進展 

こういう場合 第十六話
作者:でらさん













ミサト執務室


「遅いわね・・」


総務部経理課から作戦本部に重要な話があるというので、担当の者が来るまで雑務をこなし
時間を潰しているミサト。
しかし予定の時間になってもなかなか来ない。

傷を消した形成手術の術後は順調であるが、まだ無理は出来ない。
デスクワークがいいところだ。

そのせいもあって彼女は苛つく。


シュッ


「済みません!遅れました!」


「ったく、私を待たせるなんていい度胸してるわね。
後五分来なかったらキャンセルしてたわ」


圧縮空気の抜ける音と共に息せき切って駆けつけた職員は、いかにも事務のプロと言った感じ
の人物。
特務機関職員より銀行員といった様子。
実際、そっち方面から引き抜かれたのかもしれない。


「申し訳ございません。
急に何人も退職したので、経理の方が立て込んでおりまして・・」


内通者達はそれぞれ個人の都合で退職したことになっている。

余計な動揺を組織内に起こさないためだ。
いずれ噂は広がるだろうが、公的に発表するのは事態が落ち着いてからの予定。


「言い訳はいいから、重要な話とやらを聞きましょうか。
私も暇じゃないの」


「は、はい。
実は国連からの入金が予定を下回る事が確実になりましたので、作戦本部にもご協力をお願い
したいと思いまして。
勿論、作戦に支障の出ない範囲で」


「私もその話は幹部会議で聞いています。
幾つかの予算削減案も私は承認しました・・まだ不満が?」


「いえ、不満などとそんな・・
ただその・・・より摂生に努めていただけると、ネルフの台所を預かる部署として
非常に助かるのですが」


言葉遣いは実に丁寧だが、暗に作戦本部に余計な金は出せないと言っているようなもの。
目に見える成果を上げられる技術部と違い、作戦本部は何か事が起きないと特に仕事がない。

それに作戦本部は緊急時の部署で、対使徒戦のために臨時で設けられているという位置づけなのだ。

ミサトは本来、戦術作戦部作戦局作戦課課長に過ぎない。
その彼女が作戦本部の最高責任者におり、実質的に本部のNo.3という位置にいる。
簡単に言うならば、今ネルフは非常事態態勢にあるということ。
作戦本部とは、緊急災害対策本部のようなものなのだ。

使徒の襲来が間近と予想されていたので、このような態勢を取ってネルフは待ちかまえていたわけ。

しかしこのような態勢を維持するには経費がかかる。
金を預かる者から見れば実に無駄に思えるだろう。


「これ以上どうしろって言うの?
具体的に言ってくれないかしら」


「お怒り覚悟で申し上げますが、まずは作戦本部の規模縮小・・そしてエヴァンゲリオンを今の
三機編成から二機編成にしていただきたい。
余るパイロットは予備として認めます。
ですがその訓練もあまり本格的なものは必要ないかと」


「話にならないわね。
もう帰りなさい・・時間の無駄だわ」


「は?しかしまだ説明が・・」


「帰れと言ってるの」


「は、はい。失礼します」


委員会が国連を通じて圧力を掛けてきているのはミサトも分かる。
上部組織に喧嘩を売ったのだからこのくらいは当然だろう。
もっと厳しくなるかもしれない。

しかし本部はエヴァあっての本部であって、エヴァがなければ実質的な力を失うのだ。
それを事務方はまるで分かっていない。
総務としては司令であるゲンドウの訓令を最大限に理解、実行しようとしているのだろうが
あまりに物を知らな過ぎる。

ミサトはデスク上の受話器を掴むと、総務部長へ直接繋いだ。


「作戦本部の葛城です。
・・・・・忙しいのはこっちも一緒よ、
話を聞きなさい!


この後、総務部長はさんざんこきおろされ作戦本部への追加要求は取り下げられた。
が、この一件は禍根を残し後に問題を起こすことになる。





数時間後 リツコ執務室


今日、アスカは学校で国語の補習。
漢字を覚えようとしない彼女に担任が業を煮やし、ネルフに直訴して漢字の特訓を施している。

アスカとて日本で暮らしている以上その必要性は理解していたが、シンジの訓練に付き合うのが
優先され、そっちは放って置かれていたのであった。
しかし優秀な彼女のこと・・不自由しない程度はすぐにマスターするだろう。

