秘密 プロローグ

    作者:でらさん













    照りつける陽の元、アスカは地下水を貯めたタンクからバケツに水をくみ出す。
    くみ出した後アスカは、暫し手を浸して地下水特有の冷気を愉しむ。ポンプの助力なしに自噴
    する地下水は冷気を失わず、アスカにつかの間の幸せを与えてくれた。暫し涼に浸ったあと、
    アスカは三〇メートルほど離れた家に向かって歩き出した。
    地上に出たのは久しぶりなので、常夏の日差しが余計にきつく感じる。空調に慣れた肌にも、
    この暑気は酷だ。汗で肌に張り付いたシャツが極めて不快。でも、肌への影響を考えるとシャ
    ツを脱ぐわけにもいかない。
    今夜は、最後の晩餐となるだろう。だから、腕によりをかけた料理をシンジと共に作る。そして
    食べる。そのために、ネルフの食料貯蔵庫から高級そうな食材を選んで運んできた。当時の
    最新技術をもって保存されていた食料は、一〇年の月日を経ても新鮮さを保っており、食する
    のに何の問題もない。今はいない、顔も名も知らぬ技術者達に感謝だ。

    この二年あまり、アスカは、文字通り唯一無二のパートナーとなったシンジと共にジオフロント
    にいた。正確には、かつてネルフと呼ばれた施設に。
    アスカはそこで、エヴァンゲリオンの操縦システムであるエントリープラグの構造とシステムの
    把握、プログラムの書き換えに奔走していた。その作業が、二日前にようやく終了したのである。
    昨日、その成果を二体の人形に移植し、起動は無事成功している。あとは、目的を果たすだけ。
    巧くいけば、この閉じられた世界から脱することができる。巧くいけば・・・だが。
    ここまで来るには、一〇年の時と様々な葛藤があった。

