m@stervision archives 2002a

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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦(原恵一)

脚本&絵コンテ:原恵一 演出&絵コンテ:水島努 美術監督:古賀徹&清水としゆき
声の出演:屋良有作 小林愛|羽佐間道夫 大塚周生|矢島晶子 制作:シンエイ動画
佳い日本映画を観た。シリーズ10作目は、2年続けての大傑作。ぜひご家族皆さんでお爺ちゃんお婆ちゃんも連れてお出掛けなさい。 ● 原恵一は前作「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」の大成功にいい気になって図にのって今度はなんと「時代劇」である。それも従来のクレしんパターンの「タイムスリップSF」や「時代劇のパロディ」じゃない。本格的な正攻法の時代劇なのである。東宝映画の伝統に則って言うならば黒澤明…というよりは、まるで稲垣浩が撮りそうな話なのだ。こいつは意表を突かれた。合戦シーンのテクニカルな考証の細かさなど、ここまで映像で描かれるのはアニメはもちろん実写を含めても初めてではないか?(もちろん合戦の迫力という面では実写に及ぶべくもないが) なに?「時代劇にお気楽&生意気な5歳児は出てこない」って? いやいや、本作でのしんちゃんは「コメディ・リリーフの流れ者」の役回りなのである。昔の時代劇をあまり観てないのでうまい例が思いつかないが、たとえば東映仁侠映画における藤山寛美の立場であり、近年のコメディ時代劇ではジェリー藤尾フランキー堺あたりが受け持っていたようなパートである。もちろん東宝には「生真面目な侍をおちょくる道化者」というキャラの大先達=エノケンこと榎本健一がいるのは言うまでもない。 ● 明朗快活な侍がいて、美しく気丈な姫がいる。国には争いごとがあり、身分違いの若い2人の恋がある。そして、お調子者だが侠気(おとこぎ)のある異国の者が、2人の恋を後押しして、争いごとを助太刀する。原恵一は子ども映画における「合戦」という大量死の直接描写を巧妙に回避しつつ、奇を衒うことなくまっすぐに話を転がし、最後にはきっちりと観客を泣かす。見事である。一篇の映画としてはじつに正しい。だが、おれの唯一にして最大の心配事は、しんのすけに ここまで「運命の無常」を経験させてしまって次回作からどうするのだ!?ということ。今までにもぶりぶりざえもん)との別れを経験しているしんのすけだが、あれは5歳の子どもにとって「ペットの死」と同じようなものだろう。だが、本作での経験は否応なく子どもを大人にしてしまうはず。たとえば「火垂るの墓」の妹が生き延びたとして、あの子は無邪気な子どものままで居られるだろうか? つまり、本作でしんのすけは成長してしまったのだ。いよいよ11年目にしてお気楽な5歳児であることを卒業してしまうのか、しんのすけ!? 次回作を刮目して待て! ● 原恵一の脚本時のオリジナル・タイトルは「青空侍」 いいタイトルじゃないか。予告篇のナレーターのつもりで声に出して読んでみ>「映画 クレヨンしんちゃん 青空侍」 ぜんぜんOKじゃん。ねえ? その声をアテているのはベテラン・屋良有作(やら・ゆうさく) 堂々の主役ぶりである。 お姫さまには前作のチャコに続いての小林愛。 脇をベテラン声優陣がしっかりと固めている。今回、ゲスト声優に「雨上がり決死隊」の2人が起用されているのだが、パンフを観るまでどの役かわからなかったほど映画に溶け込んでいる([野武士]の役)←それって意味ないのでは? あと前作に続いて原作者キャラの出番が無かったけど、この人、地元出身なんだから「春日部の民謡好きの百姓」の役かなんかで出してあげれば良かったのに。 本作では、赤ちゃんのひまわりが、まだ赤ちゃんなのに女の子なもんだから早くもママの味方になっていて、男どもがキレイなお姫さまにデレーッとすると、ママと一緒になってシレーッと冷たい視線を送るのがとっても可笑しい。まったく女ってやつぁ…。 なお、本作からデジタル制作に移行。コンピュータ上で彩色して、デジタルデータをフィルム・レコーディングしている。
ぶりぶりざえもん=劇中アニメのヒーロー。亡くなった塩沢兼人が声をアテていた。本作ではオープニング恒例の粘土アニメに特別出演!

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ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット)

製作:ジェリー・ブラッカイマー&リドリー・スコット 脚本:ケン・ノーラン
撮影:スワヴォミール・イジャック プロダクション・デザイン:アーサー・マックス
編集:ピエトロ・スカリア 音楽:ハンス・ジマー SFX:ミル・フィルム
横田基地を飛び立ったアメリカ陸軍最強のデルタ・フォースと精鋭レンジャー部隊が、ブラックホーク・ヘリから降下してオウム真理教の池袋本部を急襲、幹部信徒の逮捕をはかるが、武装した信者たちのおもわぬ反撃に遭い、一般市民をも巻き添えにした問答無用の市街戦に発展、池袋サンシャイン60階通り阿鼻叫喚の血の海と化す。もちろんこれは日本国民に害を及ばすカルト教団を撲滅せんとするアメリカ政府の正義の軍事行動である。さて池袋HUMAXシネマズで映画を観終わって出てきたあなたがこのような状況に遭遇したとして、目に前にAK-47を手にしたオウム信者の死体が転がっていたなら、あなたはそのAK-47どちらを撃つだろうか? ● この映画で描かれている事態はつまりそういうことである。リドリー・スコットはそれを隠そうとしない。もちろん劇中の米軍兵士たちの勇敢さは賞讃されるべきものとして描かれるが、だからといって兵士の死が軍事介入の正当さを証明するわけではない。むしろそれらの「死」が積み重ねられていくたびに虚しさだけが観客の胸を満たすだろう(てゆーか、観終わった時におれがまず思ったのは「とても兵隊にゃなれねえなあ」ということだった) おそらく今回、この英国人演出家に「観客をエンターテインしよう」という意志はない。リドリー・スコットはカオスをカオスのままに観客の前に投げ出す。なにしろ1度 観たぐらいでは、誰が誰なんだか、作戦がどうなっているんだか、自分がいまどこにいるのか、ほとんど判らないのだ。なぜなら戦場とはそういうものだから。耳を聾する爆音と、四方八方から飛び交う銃弾と、降りかかる粉塵のなかの2時間25分。この映画は紛れもなく「戦争」を描いているが、娯楽映画としての「戦争映画」とは呼べないかもしれない。あなたから体力と気力をごっそり奪っていく暴力的な映像&音響体験。覚悟を決めて観に行け。 ● 「グラディエーター」「ハンニバル」「ブラックホーク・ダウン」──リドリー・スコットはいま、間違いなくハリウッドの頂点にいる。それもスティーブン・スピルバーグのドリームワークス、ディノ・デ・ラウレンティス、そして本作のジェリー・ブラッカイマーと、ハリウッドを代表する製作者たちを相手に、好き勝手に思う存分、作家性を発揮しての成果である。64才にしてこのような複雑な大作をまとめあげる腕力と精細さがどこに潜んでいるのだろう。つくづく監督というのは人並みはずれた人種だ。後日 再見して感嘆したのだが、この圧倒的な混沌の下には精緻な設計図に基づいた巧妙なドラマが仕組まれている。初めのうちはイケイケドンドンの好戦映画そのもの。ヘリ戦隊の出撃シーンは鳥肌もののカッコ良さ。「おらおら土人ども蹴散らしたれや!」という気分になってくる。だが始まってちょうど1時間ほどで「ブラックホーク ダウン! ブラックホーク ダウン!」という台詞が発せられ、作戦本部のモノクロ・モニターの中で、堕ちた鉄の猛禽類の羽根がまるで巨大な墓標のように静止した瞬間から、悪夢が始まりそれは最後まで終わらない。脚本は「シンドラーのリスト」「今そこにある危機」「ミッション:インポッシブル」「ハンニバル」「ギャング・オブ・ニューヨーク」のスティーブン・ザイリアン(…だったはずだが、なぜか最終クレジットからは外れている) もともとは(製作総指揮に名を連ねている)サイモン・ウエストの企画だったそうだが「トゥームレイダー」で忙しくて自分で監督できなかった由。うむ、それは本当に良かった。 ● 意図的な演出のせいで顔の判別もおぼつかないキャスト陣の中では、地上展開部隊の責任者を演じる「真珠湾とノルマンディを戦い抜いた男」トム・サイズモアだけが、なぜか1人だけ別格の扱いを受けていて抜群の存在感。もうなんか後半になると弾を避けんのが面倒臭くなっちゃって、飛び交う銃弾の雨アラレの中をのっしのっし歩いてんの。サイコー。思わず「兄貴! 付いていきます」とか思っちゃったよ。 ● なお、本作では「パール・ハーバー」同様にすべてのカンパニー・ロゴは映画が終わってから出るのだが、エンドロールが終わって「さあ帰ろうか」と思ったところで、なんと5つ連続(コロムビアの女神>レボリューション・スタジオ>ジェリー・ブラッカイマー・フィルム>スコット・フリー>東宝東和)で出てくる。なんというか…(まあ、最初に見せられるよりはいいか)

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ロード・オブ・ザ・リング(ピーター・ジャクソン)

じつは2度目である。いや、あまりの世間での大絶賛ぶりに「楽しめないおれが悪いのか」と思って再チャレンジしたのだ。…でもダメだ。おれは「ハリー・ポッターと賢者の石」のほうが好きだわ(火暴) だから以下は、原作の「指輪物語」を読んだことが無くて、どのようなメディアのRPGにも何の思い入れもない者によるレビュウであるので、うるさがたの御見物は目くじらお立てにならぬよう。 ● だいたい長げえよ。2時間58分だぜ。インド映画みたいなダラけて観られる映画ならまだしもピーター・ジャクソン渾身のイケイケ演出で3時間は、娯楽映画としての生理的な耐久時間を超えてるだろ。そもそも主人公が旅立つまでの45分が退屈なのだ。クライマックスたる地下世界のアクション・シークエンスは文句なく素晴らしいので、映画としてはこの難局を切り抜けて「そして旅は続く」で終わらせるべき。そのあとの40分は第2部にまわして、最初の45分を詰めれば2時間ちょいのタイトなアクション映画になるものを。もっとも多少 構成に難があっても当サイトとしては「2時間58分のビジュアル・イメージの洪水を楽しめないのは明き盲(あきめくら)である」と書かなきゃいかんところであるのだが、この映画に限っては、特に後半が、神々しさを出そうとしてハレーション気味のマゼンタ調の「エルフの国」と、ブルートーンの「地下世界」がメインなので色が無いんだよ。ファンタジー映画なんだから総天然色で見せてくれよ。エルフの国のシーンなんてガウスぼかしかけ過ぎて人肌の質感がぜんぶトンじゃってるぞ。 ● タイトルもイカンよな。あ、いやべつに「指輪物語」にしろってことじゃなくて、ただ「リングの王者」とか言われちゃうと顔にペイントしたプロレスラーとか思い浮かべちゃうんだよ。<アンタだけや! 原題は正確には「ザ・ロード・オブ・ザ・リングス」と複数形。そう指輪は最強無敵の「冥王の指輪」を含めて全部で20個(!)あるのだ。人間族に渡された9個については顛末が語られるけど、エルフ族の3個とドワーフ族の7個はどうなったの? だいたいエルフ族のケイト・ブランシェットとあの族長さんは映画の冒頭で指輪を受け取ってたじゃないの。その後、劇中でまったく活用されないんだけど、あれは何だったの?(前フリの意味ないじゃん) てゆーか、冥王とホビットじゃ指の太さが4倍ぐらい違うと思うんだが、持ち主に合わせて自動伸縮するのか?>指輪。[追記]現に自動伸縮してる場面があったらしい。 こういう異世界ファンタジーで英語が喋られてるのは「我々には理解できない言葉が頭の中で英語に自動翻訳されて耳に入ってくる」というお約束だからいいんだけど、表記文字まで英語ってのは興醒め。やっぱ判読不能の文字に英語のテロップ出してくんなきゃ。 あと、蝶ちょはあんな天高く飛ばないと思うぞ。 ● というわけで、おれがニューライン・シネマの社長ならこうする!>「ロード・オブ・ザ・リング」(以下ネタバレ) まず前説はばっさりカットする。冒頭はイアン・ホルムじいさんの誕生会から(すでに魔法使いマッケランも到着済) そこへいきなり黒の騎士たちが襲いかかりホビット族を阿鼻叫喚の大虐殺。イアン・ホルムは冥剣で刺された虫の息でイライジャ・ウッドに指輪を託す(イアン・ホルムはここで死亡) で、いろいろあってエルフの国。指輪の由来と性質はこの族長会議で初めて観客に説明される。旅の仲間の結成と旅立ち。エルフの射手は猫耳戦闘美女に設定変更。てゆーか、この際、エルフ族は全員、女にしちゃおう。人間族がヒゲ男2人なのは紛らわしいので、ショーン・ビーンのほうは「トラフィック」のルイス・ガスマンに変更。クリストファー・リーをモーガン・フリーマンに変更すれば、白魔術/黒魔術で対比がクッキリするし(←こらこら) で、前述のように地下世界を抜けたとこで「続く」。以降は第2部にまわす。ただし不死身ゾンビ軍団の誕生と追走はイキ。…どうよ? 原作信者からは袋叩きにされるだろうけど、こっちのほうがぜったい面白れーぞ。だいたいピーター・ジャクソンは(ピーター・ジャクソンのくせに)真面目すぎるんだよ今回。映画だけ観て判んないような設定は捨てろ全部。

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友へ チング(クァク・キョンテク)

「シュリ」「カル」「ユリョン」「リベラ・メ」に続く(まだなんかあったっけ?)韓国映画の意味不明カタカナ・タイトル シリーズ最新作。「チング」とは漢字で「親旧」と書いて「親友」の意味。幼なじみ4人組の編年体による回想記で「スタンド・バイ・ミー」→「ビー・バップ・ハイスクール」→「仁義なき戦い」(の菅原文太=松方弘樹パート)という3部構成。4人のうち語り部となる優等生が、監督・脚本のクァク・キョンテク(郭[日景]澤)の分身で、モデルとなった友人は実際にまだ鉄格子の向こう側にいるのだそうだ。近年なんだかやたらポピュラーになった銀残し処理(=彩度を落とす現像法)を施していて、通常ならば「現在を100%のカラー」にして「回想場面を銀残し」するのが定石なのだが、本作では子ども時代をほぼ100%のカラーで出して、高校時代→現在と近づくにつれて色味を落としている。つまり、これは色あせた現在から輝いていた過去を懐かしむ映画なのだ。 ● 幼なじみの親友が長じて別々の組に所属して対立する悲劇…というストーリーは、東映から現在のVシネマに至るまで青春やくざ映画の定番でそれこそ何百本と作られてきているわけで、その中に本作をあてはめるならば出来はせいぜい「中の上」といったところ。高校篇までは4人組だったのが、社会人篇で4人のうち「やくざになった2人」の話に絞られてしまうのも、いかにもバランスが悪い。プロの脚本家なら残りの2人を刑事と裁判官とか、刑事と「やくざに借金して首を吊る零細工場経営者の息子」とかにする。 ● だがそれでも本作をお勧めしたいのは、組長の息子を演じるユ・オソン(劉五性)の熱演ゆえである。無骨な馬面の、お世辞もハンサムとは言えない役者で、劇中のポジション的にも語り部の主人公をサポートする役回りかと思わせておいて、終盤ではみごとに主役の座をさらってしまう。成瀬正孝だと思って観てたら松田優作だった…という感じ。 外道やくざに付いて、複雑な愛憎からユ・オソンと対立する葬儀屋の息子にチャン・ドンゴン(張東健) こちらは正統的なハンサムで韓国ではスーパースターだとか。 女子学生バンドのマドンナにキム・ボギョン(金甫徑←正しくは人偏

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ヴァンパイア・ハンター(J.S.カルドーン)

おお、いきなり冒頭から血まみれヌードのシャワー・シーンが! よし合格。 ● ドラキュラ伝説とはまた別の、神を裏切った十字軍の兵士が呪われた吸血鬼に堕ちる…という伝説に基づいたヴァンパイアもの。といっても、ホラー映画ではまるきり無くて、ジョン・カーペンターの「ヴァンパイア 最後の聖戦」と同種のスレイヤー・アクションである。耽美趣味とは無縁の、どっちかというと「ロード・キラー」や「ヒッチャー」に近い。大きなお世話かも知らんがドッカン ドッカン派手に爆発させる暇があったらもう少し脚本を練ったほうがいいんじゃないの? あと、編集が最悪。MTV風とかそれ以前の問題で、画が繋がってねえぞ。 ● 主演は「ファイナル・デスティネーション」や「ドーソンズ・クリーク」に出てた兄ちゃん2人。 それと「コヨーテ・アグリー」の丸顔 金髪ネエちゃん、イザベラ・マイコ。ポスターでも真ん中にどどーんトレーシー・ローズ似のふてぶてしい顔つきで写ってるので、てっきり先頭に立ってバリバリ吸血鬼をやっつけるのかと思ったら、このコ、冒頭のイメージショットでシャワー・ヌードを披露して、序盤で「噛まれ痕を捜す」という設定で前から後ろからじっくり裸体をまさぐられただけで、後は最後までただ出てるだけ。ほんとに何にもしないのである。いや、いいけど。てゆーか「コヨーテ・アグリー」で脱がずになぜこっちで脱ぐ!? いや、いいけど。 ● 月曜の夜だってのにシネマメディアージュの13番はそこそこ混んでいた。それも、おれのような特殊客じゃなくて、ごくフツーのお台場デートのカップルとか、お台場ショッピングの女性グループとかだ。やっぱあれかね、身も蓋もないストレートなタイトルの勝利かね? ちなみに原題は「FORSAKEN」。うまい訳語が無いが「神に見捨てられた孤独な者たち」というようなニュアンスか。 ● あ、それと書き忘れたけど本作は、ソニー・ピクチャーズがホラー系のハンパ作品を3本集めて2週間ずつササッと公開する「ショッキング・ムービー・プロジェクト」のトリを飾る作品。

