秘密 act.1

    作者:でらさん















    西暦 二〇一六年・・・


    近頃、めっきり縁遠くなったアスカ。
    彼女にとって自分は初恋の相手であり、一時は抱いてとまで迫ってきた少女。
    それは、大人ぶっていた彼女の精一杯の背伸びで、それを分かっていた加持リョウジは彼女を傷つ
    けないよう、慎重に接していたつもり。彼女の心には、幼少の頃に植え付けられた悲惨なトラウマが
    残っていて、それは何がきっかけで表面化するか分からない。言葉一つ一つに細心の心遣いが求め
    られたのだ。
    が、しかし、それは過去の話。時期で言うと、第三使徒が殲滅された直後辺り。その辺りからアスカ
    は加持にそれほど関心を寄せなくなり、日本へ異動する頃には、加持と完全に距離を取るようになっ
    ていた。
    加持としては少々の寂しさを禁じ得なかったものの、アスカの自発的な精神的成長を素直に喜び、
    彼女の未来に明るい展望を抱いたものだ。
    事実、あれからアスカの生活に破綻はなく、碇シンジというパートナーも得て、幸せそのもの。
    ただ、何かが加持の癇に障る。何がどうと巧く説明できないのが、余計に不快だ。


    「考えごとですか?加持さん」


    「ああ、シンジ君か」


    ネルフ職員食堂の片隅でぼんやり思案に耽る加持を見つけて声をかけてきたのは、シンジ。
    加持は、テーブルの前に食事のトレイを持って立つシンジに座れと手で合図。シンジは、それに従い、
    椅子を引いて座った。


    「アスカは、どうした?
    珍しいじゃないか、一人なんて」


    いつも一緒のアスカがいないので、挨拶代わりに加持が聞いてみる。最近は、まず一緒にいるから。


    「メディカルチェックです。
    なんでか知らないけど、最近、頻繁なんですよ」


    使徒との戦いが終わっても対使徒用決戦兵器のエヴァンゲリオンは存在し続け、パイロット達も現役
    に留まっている。今度は世界の安定のためという大義名分の元、生身のパイロットを必要としない次
    世代型の運営システムが実用化されるまでは、アスカ達パイロットも必要なのである。
    よって、定期的なメディカルチェック、つまり身体検査は必要不可欠。
    なのだが、パイロット三名の中でもアスカの頻度は他の二人よりかなり多い。特に最近になってから
    増えている。
    その理由について、加持は分かっているつもり。いや、確実に理解している。アスカの保護者から、愚
    痴に近い形で聞いているからだ。


    「ま、新型ダミープラグは、まだ実験段階だ。君達には、まだまだ現役でいてもらわなきゃならんからな。
    イレギュラーは、可能な限り回避するのが、道理ってものさ」


    「アスカが、妊娠するとでも?」


    「いや、君達を信頼してないわけじゃない。念のための措置だろう」
    (ほう・・
    あの台詞でそこまで読むか)


    「そんな馬鹿なことしませんよ、僕たちは。
    ちゃんと、対策はしてますし」


    「分かってるが、あまり大っぴらにはやらんでくれ。
    君が遊びに行った時なんか、葛城も目にやり場に困ることがあるって愚痴こぼしてた。世間の目もあ
    るんでな、なるべく控えめに頼むよ」
    (このくらいの歳でもしっかりしたやつはいるが、どうも変だ。ため歳と話してるみたいだぜ)


    「分かりました。アスカにも言っておきます。
    あ、それ、残すんですか?」


    話の途中、シンジが加持のトレーを見て言った。トレーには、ほとんど手つかずの鶏の唐揚げが、付け
    合わせのキャベツとスライスされた一枚のトマトと共に鎮座していた。
    ご飯と味噌汁、お新香はなくなっているのだが、主役たる唐揚げが残っている。どうも最近、油物を受
    け付けなくなっている加持だった。この定食も、きっちり食べないと体が保たないと考え無理して注文し
    たのだが、やはり駄目だったのだ。