    夢うつつ、もしくは混沌とでも言えるような長いまどろみの後、アスカはシンジと共に目覚めて
    いる。
    その直後の世界はアスカの常識を蹴破る乱暴さで混乱をもたらし、暫くは何もする気が起きな
    かった。
    昼か夜かも分からない空、赤く染まる湖、磔にされたような格好で屹立する量産型エヴァ。
    極めつけは、富士山並と思われる巨大な綾波レイの頭部。それは半分に割れ、開いた片方の目
    がこちらを睨むように視ていた。一緒にいたシンジはシンジで、目覚めてすぐに自分の首を絞め
    ようとするわ、話しかけると逃げるわ、正気を失った気配さえあった。
    昼とも夜とも分からない空が変化しだしたのは、プラグスーツの手首辺りに装備されたデジタル
    時計が数日の経過を示した頃。空が徐々に白み始めたかと思うと次に青みが増してきて、半日
    も経った頃には、見慣れた青い空と白い雲が出現していた。同時に赤い湖の湖水からも色が抜
    け、普通の水に戻っていた。非現実の象徴だったレイの頭部は忽然と姿を消し、世界は通常の
    姿を取り戻したのだった。
    だがアスカとシンジ以外の人々は、いつまで経っても姿を現さなかった。鳥や小動物、獣の類は
    僅かながら確認できたが数は少なく、たまに見かける程度。その状況は日を追っても変わらず、
    二人が事実上の人類の絶滅を理解するまで一年を要した。その間に愛憎を乗り越えた彼らは、
    互いから離れられないパートナーとなっている。
    希望と絶望が入り混じった生活の中、幼い心を持て余した彼らはいがみあい、罵りあい、殺し合
    い寸前に至ったことまである。しかしそれは絆の元となり、互いに愛と言える感情を持つようにな
    った。
    その愛が、取り残された者同士の本能的な求め合いなのか真の愛なのか、それは当人達にさえ
    分からない。数年もすると、そんなことはどうでもよくなっていたからだ。彼らは、何よりも自分達が
    生き抜くことを最優先せざるを得ない状況に置かれていた。
    人っ子一人いないおかげで住む場所には困らなかったものの、第三新東京市の電気や水道、ガ
    スなどのライフラインは壊滅状態。自動制御化された発電所くらいは稼働していると思われたが、
    その見通しは甘く、電気の通っている建物、施設は皆無だった。非常用設備や装備が確実に存
    在するであろうネルフに行ってみるという選択肢は、はなからなかった。最終決戦時の惨状を知っ
    ている二人は、ネルフがまともな状態で残っているはずはないと決めつけていたのだ。
    二人は知恵を出し合い、数え切れない失敗をし、時には腹を抱えて笑い、孤独を実感して泣き、
    悦楽に耽溺しながらも生き続け、八年の時が過ぎた。
    その頃になると生活も安定し、市郊外に自分達で家を建て、ホームセンターなどから持ち出した
    種を元に野菜を育てては収穫して暮らしていた。肉類が食べたくなったときは、市内で集めた缶詰
    などで代用。だがそれは賞味期限の限界から月日と共に乏しくなっていき、数年もすると、食べら
    れる物はほとんど無くなってしまった。
    肉無しの生活に暫く我慢していた二人も、ついには我慢できなくなって、仕方なしに狩りをすること
    にした。それまで、川や湖で魚くらいは獲っていたのだが、動物を狩った経験はない。
    よって、狩猟関係の本を探し、罠を作り、失敗に失敗を重ねた末に初めて獲物を得た時は、抱き合っ
    て歓声を挙げた二人である。
    だが、獲物を解体して食べられるようにする段になり、二人はもう一つのハードルを越えなければな
    らなかった。血抜きをして皮を剥ぎ、内臓を取り出して、肉と骨をより分ける。一連の作業は、経験の
    ない者にとっては過酷だ。
    それでも二人は、それを意思の力と慣れによって克服。一年もすると、干し肉やハム、ソーセージま
    で自作するようにまで腕を上達させている。
    車やバイクは、早い時期から使用していた。
    キー付きの車両はいくらでもあったし、生活必需品を市街地から回収する上で必要でもあったからだ。
    この時代主流となりつつあったバッテリ駆動のEV車はすぐに使えなくなったものの、少ないながら残
    っていた内燃機関の車両は頑健さを保ち、燃料調達にも困らなかったため、八年の間、二人の足と
    なっている。
    余裕ができると、二人は車かバイクを使って遠出をするようになった。それは二人一緒の時もあるし、
    単独行動の時もあった。互いに想い合ってはいるものの、四六時中顔をつきあわせているのも問題
    があると自然に学んだようだ。
    そんな生活に変化をもたらしたのは、こんなアスカの一言。


    『アタシ達、どっちが先に死ぬのかしら』


    いつの日か・・・
    だが、確実に訪れる現実。シンジが考えないようにしていた現実を、アスカはある日突然口にした。
    せめて二人の間に子供でもいれば気が紛れただろうけども、これまでアスカに妊娠の兆候すらない。
    関係ができてから避妊などしたことはなかった。にもかかわらず、子供は出来ない。互いのどちらか、
    或いは両方の体に異常があるとも考えられるが、今の二人にそれを知る手段はない。ここに医者な
    どいないのだから。


    『アタシは、独りで残されるなんて、イヤ。
    こんなところで人知れず朽ち果てるなんて、考えただけでゾッとするわ』


    アスカの気持ちは、そのままシンジの気持ちだった。たとえ子供が出来たとしても、男女数人の子を
    なして数世代続いたとしても近親交配の限界から逃れることは適わず、必ず死に絶える。自分達に
    未来はないのだ。


