ACT.101 文章を書くこと (2001.06.10)

 このホームページを立ち上げて早2年。この雑文も100本目を超え、ショートショートももうすぐ70を数えることになった。飽きっぽい性格ながら、我ながらよく書いたものだと思う。面白い面白くない、うまいうまくないは別として。
 でもやはり最初の1年と今の1年を比べると明らかに執筆ペースは落ちている。
 ここで私はふと考えた。
 私は何のために文章を書いてホームページにアップしてるんだろう、と。ということで、去年に引き続き、自分の文章に対する思いを回顧してみたいと思う。まあ、自分の気持ちを再確認する思いもあるんだけども。

 小さい頃の私はどちらかといえば、文章を書くのが好きだった方だと思う。中でも特に文章を長く書くことが好きだった。国語の時間の作文が大好きで、枚数に規定がないと聞くと、たった数行で表現できることを詳細にこと細かく無駄な表現なども交えて、原稿用紙で数枚分書いたりした。
 作文でこんな風に長く書く子供はほとんどいなかったから、普通原稿用紙は生徒に1枚しか配られない。で、1枚で収まらなかったときは教壇の上に置かれた原稿用紙を取りに行くことになっていた。そこで私はたくさん書くために何度も教壇と自分の席を往復していた。その度に他の生徒から驚嘆にも似た羨望の眼差しを受けたものだ。今思えばあの快感を味わいたいがために長い文章を書いていたのが本当の理由だったかもしれない。だから当時の私の書いた文章は長さこそあれ、中身は空っぽという代物だった。
 本格的に小説を書こうと考え始めたのは高校の時だ。当時は角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫が登場し始めた頃で、いわゆるファンタジー全盛の時期だった。私は友人とよくテーブルトークRPGと呼ばれるゲームをしていて、ゲームマスターと呼ばれる役をこなすこともあった。ゲームマスターはプレイヤーが冒険する舞台の設定を考える役で、冒険の目的、登場するキャラクターにモンスター、アイテムなど細かく考える必要があった。あくまでこれはゲームでしか使用されないのだが、これに肉付けをすれば小説にすることはさほど難しいことではない。事実、当時大ヒットした「ロードス島戦記」という小説はテーブルトークRPGから生まれたものだ。
 そのことに気づいた私は自分で考えて気に入っていたシナリオを小説化しようと考えた。今考えれば、厚みも重みも何もない薄っぺらいものであったが、当時の私はそれで賞に応募しようという野望まであった。しかしその小説が完結することはなかった。熱しやすく冷めやすいというまるで鉄のような性格の持ち主である私は、簡単に小説を書くという行為に飽きてしまったのである。確か書こうと決めたときに喜び勇んで買った原稿用紙に2枚分も書かなかったのではなかっただろうか。
 当時の私は既にパソコンを持っていたが、当時のパソコンで文章を書くということは考えなかった。なぜなら文章を書くのはワープロの仕事であり、パソコンの仕事の1つとしての認識はまだほとんどなかった時代だったのだ。
 それから私は文章を書くという行為から離れた。このページを開設する1999年6月まで。と、ここで去年アップした雑文へとつながっていくのだ。

 幸いにも最近は更新を休んだ3ヶ月が効いたのか、ネタ切れに苦しむことは少ない。ただ、昔よりも文章表現の仕方に貪欲になった気がする。私の書く作品に色々な感想を頂戴するが、共通して皆さんが言ってくれるのは「読みやすい」という点。これは私が気にしている一番大きいところで、極力難しい表現を使わずに小説を書くように心がけている。まあ、オチに関してはあえて分かりづらくしているものもあるのだけども。しかし、分かりやすい表現を多用していると、どうしても同じような表現ばかりを使用している傾向になってしまう。こういうところでボキャブラリーの貧困さを自分で疎ましく感じるわけなんだけど、かといって辞書を右手に小難しい表現を使用するのもちょっとどうかななんて思うわけなのである。というわけで、最近の私の遅筆ぶりはその表現がうまく行かずに行き詰まっている場合がほとんどなのだ。
『ネタはある。しかし、文章が書けない。』
 掲示板なんかで割と私がこぼしている愚痴の理由がこれなのである。
 おまけに、1週間という期間は実に短い。本当にビックリするほど短いのだ。言葉を産み出す苦しみに今日も私は耐えているのであった。
 なんて大層なこと言ってるけど、書けば書くほど文章を書くという行為が好きになっているのは事実。とりあえず、思うがまま文章を書き連ねていきたいと思っている今日この頃である。

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