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D-TOX(ジム・ギレスピー)

例によって〈スタローン主演のサスペンス〉ってことぐらいしか知らないで観に行ったら、オープニング・クレジットに次から次へと おお!トム・ベレンジャーだ、チャールズ・ダットンだ、ショーン・パトリック・フラナリーだ、「スターシップ・トゥルーパーズ」のダイナ・メイヤーだ、ロバート・パトリックだ、ジェフリー・ライトだ、そしてクリス・クリストファーソンだ…って、B級映画オールスター・キャストでないの! 当然、おれの期待は否が応にも高まったんだけど…。 ● タイトルは「ディー・トックス」と読むのだが、ポスターにもチラシにも新聞広告にも一切、読みがな表記は無い。UIP宣伝部も強気というか最初っから投げてるというか…。D-TOX とは すなわち detoxication(毒抜き)の意。アル中とかヤク中の治療施設を指すらしい。スタローンの役は「6か月で9人の警察官を殺害した正体不明の凶悪犯」を追うFBI捜査官。なんか開巻からえらい展開が早いなあ…と思ってたら、なんと冒頭15分で「セブン」を済ませちゃって、心に傷を負ったスタローンが人里 離れたリハビリ施設(というよりはキチガイ病院と呼ぶのがふさわしい偉容である)に収容されたところからが本題なのだった。ワイオミング山中の吹雪に閉ざされ孤立した鉄の城に、精神を病んだ患者(すべて刑事/捜査官)が10人。それが1人、また1人と殺されて。犯人はこの中に・・・というストーリーを聞いて「そして誰もいなくなった」のような上質のミステリ・サスペンスを期待してはいけんよ。なにせジム・ギレスビーといえば「ラストサマー」の監督だ。論理性と明晰さを欠いたストーリーを、その場かぎりのショック演出で誤魔化すばかり。ずらり揃った曲者役者もまったく演技のしどころ無し。そして何よりマズいのは「陰湿なサイコ・スリラー」と「スタローン」の食いあわせである。たしかに「復讐」はスタローンのメインテーマではあるが、体格から何から明らかにスタローンより弱そうな犯人を残酷に「処刑」する結末の後味の悪さは如何ともしがたい。 ● もともとは「EYE SEE YOU」というタイトルで1999年に撮影されたまま、お藏入りしていた作品。日本のUIPにもそーとー前から入荷していたらしいことは、犯人からの電話の「お前を見てるぞ」という字幕にすべて(いまとなっては意味不明の)「アイ・シー・ユー」というルビが振ってあることからも分かる。

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寵愛(ヨ・ギュンドン)

フローリングの床に白い壁紙。白いカーテンから差し込む白い陽。白いベッド。白いシーツ。横たわる全裸の男女。絡みあっても汗とか愛液とかは分泌しなさそうで。韓国産のオシャレなソフトポルノ。ひところの東陽一ですな。あまりにしょーもないので、あやうく目的を忘れて5分で出そうになったよ(何だ目的って?) 退屈を我慢しつつ眺めてたけど結局40分ほどで退出。人は濡れ場のみに生きるに在らず。…うむ。名言だ。どこが。 ● ナイス・バディを惜しげもなく晒してくれる烏丸せつ子の役にモデル出身の現役女子大生 イ・ジヒョン。 主人公を演じる(やはりモデル出身の新人の)オ・ジホもなかなかのハンサムなんだけど、ギャガの作ったチラシには顔写真ひとつ無し。女性向けに売ってるんじゃないのか?>ギャガ。

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ミスター・ルーキー(井坂聡)[キネコ作品]

阪神タイガース・ファン限定の願望充足映画。もしあなたが虎キチであるならば、ここの星の数なんか気にしないで観に行きなさい。秋のリハーサル代わりに気持ちよく泣けると思うぞ。おれはこの映画における憎まれ役である宅麻伸と思想的立場を同じうする者ではあるが、まあ今年はいいや。キミたちにアゲルよ。 ● なんと東大野球部の補欠だったという井坂聡は しかし、タイガース・ファン限定でこの映画を作ったわけではなかろう。井坂と鈴木崇(←誰?)の共作脚本に、劇団「自転車キンクリート」の飯島早苗をダイアローグ・ライターに迎えた脚本は、基本的なストーリーラインは正しいのだが「娯楽映画として抜かしちゃいけない描写」がいくつもすっぽ抜けてるので観ていて気持ち悪いことこの上ない。本物の選手/OBたちによる試合シーンも、あれはテレビ中継のカット割りで「映画の見せ方」ではないと思う。 ● 映画初主演の長嶋一茂は(テレビドラマの経験があるとはいえ)親父さんよりは、ずっと演技カンが良い。少なくとも小手先のテレビ演技に終始する鶴田真由よりは少しだけ演技の神様の近くにいると思う。 野村克也みたいな古狸タイプの監督を関西弁で演じる橋爪功は、巧すぎて厭味なくらいなのだが、まあこの役はこれでいいでしょう。 宿命のライバルである「東京のチームの4番打者」を演じる駒田徳広がすばらしい。娯楽映画の悪役はこれくらいわかりやすくなくっちゃ:) 一茂との絡みがかなりあるファーストベースは、本人が打ったり守ったりしてたみたいだけど本物の選手か!?(多田なんていたっけ?)[追記]元・阪神タイガースのピッチャー 嶋尾康史だそうだ。 あと、上司の「コッテコテの虎キチ」になんでいつもの竹中直人なの?(まともな関西弁をしゃべれる関西の芸人でよかったんじゃ?) 不可解なのは、さとう珠緒と山本未来は何のために居るの? いや「スクープ狙いの女性記者」役の さとう珠緒は単純に「プロットの展開不足」なんだと思うが、「仇役・宅麻伸の愛人である同僚OL」役の山本未来にいたっては、ほんとうにそこに居るだけで、ストーリーにもサブ・プロットにもギャグにも絡んでこないんだけど、なんだったのアレ?(普通だったら「最初は主人公に敵対していて、陥れようと画策するけど、最後には一茂の情熱にほだされて味方になり、愛人である常務を捨てる同僚OL」のポジションなんだけど。…謎だ) ● なお、ユニフォームからGのマークから誰が見ても「読売ジャイアンツ」である強敵チームの名称が「東京ガリバーズ」になっているのがナベツネが断わった所為か(朝日放送が制作に参加している)製作サイドの自主規制かは知らんが、広島カープと(TBSが筆頭株主である)横浜ベイスターズと(大きく言えばフジテレビ系列の)ヤクルトスワローズの3球団は実名と映像使用を許可している。ここに記して敬意を表しておく。 ● ま、なんだかんだ言って、最後まで退屈しないで観られるので当サイトのルールでは星3つに値する映画なのだが、1つマイナスしてあるのは(みなさま御賢察のとおり)ビデオ撮り→キネコの画質の汚さゆえである。例によってソニーのHD24Pビデオカメラによる撮影なのだが、HD24P史上最低の画質で、屋外シーンの鶴田真由の睫毛が白トビ(←おれの造語)しちゃってるとこなんかひと昔前の裏ビデオみたい(…いや、知らんけど) せっかく残された数少ない無粋な屋根のない球場である甲子園でロケをしてるというのに「青く透き通った夜空に飛んでいく白球」の爽快感のかけらもない。これは「テレビの野球中継」ではあっても断じて「野球」ではない。さらに許せないのは、これが全国公開の東宝配給作品であるということ。つまり製作費がないわけではないはずなのだ。東宝はこの後も「ナースのお仕事 ザ・ムービー」「模倣犯」とビデオ撮り作品が続くが、椅子を取っ替えたりシネコン建てたりするより前に「映画館で上映する映画」についてもっとよく考えてみるべきじゃないのか。いくら豪華な映画館を作っても上映してるのがビデオじゃ意味がない。ビデオ撮りなら家のテレビで観たほうがキレイなんだよ。それじゃ本末転倒だろ。あんたら土建屋か。不動産屋か。違うだろ。映画屋だろ。なんでそんなことが判らないんだ(←ほんとに本気で怒ってる)

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アナトミー(ステファン・ルツォヴィツキー)

ソニー・ピクチャーズがホラー系のハンパ作品を3本集めて2週間ずつササッと公開する「ショッキング・ムービー・プロジェクト」の第2弾。「あの子を探して」や「グリーン・デスティニー」の中国に続いてソニー・ピクチャーズがドイツに設立した〈ドイツ・コロムビア映画〉の第1回製作作品。オープニング・カットが裸体の接写で、おお乳が!臍が!陰毛が!と身を乗り出したら冷たく光るメスが出てきてお腹をタテにスーッと…びええええぇぇぇ! ● タイトルはずばり「解剖」(あるいは「人体模型」) 映画「ルール」にも出てきた都市伝説で「寝てる間に肝臓を抜かれてた」ってのがありますな。あれのバリエーションで「目が覚めたら手術台の上に寝かされて生きたまま解剖されていた」という怪談。目が覚めたものの身体が金縛りに合ったように動かない。やっとのことで首を起こしてみると自分の腹がバックリ切り開かれて中味がほとんど空っぽになっている!・・・この鮮烈なビジュアル・イメージを成立させるためにすべての嘘が仕組まれている。言ってみればヒュー・グラント/ジーン・ハックマンの「ボディ・バンク」と同じネタなんだが、受ける印象はずいぶんと違う。いちおうは「現代医療の問題点を突く社会派サスペンス」といった門構えだったマイケル・アプテッド作品と違って、B級ホラーと割り切った本作では、臨床医療よりも純粋医療研究を至上目的とする「アンチ・ヒポクラテス同盟」なる、中世から連綿と続く秘密結社が暗躍するおどろおどろしさと、ピカピカのシステムキッチンのようなステンレスの解剖台が整然と並ぶ名門大学医学部の近代的な解剖室のひんやりとした薄気味の悪さが鮮やかなコントラストを描く。そしてまた本作が「ドイツを舞台にしたドイツ映画」であることが「治療することよりも切り刻むことが好きそうなドイツ人医師」とか「人のよさそうな好々爺が じつはナチスドイツの生体実験の権威だった」といったいかにもありそうな嘘に、言下には否定できない信憑性を与えている。 ● 監督はオーストリア人の新鋭ステファン・ルツォヴィツキー。すでに同じメンバーで「アナトミー2」を製作準備中だそうだ。 名門大学の医学部に優秀な成績で入学したインターンに「ラン・ローラ・ラン」のフランカ・ポテンテ。ブルネットに染めた本作でもなかなかにチャーミング。角度によってはソフィー・マルソーに似てなくもない。…ま、胸は無いけど。胸といえば、ヨーロッパ製のB級ホラーなのに脱ぎなしだったのは大いに残念。てゆーか、厳密に言うと金髪巨乳ネエちゃんの全裸ヌードがたっぷり拝めるんだけど、ただその「ヌード」というのが…びええええええぇぇぇぇぇ...

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アニマルマン(ルーク・グリーンフィールド)

日本における外国映画ロードショー発祥の地・有楽町スバル座での公開だというのに「ぴあ」の新作欄にも無視されていつのまにか上映されていたバカコメ。ガレージ住まいの負け犬の(警官試験にも落ちつづけの)警官見習いが交通事故に遭い、五体バラバラになったところをキチガイ博士に拾われて、全身に野獣のパーツを移植され…なら石川賢になるんだけど、そうじゃなくて動物園や飼い主から捨てられたペット(ムーンウォークの得意なチンパンジーもいたりする)のパーツを移植され、アニマルマンとして復活したはいいものの…。「サタデー・ナイト・ライブ」系のフィジカル・ギャグ中心のしょーもない代物なのだが、最初からあまり多くを望んでないがゆえの星3つである。アダム・サンドラーが製作&カメオ出演。脚本&主演は「ジャッジ・ドレッド」のやかましい相棒、あるいは日本ではビデオ・ストレートとなった「デュース・ビガロウ、激安ジゴロ!?」(おれは未見)のロブ・シュナイダー。まあ、たしかに主役の器ではないわなあ。動物好きのヒロインに、TV「サバイバー」でいちやく人気者になったコリーン。美人じゃないがこの程度のコメディのヒロインとしてはお似合い。主人公を苛める意地悪なエリート警官役にジョン・C・マッギンリー!

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WXIII 機動警察パトレイバー(総監督:高山文彦)

スーパバイザー:出渕裕 監督:遠藤卓司 脚本:とり・みき 音楽:川井憲次
ダブリュ・エックス・スリーって何の略?と思ったらこれは「Wの13番」という意味で、ゆうきまさみの原作マンガ「機動警察パトレイバー/廃棄物13号」のエピソードの映画化なのだそうだ。映画版としては9年ぷりとなる第3作。例によっておれの立場を明らかにしておくと、原作マンガとテレビシリーズをまったく未見のまま伊藤和典・脚本×押井守・演出コンビによる2本の映画版とOVAシリーズの何本かを観て かなり気に入っている(が、DVDを揃えたりするほどのマニアではない) いっぽう本作の総監督・高山文彦(…監督とどう違うの?)の代表作だという「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」は観ていない。 ● 先行する2本の映画版は、巨大ヒト型作業機械…すなわち「レイバー」が普及し、その暴走やレイバーを使用しての犯罪を防止するための警察用レイバー…すなわち「パト=レイバー」が配備されている近未来の東京、という原作の設定をそのままに長弁舌の都市論や戦争論を展開するというガチガチ硬派な映画だった。同じ伊藤脚本による後年の「ガメラ2」など、2002年の東京で戦争がはじまる「パトレイバー2」の焼き直しと言っていいほどだ。 ● さて、奇しくもその2002年に公開される巡りあわせとなった本作「WXIII」は、かの有名なモンスター映画の古典や、ラストの青空に浮かぶ沢口靖子の笑顔に観客全員がズッコケた某国産モンスター映画と同じ話で、つまり一種のキチガイ博士ものである。本作のオリジナリティはそれを「野良犬」や「張込み」に連なる純国産2人組刑事ものミステリのフォーマットで描いた点にある。松本清張の手法による東宝特撮SFといってもいい。昭和75年の東京という元号による舞台設定はつまりそういう意味だし、力の入った背景美術が描くのは「人狼」や「サクラ大戦 活動写真」のような〈有り得たかもしれないもうひとつの現在〉ではなく〈懐かしい昭和の風景〉なのだ。キャラクター・デザインや演出も、外連を廃した反アニメ的なリアリティ重視であくまで地味。だけど(いつも言うけど)それはアニメの持ついちばんの魅力である〈イメージの飛翔〉をみずから封殺する愚かな行いに他ならない。同じように「東京の消えゆく街並み」や「普段は目にも留めない水路からの風景」をトレースしたかのように精緻に描いて見せた映画版の前2作はリアリティ重視のように見えて、演出と脚本にはしたたかなハッタリ精神があった。「WXIII」に欠けているのはそれである。真面目すぎるのだ。たいして上手くもない動画のつまらない画をだらだらと見せて、それが「野良犬」の志村喬と三船敏郎の演技に、あるいは「張込み」の宮口精二と大木実の演技に匹敵すると本気で考えているのか。アニメにはアニメにしか出来ないことがある。だが、どう頑張っても実写に適わないこともあるのだ。 ● ストーリーの基調となるのは若い刑事と、哀しい秘密を抱えたヒロインの恋。したがって前半でもっとヒロインに時間を割いておかないと終盤の悲劇的転調が効いてこない。また最後の大捕物の場へ(ヒロインが無理やり潜入するならまだしも)刑事みずからが先導して連れて行くのは絶対におかしい。怪物が怪物でしかないことを自分の目で確かめろというのなら、それは惚れた相手に対して随分と残酷な心情ではないか。あと、いくらなんでも怪物に[おっぱい]があるのは、やりすぎだと思うぞ。どうも作者としてはこれを「泣かせどころ」として設定したようだが、おれは思わず笑っちまったぜ。 それとベテラン刑事(1・2作目と同じ刑事さんなのかな?)の声を(東映やくざ映画では良いもんの時も悪もんの時もかならず関西共栄界の本部長を演じる)綿引勝彦がアテていて、アニメ方面の皆さんは平気なんだろうけど、おれは台詞を喋るたんびに綿引勝彦のあばた面が浮かんで「本部長!いつからデカに転職を!?」と思ってしまったよ。 ビデオ原版なのか、常にフィルターが1枚はさまったような透明感に欠ける画質なのも残念。 ● 末筆ながらいちばん基本的な疑問として、この映画は「機動警察パトレイバー」と銘打ちながら主役はパトレイバーとは何の関係もない2人組の刑事で、パトレイバーおよびレギュラー出演者の面々は刺身のツマのような存在でしかない。終盤に申し訳ていどにパトレイバーの出動があるのだが、これなどかえって機動隊/自衛隊じゃいかんのか?と思ってしまったほど。つまり「パトレイバー」である必然性がまったくない話なのだ。「WXIII」が力作であることを認めたうえで言うのだが、どうせ映画館には「パトレイバー」シリーズのファンしか来ないであろうことを充分に判っているはずな のに、このような番外篇を作ってしまうのは「ゴジラ」を観に来た客に「大怪獣東京に現わる」を観せるようなものだ。作り手の姿勢として絶対に間違ってるぞ。

