m@stervision archives 2002d

★ ★ ★ ★ ★ =すばらしい
★ ★ ★ ★ =とてもおもしろい
★ ★ ★ =おもしろい
★ ★ =つまらない
=どうしようもない



スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃
[THE IMAX EXPERIENCE

我慢できずアメリカまで観に行ってしまった(火暴) ● 「アポロ13」に続く〈劇場用映画をアイマックスに変換して巨大スクリーンで上映できるかな〉シリーズ第2弾(3Dにはなってません) IMAX版「EP2」のポスターはライトセイバーを構えたヨーダ師のイラストに、添えられたコピーも師父の口調で「SIZE MATTERS NOT... EXCEPT ON AN IMAX SCREEN(大きさは問題ではない・・・IMAXスクリーン以外では)」 いや、師父がそう仰有るだけあってとにかくデケー。さすがは70mmフィルム横送りの威力(普通の映画は35mm縦送り)、視界全部がスクリーンである。しかもアイマックス・シアターの常として座席のレイアウトが急角度なのでスクリーン裏の巨大スピーカーの音圧がダイレクトに体に響く。まさに自分が映画の中にいるよう。おれ、もう観るの3度目なのに、ナレーション字幕が虚空に消えて、下のほうから銀色のスペースシップがぐぉんと飛んできたときはビビッたね。 ● …ま、とはいえ15分も観てると馴れますな、目が、大きさに(←ヨーダ調) いや、人間の目というものは大したものである。それと、もともとシネスコ・サイズの映画なのでIMAXにすると左右がかなりカットされてしまってちょっと窮屈な感じ。これだったら35mmシネスコ版新宿プラザ5列目のほうが好きかも(あれ? DLP版の画面比率ってどうだったっけ?) ● 上映時間は2時間ちょうど。映写機のサイズだかフィルムの重量だかの物理的限界から上映時間はこれが限界らしくて、つまりオリジナル版から22分ほどカットしている勘定。そのためいくつかのシーン抜きが行なわれている。たとえば「オビワンとアナキンが上昇するエレベーターに乗っている」シーンからいきなり「ソファに座ってパドメ・アミダラと会話している」シーンとなり「アナキンとパドメの10年ぶりの再会」がカットされている。当然、パドメの「まあ、アナキン! すっかり大人になって!」という台詞も無いので、後の、パドメが荷造りしながらの「アナキン、そんな急に大人にならないで」「もう大人です。貴女がそう仰有った」という会話の意味が通じないんだが、まあ、IMAX版を観る客はどーせリピーターばかりだから、多少ツジツマが合わなくたっていいのか。しかしどーでもいいけど、なんで一国の上院議員ともあろうひとがキャスターすら付いてない手提げ式スーツケースを使ってるかね? R2-D2に階段を登らせるほどの技術があるんだから、自走式スーツケースぐらいお茶の子 ←死語 でしょーに) ● ほかにも「ルーカスJr.が出ている図書館」のシーンとか「ナブーの王宮/新女王との謁見」シーンとか、あの歴史的な「草原ゴロゴロ」とか「悪夢にうなされるアナキン」とか「里親一家と初対面するアナキン」とか以下略…が丸ごとカットされており、それだけでなくシーンのアタマ/ケツの風景カットや人物の移動カットを細かくツマんでいる。←これをやっちゃうとえらい息苦しい映画になるんだが…。エンド・クレジットもローリングではなく、IMAXのスクリーン・サイズだから許される「日本黒社会」方式の数枚のクレジットにまとめられている。ちなみにラストは「手を繋ぐ」バージョン。すでに日本語吹替版が存在してるんだから20世紀フォックス日本支社は可及的速やかに公開するよーに。

★ ★ ★
マイノリティ・リポート(スティーブン・スピルバーグ)

フィリップ・K・ディック原作の映画化だということを知らずに観ればもっと好印象だったかも。警察長官…すなわち映画ではマックス・フォン・シドーが演じた役回りを主人公としていた原作短篇を「追っかけアクション」として再構成するため、新たにトム・クルーズの役を創造して主役に据えたのは良しとしよう。多彩な未来世界の描写も目の御馳走だ。現に「追っかけアクション」としては(特に前半は)水準以上によくできていると思うのだが、それでも出来上がった作品が「トータル・リコール」以上にフィリップ・K・ディック色が薄いってのはどうなのよ? ● まず主人公が真相を知るクライマックスに現実崩壊感覚が無いのは致命的。また、過去の心の傷から仕事中毒になって非合法ドラッグに頼ってるという(いかにもフィリップ・K・ディック的な)主人公の設定が用意されているというのに、トム・クルーズが演るとちっとも苦しんでいるように見えない。なんかパワーエリートがユンケル飲んで今日も頑張るぞ!みたいな感じなのだ。きっと原作を脚色した脚本家がディックを好きじゃないんだろうな。好きじゃなくてもいいから、それだったら「懲戒免職にした従業員のIDカードがいつまでもキャンセルされずに残っていて、映画の主たる危機克服の場面で何度も何度もそれが利用される」といった、映画を観ただれもが指摘するような穴は塞げよ。てゆーか、誰か気付けよ現場で。 ● 「ゾンゲリア」「トータル・リコール」「フリージャック」「ヘモグロビン」の脚本家であるロナルド・シュセットが「製作総指揮」としてクレジットされているが、これが大昔の契約に基づく有名無実なものでなく、本当に彼が関わっていたならもう少し面白い…とまでは言わんがおれ好みの映画になったろうに。残念。 ● さて、各方面で指摘されている本作におけるサスペンス映画には不似合いなほどのドリフ・ギャグ含有量の多さについてだが、おれは、あれはブラック/シニカルなつもりなんじゃないかと思う。未来否定型のSFだからスピルバーグとしては精一杯がんばって「未来世紀ブラジル」のタッチを目指したんだけど、スピルバーグはほら「 心 は 永 遠 の 少 年 (いつまでたってもガキのまま)」だから、どうしてもブラックやシニカルにならなくてドリフになっちゃうんだよきっと。しっかし、さすがにゲロ噴いたときにゃ香港映画かと思ったぜ。 ● 関係ないけど、これリベラルなスピルバーグとしてはホワイトハウスの地下にプレコグを隠してるとしか思えない確信を持ってイラクへの先制攻撃を唱えるブッシュ政権への抗議が含まれてるのかね?

★ ★ ★
ハリー・ポッターと秘密の部屋(クリス・コロンバス)

ホグワーツ魔法学校の就学年齢が小学校と同じ6歳かどうかは定かではないが、少なくとも流れてる時間のスピードは人間界と同じだろうから、本作が前作から1年後の物語ならば今年のハリー・ポッターたちは2年生なわけだ。ところが現実のダニエル・ラドクリフ君はえらい勢いで背が伸びるわ、声変わりはするわ、顔つきが変わるわでまるで中学生のよう(そりゃ13歳なんだから当たり前だけど) この世のものとも思えない可愛らしさだったハーマイオニーのエマ・ワトソンちゃんも、すでにプレ・ティーンの顔つきになってしまった。来日したダニエル君は「3作めも絶対出るよ」と宣言したそうだが、2年後の2004年の公開となる3作目では下手すっと高校生みたくなっちゃってるかもしれないぞ。ハーマイオニーが舌ピアスとかしてたらどーするよ。半乳ドレスでハリーを誘惑したりして。<それはそれで観たいかも。 ● 「ギャング・オブ・ニューヨーク」よりほんのちょっと短いだけの2時間41分。とはいえこれは「30分もの6話ワンクールのテレビドラマ」をまとめて観てると思えばよいのだ。テレビドラマだから30分毎にちっちゃな起承転結があり、ちょっとだけハラハラしたり、ドキドキしたり、ニコニコしたりして、最終的にはハートウォーミングに落とされる。前作はほぼ完璧にこのフォーマットに添っていたのだが、今回ちょっとダークなトーンに振りすぎた。子どもを本気で怖がらせてどーする!? スリザリン寮のドラコ君の数々の嫌がらせも、前作では「まあコドモのやることだから」で済んだけれど、すっかり成長してしまった本作では「本気で嫌な奴」になってしまってる。本当の(大人の)悪役は別にいるのだから、この子に関してはハリーと仲直りする余地を残しておかないと後々の展開がいや〜な話になっちゃうよ。ハリー・ポッターもえらい逞しくなっちゃってクライマックスの活躍などヘラクレスの冒険じゃあるまいし、魔法で勝たなくていいのかキミは!? 前作では話の中心だったといっていい「自分を遺して亡くなった両親への思慕の情」もほとんど顧みられることがない。まあ、その代わりに友情と自信を得たってことなんだろうけど、なんだかなあ。 ● 本作から加わったキャストが2人。まず、ハンサムで目立ちたがり屋でキザッたらしくてええカッコしいで弱虫で、どこをどー見ても原作者がヒュー・グラントにアテ書きしたとしか思えないのに、当のヒュー様が「ガキの映画なんかに出てられっかよ」と断ってしまった(当サイト推測)ので、代役としてホグワーツのマダムキラー=ロックハート先生役を務めるのが、ケネス・ブラナー。なんか嬉々として演ってますな。そんなことでいいのかアンタ!?「第3作の監督」としての起用でなかったことに憤りを感じないのか!そんな温いことやってっからデブるんだよ!えーいこの豚豚豚豚!(←愛のムチ) …えー、そしてこの子にしてこの親あり、ドラコ君の父君にして白人 魔法使い純血主義を標榜する生まれながらのザ・貴族=ルシウス・マルフォイ卿に「ブラックホーク・ダウン」のレンジャー隊長や「ウインドトーカーズ」の冒頭でニコラス・ケイジに非情な命令を下す上官…というよりは「パトリオット」の卑劣なイギリス人将校を受けての起用であろう、ジェイソン・アイザックス。 ● このキャラクターの登場はどうやらシリーズ全体のテーマに深く関わっており、それはつまり「運命は生まれや育ちではなく、自分の選択によって決まるのだ」という御立派なメッセージなのだが、そんなこと魔法使いとしてエリート中のエリートたる「出自」と、だれよりも強い「運」に護られているハリー・ポッターさんに言われてもぜんぜん説得力ないんですけど。てゆーか、そもそも「ハリー・ポッター」ってのはパブリック・スクール萌え〜な貧乏人の母ちゃんが書いた上流階級憧憬小説じゃないのか? ホグワーツにもなんかいつのまにか黒人生徒が増えてる気がしてすげーイヤらしいんですけど(おれの考えすぎ?)・・・というわけで、なんだかんだ言っても おれはけっこう楽しめた。

★ ★ ★
ギャング・オブ・ニューヨーク(マーティン・スコセッシ)

ダニエル・デイ=ルイスが素晴らしい。イタリアの靴職人修行から5年ぶりにスクリーンへと帰ってきたこのカメレオン俳優は、150年前のニューヨークの、まるで江戸文化爛熟期の両国広小路を束ねる町やっこの大将みたいな「肉屋のビル」というキャラクターに身も心も100%なりきっていて、どんなに目を凝らしても肉屋のビルの中に「ダニエル・デイ=ルイス」を見つけられないほど。その架空度において「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドに匹敵する演技だと思う。およそ2時間50分。彼の演技とチネチッタに再現された見事なオープンセットを観るためだけにでも1,800円を払う価値はある。 ● …と持ちゃげたはしから堕とすわけだが、肝心の中身は時代風俗ドラマとしては十二分に見応えがあるものの、血沸き肉踊るやくざ映画としては盛り上がりに欠け、ラブ・ストーリーにいたってはヒロイン役のキャメロン・ディアスが物語の中でまったく機能していない。「親の仇を討つ」という骨格のハッキリしたプロットラインがありながら、完成したドラマの輪郭がいまひとつ曖昧なのはどうしたわけか。そして脚本の行間を埋めるにはレオナルド・ディカプリオに魅力がなさすぎた。 ● じつは敗因ははっきりしている。脚本にまとめる段階での取捨選択に失敗したからだ。ストーリーを「シンプルで力強い悲劇」に収斂させてしまうにはスコセッシのニューヨークに対する愛情があまりに強すぎたのだ。復讐をテーマにした やくざ映画だったはずが、途中から突如「組合もの」へと変貌し「大きな時代のうねりに飲み込まれていく民衆」というお定まりのパターンのクライマックスも上手く機能しないままぐずぐずと終わってしまう終盤の展開など、スコッシの迷走ぶりを象徴している。 ● そもそもマーティン・スコセッシという監督は「骨太な男臭い映画」を1本も撮ったことがない人なのである。おれは「グッドフェローズ」も「カジノ」も大好きだが、そこで描かれているのは、精いっぱいツッパってはみたものの結局「世間」に破れ去ってゆく(間違っても「民衆」なんかじゃなくて)男たちの話だ。ならば「ギャング・オブ・ニューヨーク」はダニエル・デイ=ルイスをこそ主役に据えるべきだったのである。興行的な要請でそれが出来ないのならば、いっそスコセッシはプロデュースにまわってジョン・ウーあたりに演出をまかせるべきだった。 ● ディカプリオたちアイルランド移民に敵対する、ダニエル・デイ=ルイスらアメリカ生まれの「ネイティブス」と名乗る一団が、たまたま早く来たか遅く来たかの違いで、しょせんは移民同士の争いに過ぎないのだ…という視点が最後まで導入されることなく、インディアンへの言及は一度もないのも気になった(厳密には冒頭でリーアム・ニーソンが「ネイティブスとやら」と言ってるのだが、あの程度じゃバカなアメリカ人どもにゃ伝わりっこない) いや、これがたかが やくざ映画なのだったら、そんな野暮は言わんよ。だけどスコセッシのやりたかったことはそうではないよね?

★ ★ ★
K−19(キャスリン・ビグロー)

実話に基づく潜水艦映画…かと思ったら修理サスペンスだった。急造の船で整備不良なまま処女航海に出たら案の定、故障しちゃったので、みんなで一生けんめい直しました…という話である。つまり「アポロ13」と同じジャンルだな(そうかあ?) だから、潜水艦映画の定番である「敵駆逐艦との息詰まる駆け引き」とか「圧壊深度ギリギリの沈黙のサスペンス」といった場面は無し。もっとも、ただ修理するだけじゃ映画にならない。「アポロ13」では「真空の宇宙で故障した」というのがサスペンスを盛り上げる道具立てとなっていたが、ここではそれが「放射能」というわけ。修理するのも命がけなのである。「被曝?…なにそれ?」というハリウッド映画が多いなかで「目に見えない放射能の恐怖」をきちんと描写したのは偉い(あれでも実際よりはソフトらしいが) ● もっとも作る側も「ひとつぐらいは潜水艦映画の定番を入れとかなきゃマズいんじゃないかしら」と思ったらしく(おそらくフィクションであろう)共産党本部の覚えめでたき新任艦長ハリソン・フォードと、部下思いの頼れる副艦長リーアム・ニーソンの対立というドラマを「クリムゾン・タイド」から輸入しているが、これはそれほど上手く機能していない。 ● 製作はなんとナショナル・ジオグラフィック協会。非営利団体が「地理学の普及」とはなんの関係もないハリウッド映画なんか作っていいのか? ● ちなみに諸君、本作を観て「いやあ当時のソビエトの官僚主義はヒドいもんだね」などと嘲笑うなかれ。40年前どころか現代の日本において、これとまったく同じことが行われているのだから。

★ ★ ★
Jam Films

the messenger:弔いは夜の果てで(北村龍平) けん玉(篠原哲雄)
コールド スリープ(飯田譲治) Pandora: Hong Kong Leg(望月六郎)
HIJIKI(堤幸彦) JUSTICE(行定勲) ARITA(岩井俊二)

フジテレビ映画製作部のプロデューサーが「セガ」から金を引っ張って製作した各話15分ほどの短篇オムニバス。統一テーマは無く、クレジットはそれぞれの短篇に付いているので、独立して上映/放映/配信が可能な仕様。 ● 7話のうちビデオ撮りが4本、フィルム撮り3本。おれの気に入った篠原篇と望月篇がどちらもフィルム撮りなのは、おそらく偶然ではない。これに行定勲を加えたフィルム撮りの3監督が作ったのは間違いなく短篇「映画」だが、ビデオ撮りの4人が志向しているのは従来的な意味での「映画」以外のなにかだ。それは北村龍平においてはおそらく「デジタル」映画だろうし、飯田譲治においてはビデオカメラを使っての「悪ふざけ」であり、岩井俊二にとっては同様にビデオカメラとヒロスエを使った「オナニー」である。堤幸彦に至っては、これは映画ではなくて劇団健康/大人計画の秋山菜津子と惑星ピスタチオの佐々木蔵之介を主演にすえた「小劇場演劇」である(中央線沿線の小劇場で観る「コント」としては傑作) ● 篠原哲雄の「けん玉」は、「月とキャベツ」の山崎まさよしと篠原涼子を主演にした「風が吹けば桶屋が儲かる」式のラブ・コメディ。風に吹かれてコロコロとあっちへこっちへ転がっていく桶を見てる間にあっという間の15分。最後は手堅くハートウォーミングにまとめて(目新しさこそないものの)短篇演出のお手本のような一品。 ● 望月六郎は自分の役割をきっちりとわきまえたエロス篇。人に言えない恥ずかしい秘密をかかえたOL・吉本多香美(「皆月」)が、怪しい漢方医・麿赤兒の導きで中野ヒカリ座で快楽治療を受け、えも言われぬ桃源郷の世界へ…。おおこれは廣木隆一の「理髪店主のかなしみ」以上にフェティシズムの麝香の香り濃厚にただようひさうちみちおワールド! 吉本多香美は身体の一部分しか露出しないのにエロいことエロいこと。大傑作。 ● 外人教師がポツダム宣言を朗読する教室の窓から、校庭で行われているハードル走の授業の女生徒たちのブルマー姿に見とれてる高校生・・・という行定篇は(評判 良いみたいだけど)おれはちょっとアザトいかなと思った。ま、眼福なのはたしかだけど。以上7篇。「映画」として作られるのならば第2弾、第3弾も観てみたいと思う。

