明日,由利高原鉄道に乗るために,今日の宿は秋田に予約してあった。
青森からこの先秋田までのルートは,事前には決めていなかった。少し前に鉄道ダイヤ検索ソフトで調べたときは,五能線回りだと秋田へ着くのは夜10時過ぎになってしまうというご託宣が出た。五能線の季節列車「リゾートしらかみ」が登録されていなかったのである。それなら,「日本海」で行くしかない。ところが,念のため冊子の時刻表を見ると,4月から6月までは毎日「リゾートしらかみ」が運転されていて,これにぎりぎりで間に合うではないか (秋田行きは分岐駅の川部には止まらないが,弘前で3分の待ち合わせで接続する)。ただし,せっかく景色のいい五能線に乗るのに,途中で日が暮れてしまうし,弘前で降りてちょうど満開の桜を見るのもいいかな,などと躊躇して,函館ではとりあえず青森までの乗車券を買った。
五能線にしようと決めたのは今日昼である。蟹田駅にあった「リゾートしらかみ」のパンフレットを見たところ,「夕陽を肴に晩酌セット」という案内があった。そうか,この季節のこの時間の設定は,日本海の夕陽を見るためだったのかと遅蒔きながら気がついた。予約制の「晩酌セット」にも惹かれた。
青森駅で指定券を買い,15時19分,奥羽本線普通列車で弘前へ向かう。これがわずか2両編成で大混雑,高校生だけではなく,老若男女であふれている。途中ですくかなと思ったが,弘前まで45分,ほとんどそのままだった。おかげで,青森で買ったコーヒーを立ったまま飲むはめになった。2か月半前に同じ車窓から雪景色を見たが,今日は窓の外はそこここで桜が満開である。
16時04分,弘前着。隣のホームに止まっている「リゾートしらかみ」へ急ぐ。濃淡の水色で塗り分けた4両編成で,1・4号車は展望デッキつきのクロスシート,2・3号車はコンパートメント式のボックス(6人用,一部4人用)になっている。1人・2人だと1・4号車が割り当てられるらしい。窓が大きく開放的で,シートのピッチが広く (国内最大だろう),特急のグリーン車より広々していて,想像以上に快適な車両だった。
16時07分に発車し,今来た線路を川部まで戻る。川部ではドアは開かないが,5分ほど止まって列車の向きを変え,いよいよ五能線に入る。4号車ではいっせいにシートの向きを変えた。川部・五所川原間も,2月に乗った区間である。あのとき雪に覆われていたリンゴ畑が,今日は春の光にあふれ,もう芽も出始めている。板柳で交換があり,次いで五所川原では乗客の出入りがかなりあった。向こうに,2月に雪の中を元気に走った津軽鉄道の「走れメロス号」が止まっていた。五所川原を出ると,大陸的なスケールの広大な田園地帯となる。左には常に岩木山が見えている。五能線は,岩木山の回りを4分の3周するように走る。
車内に「晩酌セット」の申込用紙があったので,検札に来た車掌さんに渡す。車内に届くのはあきた白神だという。
17時04分着の鰺ヶ沢の手前で海が見えてきた。鰺ヶ沢でも交換があり,乗客の乗り降りがあった。時刻表に出ている列車編成表は,両端部分の向きを記した上で「東能代・川部間逆編成」と書いてあるから,「逆編成」の区間の方がずっと長いという妙な書き方になっている。2・3号車では,ボックスが海の方を向くようにできているわけだ。1・4号車の展望デッキのいすも,海の方を向いている。
北金ヶ沢で運転停車があり,次いで岬に沿って北へ向きを変える。一時的に岩木山が右後ろに見えた。千畳敷駅を頂点に南西に向きを変えると,千畳敷海岸が広がる。日はだいぶ傾いたが,まだまだまぶしい。難読駅として有名な風合瀬(かそせ)・驫木(とどろき)を過ぎ,小さなトンネルを4つくぐって少し陸へ入り,追良瀬(おいらせ)でまた海へ出る。このあたりは海まで数メートルで,テトラポッドがごろごろしている。
17時48分,五能線の中心駅ともいえる深浦に着いた。下りと交換,乗務員が交代する。日没にはもう少し間がありそうだ。
五能線に乗ったのは12,3年ぶり,2回目である。前の時は今回とは逆回りで,男鹿線に乗ったあと秋田に泊まり,翌朝「ノスタルジック・ビュートレイン」に乗った。今日のようないい天気ではなかった。この深浦で「ノスタルジック・ビュートレイン」同士の交換があり,かなり長く停車したような気がする。
今日は3分の停車で発車し,次の十二湖を過ぎるといよいよ日没が近くなってきた。空は相変わらず快晴で,ただ太陽のちょっと上あたりに少し雲がある。いろいろな形の岩のシルエットが浮かび上がる。青森・秋田県境の大間越(おおまごし)・岩館(いわだて)間の海を見下ろすところで夕陽を見るための徐行運転
があった。もともとグループ客がいなくて静かな車内が,さらに静まり返った。日没は6時34分ごろで,岩館の手前だった。水平線に沈む夕陽を見たのは何年ぶりだろうか。
岩館で運転停車があった後,18時39分に,比較的最近できたあきた白神駅に着いた。すぐ脇に「ハタハタ館」というのがあり,駅と橋で直結していた。あきた白神を出てまもなく,予約した「晩酌セット」が届く。イカ焼1ぱい分,塩辛,かまぼこ,ハタハタ,いぶりガッコなど秋田のつまみに,白瀑という八森の酒1合を組み合わせたもので,千円也。さっき見たハタハタ館製だった。