ミニパト(神山健治)[キネコ作品]

第1話「吼えろ リボルバーカノン!」★ ★
第2話「あゝ栄光の98式AV!」★ ★ ★ ★
脚本・演出コンセプト:押井守 美術:小倉宏昌 音楽:川井憲次 主題歌:兵藤まこ
…そういう意味では圧倒的に正しい「パトレイバー」ファン向け企画が、本家・押井守が脚本と演出コンセプトを手掛けたこちらである。「WXIII 機動警察パトレイバー」に併映されている10分ちょっとの短篇。ミニスカートの婦警さんが活躍するポリス・アクション…ではなくミニ・パトレイバーの略だから「ミニパト」。本家のキャラがデフォルメされて登場する短篇ギャグ・アニメ。つまり「SDガンダム」のパトレイバー版ですな。なんでもオリジナル声優のギャラが高騰してしまって1話につき声優を1人しか使えない…という予算的制約から導き出されたのが、全篇ナレーションによる1人語りで「機動警察パトレイバー」の、第1話では後藤隊長がパトレイバーが使用する巨大リボルバー銃に、そして第2話では押井守の分身と言ってもいい千葉繁が、永井豪「マジンガーZ」以来の直立二足歩行 巨大乗用戦闘ロボットの設定そのものに物理的&科学的&軍事オタク的な考証を加えるというスタイルで、これつまり自分たちが手塩にかけて育ててきた作品に「ンなことあるわけねーだろ!」とツッコミを入れてる自虐的ギャグなのである。昨年の東京国際映画祭の押井守特集で第2話を観たときは(観客すべてが押井オタクだったせいもあって)場内大爆笑だったのだが、今回「WXIII」に併映された第1話では(おれ自身も含めて)クスリとも笑いが起きなかったのは出来の違いか観客の違いか。 ● 「人狼」で演出だった神山健治が初監督、キャラクター・デザイン&作画&動画がやはり「人狼」の西尾鉄也。押井守が考案した特異な演出スタイルは「チープな割り箸人形を3D-CGで作る」という、内容と同じく屈折したもの。つまり「ボール紙に絵を描いて、それを人型に切り抜いて、割り箸に両面から貼りあわせた平面的な人形を、書割りの背景の前で動かす」ってのをすべてCGで再現してるわけである。もちろんCGだからクルッと反転した瞬間に表情が変わったりと本物の割り箸人形では不可能なことも可能なわけだ。 ● じつはまだあと第3話「特車二課の秘密!」ってのがあるんだが、松竹のセコいリピーター動員作戦の所為で、この作品は「週替わりで1本ずつ併映」という形態がとられていて、3本ぜんぶ観るためには3週続けて「WXIII」を観ないといけないのだった。んなもん3本やったって40分弱なんだから一遍にやれよ、ケチ臭い。まあ、東京国際映画祭でやったときはビデオ・プロジェクターによる上映だったので気にならなかったが、今回の劇場公開はキネコしてのフィルム上映なので、やたらとジャギーと走査線(?)が目立ってえらく汚いし、3本まとまった形でレンタルビデオになってから観りゃ充分かと。

ちなみに今回の2本立てのアニメーション制作は「WXIII 機動警察パトレイバー」がマッドハウスで、「ミニパト」がプロダクションI.G.による。なんかここ数年でおれが観に行ったアニメって(宮崎駿のスタジオ・ジブリと クレヨンしんちゃんのシンエイ動画を除けば)全部この2社の制作のような気がするんだけど、いまの日本のアニメ界で劇場用長篇アニメを作る力のあるスタジオって4社だけなの?(それとも単におれの嗜好の問題で他社のアニメを目にする機会がないだけ?)


★ ★ ★
自殺サークル(園子温)

「発狂」シリーズのオメガ・プロジェクト製作によるジャパニーズ・カルト・ホラー最新作。冒頭、JR新宿駅 中央線ホーム上りホームから さまざまな制服の女子高生54人が手をつないで投身自殺する・・・という基本イメージは鮮やか。だが結局はそのアイディア一発だけ。てゆーか、遡ること1年前に公開されたピンク映画「18才 下着の中のうずき」にそっくりそのまんま「渋谷のビルの屋上から さまざまな制服の女子高生たちが手をつないで投身自殺する」というシーンがあるんだけど、これってひょっとしてパクリ? 逆は良くあるけど、一般映画がピンクからパクっちゃマズいだろ(ちなみに「18才 下着の中のうずき」に出演していた鈴木敦子は、園子温の「うつしみ」「性戯の達人 女体壷さぐり」にも出演している。つまり園子温の友人である可能性が高い) …それとも「女子高生の集団投身自殺」って有名な都市伝説なの? ● 前半は「回路」を思わせる都市伝説/ネット・ホラーが とても園子温 監督&脚本 作品とは思えない本格的なホラー・タッチで展開するので「おっ。ソノシオン、フツーの映画も撮れんじゃん」と思っていると、1時間を過ぎたあたりで寺山修司ばりに「ここで跳べ」と大書きしたダンボール板を持って立つ集団が渋谷駅前広場に出現し、あとは恐怖も謎の解明もほっぽらかしにして、ぐずぐずいつもの園子温 映画になってしまうのであった(つまり商業映画としては壊れている) それはそれで面白いので おれは星3つ付けたが、ホラー映画や「発狂」シリーズのノリを期待してきた人は怒ると思う。ちなみに「発狂」シリーズ同様、予告篇で使われていた「血と長い髪を排出するコピー/FAX機」の場面は本篇には出てこない。 ● ストーリーの謎を解くキーとなる存在として SPEED のパチもんみたいな「デザート」というアイドル・グループが登場する。これが「食事の後に出てくる甘味」に由来する名称ならば正しい綴りはもちろん「DESSERT」になるわけだが出てくるたんびにスペルミスしてんの。アッタマわる。 なお本作は登場するパソコンがすべてマッキントッシュという思想的に正しい作品なのだが、いくらなんでも警察署にマックはないと思うぞ。 事件を追う刑事に石橋凌・永瀬正敏・麿赤兒。元グラビアアイドルの嘉門洋子がUGネットヲタ女の役で意外な好演。グラビア・アイドルといえば、おおっ、あれは消えた巨乳アイドル・吉田里深ではないか! ● 上映前の挨拶で監督本人が言ってたので附記しておくが、2002年3月現在で観るとキョーレツな時事ネタが1箇所あるのだが、本作は2001年5月には撮影を終えているので、これは偶然の結果だそうだ。


カタクリ家の幸福(三池崇史)[キネコ作品]

な? やっぱり「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観てこんなふうに思ったのは、おれだけじゃなかったんだよ。三池崇史はきっとかの作品を観て、そうか その手があったか!とハタと手を打ったに違いない。だから「カタクリ家の幸福」は韓国映画「クワイエット・ファミリー」が原作としてクレジットされ、実際ストーリーは ほぼそのとおりに進行するのだが、三池崇史が目指してるのはあくまでも「ダンサー・イン・ザ・ダーク」である。つまり笑える不幸ミュージカルだ。人は自殺をしようと思いつめて歌い、血まみれの死体を前にステップを踏み腐乱死体も立ち上がって踊りだす。これぞ、まさしく「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ではないか! 松坂慶子というキャスティングはつまりカトリーヌ・ドヌーヴと対応しているわけだ(それにしてもホンワカしててキレイだなあ>慶子サン) もう、語り部の信用の置けなさからして「ンなワケねーだろ!」という徹頭徹尾イイカゲンな話で、松竹映画 的 主題を三池崇史 流に語っている面白さ(脚本:山岸きくみ)は充分に星2つ半ぐらいの価値はあるのだが、薄汚いビデオ撮りという部分まで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に倣ってしまったのは明らかに行き過ぎで、星もやはり1つとする。世の中にはキネコで見せてはいけない映像ってものがあるのだ。それは例えばジュリーや松坂慶子のことだ。 ● 父・沢田研二、母・松坂慶子、爺・丹波哲郎という配役は文句なし。 おれのご贔屓コメディエンヌ・西田尚美は今回「いい歳してピンクハウスなんぞを着ている惚れっぽいコブ付き出戻り娘」という役で一見 合ってるようだけどミスキャスト。この役は普通の美人女優が演るからこそ面白いんでしょうが。 「いかがわしい女ったらしのハンサム・ガイ」が忌野清志郎ってのもみすぼらし過ぎる。これは絶対に阿部寛の役でしょう。 あとキヨシローと有薗芳記は似すぎ。あれ?なんでまたキヨシローが出てくるの?と思った客が絶対いるぞ。 三池組レギュラーの遠藤憲一は今回は出番なしかと思いきや、やっぱり終盤にいつものキャラで乱入してくるのであった。初めてエンケンに遭遇した沢田・松阪夫婦が呆然と「(あれは)なに?」「なんでしょう?」

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恋ごころ(ジャック・リヴェット)

誤解のないように書いておくけど、おれはべつに悪口を言うために金 払って映画館に通ってるわけじゃないんだよ。すべての映画を楽しめる柔軟な感性があったら…と本気で思ってる。いつの日かゴダールの映画だって楽しめるようになりたいのだ。だからほんとなら、エマニュエル・ベアールのヘアヌード見たさに文化村オーチャードホールに長時間並んで、並んでた時間以上に長くて退屈な中味にみずからの卑しさを心から後悔した「美しき諍い女」の、そしてこれまた文化村ル・シネマで2本分3,600円のチケットをわずか10分で紙屑にした「ジャンヌ」のジャック・リヴェットの新作なんて最初っからリスト外なんだが、今回はえらい評判が良いようだしハッピーエンドのラブコメだというので、それなら今度こそ大丈夫かも、と観に行ったのだ。ああ、それなのに……………。ねえ、これのどこか面白いの? マジで教えてくれよ。これじゃいつもの私小説的フランス映画じゃんか。それってなにフランス映画だから駄目なの?フランス映画の私小説的な部分に嫌悪感を感じるの?その嫌悪感は何処から来るの?それはあなたの実存と ええいうるさい黙れ!…みたいな。1時間で退出(そのうち20分ぐらいは寝てた) くそー、ジャック・リヴェットの映画なんて2度と観るもんか。


ミルクのお値段(ハリー・シンクレア)[たぶんキネコ作品]

好き嫌いで言うが おれはこの映画が嫌いだ。ニュージーランドの自然を背景に、ちょっとピントはずれの人々が奇妙奇天烈な体験をする…というラブ・ファンタジー。いわゆる「バグダッド・カフェ」とか「アリゾナ・ドリーム」の系譜なんだが、一言でいえば狙いすぎ。ほら、よくコンパとかでさ、自分だけ面白いつもりでクダらんギャグとかを延々と言う奴いるでしょ。聞いてるとだんだんムカムカしてくる。そんな感じ。 「TOPLESS(おれは未見)の監督の第2作。(ラブ・ストーリーなのだから当然のこと)美しくあるべきヒロインの顔が、薄汚い濁った鉛色なのは、たぶんフィルム撮りのビデオ・ポスプロのせい。

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恋愛回遊魚(ウー・ミーセン)

台湾映画。ヌーヴェル・ヴァーグっつうの? シネマ・ヴァリテっつうの?(←よく判ってない) ストーリー性希薄なスケッチで、照明使わないで、ヒロインはもちろんフシギ少女で、モノローグで、即興風で、スタンダードサイズで、それが洒落てるつもりで。おれ、ダメなんだ こーゆーの。原題は「起毛球了(毛玉にサヨナラ)」。英語タイトルが「FLUFFY RHAPSODYふわふわラプソディ)」。もうタイトルからしてそうだろ? 10分で退散。評価不能なので星は付けない。

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プライベートレッスン 青い体験(クァク・チギュン)

なんか「荒野の七人 昼下がりの決闘」みたいなタイトルだな。この的確な邦題から想像されるとおりの韓国産ソフトポルノである。ポルノといっても一般映画の俳優とスタッフによる、きちんと予算をかけた「映画」になっている。 ● 原題はなんと「青春」(漢字でちゃんとそう、出る) 緑ゆたかな田舎、河東(ハドン)の町に転校してきたハンサムな高校3年生。彼は隣りの席の内気な少年と親友になる。ほどなく〈ハンサム〉はクラスの離婚家庭の非行少女(つっても和泉雅子レベルの可愛い非行なんだけど)に誘われてセックスするが、そのままヤリ捨ててしまう。いっぽう〈内気〉は転任してきた美しい女教師に恋して焦がれて身悶えるが、拒絶される。苦い体験をした2人は、こうなったらヤッてヤッてヤリまくってセックスを極めようと慶州の大学に進学する。やがてハンサムは淋病の注射をしてもらったのがきっかけで泌尿器科の看護婦とヤリ友になるが、内気は女教師への想いを断ち切れず…。 ● 主人公2人の女性関係がうまくいかないのも当たり前。だってこの2人、明らかにホモなんだもん。大学に入ってからは8畳ぐらいの下宿に2人で同居するんだけど、カノジョといるより男2人でいるほうが楽しそうで、常に大の男2人がブリーフ一丁でだらだらしてんだぜ!? 片方が田舎に帰ってて1人だと落ち着かなかったり、相手がフラれて泣いてると優しく膝枕してあげたり。こいつら単に「男とヤリたい」と思わないだけで、誰よりもお互いを愛してるのだ。ただ自分たちじゃあくまでそれを「友情」だと思い込んでたのが悲劇のもと。てゆーか、何それ!?(ヘテロ向けのポルノだったんじゃないのか!) ● ちなみにこれ、現在の話なのだが、学生生活の描写なんかまるで「けんかえれじい」「青春の門」かってほど古典的バンカラで、とても「女校怪談」と同じ国の話とは思えん。受験地獄で聞こえた韓国も地方じゃまだこんな感じなのかね。それとも監督・脚本のクァク・チギュンのセンスが古臭いだけ? 風光明媚なお茶の産地から、古墳で有名な新羅の古都へ(日本でいえば駿河から奈良って感じ?)というロケーション撮影の美しさも特筆もの。 非行少女の役で美しいヌード披露しているのが「女校怪談」のガリ勉少女ユン・ジヘ。 「ディナーの後で」ではメインの脱ぎ役だったジン・ヒギョンが憧れの女教師に扮しているが今回は脱ぎは無し。 ● …と、つらつら書いてきたが、じつはそんなことはどーでもいいのだ。この映画で観るべきは一点。看護婦さんを演るペ・ドゥナがムチャクチャ可愛いんだよ(まあこの写真頁を見給へよ) 遠藤久美子にもちょっと似てる小動物系の顔立ちで、そういう小動物系の女のコの定番である目をクルクルさせたり舌をテヘッて出したりといった表情が、もう可愛すぎてマジ死にそう。しかもこれはソフトポルノだから、そんなに可愛いコが(モロ乳とナマ尻はボディダブルのようだけど)ニプレス貼付の全裸セミヌード組んずほぐれつしてくれるのだ。断言するが諸君!ペ・ドゥナを見るだけで入場券分の価値はじゅうぶんあるぞ。

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グラスハウス(ダニエル・サックハイム)