★ ★
キスキスバンバン(スチュアート・サッグ)

組織ナンバーワンの殺し屋が腕の衰えを感じて引退を決意。とはいえ1度も勤めたことのない初老の失業者に仕事はない。ツテを頼って得た糊口しのぎは知り合いが海外旅行に出る間のベビーシッティング。ところがその「ベビー」というのが、過保護の父親のせいで子供部屋から33年間 出たことのないクリス・ペンだった(火暴) ひとまず自宅に連れ帰ったものの、湯婆婆んとこの「坊」みたいなクリス・ペンを抱えて往生する主人公に「自主引退など許さん!」と組織の手が迫る…。 ● つまり「ビッグ」のギャング映画版である。だからファンタジーだということは承知していたが、ハードボイルド調の映画かと思ったらコジャレ系だった(泣) この手のファンタジーならば「世間の風に晒されたことが無いゆえに悪意ゼロの33歳の童貞」という大嘘を通すためには、それ以外の部分をリアルに描写するのが定石だが、本作の主人公は最初っから弱々しくて到底「ナンバーワンの殺し屋」には見えない。この年になるまで独りきりで生きてきた厳しさも、ストイックなプロフェッショナリズムもほとんどない。ここの描写がヌルいから映画全体の印象もヌルくなってしまうのだ。観客の心を暖めたいなら最初にまず冷やさなきゃ。 ● 主演はラース・フォン・トリア組の(ちょいウィリアム・ハート似の)ステラン・スカルスガルド。 儲け役、クリス・ペンの好演はまったく意外ではない。 主人公に憧れて組織に入った新米殺し屋(とうぜん敵役かと思いきや、陰からこっそり主人公を援護する…という設定がまたヌルすぎるんだが)に「ロック・ユー!」の注目株、ポール・ベタニー。「ビューティフル・マインド」で共演したジェニフアー・コネリーとこないだ結婚しちゃいやがんの。くそー!<アンタ口惜しがっても…。

★ ★ ★
SWEET SIXTEEN(ケン・ローチ)

やくざな親父と関わったせいで母さんは刑務所の中にいる。15歳の少年には母さんを不幸にしたクソ親父が絶対に許せない。だから2か月後に母さんが出所してきたときには(それは少年の16歳の誕生日の前日だ)母さんのために小さくてもいいから居心地の良い家を用意して、そして2人で一緒にやり直すんだ。それは決して揺らぐことのない固い決意で、今までみたいにボンクラな親友と闇で仕入れたタバコをパブの客に売るくらいじゃ到底、家を買う金なんか貯まるはずもない。なにがなんでも母さんが出てくるまでに家を買わなくちゃ。だからクソ親父からくすねたヤクを売ることにもためらいは無かったし、町のやくざが目をつけてスカウトしてきたときにも恐怖なんか感じなかった。すべては母さんが出所するまでの辛抱だ。母さんさえ出て来れば…。 ● 世界で最後の左翼映画作家=ケン・ローチの新作は、的場浩司が主演でもぜんぜんおかしくない話だ。スコットランドの、グラスゴーにもほど近い港町グリーノックを舞台に、例によってメインには素人俳優を起用、前もって台本を与えない即興演出も多用してドキュメント・タッチの撮影ではあるが、ストーリーそのものは完全に東映ちんぴらやくざ映画の世界である。遊びの延長のやんちゃ不良が本業のやくざに取り込まれ、度胸のある主人公ばかりが重用されて、次第に疎んじられた「思慮の足りない親友」がヤケになって組長に矢を引いて…などという展開をいったい何度 観てきたことか。だから途中までは次に起こることを承知しながら観ていたわけだが、恐るべきはケン・ローチである。最後には東映三角マークでは考えられない一片の容赦も無い救われない結末を用意しているのだった。気持ちよく泣ける結末は決して訪れないので覚悟して観にいくこと。 ● しかしスコットランド訛りってのは凄まじいな。time が「テイム」なんてのは序の口、out がただの「ウ」、ours は「ウーズ」ですよあーた。

★ ★ ★
SCRATCH(ダグ・プレイ)[キネコ作品]

まあ、マスタービジョンなんてラッパー名前(そうなのか!?)を持つ者のはしくれとしちゃ要チェキラウだろ←その「要」じゃありませんて。ヒップホップ・ミュージックのDJたちの世界を手際よく紹介したドキュメンタリー(2000年時点での取材なので現在すでに古びてしまってる可能性もあり) なんでも最近じゃ下手すっとギターより(楽器としての)ターンテーブルの売り上げのほうがデカかったりするらしくて、いまどき、高校生の憧れはギタリストなんかじゃなくてスターDJになることらしいぞ。ギターを弾くのはギタリスト、ターンテーブルを演奏する人はターンテーブリストと言うんだそうだ。ハードコアなDJともなるとMC(ラッパー)が入ってるのは邪道で、スクラッチの腕だけで勝負、みたいな。笑っちゃうのが、勝ち抜きバンド合戦みたいな感じで勝ち抜きDJコンテストってのが全米各地で盛んに行われていて、高校生どころかイイ年した大人までがターンテーブルに向かって日夜、練習に励んでるのだった。なかにゃコンテスト命になっちゃってるDJもいて(音楽ではなくて)1オクターブ分のギターの音階だけを録音したレコードなんてのがけっこうな売れ行きだとか。それってすでに前提からして間違ってるような…。 ● 新たな発見だったのは、DJというのは突出してオタク度の高い人種だということ。バンドマンてのはジャンルを問わず大なり小なり体育会系なもので、…いや、ギターやドラムだってガレージや地下室で1人シコシコと練習すんのは同じなんだけど、ターンテーブルってたいがい壁際に設置してあるじゃん。だからなんか壁に向かって黙々と右手と左手をキュッキュキュッキュしてんのって妙に自閉的な感じがすんだよね。でぶ多いし。東洋人比率ズバ抜けて高いし。着てる服もアニヲタとかとたいして変わらなかったり。てゆーか、そもそもDJってのは前提としてレコヲタなわけだし(ちょっと親近感、感じたり) ● 皆、いちように口にするのが、ハービー・ハンコックの「ロックイット」におけるグランドミキサーDXTのキュキュッに衝撃を受けてこの世界を目指したってこと。そーかー。そこがスターDJとの分かれ目だったのか。おれなんか「変なビデオクリップゥ」ぐらいしか思わなかったからなあ。てゆーか、いまだにおれ、歌が入ってないと損した気になるし(火暴) ● エンドロールの最後、フツーだとコダックとかパナビジョンのロゴが出てくる場所には誇らしげな「Technics」のロゴ。あと字幕で、客(crowd)をそのまま「クラウド」って訳してるんだけどあれでしょーか、本邦のヒップホップ業界の皆さんは「いやー、今日はクラウドのノリがイマイチでさあ」とか喋ってんでしょーか?(それは恥ずかしいから止めたほうがいいと思うぞ)

★ ★ ★
CQ(ローマン・コッポラ)

フランシス・フォード・コッポラの長男 ローマン・コッポラのデビュー作。デビューとは言ってもビデオクリップやCMなどで相当のキャリアを積んでいるらしいので、まったくの新人というわけではない。バカ娘の「ヴァージン・スーサイズ」もそうだったが、ここんちの子どもたちは妙にアート志向で、なんとこれは【2001年を舞台とする「バーバレラ」チックなエロSFスパイ活劇を撮影中の、1969年のパリを舞台にした「ビハインド・ザ・カメラもの」の映画を(台詞が英語であることを除けば)まさしくこれが1969年のフランス映画であるかのようにフレーミングやカット割りを模して、当時の今ほど高品質ではなかったフィルムの色調までをも再現した、1965年生まれの監督による2001年製作の映画】なのである。それだけじゃない、途中でローマで新年を迎えたりもする(!) なんちゅうマニアックなことを。 ※ちなみに本物の「バーバレラ」は1967年製作。 ● つまりフェイク・ドキュメンタリーの手法による劇映画と言ってもいいだろう。しかも本篇中には劇中劇として映画「ドラゴンフライ」が進行し、主人公たる新米フィルムメーカー君はシネマ・ヴァリテに傾倒してて、つねに自分にカメラを向けて独白をモノクロ映画に撮影してるのだ。 ● 枠組みが複雑なぶん、ドラマとしては、パリでスチュワーデスと同棲してるアメリカ人のフィルム編集者@純情映画青年が、ワガママ監督が馘首になったトバッチリで、いきなり後継監督に指名されおろおろ、おまけに主演のブロンド女優に恋してしまい…というシンプルなものなのだが、幾重にもかけられたフィルターが観客にストレートな感情を伝えるのを妨げてしまっているように思う。てゆーか、当サイトの皆さんなら誰が見てもそー思うと思うけど、半裸の衣裳のゴージャスなブロンドねえちゃん(モデル出身の新人、アンジェラ・リンドヴァル)が活躍する劇中映画がサイコーなので、そこだけ編集して観せてほしいぞ。 ● 主演はジェレミー・デイビス。「ミリオンダラー・ホテル」の知恵遅れ青年とほぼ同じキャラ。スッチーのカノジョ(エロディ・ブシェーズ)から、映画と主演女優に目移りしてしまったことをなじられるのだが、そりゃ誰だって出っ歯のブスよりは、シャネルのモデルのほうがいいに決まってるでしょ。 ※証拠画像>[証拠1 証拠2 証拠3 証拠4 証拠5 証拠6]<でも、まだ23歳なのに もう既婚&子持ち…。 ● どうやらお父ちゃんがモデルらしい芸術家肌のワガママ監督@でぶに、ジェラール・ドパルデュー。 ロジャー・コーマンとディノ・デ・ラウレンティスを足して2で割ったみたいな、調子のいいイタリア人プロデューサーに、ジャンカルロ・ジャンジャンーニ。 その色っぽい愛人役でバカ姉ちゃんも特別出演。


SFホイップクリーム(瀬々敬久)

「SFなんちゃら」ってタイトルだから、またぞろ例のピースデリック馬鹿の新作かと思ったら、そうじゃなくて監督は瀬々敬久だ、というので観に行ったんだが・・・ピースデリック馬鹿の新作みたいな映画だった(火暴) ● 2060年の新宿でドラッグ売買で捕まった主人公(武田真治)が「不法滞在異星人」として故郷の不思議惑星キン・ザ・ザに強制送還され、そこで移送担当官(松重豊)と共に革命騒ぎに巻き込まれる…という、つまりフランス産のセンスの悪いSFの意図的再現である。荒涼としたキン・ザ・ザの風景はわざわざフィリピン・ロケまでしてる。おれの頭に浮かんだ素朴な疑問が2つ──なにやってんの?と、なにがしたいの? 瀬々敬久は「マトモな映画」の撮りかたを忘れてしまったのではないか。タイトルの由来となったカール・ゴッチの「クソからはホイップクリームは作れない」という言葉を、そのまま瀬々敬久に進呈するぜ。女アンドロイド(池端絵美子)があんなブスじゃなくて、こちらは可愛いとんがり耳のフィアンセ(片山佳)の出番がもうちょっと多くて、濡れ場が声だけじゃなかったら、星もう1つぐらい増やしてもいいんだが、現状では褒めるところなし。武田真治のかっこつけ演技は見てるのが苦痛だった。 ● HDビデオ撮り。画質は合成以外は、まあ、許容範囲。

★ ★ ★ ★
火山高(キム・テギュン)

はじめに断っておくがそれほど出来が良いわけではない<おい。血たぎり肉がふるえる前人未到の傑作になる材料をそろえておきながら、みごとにコカした失敗作…と言えなくもない。それでも作り手たちの「今まで だれも見たことのないホラを吹いてやる!」という意気込みを買っての星4つである。 ● 予告編で一目瞭然なごとくSF版「ビー・バップ・ハイスクール」in「マトリックス」スタイルである。てゆーか、日本の格闘系ギャグ・アニメの実写版といったほうが的確かもしれない。掌から発せられる〈気〉の表現とか、[退学!]とズバンッと字幕が出るあたりの呼吸は もろ、アニメだ。 ● 近未来の韓国。17年にわたる「教師の乱」によって教育現場が荒廃しきった火山108年、実力ナンバーワンの茶道部部長や、野望に燃える重量上げ部キャプテンの布袋寅泰や、紅一点の剣道部主将の長ラン女子高生が覇を競う「火山高」に、1人の転校生=金髪の萩原聖人がやって来る…という始まりで、学生同士のケンカの話かと思っていると途中から、混乱に乗じて管理教育を一気に押し進めんとする悪辣教頭=伊藤雄之助が呼び寄せた白竜ひきいる魔教師5人衆が学園を恐怖で支配しようとする…という「管理教育 vs 学生」の構図になるのだった。なるほどここで管理教育に苦しめられている韓国の若い観客たちは快哉を叫ぶわけですな。日本じゃ いつのまにかみんながドロップアウトしてしまったようで、ひと頃ほど管理教育管理教育 言われなくなったけど、実際のところどーなんですかね。悪代官みたいな手強い悪徳教師との戦いってのは今でもリアリティあるんですかね?>日本の高校生諸君。 ● 話がそれた。で、上に書いたように登場人物たちのキャラ立ちは抜群なんだけど、どうもその絡ませ方があまり上手くないのだ。それといちばんこの映画に欠けているのは、忍法帖シリーズみたいな各人各様の荒唐無稽な必殺技の存在である。いや、萩原聖人にはあるんだけど、あとはみんな掌から出す〈気〉でハーッ、ハーッつって戦うだけなんだよ。ちよっと単調。 ● たぶんビデオ撮り。フィルムにおける銀残し処理のように、極端に彩度を落として階調をトバしたルックは「荒廃した近未来」という設定には合っている。 なお、日本で公開されたバージョンは韓国公開版を再編集して10分ほど尺を詰め、さらに音楽を「バイオハザード」で「トゥームレイダー」なものに全面的に入れ直したいわば日本版RE-MIXともいうべきもので、オリジナルの韓国公開版とはかなり印象の異なるものになっていると推測される。 あと、これは日本版のみの仕様か定かではないが、登場人物がたとえば部屋に入って来しなに発する台詞とかが、背後のサラウンド・スピーカーから聞こえてくるMIXはめずらしいのでは?(普通はフロントの左右に振るよね?) ● 最後に・・・コラ、岡田裕介!(←呼び捨て) 東映は何やってんだ。てめえが旗持ってデジタル化を推進したって、こーゆー東映ならではのデジタル・コンテンツを作らにゃ意味ねーだろが。

★ ★ ★ ★ ★
至福のとき(チャン・イーモウ)

もう、鬼だな>チャン・イーモウ。人の心を思うように弄ぶのがそんなに楽しいか!? おれなんか「騙されちゃイカン。これは〈純朴さ〉を売りものにした商業主義べったりあざとい技巧に過ぎないのだ」と頭ではわかっていても、為す術もなくボロ泣きさせられ放心状態。もうまるでAVで加藤鷹と共演して潮吹かせまくられたシロート人妻の気分である<もそっとロクな喩えが思いつかんか? ● 林檎のほっペのお下げ髪の純愛美少女に続いてはめくらの美少女かよ、あざてえーなあ…と思ったおれはまだまだ甘かった。本作のヒロインは、ただめくらなだけじゃない。実の母とは死にわかれ、父親は自分を捨てて都会へ出奔。ひとり残されて、豚のように太った鬼の継母に苛められている健気なめくらの美少女なのだ。シンデレラか! ● いや、まあ御伽噺を例に出したのは故無きことではない。じつは本篇のもうひとりの主人公は、資本主義経済の余波で国営工場が閉鎖となり失業中の初老の男やもめで、このリチャード・ンか、外波山文明かという感じの大言癖のあるおっさんは、どこがいいんだかスケベ心まるだしで件の豚母に取り入ろうとして、めくらの少女に住込みの職を世話してやると安請合い。かくして仲良く失業中の同僚5人が、中国人ならではの小賢しさと小市民ならではの愚かしさを発揮して、閉鎖中の工場の一角に急拵えの「按摩室」を設置。どうせめくらだからバレやせんわい、とそこを「一流ホテルのマーサージ・ルーム」と偽り、同僚たちが代わる代わる客となって按摩とお客さんごっこを始める。まるで「白雪姫と七人の小人」ならぬ「白雪姫と五人のまぬけ」である。これすなわち「至福のとき」(原題「幸福時光」)という次第。 ● タレントの千秋の化粧を落として、ふたまわりほど若く可愛くしたようなヒロインのドン・ジエ(董潔)が素晴らしい。チャン・イーモウがいかに鬼畜かという証拠に、奴はこの、腕とかポキッと折れちゃいそうな細い躯の撮影時二十歳の娘さんに(めくらだから部屋にだれか居ても気付かないという設定で)透け乳ランニング・シャツにパンティ1枚で2度も3度もカメラの前をうろうろさせるのである。うむ、じつに素晴らしい! けしからん! チャン・イーモウ先生にはこれからも資本主義娯楽産業の走狗となって「観客の求める映画」を作り続けていただきたい。 ● どこが配給か知らないで観に行ったので、予告篇が終わっていきなり20世紀フォックスのファンファーレが流れたときはビックリした。似合わねー。せめて無音にしとけばいいのに。てゆーか、どーせならファンファーレを笙で録り直すとかさ。あと、冒頭に付加された英語クレジットは要らんでしょう。「エグゼクティブ・プロデューサー」としてクレジットされているエドワード・プレスマンやテレンス・マリックはあくまでアメリカ公開に尽力したんであって、この映画の製作とはなんの関係もないんだから。