そしてレイもいない。

彼女は、今朝まで徹夜で零号機の整備に付き合わされていたらしい。
今はまだ熟睡しているはずだ。

そんな訳で、今日はシンジ一人で訓練・・

ネルフに来る前ならかえってせいせいしただろうが、今は一人が寂しいと思う。
アスカやレイのいる生活にすっかり慣れてしまったようだ。

そのシンジは、訓練が終了した後リツコの部屋に呼ばれている。


「僕に用って何ですか?」


「今日、レイの新しいIDカードが発行されたんだけど、あの子ネルフに来てないから
あなたに届けてもらおうと思って」


「いいですけど・・」


「何か用でもあるの?」


あまり気の乗らない返事のシンジ。
リツコはその様子で大体の予想はつく。
恐らくアスカ絡みだろう。

シンジの訓練が終わった頃、それを見計らったように彼の携帯へアスカから連絡が入っていたから。


「電話でアスカに何か言われたのね」


「そ、そんなに大した事は・・すぐに帰って来いとは言われましたけど」


「・・・・・」


本人達は無意識なのだろうが、どう聞いても同棲カップルか新婚夫婦のやりとりである。
レイの入り込む余地は無いと思える。

しかしリツコも、レイに簡単に諦めさせるのは可哀想と思う。
それに、まだ決定的に結びついたわけではなさそうだ。


「アスカばかり構ってないで、たまにはレイも相手してあげて。
あの子、寂しがりやなんだから」


「綾波が・・さ、寂しがりやですか」


「シンジ君も知らないのね、レイの本当の姿。
それとも、知らない振りをしてるだけ?」


「僕は綾波の本当の姿なんて知りませんよ」


「なら、これから知るといいわ。
IDカード、頼んだわよ」


差し出された新しいIDカード。
そこに写ったレイの顔は、わずかに微笑んでいる。

それが自分だけに向けられた物だと、シンジは知らない。

それよりもシンジは、自分の帰宅の遅延によって確実に機嫌が悪化する少女をどう宥めるかで
頭が一杯だった。

レイと折り合いの悪い彼女の事・・
例え言いつけられた用事とは言え、レイの家に寄って遅くなったと説明でもしたら
どんな反応を示すか分からない。

少なくとも平手一発は覚悟しなくてはならないだろう。

別にアスカと付き合っている訳でもないシンジはそんな心配をする必要もないのだが、
それが当然のように考えている。
実質、付き合っていると言っていい。


「・・・分かりました」


とにかく急ぐしかないと決めたシンジであった・・




綾波宅・・


リツコに教わった住所を辿るとそこは、廃棄寸前のボロマンション。
第三新東京市とジオフロントを整備する際、一般労働者用に作られた兼価型マンションだ。
しかしその役目も終え、現在は取り壊しが予定されている。


「こんなとこに住んでるのか綾波は・・」


探し当てた部屋の前に立つと、玄関ドアの郵便受けには各種広告が詰め込まれている。
そういったものには全く興味が無いらしい。


「片付けるとか考えないのかな・・綾波らしいけど」


何の装飾もない実用性重視のインターホンを押してみるが、中からは何の反応もない。
電源は入っているし故障もしていない。

とすると、まだ寝ているのだろう。

一応、ドアのノブを捻ってみたが当然鍵が掛かっていて開かない。
来ることは来たのだし、明日リツコに説明すればいいと思い帰ることにしたシンジ。


「寝てるんじゃ仕方ないよな、帰ろ」


ところが・・


ガチャ


「碇君?」


突然ドアが開き、レイが寝ぼけ眼で姿を現した。
上半身を制服のブラウスで覆っただけの無防備さで。

しかし、風呂上がりにバスタオル一枚で室内をうろつくアスカを見慣れているシンジは
感覚が麻痺しているのか、何とも思わない。
下半身はパンティ一枚だと言うのに・・


「良かった、起きたんだね。
リツコさんから新しいIDカード預かったから持ってきたんだよ。
はい、これ」


「ありがと・・」


「じゃ、僕はこれで。
明日、ネルフでね」


シンジは用件は済んだとばかりにその場を立ち去ろうとする。

ところがレイは、咄嗟にその彼の手を掴んでいた。
その行動に自分でも驚いたようで、しばらくシンジの手を握ったまま硬直してしまう。


「な、何か用?綾波」


「・・・少し、上がっていけば?」


「・・・・・うん」






初めて入ったレイの部屋。
その第一印象・・


(掃除嫌いなんだね、綾波)


初めてミサトの家に上がった時ほどではないが、お世辞にも綺麗とは言えない室内。
床には埃が積もり、足跡までついている。
それに装飾の類が一切無く、年頃の少女の部屋とは思えない。

そういった事にはあまり気を遣わないアスカの部屋でさえ、女の子の部屋という印象が
あるのにだ。

更に紅茶を煎れようとしたレイは煎れ方も知らず、あまりに危なっかしいのでシンジが
自分で紅茶を煎れた。
どうも一般常識そのものが欠落している。
何かが変だ。


「ずっと一人暮らしなの?綾波は」


「そうよ」


「ご両親は・・・
ご、ごめん、変な事聞いちゃって・・
前にアスカにも同じ事言ったのに、バカだな僕って。
はは・・ははははははは」


「いいわ、別に。
変でも何でもないから」


「そ、そう・・」


シンジはレイの家族とかの話は聞いたことがない。
周りの人間もその話題には触れない事からして、彼女には身寄りなどないのだと
考えていた。
それをすっかり忘れていたのだ。