    『破滅を避けられないなら、可能性に賭けてみない?』


    シンジにアスカを納得させられるほどの代案はなく、また考えても無駄なことを彼は知っていた。









    アスカの言う可能性とは、自分達が目覚めた湖に鎮座する二体の量産型エヴァを使ってディラックの
    海を創りだし、別の宇宙へ繋がっているとされるそこへダイブしようというものだった。
    高等数学や量子物理学など知らないシンジにとっては夢物語以上ではなかったものの、アスカが言
    うと現実にできるような気がした。久しぶりに視た生き生きとしたアスカの姿も、シンジの気持ちを前向
    きにさせてくれた。
    いつの間にか下調べを終えていたアスカは、量産型エヴァのS2機関が生きていることを確認していた。
    かつてオブジェのように湖面から屹立していた二体のエヴァは、自重と気象の影響により、今では湖面
    に浮かぶ巨大なゴミとなっている。有機質にもかかわらず、いつまでも腐敗しないのでおかしいと思って
    調べてみたら、生物学的には生きている状態と分かったらしい。
    アスカは、それを動かす為にコントロールシステムを自分達用に書き換える必要を訴え、ネルフに行く
    ことを提案。MAGIが無事なら、非常用電源で起動させることが可能であるという。行ってみて駄目なら
    そこを死に場所にするのもいいと思ったシンジは、意見することなく、アスカの言葉に合意。準備を始めた。

    手動の非常用出入り口から八年ぶりにネルフ内へ入った二人をまず迎えたのは、快適に調整された空
    気。それは明らかに人工的な手段で調整された物で、内部電源が生きていることを示していた。
    先行きに明るさを見出した二人は、記憶を頼りに発令所へ。
    途中には多数の爆発痕や銃痕が多数あり、破壊された跡も多く、激しい戦闘があったことを二人に思い
    起こさせた。またネルフの制服、戦自隊員の物と思われる戦闘服、彼らが使用していただろう小銃などが
    無造作に転がっていて、突然の異変を示していた。
    発令所には、やはり多数の制服。そして、薄暗い室内にポツポツと浮かぶ淡い光の数々。
    アスカは、いつもリツコやマヤ達が陣取っていたメインコンソールに座り、キーボードやらスイッチ類を操作。
    すると、ディスプレイに光が戻った。そこには、


    第一級緊急避難措置の為、自己判断により機能を制限中。
    機能回復については、内部規定書、二七八‐二五〜三〇を参照のこと。



    との文字が。
    内部規定書という物が在れば何とかなりそうだと分かったが、肝腎の内部規定書がどこにあるかが問題と
    なった。シンジはともかく、ネルフに長く在籍していたアスカも視たことがない。
    そこで二人は、発令所に存在するコンソールというコンソール全ての引き出しをひっくり返し、残り数台となっ
    たところでようやく発見。それは、ゲンドウの使用していたデスクだった。
    ゲンドウがマメな性格であったのか物覚えが悪かったのかは不明なものの、とりあえず落ち着いて内部規
    定書を開いたシンジとアスカは、自分達の状況に当てはまる項目を選び出して手続きを開始。なんだかん
    だで一時間ほどかかり、MAGIの機能には制限が付きながらも、所内の施設は一通り使えるようになって
    いる。
    アスカはまず、動力源を調査。どこから電力を供給されているか分からないが、あれから八年も経っている。
    発電所にどのくらいの余力があるか、知っておく必要があった。MAGIを本格的に稼働させたらいくらも保た
    ないとなれば、事を急ぐ必要があるからだ。
    結果、複数の発電所をコントロール下に置いていることが判明。いずれも原発で、ネルフの施設を維持する
    だけなら一〇年は保つという計算だった。不必要となった施設を切り捨てれば、更に長く使えそうだ。
    アスカは使用可能な施設をピックアップ、その内、必要と思われない施設への電力供給をカット。待機状態
    でも結構な電力を消費するエヴァ関連の施設は、エントリープラグに関する物を除いてほぼ全て切り捨てら
    れた。
    二人を何よりも喜ばせたのは、膨大な物資を収めた倉庫の存在。そこには、ネルフ本部全職員が数ヶ月暮
    らせるだけの物資が詰め込まれており、非常用故に電力も止められなかったため保存状態は完璧。更には、
    巨大な食料庫まで内包していた。全く手を付けられていない食料庫は極低温に保たれていて、肉、野菜、そ
    の他諸々の食材がぎっしりと詰められている。この先二人が、ここで寿命を全うしたとしても食べきれる量で
    はない。
    食料の不安が消え、快適な環境を手に入れた二人にとって、ここが最良の家となったのは言うまでもないだ
    ろう。