★ ★ ★
ゴジラ×メカゴジラ(手塚昌明)

金子修介の大人向け「GMK」をはさんで2年ぶりの登板となった新人・手塚昌明 監督の正統派・子ども向けゴジラ。シネマスコープ・サイズ。このところ1作毎に設定をリセットして、1954年の「ゴジラ」第1作の続きとして物語が作られているが、本作においてもそれは同様で、オキシジェン・デストロイヤーでゴジラを仕留めたものの、モスラガイラなど度重なる巨大生物の襲来に特生自衛隊なるものが組織されていて、精鋭隊員である釈由美子は日夜、出し本番に…じゃなかった、物と戦うための厳しいに明け暮れている(今回、体育ジャージの制服がステキなGフォースとかじゃなくて、自衛隊の正式協力が得られたのは昨年の「ガメラ」チームのおかげ?) 忌まわしきタケミカズチ一族の生き残りである(<違うって)釈由美子は皆から疎まれていて、おまけに3年前に日本上陸した2頭目のゴジラの迎撃に際して手痛い失態をおかしてしまい、そのためにしゃかりきになってメカゴジラによる雪辱戦に燃えている…というストーリーからも明らかなように、本作は完全な「復讐するヒロイン」ものになっていて〈ゴジラ×メカゴジラ〉の対決にいたるまでの前フリが長すぎる。そのわりには「いよいよメカゴジラ初登場」という中盤の見せ場にまったくセンスが感じられないし。 ● あるいは、前半部分をそれだけで持たせたいのならばヒロインの話をもっときちんとやってくれないと。現状では釈由美子のドラマが弱すぎる。ヒロインの辛い過去として「伊藤英明の死」とか「嶋田久作との死闘」をフラッシュバックで入れるとかさ(<だからそれは違う映画だってば) あと、ちいさいお友だちの感情移入の手助けとして(現実を無視して)子役が重要な役まわりを演じるのは結構だが、あの子役子役した子役はなんとかならんか。 ● ゴジラのデザインは「ゴジラ×メガギラス」を踏襲した頭部の小さいデザインの悪鬼のような形相のもの(でも、ちょっと尻尾が細すぎない?) 特殊効果との合成時に、ゴジラやメカゴジラが完全に静止画像になってしまうのがえらい興醒め。それと、ポスター見て期待してたのに、結局「メカゴジラのトビ蹴り」は、なしかよ。てゆーか、そこでCG使わんでどーする! あとエンドロール後の一幕は蛇足だよな。

★ ★ ★
スパイダー パニック!(エロリー・エルカイエム)

流出した謎の化学物質が原因でなぜかクモだけが巨大化してアメリカの田舎町を襲う…。ジャンル映画を茶化しつつ茶化してる自分に意識的であるジャンル映画ということからいえば、田舎町おとぼけモンスター映画の先駆であるロン・アンダーウッド「トレマーズ」よりは、ダン・オバノン「バタリアン」に近い。なにしろ、あのC級モンスター映画をバロったようなフザけたポスターはほぼオリジナルのままなのだから。ただ、茶化すのはいいけど、キメるとこは真剣にキメてもらわないと面白くないわけで、この映画の場合、絶体絶命のサスペンスであるべき場面にまで作者たちのニヤニヤ笑いが透けて見えるようで、どうも気に食わんね。真面目にやれ真面目に。 ● 田舎町に帰って来たばかりの、ちっとも頼りにならないヒーローにデビッド・アークエット。 そして彼とワケアリの地元の女保安官に…「アナコンダ」や、「フェニックス」の尻軽妻、「シェイド」の淫乱愛人、「痩せゆく男」のジプシー女などで つねにお色気爆発の当サイト・イチオシ銘柄カリ・ウーラー! この人、もうちょっと売れっ子になってもいいと思うんだけど、ひさびさにお姿が見られて嬉しいよ、おれは。本作には残念ながら濡れ場はないのだが着衣の上からでもエロ・オーラ発散しまくりである。なにしろ名前からしてエロいよな。カリ・ウーラー。漢字で書けば 雁 裏…って、あ、いや、おれが言ったんじゃないってば、昔「シティロード」で秋本鉄次が言ったんだってばよ。 そのティーンの娘に(なんでこんな映画に出てんだかわからんが)スカーレット・ジョハンセン。たしかにカリ姐さんと顔立ちが似てるかも。 ● 監督はニュージーランド出身の新鋭エロリー・エルカイエム。これが2作目だが、商業映画デビューは「ブラッダ」(未公開)という巨大ゴキブリ映画である。そればかりか、どうも本作はNZ時代に作った「LARGER THAN LIFE」という13分の短篇のリメイクらしい。うーん、この道一筋やね。 音楽はジョン・オットマン。ジャンル映画を少しもバカにすることなく素晴らしい劇伴をつけている。 製作陣にはローランド・エメリッヒとディーン・デブリンのへっぽこコンビの名前も見える。


ガーゴイル(クレール・ドゥニ)

フランス映画。ガーゴイルというよりはキャットピープルですな。ベアトリス・ダルは男を喰いものにする淫蕩な牝豹。その頃、ヴィンセント・ギャロは娶ったばかりの初々しい花嫁を連れてパリへと向かっていた…。ね? 面白そうでしょ? キャスティングもハマってるし。ところがこれがぜんぜん駄目。構成がまったくなってない。おれがプロデューサーなら「もっぺん脚本をイチから勉強して来い!」って怒鳴るところだ。これだからフランス人てやつぁ(以下略) ヨーロッパ系トンデモ映画としてもイザベル・アジャーニ「ポゼッション」の足下にも及ばず。 ● 思わず笑っちゃったのが、ギャロは[セックスすると相手を食べたくなっちゃう]という因果な宿命ゆえに花嫁とセックスができない。で、しかたなしに彼女に指まんこして、コーフンしてきたところでバスルームに駆け込み独りシコシコとオナニーをするんである。で、鏡にどぴゅっと発射してなんとも悲しい顔をする。ドアの外では花嫁が「なんで抱いてくれないのよ〜」と泣き崩れている…という、どうもクレール・ドゥニはこれを「切ない場面」として演出してるようなのだが、そら笑うでしょう。ギャロが情けない顔して鏡に向かってオナニーしてるシーンが延々つづくんだぜ。なに考えてんだか。あと、リアルなザーメンの作り方を日本のAVの助監督からよーく教わるように。ちなみに「ガーゴイル」は日本で苦しまぎれにつけた邦題で、原題は(なぜか英語で)「毎日がトラブル」

★ ★
さゞなみ(長尾直樹)

う〜ん…。まあ事前に「そういう映画だろうな」と予測していたとおりのものを観せられたのだから怒るわけにはいかんのだが、それにしても…退屈だ。なんにも起こらない日常の、それひとつ取ったらまったく意味のない動作手順をひとつひとつ丁寧に描写して、そこに生じる微かな変化を感じ取る…という類いの映画である。なんせタイトルが「さゞなみ」だからな。ご賢察のとおりおれの目当ては唯野未歩子だったのだが、我慢できずに30分で退出。

★ ★ ★ ★
仔犬ダンの物語(澤井信一郎)

愛媛県松山市の団地に住む2人の幼稚園児が、河原に捨てられていためくらの仔犬を保護して、ほんとは生きものは飼っちゃいけないんだけど、住民を説得して団地の敷地で飼うことにしました…という実話を基に、主役の年齢を小学生に引き上げ、舞台を群馬県の団地に移して自由に脚色。「犬を拾う少女」ではなく、両親が離婚してまるで自分が捨てられてしまったような悲しい気持ちで田舎のお祖父さん家に越してきた「転校生」を主役にした構成が秀逸(脚本:東多江子) ● 感動した。いや、物語もそうだけど、なにより澤井信一郎をはじめとするプロの仕事ぶりに。これ、「モーニング娘。の映画」として宣伝されているが、彼女たちはあくまで後景に過ぎず、メインはオーディションで選ばれたモー娘 予備軍の11人の小学生の女の子たちなのである。オーディションはクランクインのわずか3週間前。澤井信一郎はその3週間のリハーサルで、ポンと与えられた素人のコドモたちの適性を見極めて主役・脇役それぞれをキャスティングし、みごとな劇映画を仕上げてしまった。さすがは松田聖子で「野菊の墓」を撮ってしまった男だけのことはある。時間がないからといって澤井信一郎は決して「子どもたちの自然な演技」などを狙ったりはしない。下手でもいいんだ。下手でもいいからちゃんと台詞を言わせている。そこにそういう台詞が書いてあるのはドラマにその台詞が必要だからだ。澤井信一郎はフィクション(つくりもの)の力を信じている。過不足のない起承転結を備えた70分。…いや、エンドクレジットに丸まる2曲分のミュージック・ビデオがあるから、本編は実質60分強か。ラストがあまりに玉虫色だという批判があるかもしらんが、これは子どもたちに美しいものを見せようという映画だからこれでいいのだ。川村栄二の劇伴も優秀。じつはビデオ撮りだが、炎天下の厚化粧した原田美枝子のおでこのテカりさえ気にしなければ許容範囲。偏見を持って避けてしまうには惜しい傑作である。…てゆーか、劇場は(夜の回とはいえ)えらいガラ空きだったんだが、日本全国にうようよ居るはずのモーヲタの諸君はどこ行ったんだ? まさか映画はパソコンで見るもんだと思ってたりして? ● なぜかクレジット順は後ろのほうなんだが、本来なら「Introducing...」という一枚タイトルを与えられて当然の堂々の主役に、嗣永桃子(つぐなが・ももこ)ちゃん小学校5年生。 お母さんに原田美枝子、お父さんに榎木孝明、田舎のお祖父ちゃんに奥村公延。 団地の自治会長に柄本明。その娘に安倍なつみ。しかしクライマックスの、犬を飼う少女と団地住人の対立シーンで、少女がいちばんの泣かせどころである決め台詞を喋ると、とつぜん団地のベランダから(明らかに別撮りの)兵藤ゆき が「いまなんて言ったの?」と叫んで、親切に安倍なつみが大きな声で「○○○と言ったの」と決め台詞をリピートする…という摩訶不思議な演出はなんだったんだ!? モーニング娘。の皆さんは総じて芝居がうまくないのだが、なかでも飯田佳織は酷すぎる。3週間前までは素人だった小学生よりも演技が下手ってのはどうなのよ。 ● まあ、でも、これ、団地とはいえ地元住民が多く住んでいる愛媛や群馬だから成立する話で、東京の団地だったらきっと自治会の強硬な反対に遭って、犬は動物園かなんかに入れられて「ルールを守るのは大切」って話になっちゃうんだろうな、悲しいけど。

★ ★ ★ ★
ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!(ヒグチしんじ)[キネコ作品]

「ヒグチしんじ」とは本作が監督デビューとなる特技監督・樋口真嗣のこと。地球によく似た星の、千里ニュータウンによく似た街を見下ろす丘の上にあるケーキの美味しいミニモニ・カフェで働く4人の身長150cm以下の女のコたちが活躍するミュージカル・コメディ。前半と終盤はオールCGの背景・小道具に、オール・グリーンバック撮影の人物を合成しているのだが、中盤は完全に3D-CGアニメとなる。これに ★ ★ ★ ★ 付けるのは大人としてどうよ?という気もしないでもないが、観てて「恋に唄えば♪」の100倍 楽しかったので。50分。…ま、モーニング娘。の「LOVEマシーン」とか「恋のダンスサイト」みたいなPVの長いやつと言えなくもないんだが。 ● CGアニメのキャラ・デザインは歩くとき、キュッキュッと音がしそうな正統的太足キャラ。アニメ部分のみの(声の)出演に、ケーキが大好きなんだけどダイエット中なのでケーキを目の敵にしてる妖精の女王さま ナカジェリーヌ29世に元リーダーの中澤裕子(たぶん29歳)と、おんぼろ冷蔵庫の姿をしたじいやキャラの「冷蔵」にベテラン・滝口順平。ちなみにミニモニ。のコドモ2人は、おれには最後まで区別つかず。2人そろって「な〜んも考えてない食べ盛りの小動物」というキャラなのは、あれは地なのか? それとあのラストの展開は「こんどミニモニ。はメンバーチェンジしますよ」というお知らせを兼ねてるの?

★ ★ ★
スワンズソング(笠木望)[ビデオ上映]

テアトル池袋のビデオ撮りぼったくり企画「ガリンペイロ」レーベル第8弾。作品の内容よりも出演しているアイドル予備軍の舞台挨拶がメインの、例の一連の「美少女ホラー」ものの一遍である。ノーザンライツなる会社の製作になる本作はそのコンセプトが徹底していて、なんと全84回上映の全回 舞台挨拶ありというおそるべき興行形態(入場料金は通常料金)で、おれが観に行った回も脇役の子が、おれを含めて観客4、5人&カメラ小僧2名&ビデオカメラ持参のご両親らしき中年男女を前に、たどたどしくも一生懸命に挨拶していた(カメラ小僧1名とご両親は舞台挨拶が終わると映画を観ないで退出) まあ頑張ってください。 ● 画質のクォリティに関しては、使用機材/テープの違いなのか前にここで観た望月六郎の「今昔伝奇 花神」よりはずっとキレイだった。もちろんビデオ撮りのビデオ上映だからビデオ・ルックなんだけど、DLPプロジェクターの威力でキネコで観せられるよかはよほどマシといったところ。ただ音がキンキンと耳障りなのはなんとかならんか。いくら同録とはいえミキシング調整はするわけでしょ? ● さて中身だが・・・東京で幼い末娘を誘拐&殺害された失意の母と高校生のヒロインが、新しい生活を始めるべく田舎に転居してくるが、ヒロインに害を及ぼす周囲の者が次々と(妹が誘拐されたときに着ていたものと同じ)黄色いレインコートを着た何者かに殺害されていく・・・という、一見 クローネンバーグの「ザ・ブルード 怒りのメタファー」かと思いきや、じつは[「13日の金曜日」の1作目]でした…というお話。 ● 脚本は「殺し屋1」の佐藤佐吉。監督は、日活芸術学院の卒業製作16mm「きみのジャージはどこ」(2000)が一部で評判になった新人・笠木望。この作品が特異なのは、基本的にスラッシャーものとして展開するヒロイン絡みの話と併行して、校舎の屋上から手を繋いで飛び降りる2人の女子高生(映画のオープニングはこの場面)とか、その死体を見てもなんの反応も見せず通り過ぎる同級生たち…といった描写が本筋といっさい交わることなく挿入され、映画にある種、黒沢清にも通じる殺伐とした空気をもたらし、しかもそちらに関しては観客に結末も解釈も提供されない…という点にある。まだまだ現状ではエンタテインメントとして物足りないが、この笠木望なる新鋭はひょっとして将来、大化けする可能性があるかも。 ● ヒロインの石川佳奈はお人形さんみたいな顔だちで、演技のレパートリーが「おすまし顔」と「息を飲んだ顔」しかないのが辛い。 母親に大場久美子。じつを言うと、本作でいちばん怖いのはヒロインの(幼い娘を失ったショックで精神不安定になっている)母親を昼メロ調で演じる大場久美子の怪演なのだった。 ほかに田中要次、沢田亜矢子、奥村公延らの出演。 元・美形女子プロレスラーの工藤めぐみ がワンシーンだけバレエ教室の先生役でエロいレオタード姿を披露している。 なお、レインコート殺人鬼のスタントダブルとして、今年8月に亡くなった全日本プロレスの…というよりは日本で最後の小人レスラーだったリトル・フランキーが(角掛留造と共に)出演していることを書き添えておく。

★ ★ ★
もうひとりいる(柴田一成)[ビデオ上映]

