秘密 act.2

    作者:でらさん














    海の風とは、これほど気持ちよかったのか。
    甲板に立つアスカは、髪の毛を靡かせ、身を過ぎていく風を愉しんでいる。
    本部への異動の記念として特別に仕立てて貰った赤い制服も、どことなく心地よい。
    これから数分後にヘリが到着し、シンジと数ヶ月ぶりの対面となる。この十年、こんなに長い期間
    離れたことはなかったので、喜びもひとしお。
    前の時は、ただサードチルドレンに対抗心を燃やすだけだった自分に余裕はなかった。
    表面的には、実力に裏打ちされた自信で身を固めていたが、内心に余裕などなかったのだ。
    対使徒ファーストスコアを挙げたサードの実力は、招集直後ともあって未知数。何の訓練も無しに
    ぶっつけ本番で使徒を殲滅したことから、天賦の才の持ち主とも考えられた。その後も順調にスコア
    を挙げているし、自分を上回る天才だとしたら、自分の立場は危うくなる。その不安が、殊更に攻撃的
    な姿勢へとアスカを駆り立てていた。
    が、今は、当然ながらそんな不安はない。
    むしろ、シンジと会うのは喜びでさえある。
    時間朔行で一四才の体に憑依してから数ヶ月、この時代の自分を擬装しながら、じっとこの時を待っ
    ていた。
    ドイツ支部へ伝わってくる使徒戦の情報。それが、記憶にある戦いと少々異なる内容であることから
    シンジも朔行に成功していると思われるが、直接確認しないと安心できない。
    早く会って、互いの無事を確認しあいたい。
    そして、これからのことも話し合わないと。
    流れのままに任せていては、また悲劇に向かって突き進むことになる。それだけは避けたい。何とし
    ても。
    シンジと二人きりで過ごした一〇年は貴重な体験ではあったが、同じ事をもう一度やる気はない。
    一パイロットに過ぎない今の自分の立場で大局を左右するのは、かなり難しいと思う。けども、何とか
    考えてやってみるしかない。シンジの協力は勿論、レイをも取り込むことができれば・・・


    「どうした、アスカ。君が緊張なんて、らしくないな。
    サードチルドレンの碇シンジ君は、優しい男の子だそうだぜ。
    楽にすればいい」


    後ろから唐突に現れ、思考を中断してくれたのは、加持リョウジ。
    ここに加持が来ると思わなかったアスカは、思考を声に出さなかった幸運に感謝した。
    対面の場に加持が同席することはない筈だったのだが、予定が狂った。加持への態度を変化させた
    ことで、ある程度のイレギュラーが起こっているのか。


    (だとすると、厄介ね。注意する必要があるわ)
    「加持さん。
    加持さんが、なんでここに?」


    「アスカの保護者代理として、シンジ君の保護者代理に挨拶しないとな」


    「サードの保護者代理って確か・・・」


    アスカは、手を細い顎に当て、深く考える仕草。
    加持とミサトの過去は、この時点でも周知の事実ではあるが、一呼吸置いた方がいいとアスカは判断
    したのだ。
    鋭すぎる言動は、時として疑念の対象となる。


    「そうよ、ミサトよ!
    な〜んだ、ミサトに会いたいだけじゃない、加持さん」


    「仕事だ、仕事。
    ほら、ヘリが見えてきたぞ。時間通りだ」


    照れ隠しで加持が指さした方向を見れば、確かに軍用輸送ヘリがこちらに近づいてくる。
    あそこには、シンジが乗っている。
    一四才の少年ではない。自分の知るシンジが。
    乗っているはずなのだ。