ソニー・ピクチャーズがホラー系のハンパ作品を3本集めて2週間ずつシネマメティアージュのスクリーン#13で公開する、題して「ショッキング・ムービー・プロジェクト」(追記:そのあと急遽、新宿東映パラス3でも2週間遅れで公開されることになった) 第1弾は「ラスト・サマー」シリーズの大ヒットで「ティーンズ・ホラー・ムービーにおいていちばん肝心なのは巨乳である」という身も蓋もない定理を発見してしまったニール・H・モリッツのプロデュース作品。そして今回、全篇に渡ってタンクトップや赤ビキニで巨乳をぷるんぷるんさせてるのは、なんとリーリー・ソビエスキー。「ロード・キラー」に続いて、この人もう この路線で行くと割り切ったのかしら? アッという間に「美少女」を通り過ぎてしまって以来、なんか誰かに似てるなあと思ってたんだけど、今回それがはっきりとわかったよ。リーリー・ソビエスキーって蝋人形に似てるんだ(火暴) ● 話は「養父母疑惑もの」である。つまり、頼る者のいなくなってしまったみなしごの自分を引き取ってくれた優しい養父母は本当は悪い人なのかもしれない!というやつである。いやもちろんホラー映画なんだから悪い人に決まってるんだが、サスペンスの定石としては、1.思春期特有の神経過敏による勘違いかも…と観客に思わせる。2.悪人と確定してからは、主人公の訴えをまわりの大人が信じてくれない・・・という段階を踏むのが普通なんだが、今回は1.をすっとばしていきなり2.へ行っちゃうのがいかにも「ラスト・サマー」の製作者。なにしろウリはサスペンスじゃなくてぷるんぷるんだから。ま、それで星3つ付けてるおれもおれだが。てゆーか、こりゃ明らかに、養父母に立候補したのが、「奇跡の海」のスウェーデン俳優でひと目でJ.T.ウォルシュ/クラウス・マリア・ブラウンダウアー系とわかるステラン・スカルスゲールドと、ダイアン・レインで、遺言を預かる弁護士がブルース・ダーン…って時点で逃げ出さなかったヒロインのほうが悪い。

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アモーレス・ペロス(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)

犬は愛である。いや、べつにここで犬派の主張をしようというのではない。この、漢字で表記するならば「犬的愛」というタイトルを持つ映画において「犬」は「愛」と同義なのだ。メキシコシティの人々は犬とともに生きる。犬の力を借りて、犬に慰められたり、元気づけられたりしながら。犬は強く、しかし疑うことを知らず傷つきやすい。傷ついて血を流し、死んでしまう。そして人はまた新しい犬を見つける。ときに犬はあなたを酷く傷つけるだろう。それでも、人は犬とともに生きていくのだ。 ● メキシコ映画。2時間33分。相互にゆるやかに繋がった3話オムニバスである。兄嫁に恋したボンクラ青年。幸せの絶頂で交通事故に遭うスーパーモデル。そして妻子を捨てたホームレスの男。劇中に「神は人間の計画を笑う」というメキシコの古い諺(なのかな?)が出てくるが、結局のところ三者三様に「倫理的に許されない行いをしたがためにその報いを受ける」という因果応報の話に見えてしまうところがこの映画のつまらなさ。 ● これがデビューの監督は例によってコマーシャル出身。この映画で認められてブラッド・ピットが出てる EDWIN 503 のCMに起用されたんだそうだが、全篇がまさしくあのCMのような粒子の粗いざらついたコントラストの強い いかにもCM的な画調で、しかも感情的な、どアップ中心のカメラワークなので、ちょと目が疲れたよ。 ボンクラ青年役のガエル・ガルシア・ベルナルはジミー・ディーン的 傷つきやすそうな美形の系譜で今すぐハリウッドに行けそう。 兄嫁(といっても女子高生花嫁なんだけど)役のヴァネッサ・バウシェとの激しい濡れ場あり。

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パルムの樹(なかむらたかし)

すいません予告篇を観て「へえ〜、アンパンマンの人って こんな絵も描けるんだあ」と感心してたのはおれです(火暴) キネ旬のインタビュー読むまでずうっとアンパンマンの人(=やなせたかし)だとばかり思ってた(耳心) いやだってほら両方ともひらがな名前だし たかしだしアニメだし子ども向けっぽいしブツブツブツ…。だが、実際に観てみると「アンパンマン」とは似ても似つかない映画なのだった(<当たり前だって) ● なかむらたかし は「幻魔大戦」「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」など錚々たる大作の原画を手掛け、「AKIRA」では作画監督をまかされた実力派アニメーターなのだそうだ(「アンパンマン」は やってないの?<しつこい) 劇場用アニメは「とつぜん!猫の国バニパルウィット」に続く2作目だそうだが、そんなのいつどこで公開した!? ● 木から作られたロボットが人間になりたくて天上世界の「エネルギーの卵」を、地底世界を支配する巨大樹まで届ける旅をする…という、手塚「メトロポリス」や「A.I.」の翌年になんでそんな似たよーな映画を作るかね?というストーリーだが、本作の魅力はその物語性より むしろ異世界ファンタジーとしてのヴィジュアル+オーディオにある。中世ポルトガルあたりを思わせる地上世界には人間と奇妙な生きものたちが共存し、空にはさまざまなクラゲや浮遊植物が浮いている、その異世界の創造は見事で、ますむらひろしたむらしげるのファンならば、次から次へと登場するファンタスティックな光景にうっとりすることだろう(てゆーか、なんでみんなひらがな名前なんだ?) またハラダ タカシ(←こいつも!)によるアンティークな電子楽器オンド・マルトノをフィーチャーしたシンフォニック・スコアは素晴らしい仕上がり。 ● だがその一方で説明しきれていない設定も多く、観終わって「で、結局アレは何だったの?」という部分も少なくない。まあ「あいつら悪い奴なんだ」とか「とっても恐ろしい存在なのね」とか、物語に占める役割は了解できるんだけどさ。また、それ以前に本質的な問題として、本作は「あらかじめ失われた幸せの記憶と報われなかった愛」についての物語であって、主要な登場人物は ほぼ全員が「親の愛を切実に希求して、それでも愛されることのなかった子どもたち」なのだ。おれはちょっと泣いてしまったけれど、そんな沈痛な話を「春休みの子ども向けアニメ」として作るってのはどーなのよ? 「シンデレラ」にしろ「青い鳥」にしろ(もちろん「ピノキオ」だって)昔のお伽噺ってのは「虐待される子ども」の話がやたらと多くて、それは多分そのほうが昔の子どもたちにとっては共感できたからだと思うんだが、イマドキのお子たちにそんな不幸せ話がウケるんだろうか? ● あと(主に)人物ロングで明らかな撮影ミスによるピンボケ画面が散見されたので星1つ減。

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アメリカン・サマー・ストーリー(J.B.ロジャース)

「アメリカン・パイ2」の邦題が「アメリカン・サマー・ストーリー」になったと聞いたときにゃ「はぁ?」と思ったけど、実際に観てみるとあながち的外れなタイトルでもないのだなこれが。下ネタ中心のティーン・セックス・コメディにこの形容は奇異に思われるかしらんが、前作に続いてのアダム・ハーツの脚本がじつにウェルメイド。決して捨てキャラを作らない──この手の映画にありがちな「皆に笑われるためだけに出てきて馬鹿にされて終わり」というキャラを作らない作者の心根があればこそ、10人以上のオリジナル・キャストが1人も欠けることなく再結集したのだろう。今さらこんな下ネタ・コメディに出るメリットなんか何もないクリス・クラインやミーナ・スヴァーリまでが再出演して嬉々としてバカなことやエッチなことをやってるのだから。まさかおれも5つ星を付けるような映画だとは予期しなかったが、この企画で求められる最善の出来だと思うので。クダらないセックス・コメディの「クダらなさ」をいささかも損なうことなく「爽やかな青春映画」として成立している(ある意味)奇蹟的な傑作。…ただし、かならず先に前作を観ておくこと。 ● 監督は、前作の助監督から昇進したJ.B.ロジャース。この人、ファレリー兄弟の助監督もしてたそうで、すでに同兄弟のプロデュース作「ギリーは首ったけ」(クリス・クライン主演)で監督デビューを果たしている。 キャストでは前作同様、主役のユダヤ人少年の「息子思いの理解あるいいお父さん」なんだけど、決まってバツの悪いときにばかり邪魔をするお父さん、ユージーン・レヴィが絶品。 そのジェイソン・ビッグスは少しの間にえらい大人びた顔になっちゃってて パート3はキビしいか。てゆーか、今後のコメディ映画出演に差し障りあるよーな気が…。 クリス・クラインはやっぱりこーゆー役がいちばん柄にあってますな。 続篇のヒロインに抜擢されたのは、なんと前作では「地味ぃなブラバン部の女のコだと思ったらビックリ!」な役だったアリソン・ハニガン。「ブラバン一筋の変テコな女のコ」というオタク・キャラのまんまで、最後には魅力的なヒロインに見えてきてしまう。 シャノン・エリザベスは前作のヒットで売れっ子になっちゃったので今回は乳出し無し。残念。彼女の泣かせる名台詞「じゃ、わたしも わたしのオタクを見つけるわ(I'll find my geek.)」

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アメリカン・スウィートハート(ジョー・ロス)

ジュリア・ロバーツ主演のロマンティック・コメディを期待してきた人は失望することになろう。これはビリー・クリスタル製作・脚本・主演のバックステージ・コメディなのだから。もともとの企画としては、20世紀フォックスとディズニーでスタジオのトップを歴任して、在籍時にそれぞれのスタジオを世界のトップシェアに押し上げた凄腕プロデューサー=ジョー・ロスが、独立して起ち上げたレボリューション・スタジオの名刺代わりに みずからメガホンを握って、親しい仲のジュリア・ロバーツ主演でデッカい花火をドカーンと一発…ってことだったはずなのだが、ジュリアにアテ書きされたはずの「ワガママな大スター」役を本人が嫌って、本来だったらサンドラ・ブロックかレニー・ゼルウィガーあたりが適任の「スターの姉に搾取されつづけてる健気な妹」をワガママ言って横取りしたので、すべての計算が狂ってしまったのだ。大スター役にはキャサリン・ゼータ=ジョーンズが招ばれてジュリア以上にチャーミングに演じてしまい、ジュリアが霞んでしまった。いや、これがゲイリー・マーシャルであればジュリアのさりげない仕種や表情を拾い上げてヒロインに相応しく演出することも出来たろうが、なにしろジョー・ロスは(プロデューサーとしては有能かしらんが)監督としては凡庸な「ニューヨーク ベイサイド物語」以来である。演出で脚本以上に映画をふくらませることなど出来ようはずもない。結果として(ビリー・クリスタルが書いた)脚本の意図どおりにビリー・クリスタル本人がいちばん輝いて見える映画になった。 ● ビリーの役は、映画会社の口八丁手八丁の宣伝マン。全国のマスコミを一箇所に集めて大スター・カップルの新作映画の完成披露試写会とプレス・ジャンケットを仕切ってくれ…と頼まれるが、問題がひとつ。映画がまだ完成していないのだ。なぜか? 監督(役)がクリストファー・ウォーケンだから。そりゃ頼むほうが悪いわな。そこで有能な宣伝マンとしては、マスコミが「まだ映画を観せてもらってない」ことに気が付かないように次から次へとネタを提供する必要が…。 ビリー・クリスタルのキャラ造形が素晴らしい。人間的にはとてもいい奴で、親身になってスターをケアしてあげて、だから大スターもつい気を許して本音を洩らしちゃったりすんだけど、そこは宣伝のためなら親でも売り渡すのが宣伝マン、スキャンダルはすべて裏からマスコミへ筒抜けとなってしまうのである。だけどビリー本人には「裏切ってる」なんて意識はこれっぽっちも無くて、心からスターたちのことを心配してたり。ビリー(と無能な弟子のセス・グリーン)だけ活かしてぜひシリーズ…と謳わなくていいから毎回、別のスターを「主演」に迎えてこっそりシリーズ化を希望だ。 ● マスコミから「アメリカの恋人(AMERICA'S SWEETHEARTS=原題)」と称されるほどのベスト・スクリーン・カップルの相手役にジョン・キューザック。大スターの役だってのにゼータ=ジョーンズとのツーショットは「ハイ・フィデリティ」のまんまで、これはミスキャストでしよう。この役はメル・ギブソンとかジョージ・クルーニーとか(せめて)ブルース・ウィリスあたりじゃないとリアリティが出ない。いっそマイケル・ダグラスって手もあったかも。 ゼータ=ジョーンズの、新しいラテンの恋人つまりアントニオ・バンデラス役にハンク・アザリア。 頭にあるのは「映画が儲かるか」だけで映画の中味とかスターの人間性なんかこれっぽちも気にかけてない まさしく人間の屑な映画会社のCEOにスタンリー・トゥチ@スバラシイ! これはやっぱ自分をディズニーから追い出したマイケル・アイズナー会長への当てつけなんでしょうな>ジョー・ロス。

さて、改装したっつんで5年ぶりに(日本劇場あらため)日劇1で観た。椅子もシネコン仕様に全とっかえしたんだそうだが、此処はもともと緩やかな階段状になってる劇場で、その階段の幅(=椅子の奥行き)を変えられないので、結局、肘置きにカップホルダーが付いてるってだけで従来どおりの背もたれの低いタイプの椅子なのだった。場内の塗装が今までの赤&白系からダークグレイ系に代わって落ち着いた感じに。ロビー入った瞬間はなんか暗い印象なのだが、これなら「場内最後尾の扉が開くと2Fロビーの照明がスクリーンを直撃する」という致命的欠陥は改善されてるはず。スクリーンの明るさも昔よりは明るくなってると思う。音に関しては「アメリカン・スウィートハート」じゃ判らんが。


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プリティ・プリンセス(ゲイリー・マーシャル)

ゲジゲジ眉毛の天然パーマ、黒縁メガネをかけた冴えない15才の女の子のところにある日とつぜん迎えの車が来て、じつはあなたはヨーロッパの小さな王国のプリンセスなのだと告げる──典型的な女の子 向け願望充足映画である。しかもタッチストーンでもハリウッドでもなくディズニー・レーベルからのリリース…ということはメインの観客層に想定されているのは小中学生の女の子たちなわけで、こんなくたびれたいやらしい中年男が観たって面白いわきゃないのだ。したがって以下、レビュアーとして不適格なのを承知のうえで書くのだが、「コヨーテ・アグリー」のジーナ・ウェンドコスによる脚本は、話を〈学園ラブ・ストーリー〉と〈シンデレラ・シットコム〉のどちらにも絞れきれず中途半端なものに終わっている。新星アン・ハサウェイも おれの目には不細工な出っ歯女としか映らなかった。ラストは当然、自分に課せられた責任/試練を引き受ける決心をしたヒロインを賞讃して幕を閉じるのだが、みずからの資質に対する冷静な自己分析を伴わない「あたしならこの世界をなんとか出来るかも」という二世議員の根拠のない思い込みは傍迷惑なだけだと思うがどうか。 ● では、まったく楽しめないかというとそんなことはなくて、クイーンを演じるジュリー・アンドリュースの気品ある立居振舞いの美しさは素晴らしい。 マーシャル組レギュラーのヘクター・エリゾンドは今回、女王さまの忠実な保安局長の役。未亡人である女王さんとも憎からぬ仲という設定で、2人で踊るタンゴ(もどき)は名場面でしょう。ヒッピー文化の色濃く残る街サンフランシスコという舞台設定が、ヨーロッパの伝統ある小国とのコントラストになってるわけだが、そこでヒロインのために靴を買った保安局長が嘆いて曰く「変な街だな。パンプスを買ったら お包みしますか、履いていかれますか? だと」 ● 原題は「プリンセスの日記」。強引な「プリティ」シリーズ化 邦題に批判的な意見をよく目にするけど、これ「ブリジット・ジョーンズの日記」と違って日記をもとにした話ってわけじゃねえし「プリティ・プリンセス」のほうがよほど優れたタイトルだと思うがなあ。

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聖石傳説(ファン・チュンホア)