テアトル池袋のビデオ撮りぼったくり企画「ガリンペイロ」レーベル・・・ではないのかな? チラシにロゴが入ってないや。まあ、表記があろうとなかろうと実態はやはり、作品の内容よりも出演しているアイドル予備軍の舞台挨拶がメインの、例の一連の「美少女ホラー」ものの一遍である。おれが観に行った回も上映前に、主役の3人のコのうちの1人──そのあと映画を観てもどのコだか判らなかった(火暴)──と監督・脚本の新人・柴田一成と「怪異収集家」なる肩書きのあやしいヒゲ面のトークがあった。 ● ドッペルゲンゲルものである。都会のビルの谷間にある休日の校舎にお菓子系グラビア誌の撮影に来た中学生モデル3人&マネージャー(津田寛治)&編集長(諏訪太朗)&カメラマン(「VERSUS」の榊英雄)&スタイリスト(元フジテレビ・ビジュアル・クイーンでヌード写真集出版歴ありの稲田千花…だけど脱ぎません)が次から次へともうひとりの自分に殺される…という話。実際にどれだけ関わったか知らんが「呪怨」の清水崇が監修としてクレジットされてるだけあって、やはり徹底して「見せるホラー」である。ビデオ撮りならではの、ドッペルゲンゲルの顔面の一部がビヨーンと歪んだりするSFXも効果的。「都会のまん真ん中にある昼日中の学校」というロケーションにまったく閉塞感がなく少しも怖くないし、そもそも「なんで街中へ逃げ出さないのだ?」というすべての観客が感じるであろう疑問に対するフォローがまったくないという致命的な欠陥はあるものの、新人監督の「徹頭徹尾、ビジュアルで勝負!」という心意気は伝わってくる。演出がこなれてくれば良いものを撮るかもしれない。 ● たいがいのドッペルゲンゲルものってのは「もうひとりの自分が自分の代わりに普段の自分に出来ないことを実行する」というパターンで、それがホラーなら「ドッペルゲンゲルが自分の代わりに憎いやつを殺してくれる」となるわけだが、それを「もうひとりの自分が自分を殺しに来る」とした逆転の発想は素晴らしい。じつはこのほうが「もうひとりの自分を見た者はまもなく死ぬ」という、もともとの言い伝えに忠実でもある。こんなビデオ撮りホラーで消費してしまうのが勿体ないアイデアである。ぜひとも清水崇 監督で劇場公開作としてリメイク希望だ。ハリウッドに売るのも可。


八月の幻(鈴木浩介)[ビデオ上映]

テアトル池袋のビデオ撮りぼったくり企画=「ガリンペイロ」レーベル第8弾。仲根かすみのDVDだかなんだかのイメージビデオを72分の長篇ビデオに撮りなおしたもの。おれ、仲根かすみの顔ってちっとも綺麗とか可愛いとか思わないんだけど、やたらグラビア露出頻度が高いのはやっぱ人気があるのかね? ● 竹内力のやくざものや「エコエコアザラク」「援助交際撲滅計画」などの遠藤憲一ものVシネマで名をあげた鈴木浩介だが、本作はなんと全篇を尾道にロケしての大林宣彦 映画である(脚本:武田百合子、撮影:篠田昇) 仲根かすみ の映画なのに冒頭はいきなり水橋研二のアップから。東京からカノジョを連れて尾道へ向かう列車の車窓を物憂げに眺めながらナレーション「尾道…。ぼくはとうとう帰ってきた。帰りたくても帰れなかったこの町に」そして「転校生」の石段の上に座っては泣きそうな顔で「8年前…。ぼくはあのとき、この町に大切なものを置き去りにしてきた…」というわけで、彼の前にあらわれる〈八月の幻〉が仲根かすみ なのである。このあと小一時間に渡ってこの うじうじ君と、邪悪な大森南朋ら地元の同級生と、「ううん、あたしは大丈夫」ってそのワザとらしい健気さがよけームカつくんだよ!な今のカノジョとのぐずぐずした人間模様が描かれるわけだが、問題はこの作品、ラストのフラッシュバックを含めても仲根かすみの出演場面が5分にも満たないってことなのだ。そりゃファンのやつら怒っちゃうだろ。てゆーか、ふつーこーゆー場合、今のカノジョと二役 演らせないか。どんなつまんない映画でも、とりあえず最初から最後まで画面に出しとくってのがアイドル映画を作るときの礼儀なんじゃねえの。というわけで内容的には ★ ★ でもいいんだが、商品として失格なので星1つとする。 ● 水橋研二はいかにも大林宣彦 的うじうじ主役にピッタリ。本家から声がかかってもおかしくない。 28歳の彼のカノジョに八木小織。八木小織って「パンダ物語」の1980年代アイドルの八木小織でしょ? この人、もう30代なかばじゃないの? 仲根かすみ は良い悪いを判断するほど出てこないので相変わらず おれにはどこが良いんだかさっぱり判らなかった。 おれ的には地元の同級生を演じた瑠川あつこ と、溜まり場のサテンのウエイトレスのフーテン娘(死語)を演じた菊地百合子が要注目。 ● 最後にエンドロールの歌が流れて、あら歌はまあまあ上手いじゃないの…と思ったら「歌:國府田マリ子」だって。…あれ? じゃあ仲根かすみって何して喰ってる人なの!?

− − − − −
夏風(鈴木浩介)[ビデオ上映]

「八月の幻」におまけ上映されている、石田未来(いしだ・みく)という14歳の子役のイメージビデオ。32分。撮影:篠田昇。いちおうゆるいストーリーらしきものがあるが、基本的には美しい風景の中に可愛らしい女の子を置いて、全篇にアコースティック・ギターのBGMを付けて、そこに彼女のモノローグが被さる…という、水着ギャルのイメージビデオとかと同ジャンルである。映画ではないので星は付けないでおく(途中、寝てたし) アイヲタ向け。…あ、あとお母さん役で北原佐和子が出てるのでパンジーファンの皆さんもどうぞ。

★ ★
シリーズ7 ザ・バトルロワイアル(ダニエル・ミナハン)

素人の孤島サバイバルTV番組「サバイバー」が、もし無作為に抽出された6人の市民による街中の殺人ゲームだったら?…という設定に基づいて「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」タッチで作られたビデオ撮り贋ドキュメント。つまらん。芸になっとらん。30分で途中退出。

★ ★ ★ ★
ブラッド・ワーク(クリント・イーストウッド)

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」のお蔭で2週限定とはいえ大劇場チェーンで公開される運びとなったイーストウッドの新作。本来の劇場は丸の内ルーブル/新宿ミラノ座/渋谷パンテオンの戦艦チェーンなのだが、これはワーナー映画が(駆逐艦クラスの新宿東急/渋谷東急系に出ている)「ハリ・ポタ」と劇場をチェンジする前提で(=「ハリ・ポタ」の儲けを最優先して)前番組の「ショウタイム」同様、捨て番組としてブッキングしたためで、新宿と渋谷では最初から「ショウタイム」と「ブラッド・ワーク」は新宿東急/渋谷東急で上映、デカいほうで「ハリ・ポタ」を上映している。ただしこれもルーブル/ミラノ座/パンテオンのチェーンに「ギャング・オブ・ニューヨーク」が出る12月21日までのことで、12/21からは「ハリ・ポタ」が本来の東急チェーンに戻るわけである。で、新聞を見て【12/14は「GONY」先行オールナイトのため「ブラッド・ワーク」最終回の上映はありません」と書いてあったので、しめた! てぇことは今日だけは「ブラッド・ワーク」はミラノ座でやってるぞ。うーん、おれってやっぱ天才かも:)と意気揚揚と出かけたのだが、歌舞伎町に着いてみると「ハリ・ポタ」はそのままミラノ座、そのうえ「火山高」が新宿東急で上映されていて「ブラッド・ワーク」はタグボート級のシネマミラノに格落ちしてるのだった(泣) なにやってんだか…>おれ。 ● さて、肝心の中身だが、イーストウッドはスクリーンの大きさとも時流とも関係なく昔気質の娯楽映画を作りつづけているのだった。近年のハリウッドの娯楽映画は、MTV, AVID, CG という3つの大波に洗われて、それ以前と様相が一変してしまった(ついでに言うと「ビデオ撮り」という最後の大波もすでに沖に見えている) この人の映画を観るとほっとするのは、イーストウッドの映画が1970年代から繋がっているからだ。浅草中映で昔のアクション映画とブラッカイマー映画の2本立てを観たらさぞやチグハグだと思うが、おそらく「ブラッド・ワーク」と「ダーティハリー」の2本立てならしっくり観られてしまうのだ。それは演出家イーストウッドが無意味なスローモーションや目まぐるしいカット繋ぎやぐぁんと人物に回りこむ流行りの変速カメラワークを使わない…からではない。それはこの72歳の老スターが、サスペンス映画の肝が、おどろおどろしい殺人描写や奇抜な謎を追うのではなく、登場人物の心情に寄り添うことにあると理解しているからだ。新宿ローヤル主義者必見。 ● ながくイーストウッドの映画を観てきている人なら、保守的なタカ派の顔とは裏腹に、この人の胸のうちにはダークサイドへの誘惑が巣食っているのは承知だろう。本作では久々にそれがチラリと顔を出しており、形のうえではハッピーエンドで終わる結末にも、なにか居心地の悪さを感じさせる後味が残る。イーストウッド映画の常としておしなべて好演の共演陣のなかでは、イーストウッドの運転手代わりの相棒となる無為徒食の輩を演じたジェフ・ダニエルズが出色。ひとつだけ注文をつけるなら「心臓移植を待っていた少年」がどうなったのかは最後にフォローしておくべきだろう。 ● この映画、チラシが入手できなかったので(ひょっとして作らなかった?)500円だしてパンフレットを買ったのだが、イーストウッドということで珍しく蓮實重彦が書いていて、それがもういかにも蓮實重彦な文章で面白くて「ワーナー宣伝部(松竹事業部?)やるじゃん」と思ったら、次のページはジャズ・ヴォーカリスト 大橋美加なのだった。だーから、この手のやつらに書かせるの禁止だってば。パンフに載ってたジェフ・ダニエルズの裏話> ぼくがクルマを運転して砂漠の一本道を飛ばす場面の撮影で、クリントは助手席に座り、カメラマンが後部座席に乗っていた。太陽が沈みかけてサイドミラーにレンズの反射が写ってしまうので角度を調整するように言われたんだ。ぼくがミラーの位置を直していると、クリントが横からひょいと手を伸ばしてハンドルを握り、少し回した。顔を上げると、カーブを曲がってくるミニバンとの衝突をクリントが冷静に避けたところだった。ゾッとしたよ「なんてこった。ぼくはもう少しでクリント・イーストウッドを殺すところだった!」ってね。 か、かっこ良すぎる…>イーストウッド。


恋に唄えば♪(金子修介)

…あ、角川映画なんだ。優香 主演っていうから、てっきりホリプロ製作かと思ってた。てゆーか、いっそホリプロとナベプロの共同製作にして「壺の魔法使い」の役を志村けんに演らせれば良かったのだ。「ヘンなおじさん」のキャラのままで、魔法の壺ならぬ魔法の瓢箪徳利をぶらさげて登場。優香ちゃんに「なんで魔法使いがステテコ穿いてるのよぉ!?」とツッコまれても平然と「ぃいんだよ。細かいこと気にすんな」。通行人に奇異な視線で見つめられると睨み返して「なんだよ」とぶすっと一言。ね、いいでしょ? 劇中で魔法使いはヒロインに横恋慕してる設定になってるんだけど、優香と志村けん なら(大竹しのぶと明石家さんまの「いこか もどろか」のように)画面に自然なケミストリーが生まれるだろうし、今よかよほどロマンチック・ロード・ムービーとしての態を為したと思うんだが。 ● というのも、映画を観ながらそんなことをつらつらと考えてしまうほど竹中直人が酷いのだ。キャスティングを聞いて事前に恐れていた以上に酷い。もう、どれくらい酷いかというと「釣りバカ日誌」の西田敏行にも匹敵する嫌悪感を催すほどなのである。だれか頼むからもう竹中直人はコメディ映画出演禁止にしてくれ。 ● そもそもアイドル映画は得意なはず…というより、なんでもアイドル映画にしてしまう金子修介のはずなのに、どうも今回、サブ・ヒロインの梅宮万紗子のほうが金子のタイプだったようで、肝心の優香には初登場のシーンからしてまったく気が入ってない。曇り空だったんだかなんだか知らないが、最初のヒロインのアップがロクに照明もあてられず暗く翳ってるのだ。なんということだ。アップだけスタジオ別撮りにするぐらいの気概がなくてどーする! せめて風のひとつも吹かせんかい! いまや元ネタすら思い出せないほど数々の映画で繰り返し繰り返し繰り返し使われてきた「ドレス選び」のシーン(=ブティックで女性が次から次へと着替えて、男性がそれをスツールに座って見ている)がここでも使われるのだが、モデルが悪いのか衣裳担当にセンスが無いのか優香の魅力の無さといったら! てゆーか、そこは絶対に「水着選び」にすべきだろーが!! ビキニぐらいサービスしたらんかい! ● オーストラリアで撮られた「ミュージカル・シーン」も凄まじいばかりの空疎さ。明らかに意識したと思われるインド娯楽映画のそれと較べると画面がスカスカ。貧しすぎて泣きたくなってくる。いやほんと。だいたい、わざわざオーストラリアまでロケに行っといて、なんでどんよりした曇り空なんだよ。しかもそこで唄われる歌は「♪大丈夫 お金がなくたって ホラ 太陽はあんなに輝いてる。心はいつも青空〜」とかゆー歌なのだぞ。おおかたピーカンの天候待ちをしてるだけの予算が無かったんだろうが、それじゃロケ費用をどぶに捨てたも一緒だよな。 ● さらに細かいとこにツッコむと、優香がらみのCM企業の、必然性はないんだけどなぜか商品名までは出さないビミョーなタイアップがえらい気持ち悪いんですけど。あと、終盤で「目を閉じていた女性」が目覚めた際の台詞は絶対に「…いまのアラビア人は…誰?」だろ。「アラビア人? なに言ってるんだ」「幻覚を見たんだな」「麻酔のせいですね」

★ ★
完全なる飼育 香港情夜(サム・レオン)

前作「完全なる飼育 愛の40日」のレビュウで[たぶんこの後も〈女子高生を誘拐して飼育する〉というシバリで「新・完全なる飼育」とか「最後の完全なる飼育」とか「帰ってきた完全なる飼育」とか「完全なる飼育 in L.A.とか続々と…]と書いたらほんとに出来てしまった。シリーズ第3作は「完全なる飼育」イン・香港である。それも「BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯」などで強力な香港コネクションを持つアートポートの製作だけあって「無問題 モウマンタイ」シリーズのプロデューサーであり「大混乱 ホンコンの夜」「Color of Pain 野狼(オオカミ)」で監督デビューしたサム・レオン(梁徳森)に制作を丸投げ。主演の日本人アイドルと出てこなくてもいいのに出てくる引率教師役の竹中直人 以外はすべて香港人で固めた、もうほとんど香港映画である。なにしろ犯人のタクシー運転手が「Color of Pain 野狼」「花火降る夏」のトニー・ホー(何華超)、頭の弱い隣人に「ザ・ミッション 非情の掟」のでぶちん ラム・シュー(林雪)、同僚運転手としてロー・ガーウィン(羅家英)やアルフレッド・チョン(張堅庭)まで顔を出すという豪華キャスト。もっとも奴らとしちゃあ、おそらくわりのいいカラオケビデオの下請け仕事でもしたような感覚なのだろう、そんな気の抜けた仕上がりではあるのだが。 ● なにしろあーた、香港に修学旅行に来てた日本の女子高生をトニー・ホーが誘拐するきっかけってのが「愛情こめて育ててきた豚ちゃんが死んじゃって悲しいよー」というときにタクシーに乗り込んできた女子高生の携帯ストラップの鈴が鳴り「あ、ぼくの豚ちゃんの鈴の音とおんなじだ!」と発作的に拉致監禁してしまうという…って、日本の女子高生は豚と一緒かい! おまけにこの女子高生、家庭の事情とかいろいろあるにはあるんだが、捕えられて2日目には逃げる気をなくして、1週間もしないうちに犯人とラブラブの新婚カップルみたいになっちゃうってのは映画の犯罪抑止力としてどーなのよ。いや別に、こんなとこで固いことを主張するつもりはないし「監禁もの」のポルノってのは「痴漢電車もの」と同様、一種のファンタジーだと承知のうえで言うんだが、この描き方じゃ拉致監禁を推奨してるとしか思えんが? ● などと余計なことを考えてしまったのは、この犯人ってば妙にプラトニックなんだよね<こらこら。観客は全員が全員、若い女のハダカが観たくてわざわざ映画館まで足を運んでるってのに、見せ場がほとんどないのよ。ヒロインの伊藤かな は、TV「とんねるずの生ダラ!!」内の企画チャイドル・グループ「ねずみっ子クラブ」の双子アイドルとして一部で有名だったそうだが、おれは当時のテレビを見てなかったので「おお、あの子がこんなに大きくなって:)」という愉しみ方も出来ず残念(←人間の屑やな) ま、それでも「南京の基督」の富田靖子 程度には脱いでるので、ファンの人は必見でしょう。 ● ちなみにこの映画、東京では新宿ジョイシネマ3と銀座シネパトスで公開されているのだが、ただいま2館共通のリピーター・キャンペーンなるものを実施中で、最多リピーターには新宿 千穐楽 最終回の上映前に、劇中で着用した「飼育服」が伊藤かな本人から手渡されるんだそうだ。それって憧れのアイドルに「ぼくはかなちゃんのハダカを誰よりも多く見た変態です」と告白してるよーなもんじゃねーの? てゆーか、そんな奴に自分が素肌にまとった服を笑顔でプレゼントしなきゃならないなんて、仕事とはいえ大変ですなあアイドルも。

★ ★ ★
飼育の部屋(キム・テグワン)[ビデオ上映]