    憧れのミサトと同席できたことを素直に喜ぶ、鈴原トウジ。
    ミリオタという立場から、輸送ヘリで作戦行動中の現役空母に着艦することに興奮、感動している相田
    ケンスケ。
    この友人二人が何故この場に同席しているのか、シンジには、よく分からない。
    自分の所属するクラスがエヴァのパイロット候補によって構成されていることは、知っている。サードイ
    ンパクト直後の補完世界での記憶も少しあるし、無人のネルフ本部内を探検していたとき、様々な機密
    文書も目にしているからだ。
    自分やアスカに何かあった場合、彼らを予備として使うつもりなのだろうか。
    理由としては、そのくらいしか思いつかない。
    友人の少ない自分にミサトが配慮した可能性もあるが、そんな軽い理由でネルフの公務に民間人を同
    行させるなど、普通は考えられない。
    ミサトなら、そのくらいのことはしかねないが。


    「ガチガチじゃない、シンジ君。
    鈴原君や相田君みたいに、リラックスしなきゃ。
    これから綺麗なお姫様に会うのに、何を緊張してるの?」


    騒がしい二人の少年とは違い、座席に座ったまま口も開こうとしないシンジを心配したのか、ミサトが話
    しかけてきた。
    ミサトの心遣いは嬉しいが、とてもはしゃぐ気になれないシンジにとって、煩わしいだけ。これが初めて
    の体験ならともかく二度目だし、心は二〇半ばにもなる大人の男。ミリタリーに興味があるわけでもない。
    が、それはそれとして、話を合わせなくては。
    アスカのプロフィールは、数日前に見せてもらった。準備にぬかりはない。


    「だって、惣流さんは、もう大学出てるんでしょ?
    何年も訓練受けてるっていうし、どうしても構えちゃいますよ」


    「どんな天才でも、一四才の女の子には違いないのよ。シンジ君に、いきなりラブってことになるかもし
    れないわ。
    総務部が、今日のために司令とお揃いの特注制服仕立ててくれたんだから、しっかりアピールしないと」


    一応、公式の顔合わせ、しかも国連軍への公式訪問ということにもなるので、シンジにはネルフの制服
    が支給されている。それも、ゲンドウと同じダークグレー調の特注品。デザインについてシンジが特に要
    望したわけではなく、担当した総務の誰かが勝手に気を回した代物。
    前回とは違い、使徒戦での損害がそれほどでもないので、ネルフ自体に余裕があるようだ。
    考えてみれば、ネルフの正式な身分を持った人間が公的な場で制服を着用するのは当然。私服だった
    前回が異常だっただけ。


    「からかわないで下さい。
    お見合いするわけでもないのに」


    「相変わらず、冷めてんのね。
    それとも、やっぱりシンジ君は、レイがいいの?
    レイも、シンジ君にだけは愛想いいもんね」


    ミサトは、悪戯な笑みをシンジに向けた。
    前の失敗を踏まえ、レイに対する言動には慎重を期しているので、今のところレイとの間に諍い等の
    問題はない。
    ただ、巧くいきすぎた為か、レイの感情表現が急速に進化しているのは、誤算。誰が見てもそうと分か
    るシンジへの好意を態度で示している。このままだと、アスカとの間に一悶着起きそうだ。
    その平和的解決策が未だ見つからないシンジは、考えるほど頭が痛くなるので話を変えることにした。


    「だから、違いますって。
    それよりミサトさん。惣流さんの保護者役って、ミサトさんの元彼なんですよね?
    加持リョウジ一尉、でしたっけ?」


    「な、なんで、それを」


    「この前、リツコさんにお茶ご馳走になったとき、聞いたんです。
    学生時代は、いつも三人一緒だったとか」


    「い、言っておくけど、あんな奴のことなんか、今は何とも思ってないんだから。
    シンジ君が聞いたのは、あくまで昔の話よ。分かってる?」


    「まあ、そういうことにしておきます。
    あ、見えてきましたよ。オーバー・ザ・レインボー」


    三〇年近く生きていながら自分の心に素直になれないミサトに、シンジは心中で苦笑する。
    そしてそれは、これから会う加持も一緒。
    誤解と意地が重なり合い、深く愛し合っているにもかかわらず、この二人は八年の時間を無駄にした。
    本来なら、もっと早く結ばれていただろう二人。
    思えば、この二人も犠牲者かもしれない。
    時代に翻弄され、足掻いて、足掻いて、足掻いた上に散っていった人々。
    その末に残ったのは、自分とアスカの二人だけ。
    あれが補完だとしたら、救いのない補完だ。


