行き当たりばったりピアノ弾き日記 (1999.6.27)


発端

カラオケなんて楽しくない。アドリブ歌っても付いて来ない伴奏ってのは何だ、と思う。それに引き換え、仲間どうしで楽器を鳴らして歌うのって、どうしてこんなにも楽しいのだろう。確かにレパートリーは限られるが、そんなこと目じゃない。

もうかれこれ8年ほど前のこと。何度も友人の家に集まっては、ピアノを叩き、ギターを掻き鳴らして歌を歌い、酒を飲んだ。その勢いで、自分の結婚披露宴では自らピアノを弾き、その仲間と歌ったりもした。それがきっかけで、知人友人の結婚でピアノを弾く機会が多くなった。私の腕と言えばクラシックで中級の下程度、お世辞にも上手いと言えたものではないのだが、でもポップスを楽譜なしで弾けるという便利さが受けたのか、伴奏だの連弾だのと随分こなしてきた。というか、こっちが楽しませて頂いたようなものだったが。

しかし悲しいかな、自宅にはピアノがないのである。キーボードはあるが、これも子供が生まれたのを機に一時的に撤収した。すると、腕がなまって行くのが手に取るようにわかるのである。実家に遊びに行って弾くたびに、指が回らなくて愕然とするといった始末である。元々のスタート地点が低いというのに、更に転げ落ちて行くのでは目も当てられない。年々、頼まれても練習するのが大変になってくる。

で、具体的な解決策が見つからないうちに、ついに義弟の結婚式での演奏の依頼を受けた。落ちた技術と、限られた練習回数で、いかに形にするか。そこで今回は、かなり頭を使ってその作業をやってみたら、今まで無意識にやっていたことが何となく見えてきた。さて、ある曲をピアノ1台で再現するとは、どういうことなのか。そもそも、ピアノの楽しみって何だろう? そんなことを、以下の記録から少しでも読みとって頂けたなら幸甚である。

おことわり

クラシックピアノ中級以上の腕前の方にとっては物足りない、もしくは当たり前の内容と思われます。むしろ、以前ピアノを習ったものの思うようにはかどらなくて、つまんないツェルニーばっかり弾かされながら「なんでピアノってのはこんなにもこうなんだろ」とイラついていた、私の同志たるあなたに捧げます。んー、捧げるほどのものか。


某月某日:依頼。

何でもいい、と言われると選曲に悩むものだ。既に弾ける曲から選べば良さそうなものだが、そもそも大してレパートリーがない。考えに考えて思い立ったのが『美女と野獣』(ディズニー版アニメのテーマ曲)。タイトルだけでウケを取れるんだろうが、いくら何でも新郎たる義弟にかわいそうな気もし、他の候補曲を延々考える毎日。でも、この曲、いいんだよなあ、テンポがスローだから左手の伴奏パターンを切り替えていくのがラク。タイトルさえ、ああタイトルさえこれじゃなきゃ。超名曲だし。


5/4:予定曲目変更!

『美女と野獣』のおさらいのために掛けたディズニーのCDに収録されていた『ホール・ニュー・ワールド』。今までは聞き流していたが、これこそが結婚を祝うのにふさわしい曲ではないか? 歌詞も目出度いし、曲想は華やかだし。これで行こう、これで!

とはいえ、手許にピアノがないというのは辛い。いわゆる「紙鍵盤」で叩いてみても、実際にどう鳴るかを想像するのは結構難しいのだ。それに、ピアノから遠ざかっているせいで、鍵盤の間隔をいい加減に捉えているからますます手に負えない。たいていは自分の都合のいい方に間違っていて、いざピアノに向かうと指が届かなくて焦るのだ。

だから、でもないが、最初は指を動かさず、ひたすらイメージトレーニングに励む。ここのオーケストレーションのきらびやかな雰囲気を出すのには、どっちの手でどういう音型を鳴らせばいいか、その場合の運指のポイントは…等々。


