神保町 昼食ニュース

2000年6月号


  開店: 博多おーじゃんおーじゃんじゃん
  移転: ジロー
  再開: 台南坦仔麺
  一時閉店: 智爺坊

2000年5月26日記  

赤い花の咲くとき

5月19日昼写す
(写真をクリックすると
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ベニバナトチノキ

 すずらん通りの街路樹に赤い花が咲いた。連休明けのある日,三慶商店跡の空き地のところで気づき,見回してみると,ピンクがかった朱色の小さな花が釣り鐘型に集まって,緑の間から一斉に立ち上がっていた。
 某先輩によると,これはベニバナトチノキという木だそうだ。毎年咲いていたのだろうが,これまではさほど印象に残らなかった。今年は例年よりよく咲いて,それがぽっかりと空いた空き地の前でよく見えたということなのだろうか。
 5月下旬になって少し盛りを過ぎたが,まだ元気な花もある。破壊の町と隣り合わせなだけに,ひときわ目にしみる。

那須印刷と錦友館

 神保町1丁目南地区の「再開発」地域では,残っていたうちの比較的大きな会社だった「那須印刷」(63,65番地) が連休明けに大曲の方へ移転した。
 取り壊しがますます進んで,思わぬところから今まで見えなかった向こうの通りの建物が見えたりしている。空き地がいちばん広くなるのは8月ぐらいだろうか。居酒屋でだれかが「取り壊しがすんだら,ここで野球大会をやろう」と気勢を上げていた。

 5月下旬になって,ホテル「錦友館」の建物にも足場がかけられ (写真右),間もなく防音シートに覆われた。錦町3-13あたりにあった「新東京ホテル」が閉鎖になってから,この付近では唯一のホテルだった。都会にしては安い気軽なホテルで,玄関の周りには亭主の丹精したサツキの鉢ががたくさん並んでいた。
 1975年に初優勝する前の弱小球団だったころの広島カープが,東京でのゲームのときはここを定宿にしていたのも,はるか昔のこととなった。

「再開発」問題資料いくつか

 このページの2月号で紹介した逢坂剛・鹿島茂両氏の対談「神保町よ,永遠なれ」の全文が,三省堂のサイトの「三省堂ぶっくれっと」のページに掲載されているのを見つけた。3回にわたる対談の後ろの方で,地域住民へのあきれた「説明会」の様子を逢坂氏が語っている。
 公的資料は,その後も千代田区のページにごくわずかあるだけのようだが,出版労連のサイトの「神田村再開発問題」のページで,昨年秋の区議会の様子が簡単に紹介されている。
 ほかに,最近の単行本で,成戸寿彦他『都心活性化地図』(かんき出版)という本に,文章が1ページ,地図と写真が1ページで「神田神保町1丁目南部地区」再開発が紹介されている。ただしこれは都庁関係者の「著作」で,東京各所の大風呂敷バラ色開発計画羅列本である。


◆ 開店・移転・再開

 靖国通り北側,細い路地も数えて3本目の道,喫茶店「エリカ」の並びに,「博多おーじゃん おーじゃんじゃん」という長い名前の店が5月8日に開店した。博多ラーメンの店で,基本のラーメンは380円という「戦略価格」である (他の品はだいたい680円以上)。

 その手前,靖国通り北側1本目,ランチョン裏の角にあった「ジロー」が,少し北西の方に移転した。元の場所はいま改装工事の最中で,「ソバ・食事処 こんごう庵」という店が6月上旬に開店するという予告が出ている。
 なお,ジローのチェーンでは,夏メニューの「さっぱりビーフ」が始まっている。

 昨年3月の「昼食さまざま」に,「台南担仔麺」(神保町交差点から白山通りを水道橋方向へ半分ちょっと行った左側)が閉まったままになっている,と書いたが,最近久しぶりにこの方向へ行ってみたら,少し改装して営業していた。昼はランチが3種類あり,ご飯またはチャーハンのおかわりができる。聞けば,昨年火事があって閉めたが,10月に再開したという。

◆ 一時閉店

 3月号で書いたばかりのの「智爺坊(ちゃぼ)」(「ラドリオ」のある横町) が,4月下旬から「一時閉店」している。


[News]
このホームページが,『日経ネットナビ』6月号の町の
情報ガイドのページの神保町の項で紹介されました。


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