ラヴェル「ダフニスとクロエ」バレエ付き公演 (1999.2.1、3.12増補)
ラヴェル「ダフニスとクロエ」(1912)のバレエ付き全曲を楽しむ機会に恵まれた。主催はオルフ祝祭合唱団(OFC)という何とアマチュアの合唱団、ここはそもそもオケとバレエとの共演を主目的に結成されたという。プロでさえ滅多にやらない近現代の合唱付き大規模舞台作品の上演を、こういう演奏団体が支えているとは! どうなってるんだ日本のクラシック界。
演奏はというと、オケ(水星交響楽団)もアマながらそれを超える水準の技量を見せて圧巻。一流のプロには及ばないかも知れないが、ピアニッシモから綺麗に鳴らす弦、クリアに響き渡る正確な木管、パワフルな打楽器群などが要所要所で曲をきちっと引き締める。一方の合唱は、メンバー表を見ると男声がかなり極端に少ないのだが、にもかかわらずバランスよく厚く響いて見事。また合唱団は演出(佐多達枝)の一部に組み込まれ、舞台の上と両袖を動き回るのだが、これが良かった。出だしの部分では、直立不動のまま母音唱を響かせる黒づくめの合唱団の間をダンサーがチラチラと見え隠れしながら行き来し、森を暗示する。それが、クレッシェンドの頂上に至ると同時に、ゆっくりと舞台前方へ広がりながら動き出すのだ! 動く森。森の生命。あるいは森の精。演出は一部冗長な箇所もないではなかったが、このシーンをはじめとする意欲的な演出はなかなかだった。バレエ団だけはプロだが、演出もさることながら、トップダンサーの見事な技を堪能できたのも嬉しかった。
ただ、この曲自体と「クラシックバレエ」なるものとの相性の悪さみたいなものが浮かび上がってきたのは、別の意味で興味深かった。クラシックバレエのリズム感覚というのは、19世紀の西洋音楽同様、リズムのシンクロという面では非常に緩い、むしろ、集団があまりきっちり揃わずに「ザザッ」と鳴る時の厚み、ボリューム感みたいなものを重視する傾向にあるように思うのだ。あくまで今まで見た範囲でだが。それから、拍節感にしても四分音符刻みが基本で、それ以上の細かい刻みには正確さよりも流れが求められる。
なのにラヴェルの書いたこのバレエ曲は、書法的には一見こうしたクラシックの伝統の延長にあると見せながら、内実はまるで違う。細かいシンコペーションが仕込まれ、それらは書かれたとおり正確にズレることが要求される。テンポ設定、変拍子の指定も精密で、これらをあたかもフラメンコのステップ(サパテアード)のように寸分狂わぬタイミングでこなさなければ音楽として体を成さない。これがバレエと手を結ぶためには、バレエ側が相当の譲歩をせねばなるまい(今だったらガデス舞踊団みたいな感じか)。ディアギレフがこの曲を好まなかったというのは、このあたりが一つのネックだったのかも。
だがそうした全てを超えてこの曲は世紀の怪作の一つと言えるのではないか。第1場の前奏からの長大な盛り上がりや、「第2組曲」として有名な第3場、特にその終曲のバッカナールの与える興奮は比類がない。ある意味ワーグナー的な大掛かりな総合芸術の形を借りつつも、それをつまらぬ意味のしがらみからダンスの快楽の中へと解き放とうとしたこの曲は、ワグネリズムへの手厳しい返礼の金字塔と言えるのかも知れない。
(end of memorandum)
ただおん |
(c) 1999 by Hyomi. All Rights Reserved. |