脚本:ファン・チュンホア(黄強華) すべての声の出演:ファン・ウェンチェ(黄文擇)
ファ−−−−−ンタステッィク!(←外人ぽく) いや、素晴らしいものを観せてもらった。むかしNHKで辻村ジュサブローの「新八犬伝」て連続人形劇やってたでしょ。あの人形たちが人形である事の束縛から解き放たれて大いなる大自然の中で思うぞんぶん切り結んだらどうなるか。そこにリー・リンチェイの最良の作品に匹敵するレベルの剣戟アクションと、ILMのお株をうばうような目もくらむ視覚効果が加わったらどうなるか・・・その答えがこの「聖石傳説」である。 ● 体長60センチほどであろうか、本邦の文楽人形にも似た木彫りの人形は「布袋戯(プータイシ)」と呼ばれる台湾の伝統芸能で、400年ほど前から大道芸として、あるいは縁日に寺の境内で演じられてきた。一子相伝のファミリービジネスで、この映画の監督の黄さん一家も120年ほど前からの人形師の家系だという。それが当代になってストーリーを現代的にアレンジした伝奇アクションとしてテレビに乗せたところ大当たり、3年がかりで作った映画は一昨年に台湾で公開されて従来の興行最高記録の十倍という文字どおり桁外れの大ヒットとなった。 ● ストーリーのベースは「中原(ちゅうげん)に武術各派の英雄豪傑が群雄割拠して腕を競う」という香港映画ファンにはおなじみのもの。テレビシリーズからの主人公は世の平和を願う「戦う諸葛孔明」ともいうべき聡明な剣士・星飛雄馬で、誤解から飛雄馬と対立する清廉熱血な剣士・花形満というライバルがいる。この映画版の悪役となるのは、復讐に燃えるあまり心がいびつに変形してしまった悪の星一徹。一徹にはもちろん明子というけなげな娘がいて、花形と明子は(口には出さぬが)相思相愛である。…いや「巨人の星」を持ち出してきたのは故なきことではない。ここには梶原一騎の熱さがあるのだ。 人間同志の争いに、変身能力のある闇の世界に棲む化物族「非善類」が加わって、どんな願いも叶えてくれるという伝説の「天問石」の争奪戦がくり広げられる。地は裂け、天は雷鳴す、そして人は、…人は熱く戦うのである。花形の名台詞「清濁は見分けにくい。善悪の判断はこの剣に託そう」 そしてラスト。乙女の涙はどんな悪の力よりも強いというロマンチシズムにおれは泣いた。 ● 武術指導はユン・ウォピン(袁和平)かチン・シウトン(程小東)かという華麗さ。人形たちはクルクルと錐もみし剣に乗って宙を翔ける。基本的には背中に片手を入れる文楽方式のようだけど、本物の俳優のような豊かな動きを画で見せられてしまうと、どうやって操ってるのか皆目、見当もつかない。ヒロインも含め、すべての役の声を1人の男性がアテているのも文楽と同じ(唄わないけど) 人形たちが素晴らしいだけじゃない。香港映画を徹底的に研究したとおぼしきハイテンポな演出、目がまわるカッティング、たたみかけるアクションに久々に(文字どおり)手に汗にぎった。かつて「新八犬伝」を熱中してみていた人たちよ、カンフー・アクションに燃え、武侠片に涙を流す同志よ、そして「ダーク・クリスタル」デラックス版DVDを発売日に買ってしまった異世界ファンタジーSFファンの皆さん、いますぐ「聖石傳説」に駆けつけなさい。人形劇だという理由だけで見逃してしまうのはあまりにも愚かだから。 ● 開幕していきなり(テレビシリーズの)ラス・ボスとの戦いが始まって(テレビで皆さまお馴染みの)主要キャラがいきなり10人も登場するんで、初めて映画を観る者にはなにがなにやらだが、大丈夫、こいつらは映画版の本筋には関係ないのだ(火暴) 2000年の東京ファンタでは劇場公開版より20分長いディレクターズ・カット版がDLPプロジェクター上映されたが、今回のフィルム公開版はせっかくの剣戟がだいぶカットされてしまって「熱さ」が若干さがってるのと(フィルムのせいか劇場の問題かしらんが)台詞が入ってるメイントラックの音量がえらい小さくて迫力不足だったので初見時より星1つ減とする。DVD化の際にはぜひ120分のディレクターズ・カット版でお願いしたい>バンダイビジュアル。

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聖石傳説[日本語吹替版]

また観に行ってしまった。これで3度目。今回は日本語吹替版である。歌舞伎町のシネマスクエアとうきゅうでは、吹替版は最初は土日の早朝1回のみの上映だったんだけど、好評だったのか今週から字幕版と交互上映になった(入替制ではないもよう) ● とうぜん吹替は字幕より情報量が多いので、吹替版で初めてわかった事実などもいくつかあるのだが、人形劇の場合は〈アテレコ〉と言ってもリップシンクの問題がほとんど無いんだから、いっそのこと元の台詞にこだわらず自由に日本の観客にわかりやすく超訳しちゃえばよかったのに。たとえば(テレビシリーズを観ている台湾の観客には自明である)主人公の素環真と青陽子が「義兄弟」であることなどは映画版だけ観ててもわからないのだが、これなど台詞で「義兄弟のお前にだけは言っておくが」とか補えば済むことだ。ただ漢字文化独特の問題で、字幕を見ればどのようなキャラか瞭然の「剣上卿」や「非善類」が、吹替の台詞で聞いちゃうと「ケンジョーキョー」や「ヒゼンルイ」になっちゃうわけで、やはり(義太夫節や浪曲にも通じる)布袋戯の1人全吹替の醍醐味を味わってもらうためにも、最初に観るのは字幕版をお勧めしておく。 ● この作品は「伝奇アクション」である前に「時代劇」であるべきなのだが、翻訳者が時代劇台詞に疎いらしく日本語がてんでなってない。例えば、義兄弟の弟が兄に「兄貴」と呼びかけるのだが、この弟は道教の道士さんである。チンピラやくざじゃあるまいし、ここは「兄上」だろう。 清廉高潔な英雄が、心中ひそかに想い合っている(しかし決して口には出さない)恩師の娘を「如冰」と呼び捨てにするのも違和感がある。女房じゃねえんだから「如冰どの」と敬称を付けるべきだろう。 弟子たちが師匠である剣上卿を「ご主人様」と呼ぶのも変。「お師匠様」とか「先生」だろう。時代劇ライターにリライトして貰ったらどうか。 ● 吹替キャストの出来は悪くはないが褒めるほどではない程度。 まず、なんでさとう珠緒なの? 巧拙以前の問題として「恋と親孝行のあいだで苦しむ悲劇のヒロイン」なんだから、もっとかぼそい声の人じゃないと駄目でしょ。 いちばん複雑なキャラクターである剣上卿=石橋蓮司はさすがに上手いが、やはりこの役は加藤清三に演ってもらいたかった。あともちろん素環真は古谷徹で、清廉高潔&堅物&頑なな英雄・傲笑紅塵は絶対に井上真樹夫ね。

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聖石傳説 英雄伝[霹靂圖騰](王嘉祥)

製作・脚本監修:黄強華 製作・すべての声の出演:黄文擇
[DVD観賞] 映画「聖石傳説」のもとになったテレビシリーズ。「聖石傳説」と同じように〈戦う諸葛孔明〉こと賢人にして武術の達人=清香白蓮 素環真をゆるい主人公として、それこそ何百作も続いている人気シリーズで、今回ビデオ/DVD発売されたのは、台湾で2001年に製作・放映されたテレビシリーズ「霹靂圖騰」のうちVol.9からVol.11まで(ビデオ撮り/各1時間もの) てゆーか、なんで素直にVol.1から出さんのよ? これじゃNHK大河ドラマの4月放映分だけを観るみたいなもんで、Vol.9なんて冒頭の30分で20人以上の役名のあるキャラクターが次から次へと登場しては複雑怪奇に対立しながら切り結ぶのである。中世・中国の中原(中国平野)と西漠(西方の砂漠地帯)を舞台に、武林(英雄豪傑の属する世間。日本でいうなら宮本武蔵や佐々木小次郎が腕を競いあう世界のこと)と、魔界と、インド武術界(?)と、謎の武術集団、はては地底の霊界や魑魅魍魎までが入り乱れて覇権を競うのである。結局、DVD3枚3時間(もちろん字幕付き)を観終っても相関図の半分ぐらいしか理解できなかった(火暴) ● では、つまらないかというと全然そんなことはなくて、やたらと熱かったり、しびれるほどクールだったり、理解不能にヒネクレてたりする奴らが、豪雨が降ったり、地面がドッカンドッカン爆発したりするスタジオ・セットで、血へどを吐いたり、腕をもがれたり、剛剣に身体を貫かれたりしながら、命をかけて戦ったり、信義を尽くしたりするのだ。江戸歌舞伎や文楽のファンならもちろんのこと、日本の剣豪小説や香港映画の武侠片や「ドラゴンボール」「キン肉マン」の世界に慣れ親しんでる人なら絶対に面白いと思う(頭が棺桶の形をした「鬼王棺」なんてボスキャラも出てくる) 壮絶な最期を遂げた豪傑に捧げるナレーションの名調子「英雄の一生には悲哀と寂寞がともない、必ずや不幸な運命をたどる。今日を過ぎれば誰が英雄の魂を覚えていようか!」 ● 原題の「霹靂圖騰」だが、まず「霹靂」は「晴天のヘキレキ」のヘキレキ、つまり雷/イカズチのこと。台湾語では「ピリ」と読んで、これがこの一大アクション伝奇人形劇の統一シリーズ名である。下半分の「圖騰(=図騰)」はたぶん「守護動物」を意味する。すなわち主人公である素環真は中原の中央部にあって「麒麟」の精霊に守護されている。そして東西南北それぞれに「青龍」「白虎」「朱雀(=火の鳥)」「玄武(=亀)」に護られる英雄・東陵少主、悦蘭芳、莫召奴、非凡公主が配され、この正義のゴレンジャーが今シリーズの主人公。Vol.9〜Vol.11では、この5人が束になってもかなわない大悪・天策真龍が復活してしまい、天の七星のうち五星までの力を吸収したこいつが、残る2つの刀王星と化星(の化身である剣豪?)を倒したとき天策真龍は天下無敵となり、武林は闇に閉ざされる(…のかな?) 天策真龍を倒す方法はただ1つ。世に名高い「四刀四剣」で八方から取り囲み一気にカタを付けるしかないのだ。そこで8本の刀剣と8人の剣豪を捜しにゴレンジャーとその仲間が全国に散ったところで「続く」 てゆーか、これはあくまでメインの話でここに書いてない脇筋・サブキャラが4つも5つも錯綜してたりする。うー、よくわかんねえけど続きが観てー。

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オーシャンズ 11(スティーブン・ソダーバーグ)

誰に聞いてもせいぜい3、4人しか名前があがらないのに、世間では「豪華11大スター競演!」と思われてる秀逸なネーミングのオールスター映画。ま、クルーニー、ブラピ、ジュリア、大負けに負けてデイモンあたりまでは「スター」と認めるとして、あとは(アンディ・ガルシア、ドン・チードルも含めて)2002年時点でのスターとは言いにくいでしょう。やはりここはトラヴォルタ(オーナー)、デ・ニーロ(胃潰瘍)、ハックマン(スポンサー)、ウィル・スミス(ドライバー)、ウォーケン(爆破屋)、カイテル(電気技師)、それにクルーニーの舎弟分ウォルバーグあたりで揃えてくんないと。ま、そんなことしたらギャラだけでAOLタイム・ワーナーの屋台骨がゆらぐとは思うが…。あと少なくとも「チビの中国人」はリー・リンチェイにオファーが行ってるよな。プライドの高い師父は言下に断ったと思うけど。 ● あんまり頭の賢くないわれらが中国武星は別として、他の俳優たちはあきらかに「いまが旬」のスティーブン・ソダーバーグが監督だからってんで安いギャラでの出演をOKしたんだろうから、「アウト・オブ・サイト」ほどスタイリッシュでも「トラフィック」ほどラディカルでもない、本人のカメラによるソダーバーグ印のオシャレな映像に収まって御満悦なんだろうが、そんな生ぬるい代物を見せられる観客はたまったもんじゃない。だいたいソダーバーグって、もっと頭いいのかと思ったら意外とバカか? こいつ「オールスター映画の愉しみ」というものが理解できてないんじゃないか? ● クリスマス公開(アメリカ公開は12/7)のオールスター映画にオシャレな映像なんて要りゃせんのよ。ダサくていいんだよ。そのぶん脚本には本作での「やつは笑わせてくれるのか?」「泣かされることはないわ」「おれとヨリを戻そう。冗談で言ってるんじゃないぜ(I'm not joking.)」「ちっとも笑えないわよ(I'm not laughing.)」みたいな気の利いた台詞をバンバン放りこんで、丁々発止と演りすぎぐらいに十八番の芸を競うか、あるいは逆に普段は見せないバカな一面を見せるってのでもいいし、そんで最後は目出度く「メリー・クリスマス!」もしくは「ハッピー・ニューイヤー!」でいいんだよ。香港映画を観給へよ。そういう意味ではいちばん「正しい使い方」をされているのはブラッド・ピットなのだが、かれとて(この設定だったら絶対に)素手でボクサーを殴り倒すみたいなシーンが必要でしょ。 ジョージ・クルーニーには「アウト・オブ・サイト」ほどの色気がなく、ドン・チードルは「トラフィック」ほど魅力的じゃない。あとクルーニーは声に特徴がありすぎ。 なぜか「And Introducing...」という普通は新人主役に与えられる前書きとともにクレジットされるジュリア・ロバーツにいたっては「エリン・ブロコビッチ」の輝きはいま何処。まったく合わないキャラを与えられて悲惨ですらある。この人の任からいったら「前科者のディーラー」あたりが似合いなのだが、てゆーか、これ「切り札(ワイルド・カード)」どころか最後までなんにもしない役じゃんか。そのあつかいは「スター」に対して失礼ってもんだろ。 ● ちなみにシナトラ一家がカジノを襲うオリジナル版はガキの頃にテレビで観たきり。あんまり面白くなかったような気がするんだが、いま観たらまた違うのかな。

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エネミー・ライン(ジョン・ムーア)

この際セルビアでもクロアチアでもイスラムでもいいから連中が偵察機の1機でも撃ち落してくれりゃあ、こっちも大手をふって戦争をおっ始められんのになあ・・・という、これは一種の願望充足映画である。ただしこーゆー願望を持っているのはアメリカ人だけなので、日本人が観ても面白くないのは理の当然。原題は「エネミー・ラインの向こうに」。そもそも直接の交戦状態にあるわけでもないアメリカとボスニア・ヘルツェゴビナの間にどうしてエネミー・ラインがあるんだよ。テロリストってわけでもない正規のセルビア人民軍を、堂々と名指しでナチスドイツも真っ青の悪役として描いたうえで、最後はアメリカ海軍が思う存分ブッ殺してメデタシメデタシ…って(娯楽映画にあんまり堅いことは言いたかぁないが)ちょっとノーテンキに過ぎるだろ。 ● そうした一切を大目に見るとしても、話としては撃墜されたパイロットがひたすら逃げるだけ。「ランボー 怒りの脱出」みたいにゲリラ戦法で追っ手に反撃したりしないので、ちょと退屈。 逃げるパイロットに「シャンハイ・ヌーン」のオーウェン・ウィルソン。 救出命令を許可しない不甲斐ない上層部に歯ぎしりする司令官にジーン・ハックマン。自分が墜ちたとき(=「BAT☆21」)はすぐ助けが来たのにねえ。 セルビアの凄腕スナイパーに扮した「パパってなに?」のウラジミール・マシュコフが素晴らしい存在感。

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タイムリセット 運命からの逃走(オキサイド・パン)

「レイン」の評判を受けて公開されたタイ人監督1997年のデビュー作。兄弟のダニー・パンも編集を担当している。 ● 主人公のアジアン・ヤッピーなメガネには久我陽子 似のフィアンセがいて幸せいっぱい。だがその幸せは長くは続かなかった。突然の事故で彼女は意識不明の重態。そこへオレンジ色の袈裟をまとった坊主があらわれて言うことにゃ──おまえのカノジョの前世は一家5人強姦惨殺放火犯じゃった。これもみな前世の報いなのじゃ。彼女を救いたければ代わりにおぬしが5人の命を助けることじゃな。たた、助けるってどうやって!? ふっふっふ、いまにわかる。あまりの急展開に付いていけない主人公がふらふらと表へさまよい出ると、突風とともに1枚の白紙の新聞が。なななんだこれは!?と、よくよく新聞を見てみると、おお、明日の記事が焙り出しのように浮かび上がってくるではないか!<恐怖新聞かい! ● 言っとくけど、これはべつに「不条理ドラマ」ではない。作り手も観客も「まあ前世の報いじゃしょーがないやね」という了解のもとに話が進むのだ。うーむ。恐るべし仏教国タイ。でもって主人公が明日の新聞から得た情報で、殺人鬼かなんかの手から善人を守るのかと思えばとんでもない。東に公金を横領して競馬場で本命馬にツッコもうとしてる悪徳刑事あらば、行って「その馬は負けるからお止しなさい」と馬券購入を阻止して(本当なら負けて自殺する運命だった刑事の命を救うとともに)盗んだお金は返しなさいと言い、西に受験に失敗して飛び降り自殺しようとしてる教師のバカ息子あらば「頭がどうであれご両親はきみを愛してる」と諭して思い留まらせるのだった。<雨ニモ負ケズかい! てゆーか、映画にかこつけた坊主の説法なんか聞きたかないので2人 救ったとこで途中退出。

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クールボーダー(マロイ兄弟)

ワーナーマイカルシネマズ限定公開1,000円均一で公開された(またも兄弟監督による)スノボ・コメディ。つまり「ホットドッグ」のスノボ版だな。ただし乳の出ない。…って意味ないじゃんそれじゃ。てゆーか、元ネタがマイナー過ぎて誰にもわかりません。 ● ドラマはないも同然、ギャグはヌルい。冒頭のタイトルバックとエンドロールのNG集で、もうしわけ程度に骨折必至のアクロバティックなスノボの絶技が披露されているが、そーゆーのが見たいならビデオ屋のスポーツ・コーナーへ行ったほうが早い。痴呆とラリパッパばかりのスキー場を買収に乗り込んでくる堤義明に「600万ドルの男」リー・メジャーズ。

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紅色の夢(中田昌宏)

兎は病死ではなく姉の貴子が殺したのだった。頚のところの柔らかな骨をグビリと折って。大人になってから初めてその事実を聞き、驚いた妹の愛子が訊ねる「どうしてそんなことを?」「だってあの兎、愛子を好きになりそうだったから」 ● 1997年の旧作だが今回が初公開。それも銀座シネパトスで1週間限定のレイトショーである。大手の東北新社の配給なのに、これまで公開できなかったのにはそれなりの理由があると勘ぐるじゃない? 原作が「皆月」の花村萬月だっつうし、姉妹が男を取り合ってどしゃ降りの雨の中で怒鳴りあったりする類の映画じゃねえかと思ってさ。だから、おれとしては(チラシからすると「姉妹レズもの」らしいから)夏生ゆうな のお宝発掘ぐらいの気持ちで観に行ったのよ。まさかこのようなスプラッターと呼んで差し支えないほどの血糊が画面を赤く染めつくす〈血のファンタジー〉を観せられるとは思いもよらなかったぜ。 ● 幼いころに両親を亡くして以来、この世に2人きりで生きてきた3つ違いの姉と妹。妹に精神的に君臨してるようにみえて じつは世界中の誰より妹だけを溺愛している姉。姉に従順に付き従うようにみえて どこかはかり知れない熱情を秘めている妹。シャワーを浴びるのも2人一緒。姉が妹に躯を洗わせる。姉の下腹には、ひと筋の醜い傷痕がある。はるか昔の、子どもの頃の盲腸の手術痕なのに、医者が抜糸をいいかげんにしたのか、まだ周囲の肉が盛りあがっている生々しい傷痕だ。妹がまだじくじくしてるような傷痕を指で愛撫する。姉はうっとりと目を閉じる──。互いを互いの半身とする、献身的で、絶対的で、…残酷な愛情。だから、おねえさん、あたしも…あたしも兎を殺すよ。 ● 姉に「スーパー競馬」の司会とかもしてた(今も?)冴木かおり。 美大生の妹に、まだ「男たちのかいた絵」でデビュー直後の初々しい夏生ゆうな。共にシャワーヌードあり。 美大の同級生のカレに「バウンスkoGALS」とほぼ同時期の若々しい村上淳。 同じく美大の同級生に、まだピンク映画デビューする前の佐々木ユメカ(これが映画初出演らしい) フジテレビ・アナウンサー時代の八木亜希子が女医 役で映画初出演。 そして、画壇の鬼才である美大教授に、これが俳優としての遺作となる藤田敏八。 ● ビンパチさんが出てるからってわけじゃないが、ソフトフォーカスの画調や桂千穂 脚本といってもおかしくない話の運びは、昔の日活ロマンポルノを彷彿させる。85分。めずらしやスタンダード・サイズ(16ミリなのかな?) 監督・脚本の中田昌宏は(JMDbによると)自主上映スペースOM製作による8ミリ「ドリーミー・ナウ」(1980)でデビュー。2本目の、やはりOM製作の8ミリ「La Fille Privee まずこぐことから始めるの」(1981)は、おお 三留まゆみ主演だ(!)