「夕陽を肴に」という宣伝文句通りにはいかなかったが,夕陽をじっくり見た後,暮れてゆく海を見ながらの晩酌である。ちょうど海を離れるころとっぷりと暮れた。
19時07分に東能代に着き,また進行方向が変わって奥羽本線に入ると,まん丸の月が出た。月を旅路の友として,という歌詞のとおりである。ずっと左に夕陽を見ていたのだが,こんどは同じ席にいるのに右に満月を見るというのは,不思議な,しかしぜいたくな気分である。
19時59分,秋田着。長い一日だった。
翌5月1日は,国鉄矢島線から転換した第3セクター鉄道「由利高原鉄道」を目指すことにし,7時12分,秋田発の羽越本線の普通列車に乗る。これだと,その後の接続がよい。
今日は第1土曜日なので,高校生の乗り降りが多い。2つ目の桂根(かつらね)で,早くも海のそばに出た。ここでは長大な貨物列車との交換があった。そこから2つ目は,かつてペンシル・ロケット打ち上げのあった道川である。その先の松林の間の信号所でも交換があった。その後は少し内陸へ入り,田園の中の築堤上を,雄大なカーブを描きながら走った。
7時57分,羽後本荘着。隣のホームに,目指す由利高原鉄道の列車が待っていた。上がクリーム,下が銀色に塗り分けられ,間に赤の帯が入っている。3両つながっているが,後ろの2両は締め切りで,回送である。この鉄道,路線はひとつしかないが「鳥海山ろく線」という線名がついている。さらに念の入ったことに,車両には「おばこ」というヘッドマークがかかっていた。
8時07分,乗客9人で発。ガタゴトとかなり揺れる。最初,かなり長いこと羽越本線と並行して走るが,左へやっと分岐したところに薬師堂という最初の駅があった。高校生が3人乗ってきて,乗客は2ケタになった。その後も高校生が乗ってきて,少しずつ増えてゆく。
子吉(こよし)を過ぎて勾配が少しきつくなり,山裾にとりついたような感じで,水をはりはじめた田んぼを見下ろしながら小サミットを越える。鮎川,黒沢と,古い木造の駅舎のある駅が続いたあと,曲沢(まがりさわ)は新しい物置のような駅で,車両と同じ色に塗られていた。右手に,まだ雪に覆われて真っ白な鳥海山が姿を現した。
唯一の交換駅,前郷(まえごう)で交換があった。時刻表を見ると,大部分の列車は上り・下りが同じ時刻に発車し,ちょうど中間の前郷で交換し,同じ時刻に終着となる。西滝沢の駅舎は,ひときわ貫禄のある木造だった。このまま昭和初期を舞台にした映画のロケができそうな感じだ。吉沢を過ぎてまた小サミットを越え,少し右にカーブすると,鳥海山がこんどは正面に見えた。次の川辺は,他の駅舎からするとまぶしいような新しい山小屋型の駅舎だった。唯一のトンネルをくぐると,8時48分,終点の矢島(やしま)に到着である。
駅前は春の陽光を浴びてあっけらかんとした明るさに満ちていた。丸い建物は交番かなと思ったら,異様に立派な公衆トイレだった。
窓口で買った帰りの切符は,「鳥海山観光記念」というカラー印刷の硬券だった。折り返しは単行で
9時20分発,当初の乗客は12名。回送されてきた2両は車庫に入ったようだ。もと来た道を引き返し,10時01分,羽後本荘着。
この先の予定も事前にはちゃんとは決めていなかったが,新潟方面へ行くのが接続がよさそうなので,秋田では新潟経由で東京都内までの乗車券を買った。10分の待ち合わせで,羽越本線の普通列車で酒田へ向かう。またしても海を見ながら走る。
11時20分,酒田着。31年ぶりの訪問だが,前の時はバスで来てバスで去る旅で観光はしていないから,何も覚えていない。
今日は早めに帰ることにして,1時間後に出る新潟までの「いなほ」と新潟からの「あさひ」の指定券を買ってから,観光案内地図をにらんだ末,駅から徒歩5分の本間美術館へ行く。入り口から近い新館は企画展のみで,本間家の収集した美術品は,贅を尽くした日本庭園の一角にある本館に少しだけ展示されていた。本館は昔の本間家の別荘をそのまま利用したもので,展示されていたのは円山応挙など,少数ながら質の高いものだったが,何より見事なのは建物自体と,そこから見る庭だった。庭はよく手入れされていて新緑に包まれ,向こうには鳥海山も見える。ただ,その隣にスーパーDの看板がそびえ立っているのが興ざめだった。
座敷の一部は喫茶室になっていたが,時間がないので,土門拳の記念館などと併せて次の機会にしよう。もっとも,こんなに天気のいいときに再び来ることは難しいかもしれない。
駅へ戻り,売店をのぞいたら,酒田の地ビール「山形麦酒」があったので2種類1本ずつ買い,12時19分発の「いなほ8号」に乗りこむ。ビールはびん入りなので,昨秋東北へ行ったとき以来常備している栓抜きが役に立った。
酒田からは少しの間,庄内平野のやや山よりを走るが,由良のあたりからまたしても海辺に出る。車窓から右手に海を,左手に月山を見ながらの地ビールはまた格別で,何の変哲もない幕の内も立派なこちそうになった。
14時27分,新潟着。あとは山を越えて東京まで2時間である。