シンジ達の世代では、特に珍しい事でもない。
セカンドインパクトで身寄りを亡くした人間など、それこそ数限りないのだから。


「碇君はまだ、司令とうまく話せないの?」


何か別の話題をと焦っていたシンジにレイが質問。
それも彼が一番嫌う人間に関して。


「もう、父さんの話はやめてよ。
綾波こそ、まだ父さんが一番信頼できる人間なの?」


「・・・今は違う。
今は赤木博士・・リツコさんを一番信頼してる。
司令は私を見ているようで見てない。
あの人が見てるのは別の人だわ」


「だったら父さんの話はいいじゃないか。
出来れば縁を切りたいくらいだよ・・あんなやつとは」


「親子じゃないの?」


優しく語りかけるレイの顔は、シンジの記憶の奥底にある何かを思い起こさせる。
それは遠い昔、自分を優しく見守っていた何か・・


プルルルルルル!


「電話!アスカかな・・」


何かを思い出しかけたシンジの思考を中断したのは、彼の持つ携帯。
相手を確認すると、予想した通りにアスカだ。

帰りが予定より遅いのに苛ついているのだろう。
シンジは恐る恐る電話を繋ぐ。


「はい・・」


<はい、じゃないわよ!どこうろついてんの、バカシンジ!
こっちは晩ご飯も食べないで待ってるんだからね!>


「あ、綾波の家でお茶飲んでるんだ。リツコさんから用事、言いつかってさ。
綾波がお茶ご馳走してくれるって言うから、言葉に甘えてるんだよ」


<それならそうと電話くらいしなさいよ!とにかく、すぐに帰って来なさい!
同居人として食事を共にするのは人間としての義務よ!>


「わ、分かったよ」


電話を切りレイの方を向くと、彼女は何と言ったらいいのか・・
複雑な顔をしていた。

笑いたいけど笑えない・・・

そんな顔。
アスカとの会話は全て聞こえていたようだ。
彼女の声はただでさえ大きいから・・


「僕はこれで帰るよ。
早く帰らないと、アスカに怒られるから」


「そう・・
紅茶、ありがとう」


「今度は綾波が煎れて見せてよ。
アスカと一緒に遊びに来た時でもさ」


「・・・・・そうね、それまでに覚えておくわ」


一人では来てくれないのかとレイは思う。
自分はシンジにとってどういう存在なのか、聞いてみたい気がした。

しかし逆に、聞いてはいけない気もする。

いや・・・聞くのが恐い。
決定的な何かを失いそうで・・


「じゃあ、今度は本当にさよなら・・綾波」


「さよなら、碇君」


一人で人気のないマンションを出ていくシンジ。
その姿をレイは、いつまでも見送っていた・・

彼の姿が視界から消えるその瞬間まで。






葛城宅 玄関前・・


「怒ってるかな、アスカ・・」


ここに着くまでシンジの携帯は沈黙を守り、アスカからの連絡はない。
それが一層、彼の不安を煽る。
この静けさがかえって恐い。

レイの家で受けたアスカからの電話・・
それがレイに対する嫉妬であると、シンジは理解している。

アスカの気持ちははっきりと自分に向いていると分かる。

そして自分も、そんなアスカを好きだとはっきり言える。
しかし、それを本人に対して言う勇気がない。
まだシンジは迷っているのだ。
自分は本当にアスカと付き合える男なのだろうかと・・


「まだ言えない・・
でもいつかは、胸を張ってはっきり言うよ。
アスカ・・君が好きだって」


玄関ドアをアスカに見立て、シンジは自らの決意を言葉にする。
その向こうに、当の本人がいるとも知らずに・・

しかもインターホンを通じて、しっかり聞かれていたりする。
どういう具合か知らないが、常に音声を拾っているようだ。


「バカ・・・」




数分後・・

ドアを開けたシンジが見た物は、彼が今まで見たことのない笑顔を満面に称えるアスカ。
そして、彼女の一言・・


「お帰り、シンジ!」










つづく

次回、「夢の終わり

 でらさんから『こういう場合』の第十六話をいただきました。

 ミサトさん、さっそく本部内に亀裂を生んだような‥‥。
 三十路前であせっているのはわかりますが(違う)もう少し大人しくするべきでした。

 レイ、リツコさんの助けを借りてシンジとの距離をつめ‥‥られなかったようですね。
 アスカとシンジの間のほうが既にずっと近かったのですな。

 様々な思惑の交錯している『こういう場合』続きも楽しみですね。

 ぜひ、読後はでらさんに感想メールをお願いします。

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