    「実際に見ると大きいんですね、空母って」


    「・・・そうね」


    呟くように言ったミサトの横顔が、何故かシンジには、哀しげに見えた。









    正直言えば、二人共に不安があった。
    シンジが、アスカが、自分の知らない人間であったら・・・
    しかし、その不安は一瞬で消え去る。
    互いに一目で分かった。
    アスカはアスカで、シンジはシンジであることが。
    言葉を交わす必要はない。見ただけで分かる。
    すぐにでも抱きつき、抱きしめ、貪るようなキスをしたい。
    だが二人は、その激情を理性で封じ込めて演じ続ける。一四才を。


    「アンタが、サードチルドレン?」


    「え、ああ、はい。
    碇シンジです」


    「はっきりしないわね。
    まあ、いいわ。アタシは、セカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレー。
    これから、よろしくね」


    「僕の方こそ、君に迷惑かけるかもしれないけど」


    アスカの差し出した右手を軽く握ったシンジは、覚えている彼女の手よりも幾分冷たいと思いながら、
    名残惜しそうに離した。
    アスカはネルフの制服なので、風でスカートが捲れるイベントもなく、当然ながらトウジやケンスケと
    のどつき漫才もない。よって、挨拶はこれで終わりとシンジが思った次の瞬間、アスカが口を開いた。


    「同じパイロットであるからには、互いに協力しないと、勝てる戦も勝てないわ。
    だから、必要以上にへりくだるのは、やめて」


    対立を契機として互いを理解、そして関係が深まるといったドラマの筋書きをアスカが即興で演じる
    つもりだとシンジは即座に理解した。アスカらしい即断だが、自分には唐突すぎる。
    ともかく、アドリブでどこまで付いていけるか分からないが、いけるところまでいくしかない。一〇年の
    間に培った阿吽の呼吸に期待するだけだ。


    「えっと、具体的には、どうすれば」


    「そこまで説明しないといけないわけ?」


    「君は分かってるかもしれないけど、僕には分からないんだよ。
    教えてくれたっていいだろ?」


    「もう、苛つくわね。
    一から説明しないと分からないなんて、まるで」


    「カ〜ット!」


    ミサトの制止で、会話は中断。
    早々に対応策が尽きかけ、脂汗までかいていたシンジは、ホッとする。この場は、ミサトに感謝だ。
    あとで、アスカに文句の一つでも言わねば。


    「そこまでにして、お二人さん。はじき飛ばされた男の子二人が、いじけてるわよ。
    後で時間作ってあげるから、とりあえずは私に付き合ってくれる?
    予定時間に遅れると、艦隊司令がへそ曲げるわ」


    「別に、そんなんじゃないわよ。
    変な誤解しないで、ミサト」


    「はいはい。
    分かったから、付いてきなさい」


    「全然、分かってないわよ。
    ちょっと、聞いてんの、ミサト!」


    シンジへ、その秀麗な顔を一瞬しかめて見せたアスカは、踵を返してミサトを追いかける。
    それをトウジとケンスケに冷やかされると、シンジは困ったような笑みを返して、アスカの後を追う。
    追いながら、シンジが何気なく加持の様子を窺うと、加持もニヤニヤしながらこちらに顔を向け、親
    指を立てて見せた。先ほどのやり取りを、アスカの好意の現れと解釈したのだろう。
    どうやら、この作戦は巧くいったらしい。
    シンジは、とりあえずの成功を喜びながら、打ち合わせは綿密にしようと誓うのだった。