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宿 月夜野村 山姥伝説(木澤雅博)

高円寺・阿佐ヶ谷あたりの典型的中央線文化圏の臭みに辟易した「33 1/3 r.p.m.(さんじゅうさんかいてん)」の木澤雅博の自主製作映画、第2作。1998年の旧作だが今回が初公開。それも中野武蔵野ホールで1週間限定のレイトショー。言ってみれば この時点で的確な作品的評価が下されているわけだが。それでも明らかに半分以上が監督のお知り合いという貧乏臭い文化的市民の皆さんで客席はけっこうな入り。また勘違いして次のを作るんだろうなあ。 ● なんでそんなものを観に行ったかというと、これ、昨年かぎりでピンク映画界を引退した佐々木麻由子が、ピンク映画界入りする直前に主演した幻のデビュー作なのだ。のみならず共演が林由美香・小川美耶子・皆川衆・坂田雅彦と、まんまピンク映画なキャスティングで、内容も(おれはタイトルからしてとーぜん山姥が出てくる民話的ホラーを期待してたんだが)「限定された空間における色と欲の絡み合い」という普通の(つまらない)ピンク映画そのもの。濡れ場もそれなりにある。せっかくの自主製作なのにいったい何がやりたかったんだ!?>木澤雅博。

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助太刀屋助六(岡本喜八)

脚本:岡本喜八 撮影:加藤雄大 音楽:山下洋輔 和太鼓:林英哲 アバンタイトル演出:真田広之
真田広之|村田雄吉 風間トオル 鶴見辰吾 岸辺一徳|岸田今日子 鈴木京香|小林桂樹 仲代達矢
星が1つ多いって? 固いこと言うない。「助太刀屋助六」だから星も六つでいじゃねえか。「イースト・ミーツ・ウエスト」(1995)がああだったから、もう2度と観られないものとあきらめていた喜八映画に こうして再会できた祝いだよ。市川崑の「どら平太」を観てるときにゃ岡本喜八のテレビ版「着ながし奉行」のことばっかり浮かんだけれども、今度の「助太刀屋助六」を観てるあいだはジェリー藤尾 版(1969/TV)のことはこれっぽっちも考えなかった。 ● 言っとくけど時代劇じゃねえぞ。時代劇の素養がなけりゃ作れない映画だが こいつはいわゆる「時代劇」の範疇じゃない。じゃ何だ? 活劇だ。ポンポンポーン。画面がはねる。はずむ。スキップする。「ジャズ大名」(1986)の裏を返した山下洋輔が画面とインプロヴィゼイションする。画が音をおびきだし音が画を挑発する。画がリズムを打ち音が朱を散らす。祭囃子のピーヒャララとズージャのズンチャカがひとつに溶ける。職人監督(アルチザン)が刻むフォービート。甦るキハチ・カッティングの快感。思わず昂奮してハアハアしちゃったぜ。上映時間88分。まがりなりにも映画のレビュウ・サイトなんぞをする以上こんな陳腐な言い方だけはすまいと思ってきた表現をいまここで初めて使うが──これが映画だ。これこそが映画なんだ。モーション・ピクチャーだ。活動写真だ。ほかにどんな言いようがある?(これが映画ならいつも暗闇のなかで2時間も3時間も見てるものはなんなんだろう?) ● 真田広之が素晴らしい。かつての喜八映画の主演俳優である仲代達矢や小林桂樹を向こうにまわして1歩も見劣りしない。まあ「24才のはねっ返り小僧」を演るにはさすがに歳を喰いすぎてるんだが、あの口跡と身のこなしは余人に代え難し。 これが喜八映画 初出演の村田雄浩は、はるか以前からの常連のようなハマり方。 ただ鈴木京香の「気丈なおぼこ娘」という役は高橋かおりあたりでも良かったんじゃないか? ナレーションは(岸田今日子というより)仲代達矢か小林桂樹でしょう。てゆーか、ほんとはあの口調を日本一うまく言えるのは亡くなった渥美清か、「肉弾」以来、喜八映画にはご無沙汰の小沢昭一なんだがなあ。 こっそり言うと後半はちょっと息切れしてる感じもするし、ラストもいまひとつキレがよくないんだけど、喜寿を過ぎてこの若々しさ。ほかの誰にも作れない映画だし、ともかく映画を観ている幸せにどっぷり浸らせてくれる。おれは電車に乗るのがもったいなくて夜空を眺めながら歩いて帰ったよ。通算40作目となる次回作への期待も込めて、岡本喜八 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ だ。 ● 公正を期すために記しておくが、本作品は東宝配給(製作は日活)だが、チラシにもきちんと配役表が載っており、パンフレットは丁寧な作りで好感の持てるものだった。

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化粧師 けわいし(田中光敏)

まあ、ビッグコミック連載の石ノ森章太郎の漫画が原作じゃ たいがいそんなもんだろ…という事前の予想どおりの映画だったのでべつに腹も立たん。つまりえらく底の浅い人情ものだ。てゆーか、人情もの時代劇かと思ってたんだが、その期待は最初の台詞(菅野美穂によって発せられる)によってあえなく霧散する。なな なんだよ、その台詞回しはよー。時代設定は明治(大正?)らしいが、これでは「明治もの」ですらない。完全に現代劇の台詞と照明である。撮影は自然光の名手・浜田毅なんだが、貧民屈の取壊し/立退きの悲劇なんぞをこのヒカリでやられても気分が出んて。てゆーか、これ、舞台設定は何処よ? 登場人物は、かたっぱしから訊かれもしないのに自分の苦境をベラベラと述べたて、終盤にはなんのためにそんなものがあるんだかさっぱりわからないサプライズが用意され、観客を(作者の意図とは別の意味で)驚愕させる。化粧師の話なのに顔のパーツや指先や色に対するフェチごころがまったく感じられないのも致命的。 ● ま、ドラマや演出に対する期待をあきらめてしまえば、菅野美穂・池脇千鶴・柴咲コウはそれぞれキレイに撮られているので見飽きることはない。てゆーか、コラ、あき竹城!千鶴ちゃんを苛めるなー! …あ、失礼。つい取り乱した。あと、柴咲コウの話はあれで終わりかい!(最後に池脇千鶴の話とリンクさせるのかと思いきやほっぽりっぱなしかい!) そして女優のだれより美しく撮られてるのがタイトルロールのカリスマ・メイク・アーティストを演じる椎名桔平である。前々から「そーとーのナルちゃんでは?」とは思っていたがここまでとは。原作漫画の春風亭小朝みたいなキャラとは大違い。黙してスクっと仁王立ちの硬派ヒーロー。次から次へと女たちが寄ってきて「あたしをキレイにして」と媚を売り、つれなく振っては女を泣かすニクい奴。「お嬢さん、心に化粧するのはあなた自身です」だって。おまえは田村正和か! いや、そーゆー意味ではベストキャスト。しかし、商売もんのおしろいに湿気は天敵だろうに、あんな土砂降りの中を自転車で帰ったりしていいのか?


REFLECTION 呪縛の絆(光石冨士朗)[キネコ作品]

勝目梓の原作を、鈴木則文が脚色して木田紀生が脚本化して「富江 replay」の光石冨士朗が監督。変態ロリ親父に弄ばれた養女が長じて血の復讐をする…という、まんまテレビの2時間ドラマな安ぅ〜い代物。ま、ジャンルとしては「清水紘治と元チェッカーズの高杢が刑事役をやるサスペンスもの」である。おれはナンシー関じゃないのでその手のものに興味はない。ヒロインである養女(姉)にグラビアモデルの木内あきら。気の触れた養女(妹)に「血を吸う宇宙」の中村愛美。2人とも乳首すら出さず。つまり商品価値としてはゼロである。フィルム撮りなら星2つぐらいつけたかもしらんが、この汚ねえキネコ画面は映画とは言えんだろ。

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ソウル(長澤雅彦)

え、なんで? 面白いじゃん(おれ、特殊かな?) ● 日韓合作…ではなく、長瀬智也 以外はすべて韓国の俳優を使って韓国でロケされた、日本人主要スタッフによる日本映画である。とはいえ同格主演あつかいであるゲスト・スターのチェ・ミンス(崔民秀)は「リベラ・メ」のキチガイ消防士「ユリョン」のキチガイ副艦長で知られる韓国を代表するキチガイ カリスマ・スター(日本でいうなら渡瀬恒彦とほぼ同一キャラ)であることは間違いないので、それがこうして日本映画に主役級で出演してくれるのは素晴らしいことだ。フィルム上のタイトルは「SOUL」のSとOの間を裂いて「SEOUL」と出る。つまり「魂」と「京城」のダブル・ミーニングを意図してるようだ。 ● ストーリー自体は、熱血漢で正義感には篤いが時間にルーズなイマドキの新人と、頑迷で封建的で礼儀に厳しいベテランが激しく対立しながらも事件を解決し、同時に互いへの理解と敬意を深める…という「コンビ刑事もの」の定番である。それを日本人の若者と日本人嫌いの韓国人に設定したことが本作のオリジナリティ。この渡瀬恒彦は二言目には「ここは韓国だ!」と長瀬智也をグーでぶん殴り、しまいにゃ「これだから兵役を経験してないやつは駄目なんだ」とか帝国軍人みたいなことをのたまうのである。なるほど、わが国には「シュリ」や「JSA」の南北分断のような劇的なテーマがない…などと嘆くことはないのだ。彼国とわれらの間にはドラマチックな遺恨が存在するではないか! ● 在日韓国人 劇作家の弟子だったはずの長谷川康夫の脚本はたしかにムチャクチャで、長瀬智也は「実行犯の顔を目撃した唯一の証人」なのだから金魚のフンみたいに現場をウロチョロしてないで刑事(デカ)部屋で容疑者の写真を特定するのが最優先、という渡瀬の主張は正論だ…とか、その渡瀬にしても「目上の者の前で煙草を吸うな礼儀知らずめ!」と長瀬をぶん殴っておいて、てめえは捜査本部長の前で吸ってんじゃん いいのかそれは?とか、人質救出に突入したSWATチームが盲滅法にマシンガンを乱射したりして肝心の人質に当たったらどーすんだよ!とか、そもそも最初っから真犯人をハッキリそれと判るように紹介してくれるのでサスペンスやサプライズがまったく生じない…とか、それより何よりクライマックスの「特攻指令」はなんだありゃ思わず爆笑しちゃったじゃねえか、とかツッコミ処が満載なのだが、陳腐な場面を「魅力的なステロタイプ」として魅せることのできるスターの存在ゆえに楽しく観ていられる。特にラストの(これまた定番の)「両雄の粋な別れ」のシーンは当方の予想をはるかに越える(まるで師匠の筆かと思わせるほどの)バカバカしさで、いや娯楽映画はこうでなくちゃイカンよ。つい星1つ増やしちゃったぜ。 ● でまた、長瀬の通訳に任命される婦警さんが可愛いんだわ(←結局それかい!) 化粧っ気のない一重まぶたに、リクルート・スーツみたいな色気のない服装。男のワガママにブツブツ言いながらも付き合ってくれて、親しくなると意外と勝ち気だったり。あれだ「太陽にほえろ!」ファースト・シーズンの関根恵子みたいな可愛いらしさだな。演じてるのは1997年のミス韓国で これが映画デビューとなるキム・ジヨン。これがまたピンク映画女優の桜居加奈ちゃんにそっくりなんだよ(←わからんてば)

ここからは映画の評価とは関係のない話だが、本作のチラシやポスターには可愛いキム・ジヨンちゃんだけでなく犯人役の俳優の名前すら載っていない。なにしろ名前が載ってるキャストは主役の2人だけなのだ(!) 公式サイトに行ってもキャスト表すらない(買ってないけどパンフもそうなんじゃないか?) そう、またしても東宝、である。少なくとも東映や松竹の作品でこういうことはまず有り得ない。なぜなら東映や松竹は自前で映画を作ってるから宣伝部と撮影所のあいだが近いはずで、ポスターに役者の名前が2人しか載ってなかったりしたら、すぐ製作スタッフから電話がかかってきて怒鳴りつけられるに違いないのだ。てゆーか、東映なんて社長が元・撮影所長だもんな。だけど自社製作をやめて久しい東宝本社には、多分もう元・製作スタッフとか撮影所出身なんていう社員は1人もいないのだろう。だから俳優さんたちへの敬意を欠いたポスターが出来上がってきても誰も文句を言わないのだ。関心があるのは製作各社の名前の順番とか提供スポンサーのロゴの大きさだけ。脇に誰が出てようが知ったこっちゃない。東宝の社員にとって重要なのは「この商品がどれだけ儲かるか」ってことだけなんだろうよきっと。


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ジェヴォーダンの獣(クリストフ・ガンズ)