    生活はこれまでになく安定したものの、アスカが目的としたエヴァのシステム解析とプログラム書き換えは
    難航した。
    緊急避難的な再起動故にデータ管理が厳しく、機密情報であるエヴァの情報自体にアクセスすることが困
    難で、技術情報となると完全にお手上げ状態だった。シンジが発令所で副司令のIDカードを見つけ、それを
    元にした再々起動が成功しなければ、計画はその時点で断念せざるを得なかっただろう。
    情報を手に入れたら入れたで、今度は別の問題が。
    MAGIに任せれば事は済むと考えていたアスカだが、現実はそれほど甘くない。
    戦自との交戦による損傷、整備不良、経年劣化のいずれか原因は不明なもののMAGIの機能は不完全で、
    メイン機能とも言える三つの人格による討議システムは沈黙。データバンクにも障害があるようで、エントリー
    プラグのパーソナルパターン書き換えについての情報は断片的にしか残っていなかった。アスカは仕方なし
    に、残っているデータを参考にして独学でシステムの把握に乗り出すのだった。
    この時点で大学卒業から一〇年近く経過していた上に、その間、勉強らしい勉強などしていなかったアスカに
    とって、それは厳しい作業となった。
    が、このままでは終われないという強い意志と自らの能力に対するプライド、シンジの助力や励ましなどもあっ
    て、ついには目的を達成。湖に浮かぶ量産型エヴァの起動に成功した。その時、二人が行動を開始してから、
    二年の時が過ぎていた。










    最後の晩餐をすき焼きにするかステーキにするか二人で大騒ぎした挙げ句に両方を山ほど作り、しかも意識
    を失うまで酒を飲んだ二人は、体調不良を理由に旅立ちを二日ずらした。いかに気分が昂揚していたとはい
    え、情けない話だ。いつか他人に知られることがあったら、大笑いされることだろう。


    「これが成功して、普通の世界に行けたらの話だけどね」


    シンジは、膝の上に抱いたアスカの耳元で囁く。美しく整えられた金髪が、僅かにシンジの頬をくすぐった。
    彼女のお気に入りで、廃墟となったブティックで見つけてから滅多に着ない白いワンピースが、メカニカルなエ
    ントリープラグの内部構造と酷く不釣り合いな気がする。白のTシャツにジーンズというシンジも、人のことは言
    えないが。
    ここはエントリープラグの中。スクリーン越しに見る外の景色は久しぶりで、一〇年前を思い出す。
    あの頃と違い、スクリーンに映るのは人気の全くない荒廃した都市の姿。そして、二〇〇メートル先ほど先で
    こちら向きに片膝をつくもう一体の量産型エヴァンゲリオン。無骨な装甲のない白い巨体は、神に仕える天使
    のようだ。
    良い思い出は少なく、戸惑いと恐怖が先に立ったエヴァの操縦も、今となっては懐かしい。
    最後は唾棄すべき結果しか残さなかったが、全てが始まった頃は希望もあったように記憶している。レイや友
    人達との心の触れ合い、アスカとの出会い、児戯同然だった恋愛のまねごと・・・
    何かが、どこかで狂ってしまった。やり直せるものなら、やり直したい。今の記憶と知識を使って。


