、保安員も事務的
    に作業しているに過ぎない。使徒戦が終わり政治闘争も一段落した現在、業務効率化とプライバシー
    保護の観点からエヴァパイロットの監視態勢を見直そうとの意見がネルフ上層部で大勢を占めており、
    それは近く実現するだろう。彼らの住居での言動は、ミサト自ら監視するということで元から監視チーム
    の業務から外されていて、シンジが別居となってからも何故か変更はない。よって、実体としてそれほ
    どの変化はないのだが。
    サードインパクトで世界が荒廃した一〇年後の世界から精神だけ時間を遡ってきた二人は、これまで
    自分達の正体をひた隠しに隠してきた。自分達は未来を知るだけの人間で、特殊能力を持つわけで
    も、ましてや神でもない。その上、子供だ。未来を知るからと言って世を自らの意のままにコントロールで
    きるはずもない。逆に、正体を知られたら非常に危険な立場に立たされた筈に違いないのだ。
    二人は細心の注意を払って言動に気を付け、事の成り行きを左右するような土壇場においては、サード
    インパクトを回避する方向へ判断を下した。それは拙い事態を引き起こしたりしたけども、それを補完
    する事態も起こったりして、結果的にこの世界は破滅を免れている。
    厄介だったのは、心と体の乖離。心は二四歳である大人の彼らも、体は一四歳の子供。更に、アスカと
    シンジは一〇年以上も共に暮らした恋人同士、いや夫婦だった。その感覚が、無意識のうちに行動へ現
    れてしまうのは、どうしようもない。対策として、出会いの当初から互いを意識し合ったという設定を創り
    上げ、同居が関係の発展に拍車をかけたことにして早くから付き合いを公にしているのだが、たまには
    失敗もする。情交の現場をミサトに見られたのは、大きな失敗の一つ。それを理由に別居させられ、細
    かい打ち合わせが難しくなったからだ。
    弐号機エントリープラグの中で二回目の初体験を終えてから暫くは、二人とも用心していた。接触は最小
    限に留めていたのだ。
    が、ミサト不在時は事実上完全フリーという事実を二人が知ってからは警戒感が緩み、精力溢れる若い
    体のせいあもあって、行為の頻度はかなり多くなっていった。予定外に帰宅したミサトに現場を見られた
    のは、必然とも言える。
    今現在は、あの頃より遙かに良い状況であるが、まだまだ先は長い。
    サードインパクト回避という重大な局面は、とりあえず乗り越えた。
    でも、まだ安心するには早い。自分達が文字通り大人になり、確固とした地位と足場を築くまでは。


    「今日は、どうする?」


    肉をひっくり返し、暫く待つ間にシンジは、アスカへ意味深げな視線を向けて聞いた。


    「どうして欲しいの?アンタは」


    アスカも、含みのある笑みで応える。返事は決まっているものの、シンジに敢えて言わせようという駆
    け引き。盗聴者も、興味津々といった様子で聞いていることだろう。


    「泊まっていきなよ。
    どうせ、ミサトさんは残業だろ?」


    「最初から、そう言えばいいのに」


    「シャイなんだよ、僕は」


    「格好つけちゃってさ。
    昔のアンタからは、想像もつかないわ」


    昔・・・
    あの頃のシンジが、もう少し大人であったら、サードインパクトを回避できたかもしれない。
    いや、シンジだけではない。自分も子供だった。背伸びして大人ぶってはいたけども、自分の気持ちも
    分からず、周囲を攻撃することでしか自分を主張できなかった子供。あの破滅が自分達の成長の糧だ
    としたら、失ったものが多すぎる。世界と引き替えなど、割に合わない。


    「昔の話を出すのは、やめてよ。
    ・・・っと、焼けたか」


    シンジは焼き上がった最後の肉を小皿に取り、入念にタレを付けてから口に入れた。タレで幾分温度が
    下がっているので、そんなに熱くはない。それを何度か咀嚼したあと、低アルコール飲料ではなく水で胃
    に流し込んだシンジの口をアスカがナプキンで拭いて、食事は終了。手を繋いで店を出た二人は、シンジ
    の住む独身寮へ向かう。
    が、彼らを監視する保安員は、なぜかそれをすぐに上へ報告せず、アスカの保護者であるミサトが事実
    を知ったのは、翌朝のこと。
    安心するのは早いと頭で分かっていても、体は言うこと聞いてくれない、アスカとシンジだった。