    「ああ、最近、どうも油物が苦手になっちまってな」


    「じゃ、もらいます」


    同意を得たシンジは、加持のトレイから唐揚げの乗った皿を取って、自分のトレーの前に置く。次に、
    まずは一つと口に運んだ。


    「済まないな、残飯整理みたいで」


    「好きなんですよ、唐揚げ。
    特に、ここのは美味しいし」


    「そういや、最近はアスカも料理するんだって?
    葛城から聞いたときは驚いたよ。ドイツにいた頃のアスカは、料理なんて見向きもしなかったんだぜ」


    「人は変わりますよ、加持さん。
    ミサトさんだって、やる気になれば料理くらいできるようになりますって」


    「そうか?俺は怪しいと踏んでるんだが。
    昔、一緒に暮らしてた時なんか、カレーもろくに作れなかったんだぜ。
    掃除にしても、段取りとか滅茶苦茶なんだ」


    「アスカだって、前は似たようなものでしたよ。
    それが今は、僕の方が教えられてます」


    「葛城とアスカを一緒にされてもな」


    シンジの、歳に似合わぬそつのない受け答えと落ち着いた態度。
    会話を続ける加持は、そこに拭いようのない違和感を感じるのだった。








    検査を終え、声をかける看護師や他の職員達と適当に話を合わせ、愛想笑いさえ浮かべて適当にあ
    しらうアスカは、ミサトにとって既に見慣れた光景。数年前、ドイツ支部で初めて会った彼女からは想
    像もつかない変化だが、歳相応に成長すればこんなものだとも思える。
    人の才能と人格は比例しないのが普通で、天才は人格破綻の別語とまで極論する人間までいるくらい。
    幼少から天才、神童とまで言われたアスカもその例に漏れず、秀麗な外見はともかくとして性格に難
    があるのは関係者の常識でさえあったのだ。それがトラウマに依るものだとしても、評価自体は変わ
    らなかった。
    しかし、その性格は徐々に変化を見せ、本部へ異動となってから変化は顕著となり、シンジとの付き合
    いが表面化してからは決定的となっている。使徒戦が終わって暫くし、ドイツからアスカの両親が来日
    して彼女に会ったときは、あまりの変わりぶりに洗脳まで疑ったそうだ。折り合いの悪かった義母に笑
    顔で挨拶し、お茶まで煎れて出したのだから無理もない。


    「な〜に、しみったれた顔してんのよ、ミサト」


    そのアスカが、部屋の隅で彼女を待つミサトに軽い調子で声をかけてくる。
    日々成長を続ける体はすでに大人と違わないけども、成長しすぎたせいで、彼女が今着る中学の制服
    とは合わない。天然の金髪もあり、似合わないコスプレのよう。本人も気にしていることなので、決して
    口にはしないが。


    「アスカは元気ね」


    「体は健康そのもの。どこにも異常はないってさ。
    体重増えたのは、ちょっと痛いけど」


    「身長も伸びてるでしょ?
    私より高くなるんじゃない?」


    言ったミサトは座っていたパイプ椅子から立ち上がり、アスカと共に部屋の外へ。出入り口のゲートに向
    かう。今日の自分の勤務は、これで上がり。ついでにアスカを家まで送っていく予定。アスカも、今日は
    休養日。前とは違い、訓練の密度は低い。シンジは、別メニューで訓練だ。



    「それはイヤよ。
    あんまり高くなると、かわいげのない女になりそうだもん」


    「あら、私が可愛くないみたいじゃない」


    「これから結婚して子供産もうって女が、可愛いとか言う?」


    ミサトは、一ヶ月ほど前に妊娠が発覚して加持との結婚が決まっている。当人達にとって予定外の出来
    事であったのだが、嫌々結婚するわけでもない。二人とも、結婚はしたいが結婚という言葉をなかなか
    切り出せなくて悶々としていたのが実情なのだから。むしろ、いいきっかけになった。