「完全なる飼育 香港情夜」と同時に公開された監禁もの(流行ってるの?) 郵便配達夫が独り暮らしの短大生を1年半にもわたって拉致監禁する話。こちらは「拉致監禁」という犯罪の異常さ/非情さをきちんとフォローしており、犯人は自分勝手な愛と論理をむりやりに被害者の女性に押し付ける同情する余地のない下衆男として描かれる。ただ、演じる小沢和義のオーバーアクトもあって(まあ、この人はいつもこの調子だけど)観客が犯人に感情移入しにくいという弊害が生じてしまっているのだ。いやもちろん拉致監禁やレイプは憎むべき犯罪であって、もちろん おれもそんなことしたいなんてこれっぽちも思ってませんが、それがポルノ映画として描かれる場合は被害者に100%同情しちゃうと気楽にコーフンしにくいんだよな(←人間のカスやね) それにこれビデオ撮りってことはH系Vシネマとして発売されるんだろうけど1時間45分の映画で乳出しまでに45分、尻出しに1時間、濡れ場までには1時間15分もかかるというスローペースは商品としてどーなのよ。商品性ってことから言えば、ヒロインを演じる桜井真由美の横から見ても女とわからないほどの貧乳もちょっと問題あるような…。 ● 監督・脚本は「息もできない長いKISS」の在日韓国人監督キム・テグワン。終盤のひねりでかろうじて凡百のVシネマからアタマ1つ抜け出したか。遠藤憲一が特別出演して映画のケツを引き締めている。

★ ★ ★
ストーリーテリング(トッド・ソロンズ)

「ハピネス」「ウェルカム・ドールハウス」の毒虫監督トッド・ソロンズの新作。短めの前半と、中くらいの長さの後半の2部構成(合わせて87分) 前半には「フィクション」、後半は「ノンフィクション」と章題が付けられていて、前半は小説ゼミを受講してる進歩派の白人女子大生(セルマ・ブレア)の話。おお、いきなり冒頭からセルマ・ブレアの全裸ファックシーンだ。なんというエンタテインメント精神!(でもカレシはCP(小児麻痺)なんだけど) さらに15分後にはバックからの全裸ハードファック!(ただし相手はニガーだけど) ● 後半は(監督のホームタウンである)ニュー・ジャージーに住む小金持ちユダヤ人家庭無気力な高校3年生を撮影するアマチュア・ドキュメンタリー作家(ポール・ジアマッティ)の話。保守的な家長にジョン・グッドマン。フィルム編集者に「ラン・ローラ・ラン」のフランカ・ポテンテ。 ● あまりにストレートなタイトルどおり、これは「物語ること」についての映画による考察であって「事実(ノンフィクション)はフィクションの始まりに過ぎず、フィクションでないノンフィクションなど有り得ない」というありきたりな結論が導かれる。もちろん悪名高い毒虫男のことだから、登場するキャラクター(や、その言動)は「PC(政治的公正性)クソ喰らえ!」とばかりに、ことごとくアメリカ社会のタブーの逆鱗に触れるものばかり。つまりFuck CPFuck PC !な映画というわけ(それが言いたかったのね…) 白人娘とニガーのファックシーンには(アメリカの)映倫からクレームが付き、成人指定を避けるため2人の姿を巨大なオレンジ色の■で隠して公開したんだと(日本公開版には出てこない) ● ただ問題なのは、ひとつのエピソードが短いせいか、過激なキャラや台詞や行動がただそこにあるだけで、それらが物語として消化されていないのだ。とびっきりのネタだけ集めて料理法がイマイチって感じ。劇中の黒人教授のように評するならば「とりあえず設定はある。だが設定しかない」。トッド・ソロンズの劇的想像力があと一段 飛躍していれば間違いなく傑作になったものを。「ストーリーテリング」と題された映画で「ストーリー」が語られないというのは皮肉なものだ。

★ ★ ★
ミッション・ブルー(ローレンス・マルキン)

東芝デジタルフロンティアなどという10年後にはぜったい消えてそうバブリーな名前の会社の(たぶん)第1回配給作品。スキート・ウーリッチ、クリスティ・スワンソンらハリウッドの俳優が主演する、英語によるオランダ映画。ロッテルダムに本拠を置く多国籍投資銀行の警備担当者が巻き込まれる巨大な陰謀…。スクリーン上で与えられる情報量を極端に制限することによって、観客に劇中の主人公と同等の緊迫感をもたらすことを意図したサスペンス映画。しかし、明かされる「真相」が荒唐無稽で説得力を欠いた典型的なB級映画的「真相」でしかないので、観客に「な〜んやそれ?」と思われてチャンチャン。つまり、わかりやすく言えばカッコ付けすぎですね。製作・脚本も兼ねるローレンス・マルキンの演出は、サスペンスが盛り上がると必ず画面がストロボ点滅するという意味のなさ@もちろんMTV出身。ま、飽きなかったので星3つ。オランダ映画だからクライマックスが風車小屋…というのは律儀なんだか なんなんだか。関係ないけど、シネマスクエアとうきゅう は今まで目障りだった「スクリーン横の非常灯」がようやく完全消灯されるようになった。よしよし。

★ ★ ★
T R I C K トリック 劇場版(堤幸彦)

かれこれひと月ちかく更新が開いてしまったが、その間はレビュウを書く暇もなく寝食を忘れて働いていた…わけでは だけではなくて、じつは劇場版の予習としてテレビシリーズ「トリック」および「トリック2」のDVD全10枚金四萬圓也を大人買いして毎晩、観ておったのだ<超弩級のバカ。てゆーか、おまえ堤幸彦キライじゃなかったのか!? いや仲間由紀恵さんがむにゃむにゃ…。えー、DVDから続けて観たせいでこの劇場版も「劇場版」というよりは(そもそもテレビ版がDVD1枚=1エピソード2〜3時間あるので)テレビ版の新しいエピソードを劇場で上映してるという感じ。映画だからといって下手に海外ロケに行ったりせずに、いつもよりちょっと豪華なゲストを呼んでいつもどおりのことをやっている。 ● 安っぽいテーブルマジック専門の安物マジシャン(だけど絶世の美人。でも貧乳)と、人一倍プライドが高くて人一倍 弱虫な大学教授(だけど通信教育空手の達人。でも巨根)のコンビが、勤労意欲のかけらもなく正義感も持ち合わせない警視庁の刑事(しかもヅラ)に邪魔されながらも、超常現象事件のトリックを暴いていく…という、深夜ドラマ枠でヒットを飛ばしたコメディ・ミステリ。この劇場版においても、いちおう最低限の設定&キャラ紹介は為されるので、いつもながらの面妖な堤幸彦ワールド悪フザケとも言う)に面食らわなければ、いきなり観ても理解に苦しむことはないはず。奇抜な外見に惑わされがちだが、東宝の社員(?)プロデューサー 蒔田光治の書いた脚本はある意味、和製ミステリの本流と言えるもので、かすかにただよう主役コンビの恋愛感情の匙加減も楽しい。事前期待値対比(=求められているものの達成度)なら ★ ★ ★ ★ ★ を付けてもよいだろう。よーするに「堤幸彦がやるこの手のネタ」に星3つより上はありえないので、これで満点ということだ。 ● …って褒めてないやん。いやいや、仲間由紀恵さんの見目御麗しい御姿を大スクリーンで拝見できるだけで眼福というものです。テレビの延長ということでHD24Pビデオカメラでの撮影だが、ソニー・シネアルタにありがちな変に赤っぽくなることもなく画質・色調とも過去最高(現像所はソニーPCL=東京現像所) 白い服の階調トビでかろうじてビデオ撮りと判別できる程度で、まあ、このクォリティが出せるなら仲間由紀恵さんのアップを撮る資格があるでしょう。ただあれですね。仲間由紀恵さんは大人になられて御顔つきがいくぶんシャープになられたようで、もちろん今でも絶世の美女であられることに御変わりはないのですが2年前の「トリック」第1シリーズの頃と較べると…あ、いや。おお なんという罰当たりなことを。忘れてください忘れてください。ただやっぱり「美女がマヌケなことをする」という面白さは、本人がギャグに意識的になった時点であまり面白くないと思う。 ● ゲスト陣には乾電池系ナイロン系大人系ガジベリビンバ系とりまぜて小劇場の異優怪優総出演。レギュラーである「ヅラ刑事」こと生瀬勝久も、ここでは敢えて「劇団そとばこまち」の槍魔栗三助と呼びたいハジケっぷり。今年は大杉漣より出演本数が多いんじゃないかという竹中直人もゆいいつ正しい使い方をされていた。

★ ★ ★
凶気の桜(薗田賢次)

製作:黒澤満 脚本:丸山昇一 撮影:仙元誠三 製作協力:セントラル・アーツ

クボヅカ君みずからの企画&主演によるトンデモ右翼映画・・・ではない。上にあげたスタッフの陣容からも明らかなように、これは渋谷の若者風俗を背景に描くいつものチンピラやくざ映画である。つまり「チ・ン・ピ・ラ」と同じジャンル。野望を胸に独立愚連隊を組織したチンピラたちが、汚い大人たちの策略にはまり自滅していく…という筋立ては東映ドラマツルギーそのもの。クボヅカ君の稚気を逆手にとってまんまと1本 主演作を撮らせてしまったプロデューサー・黒澤満はそのまま劇中の原田芳雄の姿に重なる。売れっ子ミュージック・ビデオ監督で「トリック」タイトルバックCGの作者としても(ここんところの おれの中では)有名な薗田賢次の演出も、意外にオーソドックスで堂に入ったもの(もちろん仙元誠三カメラマンの強力なサポートもあろうが) ヒロインの高橋マリ子は脱がないが、まあ、やくざ映画ファンなら見て損はないだろう。ただ、せっかく有名なHIP HOPミュージシャン(=キングギドラのK DUB SHINE)を音楽に起用したんだからマーダー・インクのモロパクなBGMはもっと轟音で鳴らしたほうが、映画がカッコ良くなると思うんだがなあ。

★ ★
マッスルヒート(下山天)

いや待ってくれ。おれがこの映画に期待してなかったなどと思ってもらっては困る。予告篇でのケインの「Are you ready to die!?」というあまりにベタな咆哮に心うごかされて以来、東京でのメイン・ロードショー館であるスバル座の映写環境およびスピーカーシステムは本作を観賞するに値しないと判断して、そのためにわざわざワーナーマイカルシネマズ板橋まで遠征してきたのだから。 ● …で、結論としてはシネパトスがお似合いの映画だった。ま、タイトルが「筋肉熱」だから文句も言えんが、これは筋肉映画ではあっても格闘映画ではない。せっかく香港からロー・ワイコン(盧恵光)をゲスト・スターに迎えて、ジャッキー・チェンのスタント・チームに武術指導を頼んでおきながら、「弟切草」の下山天にはB級映画の勘どころがこれっぽっちも解かっていない。勝負の決着を見せないアクション映画なんかあるかっつーの。だいたいなんでガキとか出て来るかね。うざったいったらありゃしない。この手の映画にガキと竹中直人を出すの禁止。なお冒頭に元・新日本プロレスで現・ゼロワン主宰の「破壊王」橋本真也が特別出演してまた負けている


木曜組曲(篠原哲雄)

こりゃ舞台劇だな。一室に集まった登場人物=容疑者たちが殺人事件の真相を追究する…というワン・ルーム・ミステリの形式を指してそう言ってるのではない。ここで「台詞」として語られる言葉の取捨選択や、出演者たちの演技=演出のトーンが映画のリアリティになっていないのだ。いや、もちろん舞台劇のような映画があったっていい。だが「舞台劇」として撮るならば、もっと実力のある人たちを揃えてくれないと。西田尚美と加藤登紀子など、まったく芝居になってないし。だいたい物語のキーとなる役になぜ加藤登紀子のような素人を使うのだ? 浅丘ルリ子との釣り合いを考えたら、ここは岸田今日子しかないでしょうに。女優がみんなブスに撮られているのも「映画」として致命的。篠原哲雄と撮影の高瀬比呂志はそもそも「女優6人の競演」という企画意図をまったく理解してないのではないか。舞台ならこれでいいかもしらんが映画にはアップというものがあるのだよ。厚化粧の婆あどもの百鬼夜行を見せられても困る。次から次へと供される(どうやら本作の「売りもの」のひとつであるらしい)料理も、ちっとも美味しそうに撮られていないし、意味もなく揺れる手持ちカメラは気持ち悪いだけ。いっそチープな火曜サスペンスにしちゃったほうが、まだ観られたのではないか。最低評価とする。

★ ★ ★ ★
木曜組曲[浅丘ルリ子 出演部分]

…そんなゴミ溜めのなかでの唯一の救いが、冒頭で毒殺される女流ミステリ作家を演じた浅丘ルリ子である。あの年でこの口跡の良さはなんだろう。そりぁ、あの年だからすでにして見た目はほとんど人外なのだが、それにしてはすばらしく美しい人外だ。数少ない彼女の出演場面になると途端に、演出の、脚本の、撮影の、無能を超えてスクリーンが輝きだすのだ。大女優とは、かくも人間ばなれした存在なのである。

★ ★ ★ ★ ★
トリプルX(ロブ・コーエン)

「ワイルド・スピード」の製作者と監督と主演スターが放つド派手なスパイ・アクション超大作。B級テイストを活かしつつも、これは「007」や「ミッション:インポッシブル」に正面から喧嘩を売った王道のスペクタクル・アクションである。冒頭でいかにもジェームズ・ボンドなブラックスーツのシークレット・エージェントがアッサリと殺され、作者たちは「スカした奴らが世界を救える時代は終わった」と宣言する。NSA(国家安全保障局)のはぐれ猛者=半面ケロイド顔のサミュエル・L・ジャクソンがスカウトしてきたのは、それ自体はまったく金にならない(高層ビルに素手で登るとか車道をスケボーで走り抜けるとか、そーゆー類の)危険きわまりない非合法な無謀スタントに命をかけてるアンダーグラウンドの有名人=ボールドヘッドに全身タトゥーの筋肉男 ヴィン・ディーゼルだった。NSAの男はカリフォルニア州の三振アウト法(前科3犯で終身刑)を盾に「言うことを聞けば前科を帳消しにしてやる」とタトゥー男を無理やり東欧の犯罪組織へ潜入させる・・・ってこれ、われらが望月三起也の「ワイルド7じゃんか! まあヘボピーとか世界とかオヤブンとかは出て来ないんだけど(両国とユキは出てくるぞ)本作のヴィン・ディーゼルは1人で飛葉ちゃんの7倍強いのでノー・プロブレムだ。 ● 実際、ヴィン・ディーゼルは素晴らしい。コワモテで悪党どもを芯からビビらせる迫力があって、でも笑顔に妙に愛嬌がある。そう、この男にはカリスマがある。今まで「意味のないことに命を賭ける」ことをクールと思ってきた命知らずが、終盤で(決してアメリカのためなんぞでなく)罪のない人々の命を救うために自分の命を賭ける決心を語るシーンにはマジでジーンとしてしまったよ(←バカ) つまりヴィン・ディーゼルはバカバカしくてまるでマンガのような「おはなし」に命を吹き込んでいるのである。「ピッチ・ブラック」「ワイルド・スピード」そして本作と、いまや確実に次の20年のスタローン/シュワルツェネッガーの道を歩んでいるように思う。 それとテロリスト組織のボスの女(もちろんヴィンちゃんに寝返る)というヨゴレ・キャラのヒロインにアーシア・アルジェント(!)をキャスティングした奴は天才だな。ハリウッド女優では到底ありえないハマリ方だし、アーシアもまた私生児の養育費捻出のためのハリウッド進出に これ以上の適役は考えられまい。 サミュエル兄貴も草波検事の役を楽しそぉ〜に演じてる。 ● 音楽はランディ・エデルマン。このような鳴らしまくりのアクション・スコアを書けるとは思いもよらなかった。 スタントに関してはもちろんヴィン・ディーゼルが自分ですべてを演じてるわけではないし合成もしてるだろうし雪崩とかはCGで足してるわけだが、それでも本作ではおそらく誰かが本当に落ちてるし、誰かが本当に雪山の急斜面を滑ってるのだ(実際、冒頭の橋からのジャンプのスタントでは1人死んでる) そしてその迫力は確実に画面に反映している。まさに娯楽アクションとして文句のつけようがない出来。あー面白かった。

★ ★ ★
スズメバチ(フローラン=エミリオ・シリ)

5人組の窃盗団が埠頭のコンテナ倉庫に侵入したところへ、ギャングのボスを護送中の警察車両が襲撃されて逃げ込んでくる。重武装したギャングの集団に囲まれて孤立した倉庫の中で、護送班の女性隊長と窃盗団は否応なく共闘することになる…という、見るからにジョン・カーペンター「要塞警察」のパクリなフランス産アクション。幸いにしてリュック・ベッソンが絡んでないので、フランス映画にしちゃ勘どころを外さず手堅くまとめている。 ● この5人組、出撃のときにみんなで「荒野の七人」のテーマ(「カム・トゥ・マールボロ・カントリー!」のあの曲ね)を口笛で吹いて士気を高めるんだけど──そしてそれはエンドロールの顔写真付きキャスト紹介でも思い入れたっぷりにリフレインされるんだが──それをやるんなら「荒野の七人」じゃなくて「リオ・ブラボー」でしょ。西部劇ならなんでも一緒だと思ってやがる。これだからフランス人てやつは…(以下略) ● タフな女性隊長に「クリムゾン・リバー」のナディア・ファレス。 窃盗団のリーダーに「TAXi」の爆走運ちゃん こと、サミー・ナセリ。 その親友で窃盗団のナンバー2に「ピアニスト」のブノワ・マジメル。 地味に登場してじつはどえりゃあ強え「沈黙」シリーズのスティーブン・セガールみたいな警備員に、パスカル・ゴレゴリー。 原題は「スズメバチの巣」。ギャング側の「顔」や「個性」が一切 描かれず、スズメバチみたいにブンブンいいながら襲ってくることから付けられたようだ。

★ ★
9デイズ(ジョエル・シュマッカー)

製作:ジェリー・ブラッカイマー

アメリカのベテラン諜報部員が止むを得ぬ理由により素人を潜入スパイに仕立て、世界を破滅から救うべくチェコの首都プラハに巣食う犯罪組織に送り込む・・・というプロットは偶然にも「トリプルX」とまったく同じだが、作り手たちの志は天と地ほども違う。ブラッカイマー製作×クリス・ロック主演という組合せからまともなものを観せてもらえるとは初手から思っちゃいなかったが、それにしてもヒドい。こんなもんでよかんべイズムの横溢する脚本による、気の抜けたアクション・コメディである。CIAのベテラン・スパイが殺され、急場の代役として一卵性双生児であるNYのチンピラがスカウトされる…という設定なのに、クリス・ロックは「CIAのベテラン・スパイ」を演じているときも「すました顔でCIAのベテラン・スパイを演じてるつもりのNYのチンピラ」にしか見えないし、アンソニー・ホプキンスに至ってはそもそもこの役になんでこんな老人がキャスティングされているのか皆目 見当がつかない。だいたいジョエル・シュマッカーって「タイガーランド」んときに「もう空虚なハリウッド大作はコリゴリ。ああいう心のない映画は2度と撮らない」って言ってなかったか?