    「必ず成功するわ。
    一度はアタシ達を見放した神様だって、今度は慈悲をかけてくれるわよ」


    「そうだね。そう、信じよう」


    「じゃ、いくわよ」


    アスカはシンジの左手付近にある操作盤のキーを幾つか叩き、もう一体のエヴァに信号を送った。
    それは、S2機関を意図的に暴走させる信号。
    一瞬でコントロールを失った膨大なエネルギーは、半径数kmの空間全てを漆黒の闇に巻き込みながら虚数空
    間へと消えた。後に残されたのは、綺麗な半球状に抉られた巨大な穴。
    そして、地球には誰もいなくなった。









    「え?」


    意識が戻り、目を開けたアスカがまず認識したのは、耳に飛び込んでくるドイツ語だった。


    「ラングレー、気が付いたか?
    済まない。抜き打ちの低酸素訓練だったのだが、少々やりすぎたようだ。君は一分ほど気絶していたのだ」


    「・・・気絶?」


    思わず日本語が出そうになったアスカは、咄嗟にドイツ語へ切り替えている。そして自分の置かれた状況を
    確認する。不審に思われないよう、最小限の動きで。
    プラグスーツを着た自分の格好、スクリーンに映る様々な文字、映像、タイムカウンター、それらから判断する
    に、ここは西暦二〇一五年のドイツ支部。弐号機エントリープラグの中。しかも、使徒の再来翌日。日本ではま
    だ、第三使徒を殲滅したシンジが病院に伏せっている頃だと記憶している。
    スクリーン越しに見る指揮所では、金髪を角刈りにしたドイツ陸軍出身の教官が何やらオペレーター達と打ち
    合わせしている。その後ろから、加持がこちらを心配そうに見ていた。あれが演技なのか、本当に自分を心配
    しているのか分からない。あの男の関心は、ほとんど葛城ミサトへ向いている。ミサトのために全てをなげうっ
    ても後悔しないだろう。あれは、そういう男だ。
    あの男に固執し過ぎたのは、失敗の一つだった。やり直しが可能となったならば、誤りは正さねばならない。
    加持との関係は、徐々に薄くしていくのがベターだと思う。


    「申しわけありません、教官。醜態を晒しました」


    アスカはこの頃の自分を思い起こしながら返事を返し、少なくとも自分の意識の転送に成功したことを内心で
    喝采した。
    が、同時に、シンジはどうなのだろうかとの不安が込み上げてくる。一瞬で闇に包まれた後のことは覚えてい
    ない。気が付いたら、ここにいた。自分が成功したのだからシンジも成功している筈だが、この状況では確認
    のしようがない。選出されたばかりのサードチルドレンと直接話をさせろというのは不自然だし、たとえそれが
    許されても監視されている身の上で本当のことなど聞けない。頭がおかしくなったと思われるのがオチ。良く
    てパイロット解職の上、精神病院行き。悪くすると洗脳、または事故に見せかけて抹殺されるかもしれない。
    いずれにしろ、ろくなことにはならない。


    (暫く待つしかないわね)
    「私は大丈夫です。次の訓練プログラムに移行してください」


    「初スコアをサードに奪われた悔しさは分かるが、君の体も大事だ。
    今日は、これで切り上げよう」


    「・・・了解です、教官」


    悔しさを滲ませる演技は巧くいっただろうか・・・
    アスカは、これから先の苦労を思うと気が滅入る。徐々に変化させていくにしても、初めのうちは小生意気な
    少女を演じなくてはならないのだから。当分は、加持にもまとわりつかなくてはならない。日本へ旅立つ前に
    デートもしたはずだし。


    (確か、約束してたのよね。適当に理由付けてキャンセルしようかしら・・・
    それにしても、シンジが気になるわ)


    教官の後ろから手を振る加持に愛想笑いで応えた内面二四歳のアスカは、ただ、シンジの無事を祈るの
    だった。






    何やら覚えのある痛みと共に、シンジの意識は覚醒し始める。
    まずは目が白い天井を、次に鼻が病院特有の消毒臭を。そして皮膚が病院服と毛布の感触、最後に耳が
    ミサトの声を伝えてくれた。


