2007年10月6日記
橋物語
暑さ寒さも彼岸過迄,とはいわないが,東京では9月28日にたぶん最後の真夏日があったあと急速に秋を迎えた。
神保町にも「新そば」の貼り紙が登場している。暑かったせいか,例年より遅いようだ。
前号に1行書いたように,「<定食>橋」(靖国通りスタバ左の路地の右側)が別の店になって,少なくとも30数年続いていた「橋」の名が消えた。
「橋」は,昔は左隣の「魚○」の場所を含む大きな定食屋で,定食はいつも10種類ぐらいあり,毎日一部が入れ替わるので「年間では600種類にもなる」と雑誌に紹介されたこともあった。レジ係兼司令塔のおやじさんの「やーきざかなを1丁」という口調が今も耳に残る。このおやじさんはなかなかのやり手で,3階には「<バー>橋」があった。
80年代だったと思うが,左半分が「<鉄板焼ぐるめ>橋」になり,それが2005年末ごろに「魚○」になったわけである。
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[上] 魁道の昼食メニュー [下] 付近の近況 写真をクリックすると大きい写真が見られます。 |
五十通り(千代田通りエーパン脇の道)を少し行った左側,元「賀茂川」の場所に9月4日「<炭火焼肉>魁道」が開店した(小川町3-11)。最初のうちは外にランチの案内がなく,何があるのかわからないまま入ってみたところ,いかにも元相撲取りという感じのお兄さんに迎えられた。
ランチのメニューは,ロース丼,カルビ丼,ハラミ丼が\900,石焼ビビンバ,牛すじカレー,ネギカモムンチ丼,牛すじ煮込み定食,冷麺定食などが\700から\750で,どれにでもつくのがスープ,サラダと「キムチまたは青汁」というちょっとおもしろい選択肢。注文したのはロース丼で,質・量ともになかなかの水準だった。キムチがもう少し量があるといい。
開店祝いの花輪の贈り主が,魁皇,貴乃花,菊地桃子という豪華メンバーだった。
続いては,すずらん通りのパチンコポニーの裏のラーメン屋「七福家」(神保町1-25)。7月に開店していたのに9月に入ってから気づいた。
ラーメンは1種類(\650)で,とんこつの太い麺で素直な味。トッピングはチャーシュー,辛ネギ,のり増し,キャベツ,ほうれんそうなどで,野菜があるのがありがたい。キャベツはけっこうボリュームがあった。のりは元々3枚入っていて,「のり増し」で+5枚だった。
七福家はこの店が4店目だそうで,関係者によるブログもある。
ラーメン屋がもう1軒,こちらは9月25日開店の「との」に開店の翌日に入った。五十通りを半分以上行った左側,8月末で閉店した「味の一」の場所である(錦町1-14?)。
ラーメンは修飾語句なしの「ラーメン」,塩,味噌,ネギ,焦がしというラインナップで\650〜,トッピングはチャーシュー,コーン,メンマ,のり,ワンタンなど。七福家より少し複雑系(?)の味だった。次は塩味を食べてみることにしよう。
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[上] いもや [下] 安の閉店の貼り紙 写真をクリックすると大きい写真が見られます。 |
ともにかなり昔からの店「<とんかつ>いもや」(スタバの左の路地を入った先),「<うまい処>安」(そのさらに北)が閉店になったのを,ひだまりさんのブログで知り,閉店あいさつの写真を撮ってきた。
「いもや」は,ここ10年は揚げ物を原則として食べなくなったので入っていなかったが,かつてはお世話になった(ただし,特に昼はいつも混んでいたので,実際に入った回数はそれほど多くはない)。「安」は,年間の回数は多くないが最近まで行っていた。昼は海の幸を中心とする各種の丼が人気だった。貼り紙には「店主急逝のため」とあった。
ラーメン「二郎」の先に「Becoshnin ベコ主任」という不思議な名の牛タン・炉端焼の店が8月にできた。何度か通りかかったが,いつも女性客でいっぱいで,まだ入れていない。
「出雲そば」のあった場所に「<旬鮮焼>風」という店が10月8日オープン予定と出ていた。
すずらん通り文銭堂地下の「日比谷Bar」の昼食が,サンドイッチからカレーになった。カツ,揚げ野菜,みそ焼鶏,牛タンといった種類があり,ウコンの五穀米と共に供される。苦めの濃いコーヒー付きで\950,19時まで食べられる。