★ ★ ★
宣戦布告(石侍露堂)

監督名はこれで「せじ・ろどう」と読む。製作も監督自身。どう安く見積もっても製作費5億円は下らないであろう規模の作品にもかかわらず、東映は配給だけで金は出してないようだし、テレビ局も出版社も絡んでいない。いったい誰が金を出してるんだかさっぱり謎の軍事シミュレーション・サスペンスである。おそらく出資者/社がビビッて途中でフケたんだと思うが、そのために公開に時間がかかり(製作開始はこちらが先にもかかわらず)「トータル・フィアーズ」の二番煎じに見えてしまうのは生憎だった。 ● 作者の主張が右にあろうが左にあろうが娯楽映画としてはまずまず面白く出来ている。山本薩夫なき現在の日本映画の枠内に限れば「大健闘」と言ってもよいだろう。自衛隊の協力を得られなかったせいで「資料映像」がショボいのは仕方ないとして、東映が15億 使って作ったとしてもほぼ同じ顔ぶれだろうと思わせる豪華ベテラン&曲者俳優陣の掛け合いは見応えがある。なかでも夏木マリ! あの役に幾ばくかのリアリティを付加できる日本人俳優はほかに考えられない。阪本善尚の撮影もまた素晴らしい。冒頭のレインボーブリッジから東京タワーへ向かって上陸する空撮カメラなど一瞬、NYの夜景かと思った。 ● しかしあれだな。たった11人の武装ゲリラにも適わないでバタバタ撃ち殺されちゃうってのは、陸自、弱えぇ…。ま、逃げる敵を追撃もせず部下の死を大声で嘆き悲しんでるようじゃ勝てるわけないわな。脚本読んで自衛隊が協力拒否って、そりゃ当然だろう。 あと細かいツッコミだけど「国籍不明の潜水艦が敦賀半島で座礁」って第一報を聞いて目の前にいる外務大臣を呼び止めないってのは不自然でしょう>首相。 なお、BBSで話題になっていた白島靖代の結婚引退前のムフフについてだが、残念ながらほんの一瞬(それも後ろから)でム?」程度であったことをご報告申し上げる。

★ ★ ★
竜馬の妻とその夫と愛人(市川準)

三谷幸喜の舞台劇に市川準が惚れこみ、三谷自身の脚色により映画化・・・ってわりには、ちっとも笑いのハジけない、いつもの市川準・流のしんみりしたラブ・ストーリー。台詞と喋り方は完全に現代語なんだけど、セット背景美術衣裳結髪撮影照明が本格的な時代劇なのがかえってチグハグ。おれは原作舞台は未見だが、前半中盤をベタなコメディにしてくんないと終盤の転調が活きないし、鈴木京香はもっと自堕落でどうしようもない女…つまりつかこうへいキャラとして描いてくんないとラストの目の覚めるようなキメ台詞が効いてこない。これは三谷幸喜のみならず、シチュエーション・コメディを演出するときの基本中の基本だと思うんだが、市川準はてんでわかってない。てゆーか、初手からそういうものを作る気はサラサラなかったようだが、それじゃいったいぜんたい三谷幸喜の芝居の何処が気に入ったのかね?>市川準。鈴木京香の美しさに免じて星3つ。

★ ★
D o l l s(北野武)

こりゃ黒澤明の「夢」だな。功成り名を遂げた作家の手慰み。観客不在のひとり遊び。手を変え品を変え日本中にロケしても本物の人形浄瑠璃「冥土の飛脚」の百万分の一の情感も持ち得ていない。北野武のフィルモグラフィでは「みんな〜やってるか!」と同じ位置に置かれるべき作品。三橋達也のエピソードの途中で観てらんなくなって松原智恵子と深田恭子の登場前に途中退出。

★ ★ ★
歩く、人(小林政広)

ピンク映画の脚本家としてはサトウトシキとのコンビにおいて幾多の娯楽映画の傑作を書いてきたのに、みずからのプロダクションで監督するときは「海賊版=BOOTLEG FILM」「CLOSING TIME」「殺し」と、一転して鼻持ちならないヌーベル・バーグかぶれとなる小林政広の最新監督作は、なんとバカ兄弟ものだった! 「バカ兄弟もの」とは小林政広が上野俊哉監督のために「白衣と人妻 したがる兄嫁」「したがる兄嫁2 淫らな戯れ」「どすけべ姉ちゃん」「新・したがる兄嫁 ふしだらな関係」と連作してきた「しっかり者の嫁と結婚した家長的なキャラの兄(でもバカ)と、小ズルく立ち回ったつもりで失敗ばかりの情けない弟(やっぱりバカ)の、はたから見るとバカとしか言いようがない、でもだからこそ他人事とは思えない奮闘」を描いたウェルメイドなコメディ・シリーズである。なんでも「殺し」に主演した緒形拳が小林の未発表脚本を読んで「せびこの役を演りたい」と熱望して実現した企画だそうで、女優が3人でそれぞれ「あ、ここで濡れ場だな」と(実際は無いんだけど)容易に想像がつくストーリー展開だったりして、明らかに元はピンク映画用の脚本だったのだろう[追記:実際は東芝日曜劇場 用に書かれた脚本だったそうだ] ● 大都会・東京ならまだしも、北海道の増毛などという何処にあるのか見当もつかない田舎で売れないミュージシャンを続けてはや12年という救い難いバカ兄で「だけどガキも生まれることだしここらで見切りをつけて実家に戻って堅実に暮らすか」などと考えてる、ピンク映画版で言うならば本多菊雄の役に香川照之。 先に兄に家出されたせいで実家の造り酒屋を継いで偏屈親父の世話をするはめになり、彼女にも見捨てられちゃう情けないバカ弟=江端英久の役に林泰文。 初めて登場するバカ兄弟の偏屈親父…かと思ったら、毎日せっせと雪中を何キロも歩いて鮭の稚魚の養殖場に勤める自分の娘みたいな歳の女を口説いてるスケベ親父=ピンク映画ならばさしずめ港雄一の役に緒形拳。 女優陣は、今回あまりしどころのない兄嫁=佐々木ユメカの役に大塚寧々。 弟に別れ話を切り出す恋人(=ピンク映画ならここが新人女優枠)に演劇畑から占部房子。 そして鮭の養殖場のワケアリ女という葉月螢の役に・・・葉月螢ご本人! そう、小林政広=サトウトシキの「団地妻」シリーズなどのヒロインとして、例の独特の棒読み台詞で、小津安二郎を思わせる短い言葉の反復のリズムでドラマを刻んでいく小林脚本の魅力を開花させた女優その人である(本作では──おそらく本名の──「石井佐代子」名義でクレジットされているが、パンフに掲載のフィルモグラフィにはちゃんとピンク映画が載っている) 彼女にとって一般映画でここまで大きな役は初めてのはずだが、緒形拳を向こうにまわして存在感では1歩もひけを取らぬ素晴らしさ。そしてまた、それを後押しする小林政広の葉月螢への愛情がひしひしと伝わってくる。 それに比べて香川照之と大塚寧々はヘタに「自分の間」で喋ろうとして小林政広ダイアローグのリズムを台無しにしていた。それで演技が巧いなんて大きな勘違い。 ● ストーリーは、3人の男たちの三者三様のバカあがき。けっしてチラシのコピーにあるような「愛妻の三回忌に、ふたたび息子たちとの絆を取り戻そうとする男…」というようなウェットな話ではない。ナレーションの代わりに緒形拳の自作&自筆による俳句というか川柳のようなものが挿入され、トボけた味を演出している。ときおりカメラの動きが自己主張しすぎてうるさいのが難だが、総じて楽しい出来のコメディである。次もぜひこの調子で肩の力を抜いて頼んますよ>小林政広。 ● フィルムに刻印された「ヌーベルバーグかぶれ」の残滓として、例によってフランス語のタイトルに続いて「1:1.66」とスクリーンサイズを指定したクレジットが出るんだけど、たしか東京での上映館である三百人劇場ってヨーロピアン・ビスタのレンズを持ってなかったはず。それは中国映画祭とか行くと歴然で、実際この日も(おれの目に間違いが無ければ)ただのアメリカン・ビスタ 1:1.85 で上映してた。ま、たしかにアタマやアゴが切れたりはしてなかったが、コダワリの映画作家センセイは いいのかね それで?

★ ★ ★
ミーン・マシーン(バリー・スコルニック)

製作総指揮:ガイ・リッチー

看守と囚人がサッカーで対決!って、まんま「ロンゲスト・ヤード」じゃん・・・と思ってたら、なんとビックリこれ「ロンゲスト・ヤード」(1974)の正式なリメイクなのだった>「映画『ロンゲスト・ヤード』に基づく」とクレジットが出る。 ● とはいえ、なにしろガイ・リッチー製作総指揮だから、ロバート・アルドリッチ×バート・レイノルズの男臭い1970年代映画の感触とは大違い。なんだか軽〜いノリのコメディにしか見えない。「アクション・コメディ」ではない只の「コメディ」である。せっかく ついこないだまで本職のイングランド代表選手だったヴィニー・ジョーンズ(=「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「スナッチ」「60セカンズ」のゴッツいおっさん)を主演に迎えてるってのに肝心の試合シーンがおっとろしくヌルいし、看守 対 囚人の因縁もぜんぜん火力不足。看守側はもっと極悪でなきゃ。胸毛もないし(なんだそりゃ) 話の構造上、最後はなんとなく「面白い映画を観た」気にさせられてしまうので騙されたフリして星3つ。…ま、もっともそれだと(相対評価では)「ロンゲスト・ヤード」は星300ぐらいになっちゃうんだけどさ。 ● 人喰いゴール・キーパーにジェイソン・ステーサム。同じ「ロック、ストック…」つながりでジェイソン・フレミングも実況担当の囚人役で友情出演している。

★ ★ ★
モンスーン・ウェディング(ミラ・ナイール)

「カーマ・スートラ 愛の教科書」のミラ・ナイールの新作。世界中から親戚が集まってくるインドの大家族の結婚式のてんやわんや。新しい恋が芽生え、家族の秘密が暴かれる。すなわちロバート・アルトマン「ウェディング」のインド版変奏である。もっともニューデリーが舞台で出演者は全員インド人であっても(トラン・アン・ユンの映画がベトナムを描いていても「ベトナム映画」ではないのと同じ意味で)本作は「インド映画」とは呼べない。台詞は英印混合。クレジットは英語。いわゆる「マサラ映画」と比べると、よりリアル志向だし、インド映画では決して描かれない類の道徳的腐敗も描かれる。もちろん最後はハッピー・ウェディングになるわけだが、この映画が物足りないのは「いろいろあったけどみんな幸せでよかったね」となるべき大団円における高揚や至福感が(標準的なマサラ映画と比べても)不十分なのである。だいたいあれは「披露宴」であって、肝心の「結婚式」はエンドロールの合い間にちょろちょろっとあるだけ…ってのは、いいのかそれで!?

★ ★
テキサス・レンジャーズ(スティーブ・マイナー)

テレビだねこりゃ。テレビ的なぬるい脚本と演出による、シネマスコープ・サイズをまったく活かさぬ窮屈なテレビ撮影@しかもMTV風味の画面の中で、テレビの若手スターたちがテレビ的演技をくりひろげる西部劇もどき。クライマックスは州知事公認のテキサス・レンジャーズがメキシコに侵略して悪い奴らを皆殺しにしてメデタシメデタシ。監督は「ハロウィンH20」「UMA レイク・プラシッド」を経てふたたびあちら側へ渡ってしまったスティーブ・マイナー。台湾人アン・リーの「楽園をください」のほうがなんぼか面白いぜ。

★ ★
SUPER 8(エミール・クストリッツァ)[キネコ作品]

「黒猫・白猫」にも出て来たエミール・クストリッツァのジプシー楽団「ノー・スモーキング・オーケストラ」のワールド・ツアーを追ったミュージック・ドキュメント/ロードムービー。驚くべきことにこのアマチュア・バンド、ヨーロッパでは大人気のようで、篇中でもパリのオペラ座を超満員にしている様子が写るが、腕のほうは「アマチュアにしては上手い」という程度。演ってる音楽もジプシー・ミュージックをロック・アレンジしたもので、ロックとしてはダサダサ。ま、そのダサさがいかにもフランス人好みではある。クラッシュのジョー・ストラマーがゲスト出演。しかし「スーパー8・ストーリーズ」って原題でビデオ撮りが主ってのは詐欺じゃないのか?

★ ★ ★
“新”絶叫計画(キーナン・アイボリー・ウェイアンズ)

品性下劣な下ネタ&差別ネタ専門パロディの続篇。驚くべきことにこれが前作より面白いのだ。今回の基本フォーマットは「ホーンティング」。前作の「スクリーム」な惨劇を生き残った面々が(てゆーか、前作で死んだはずの奴までいる気が…)ティム・カリー扮するどスケベ大学教授の招きで(単位欲しさに)幽霊屋敷に集められるが…という設定で、下手すると「ホーンティング」よりは面白い(そりゃアンタ比較対象が…) ● ヒロインは前作同様ケイティ・ホームズ似のアナ・ファリス。トリ・スペリングがおバカな淫乱女子大生役で出演している。パロディ・ネタは有名どころばかりなので日本人にも問題なく通じるはず。ひとつだけ日本じゃ(ほとんど)誰も観てなさそうなネタを解説しとくと、冒頭の大学キャンパスでヒロインが黒人の友だちに身のこなしやダンスを習うのは「セイブ・ザ・ラストダンス」のパロディだ。 ● 今回、アヴァン・タイトルのお楽しみは「エクソシスト」篇。あのジェームズ・ウッズがカラス神父に扮して悪魔憑き少女と対決するのだが、そりゃアンタ、ジェームズ・ウッズに「ファック・ミー!」とか言ったら どーなるかは目に見えてんでしょーが。 ● この映画の「9月〈熱狂・絶叫〉ロードショー!![ニュー東宝シネマ]」と書かれた去年のチラシを持ってるのだが、その後、ご存知のように公開は無期延期となった。おれは昨秋の東京ファンタで観たのだが「スクリーンで観られるのはこれが最後かも」と当日の司会者も言っていた。これ、片端ネタがキョーレツなのだ。屋敷の執事の片手が(手萎えと言うのかなんと言うか)ミイラみたいな萎縮した手でやたらとゲストに触ってきては、ゲストがことごとく「ウゲー気持ち悪りー」という反応を示す。しまいにゃその手でマッシュポテトを掻き回したりすんのだ。それに加えて教授の助手のメカニック担当が車椅子のスダレ若ハゲ(…いや、ハゲはいいのかこの場合) で、この手萎えと膝行(イザリ)が相手の身体的欠陥をネタにした悪意あるジョークを言い合ったりするわけである(字幕ではかなりボカしてある) そら保守的な東宝がビビるわけだぜ。だけどビビッた東宝も悪いが、前作が東急系で儲けさせてもらったのに続篇のブッキングを東宝に浮気したヘラルドの自業自得って気もするなあ。最初っから東急レクリエーションに持っていけば良かったんだよ。だって黒人とケニー君が罵倒しあう西部劇を堂々と正月映画として公開した会社だぜ。 ● ・・・と書いてから1年。紆余曲折のすえにようやく東京地区では銀座シネパトスと新宿ジョイシネマという(東急系でも東宝系でもない)ヒューマックスの映画館で公開されたわけだが、BBSでのしまさんの指摘によると上映時間が8分ほど短くなっているらしい。おお、たしかに去年のチラシでは1時間23分となっていた上映時間が今年のチラシじゃ「1時間15分」になってる! お藏入りしてる間にフィルムが乾燥して縮んじゃったのか!?(…なわけない) というわけで公開バージョンに上記の悪趣味なギャグが生き残っているかどうか保証の限りではないので悪しからず。