あいや、こいつはおれが悪かった。クリストフ・ガンズったらいつのまにやらオシャレなパッケージで人気若手スター出演のA級超大作の監督をまかされるまでに御出世なさって…などと買いかぶったおれがあさはかであった。なにしろ一瀬隆重の企画・製作による3話ホラー・オムニバス「ネクロノミカン」の第1話で監督デビューして、長篇第1作もやはり一瀬隆重の企画・製作である、小池一夫の劇画「クライング・フリーマン」の実写映画化(マーク・ダカスコス主演!)という、いわば日本が育てたガイジン監督なのだ。骨の髄にまでB級映画魂が染みついている。だから「ジェヴォーダンの獣」がA級超大作の皮をかぶっていられるのは、フランス南部の山岳地帯ジェヴォーダン地方の雄大なランドスケープが写る最初のわずか2分だけ。うら若き乙女が〈獣〉に喰い物にされる、必要以上にバイオレントなシーンに続いて、次の場面ではスタイリッシュ&ミステリアスなロングコート&フードに身を包んで颯爽と登場したモホーク族インディアンのマーク・ダカスコスが、いきなり長棍ふりまわして大立ちまわりを演じるのである。あとはもう「コスチューム・プレイ」を文字どおり「昔の服を着て遊ぶこと」と解したとしか思えない香港映画流のバカ・アクションが展開される。さあ皆さんご一緒に・・・バッカでえー! ● 旧社会の因習が色濃く残る雪深い片田舎で発生した猟奇的な事件を解決するべく、都会から名探偵がやってくる…という結構は「スリーピー・ホロウ」や「金田一耕助」とまったく同じ。真相はトンデモではあるがいちおうミステリとして成立していて、それにしては解決のための伏線の提示が不十分。たとえば「銀の弾」とか「赤い本」はもっと早い段階で観客に見せとかないと…とか、右腕と左腕の区別をもっと明確にしなきゃ…とか。てゆーか、それ以前にフランス映画特有の問題として全体の構成がぐずぐずなのだ。探偵は謎の解明をほったらかしにして恋にうつつを抜かしてるし、ミステリかと思ったら終盤は突如としてB級アクションに突入するしさ…いや、好きだけど。モニカ・ベルッチの最後の「見せ場」と「ヴァンサン・カッセルがコートを脱いだとき」は爆笑しちゃったぜマジで。いや素晴らしい。 あと、あの展開なら「エイリアン」「レリック」でやってた〈モンスターがヒロインのお顔をペロペロ〉がぜったい必要でしょ。てゆーか、最後に〈獣〉の正体が明かされても、おれ、アレがなんなんだかわかんなかったんだけどアレはいったい何!? てゆーか[仔牛ほどのデカさの鋼鉄のヨロイを装着してあれほど敏捷に動き回れる獣]ってどんな獣やねん! ● じつはクリストフ・ガンズの頭にあるのは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ(黄飛鴻)」シリーズかもしれない。これ、いわば古装片なわけだし、主人公の「パリのルイ15世に派遣された博物学者で、しかも○○の○○」って設定は、聡明な医者でもある黄飛鴻を思わせる。師匠のために命がけで戦うマーク・ダカスコスはまさに鬼脚七だ。じっさい「クライング・フリーマン」以来の付き合いである香港スタッフも登用されていて、編集はジョン・ウー作品などを手がけたデビッド・ウー(胡大為)>セバスチャン・プランゲールと共同。武術指導は、元ショウ・ブラザーズのアクションスター・チーム「五毒」の筆頭だったコク・チョイ(郭追)ことフィリップ・コク(郭振鋒)<じつは日系2世! 「孔雀王」「老猫」「力王」といったラン・ナイチョイ作品の武術指導を経て「トゥモロー・ネバー・ダイ」のミシェール・キング姐さんのスタントを振付けた人である。ジョン・ウーの「ハードボイルド 新・男たちの挽歌」では武術指導を兼ねて、強烈な悪役を演じていたのでご記憶の方もおられよう。 ● 探偵役には(ちょっとクリストフ・ランベール似の)サミュエル・ビ・アン。 ジュリア・スタイルズを百倍愛らしくしたようなソラマメ顔のお姫さまエミリエ・デュケンヌは、なんと「ロゼッタ」の不機嫌ムスメだって。軽いネグリジェ透け乳サービスあり。 そのイカれた兄にヴァンサン・カッセル。 ミステリアスな美人娼婦に、麗しのモ〜〜ニィカァ・ベル〜〜ッチ! 娼婦だからもちろんヌードあり。全裸でしどけなくベッドに横たわる「おっぱい」から「雪山」へのオーバーラップという革新的な場面転換はすべてのフィルム編集者必見だ。てゆーか、いままでモニカ・ベルッチって「イザベル・アジャーニにそっくり」と思ってきたけど、唇に人差し指をあてて声を出さずに「しっ」とやる仕種は、おおぉっクリストファー・ウォーケンにそっくりだあ(火暴)

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W A S A B I(ジェラール・クラヴジック)

製作・脚本:リュック・ベッソン
バカ映画の傑作「TAXi(2)」の製作・脚本&監督コンビによる〈香港映画〉の新作。間違っても「レオン」を期待してはいけない。ひとことで評するならばアクションを欠いたアクション・コメディである。「Yamakashi」に次いでリュック・ベッソンの脚本は手抜きがはなはだしく、発端の設定だけあって そのあとのドラマがまったくないという恐るべきもの。たぶん数行のメモ程度でクランク・インしたものと思われる。台詞はフランス語。広末涼子のみならず、やくざのヨシ笈田や、弁護士・空港職員・銀行員・ホテルマンにいたるまで、この映画に登場する日本人ほぼ全員がフランス語をしゃべる。パリを舞台に英語で撮った「キス・オブ・ザ・ドラゴン」とくらべてもベッソンがWASABI」を世界配給する気などこれっぽっちも無いことは明白。ご留意いただきたいのは、おれはこの映画をそーとー好意的に観てて、それでも ★ ★ しか付けられないということ。ジャパン・マネーに便乗したカン違い映画でも国辱映画でもいっこうに構わんのだ。だが撮る以上はちゃんとしたものを撮れや。 ● こーゆー映画はさ(香港映画がそうであるように)要所要所を押さえておけば、あとは大雑把でいいかげんでいいのよ。だから新宿といいつつ秋葉原ロケだったり、東京の街中でへーきで銃撃戦があったり、やくざがヌンチャクぶんまわしたり、もっと言えば日本人がフランス語ペラペラだって全然かまわないんだよ本当は。だけどさあ「ハネっかえりのわがまま娘」として登場した広末涼子のことを、観客が「いとおしくてたまらない」と感じる瞬間が訪れなかったり、「他人の痛みを知らない暴力刑事」であるジャン・レノがけっきょく最後まで「傷」ひとつ負うことなくフランスへ帰っちゃったりすんのは、作者がこの映画について何も考えてないという証拠でしょ。だれが考えたってこの映画のクライマックスには「悪漢にとり囲まれた親娘が背中合わせで銃を撃つ」とかそーゆーシーンが要るだろフツー。「東京攻略」でも観て勉強せえ。 ● 広末涼子は台詞の8割がフランス語。おそらく(香港式で)ロクな脚本もなく当日の朝に「はいこれが今日の分の台詞ね」とか渡されるような、それこそ記者会見で思い出しただけで涙が出てくるような辛い撮影だったかもしれないが、そういう修羅場を立派に乗り切ったことは彼女のこれからの女優人生においてとてつもなく貴重な財産となるだろう。 対するジャン・レノは今回あからさまに手抜きモード。ワサビ好きで、ワサビだけをむしゃむしゃ食える味覚オンチという設定…って、こら、それがタイトルの由来かい! 「サンドイッチの年」みたいな気の効いた台詞のひとつも考えんかい!>ベッソン。 てゆーか、なぜこんな映画にキャロル・ブーケが!?

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金色の嘘(ジェームズ・アイボリー)

20世紀初頭のヨーロッパを舞台としたヘンリー・ジェームズ原作のよろめきドラマ。好いた男はイタリアの没落貴族。ヒロインとの腐れ縁を断ち切って家名の維持のためアメリカの成金の娘──ヒロインの親友でもある──と結婚してしまう。あきらめきれぬヒロインは(男やもめの)成金の後妻におさまり、愛しい男の「義母」として再会する…という、ピンク映画なら「淫乱義母 息子としたい!」とでも題されそうな話である。 ● だけど「よろめきドラマ」にユマ・サーマンは似合わない。この女優には「潤い」が感じられなくてセックスの匂いがしない。よろめき女優としてはクリスティン・スコット・トーマスジュリアン・ムーアの域に及ばないのだ。あるいは、なかなかよろめかない痩せ我慢が魅せたいのならば、それはニコール・キッドマンの役だろう。 対するジェレミー・ノーザムも到底「イタリア人の色男」に見えない。これは若い頃のジャンカルロ・ジャンニーニの役なのである。 一方、アメリカ成金親娘はどちらも好演。ニック・ノルティは後期ヴィスコンティのバート・ランカスターに匹敵する色気を発しているし、ケイト・ベッキンセールは(「パール・ハーバー」のときのように出っ歯が目立つこともなく)美しく撮られている。世間知らずのお嬢さんに見えて、じつは芯のしっかりした女性…というのは、じつは典型的な「ジェームズ・アイボリー的女性像」でもある。「シャンヌのパリ、そしてアメリカ」とおなじく、結局 ジェームズ・アイボリーは父娘の関係にしか興味がなかった…ということか。 全員と知り合いの「遣り手ばばあ」の役でアンジェリカ・ヒューストンが出演。

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殺し屋1(三池崇史)

この映画に満点が付かないのは三池崇史の所為ではない。悪いのはおれのほうだ。日本人観客の倫理観が三池崇史に追いついてないだけなのだ。一言で言い表すなら、「オーディション」のラスト15分を「DEAD OR ALIVE」の感性で撮ったスプラッター・コメディ…つまりジャンルとしては「死霊のはらわた」や「ブレインデッド」の類なのだが、公開初日の夜の歌舞伎町は新宿ジョイシネマ3、いかにもヤンサンとか愛読してそうな若い観客で満員の場内は、それでも三池が次から次へとくりだす捨て身の…てゆーか切り身のギャグにも身を強ばらせるばかり。場内爆笑となったのは旧来の倫理コードに抵触しない「ムキムキマンCG」の場面だけ。かくいうおれも、思いっきり痛そうな残酷描写に顔面をひき攣らせたたまま終わっちまった。いや面目ない。東京ファンタだったら全篇爆笑&大拍手だと思うんだけどなあ。というわけで、なるべく大人数での観賞をお勧めする。なお、ラストに当サイトの倫理コードに抵触する描写があるのだが、R-18の成人映画、それにコメディということで不問とする。 ● タイトルロールじゃないのに完全に主役扱いの、浅野忠信はサイコー。 物語に独りで「怪奇」を持ち込んでいる塚本晋也も素晴らしい。 ヒロイン格のキャバクラ嬢を日本語・英語・広東語のトリリンガルで演じてるエイリアン・サンはシンガポールの女優さんだそうだ。 あと、有園芳記が演ってる「チビで小心者で不具の組長」は最近の例からいけば映画評論家・塩田時敏の役のはずだが? それと今回は田口トモロヲが出てなかった気がすんだけど、さてはNHKから三池組出入禁止令を喰らったか!? ● 撮影は名コンビの山本英夫(原作の漫画家とは同名異人である念の為) たぶんCG合成とかの都合もあってかなりの部分をビデオ撮影しているが、まあ画質が気になるよーな映画じゃないので。ただ「マトリックス」以降ハリウッド映画で大流行りの、グウィーンと回りこむ「時間よ止まれカメラ」は、今の倍速でやんないとカッコよくないぞ。 あと北村道子の衣裳が素晴らしい。 それと映画の内容を破壊すんのはいいけど読めないエンド・クレジットを出すのはやめてくれ頼むから。 ● [追記]東京では12/22から、渋谷シアター・イメージフォーラム(イメージフォーラム経営)、新宿ジョイシネマ3(HUMAX経営)、シネ・リーブル池袋(日活経営)、お台場のシネマメディアージュ(東宝=ソニー経営)の4館で公開されたのだが、なぜかシネマメディアージュだけは1週間で打ち切り。さては知らずにブッキングしちゃってから実物 観てビビッたな>東宝。

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血を吸う宇宙(佐々木浩久)

断じてCGなどではないチープな銀河の絵に「宇宙。…それは永遠の神秘」ってなナレーションが被って、血みどろ文字どぅわ〜んと「血を吸う宇宙」とタイトル。クレジット・タイトルのバックには狂おしくテルミンが鳴り響く(音楽:ゲイリー芦屋) 脚本・高橋洋+演出・佐々木浩久のコンビによる「発狂する唇」の第2弾。何をもってシリーズかというと「阿部寛と(わざわざこんなクダラない役を演じるために女優復帰した)栗林知美 演じる金髪のルーシーちゃんの、FBI特捜班が出てくる怪奇現象もの」という括りであって、つまりこれ、どうやら日本版「X−ファイル」を目指してるらしいのである(マジ!?) 「リコウがバカの振りして作ってるバカ映画」であるという点では一緒だが、不可解なのは前作の「大蔵貢時代の新東宝エログロナンセンスB級映画の意識的再生」という命題から「エロ」がすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。あのなあ、「エログロナンセンス」で一語なのだよ。イカンでしょ勝手にエロを抜いたりしちゃ。終盤には「1970年代女囚映画」からの引用もあるのだが女囚といえばエロだろ(断言) 今回は本気で怖がらせようとしてないところも気に喰わん。出来は前作の六掛けぐらい。ま、その分、シリーズならではのお楽しみもあるわけで「発狂する唇」が気に入った方にはお勧めする。 ● 前作で生唾ものの3Pに挑んでくれた三輪ひとみ嬢は今回、ゲスト出演のみ。 代わって二代目ヒロインを務める中村愛美が(プルセラショップに穿いたパンツ売ってた割りには←コラコラ)ちっともエロくないのだ。なんといっても被虐感が足りない(=苛められてる姿がソソらない)のが(この話のヒロインとしては)致命的。こんなんならVシネに出てる脱ぎOKの女のコ使ったほうがずっといいのに。 下元史朗・吉行由実・諏訪太朗といった前作出演者が別キャラで登場するなか、あまりにハマリ役だったゆえか「女霊能者」の由良宜子だけは(話の辻褄を無視して)同じ役で再登場。 新参組では上田耕一が「自由民党のセクハラ代議士・亀山パンチ」に扮して大活躍。 今回もやっぱり終盤にある唐突なカンフー・ファイトは(前作のくまきんきんさんに代わって)スタンリー・トンのチームの薜春[火韋]が担当。


ラットレース(ジェリー・ザッカー)

監督としては「トゥルーナイト」(1995)以来、コメディとなると製作総指揮をつとめた「裸の銃を持つ男 PART 33 1/3 最後の侮辱」(1994)以来となるザッカー(弟)の監督作。だがこれはZAZパロディの新作ではない。もともとがスタンリー・クレイマー「おかしな、おかしな、おかしな世界」のリメイクであるせいか、いつもの下手な鉄砲も撃ちゃ当たる式のクダらんギャグのつるべ打ちとはならず、妙にのんびりした昔風のコメディになっている。じつは、こういうものこそ「オーシャンズ 11」のキャストでやるべきなのだが。あるいは、脚本のアンディ・ブレックマンが「サタデー・ナイト・ライブ」のライター出身で「スティーブ・マーティンの Sgt.ビルコ 史上最狂のキャンブル大作戦(Sgt. BILKO)」「星に想いを(I.Q.)」の人なのだから、いっそのことスティーブ・マーチンやチェビー・チェイス、ビル・マーレーの「SNL」組で固めて「バケーション」シリーズのノリで作ったほうが正解だったかも。普通の「つまらないコメディ」なので当サイトの基準では星2つなのだが、よりにもよって「感動」に落とそうとするエンディングが最悪なのでさらに星1つ減。 ● キャストでいちばんハマッてるのは当然ながら「SNL」組のジョン・ロヴィッツ@家族サービスに付き合わされるサイテー父ちゃん。 貧乏人どもにラットレースをさせて、それをラスベガス金持ち客相手の賭けにして喜んでる趣味の悪いホテル&カジノのオーナーに(ほとんど「フォルティ・タワーズ」のまんまの)ジョン・クリーズ。こっちの都合も聞かずむりやりレースに参加させるなんて!と抗議されてひとこと>「なぜなら わたしは変人だ。勝手が許される」 うーん、素晴らしい。座右の銘にしよっと。 キれたらレイ・リオッタにそっくりになる短気な女性パイロットにエイミー・スマート(「バーシティ・ブルース」) えーと、そのほかおおぜいが出演。

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ハートブレイカー(デビッド・マーキン)

母娘結婚サギ師コメディ。つまりマイケル・ケイン×スティーブ・マーチン「ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ」の女版である。だけどコン・ゲーム映画としては脚本がそーとーヘタレで、どっちかつうと「母娘の人情ものラブ・ストーリー」に重点が置かれている。だから残念ながら「気持ちよく騙される」愉しみは最後まで味わえないのだが、その代わりのお楽しみが「娘サギ師」に扮する・・・ジェニファー・ラブ・ヒューイット! もう可愛すぎるウェディング・ドレス姿なんてマジで「はぁ…」と溜息ついちゃったぜ。 母親サギ師のシガニー・ウィーバーは、1949年生まれでメリル・ストリープ、シシー・スペイセク、ジェシカ・ラングと同い年なんだけど、齢五十を越えて「もうメロドラマのヒロイン役は来ない」と見極めをつけたか「ギャラクシー・クエスト」に続いて、ある意味、女を捨てての怪演。だけどこの役は「怪演」なんかする必要なくて、本来なら「大人の女の魅力」をムンムンと発散して演ずるべき役なんだがなあ。 標的となる金持ちのクソオヤジにジーン・ハックマン。しどころなし。勿体ない。 プロローグで母娘の被害者となり、騙されたってのに諦めきれずにシガニー・ウィーバーを追っかけてくるレイ・リオッタがケッサク。盗みはすれども仁義は欠かさぬ まっとうな盗難車ディーラーの社長で「シノギと娘の幸せのどっちが大切なんだ!」と怒るシーンはちょっとほろっと来た。 アン・バンクロフトはミスキャスト。誰が考えたってあの役には有名すぎるでしょう。 テーマのみ作曲:ダニー・エルフマン(←こーゆー仕事、多いよな)

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レイン(パン兄弟)