    「結婚して女を捨てる気ないわ。母親になっても、女は女よ。
    アスカも、すぐに分かるようになるわ」


    「はいはい。そりゃ、どうも」


    ミサトが何の気はなしに、ふと横のアスカを見れば、彼女の顔が近くに。
    それが思ったより近くにあったので、ミサトは彼女の成長を間近で確認することになった。
    しっとりとした肌の艶めかしさと彼女の使う香水が、磨かれた内面をそのまま現しているかのようだ。シ
    ンジとの良好な関係が全ての源ではないだろうが、大きなウェイトを占めていることは間違いないだろう。
    そういえば、加持も言っていた。シンジの落ち着きぶりも尋常でないと。アスカとの関係が発覚した後に
    シンジが独身寮へ越したことで彼の近況については詳しくないが、ネルフで接している限りでは加持が
    言うほどとは思えない。考えすぎだと思う。あの歳にしては落ち着いているものの、大人のそれとは明ら
    かに違う。少なくとも、ミサトはそう思う。


    「でもさ、すぐったって、アタシ達が最短で結婚しても三年後よ。
    結構長いわよ、三年て」


    「あらあら、三年くらい待てないの?」


    「待つのはいいんだけど、一緒に暮らせないのは寂しいわよね」


    「世間では、それが普通よ。
    あなた達の場合、異常な時期があっただけよ」


    「分かってるけど、一緒にいる時間長かったから、少しでも離れてると気になるのよ」


    「あ〜、暑い暑い。ここだけ妙に暑いわ。暑くて火傷しそう」


    ミサトは手を顔の付近で大げさにヒラヒラさせ、アスカにニヤリ。からかっているつもりのようだ。
    ところがアスカは、溜息一つついて


    「いい歳して、もう・・・
    アンタ、恥ずかしくない?」


    「・・・・」


    落ち着き払って言われると、確かに恥ずかしい。ミサトの動きは、ピタリと止まる。
    この勝負は、アスカに軍配が上がった。







    「分かったわ、ご苦労様」


    アスカの現況について保安部から報告を受けたミサトは、携帯をバッグにしまい、カウンターに置かれた
    ロックのブランデーを僅かな量、口に含んだ。独特の香りが舌を転がり、味となって喉の奥へ流れていく。
    隣に陣取る加持は煙草を燻らせ、ウィスキーのような味わいを持つ焼酎とやらを、ロックで愉しんでいる。
    今日のデートは、軽いもの。食事は普通のレストランで済ませたし、これからどこにしけこもうかとの話も
    ない。妊娠したミサトの体のこともあるので、アルコールは今の一杯で終わり。これを飲みきれば、それ
    でお開きだ。


    「アスカ、ちゃんと家にいるのか?」


    と、ミサトの電話をさりげなく聞いていたらしい加持が話を振ってくる。その口振りは、年頃の娘を気にす
    る父親のよう。
    ミサトは、思ったことをそのまま言葉にして返した。


    「やだわ、あんた。父親のつもり?」


    「保護者みたいなことしてた時期もあったからな。娘みたいなもんさ。
    それより、どうなんだよ。家にいたのか?、アスカは」


    「いたわよ。外出する気配もなしだって。怖いくらいに真面目よね。
    別居したらしたで、シンジ君の部屋に入り浸りになると思ってたけど、そんなことないし」


    「ほう・・」


    「あの歳の恋人同士にしては、冷めてるわよね。
    二人きりの時は別だし、私には見せつけてくれるけど」


    「だから、俺が前から言ってるだろうが。あの二人は、普通の中学生じゃないって。
    特にシンジ君な、三〇くらいの大人みたいだと思わんか?」


    「また、その話?
    アスカと付き合うようになって、いい方向に影響されてるだけよ。アスカだって、シンジ君と付き合うよう
    になって精神的に安定したし。
    互いに高め合うなんて、理想的な関係じゃない」


    加持のシンジに対する疑問点というか評価は、少し前から聞くようになったミサトである。シンジがあま
    りに落ち着きすぎていておかしいというのが、主な点。
    しかしミサトは、アスカとの関係によって成長しただけと捉えている。それにシンジがおかしいと言うな
    ら、なぜ変わったのか、今の彼は何なのかという疑問もある。大体、手の付けられないエキセントリック
    な性格ならまだしも、落ち着いた人間を疑う理由も必要もあまりない。彼の父、ゲンドウの寡黙さを知る
    ミサトは、血のなせる業とも思うのだ。