★ ★ ★ ★
子連れ極道 地獄へまっしぐら(サム・メンデス)

「アメリカン・ビューティー」で監督デビューして、いきなりアカデミー作品賞&監督賞を獲っちまった演劇界の若き鬼才サム・メンデスの第2作は20世紀フォックスにしちゃマトモな邦題のとおり、なんと小池一夫+小島剛夕の劇画「子連れ狼」(にインスパイアされたアメリカ製の劇画よみものを映画化した娯楽やくざ映画であった。原題は「ロード・トゥ・パーディション(=地獄へ続く道)」 ● 1931年の冬。禁酒法時代のアメリカ。愛する妻と2人の幼い息子の前では、寡黙な、しかし良き家庭人であるマイケル・サリヴァンは、じつは街のゴロツキどもが名前を聞いただけで震えあがる凄腕のアイリッシュ・ギャングである。孤児の自分を拾って育ててくれた暗黒街の老ボスを実の父親のように慕っており、老ボスもまたマイケルを息子のごとく頼りにしている。だが不幸は、老ボスにはやはり稼業の一員である出来の悪い、そして嫉妬ぶかい実子がいたことだった…。ストーリーはまさしく諸兄のご想像のとおりに展開し、誰もそうなることを望んではいないが、しかし避けようのない悲劇的な結末へとまっしぐらに突き進む。やくざ映画ファン必見の傑作。 ● ベテラン・カメラマン、コンラッド・L・ホールの撮影が素晴らしい。MTV的テクニックとは無縁の風格ある絵作り。すべての場面がそのまま挿絵になりそうなキマリまくった構図と照明。じつを言うとトム・ハンクスはミスキャストで、どう見てもギャング顔じゃないし(興行的要請を無視すれば)ここはハーベイ・カイテルとかエド・ハリスあたりの一見 無骨で無愛想な役者を持って来たかったところ。だが、主役の弱さを差し引いても余りあるのが老ボスを演じるポール・ニューマンの素晴らしさである。一度は「もう俳優は引退したから」と断ったのを是非にと口説かれて出演した77歳の老優は、二枚目の壮年期、味のある老年期を経て、いまや生身の役者を超えたなにかべつのものの領域に達しているように思える。ポール・ニューマンを観るためだけでも本作には木戸銭を払う価値がある。 ● 「蛇のような追っ手」を演じるジュード・ロウはもっと厭らしくてもよかった。 性根の腐った実子に「トゥームレイダー」の男トゥームレイダーこと、ダニエル・クレイグ。 序盤で実子に謀られて犠牲となる地元のボスに「トータル・フィアーズ」のロシア大統領こと、シアラン・ハインズ。 「大五郎」役の子役がレイ・リオッタそっくりなので、おれはてっきりエピローグでは「一人前のギャング」となったレイ・リオッタが出て来るんだとばかり思ってたよ。

★ ★
サイン(M.ナイト・シャマラン)

トンデモ映画である。メル・ギブソン主演のこの秋 必見のA級超大作!…と、どれだけ宣伝されていようとトンデモ映画であることに変わりはない。もしこの映画を観終わって深く感動したりしてるよーなら、あなたは新興宗教アムウェイに説得されやすい性質なので気をつけたほうがいい。ブエナビスタ宣伝部もこれがトンデモ映画だということは自覚してるようで、マイナスの口コミを恐れてか、映画館の出口でA3見開きサイズの「完全解析マニュアル」なるチラシを配布して、お客さんに本作が「感動ドラマ」であると無理やり納得させようと無駄な 努力を続けている。 ● もちろん本作もM.ナイト・シャマランの自作脚本。「シックス・センス」「アンブレイカブル」に続いて「チープなジャンル映画のストーリーを、リアルなホームドラマとして語り直す」というスタイルは健在で、本作もまた「とあるジャンル映画の古典」のストーリーをフィラデルフィア郊外のトウモロコシ農場の一家に限定して語り直したものなのだが、そうした筋立てはいわば背景であって、核となるのは「妻を交通事故で失って以来、信仰を捨てた元・牧師の話」なので、あなたがクリスチャンでない限り感情移入は難しいだろう。普遍性という意味からいえば「母親を失って以来ギクシャクしている父と子どもたちの関係」の描写にもっと時間を割くべきだった。 ● そもそもメル・ギブソンを主役に据えるような話じゃないのだ。これはウィリアム・ハートとかケビン・クラインとかビル・パクストンが主演すべきストーリーで、ホアキン・フェニックスが演じている「同居してる元マイナー・リーグのホームラン・ヒッターの弟(子どもたちからみれば叔父さん)」役のほうにウディ・ハレルソンとかダニエル・ボールドウィンあたりの肉体派を配すべきなのだ。…ま、メル・ギブあたりを持ってこないことにゃ莫大な脚本料を支払えるだけの特大ヒットは望めないからってとこなんだろうけどさ。 ● 最後にひとつだけネタバレなツッコミを。そもそもあいつらは[水が苦手なくせに何を好きこのんで表面積の70%が水に覆われている星にやって来て、体積の70%が水分である生物を捕食しよう]などと考えるのだ!? それとも、それを百も承知の上でどうしても[地球]でなくてはならない理由でもあるのか? …え、ひょっとして[ジャミラ]? あなたがた[ジャミラ]なの!?

★ ★ ★ ★ ★
アマデウス[ディレクターズ・カット](ミロシュ・フォアマン)

じつを言えば1985年の公開当時に観たときはあんまりピンと来なかったのよ。まだ大学生だったからね。ま、さすがに当時も自分がモーツァルトだなどとは思ってなかったが、いよいよ自分がサリエリでさえない凡人だと思い知らされる歳になって観ると身に染みるものがある。初公開時より20分 増えて、上映時間は180分。なにぶん17年前のことなので何処が増えたんだか詳説できないのだが、今となってみるとこのバージョン以外には考えられない無駄のない3時間である。あ、ちなみにモーツァルトの若妻の乳出しは前には無かったはず(←そーゆーとこだけ憶えてる自分がヤだ) ● シネマスコープ・サイズ。5.1chドルビー・デジタル。東京での上映劇場はテアトル・タイムズスクエアだが、オープン以来4本目でようやくこの劇場の「真価」を発揮できる作品に巡りあったわけだ。このあとはまたル・シネマやガーデンシネマに任しときゃいいよーなミニシアター向け作品が続くので、比肩なき巨大スクリーンとJBLスピーカー・システムの威力を体感したかったらお見逃しなく。DVDなんかで観たってツマランよ。


イン・ザ・ベッドルーム(トッド・フィールド)

ストーリー展開がひとつのサスペンスになっている映画なのだが(星の数からお判りのとおり)今回は人に勧めるつもりで書いてないのでネタを割ってしまう。シシー・スペイセクの森光子ものである。ちょいはすっぱな子連れ女(マリッサ・トメイ)と付き合ってた自慢の息子を、女の元夫に殺された老夫婦が復讐する…という話。原作小説のタイトルは「殺し(Killings)」。「シンプル・プラン」みたいな感じで映画化すれば面白かったと思うんだが、残念ながら「シンプル・プラン」ではなく「白い刻印」なのだった。冒頭30分が「ラブ・ストーリー」篇で、ラスト10分が「復讐」篇。あいだの一時間半は愛する息子を失ったシシー・スペイセクの辛気臭い森光子 演技を見せられるわけである。結末は想像ついたので「ひょっとして終盤で転調して面白くなるかも」とはかない期待を抱いて我慢してたんだが…。 ● タイトルは、メイン州特産のロブスター漁を手伝ってる息子に老漁師が言う「仕掛けの金籠=ベッドルームに2匹の雄が入ってしまうと喧嘩して爪がもげちまうので気をつけにゃいかん」という台詞から。てゆーか、この老人、預言者よろしくロブスター漁にかこつけて映画の結末まで語ってたりするのだった。 マリッサ・トメイは暴力亭主が何度も押しかけてきてんのに「(父親が逮捕される姿を)子どもに見せたくない」とかホザいていっこうに警察に電話しなくて、それが悲劇に結びつくんだが、どー考えたってまず警察 呼んで、暴力亭主が近づけないよう裁判所命令を出してもらうのが得策だろ。

★ ★
ダウン(ディック・マース)

「小さな目撃者」「アムステルダム無情」のオランダ人監督がアメリカ映画のキャストを起用して一部をニューヨークにロケして英語で撮ったオランダ映画。アメリカでは未公開のようだ。「エレベーター怖い」って話で製作会社の名前が First Floor Features1階映画社)ってのが笑っちゃうね。内容は懐かしや第1回目の東京ファンタで上映されたディック・マース自身の長篇デビュー作「悪魔の密室」(1983)のリメイク。8割方のエピソードがそのまま踏襲されている。 ● 舞台は、NYの(エンパイア・ステート・ビルとクライスラー・ビルのイメージを融合した感じの)ミレニアム・ビルという架空の102階建てのビルに移されていて「10年前のツイン・タワーの事件」という台詞があるから近未来という設定か。2011年になっても相変わらずあのバカは権力の座に居座りつづけているようで、劇中での大統領は狂ったエレベーターの暴走事故に対しても「親愛なる国民の皆さん、またも卑劣なテロの犠牲者が出ました。政府は断固たる措置をとります」とブッシュそっくりの口調で演説して、ビルに武装警察隊を送り込むのであった…。 ● ま、おれがいちばん笑ったのはそのシーンで、全般的にはちょいスロー・スタートでいまひとつ盛り上がらないままジ・エンドとなる。…ってダメじゃんそれじゃ。B級映画の面白みという点では「悪魔の密室」のほうが上だな。デビッド・リンチの演出から解き放たれたナオミ・ワッツだけはめいっぱいB級っぽさを漂わせてるんだけどさ。助演のマイケル・アイアンサイドとベン・ヘダヤはいつもの持ち役ながら、なんかえらく遠慮してる感じ。ロン・パールマンがちょい意外な役まわりだった。

★ ★ ★
記憶のはばたき(マイケル・ペトローニ)

配給会社には3種類ある。メジャーとインディペンデントとギャガである。メジャーとはアメリカのメジャー・スタジオの日本支社で、ワーナー・ブラザース、UIP(ユニバーサル+パラマウント+ドリームワークス)、20世紀フォックス(+MGM)、ブエナビスタ(ディズニー+タッチストーン)、ソニー・ピクチャーズ(コロムビア)の5社。インディペンデントとは日本の独立系の配給会社のことで、東宝東和、松竹、ヘラルド映画、アスミック・エース、東北新社、アミューズ、シネカノンそのほか沢山。そしてギャガはギャガである。メジャーの配給本数の合計とインディペンデントの配給本数の合計はほぼ等しく、ギャガ1社の配給本数もほぼそれに等しい(※当サイト推測) だからこの会社はなんとかグループとかなんとかシネマと、把握できないぐらい細かく小分けされていて、オーストラリア映画である本作は「配給:ギャガ・コミュニケーションズ アジア・オセアニア映画グループ」とクレジットが出る。外務省か。 ● 少年の頃、取り返しのつかない過ちを犯して故郷の村を逃げ出して以来、大都会メルボルンで暮らしてきた精神分析医が、父の葬儀のために20年ぶりに帰った故郷で、謎めいた1人の女と出会う…。「イノセント・ボーイズ」「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」の脚本家 マイケル・ペトローニの(オリジナル脚本による)初監督作。純文学作品である。文芸雑誌に載ってる短篇という趣き。観てるあいだは、てっきり原作があるんだと思ってた。ジャンル分けすれば「心理サスペンス」なのだが、なにしろジュンブンガクなので超現実的なことが起きても不思議じゃないのだ。過去の傷痕に苦しむ主人公にガイ・ピアース、その幼なじみの 小児麻痺で両肢が不自由な文学少女の成長した姿(かもしれない)女にヘレナ・ボナム・カーターというキャスティングが抜群。ヘレナ・ボナム・カーターはヌードあり。原題の「TILL HUMAN VOICES WAKE US」はT.S.エリオットの詩篇の「人の声に目覚めるまで ぼくたちは溺れている」という一節から。少女の父が少年に言う名台詞>「ガキの頃、体じゅうの骨が痛くてな。親に言ったらそれは成長するための痛みgrowing pain)だと言われた。魂だって同じことだ」

★ ★ ★
ノー・マンズ・ランド(ダニス・タノヴィッチ)

カトリン・カートリッジ、死んじゃったねえ。まだ41歳ですと。 ● さて、彼女がTVレポーターとして出演した本作が観客に残してくれる最大の教訓はなんと言ってもやはり「戦争をするときのパートナーはドイツ人に限る」ってことだな。さすがドイツ人、頼りになるね。時間に正確だし。…いや、まあブラックユーモア小噺としてはたいへんに良く出来ていると思うのだ。だけどこれが「戦争の真実を描いた」とか「普遍的で強烈なメッセージを持つ傑作」とか言われちゃうと、それはちょっと違うだろと思う。だってこのボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身の監督はボスニアの立場からのプロパガンダを巧みに劇中に忍ばせているもの。

★ ★
ジャスティス(グレゴリー・ホブリット)

いちどは原題の「ハーツ・ウォー」でポスター&チラシが製作され予告篇まで上映されていたにもかかわらず「ウインドトーカーズ」の次回作品になってしまったために「戦争映画2連発はダメよ」と東急編成部からダメ出しをくらって公開タイトルが変更となり(←当サイト推測)サスペンス映画タッチのポスター&チラシ&予告篇が作り直されたという曰くつきの作品。ギャガ宣伝部も災難でしたなあ。てゆーか、たしかにこれ、戦争映画じゃないじゃん。第二次大戦末期の捕虜収容所を舞台にした人種差別ネタ絡みのサスペンス・ミステリなのである。ミステリなのにギャガは宣伝でデカデカとネタを割っちゃってんだけどバカか? ● ドイツの連合軍(と言いつつ居るのはアメリカ兵ばかりの)捕虜収容所で殺人事件が起こる。殺されたのは白人兵。容疑者は黒人将校。捕虜兵の責任者ブルース・ウィリスは、収容所長に軍事裁判を要求する。「軍事裁判か。アメリカ映画のような?…そいつは面白そうだ」・・・というわけでアメリカ映画のお家芸である裁判劇が始まるのだが、ここに至るまでが(2時間5分の映画のうち)1時間もかかるのだ。長げーよ。クライマックスもちんたら長げーし、もう少し機能的な脚本が書けんか? ● 圧倒的に不利な裁判の弁護人を任されるのが、上院議員の息子ゆえ決して前線には回されない金持ちのぼんぼんでイエール大学の法学生という青二才の中尉。かれは序盤である過ちを犯していて、事件を通して成長し、最後には贖罪にあたる行為を選択する・・・という話のはずなんだけど、コリン・ファレルは最後までちっとも成長したように見えないし、そもそもあの「贖罪」は何をどうしようと思ってたんだかサッパリ解かんないのは、おれがバカなのか脚本家がバカなのか。で、またブルース・ウィリスがミスキャストなのだ。この役は「ワンス&フォーエバー」のサム・エリオットのような、あるいは「ブラックホーク・ダウン」のサム・シェパードのような、優しさや弱さのカケラもないザ・職業軍人という風情でなければ映画として成立しないのに。主役2人がダメなぶん、一筋縄ではいかないキャラの収容所長 役マーセル・ユーレスと、儲け役とはいえ黒人将校のテレンス・ハワードが目立った。監督は「オーロラの彼方へ」「悪魔を憐れむ歌」「真実の行方」のグレゴリー・ホブリット。

★ ★ ★
ウインドトーカーズ(ジョン・ウー)

「ウンドトーカーズ」なんて全部大文字で書かれると銀座通りでデパートのウインドウを見つめてぶつぶつ言ってる人が沢山出てくる映画かと思ってしまうなあ。 ● ジョン・ウーがひさびさに取り組んだ本格的な戦争映画。「男同士の熱い絆」を終身のテーマとする映画作家にとって まさにうってつけの素材かと思われたが、残念ながら不完全燃焼に終わった。地図に赤矢印がニョキニョキというトラディショナルな戦争映画で、実物の3倍ぐらい射程距離のありそうな火炎放射器とか考証クソクラエという大爆発の連鎖など「火薬を沢山使いたかったのね」というのはたいへんによく伝わってくるし、執拗な十字架の墓標の描写など意気込みはわかるのだが、肝心のドラマがいまひとつ不鮮明なのだ。 ● ニコラス・ケイジはジャップへの復讐に燃える自殺志願者で、左耳が聞こえないので平衡感覚(と頭)が狂っていて、演技の下手な人という設定。鼓膜の破れた左耳から聞こえるのは地獄の戦場で死んでいった部下の断末魔の呪詛である。かれはプロローグとして描かれる戦闘で死んでいて、劇中はずっと魂の抜け殻なのである。これは冒頭で死人となった主人公の魂が天国に召されるまでの話。だからジョン・ウーは(予告篇にはあった)ニコラス・ケイジと美しい看護婦さんが海岸に駐めたジープで「ねえ、世界は美しい場所なのよ」「いや、おれの行くところは違う」という場面を絶対にカットしてはいけなかった。まさにそれこそがドラマのキーとなるシーンなのだから。ならば当然ラストは、ナバホの通信兵の胸に抱かれたニコラス・ケイジの昇る朝日のオレンジ色が顔に差し「ああ…、世界は美しい場所だと忘れていたぜ」…ガクッ。・・・でなければならない。ついでに言うなら、本作はニコラス・ケイジの物語なのだから、ガダルカナル島での玉砕シーンはアバンタイトルとして、ナバホ居留地のシーンの前に置かれるべきである。 ● さすがに今度ばかりはトム・サイズモア兄貴は出ていない、と思ったらジェイソン・アイザックスが「パトリオット」「ブラックホーク・ダウン」に続いての戦争映画出演。ロケ地はハワイのホノルルで、ハワイ在住の日系人/日本人が大量に出演。日本兵の「顔」はいっさい描写されないが、エキストラの日本語が正確なのは特筆ものかも。日本兵はちゃんとふんどし着用だし。しかし根本的な疑問なんだが、当時のサイパン人って日本語をしゃべってたの? あと、いくらドラマだからって、軍の看護婦が、鼓膜が破れた兵隊を それと承知で戦場に送り返しちゃマズいだろよ。 ● あれっ?と思ったのは、この作品はMGM映画で日本は20世紀フォックス配給なのに「提供:ウインドトーカーズ・パートナーズ」というクレジットが出て(同じくフォックス配給の日本映画「OUT」も製作してる)ムービー・テレビジョンを始めとして数社の邦人企業の名前がズラズラっと並ぶのだ。ヘラルドやギャガのような邦人系配給会社ではない(ワーナー・ブラザーズやソニー・ピクチャーズやブエナビスタやUIPのような)メジャー・スタジオの日本支社が配給する作品でこのようなケース(=日本の会社が製作費の一部を負担してる?)は初めてではないか。やっぱMGMって貧乏なんすかね?