香港生まれの香港育ちの双子の兄弟、オキサイド&ダニー・パンが、タイ映画界に渡ってタイのスタッフ&キャストで撮ったスタイリッシュな〈香港〉ノワール。SFXだけは(オキサイドがかつて所属していた)香港のセントロ・デジタル・ピクチャーズが手掛けている。 ● 天涯孤独な聾唖の殺し屋と、清楚な薬屋の娘さんの純愛。つまりジョン・ウーの傑作「狼 男たちの挽歌・最終章(喋血雙雄 THE KILLER)」のバリエーションだな。だが、全カット事前の絵コンテどおりに撮影したという凝りまくりのクールな映像スタイルが(「レイン」という邦題どおりの)ウェットなドラマと噛み合ってない気がする。「狼」だけでなく、娼婦が「つなぎ」役をするという設定はウォン・カーウァイの「天使の涙」、クライマックスの殴り込みは「男たちの挽歌」…と、やたら引用だらけなとこもウォシャウスキー兄弟を意識してんのか。てゆーか、いくら映像に凝りまくっても原題が「バンコク・デンジャラス」じゃ台なしと思うのは おれだけ? ● 主役の殺し屋はロン毛の唐沢寿明って感じでなかなかイイ男。<つんぼなのに、なんでTVのニュース画面にかぶるアナウンサーの「声」が聞こえんの? 薬屋の娘さんは(静かな)早坂好恵タイプ。 兄貴分の落魄した殺し屋にロン毛の木下ほうか。 その相手役の娼婦のネエチャンがなかなかイイ女なんだが、タイ映画でケバめのイイ女が出てくると「これは本物の女? それともオカマ?」と目を凝らしてしまうのは おれの偏見かね。

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フロム・ヘル(ヒューズ兄弟)

1888年、世紀末のロンドンを舞台にした怪奇探偵ミステリ。帝都の闇を跋扈する怪人「切り裂きジャック」を、阿片中毒の幻視探偵ジョニー・デップが追う!・・・という映画を意図してるんだと思うが、しょせんデトロイト生まれの黒人兄弟にゃ荷が重かったか(ビデオ撮りの「ヴィドック」と較べても)映像に「まがまがしさ」というものが致命的に不足している(撮影は「ロスト・ハイウェイ」「死霊のはらわた2」のピーター・デミングなんだが…) 探偵が幻視者であるというトンデモな設定もまったく活かされていない。なんせ、こいつ犯行現場が幻視できるくせに、犯人の顔と「最後の被害者」の顔だけは(作者に都合よく)見えてなかったりするのだ。だいたい19世紀末の話なのにジョニー・デップは刑事部屋のコルクボードに被害者(ガイシャ)の写真や証拠物件をべたべたと貼り付けて、まだ馬車の時代に「救急車を呼べ!」とか言ってるし、NYを舞台にしたシリアル・キラーものじゃないんだからさ。いやそれならそれできちんと論理的な推理による解決を導いてくんないと。おおいなる肩すかし。何がやりたかったのかわからん。切り裂きジャックものならニコラス・メイヤーがまだ切れ味鋭かった頃の「タイム・アフター・タイム」をお勧めしておく。 ● 「スリーピー・ホロウ」「ナインスゲート」に続いて探偵役のジョニー・デップは、ここでも「殴られて気絶する」という(アンディ・ラウの「鼻血」に匹敵する)お家芸を見せてくれる。 ヒロインのヘザー・グラハムは娼婦の役だが、今回は脱ぎはなし。残念。 そして、本作でいちばん美味しい役は、巨漢の巡査部長ロビー・コルトレーン。頼りない探偵(警部)を補佐してみせる侠気におれは泣いたね。言うまでもなく「ハリー・ポッターと賢者の石」のハグリッド役で大注目の俳優なのだが、本作の劇場用パンフには「ハリー・ポッター」のハの字も無し。いくら撮影順では本作のほうが前だったからって、あんまりマヌケすぎやしねえか? ● 前述の「救急車」って字幕もアレっちゃアレだが、阿片窟の経営者が警察に払う金はショバ代とは言わねえだろ。やくざ映画じゃないんだから、界隈のギャングをニコル組ってのもちょっと。あと(まあこれは「差別用語」関連なんだろうけど)劇中で「刃物の扱いに慣れてるからユダヤ人の肉屋か仕立て屋が怪しい」って件りで、肉屋をぜんぶ屠畜人と言い換えてるのって、当の肉屋さんたちにしてみたら「おれたちゃ屠畜人かい!」ってことになってかえって差別的なんじゃないの? ● おせっかい承知で書いておくと、イギリスの国教はもちろんイギリス国教会。その頂点は(バチカンの法王じゃなくて)イギリス国王。本作でいえばビクトリア女王その人。だからその息子がカトリック教会で結婚式を挙げるなどということは言語道断なのである。

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仄暗い水の底から(中田秀夫)

「リング」の原作者と監督による、また別の「都市伝説」にもとづく怪談映画(今回、脚本は高橋洋に非ず) じつは予告篇/TVコマーシャルにかなり大きなネタバレが含まれている。「これどんな話?」って訊いたら、たぶん10人が10人とも(それと意識せずに)物語の種明かしを含んだストーリー要約をするのではないか。ひでえなあ>東宝宣伝部。そのせいで(もともとあまり上手くない脚本の)ストーリー上のサスペンスはすっかり失われてしまい、中田秀夫は「リング」「リング2」同様の即物的なおどかしだけに精力をそそぐ。全篇をつらぬくテーマは「母娘の愛」で、作者はおそらく「ヒロインの少女時代の不幸な境遇」と「ヒロインと愛娘の不運な現在」と「黄色いレインコートと赤いミミコちゃんバッグの少女霊の不幸せな身の上」がすべてリンクして、最後の最後に「恐怖」が「感動」に転化するのを目論んでいるのだが、そこに至る「論理の転換」が未熟すぎて、これでは感動も同情もできやしない。まあ「女優霊」ほど怖くはないし「リング」ほどの破壊力もないが、それでも充分に怖がらせてくれるので「とりあえず怖けりゃOK」という皆さんにお勧めする。雨の日に古い映画館で観ると吉(てゆーか、凶) ● 今回、ビジュアル面の大きなモチーフになっているのが、昭和30年代・40年代に建てられた、古びたコンクリート剥き出しのアパート建築の、陰鬱な、じとじととカビの生えてくるような薄気味悪さである。同潤会アパートほどには古くない、古い都営住宅とか初期の公団住宅とか そーゆーやつだな。「リング」「カリスマ」「回路」の林淳一郎によるグリーン調の撮影が効果絶大。中古マンション販売 全国同業組合からの強硬な抗議は必至と思われる。 ● ヒロインの黒木瞳は(監督の指示か、女優の演技設計かわからんが)最初からあまりに「情緒不安定」な演技をし過ぎ。あれでは観客が感情移入する暇がない。だんだんと水に降り籠められるように狂っていく…ように見せたほうが効果的だと思うのだが。 子役の菅野莉央は あどけないのに驚異的な演技力を見せる「天才子役」タイプ。だけど、あの子が大きくなっても(「第3回 ミス東京ウォーカー」かなんか知らんが)水川あさみ にはならんと思うぞ。 てゆーかラストは、あの「女子高生」が気配に振り向いて、またこちらに向き直ったら[まるで夢から醒めたように、がらんとして朽ち果てた部屋]を見せてくんなきゃ駄目でしょうが。それで、呆然とする彼女の頬に天井から水滴がポタリと一滴。反射的に天井を見上げるが そこにはすでに邪悪な気配は感じられず、彼女は水滴に不思議な温かみを感じ、頬に手を当て、泣きたいような ほっとしたような何ともいえない顔になる…と。

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ヴィドック(ピトフ)[キネコ作品]

1830年。7月革命 直前のパリを舞台にした怪奇探偵ミステリ。帝都の闇を跋扈する鏡の仮面の怪人を、元・大悪党の名探偵ヴィドックが追う! 監督のピトフ(本名 ジャン=クリストフ・コマール)はCM出身で「デリカテッセン」「ロスト・チルドレン」「エイリアン4」の特殊効果を手掛けてた人。「犯人の正体が分かっていてなぜ?」とか、そもそも「犠牲者がなんであんな凝った殺され方をせにゃならんのか?」とか、「クリムゾン・リバー」の原作・脚本家 ジャン=クリストフ・グランジェによる脚本はよく考えると穴だらけなのだが、これは雰囲気や意匠を味わうミステリなのでそうしたことは欠点になっていない。眼前に目まぐるしく展開する怪奇幻想猟奇の世界を、江戸川乱歩の「怪人二十面相」シリーズのノリで楽しみ、おののけば良いのだ。 ● 巨漢の名探偵ヴィドックにジェラール・ドパルデュー。なんと格闘シーンでは「おまえはサモ・ハンか!」というカンフー・アクションを(スタントマンが)披露するのだが、だれか香港から武術指導が入ってるのかな? 小林青年に「ザ・ビーチ」のギョーム・カネ。 ヴィドックの愛人のエキゾチック・ダンサーに、スペイン出身のスーパーモデル、イネス・サストレ。無意味なおっぱいポロリが、さすがフランス映画。 美術は「ロスト・チルドレン」「宮廷料理人ヴァテール」のジャン・ラバス。 音楽も「クリムゾン・リバー」のブリュノ・クレ。 ● ソニーのHD24Pビデオカメラによる撮影(「TAXi」のジャン=ピエール・ソヴェール) 〈花の都〉というイメージにはほど遠い、つねに暗雲たちこめ、不潔でじめついてて、どぶねずみの天下の、煤けた〈暗黒都市〉巴里をCGによって塗りこめている。全篇にわたって自然な太陽光のシーンがまったくないという凝りようで、ビデオ撮影の画質の悪さもさほど気にならない。…とは言っても、本作はビデオがオリジナル版なわけで、つまりフィルムに変換してスクリーンに投影するよりもテレビの画面で見たほうが美しいのだ多分。そうしたものを「映画」と呼んでよいものだろうか? 低予算のVシネマならば致し方ないが、これはフランス全土で拡大公開されて大ヒットを記録した娯楽映画である。決して金が無いわけではない作品においてスクリーンでの画質を二の次に考える、こうした姿勢に当サイトはあくまで否を唱えていきたい。 ● で、問題は、なんでも本作で使用したHDビデオカメラは、ルーカスフィルムへの分と同時に出荷されたプロトタイプ機にパナビジョン・レンズを装着したものだそうで、つまり本作は「スター・ウォーズ エピソード2」とまったく同じ条件での撮影らしいのである。えー? てことは「エピソード2」の画質もこんなもんなの? それはちょっとがっかりだなあ。

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DEAD OR ALIVE: FINAL(三池崇史)[キネコ作品]

シネ・アミューズのロビーから小洒落たクサレ渋谷人種が消えて、どこからともなく集まってきたむさ苦しい男ども女どもで空気がもわ〜んとしてきたら三池崇史一座のいかがわしい見世物の時間だ。当代随一の一枚看板を二枚ならべての当たり狂言も いよいよこれにて大詰である。 ● 今回、舞台となるのは(2001年の香港の下町にそっくりな)西暦2346年、世界が1度 終わったあとのヨコハマ。配役は、竹内力が都市国家の飼い犬=警察の行動隊長、対する哀川翔は流れ者の…戦闘用レプリカント! そう、本作は「ブレードランナー」から327年後のアジアを描いたSFアクションなのである。警察国家が人口抑制のために「子種を絶やすドラッグ」の服用を義務づけていて、未来に希望を託すレジスタンスの一団に哀川翔が身を寄せる…という構図も見慣れたもの。今回、バイオレンス描写は控えめで、代わりにワイヤーワークとCGによる「マトリックス」的アクションが見せ場。編集とスタントマンの力を借りているとはいえ、もう哀川翔と竹内力が動く動く! 特に開幕のアクション・シークエンスはフィクションの力を最大限に発揮した傑作だろう。 そして「DOA」といえば度肝を抜くエンディング。1作目・2作目であれだけの反則をやってしまって「その先があるのか?」と案じていたが、心配御無用。満場が唖然&爆笑の結末が用意されている。 ● さてこれだけ褒めといてなんで星3つだけかと言えば、これはひとえに「民生用DVで撮ったのか!?」と疑いたくなるような画質の酷さに尽きる。暗いし潰れてるし汚らしいし最悪である。そもそもファーストカットが「35ミリの映写機」で、かつての「蝦蟇に乗った自来也が口に巻物を咥えてドロンと消える」ような荒唐無稽な活劇映画へのオマージュから開幕する作品が、よりにもよってなんでビデオ撮りなのだ?(意味ないじゃん!) 荒廃した未来の話だから汚い画面でもいいじゃないかとお思いかもしれないが、それは違う。荒廃した未来の話だからこそ、美しい「緑の自然」や「青い海」とのコントラストが要なのであって、それより何よりこれは日本映画界が誇る2大スターの共演作なのだぞ。2人を男前に美しく撮る以上に重要なことがあるか! ビデオ撮りにして製作費を倹約したつもりか知らんが、このドル箱タイトルに金をかけないで何に金をかけるというのだ?>東映ビデオ&大映。 ついでに(アミューズ製作でもシネカノン製作でもないのに)なんで公開が渋谷シネ・アミューズ単館? こりゃどう考えたって歌舞伎町・新宿ジョイシネマ3と黄金町・横浜日劇でやるシャシンでしょうが。 ● [追記]関係者(?)からメールで教えてもらったのだが、なんとこの作品は35ミリ・フィルム撮影なのだそうだ(!) てことはビデオに取り込んで加工してる間にあんなに画質が落ちちゃったわけか。アホくさ。


狼少年(丹内心道)

脚本・撮影:丹内心道 撮影:鈴木一博 音楽:J.A.シーザー 出演:高田恵篤 近藤理枝 ほか
2時間15分。16ミリの自主映画。上に並んだスタッフ&キャストを見れば(わかる人には)一目瞭然。寺山修司/演劇実験室・天井桟敷の流れである。中味は「田園に死す」「草迷宮」系の土着アングラワールド。つまり、白塗りの男が学生服 着てたり、着物の女が狐の面をかぶってる血と因縁の世界である。失われしテラヤマへの不毛なノスタルジー。自己満足。内輪受け。木戸銭とれるレベルじゃねえぜ。俳優座を賃貸しての自主上映。安からぬショバ代を払ってるのだろうが、休日の午後の回で観客はわずか5人。そのうち1人(=おれ)は30分で出てしまったので途中退出率20%ってことだな。

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玩具修理者(はくぶん)[ビデオ上映]

奥山和由が渋谷駅前のバブル・ビルを騙くらかして企画した「Qフロント・ムービー」の(「ダンボールハウスガール」に続く)第2弾。今回は当のQフロント・ビル5Fのビデオ上映イベントスペース「e-style」で2週間限定上映。当日料金1,000円で、これは1Fにあるスターバックスのドリンク込み(ドリンクは事前に引き換えて会場に持ち込んでもいいし、上映期間中なら後刻/後日引き換えも可) 会場はとても映画館と呼べる代物ではなく、その階にエレベータが止まらないようにしてあるだけで密閉すらしていないし(エスカレーター部分と会場の間にはドアも無い)、よーするに展示会のビデオ・プレゼンブースのよーなもんである。暗闇を描いた作品にもかかわらず会場は暗闇にはならないのだ。天井高いっぱいのスクリーンに背後からDLPプロジェクター映写。画質はまあ(ビデオ上映としては)許容範囲だが、音がヒドい。とても「音響設備」と呼べる代物ではなくて音が割れて籠ってるという最悪の状態。もうちょっとなんとかならなかったものか。ちなみに、おれが観たときは観客より係員のほうが多いくらいで、それもいかにも広告代理店でございというスーツと、きっと何の映画を上映してるかも知らないコンパニオンたち。けっ ● さて本篇だが(文庫本で)わずか40ページたらずの短篇を、47分の中篇に映像化したわけだが、余計な話を付け加えて無理に長篇化するよりはこれで正解だろう。子どもの頃、町の片隅に玩具修理者がいた。子どもたちが壊してしまった玩具を大人に内緒で直してくれる謎の怪人。玩具修理者は頼めばなんでも直してくれる。ブリキのロボットからテレビゲームまでほんとうになんでも…。そのまま映像化すれば「クリープショー」になるホラー小説から巧みにグロテスクな描写を排除して「トライライト・ゾーン」へと組み立てなおした脚色が出色(脚色:相良敦子&はくぶん&松尾奈津) …いやまあ、おれは「クリープショー」のままのほうが良かったけれども。 ● 中心をなす回想シーンの主役に「お受験」「フシギのたたりちゃん」の大平奈津美ちゃん。 語り部となる男女に田中麗奈と、「リリイ・シュシュのすべて」の美少年、忍成修吾。2人とも台詞まわしが奈津美ちゃんより下手ってのは仮にもプロの俳優としてどうよ? 玩具博物館の修理職人に麿赤兒。終盤のクライマックスが「ツィゴイネルワイゼン」の〈骨壷開け〉のサスペンスを彷彿させるのも偶然ではなかろう。 そして玩具修理者のモノローグに美輪明宏。正体(性別)不明の声ということでのキャスティングなんだろうけど、声にキャラがありすぎて、どうしたって美輪明宏の顔が浮かんでしまうので、ここはやはり声優のプロに頼むべきだった。 監督ははくぶん(伊藤博文) NHK出身で「驚異の小宇宙 人体」のCG部分を担当、2000年の東京ファンタでは5分のCG短篇「PANNYA」が上映されている。しかし監督より主演者がトリに来るオープニング・タイトルってのは初めて見たな。

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