    翌日 葛城宅・・


    早朝に自宅へ着いたミサトは、アスカの不在を知るとすぐに彼女の携帯へ電話。
    一分ほど呼び出しても出ないので、つぎにシンジの携帯へかけ直した。
    すると、堂々とアスカ本人が。


    『あら、ミサト。なにかあった?』


    あまりの厚顔ぶりに怒る気すら失せたミサトは、早々に電話を切った。
    思いのほかの真面目ぶりに安心しきっていた自分が、迂闊だった。アスカが二人で外食がしたいと言っ
    たとき、何を疑いもしないで許可を出した己の軽率さをミサトは恥じる。
    大体、保安部は彼らの行動を把握していたはず。アスカがシンジの部屋に入った時点で自分の元へ
    報告があって然るべきなのだ。なのに、それがない。


    「保安部は、二人に甘いからね・・・
    油断した私も私なんだけど」


    風呂から上がったミサトは、リビングで牛乳を飲みながら愚痴る。他に誰もいないので、タンクトップに
    短パンという無防備な格好。シンジが共に暮らしていたときは、アスカに厳禁されていた格好でもある。
    ちなみに、アルコールの類とは今日から暫くさよなら。身重の体を気遣ってのことだ。

    使徒戦のあと、保安諜報部から分離された保安部。そこには自衛隊やら戦自から引き抜かれた人員
    が多く、ネルフ本部が直接侵攻の危機に晒された時には、実戦部隊として戦闘参加することになってい
    る。当然、そのための訓練も施されており、ネルフ本部の自衛軍的な性格を持った組織である。
    その成立過程と組織的性格ゆえ、以前から合同訓練等でエヴァパイロット達と接触する機会の多かった
    人員は結構な数に上る。そのせいだろう。彼らの行動を監視する現場の保安員達は、度々、今回のよう
    なサボタージュを行う。保安部長にクレーム付けても、部長は形ばかりの処分で茶を濁すだけ。上も承
    知なので、始末が悪い。
    昨日、夜勤の職員を激励するため各部署を廻っていた副司令の冬月に退職を願い出たのは、少々早
    まったかと思う。冬月に翻意を促され辞表も出していないので、辞めると決まったわけではないのだが。
    辞めても辞めなくても、自分の結婚後、アスカは女子寮へ越すことになっている。保護者役は、その時
    点で終わり。そうなったら、上司として意見する以外にない。今より確実に重みはなくなる。辞めたら、
    単なる知り合いだ。重みのあるうちに厳しく律しておこうと思っていたのだが・・・


    「今回は、まあ、いいか。
    あんまり締め付けるのも、考えものだし」


    アスカには対策が講じられているので妊娠はないし、外泊も今回が初めて。若さ故の過ちということで、
    小言を耳に入れるくらいで済ますことにする。外泊があまり頻繁になるようなら、その時に釘を差せばい
    いだろう。 アスカのことだ。過剰に締め付けても、反発するだけで反省など望めないし。


    「歳の割に落ち着いてても、やっぱり若いわね、シンジ君は。
    ちょっと安心したわ」


    以前に数回見た、シンジとアスカの痴態を思い出したミサトは、激しい愛の交歓に耽溺する若さを羨まし
    いと思い、また安堵する。自分が二十歳の頃でも、肉欲に溺れた時期がある。二十歳であれだ。それが
    あの若さで甘露の味を覚えたら、とても収まるまい。
    加持は、なんと言うだろうか。
    シンジに突拍子もない疑いの目を向ける加持は・・・


    「アスカを取られた嫉妬よ、あれは。
    娘を嫁に出す父親気取ってんだわ、きっと」


    ミサトは、男の心情がよく分からないと思いつつ、コップに残った牛乳を一気に呷った。
    口の中に残った牛乳の感触は精液に似て、すぐには消えてくれない。
    それを水で流そうとコップを手に立ったミサトは、アスカもすでに精の味を知っているのだろうかと思い・・・
    当然知っているはずと、哀楽入り混じった複雑な笑みを浮かべた。




    act.4

    でらさんから「秘密」のact.3をいただきました。

    アスカとシンジ、らぶらぶの程度がまるで年相応で無いですね(笑

    実戦を闘った彼らは軍人系の保安部の人たちに暖かく陰ながら祝福されている様子。良かったですね。

    でらさんに感想メールを送って過去編の続きもお願いしましょう。

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