★ ★ ★
ワンス&フォーエバー(ランダル・ウォレス)

今年わらわらと公開された戦争映画の中ではいちばん戦争映画らしい戦争映画で、戦争映画ファンに1本お勧めするとしたらこれでしょう。戦況がよく判り、敵の姿もきちんと描かれ、指揮官を補佐する典型的な鬼軍曹(サム・エリオットが素晴らしい)が出てくる。ただ、どうしても割り切れないのが、最後に彼らは勝って悠々と自分たちの国へと引き上げてゆくのである。そこは彼らの家ではなく、そこを彼らの家とするつもりもない。かつてもそしてこれからも、そこはベトナム人の土地なのである。これは政治思想とは関係のない「戦争映画の話」として言うのだが──自分たちの土地を取り返すためでもなく、侵略して自国の領土を広げるためでもない「戦争」っていったい何なんだろう? 釣った魚を喰うわけでもなく放してやって悦に入ってる連中と同類の厭らしさを感じるぜ。けっ。 ● 原作ドキュメンタリーのタイトルが「WE WERE SOLDIERS ONCE ...AND YOUNG(かつて我々は兵士だった…若い頃)」で、映画化タイトルは「WE WERE SOLDIERS」とその前半だけを残し、一方、ギャガは後半を活かして「かつてもそしてこれからも」という、いつまで経っても過ちから学習しないアメリカを批判した邦題を付けたわけだ(そうなのか?) ● メル・ギブソンは「子沢山の敬虔なクリスチャン」というメル本人のような役。「ブレイブハート」「パトリオット」と、この人は宗主国ぶったイギリスが嫌いなんだとばかり思ってたが、ベトナム相手にドンパチやってる本作を観ると、ただ単に「戦争の英雄」を演じるのが好きなだけなのかも…。あと、幼い娘に「戦争ってなに?」と訊かれて自分に都合のいい嘘っぱちを答えてるが嘘つきは地獄行きだぞ。 ● 同じく敬虔なクリスチャンの穢れを知らぬ若者にクリス・クライン。 その若妻にTV「フェリシティの青春」「マンボ!マンボ!マンボ!」のケリ・ラッセル。 メルの銃後の妻にマデリーン・ストウ。 ヘリ部隊のリーダーに、めずらしく男臭い役を演ってるグレッグ・キニア。 語り部である従軍記者役にパリー・ペッパー。

★ ★
千年女優(今敏)

左目の下に泣きボクロのあるヒロインが時代を超えて愛を求めつづける。つまり「富江」と同じ話だな。そうかぁ? てゆーか、なんだよ。SFじゃないのかよ。「千年女優」なんてタイトル付けといて宇宙ロケットまで出しといてSFでもファンタジーでもないなんて詐欺だろ。いやだってこれがファンタジーだったら「空想場面を含む一人称回想もの」はすべてファンタジー映画になっちまうもの。 ● じゃ、なんなのかというと「ヒロインの回想による女優一代記」である。鎌倉で隠遁生活を送っている昭和の大女優にテレビの下請制作会社の社長がインタビューする。設定は原節子を、役柄は高峰秀子を思わせる大女優は、戦前の女学生時代に一度だけ出逢った青年アナキストを忘れられず「もう一度あのひとに逢いたい」という一念だけで女優を続けている。ドアを開ければ別の時代、振り向けば別の映画…という「スローターハウス5」のようなスタイルで次から次へと「戦中戦後を代表する日本映画の傑作群」を彷彿させる作品が回想され、そのなかでヒロインはつねに「愛しい人を追いかける役」を演じる。青年アナキストと敵役である「頬傷のある憲兵」もそれぞれの時代に合った役柄で繰り返し登場する。制作会社社長とビデオカメラマンはそのままの姿で作中映画に闖入して撮影を続け、女優の大ファンである社長に至っては途中から衣裳をまとってコミックリリーフを演じはじめる。 ● つまり基本的には「ヒロインのコスプレ七変化を愉しむ映画」なのだ。観ているあいだ中、ずうっと疑問だったんだけど、そんなものアニメでやる意味がどこにあるの? いやたとえばこれが麻生久美子ちゃん主演の実写映画だったらゼヒ観てみたいと思うけど、アニメだぜ? どの衣裳 着てもアニメなんだぜ? おれがアニメ村の住人じゃないせいかもしらんが、うーん、ようわからん。絵柄と演出がわりとリアリズム志向なのに、動画にはアニメ特有のワザとらしい手癖が頻出し、アフレコ演出はアニメアニメしたオーバーアクト…という乖離も気になった。「羨ましい」と「妬ましい」の区別も付いてない脚本(村井さだゆき)は「本格的なドラマ」と呼ぶには稚拙に過ぎる。どうやらこれはアニメ村限定の商品だったようだ。それならいっそ(例えが古くて恐縮だが)「うる星やつら」の番外篇としてラムとあたるによって演じられていたならば、もっと素直に楽しめたかもしれない。こんなの世界配給して大丈夫なのか?>ドリームワークス。 ● 作画・動画はマッドハウス制作にしちゃあ、ちょっと下手かも(女囚の場面だけ明らかにキャラデザイン違ってねーか?) ヒロインの20代の声に小山茉美。制作会社社長に飯塚昭三。幻の青年に山寺宏一。頬傷の憲兵に津嘉山正種。ビデオカメラマンが「関西弁で醒めたツッコミを入れて、演者(と観客)を現実に引き戻す」役割を負っているのだが、アニメで関西弁を使うときにはネイティブを使わないと実写以上に違和感が目立つ(…と書いてから公式サイトで調べたら、声をアテた小野坂昌也という声優は関西出身だって。ありゃ? ヘンなのはおれの耳のほうか) 音楽はP-MODELの平沢進。この人は今でもテクノなので、劇伴としてはちょっと安っぽいんだが、四人囃子みたいな主題歌はカッコいい。

★ ★ ★ ★
ゼロ トレランス(アンデルス・ニルション)

[ビデオ観賞]スウェーデン製のポリス・アクション(台詞も原語版) 本国では「踊る大捜査線」級の大ヒットをしたらしい。 ● 舞台となるのはスウェーデン第2の都市イェーテボリ。クリスマス・イヴの夜、宝石店の強盗殺人に遭遇した非番の刑事。カーチェイスの末に銃撃戦となり、2人組のうち1人は射殺したが、もう1人を取り逃がす。刑事は逃がした男の顔を見なかったのだが、その場に居合わせた3人の目撃者がおり、警察署での写真照合では3人が3人とも同じ写真を指差した。刑事たちが色めき立つ。なぜならその逃走した犯人こそ、長年にわたり警察の追及を逃れ続けてきた暗黒街の顔役だったからだ。逃走に使われたメルセデスは容疑者の妻の名義。これで巨悪を監獄送りに出来る! 顔役は翌朝、逮捕。だが面通しでは、3人の目撃者が揃って「あれは見間違いだった」と証言を翻す。そればかりか、顔役の自作実演にハメられた刑事が「容疑が晴れた一般市民」への暴行容疑で指名手配されてしまう。…というわけで、おなじみアメリカン・ポリス・アクションのじつに48%を占めると言われる(いや、おれが言ってんだけど)濡れ衣デカの四面楚歌ものである。これがセガール刑事だったら間違いなく街中で(法を無視して)極悪人をブッ殺して一件落着なのだが、あくまで「いちばん強いのは市民の勇気」という結論に持ってくのが北欧流か。ただ、どーしても納得できんのは、警察の留置場がおれの部屋より洒落てるってことだ。うーむ。恐るべし北欧デザイン。 ● 主演のデニス・クエイド似の刑事にヤコブ・エクルンド。事件のカギを握る目撃者に「アイズ・ワイド・シャット」で長廻しの泣き崩れを演ったマリー・リチャードソン。
※「映画秘宝」32号 所載分に加筆。

★ ★
エグゼクティブ プロテクション(アンデルス・ニルション)

[ビデオ観賞]スウェーデン製ポリス・アクション「ゼロ トレランス」の続篇。女署長からファシストと罵られ、書類整理係に左遷されてイェーテボリ警察本部を辞めた主人公は、かつての同僚がおこした民間の警備会社に就職。旧・東ドイツの国家秘密警察出身の企業やくざと対決することになる。この やくざ、表向きは新興の警備会社なのだが、地元やくざに悩まされている企業に近づいては「ワシんとこが保護しちゃるけん安心せいや」と本職のやくざを皆殺し。企業から「みかじめ料」として売上げの20%を要求するという世界一有能な警備会社なのである。もちろん支払いを拒否したりすれば「そら契約不履行ちゅうもんやろが。こんなは命が惜しゅう無いんかいのぅ?」と家族にまで累がおよぶことになる…。 ● フォーマットとしては「誘拐もの」なんだが、アクションはぬるいし、主人公があまりに愚鈍すぎて、出来はイマイチ。それでも映画は世界を写す鏡──ソ連の崩壊で共産党政権に代わって中央アジア/東欧諸国の金融・経済界の実権(それも裏ではない表の権力)を手中に収めた黒社会の勢力が、北欧にも進出しつつあるという現実がほの見えるのが興味深い。カーチェイスでは、なぜかトヨタ・ヴィッツとアルテッツァが大活躍する。エンドロールにソニー「シネアルタ」のロゴが出るってことは、いま流行りのHD24Pビデオカメラでの撮影のようだ。ただ画質は一応(ビデオ撮り特有のピカピカテカテカとは違う)フィルムルックだし、ブラウン管で見ちゃうと もはや判別できんな。ちなみに前作同様、英語吹替ではないスウェーデン語版。いかにもインチキ英語に見える邦題も、もともとの「海外向け英語タイトル」のまま…という妙に良心的なパッケージングである。
※「映画秘宝」33号 所載分に加筆。

★ ★ ★
ブラディ・ヴァンパイア(マイケル・オブロウィッツ)

[ビデオ観賞]人間とヴァンパイア族が「共存」を模索している近未来。謎のヴァンパイア殺人犯を追って、人間の刑事とヴァンパイア族の刑事がコンビを組んで捜査に当たる。最初は反発しあうが、数々の危険を協力して乗り越えていくことで、やがて2人の間には友情が芽生える…という、つまり「2人組刑事(バディ・コップ)もの」の秀逸なバリエーションであった「エイリアン・ネイション」のヴァンパイア版の本歌取りである(ストーリーも「エイリアン・ネイション」のTVシリーズ版にほぼ同じネタがあった気が…) ● 「エイリアン・ネイション」と大きく違うのは、あちらが近未来のロサンゼルスを舞台にしていたのに対し、本作は「吸血鬼とくればもちろん東欧」というわけで(てゆーか、予算の関係かもしらんが)ハンガリーのブダペストに全面ロケして、舞台を「近未来の架空の全体主義国家」に設定している点。「エイリアン・ネイション」における「異星人」が南米からの移民のメタファーであったように、本作において黒い服を着てひっそりと自分たちの暮らしを守っているヴァンパイア族はあきらかにユダヤ人社会をイメージしている。実際、ヴァンパイア刑事には「かつて人間だった頃はユダヤ人で、ナチスに家族を殺された」というエピソードが用意される。話の筋道も「迫害される異民族の悲劇」と「種族を守るために極端な思想に走る犯罪者」の物語であって、邦題から「ホラーとしての吸血鬼映画」を期待して観たらガッカリすると思う。 ● 原題は「THE BREED(種族)」 近未来SFとしてのプロダクション・デザインも、スモーク多用のリドリー・スコット(のCM)ばりの映像も魅力的とまでは言えないし、ヴァンパイア刑事がなにかというと二丁拳銃で横っ飛びするのには微苦笑を禁じえないが、ビリー・ゼイン/ジーナ・ガーション/シェリル・リーのフィルム・ノワールの佳作「ファイヤーワークス」のマイケル・オブロウィッツの演出は、まあまあ見応えアリなので星3つとする。 ● ヴァンパイア刑事に、TV版「暗黒の戦士ハイランダー」のエイドリアン・ポール(今度の新作劇場版ではクリストファー・ランバートとダブル主役!) 人間刑事に、アンドレ・ブラウアー似の禿頭黒人ボキーム・ウッドバイン。 古城に黒豹と住んでいる半裸コスチュームのヴァンプなヴァンパイアに、リチャード・ギア「北京のふたり」のヒロインを務めた東洋美女バイ・リン。 劇中に「バーバラ・スティール」って名前が出てくんのはやっぱ「血ぬられた墓標」を意識してんのかな?(全然そんなふうには見えんけど)
※「映画秘宝」32号 所載分に加筆。

★ ★
ソード・オブ・ザ・ファンタジー(マイケル・ローヴィッツ)

[ビデオ観賞]「ハリー・ポッター」と「ロード・オブ・ザ・リング」のヒットで、いま世界中のB級映画製作者たち(ロイド・カウフマンを除く)はワレモワレモと一斉にB級ファンタジー映画を作ってる真っ最中。それをまた日本のB級ビデオ会社が買いあさってるわけだ。すでにビデオ屋に行けばこの手のパチもん「ハリー」バッタもん「指輪物語」が棚1列を占拠してることだろう。もちろんその棚に並べられている(本来は「レーニャ 史上最強の戦士」という原題を持つ)本作が、どのような意図でこーゆータイトルを付けられているかは説明するまでもないだろう。 ● ドイツのテレビ映画。全能の神オーディンの啓示を受けたウェルズング族の〈百姓の娘〉が、伝説の〈王者の剣バルマラン〉を手に入れて、自分たち一族を滅ぼした〈キリスト教を信奉する異民族〉と戦う・・・という、北欧神話に材を取った「ジャンヌ・ダルク」で「エクスカリバー」な中世ファンタジー。まあ、北欧神話ってのはゲルマン民族に語り継がれたものだから、つまりドイツ人の物語でもあるわけだ。ただ93分しかないので「指輪」でいえばエルフの谷でパーティーが揃ってこれからってあたりで時間切れ。始まって90分してようやくエクスカリバーを引き抜いたと思ったら、それまでは最強最悪に見えた〈悪い魔法使い〉を残り3分でアッサリ倒してエンドマーク。てゆーか、普通に考えりゃシリーズ化を見越してのパイロット版だな、こりゃ。 ● ジェシカ・ハーパーというかリー・トンプソン系のヒロイン(アニヤ・クナウナー)は昨日まで百姓だったのに2、3日、稽古しただけで、女の細腕ながら自分の上背ほどもある大刀をブンまわす剣豪になる。まあ、それは神の御加護ってことで見逃してもいいが、殺陣のセンスが酷くて西洋チャンバラ映画としての魅力が皆無。フェンシングというより体操選手なのだ。剣の道をバカにすな! ● オーディン、ワルキューレ、ミーミルといった北欧神話の錚々たる面々も劇中での見た目は普通の人間でしかなくて、特殊視覚効果はふんだんに使われているが、あくまで「テレビの戦隊もの」レベルのビデオ特撮である。もちろんアップ中心のテレビ流撮影なので「雄大なスケール」や「ど迫力のモブシーン」を期待してはいけない。登場する馬もせいぜい10騎ほど。おまけにヒロインは神から授かった使命そっちのけで森の盗賊とのロマンスにうつつを抜かしてるし。つまるところ「剣」も「魔法」も「スケール」も「ストーリー」もB級なのである。ダメじゃん。アマンダ・プラマー系の白塗り黒魔女(ソニア・キルシベルガー)の、四肢を蜘蛛のようにあやつる体技はちょっと面白かったが、それだけ。ファンタジー映画(なら何でも観なきゃ気がすまない)ファン限定でお勧めする。
※「映画秘宝」33号 所載分に加筆。