    「ご苦労様、シンジ君。
    気分は、どう?」


    「ミ・・サトさん?」


    反射的に応えはしたものの、シンジはこれが夢か現実か計りかねていた。
    頭と腕から発する痛みは、誤魔化しようのない現実。しかもこの痛みには覚えがある。エヴァ初号機で初陣
    に臨んだ際に負った怪我だ。正確には怪我ではなく、シンクロのフィードバックが痛神経に作用しただけなの
    だが。
    ともかくも、時を遡ってあの頃の自分に精神だけが憑依するなど信じがたい。サードインパクト直後の補完世
    界のような異質な空間に迷い込んだ可能性もある。あれも、現実と見まがうばかりの世界だったから。


    「シンジ君は立派に戦ったわ。使徒も殲滅。
    ちょ〜っち、損害が大きいけどね」


    「あの、僕は・・」


    「二日も寝込んでたんだから、まだゆっくりしてなさい。
    じゃ、私は行くわね。始末書の山をかたさないと、また司令からどやされるから」


    懐かしくも哀しい顔が、部屋から出ていく。彼女の残した香りも、記憶のままだ。
    三〇近くにもなりながら感情をもてあまし、非情になりきれず、愛する男を無為に失い、自分に希望を指し示
    しながら絶望の内に死んだ女。今から考えれば、ミサトはミサトなりに懸命に生きたに違いない。歳を経た今、
    それが分かるようになってきた。完全に理解できるとは、とても言えないが。


    (あれは、あの時のミサトさんだ。間違いない。
    となると・・・)


    精神だけ時を遡ったのは、事実のようだ。
    量産型エヴァが爆発した瞬間、一瞬で全てを闇が覆ったのは記憶している。
    が、その後のことは覚えていない。気が付いたら、ここにいたというだけ。どういったプロセスで時を超えたの
    か、全く不明。


    (この際、理由なんかどうでもいい。計画は成功したんだ。
    アスカだって、ドイツにいるはずだよな)


    苦楽を共にしたアスカは、恋人であり、妻であり、友人でもあった。そんな彼女と離れ離れになるはずがない。
    すぐさまドイツ支部へ電話し、アスカと無事を確認しあいたい。とはいえ、それは危険きわまりない行為。未来
    を知る自分達の正体を知れば、ゼーレが座視するはずはないからだ。
    自分とは比較の対象にならないくらい優秀な彼女のこと、時間朔行に成功していたとしても可能な限り正体
    を隠すだろう。身の保全を考えるなら、それが最善の策。となれば、アスカとの再会はヤシマ作戦以後まで
    待たねばならない。


    (待つさ。
    暇つぶしには、事欠かないからね)


    シンジは、大人の余裕を持って事に当たることができる幸運に胸躍らせる。と同時に、周囲への警戒も怠らな
    い。この時期、自分は内罰的ではっきりしない、どうにも頼りなさそうな少年だった。その基本設定から逸脱せ
    ず、一歩一歩、少しずつ素を出していくしかない。


    (僕は、元々あまり喋らない人間だからそんなに難しくないけど・・・
    アスカ、大丈夫かな。ストレス貯まりそうだな)


    優秀ではあるが、たまに考えられないポカミスをやらかすパートナーをシンジは案ずる。
    が、再び襲来した眠気に抗しきれず、瞼を閉じた。



    act.1






     

    でらさんからAEoE転生リプレイもののプロローグをいただきました。

    いろいろ大変だったのですねシンジとアスカは。
    でも、これからいきなり中学生に戻って大変だと思います。まずはなんとか同居まで持っていくことでしょうが、うまく運べるでしょうか。

    でらさんのお話、続きが気になりますよね?ね?感想メールを送って続きもお願いしましょう。

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