    「あれが、シンジ君の持って生まれた本来の性格なのよ。
    考え過ぎよ、あんた。内勤に移って暇だから、余計なこと考えるんじゃないの?」


    「お前に言われると、そんな気がしてきたよ。
    ちょうど酒もなくなった。そろそろ帰るとしよう」


    「そうね」


    二人は、それぞれに金を払い、席を立つ。
    店を出ると、ミサトは加持の腕に添えるように自分の手を置き、隣に。満月が放つ淡い光の中、二人は
    まだ人の多い繁華街を、ゆっくり歩き続ける。
    こんなことが普通にできるようになったのは、そう昔のことではない。つい最近まで何となく気恥ずかし
    くて、できなかった。そこのところに関しては、アスカとシンジの方が大人だと思う。彼らは、己の気持ち
    に正直だ。自分達のように、意地を張って何年も遠回りするようなことはないだろう。行き急ぐような勢
    いは時として必要だが、遠回りは必要ない。失う物が多すぎる。経験から、ミサトはそう思う。


    「ねえ、私達がもっと早く結婚してたら、どうなってたと思う?」


    「そうだな・・・
    俺は普通の会社に就職して、今頃は二人の子供に囲まれて普通の父親してたかもな。
    専業主婦してるお前は、あまり想像できんが」


    「専業主婦か・・
    それもいいか」


    「おい、本気か?ミサト」


    「ネルフの仕事にも、先が見えてきたしね。
    今はろくに家事もできないけど、やる気になれば、なんとかなるもんよ」


    「お前がそう言うなら、俺は反対しないが」


    「よし、決めた。
    明日、副司令に相談するわ」


    吹っ切れたようなミサトの笑顔を見る加持は、こんな彼女を見たのは初めてのような気がする。学生時
    代でも、ミサトはこれほど無防備な笑顔は決して晒さなかった。人当たりの良さは建前で、他人に対し
    て厳然と一線を保ち、付き合っていた加持にさえ滅多なことで本心を明かさなかったのだ。ミサトがもう
    少し心を開いてくれさえいたら・・
    いや、恥も外聞も捨てて彼女を追っていれば、別れることはなかったはず。当時の自分にそこまでの覚
    悟がなかっただけのこと。
    そこまで考えたとき、加持はふと、シンジへの疑念は単なる嫉妬ではないのかと思った。
    自分達とは違い、順調に愛を育て昇華しつつある二人。自分にはできなかったことを自然体でやっての
    けているようなシンジに、自分は嫉妬しているのかもしれない。


    (俺も焼きが回ったかな)
    「なら、俺は残業増やさなきゃならんか。
    今でも食うには困らんが、先考えれば、余裕はあった方がいいからな」


    「頼むわよ、旦那様」


    あらためて月光に照らされるミサトの顔を見た加持は、この女と一緒になって良かったと、幸せをかみし
    めるのだった。

    つい一年ほど前までは、自分がこんな普通の幸せを手にするなど、考えられなかった。
    世界で何が起きているのか、どこへ進もうとしているのか、自分やミサトの人生を狂わせた原因を知りた
    かった。命と引き替えにしても。
    それほど思い詰めたことが、今では笑い話。酒の肴くらいにしかならない。
    この一年・・・
    一年で、自分は変わった。
    自分だけではない。ミサトもゲンドウも冬月もネルフも、そして世界も。
    夜空に浮かぶ満月を見上げた加持は、たまには感傷に浸るのもいいかと思い、記憶を辿り始めた。









    act.2

    でらさんから「秘密」のact.1をいただきました。

    すべてが終わった後の話ですね。話の展開が早いなあ‥とかちょっと思ってしまいませんでしたか、や、思いませんね。
    回想の中で語られるシンジとアスカの姿はどのようなものなのでしょうか。

    でらさんに感想メールを送って続きをお願いしましょう。

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