5/15:第1回実技練習
於 実家

曲の後半、転調(D→F)して盛り上がるところのキラキラしたオブリガートを、何とか右手でメロディーと一緒に弾けないか試みる。惨敗。大体、こんな複雑な運指をあと半月で、しかも実技練習あと1-2回で覚えられる訳がない。『美女と野獣』よりテンポが速く、オーケストレーションがゴージャスな分、難関であることを改めて実感する。

そこで置き換え案の検討。高音のオブリガートを諦めた分、ここは左手のアルペジオを豪華にしよう。そのためには、曲の前半は抑え目に。あと、ここで盛り上がり切ってしまうとエンディングまで持たないなあ、じゃあ最後のところは少しシンミリまとめてみようか、などと全体の構成が決まって来る。

意外と厄介だったのは、メロディの置き換え。そもそもがデュエットで書かれていて、曲後半はほとんど全部掛け合いになっている。全部弾こうとすると手が足りないし、出来るだけカバーすることにしても中途半端になってメロディがぼやけてしまいそうだ。この際、サビの繰り返しの頭は、前のフレーズの終わりと重なるので、バッサリ切ることに決定。但しオケの対旋律は生かして、メリハリをつけてみる。


ちょっと随想

しかし、こんなことやってると思い出すのが「バッハのシンフォニア」である。有名な「インヴェンション」と一緒の教則本(全音版)に入っていたが、インヴェンションが2声部なのに対して、シンフォニアは3声部である点が大きく異なる。2声部なら左右両手がそれぞれのパートをこなせばいい。ところが3つとなると、第3の声部については右手と左手が交互にリレーして受け持つような格好になる。これが、自分には格段に難しかった。

何が格段に難しいのかというと、仮に暗譜しても何というか、直感的には弾けないのだ。それぞれの手が既に声部を1つ受け持ちながら、更に別の声部を右手から左手へ、左手から右手へと受け渡すことは、自分にとっては都度「頭を使いながら」やることとしか受け取りようがなかった。それは、音楽を演奏する楽しみとは、何か違うような気がしていたのだ。

しかし、今こうやって一つの曲を1台のピアノ、2つの手で再現しようとしているのは、まさにそのシンフォニアと同じことだ。音の厚みを出すのには、どうしても第3の声部、つまりメロディでもベースでもない中声部を、左右両手で上手に案分するしかない。それは、ピアノによるオーケストラ曲の置き換えに過ぎないのだから、当然といえば当然なのだが、そもそもピアノ用に書かれた曲さえも、その多くがあたかもオーケストラ曲の代用品として、つまりピアノ自身の快楽とは何か別のものとして書かれていたのではないか。少なくともクラシックに限っては、そういう気がするのだ。

リチャード・ティー(いきなりだが、今は亡きジャズ/R&Bピアノの超名人である)っていいなあ、と思うのは、彼のシャープなリズム・プレイがそういう快楽を体現しているように思えるせいなのだろう。いや、技術的には雲の上ですけど。


5/28:第2回にして直前の実技練習
於 連れ合いの実家

実はこの時まで義弟には、出来上がりサンプルを全く聴かせていない。NGだった場合のことも考え、急遽他の候補曲を挙げて練習してみる。カーペンターズで有名な『愛は夢の中に』(何とかならんか邦題)、ボズ・スキャッグスの『ウィ・アー・オール・アローン』あたりが実用化できそうなラインアップ。だが、やはり盛り上がりのダイナミックさで『ホール・ニュー・ワールド』圧勝。あとはノーミスを目指して練習するのみ。気分は10数年ぶりにクラシックの学徒である。


5/29:本番 於 某ホテル宴会場

さて、お色直し入場のBGMということなので、余興として弾いてシーンとして聴かれているのに比べれば、随分リラックスできる状況ではある。モーニングの裾をパッと払い上げて椅子に座るのも気分が良い。ああそれでも終わってみればミスタッチ5-6個(目立ちそうなもののみで)。ここは目出度い席に免じてご容赦頂くしかないのであった。その割に、2次会では調子に乗ってラウンジ・ピアノをぺらぺらと弾いたりしたが。ああ皆さんもう忘れて下さいってば。

(end of memorandum)



→コラムの目次へ戻る

 

ただおん

(c) 1999 by Hyomi. All Rights Reserved.