    時間を作ると言ったミサトの言葉に嘘はなく、艦隊司令への挨拶が終わった後、アスカとシンジは、
    弐号機が格納されている輸送船にヘリで送られ、警備の人間も付けられなかった。
    シンジに自慢の弐号機を見せたいとアスカが強く迫ったせいもあるが、アスカとシンジにラブコメ要
    素を見出したらしいミサトは、玩具を見つけた子供のような笑顔で許可を出してくれた。そのミサトは
    今頃、加持と虚実取り混ぜた駆け引きでもしていることだろう。
    ミサトの真意はともかく、警備まで除かれた二人きりの状況は好ましい。盗聴も、おそらくないと思う。
    一応は声を潜め、用心するつもりだが。


    「ああいうことは、一度きりにしようよ。
    基本的に、僕はアドリブ苦手なんだからさ」


    「ああいうことって?」


    「惚けるつもりかい?」


    「何かイベントがないと、互いに印象なんて残らないわ。
    ミサトの愉しそうな顔、見たでしょ?
    ミサトは、アタシ達を、からかいがいのある対象として認知したわ。
    つかみは、OKってやつね」


    「分かるけど、いきなり振られると困るよ」


    「それがいいんじゃない。
    アンタのキャラクターらしくてさ」


    アスカは意地悪そうな笑みを浮かべ、次に我慢しきれないように軽く笑った。
    その笑いは、かつての彼女のように高飛車ではなく、真に大人びた笑い。不快よりは、笑顔に見と
    れてしまうような、そんな笑い。
    仰臥する弐号機の頭部付近で付かず離れずの距離に相対した二人は、甘い言葉も、抱擁も、キス
    もなく、実務的な会話が進む。
    甘い時は、既に飽きるほど過ごした二人。
    それに、やるべきことは山ほどある。しかも時間がない。これから、幾らの間も経たずに使徒が襲来
    するからだ。
    とりあえず、最小限の打ち合わせくらいはしておかないと。


    「怒らないで。ただの冗談よ。
    それより、数ヶ月ぶりに会った妻に対して最初の台詞がそれなんて、呆れるわ。
    他に、言うことないの?」


    「まあ、その・・・
    寂しかったよ」


    「心?それとも、体?」


    「両方さ。
    若い体は、刺激に対して敏感だからね」


    心と体の乖離には、未だ戸惑うことが多い。
    恥ずかしい話、性欲の制御には苦労しているシンジである。当時、このようなことで悩んだ記憶は
    あまりないのだが。
    そしてそれは、アスカも似たようなもの。男女の生理の違いからシンジと全く同じではないものの、
    過敏に反応する体を疎ましく感じることがある。


    「アタシも同感だけど、今は時間がないわ。
    詳しい話は、エントリープラグの中でしましょ。起動前なら、ボイスレコーダーも動かないし」


    「分かった」


    と、そこでシンジは、プラグスーツに着替えるため物陰に向かったアスカの背に一言。


    「今回も、僕に君のプラグスーツ着せる気かい?」


    「まさか。
    そんな子供じみたこと、するわけないじゃない」


    振り返ってニコッと笑ったアスカ。それを見たシンジの額に、冷や汗が滲む。
    絶対に何か企んでいる。あれは、そういう顔だ。
    そして数分後、シンジの危惧は現実となった。 彼は、全裸での搭乗を強制されたのである。
    アスカの出した条件、シンジの立場から考えると、強制という言葉が妥当かどうかは、甚だ疑問な
    のだが。
    何が甚だ疑問なのか・・・
    その答えは、二人だけが知っている。






    act.3

    でらさんから「秘密」のact.2をいただきました。

    今回はアスカとシンジの再会の模様。

    二人の演技もなかなか気合入ってますね。
    えーと、アドリブに咄嗟に対応できたシンジが立派です。14歳のままのシンジでは負荷に耐えられなかったのではないでしょうか(笑

    でらさんに感想メールを送って続きをお願いしましょう。

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